今回は、私の作品ではあまり出番のあげられていなかった彼女にスポットを。
訳題は『本当の私』です。
では、どうぞ。
凛ちゃん。
私はどんな凛ちゃんも大好きだよ。
明るくて、元気で。いつだって私を引っ張っていってくれる。誰からも好かれて、誰のことも好きになっていく。私、小泉花陽にはない素敵な所をたくさん持ってる凛ちゃん。本当に凄いなって、いつも思ってるよ?
……それに、私は貴女の事たくさん知っています。
小さい頃からずっと一緒に居たから。
得意なこと、苦手なこと。
好きなこと、嫌いなこと。
あこがれや、妥協。
――そして。
凛ちゃんが抱えてるコンプレックスの事も。
私はその事を知ってる。ずっと、ずぅっと前から。
でも、凛ちゃんがその事を私に相談したくないんだって事も分かってたんだ。きっと誰にも言いたくなくて、そっと胸の中にしまい続けてるその部分。直視できなくて、ずっと目を逸し続けてる。そんな……凛ちゃんの弱い所。
だけどね、凛ちゃん。
私はそんな凛ちゃんも凛ちゃんだって思うから。だから、その悩みを無理に克服して貰おうとは考えてなかった。いつか、いつの日か。全部解決できる日が来たら良いなって。出来ればその時も、私が側に居てあげたいなって……そう、思ってた。
そうしていつの日か、私たちは高校生になって。
信じられないことに、二人揃ってスクールアイドルをすることになった。
いま、本当に幸せ。
でね? 私は漠然と思うの。
――μ’sなら、もしかしたら凛ちゃんの……。
そんな淡い期待。
私はμ’sのお陰で変わることが出来たから。
凛ちゃんにも、そんなキッカケが訪れたら……それほど嬉しいことは無いよ。
***
「はぁ~」
いつもより静かな部室に、凛ちゃんの溜息が響きます。
「雨、やまないねー」
続けて一言。
間延びした声を遮るようにして、窓越しに雨の音が届きました。彼女の視線を追って外を眺めると空は生憎の曇天。雷こそ落ちてないものの、通り雨のような一過性のものでは無く、ずっと向こうまで雨雲が途切れることなく続いています。
「凛。そろそろ練習時間よ」
真姫ちゃんが凛ちゃんの無気力ぶりに呆れながらもそう呼びかけます。しかし、注意されてもやる気は起きないのか、凛ちゃんは不服そうに言い返しました。彼女の眉毛は垂れ下がり、体の力が抜けていて。遊び相手を失った子猫のような印象です。
「そうは言っても、今日もこの四人。飽きたにゃ~……」
「それはコッチの台詞よ」
間髪入れずに入るにこちゃんのツッコミも、どこか力が入りきらずに雨音に消されていきました。
「仕方ないよ凛ちゃん。二年生は修学旅行だし、その間絵里ちゃんと希ちゃんは生徒会のフォローをしなきゃだし。雨ってなれば海菜さんも練習には参加出来ないし……。学校に呼ぶわけにはいかないから」
一応、なだめるように状況を説明します。
二年生も、元生徒会のメンバーもどちらも学校の行事や仕事で練習に参加できないのは仕方ありません。穂乃果ちゃんたちが留守の一週間は残った私達だけでも頑張らないと。
しかし、賑やか好きの凛ちゃんはどうにも気分が乗らないみたい。
「うー。せめてかいな先輩だけでも部室に引っ張ってこれれば、凛と遊んでくれるのに……」
「だ、ダメだよ? 海菜さんだって勉強忙しいんだから……」
「分かってるにゃ。早く先輩、受験終わらないかなぁ」
ぐでっと、上半身を机に投げ出して凛ちゃんは小さく零します。
彼女も、海菜の努力や苦労をきちんと理解しているせいか。口ではこう言うものの、本当に迷惑をかけることはありません。ただ、彼と遊びたいのは本音のようで、いつも海菜さんの話をする時はちょっとだけ寂しそうです。
「二次試験本番まであと四ヶ月。あの人にとっては短いだろうけど、凛にとってはまだまだ先の話ね」
「にゃー!」
真姫ちゃんの冷静な言葉に、凛ちゃんは駄々をこねるように椅子を揺らして見せました。
と、そんな時。
ガチャリ。
特にノックされること無く部室のドアが開きます。
そこから顔を覗かせたのは絵里ちゃん、そして希ちゃん。
「こら。居ない人の話ばかりしないで、やることやっておかなきゃダメよ?」
開口一番、飛んでくる注意。どうやら話を聞かれていたらしいです。
彼女はちょっとだけ眉間にシワを寄せながらそう言いました。そして、キョロキョロと棚のあたりを見回します。――何か探しものかな?
絵里ちゃんは必要だったらしい資料を見つけ出すと、こんな所に……と、整理の出来ない新生徒会長の愚痴を零しました。
「今日も生徒会?」
「えぇ」
「三人が戻ってきたら運営しやすいように整理しとくって、張り切ってるんや」
真姫ちゃんの問いかけに軽く頷くと、それに補足するように希ちゃんが口を開きます。さすが絵里ちゃん。学校のため、穂乃果ちゃんたちのために頑張ってくれて。
でも、私の幼馴染はそうは思わなかったみたい。
「えーーーー!! また練習、凛達だけー!?」
ガタン。
と、床を鳴らして立ち上がり、抗議の声を上げました。
「そうよ。全員参加出来なくても、練習はしなくちゃでしょ? 私達も今日の作業が終わり次第参加するから」
絵里ちゃんは少し申し訳無さそうにしながらも言い切ります。
「それに、今週末は例のイベントがあるんだから」
続く台詞。
――あ。そういえばそうだった。
私は思い出します。
ハロウィンイベントに続いて、週末に予定されているμ’sに届いた出演依頼。
それは……。
***
「ファッションショーに出る!?」
時折皆で来るファーストフード店に、海菜さんの驚きの声が響き渡りました。
そういえば、海菜さんにはイベントがあるとだけ伝えていたような。彼も流石に私達がファッションショーに出るとは思いもしなかったのか、目を白黒させて全員の顔を見回していました。
この場には二年生三人を除く全員が集合しています。
なにやら、絵里ちゃんから話があるらしくて。
海菜さんもそれに合わせて今日は顔を出してくれたみたいです。
「えぇ。このあいだオファーが来てね」
「はー。やっぱり最終予選出場っていうのは結構なネームバリューになるんだなぁ」
彼は感心したように頷くと、詳しい説明を絵里ちゃんに求めました。
それに応じて、場所や日時。ショーの名前や演目について話をします。
「穂乃果達はどうするの? その日程だとギリギリだろ」
「えぇ。でも、曲自体は練習していたものだから、前日にしっかり合わせれば大丈夫だと思うわ。もちろん、私達が彼女達をしっかりフォローするつもりで練習しなくてはいけないけど」
「ふーん。なら大丈夫か」
そういって彼は自然な動作で絵里ちゃんのポテトに手を伸ばしました。
そして遠慮なく数本つまむと口元へ運びます。
「海菜。それ、私のなんだけど……」
「え。知ってるんだけど……」
「どうして貴方が引いてるのよ……」
「いや、ポテトは共有財産だろ……」
「そうなのかしら……」
「例えそれは違ったとしても、絵里のポテトは俺のだろ……」
「そ、そうなのかしら」
相変わらず仲が良いみたいでほっこりしました。
幼馴染って一口にはいうけど、その形は様々です。海菜さんと絵里ちゃんのような、しっかりもの同士がお互い安心しきった様子で触れ合う光景。二年生三人の、危なっかしくて、それなのにどこかバランスの取れている関係。
そして、私と凛ちゃんのような……。
「あ、絵里。にこにも分け……」
「俺のポテトに触るなあああああ!!!!!!」
ぺちん。
小気味いい音が響きます。
「痛っ! アンタ今、ポテトは共有財産って言ったばかりでしょ!?」
「何にでも例外があることを知れっ! ばかにこ!!」
「どうして私は例外なのよっ! ていうか、女の子の伸ばした手に普通平手打ちする!?」
「そりゃ、自分のもの盗られそうになったら俺はすごい怒る!」
「あの、だからこのポテトは私の……」
そこまで考えた所で、いつものように海菜さんとにこちゃんの口論が始まりました。
ホントは仲良しなのに、よく分からないお二人です。
「もう。三人共静かにしないと。話が進まないやん」
見かねた希ちゃんが彼等に声をかけました。
こういうとき、さすがに私達下級生は強く制止はかけられないので助かります。さすが希ちゃん。本当、皆を見守ってくれるお母さんみたい。
「ふんっ! アンタに何と言われようとこれは頂くわ!」
「あっ! コイツ俺のポテトを……」
「だから、これ私の……」
何やら絵里ちゃんが一番被害を被ってる気がするものの、一旦は場が落ち着きを取り戻します。この間、真姫ちゃんは呆れた様子で先輩たちの様子をみつめ、凛ちゃんは楽しそうににこにこと笑っていました。
「それにしても、ファッションショーかぁ」
海菜さんが零します。
「きっと、モデルさんと同じステージって事ですよね。……気後れしちゃいます」
「うんうんっ」
私の少し後ろ向きな言葉と、それに同調してくれる凛ちゃん。
海菜さんはそんな私達をチラリと見た後、特に何もコメントすること無くにこちゃんの方を向きました。
マジマジと、わざとらしく。じぃっと彼女を見つめます。
視線の先は……胸のあたり?
「そうだな。絵里や希は大丈夫だろうけど……」
「……何よ」
第二ラウンド開始。
二人の間に再びバチバチと火花が散り始めました。
「この二人は放っておいて、絵里。今日は大事な話があったんでしょう?」
「あぁ。そうね」
真姫ちゃんがそう、絵里ちゃんに催促します。
確かに、私も絵里ちゃんが今日話したかった事というのが気になります。どうやら、穂乃果ちゃんと色々電話でやり取りしていたみたいだけど。
ちょっとだけ真面目な雰囲気に変わったのを素早く察知したにこちゃんと海菜さんが掛け合いを止め、視線をお互いから絵里ちゃんへと移しました。
「穂乃果が居ない間、暫定でもリーダーを決めておいた方が良いって思ってね?」
「リーダーを?」
「えぇ。その方が質も上がるし、メンバーを欠いた状態でも緊張感を持って練習出来るでしょう?」
臨時のリーダー。
思いもしなかった彼女の提案に、私は少しだけ戸惑ってしまいました。
穂乃果ちゃんがリーダーで、皆の意見を纏めたり力強く引っ張って行ってくれたり。それはいつの間にか当たり前のことに成っていて、いざリーダーをこのメンバーで決め直すとなるとうまく想像出来ません。
でも、たしかに良いアイデアです。
やっぱり絵里ちゃんは凄いです。私なんかじゃ思いつかない、いろんな事を考えてくれるから……。
「へぇ。いい考えじゃない」
「俺も賛成かな」
先の二人も納得し、頷いて見せました。
そして、海菜さんはところで、と続けます。
「暫定のリーダーって、誰にするの?」
たしかに。
一体誰が期間限定とはいえ、穂乃果ちゃんの代わりのリーダーに?
この話を今はじめて聞いたメンバーたちは揃って疑問符を頭に浮かべます。
しかし、絵里ちゃんは海菜さんの質問は織り込み済みだったらしくふわりと微笑みました。
「えぇ。その事なんだけど、穂乃果や希と話してやって欲しいなって思ったのは」
ちらり。
絵里ちゃんは視線を――凛ちゃんに向けて走らせました。
「凛。アナタよ」
一瞬の間。
そして。
「え~~~~~!? 凛がリーダー!?!?」
もはや悲鳴にも似た驚きの声が上がりました。
本当に驚いたのか、大きく口を開けたまま凛ちゃんは固まります。
「えぇ。そうよ。もちろん、穂乃果達が帰ってくるまでの間だけどね」
「先も言ったように、エリチや穂乃果ちゃん達とも相談した結果なんよ。ウチは凛ちゃんがリーダーにふさわしいって思ったから」
みんなはどう思う?
希ちゃんが他のメンバーに問いかけました。
「良いんじゃない?」
真姫ちゃんは何の問題も無いというふうに頷くと、賛同の意を示します。
「マジか、話の流れから絶対俺がリーダー選ばれると思ってたのに」
「アンタは無いわよ。今の流れなら確実にニコニーでしょ」
海菜さんとにこちゃんも余計な言葉は挟んだものの、一瞬二人の間でアイコンタクトを取り、揃って頷き返しました。どうやら二人とも賛成みたいです。
それで、私はというと。
「うん! 私も凛ちゃんが良いと思う!」
心の底からその返事を返しました。
きっと、他のメンバーでも立派にリーダーの役目を果たしてくれるとは思うけど、誰にリーダーをやって欲しいかと聞かれると私は凛ちゃんと答えます。優しくて、実は凄く真面目な凛ちゃん。彼女になら安心して任せられます。
――でも。
そう確信しながらも私は凛ちゃん自身が今の状況をどう感じるか、心配していました。
彼女が絵里ちゃんのこの提案にどんな答えを返すのか、分かるような気がしたからです。凛ちゃんはきっと……。
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
戸惑いを表情に色濃く浮かべ、彼女は私達の顔を見回します。
大きく丸い瞳が不安げに揺れていました。
「何で凛? 絶対、他の人の方が良いよー! えっと……、絵里ちゃんとか!」
「私は生徒会の手伝いがあるし……、今後のμ’sの事を考えたら一年生がリーダーをした方が良いと思うの」
凛ちゃんは絵里ちゃんのその答えを聞くとすぐに視線を真姫ちゃんへと向けました。
「だ、だったら真姫ちゃんが良いにゃ! 歌もうまいし、リーダーっぽいし! 真姫ちゃんにきーまりっ!」
わざと明るい口調で、彼女は必死に自分から話題を逸らそうとします。
この状況において、違和感だらけのテンションと言動。
絵里ちゃんもこのような反応をされるとは思わなかったのか、心配そうに凛ちゃんを見つめながらどうしたものかと思案にくれているようでした。
話を振られた真姫ちゃんは、少しだけ不機嫌そうに眉をひそめます。
「話聞いてなかった? みんな凛が良いって言ってるの」
彼女らしいハッキリとした物言いに、凛ちゃんも返す言葉が無くなったのか俯いてしまいます。
――やっぱり。
私は暗い表情の彼女を見守りながらそう思います。
きっと、凛ちゃんはこうなっちゃう。何となく予想していたことでした。
「でも、凛は……」
私はそんな彼女に問いかけます。
「嫌……なの?」
「嫌っていうか……、凛はそういうの向いてないよ」
元気を無くした凛ちゃんはそう零します。
「へぇ。意外ね。凛なら調子良く引き受けるかと思ったけど」
そんな、にこちゃんの感想。
でも、私や真姫ちゃんはそうは思っていませんでした。
「凛ちゃん。結構引っ込み思案な所もあるから……」
「特に自分の事に関してはね」
自分の事に関しては。
凄く的を射た表現。人のことに関しては誰よりも真っ直ぐに関わっていける凛ちゃん。でも、自分のことになるといつも二の足を踏んでしまう彼女。もしかしたら、あのコンプレックスが未だに尾を引いてるのかな。
きっと、凛ちゃんはまだ自分に自信を持てないのだと思います。
――どんな言葉をかけてあげればいいんだろう? 頑張れって勇気づける言葉。それとも、無理しなくていいよって。少し逃げがちな彼女を包み込んで肯定してあげる言葉。
「…………?」
ふと、視線を感じました。
皆が凛ちゃんに注目している中での事です。私は不思議に思いながら顔を上げました。
――海菜さん?
いつもはふざけている海菜さんの、黒曜石の様に真っ黒な瞳が目に飛び込んできました。ぼうっとする程に深く、全部を見通される感覚。凛ちゃんではなく、私の表情や目から何かを知りたがっているかのような。
彼は私が自分の視線に気がついたことを知ると、一瞬笑って目を逸らしました。
一体何だったんでしょう?
頭のなかを疑問符が占めます。
優しい海菜さんが、どうして凛ちゃんから視線を外してまで私を?
その疑問に対する答えが出る前に、絵里ちゃんが話し始めました。
「あのね、凛」
「…………!」
彼女は優しく、俯いたままの凛ちゃんの手を自分の両手で包み込みました。
「いきなりで戸惑う気持ちも分かるけど、みんな凛が適任だって思ってるのよ?」
諭すような、穏やかな口調。
凛ちゃんもゆっくりと顔をあげ、絵里ちゃんの話を聞きます。
「その言葉、ちょっとだけでも信じてみない?」
「で、でも……」
凛ちゃんはそれでも踏ん切りが付かないのか、ハッキリと聞こえない台詞を零します。それでも、絵里ちゃんの真っ直ぐなメッセージから何かを感じ取ったのかそっと皆の表情を伺いました。
にこちゃん。
海菜さん。
希ちゃん。
真姫ちゃん。
みんな優しく微笑んでくれています。
最後に、凛ちゃんは私を見つめました。
かよちん、どうしよう? 彼女の心の声が聞こえるようです。
――頑張ってみようよ。
私はそんな想いを込めて、ニッコリと笑い返しました。
そして、凛ちゃんは決断します。
「分かったよ。絵里ちゃんがそこまで言うなら……」
「凛ちゃん!」
ほんの少しだけ……。
何かが変わる予感がしました。
***
「え、えーっと。それでは、練習を始めたいと思います……」
少し緊張気味の凛ちゃんが練習着に着替えた皆の前に立って初めての音頭を取りました。絵里ちゃんと希ちゃんが生徒会で居ないからメンバーは私と真姫ちゃんとにこちゃんだけ。
ちなみに今日、海菜さんは途中参加みたいです。
「わぁ~」
パチパチパチ。
「花陽、拍手する所じゃないでしょう?」
「えへへ」
頑張ってる凛ちゃんを応援したくて、私は歓声をあげながら拍手をしました。すぐに真姫ちゃんの呆れた一言と、にこちゃんのジト目が飛んできます。でも、凛ちゃんが頑張ってるんだもん。盛り上げてあげなきゃっ!
「で、では。まずは……ストレッチから」
辿々しくはあるものの、順調な喋り出し。
――でも。
「始めていきますわっ!」
最後の最後で躓いてしまいました。
ま、ますわ?
さすがの私も凛ちゃんがつけた謎の語尾に違和感を覚えてしまいます。
「それでは皆さん、お広がりになって……」
その調子で彼女は台詞を続けました。
真姫ちゃんもにこちゃんもあまりの事にツッコミを忘れて口をあんぐりと開けています。しかし、凛ちゃんは彼女達の様子を見て空気を読む余裕も無いのか喋り続けてしまいました。
両手を太ももの相手に挟み、中腰でモジモジと身体を揺らします。
「それが終わったら、次は発声ですわ……」
凛ちゃんは言い終わると、上目遣いで皆を見渡しました。本人に変なことを言った自覚は全く無いのか、視線から読み取ると本当に私達がストレッチの為に広がって行くのを待っているようです。
凛ちゃん、あのね?
私が喋り出す前に、やっと我に返ったにこちゃんと真姫ちゃんが口を開きました。
「何よ、それ……」
「な、なんですの?」
「その口調、一体誰よ……」
戸惑いしか無い二人と、彼女達のそんなリアクションの理由も分からない凛ちゃん。
「え? 凛、なんか変なこと言ってた?」
ふにゃり。
彼女はそんな気の抜けた顔で笑って見せました。
だ、大丈夫かな?
◆
「凛ちゃん、もしかしてまだちょっと緊張してる?」
柔軟の途中。凛ちゃんの背中を優しく押しながら私はそう問いかけます。
以前絵里ちゃんに叱られてから、一生懸命努力して柔らかくなったハズの彼女の身体がいつもより少しだけ固まってしまっていました。きっと、慣れないリーダー役にまだ戸惑っているんだと思います。
「うー……。ちょっとどころじゃないにゃ」
ため息混じりの一言。
凛ちゃんは切なげに吐息を漏らしました。
やっぱり、根は引っ込み思案な彼女にとって心労は絶えないみたいです。
「まだ初日だし、仕方ないよ。これから慣れていくって思うな」
「そうかなぁ~」
そんな感じで軽い会話を挟みながらストレッチ。
硬かった身体もいつもより時間はかかったものの、一応ケガをしないくらいにはほぐれました。真姫ちゃん、にこちゃんペアもいつも通り柔軟を終わらせて私達を待っています。
「ほら、リーダー。始めなさいよ」
にこちゃんのからかい混じりの台詞と、
「いつも通りで良いんだから」
真姫ちゃんの気遣いの込められた一言。
凛ちゃんはコクンと頷くと表情を……再び強張らせてしまいました。
――あ、これはまずいやつかも……。
全員がそう感じ取った瞬間。
「い、いつも通り……」
凛ちゃんは自分に言い聞かせるように呟くと、がばっと顔をあげました。
「それじゃ今日も!!! 頑張って、いっく……にゃぁあ~~~~~!!!」
そして、彼女のもはや叫びにも似た号令が曇天の空に溶けていきました。
か、空回りし過ぎだよぉ……。
◆
「ワン・ツー! ワン・ツー!」
普段は海未ちゃんや絵里ちゃんが担当してくれる手拍子とリズム取りを、今日は臨時リーダーの凛ちゃんが代役としてこなします。
ファッションショーの本番を想像して、一生懸命ステップを踏みます。運動神経が良くてダンスの上手い真姫ちゃん。私なんかとは経験そのものが違うにこちゃんに混じって、彼女達に遅れないように……。
パンパンパン。
リズミカルに、凛ちゃんの然程大きくはない手拍子が響きました。
しかし。
――あれ? なんだろう、この違和感?
唐突に湧いて出た疑問の答えを、真姫ちゃんが瞬時に理解して指摘します。
「凛。リズムがズレてきてるわよ?」
「わんつー……にゃっ、にゃにゃにゃ!?」
途端、完全に崩れてしまうリズム。
動揺した凛ちゃんはワン・ツーと口にする余裕も無くなってしまったようです。
はぁ。
ちょっとだけ大きな溜息が聞こえてきました。
◆
「おー、やってんじゃん」
しばらくして、一応は練習が軌道に乗ってきた時。海菜さんが到着しました。
本来、今日の曜日は忙しいはずなのですけど、心配で見に来てくれたんだと思います。私達がぎこちないとはいえ、四人できちんと踊っている様子を見て安心したように破顔してくれました。
「凛、ちゃんと頑張ってるか?」
「うぅ~。かいな先輩、ちょっとでいいから代わって欲しいにゃ」
「そんなそんな。凛さんの代役なんてとてもじゃないけど努められませんよ!」
「……イジワル」
容赦なく切り捨てる海菜さんと、口を尖らせて不満を零す凛ちゃん。
普段ならひどいにゃ~とじゃれつく場面なので違和感が残ります。当然、先輩もそれに気が付いて不思議そうに首を傾げました。
「あれ。案外本気でまいってる?」
「そうです。だって、凛には向いてないですもん! リーダーなんて……」
ちょっとだけ真剣味を帯びた彼女の言葉。
しかし。
「へぇー……」
返ってきたのは生返事。
優しい海菜さんがいつもと違う凛ちゃんを気にしないはずがありません。
にも関わらず、じぃっと海菜さんが見つめます。
――何故か、私の方を。
ど、どうして?
見つめられる理由がわからず、あたふたしているとニヤリと微笑んで視線を外してくれました。昨日からやけに彼と目が合う気がします。何か言いたいことでもあるのかな……。でも、そうなら直接言ってきてくれるだろうし。
そんな答えの出ない問いを考えていると、再び海菜さんが口を開きました。
「ま、でも大丈夫だろ!」
「にゃー! 何を根拠に言ってるんですかー!」
「ふふん。内緒」
「ちゃんとした理由なんか無いクセに~。やっぱりいじわるにゃ!」
「ホントにあるんだけど……。とりあえず、練習の続きをどーぞ」
言い終わると、彼は両手を前に差し出して続きを促します。
本番は迫ってるので、お話ばかりしているわけにもいきません。彼の意思どおり、私たちはすぐに練習を再開しました。半分以上メンバーが揃っていなくても、一生懸命レッスンはこなさなきゃいけません。
逆に、人数が少ないからこそ気がつけることとかもあるし、それを皆で共有することでより良い物をお客さんに見せることができるようになると思うから。
手拍子を海菜さんに変わって貰い、四人で合わせます。
入りは段々上手くなってきたし、踊りも覚えこむことは出来ました。
というのも、今回踊る曲は以前から九人で練習していた曲だから。もちろん、見せることが出来るレベルまで仕上げるためにはたくさん練習しなきゃダメだけど、新曲をやるよりかは負担は少ないです。
ただ、少しだけ問題があって……。
「ねぇ。私はここから下がって行った方が良いと思うんだけど」
真姫ちゃんが提案しました。
曲は同じでも、ステージによって動き方は変えなければいけません。
だから、ミーティング以外でも、気づいたらすぐに意見を言うように決めています。今回も事前に本番の会場の大きさや雰囲気は資料として貰っているため、予めフォーメーションを定めておかなきゃなんですけど。
「何言ってるの。逆よ! ステージの大きさを考えて、ここは一度前に大きく出た方が良いわ!」
間髪入れずににこちゃんの意見が飛びます。
個性が強いメンバーが集まるμ’sで、反対意見が飛び出さないことは殆どありません。みんな本気で取り組んでいるせいか、中々自分の意見を取り下げようとはしないですし。
「だからこそ引いて、ステージを大きく使うべきだって言ってるの」
遠慮無く迎え撃つ真姫ちゃんと、瞬時に舞う視線の火花。
ほら、やっぱり……。
一応、お互いにしっかりした言い分があるせいで毎回平行線になってしまいます。自分の意見を言えないよりはよほど良い関係になれたんだな、とは思うけど……言い合いをしている最中は気が気ではありません。
「いーや! 絶対、前に出るべきよ!」
「むぅっ」
「ちょっと、二人共落ち着いて……」
彼女らは一歩も引かずに睨み合います。
そんな爆心地に、恐れ知らずの彼が踏み込みました。
「じゃあ、パンスト相撲で決めよう」
『古雪(さん)は黙ってて!』
そういう時は毎回、海菜さんや希ちゃんが茶々入れしてくれるものの中々熱は冷めません。……彼の場合、あんまり冷まそうとしていないような気もしますけど。
「よくパンスト相撲を提案出来たわね!? にこたち、アイドルよ!?」
「絶対おもしろいと思うけどなぁ」
「笑うのは古雪さんだけでしょ……」
一旦の緩衝材。
しかし、それは殺伐とした空気を和らげるだけであって根本的な解決にはなりません。いつもなら絵里ちゃんが皆を纏めて、穂乃果ちゃんが最終的な決断を下してくれるんだけど。今回は当然そうはいかなくて。
「そうだ、凛はどう思うの?」
「えっ!? 凛……?」
「そうね。リーダーなんだし」
当然の流れとして、凛ちゃんに矛先が向きました。
二人だけの言い合いでは結果が出ないことはわかりきっているので、当然の選択だと思います。これに関してはなんとか彼女に頑張って貰わないと……。どうしても、私の性格じゃ上手く纏めることは出来ません……。
「えっと、……ほ、穂乃果ちゃんに聞こう?」
「それじゃ間に合わないでしょ!」
真姫ちゃんのツッコミ。
「じゃ、じゃあ絵里ちゃんに……」
しどろもどろになりながら凛ちゃんはそう零します。
しかし、そんな彼女の『逃げ』をにこちゃんは許しませんでした。
「……凛!」
「は、はいっ!」
いつもと同じ声量。
でも、どこか帯びている気迫の違う叱声。
凛ちゃんもなにか感じるものが合ったのか、背筋を伸ばしてにこちゃんと見つめ合いました。にこちゃんは真っ直ぐに彼女の目を覗き込みます。いつになく真剣な表情。先輩らしい一面が垣間見えました。
「リーダーは貴女よ。貴女が決めなさい」
シンプルで、そして何より重い台詞。
海菜さんもこの時ばかりは茶化すこと無く二人を見守っていました。
「そ、そうだよね……」
引き受けた以上はやらなきゃ。
そんな引っ込み思案ではあるものの、責任感の強い凛ちゃんらしい葛藤が言葉の端々に見えます。ずっと彼女と一緒に居た私にはそれがよく分かりますし、μ’sの皆も多少なりとも理解してくれているはず。
だからこそ、凛ちゃんをリーダーに選んでくれたんだと思いますし。
「えっと……」
注目を一身に集めて、緊張気味に彼女は身体を揺らします。
視線を一瞬たりとも外さないにこちゃん。
厳しさと心配が入り混じった表情の真姫ちゃん。
じっと凛ちゃんの様子を伺う海菜さん。
頑張れ……! そんな想いをなんとか届けようとする私。
そんなメンバーに囲まれて、彼女が出した結論は……。
「あ、明日までに考えてくるよ……」
――良くも悪くも、彼女らしい答えでした。
受験生の皆さん、前期二次試験お疲れ様でした。
そして、もう進路が決まっている方はおめでとうございます。
皆さんの努力が報われますように。
私もそう願っています。
残すはあと、後期試験だけですね。
最後まで走り抜けて下さい。凛ちゃんも頑張りますので笑
ではでは、また次回。お会いしましょう。