――テディベア博物館『アンジェリカ・ベアーズ』。
プレイアデスの魔法少女達が本拠地であるこの博物館に到着したのは、双樹達に逃げられてから暫くしての事だった。
突発的に引き起こされた激戦の結果、メンバーのソウルジェムの負荷が危険域まで達してしまっていた。そのためジュゥべえを呼び寄せて直ぐにでも浄化しなければならなかった。
浄化後も傷付いた体で周囲を警戒しながら、最も安全だと思われるこの本拠地へ帰還した頃には、既に日も落ちて雨が勢い良く降り始めていた。
聖団の本拠地である『アンジェリカ・ベアーズ』には居住空間も併設されており、海香とカオル以外のメンバーはこの拠点で過ごす事も多い。
<若葉みらいの願い>によって与えられたこの建物は、見た目よりもずっと広く、生活に必要な施設は一通り揃っていた。
雨に濡れた体を熱めのシャワーで洗い流した後は、リビングに集まり今後の方針を話し合う。
だが残された五人のメンバーによる会議は難航を極めた。
逃げたかずみに、新たな脅威『エリニュエス』への対処。そして残された『神名あすみ』の処遇。
そのどれもが頭の痛くなるような問題だった。
「……かずみがああなった以上、あすみをそのままにしておく理由もなくなったわ」
「それじゃあ……」
「ええ、こうなった以上神名あすみは速やかに<保護>するべきね」
その言葉は『レイトウコに保存する』という意味を孕んでいた。
現状では、あすみの記憶が回復する目途は立っていない。
けれど彼女はユウリを救った時のように、魔法少女の運命を覆す可能性を秘めている。
その希少性を鑑みても、回復手段が見つかるまで早急に<保護>するべきだ。
そんな海香の言葉に、みらいは呆れるように言った。
「でももう手遅れなんじゃない? 逃げたかずみがとっくに連れてってると思うよ」
「……なんでそう思うの?」
「だって
みらいがかずみの立場だったなら、間違いなくそうするだろう。
今のかずみにとって、最早神名あすみしか味方がいないのだ。
今の時点であすみを確保できていない以上、今から海香の屋敷に向かっても後手に回るだけに思えた。
『プレイアデス聖団』から逃げたかずみだったが、それとは無関係な『神名あすみ』を避ける理由はなく、むしろ聖団の行動を予測して先回りしている事は少し考えれば分かる事だ。
海香は苦い気持ちで、みらいの言葉を受け止める。
無意識にあすみの存在を軽視していた自分に気付いたのだ。
魔法少女としての『神名あすみ』の重要性は重々承知している。軽視していたのはかずみとの<絆の深さ>だ。
どこかで、かずみの一番の親友は自分達だと驕っていた事に気付いたのだ。
――今更、どの面下げて親友だと言えるのかしら。私は既に選んでしまった。後戻りはもうできないというのに……。
今のかずみにとって、御崎海香は最早ただの裏切り者に過ぎない。
そして神名あすみこそが唯一心を許せる存在なのだろう。
ならかずみは何を置いても、あすみを守ろうとするはずだ。
聖団の計画が失敗して化け物になろうとも、それが海香達の知っている『かずみ』という少女なのだから。
「……念のため、あすみの事は後でカオルと一緒に家まで確認しに行くわ。ついでにあすみが最初に住んでた屋敷の方もね」
複雑な胸中の整理は一先ず後回しにする事に決め、海香はこれまで疑問に思っていた事を口にする。
「ねぇ、どうしてかずみは……『あの事』を知ってたのかしら?」
海香の言う『あの事』には様々な事柄が含まれていた。
プレイアデス聖団の真の目的。そして和紗ミチルの事。
まだ何一つ教えていなかったのに、あの時のかずみはそれを完全に理解していた。
でなければあの様な問い掛けはできない。『自分は本物なのか?』などと。
サキは眉間に皺を寄せたまま、つい先ほどまでの光景を思い返す。
「……魔女化したニコと同化した時、何かあったのだろう。それ以前と以後ではまるで違う。同化した際に『ニコの知識』を得たのかもしれない」
「身体だけじゃなくて、記憶も食べちゃったってこと?」
みらいはうげぇーと吐きそうな顔をした。かずみが魔女を『捕食』した光景は今も目に焼き付いている。
あのグロテスクな光景を見てしまえば、かずみが最早人間じゃない事は明白だ。
そんなバケモノが仲間の記憶まで食ったのだとしたら、早急に退治しないと面倒臭い事になるだろう。
カオルはそんな仲間達の会話を沈鬱な顔で見ていた。
場の雰囲気は完全に『かずみを処分』する方向で固まっている。
けれどもカオルは、未だその決定に納得できていなかった。
「……もしかしたら、ニコの奴に教わったのかもしれない。かずみが元に戻れたのだって――」
かずみを救うために、同化し一つになったかずみに聖団の真実を伝え、そして解放したのではないか。
かずみが魔女に成りきらずに生還できたのは、かずみがバケモノだからではなく、ニコがかずみを生かそうとしたからではないのか。
そんな希望の可能性を、カオルは捨て切ることができなかった。
「カオルちゃん……魔女になったニコちゃんがどうやって教えるの? それにもしそんな事ができるなら、かずみちゃんも『魔女の仲間』って事でしょ? 元に戻れたっていうけど、あんなの見た後じゃ人間に<擬態>している様にしか……」
里美は苦笑を浮かべてカオルの言葉を切り捨てる。
未練がましい言葉など今は邪魔なだけだ。
里美の嫌悪の込められた否定に、みらいも同意する。
「<人間>は魔女を食わない。もちろん魔法少女もね」
それがバケモノの証明であるとばかりに。
そしてカオルには、それを否定する言葉が見つけられなかった。
「姿を消したかずみに、『エリニュエス』を名乗る魔法少女達。敵は多いけど、この街は私達の地元よ。地の利はこちらにある。今度はこちらから見つけ出して、今度こそ仕留めるわ」
『かずみ』も『エリニュエス』も、そして『神名あすみ』も、目的の邪魔になる者は全て倒してしまえばいい。
「――蘇生魔法を、もう一度行うためにも」
始まりの少女『和紗ミチル』を甦らせる。
プレイアデス聖団は、その為に存在するのだから。
話し合いが一先ず終わると、休息の為博物館内にあるそれぞれの自室へと向かった。
だがその途中、里美はサキに話があると告げ、誰も使っていない空き部室の中に誘った。
扉の鍵を閉め、誰も邪魔者が入らないようにした里美に、サキは少しばかり違和感を覚えた。
「それで里美、話とは何だ? ……皆の前では言えないことか?」
わざわざサキだけを他のメンバーにも知らせず内密に呼び出したのだ。何か相談事でもあるのだろう。
そんな風に考えていたが、里美の様子はサキの予想とは全く違っていた。
「ねぇサキちゃん。かずみちゃんを<殺す>の、協力してくれない?」
怯えるでも不安がるでもなく、里美の顔はどこまでも普段通りの物だった。それがどこか不気味な印象を与える。
「……決定には従う。『次のかずみ』を蘇生するために、今のかずみを倒す。それについては協力するつもりだ」
積極的とは言い難いサキの態度に、里美は予想通りだとばかりに笑みを溢す。
わざわざ「殺す」と強調したにも関わらず、「倒す」などと甘い言葉を使っている時点で、サキの思惑は明らかだった。
「ふふっ……やっぱりね。サキちゃん、かずみちゃんが大好きだもんね。――殺せないよね?」
「……っ」
「私、知ってるの。サキちゃんが<アレ>を隠してること」
「……何のことだ?」
「サキちゃんって嘘が下手だよね。さっきだって海香ちゃん任せで、結局『かずみちゃんを殺す』って言わなかったものね。そういうとこ、ズルいと思うな」
「っ、いい加減にしろ! お前が何を言ってるのか、私には――!」
それでも白を切ろうとするサキの言葉を、里美は強引に黙らせる。
「だ、か、ら――私、全部知ってるって、言ってるでしょう?」
サキの後頭部に魔法陣が浮かぶ。死角から完全に不意を突かれたサキは、ほとんど抵抗もできないままに里美の魔法をその身に受けてしまう。
脱力し、人形のように虚な顔を浮かべるサキに、里美はある物の在処を尋ねた。
サキは自身の意思に反して、その在処を明かしてしまう。
「……やっぱり、あそこに隠してたのね」
サキから聞き出した隠し場所は、この博物館の中にあった。
里美も目星を付けていた<レイトウコ>とは別にある地下室。そこの鍵をサキから奪い取ると、里美は躊躇いもなく扉を開きに行く。
サキは光を失った瞳のまま里美の後を追従していた。
里美が鍵を開けると、地下室の中には十二個の水槽が安置されていた。
それだけなら<レイトウコ>と同じだが、中身が決定的に違っていた。
『No.1』から『No.12』までの番号が割り振られた水槽の中には、『同じ顔をした少女達』が浮かんでいる。
この十二人の少女達こそ、サキが処分を任されていた『これまでの失敗作』だった。
「……ふふっ、サキちゃんったらバカなんだから。こんなバケモノいつまでも保管した所で、人間に戻れる手段なんか見つかるわけないのに」
――だって、そもそも<材料>の時点でバケモノなんだから。
里美は魔法のステッキを構え、自身の
「<ファンタズマ・ビスビーリオ>」
里美の固有魔法は『動物と意思を交わす事』だ。
だが魔法の出力を上げてしまえば、意思の交感は対等ではなく一方的な命令となってしまう。
最大にまで上げれば、対象の意識そのものを乗っ取る事も可能な魔法だ。
「みんなには内緒だけど、この魔法の『動物』って<人間>もカウントされるみたいなのよね」
つまりそれは『人間すらも操ることができる』という事だった。
とはいえそれも万能ではない。対象の意思が強ければ強いほど抵抗される確率は高く、支配する事が難しくなる。
サキを簡単に支配できたのは、不意を突いたのと戦闘での疲労が未だ抜け切らなかった事が大きい。
そして今回の場合も、然程問題なく支配する事ができた。
水槽の中に満たされていた液体が排出され、十二体の失敗作達は久方ぶりに外気に触れた。
だがその顔に感情の色はなく、里美の魔法によって完全な支配下に置かれている。
「やっぱり理性のない<出来損ない>は操り易いわね」
より動物に近い存在なら、里美は問題なく支配することができた。
これで魔女を操る事もできたならば正に無敵なのだろうが、そうそう都合良くはいかない。
魔女の意識はぐちゃぐちゃで、里美の魔法では支配どころか意思を交わす事すら不可能だった。
魔女を相手に下手に里美の魔法を使えば、自分自身が吞まれかねない。
だが目の前の『失敗作』達は違う。
中途半端に人間の部分を残し、中途半端に魔女化している。
そんなバケモノと里美の魔法は非常に相性が良かった。
十二体もの数を同時に操れるくらいには。
「私、かずみちゃんと生きていくのは無理だと思うの」
里美の我慢は最早限界だった。
一分一秒だってかずみが生きてる事が許せない。
いつバケモノになるか分からない存在に、ずっと怯え続けていた。
それでも我慢した。『和紗ミチル』には恩があるから、聖団の一員として蘇生に協力してきた。
でもあの<かずみ>は駄目だ。魔女食いのバケモノなど最早人間じゃない。
あんなバケモノが人間の皮を被って平然と生きている事が、里美には何よりも耐え難い恐怖だった。
「……せめて<あなた達>と同じだったら良かったのに」
里美は振り返って失敗作達を眺める。
かずみと同じ顔をした少女達は、完全に同一というわけではなかった。
体の色んな部位が異形化しており、どの個体も辛うじて人型を保っている有様だ。
全員に魔法で作った黒いローブを着せてはいるが、その下の姿は人間とは掛け離れてしまっている。
里美が制御していなければ勝手に暴走し、早々に魔女化して自滅する事だろう。
「さあ、みんな行きましょう。かずみちゃんを殺しに」
用済みとなったサキには暫くの間眠って貰う事にして、里美はかずみを殺すために『アンジェリカ・ベアーズ』を後にする。
かずみと同じ顔をした十二体の失敗作達は、里美に率いられるまま、人形のように自分達の<妹>とも呼べる存在を殺しに向かうのだった。
あと一話は零時に投稿します。
ちなみにスズネの過去話。オリ主に久しぶりの出番の予感……?
おまけもあるよ()