ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

97 / 141
 ◆ Who I truely am.Ⅱ

 

 夕焼け空の下。私達五人は帰路についていました。前を一年生が三人、後ろを三年生二人が並んで歩きます。大通りを走る自動車のエンジン音が足音を掻き消していきました。

 だけど、消えない音が一つだけ。

 

――はぁ。

 

 零れ出す溜息。その出所は、凛ちゃん。

 トボトボと力なく足を動かして、視線を下に向けたまま呟くようにして愚痴ります。

 

「疲れるにゃー。やっぱり、凛にリーダーは無理だよ……」

 

 今日だけで、何回も聞いた言葉。

 

「そんなこと無いよ! きっと、段々慣れていくよ」

「そうよ。まだ初日でしょう?」

 

 私と真姫ちゃんは苦笑しながらも優しく彼女を慰めます。もちろん、凛ちゃんが頑張ってるのがよく分かるから、こういう時こそちゃんと支えてあげなきゃ。

 でも、少し気持ちがネガティブになってしまっているらしい彼女は不服そうに目を細めます。

 

「そんなこと言って、本当は二人共、自分がリーダーやりたくないから凛に押し付けたんでしょー?」

 

 えっ!?

 思わず声が出てしまいました。そんなこと無いのに……。

 すぐに真姫ちゃんが鋭い声で反論します。

 

「何言ってるの? 本当に凛が向いてると思ったから、推薦したの!」

「そうだよ。私、穂乃果ちゃん達が他の人推薦しても、凛ちゃんが良いって言ってたと思うよ?」

 

 私も、心からの台詞を口にしました。

 確かに凛ちゃんはリーダー、苦手だとは思うけど優しいし明るいし、皆の気持ちも分かる女の子だから。絶対、穂乃果ちゃんや絵里ちゃんにも負けないリーダー役を務めることが出来ると思います。

 

 でも、当の本人はなかなか信じてくれません。

 

 

「えぇ~? 嘘だー! だって、凛なんて全然リーダーに向いてないよ」

 

 

 少しだけ大きな声。

 後ろで二人楽しそうに話をしていた海菜さんとにこちゃんが口を閉じて、私達の会話に神経を集中させ始めたのが分かりました。やっぱり先輩たちは大人だなぁ。素直にそう思います。

 

「どうして?」

 

 私は、シンプルな疑問を凛ちゃんに届けました。

 なんで凛ちゃんはこんなにも大変そうにしてるんだろう?

 

――性格的にリーダー役が苦手。

 

 そんな簡単な理由一つでは無さそうです。

 一瞬の間があって、呟くように凛ちゃんは言います。

 

「だって、凛。中心に居るようなタイプじゃ無いし……」

 

 瞬間。

 

 ぺしっ。と、綺麗な手刀が凛ちゃんの頭に入りました。

 犯人は真姫ちゃん。

 

「ってて……。ま、真姫ちゃん?」

「貴女! 自分のこと、そんなふうに思ってたの!?」

 

 ちょっとだけ、怒りの混じった彼女の言葉。

 私も、慌てて凛ちゃんと向かい合います。

 

「そうだよ! μ’sに主役も脇役も無いの! グループに居いる限り、皆一緒だよ!?」

 

 私たちに挟まれて、彼女は困惑するようにキョロキョロと視線を彷徨わせます。そして、一歩、二歩と皆から距離を取ると目線を足元に落としました。

 海菜さんとにこちゃんは真剣な表情のまま、無言を貫いています。

 

「それはそうだけど! ……でも」

 

 切なげに瞳が揺れます。

 

――凛は別だよ……。

 

 少しだけ、彼女が隠したがる彼女自身の弱さが顔を覗かせました。

 

「ほら、全然アイドルっぽく無いし……」

 

 そんなこと無いよ!

 私は慌てて叫びます。

 

「それ言ったら、私の方がアイドルっぽくないよ!」

 

 凛ちゃんみたいに運動神経も良くないし、性格だってどちらかと言うと根暗で今までだってクラスの端っこで目立たない存在だったし……。私と凛ちゃんを比べたら誰だって彼女のほうがアイドル向きだって言うに違いないです。

 

「そんなこと無いよ。だって、かよちんは可愛いし……」

 

――それに。

 

 凛ちゃんは言葉を続けます。

 そして、その台詞が長い間彼女を苦しめ続けたものの正体だと、私だけはすぐに気が付きました。ううん、気が付いたとかじゃない。ずっと前から知っていました。凛ちゃんがちっちゃい頃からこのことで悩んでるってことに。

 

 

「女の子っぽいから……」

 

 

 きゅっと、凛ちゃんの小さな手がスカートの裾を握りしめます。

 伏せられた瞳はほんの僅かに潤んでいました。

 

 でも、口下手で優柔不断な私には良い方法が思いつかなくて……。気が付いた時には思った内容そのままを不器用に口にしていました。

 

「えぇ!? 凛ちゃんの方が可愛いよ!!」

 

 交錯する視線。

 

「そんなこと無いーーーー!!!」

 

 返ってきたのは不自然に激しい否定の言葉でした。

 真姫ちゃんは呆れた様子で凛ちゃんを見ます。きっと、彼女にはどうして凛ちゃんがこうまで荒れているのかがよく分からないのでしょう。少しだけ見当違いな事を言ってしまいました。

 

「もう。よほどの自惚れ屋でない限り、自分より他人のほうが可愛く思ってるものでしょう?」

「違うよ! 凛は違うの!!」

「り、凛……?」

 

 予想外の剣幕に圧されて真姫ちゃんは狼狽えます。

 流石に場の空気は取り繕えるない状態にまで冷えきって、沈黙だけが五人の間を支配します。先輩たちも余計な口を挟めないのか、心配そうに凛ちゃんを見つめていました。

 

「引き受けちゃったし……」

 

 凛ちゃんが話し始めます。

 とつとつと、短く言葉を区切りながら。

 

「穂乃果ちゃんが帰ってくるまでは、ちゃんとリーダーは……やるよ?」

 

――でも。

 

 

 

「向いてるなんて、絶対無い!!」

 

 

 

 強く耳朶を打つ、悲しい台詞。

 叫ぶように言い残して、凛ちゃんは走り去ってしまいました。

 

 どうすればいいんだろう?

 

 私は悩みます。きっと、凛ちゃんのことだから頑張ってリーダー役は努めてくれると思います。自分の責任はちゃんと果たして、ファッションショーのステージに立つはずです。

 

 だけど、本当にそれで良いのかな?

 

 凛ちゃんの中に渦巻いているもやもやが、それでは無くなりません。今までは、凛ちゃんがその悩みを私にさえ隠そうとしてたから、無理に掘り出して苦しめるのは良くないって思っていました。

 

 だけど、本当にそれで良いのかな?

 

 再び問いかけます。

 でも、その答えは出なくて。

 

 どうすればいいの?

 今までのままでいいのかな?

 それとも、……それとも!

 

 

――ポン。

 

 

 唐突に頭に軽い衝撃を感じました。

 次いで伝わる暖かな体温。

 

 びっくりして見上げると、海菜さんが私の頭に手を置いていたずらっぽく笑っています。

 その表情はどこまでも柔らかく、そして優しくて。

 

「ま、頑張れ。……幼馴染なんだろ?」

 

 わしわし、と少しだけ雑に撫でられて、最後にこつんと軽いデコピン。

 そう言って、彼は何食わぬ様子で再び歩き始めます。不思議なことに、ふと、彼の隣に絵里ちゃんが歩いているような景色が見えました。

 

 そして、私は海菜さんの背中を見て思います。

 

 そう、だよね。

 私が凛ちゃんの力になってあげなきゃ。

 答えは出ていないけど、その想いだけはハッキリしました。

 

 

 

 そんな時、偶然か。

 それとも、必然か。

 

 大事な知らせが届きます。

 

 

 

 翌日、部室で絵里ちゃんが告げた報告。

 

 

 

「天候の関係で、穂乃果達の帰りが遅れるらしくて。……つまり、今いるメンバーだけでファッションショーのステージに立つことになるわ」

 

 

 

 

***

 

 

「穂乃果ちゃん達、帰ってこれないの?」

 

 かなり重苦しい雰囲気が立ち込める部室に私の声が虚しく響きました。

 絵里ちゃんの言葉を瞬時に正しく理解したにこちゃんと真姫ちゃんは口を噤んで俯き、凛ちゃんは目に動揺を浮かべて絵里ちゃんと希ちゃんを交互に眺めています。

 

 二年生三人は修学旅行先からライブ本番までに戻れない。

 そんな……確かに天候は良くないって聞いてたけど。

 

「えぇ。残念だけど、天候の関係で飛行機が欠航するらしくて。帰ってくる便ではファッションショーに間に合わないわ」

「もともと、かなりギリギリなスケジュールやったしね……」

 

 絵里ちゃんは淡々と厳しい表情で事実のみをつげ、希ちゃんは困ったように笑いながらふんわりと零す。

 

「じゃあ、私達どうするの?」

「かよちんの言う通りにゃ。凛達だけしか当日居ないんでしょ……?」

「…………」

 

 私の口は勝手に動き、凛ちゃんは落ち着きなく立ち上がります。真姫ちゃんは平静を装いながらも、固く唇を引き結んで思案にくれていました。

 

 あふれだす不安。

 言葉に滲み出る焦燥。

 表情に浮かぶ危機感。

 

 私と凛ちゃん、そして真姫ちゃんも。μ’sの身の振り方をそのまま先輩たちに問いかけることしか出来ませんでした。今思えば、こういう年下だからといって他人任せにしてしまう欠点を改善していかなければいけなかったのかもしれません。

 

 でも、この時の私たちは本当に未熟で。

 

「もちろん、私達だけでも出るわよ」

 

 強く、皆を牽引してくれる絵里ちゃんの言葉を受け取ることしか出来ませんでした。

 

「穂乃果達が出られないのは残念だけど、μ’sに期待してくれている人がいる以上。ステージはこなさなきゃいけないわ。それが、私達自身のステップアップにも繋がると思うの」

「そうやね。ウチもこういう状況だからこそ頑張るべきだって思うんよ」

 

 毅然とした態度で行くべき道を示してくれる絵里ちゃん。

 優しく、私達を励ましてくれる希ちゃん。

 

 次に口を開いたのは彼女。

 

「ばっかねー。何堅苦しいこと言ってるの」

 

 やれやれ、とにこちゃんは肩をすくめながら全員の顔を見渡します。

 

「理由なんていらないの! いついかなる状況でも、お客さんを笑顔にするのがアイドルってもんでしょー! ほら、にっこにっこに~!」

 

 そうして浮かべる、とびきりの笑顔。

 中指と薬指を下ろした独特のハンドサインと跳ねるツインテール。

 

 にこちゃんはにこちゃんらしい考え方と態度で、彼女自身の意思を示してくれました。……若干、場はしらけちゃってますけど……。

 でも、一気に重苦しい雰囲気が変わりました。

 

 そして。

 

――ガラリ。

 

 唐突に、部室の窓が開きました。

 後者の端っこに位置する部室の外側から開けられたそのガラス。全員がびっくりしてそちらを見ると、いたずらっぽく唇の端を歪めた海菜さんが額に汗を浮かべて立っていました。

 

「にこがボケるだろうから、そろそろツッコミが必要かと思って……」

 

 一瞬だけ訪れる静寂と。

 爆発する空気。

 

「ツッコミが必要なのはどっちよ!」

「か、海菜!? 貴方今日は途中参加じゃ無かったの?」

「というより、不法侵入やん……来るなら来るってウチに連絡してくれればいいのに」

「いや、折角来たんだからもっと歓迎して欲しいんだけど」

 

 そんな光景を目の当たりにして素直に思います。

 

 

――やっぱり、三年生は凄いな。私も。私もせめて……。

 

 

***

 

 

「守衛さんと一応顔見知りだから、事実上顔パスだったんだよな」

 

 海菜さんは物珍しげに部室の棚を眺めながらそう報告します。確かに、何度かこの学院に来てはいますから守衛さんに顔を覚えられているのは納得できます。というより、もしかしたら意図的に顔を売っていたのかもしれませんけど……。

 とりあえずは警察に捕まらなくて良かったです。

 生徒数が少ないせいで、ほとんど誰ともすれ違わずにここまで来れたから良かったものの。

 

「だからって、連絡なしってのはどうかと思うわよ。確かにさっき穂乃果の件を伝えたばかりだから余裕は無かったのかも知れないけど」

「まぁまぁ、エリチ。海菜くんもきっとウチらを心配して来てくれたんと違う? あんまり攻めたらあかんよ」

「そうそう。感謝しろよ」

「古雪、アンタねぇ……。本当の理由は何よ?」

「……サプラ~イズ」

 

 そんな事だろうと思ったわ!

 にこちゃんの綺麗なツッコミが海菜さんの頭に突き刺さって鈍い音が響きました。

 

 彼は頭を押さえてうずくまりながらも、わずかに顔をあげて問いかけました。

 

「それで? 結局出ることにしたの?」

 

 彼の視線は三年生に対してではなく、私達一年生に向けられていました。

 

「絵里の意見は聞いたし、希はそれに賛成してるだろ? にこは分かりやすいし。君らはどうするのかなって」

 

 その問に一番に答えたのはやっぱり真姫ちゃんでした。

 

「何言ってるの。もちろん出るわよ……です」

 

 相変わらず、敬語は苦手なようですが真っ直ぐに自身の決意を表明します。

 続いて、私も口を開きました。

 こういう時に、一歩踏み出せる女の子になりたいからっ。

 

「は、はい! が、頑張ります!」

 

 ほんの僅かな時間、まっすぐ海菜さんと視線が交錯します。

 

 どこまでも深く、黒い瞳の奥に暖かな光が垣間見えたような。そんな気がして。でも、彼はすぐにいつもの腹に一物持ったような、それでいて嫌らしさのない不思議な笑みを返してくれました。

 

「凛はどうするの?」

 

 するり、と移動する視線。

 僅かに彼の雰囲気が変わります。

 

 私もそっと大切な幼馴染の様子を見つめました。

 海菜さんはもしかしたら彼女がステージに立ちたがらない事を心配しているのかもしれません。しかし、凛ちゃんはそんな娘じゃありません。不安から選択肢を投げるようなタイプではなくて。

 

「え? もちろん、皆が出るって言うなら凛も頑張るにゃ」

 

 一生懸命、周りの雰囲気に合わせようと努力してくれる人です。

 

 協調性。

 空気を読む力。

 周りに合わせられる度量。

 

 私は、そんな凛ちゃんの個性を凄く肯定的に捉えていました。

 

――しかし。

 

 すぅ。と、海菜さんの目が細まります。

 そして、小さく呟くように一言。

 

「そっか。……皆が出るなら、か」

「は、はい。どうかしました?」

「いや、なんというか、凛らしいなって思ってな」

 

 すぐに戻るいつもの表情。しかし、どこか引っかかるシーンでした。

 何故か、絵里ちゃんが海菜さんを見つめながら困ったように笑ってるのが気になりますし……。海菜さんがちらりとまた私に視線をやったのも違和感があって。

 

「ところで……」

 

 だけど、そんな私の些細な疑問は真姫ちゃんの声でかき消されてしまいました。

 

「古雪さんはどう考えてるんですか? わざわざ、ここまで足を運んだってことは気になることがあるんでしょう?」

 

 確かにその通りです。

 勉強で忙しいハズの海菜さんが予定を変えてまで私達の前に現れる時は、いつも彼にとって大切な理由があります。少なくとも、海菜さんと知り合って半年以上経つ私たちにはそれがよく分かりました。

 彼は感心した表情で真姫ちゃんを一瞥すると、淡々と自身の意見を口にしました。

 

「いや、俺としてはファッションショーに出るか出ないかはどちらでも良かったんだけどな。気になってたのはその決定をした後の話で」

 

 ぐるり。

 彼の瞳に全員分の顔が映ります。

 

 

 

「穂乃果いないけど、センターどうするの?」

 

 

 

***

 

 

――ウェディングドレス。

 

 

 まさにそう表現するしか無い可憐な衣装が部屋の真ん中に置かれました。かねてからことりちゃんが丹精込めて作成していた自信作らしく、キラキラとそれ自身が光を纏っているかのような完成度です。

 

「綺麗、ステキ……」

 

 思わず溜息が漏れてしまいました。

 

 アイドルらしいフリルに、上品な純白。

 普通のドレスよりは露出が高く、それでもどこか堅固な印象も受けるデザイン。女の子なら誰でも着てみたい、そう思えるような衣装でした。

 

 それはセンターを任されたメンバーが着るドレス。

 

 そして、その衣装の前に立つのは……。

 

 

「り、り……凛がこの衣装を?」

 

 

 頬を引きつらせ、小刻みに震えながらセンター用の衣装を見つめる凛ちゃんでした。

 

「そうよ。アンタは今回のリーダーなんだから」

「はは……はははは」

「何笑ってるのよ。サイズも胸辺りを絞ればピッタリなんだから」

 

 にこちゃんは凛ちゃんの後ろからそう声をかけます。

 結局、海菜さんの問いかけに答えたのはにこちゃんだった。

 

『凛が適任でしょ』

 

 無論、凛ちゃんが抵抗したのは言うまでは無いけど、とりあえずは衣装を見てから決めようということで本番のそれを引っ張り出してきたのです。

 

「凛が、凛が……」

 

 そして現在。

 凛ちゃんはもはや虚ろになった目で小さく自身の名前を呟き続けていました。

 

――凛ちゃん、大丈夫かな……?

 

「は、は、は、は……」

 

――大丈夫じゃないかも……。

 

 そして、私がマズイと確信したその時。私ほど凛ちゃんの心理状態に敏感でないにこちゃんが盛大に地雷を踏抜きました。

 

「ほら、凛。試しに着てみなさい? アンタは今回女の子らしくて可愛いセンターにならなきゃいけな……」

 

 ぴいぃん。

 凛ちゃんの全身の毛が逆立ったような、そんなあり得ないイメージが見え。

 

 そして。

 

 

「しゃーーーーーー!!!!!!」

 

 

 凛ちゃんは奇声をあげながらにこちゃんを全身で威嚇しました。

 

「なぁっ!? 何よ!?」

「り、凛が壊れたぁっ!?」

 

 どうやらスムーズに事が運ぶことは無さそうです……。

 

 

***

 

 

「無理だよ……どう考えても凛には似合わないよ」

 

 凛ちゃんが部室の椅子に深く腰掛けて、誰とも目線を交わすこと無く零します。その声色にいつもの元気や明るさはなく、硬さや僅かな怒りさえ混じっているようでした。

 私以外のメンバーは、凛ちゃんのそんな様子を初めて見るせいかどうしていいか分からず静かに彼女を見つめています。

 

「そんなことないわ……」

 

 絵里ちゃんの心からの慰めの言葉。

 でも、それは凛ちゃんに届きません。

 

「そんなことある!」

 

 まるで牙を剥くように顔を上げて、彼女はそう噛みつきました。

 絵里ちゃんは困ったように眉を潜めて口を噤みます。

 

「だって、凛……」

 

 固く握りしめた小さな拳が真っ白になって、わずかに震えています。

 いつも場を賑やかにしてくれる凛ちゃんが、空気を壊しても拒絶するセンター。私はどうして良いのか分からず、彼女の一番近くに腰を下ろして凛ちゃんを見守っていました。

 

「こんなに髪短いんだよ……?」

「ショートカットの花嫁さんならたくさんいるやん?」

「そうじゃくて。こんな女の子っぽい服装……凛には似合わないって話」

 

――女の子っぽい。

 

 彼女がよく零す決まった単語。

 彼女を苦しめているものの正体。

 

 実は、ずっと前から私は凛ちゃんの悩みに気が付いていました。

 

 小学校の頃。当時から活発で元気の良かった凛ちゃんは、今と同じかもっと短いくらいの髪型でした。もちろん、すっごく可愛くて似合ってたんだけど……男の子達にとってそれはからかいの対象になってしまったようです。

 

――星空! お前、男みたいだな!

 

 悪意のない、ただ、クラスの女の子と話がしたいだけの彼等の言葉。

 でも、幼い凛ちゃんにとっては凄く傷つく台詞だったみたいです。

 

 表向きは笑って。でも、実は裏でとても気にしているのが私には分かりました。だからこそ、私なりに凛ちゃんの可愛さを本人に伝えてきたつもりです。けど……女の子から、しかも親友から聞かされる『女の子らしい』では彼女の傷ついた心を癒やすことは出来ませんでした。

 

 それに。凛ちゃんは自分の悩みを一生懸命隠してしまいます。

 

 それは他人に、私に迷惑をかけたくないという意志であるのと同時に。自分の悩みを直視したくないという彼女自身の弱さでもありました。見なければ、気付かなければ。 受け流しさえすれば、それで良い。それが凛ちゃんの性格です。

 

 だから私は、気が付かないふりをして、そっと彼女を見守ってきました。

 

 そういう部分も全部引っくるめて凛ちゃんです。そして、私はありのままの凛ちゃんが大好きだったから。もし彼女が相談してくれたら。本当に変わりたいと願う時が来たら。その時は全力で力になってあげようって考えていて……。

 

「でも、今までだって女の子らしい衣装で踊ってきた訳じゃない?」

「それは、みんな同じ衣装だったし。凛は端っこだったから」

 

 真姫ちゃんのもっともな指摘にも、彼女なりの理由で応戦します。

 凛ちゃんにとって、一人だけセンターでウェディングドレスを模した衣装を着るのが堪らなく嫌……なようでした。嫌なのか、苦手なのか、それとも他の感情があるのかどうかは分からないけれど。

 

 

「とにかく。μ’sの為にも、センターは凛じゃ無いほうが良い」

 

 

 有無を言わせない強い口調。

 凛ちゃんはそう言い切りました。

 

 ここまで言われたら流石に説得は無理だと判断したのか、まとめ役の絵里ちゃんと希ちゃんが口を開きます。

 

「確かに、凛にばかり大役を押し付けるのは良くないわ。無理をさせすぎているのかも」

「そうやね~。衣装は穂乃果ちゃんに合わせてあるから、出来るだけ体型の近い……」

 

 う~ん。

 希ちゃんは人差し指を唇に当てて私達を見渡します。そして、小首をかしげながら言いました。

 

「丁度良さそうなのは、花陽ちゃんかな?」

「わ、私?」

「そうにゃ! かよちんがぴったりだにゃ!」

 

 ぱあっと表情を輝かせて凛ちゃんは私の手をとります。

 その態度の変わりように一瞬海菜さんが眉をひそめましたが、彼女はそれに気が付きません。

 

「花陽。お願いできる?」

「え、絵里ちゃん。……でも」

 

 

――私がやっても良いのかな?

 

 

 そんな素朴な疑問。

 

「かよちん、やったほうが良いよ! かよちんは可愛いし、歌もうまいから大丈夫にゃっ」

「凛ちゃん……」

 

 ぎゅっと両手を包み込まれ、鼻先が触れ合うかのような距離で見つめ合います。彼女の瞳はどこまでもまっすぐで、澄み切っていました。本来そこに伺えるかと思った、可愛い衣装の憧れや、それを着たいという気持ちはありません。

 

――凛ちゃんが困ってるのは本当なんだよね。

 

 私は確信します。

 彼女は本気で自身に魅力は無いって思っているし、その気持ちが本物だからこそ……悲しいことにセンターを任されることを嫌がっています。

 

「でも……良いの?」

 

 だけど、私の中にある不思議な勘。

 長いこと一緒に居たせいか、なんとなく想像できてしまう幼馴染の真理。もしかしたら、本人が分かっていない部分でさえ感じ取ってしまうものなのかもしれません。

 

 きっと。きっと凛ちゃんは……。

 

 私はそう思って問いかけます。

 しかし、返ってきたのは……。

 

「え? もちろん、良いに決まってるにゃ~」

 

 拒絶の言葉でした。

 

「凛……」

 

 真姫ちゃんも何か感じる所があったのか、心配そうに凛ちゃんを見つめました。

 でも、ここまでセンターを嫌がる彼女に『勘』などという理由で重荷を押し付けるわけにもいきません。私はどうしたら良いか分からず、ただただ凛ちゃんと見つめ合っていました。

 

 時間にして一分ほど。

 メンバーの間に静寂が満ちました。

 

――そして。

 

「……どうやら、決まりみたいね」

「えっ? で、でも……」

 

 別に、センターが嫌なわけではないです。衣装は可愛いし、穂乃果ちゃん達が居ない今だからこそお世話になったμ’sの為に出来るだけのことはしたい。私だってセンターに立って、頑張れるんだって所を皆に見せたいよ。

 

――でも、本当に私で良いのかな?

 

 その疑問が消えません。

 しこりのようなものが残って、肯定の返事が返せません。

 

――凛ちゃん。

 

 彼女は満面の笑みで賛成にゃー、と頷いています。

 

――だけど、凛ちゃんが困ってるなら。

 

 最終的に私はそう判断して……頷きました。

 

 

***

 

 

 モヤモヤとした何かが残ったその日の帰り道。

 

 唐突に、背中をつつかれます。

 振り向くと、絵里ちゃんと海菜さんがにこりと微笑んでいました。

 

「えっと……?」

 

 皆が居るせいか、絵里ちゃんはちょっとだけ声を落としながら私の右耳に唇を寄せました。上手く言えないけど女の子らしい、それでいて大人っぽい可憐な香りが鼻孔をくすぐります。やっぱり大人だなぁ。そんな感想が自然に出てきます。

 心地よい声とともに、優しい気遣いの伺える彼女の言葉。

 

「何か相談があるなら、俺達にしてくれたら多少は協力できるかも」

 

 ちょっとだけ演技の入った、男の子口調。

 それが、絵里ちゃんによる海菜さんのモノマネだってことはすぐに分かりました。

 

 だって、海菜さんが複雑そうな表情で絵里ちゃんを見てたから。

 

「ですって。私の幼馴染がそう言ってるわ」

「相談……?」

「別に俺が言い出したことは言わなくて良かっただろ……」

 

 彼は一瞬溜息を吐いた後、少しだけ真剣な口調で言います。

 

 

「君が抱えてる悩みだとか迷いがどんなものなのか分からないけど。俺が想像してるものなら、俺と絵里が相談に乗ってあげられると思う」

「海菜さんと絵里ちゃん、ですか?」

「あぁ。俺たち二人にしか伝えられないことってあると思うから」

 

 もちろん、特に無いならなんの問題もないけどな。

 

 彼はそう言って笑いました。

 

「でも、ま。覚えといて」

「私は海菜が何でこんなこと言ってるのかまだ分かってないんだけどね?」

「俺の取り越し苦労説もあるからな」

「そういうの多いわよね。心配性というか、ちょっとネガティブというか」

「君は素直に幼馴染をおもいやりがあるって褒められないのかなぁ」

 

 言い終わると、二人は何事もなかったのように雑談しながら私を追い越して行きました。

 

 

 

――私の抱えている悩み。

 

――出さなきゃいけない答え。

 

 

 

 私達を気遣ってくれている先輩たちのためにも明日一日、よく考えてみよう。

 そう思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。