時系列的には、前話より過去になります。
高層ビルが建ち並ぶ都心のオフィス街。
そのメインストリートから一本外れた場所にある店舗<シルバームーン>。
S.W.C.系列と呼ばれる大手企業グループに所属しているこの店は、主な商品として女児向けの玩具や中高生にも人気の小物等を扱っているファンシーショップだった。
だがそれは表の姿に過ぎない。
魔法によって拡張された地下施設。
その最下層にあるオフィスで、恒例となった商談が行われようとしていた。
銀魔女によって作られた組織<
こうした拠点が築かれたのはここだけではない。
魔法によって地下にもう一つの世界が作られるのも、すでに時間の問題だった。
「計画は全て順調ね。少々物足りないくらいには」
地下にあるはずの窓からは青い光が射し込む。
一面のガラスには魔法が掛けられ、現在はさながら水族館のような景色を映し出していた。
デスクの上には、ここの新商品らしいぬいぐるみのディスプレイが置かれている。
それに紛れるように、白い生き物が姿を現した。
「いやはや、僅か数年でここまで規模が拡大するとはね。正直予想外だったよ。
魔法少女は多かれ少なかれ実社会からは外れた存在だ。
特にきみみたいな魔法少女として規格外な存在が、まさか起業するとはね。
流石に僕達も予想できなかったよ」
賞賛の言葉を掛けるのは、白い体毛に赤い瞳を持った、猫のような体躯の生き物だった。
耳から触覚を生やすこの生き物こそ、地球の外、宇宙の彼方からやってきた存在。
【魔法少女システム】を考案し、人類の持つ感情に目を付けて以来この星を管理してきた
感情を持たない生命体の心ない賞賛に、銀髪の少女は呆れたように応じる。
「お世辞はいいわ。魔法なんていう裏技使ってトントンの業績しか残せない時点で、私の経営者としての器も知れるというものよ。
私が学んだのは、表向きの業務はちゃんとした専門家の人を雇って任せた方がマシってことくらい。お陰様で海外にも拠点を置けたのは儲け物ね。
そう言えば、その人達に信頼がおけるかどうかの選定には、魔法が大いに役立ったわね」
いざとなれば<支配>の魔法もあるしね、と少女は口端を歪めた。
その視線はキュゥべえを素通りし、窓に映るイルカの親子に釘付けだった。
「きみは実に悪い魔法少女だね。一般人相手に躊躇いもなく魔法を使うだなんて」
「そんなの今更でしょ」
互いに感情なきまま無意味な言葉を交わし合う。
「私が悪い魔女だなんて、ほんとに今更過ぎる話よね」
銀髪の少女、リンネは<悪>の魔法少女だ。
それもただの悪ではなく、悪の中でもとびきりの。
邪悪と称しても過言ではない悪行を積み重ねてきた生粋の悪党だ。
彼女がキュゥべえに祈った奇跡は、人類の全てを裏切るモノだった。
銀貨欲しさに裏切りを重ねる自らを【銀の魔女】と称し、これまで数多の魔法少女達を魔女に貶め、邪悪の探求を続けてきた。
「まぁ、それを一概に悪いことだと決めつけることは早計だろう」
キュゥべえにとって、人間でありながら平然と人類を裏切るリンネの存在は重宝していた。
なにせキュゥべえ自身は、人類に対してあくまで中立の立場なのだ。
故に魔法少女同士の争いを誘導することはできても、直接介入する術はなかったのだ。
――これまでは。
「なにせきみという存在に、僕達が助かっている面があるのは事実だからね」
リンネはキュゥべえの手駒として実に優秀だった。
その独特なエネルギー回収方法も興味深く、あくまで中立であるキュゥべえが介入できない案件も次々と解決していった。
「それで今回の依頼なんだけど、ちょっと困ったことになっていてね」
その実績があるからこそ、キュゥべえは多少の譲歩をしてでもリンネと取引を行うくらいには、彼らなりの信頼と期待を彼女に掛けているのだ。
リンネも仕事の話は真面目に聞くかと、イルカの親子から視線を離した。
一人と一匹以外に誰もいない、物理的にも魔法的にも完全防諜の施された室内で、すでに恒例となった取引は開始される。
……さて、今日はどんな難題が飛び出てくるやら。
多少身構えたリンネだったが、キュゥべえの次の言葉はリンネの予想外のものだった。
「どうやら一都市全域に僕達<インキュベーター>を認識できない結界が掛けられたらしくて、その都市での勧誘ができない状況なんだ」
「ぶはっ!?」
思わずリンネは吹き出して笑ってしまった。
口元に笑みを残したまま、リンネは感情に無理解な地球外生命体に忠告してやる。
「くふふっ……まーたなんかやったんでしょ? あなただけピンポイントでシカトする結界だなんて、これは相当恨まれてるわね」
誰が言ったか、好きの反対は嫌いじゃなくて無関心。
地球上全域に網を張っている全インキュベーターの抹消が不可能である以上、疑似的にでも排除するためには、実に良い手だとリンネは感心する。
そんなリンネに、キュゥべえはため息を付いて見せた。
もちろんただのポーズに過ぎないのだろうが。
「いつものこととはいえ、理不尽だよね。人間の感情って。
事実をありのままに話すと決まって同じ反応……怒りや憎悪、あとは悲しみと絶望かな? それらが過剰反応を起こして返ってくるんだから。わけがわからないよ」
「私としては、そこでわけわからないのが、わけわからんのだけど?」
「僕が言いたいのはね。どうして人間って非生産的な行動をするのが<好き>なんだろうってことだよ。認識の齟齬から生じる勘違いに気付いたのなら、より生産的な行動に移るべきだと思うんだ。
例えばこの国では一人の少女が魔法少女になる確率よりも、交通事故に合う可能性の方が遙かに高い。
それを考えれば、魔女になって死ぬことを恐れ、魔法少女にした僕に憎悪を向けるのは、やはり理不尽だ。
少なくとも自覚してから死への猶予は与えられているし、なにより奇跡という対価を得ているんだから、僕達としてはどこに嘆く要素があるのか理解できない――」
「あ、クジラだ。おいしそう」
窓ガラスの向こう側には、遠くでクジラが泳いでいる。
「……リンネ、ちゃんと僕の話を聞いてるのかい?」
「聞いてる聞いてる。実にキュゥべえらしい超理論で、思わず現実逃避しちゃっただけよ。というか長い! 本題から逸れることこそ非生産的な行為だとは思わんのかね?!」
「……まぁ確かに。きみの言葉も尤もだ。僕としては相互理解に必要なプロセスだと判断したのだから、まるきり無駄と言われるのは心外だけど」
またキュゥべえの頭痛が痛い(誤)説明タイムが続きそうな気配を感じ取ったリンネは、慌てて本題に戻ることにした。
「そ、それで私達に頼みたい事っていうのは、その結界の解除って事で良いのかしら?」
「確かにそれもあるけど、優先度は低いね。結界のタイプも術者依存のようだから、それほど長期間展開できるとも思えないしね」
「それは魔力的な問題かしら?」
「いや、単純に魔法少女としての寿命があるからね。遅かれ早かれ、結末は同じさ。最もその例外として、目の前に今なお最長記録更新中の魔法少女がいるわけだけど……?」
キュゥべえの意味深なセリフは努めて無視し、リンネは説明された現象について考える。
「……あー、なるほど。術者が死ねば結界も消える。そして、魔法少女はいつか魔女になる定めってね。それじゃ本当に単なる時間の問題じゃない? わざわざ私に依頼するほどの事なのかしら?」
今回のケースは兵糧攻めを行うようなもので、時間はこちらの味方だ。
こちらは向こうが勝手に絶望してくれるのをただ待てば良い。
その時間を短縮する手伝いをするくらいは、こちらとしても別に構わないのだが。
「確かに今回の様なケースなら、ただ待つだけで解決するだろう。その結界を張った魔法少女の所属するチームが、内部崩壊を起こす可能性もあるしね」
「へぇ……そのチーム、構成人数はどの程度かしら?」
「六人だね。今のところは」
キュゥべえの含みを持たせた言い方に、六人という数字はあまり当てにならなそうだとリンネは判断した。
それを納得と受け取ったキュゥべえは説明を続ける。
「だから結界の解除そのものは、それほど優先度は高くないんだ。より大きな問題は彼女達の掲げている、とある<目的>の方だね」
「……まぁ、そんな大がかりな結界まで張ったのだから、さぞかし面白いことを内側でやってるんじゃないかしら?」
「面白いかどうかはさておき、僕としては少しばかり見過ごせない内容ではあるね。
万が一にも成功は有り得ないと分かっているんだけど、きみが常々言っているように、魔法少女は無限の可能性を秘めている。
良くも悪くも、きみという新しい魔法少女の形態が誕生したことで、僕達もまたその可能性について検討する必要があると思ってね。
だから<正真正銘の奇跡が起こって>彼女達の目的が達せられてしまわないよう、保険を掛けようと思ったのさ」
「……ふーん?」
リンネは気のない返事をしながら、横目でキュゥべえを観察する。
といっても大した意味はない。
感情のない連中をいくら観察したところで、人間的な洞察は意味を為さないのだから。
リンネはこれまでキュゥべえをある種、打ち終わったプログラムや機械と同じで不変の存在だと思っていた。
今だって根本的な部分は何一つ変わっていないだろう。
だがリンネというイレギュラーによって、その思考に若干の変化が生まれているように感じられたのだ。
それが良いことか悪いことかで言えば、正直なところ判断がつかない。
だがあえて人間の視点から言わせて貰うなら、インキュベーターとて曲がりなりにも知的生命体を名乗る以上、学習もすれば変化もするのだろう。
それでも連中が改心するとは全く思わないが。
「それで? あなたにとって困る彼女達の<目的>というのは?」
その問いに、キュゥべえは淡々と答えた。
「現行の【魔法少女システム】の否定。
どうやら彼女達は、魔法少女達の希望と絶望によるサイクルを、その手で終わらせたいらしい」
「…………………………………………は?」
呆気。
思わず間抜け面を晒してしまったリンネは、こほんと咳払いを一つ。
「それは……えと、どういう意味での否定? こんなの認めねーって駄々こねるレベル? それとも代替え案か何かが、あったりするの?」
「一応、代替え案らしき物はあるよ。彼女達の提唱する新システムの要は三つかな。
一つは大前提として、僕達インキュベーターに頼らない【新システム】の構築。
二つはグリーフシードに頼らない【ソウルジェム浄化装置】の作成。
三つは魔女に相転移する前の、魔法少女達の【保護】だね」
リンネはそれを聞いて思案すると、壁際に立てられていたホワイトボートにキュゥべえの説明を書き込んだ。
【新システム】【ソウルジェム浄化装置】【魔法少女の保護】
「……まぁ、字面だけを見れば中々良い感じのプランにも思える。でも肝心要の【新システム】の中身が全然見えてこない。
魔法少女が魔女に【相転移】する。希望は絶望に変わり、魔法少女は魔女となる。
それこそが現行の【魔法少女システム】の骨子なわけだから、新システムはそれの代替えとなるべき何かが……あるの?」
「さあ?」
「……おいっ」
一瞬でも期待した自分がバカみたいだ、とリンネは青筋を浮かべる。
「僕としてはより効率の良い回収システムができるなら、願ったりなんだけど。まぁ現在の【相転移】以上の効率は、僕達がいくら試算しても出てこなかったわけだし。
僕達の想像も付かない、全く未知のアプローチでもあれば別だろうけど。だからきみ達魔法少女の可能性には、僕達も多少期待してる所がないわけじゃないんだ」
「まぁ効率重視の果てが、現行の魔法少女システムだものね。でも生憎だけど、あなたの期待するようなウハウハプランは、どうやっても出てこないと思うわよ?」
そもそも普通の魔法少女がエントロピーだのエネルギーだのと、熱力学の法則に喧嘩を売るような真似はしないだろう。
「ともあれ、僕がきみに依頼したいのはその【新システム】の調査だよ。それと少しばかり興味を惹かれるサンプルもあるから、それの回収もお願いしたいね。恐らくは【新システム】の要となる端末だろう」
「その調査というのは、サンプル以外にもシステムそのものや、研究資料の奪取なんかも含まれているのかしら?」
「全容が分かれば手段は問わないよ。僕としてはサンプルが手に入って、彼女達が大人しく魔法少女の運命に身を任せてくれるなら、全く問題ないからね。残りはいつものように、きみの好きにすると良いさ」
運命だとかさらりと言っているが、要は「魔法少女は大人しく魔女になってろJK」という意味である。
そりゃシカト結界張られても文句言えないウザさだわぁ、とリンネは生暖かい目でキュゥべえを眺める。だが三秒で飽きた。
ともあれ、仕事の内容は分かった。
ならば後は報償についての交渉だろう。
「報償は<干渉遮断フィールド>の基礎理論とその実験設備で良いかしら? 実験設備といっても、ちゃんと実際に稼働して使えるものをお願いするわね」
「……確か以前から要望のあった奴だね。基礎理論は構わないけど、この星に機材を持ち込むのは僕達の立場上、認められないよ」
「あなたみたいな端末を無数に放っている時点で、ほんとに今更じゃない? じゃあ、こうしましょうか。パーツ毎にばらして端末に仕込んで持ち込めば――」
ファンシーショップ【シルバームーン】。
その店舗の直下に広大な地下施設が存在することを知る者は少ない。
そして商談がほぼまとまった頃、リンネはうっかりしていたと頭を掻いた。
「そう言えば、まだ肝心の目的地と標的チームの名前を聞いてなかったわね」
それにキュゥべえは答えた。
「場所はあすなろ市。
彼女達はプレイアデス……【プレイアデス聖団】と名乗っているよ」
聖団編、始まります。