ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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 俺の歩いてきた道と。
 君がこれから歩く道。

 俺の見てきた景色と。
 君がこれから見る景色。

 俺の出した答えと。
 君がこれから出す答え。

 俺の紡ぐ物語と。
 君がこれから紡いでいく物語。


 きっとそれは違って、俺たちにはそれぞれの未来が待つだろう。
 俺の知らぬ世界で君は生き、君の知らない世界で俺は生きる。

 しかし。

 平行に進んでいくはずの俺達の線。それは運命の悪戯か、それとも宿命か。
 予期せず起こる、一瞬の交わり。

 そして……。


――古雪海菜(オレ)は三枝祐介(キミ)と出会った。





『ラブライブ! ~黒一点~』『μ's+ MUSIC START!!』コラボ回。



お待たせしました。
今回はkazyuki00さんの作品『μ's+ MUSIC START!!』とのコラボ回となります。黒一点と両方目を通して頂けるとより深く楽しんで頂けるかと思います。

そして。コラボ回とはいえ、黒一点という作品における必要不可欠なピースとなる話に仕上がったと自負しております。
コラボに関して否定的な意見をお持ちの方も、一度目を通してくださいね。
詳しくは活動方向を読み終わった後で覗いて下さると幸いです。

訳題は【運命の出会いと別れ】
それでは、35000字程度ございますので、ゆっくりとお楽しみ下さいね!
(因みにお相手さんも46000字に達していらっしゃるようで……見逃さず読みに行きましょう! 私が一番乗りしてきます!)

※この物語は現在連載中の『μ's+ MUSIC START!!』の僅か先の時間軸を書いています。この話の設定がある程度親作品様と変わる可能性があることはご理解ください。
※ちなみに投稿時間は二人の初回投稿日に因んでおります(一日違い)


【コラボ】A fatal encounter and parting.

――何かがおかしい。

 

 俺は一人、決定的な違和感を感じながらも、それをうまく言葉に出来ずにいた。

 ただただ自分の置かれている状況を理解出来ないまま、ひたすらに歩みを進める。丁度梅雨が明けたころの、僅かに肌を焼く暖かな日差しが降り注いだ。

 俺はそっと空を見上げ、目を細める。

 そこには大きな入道雲が雄大に浮かび、存在感を示していて……。

 

 前言撤回だ。

 

 そもそも季節がおかしい。

 俺は半袖半ズボンを着、汗を浮かべて走り回る小学生の姿を確認してこめかみに手を当てた。頭痛が痛い。よくある日本語のミスを犯してしまったが、俺の内心の動揺の表れだと思ってくれたら幸いだ。

 

 夏などとっくに過ぎ去ったはず。

 俺は秋服の長袖をたくし上げながら再確認した。

 

 俺達は夏休み中合宿に行ったり、アクシデントに見舞われたりと、おおよそ大多数の人間が経験しない波乱万丈な経験をしたハズだ。その記憶は当然はっきりと残っているし、あんなこと忘れろと言われても忘れられないだろう。

 記憶力が人並みではあるとはいえ、三、二、一、……ポカンと記憶をなくすようなやわな脳みそはしていない。

 

 確かに俺は高校三年生の夏を数々の思い出と共に過ごした。

 それは間違いない。

 

 季節は秋へと移り変わり、花陽が白米の季節です! と、相変わらずなテンションで小躍りしていたのはたかだか数日前の事で……。

 だとしたら、なぜ、ガキンチョたちはプールのセットを担いで走り回っているのか。だとしたらなぜ、女子高生たちは昨日まで着ていたカーディガンをやめ、仕舞ったはずの夏服へと戻っているのか。

 

 俺はその明らかな異常事態に、一応頬をつねってみる。

 痛い。普通に痛い。

 

 どうやら夢ではないみたいだ。というより、そもそも夢なのだとしたら頬を抓るという選択肢を出すのに一苦労するだろうし、すぐにそんな古典的なアイデアが浮かんだ時点で脳が完璧に機能しているという証拠になる。

 つまりは、俺は確かに起きていて、実際にこの場に立っている。

 周りの環境は明らかにおかしいけれど、コレが現実であることは間違いないようだ。

 

 俺は途方に暮れて立ち止まり……。

 そして気が付く。

「俺、そもそもなんで歩いてるんだっけ?」

 

 先ほどまで、μ’sの練習に付き合っていたはずだ。

 その記憶は確かだし、だとすれば暑い中ウォーキングを行う理由などない。

 

――参ったなぁ。

 

 俺は他人事のように思いながら、そっとため息をついた。

 

 一体どうしようか。

 とりあえず家に帰ってみよう。そうすればきっと何か分かるはずだ。今あるこの状況だって痛みを再現できるタイプの夢なのかもしれないし。何も持ち物がない現在、家へと戻るのが得策だろう。

 そう判断して、自宅へ向けて走り始めた。

 

  ◆

 

 十分ほど走っただろうか。

 目前に絵里の家が見えて来る。俺の家はそのすぐ曲がり角。若干切れはじめていた息を整えつつ、曲がり角を左に曲がった。いつもの通学路をいつものように通って帰った結果。

 

――目の前には更地が広がっていた。

 

 本来俺の家があるはずの場所は空き地となっており、真ん中にぽつんと『売地』と書かれた木製の看板が置かれている。

 

 さすがに。さすがに俺もその時ばかりは頭が真っ白になった。

 

「……」

 

 一度目を閉じて、再び開いてみる。

 あぁ。無い。あるはずの家が。

 

 とりあえずしゃがみこんで再び空を見上げた。

 

 先ほど見た入道雲がわずかに形を変え、真上に浮かび、憎らしくなるほど明るく強い日差しが降り注いでくる。どうやら俺はなぜか過ぎ去ったはずの季節に引き戻され、尚且つ家は全部取り壊されてしまったらしい。

 

 夢、以外に考えられないだろう。

 

 俺はちらりと後ろを振り返り、『絢瀬』と書かれた表札をぼぅっと眺めた。幼馴染の家があるのに、俺の家だけが無いなんて……悪い冗談にも程がある。

 

 俺はすっくと立ち上がって、彼女の家へと近づいた。そして、インターホンに人差し指を付けて――押す。

 

「あれ?」

 

 なぜか押し込まれない。いくら押しても押しても指先が曲がるばかりで、一向にスイッチは動かない。故障かなと考えて、遠慮なく玄関の扉に手をかけた。別にインターホンなんか鳴らす必要なんてないからな。

 しかし、今度はノブが動かない。

 鍵がかかっているとかそんなレベルでは無くて、ガチャガチャというやかましい音すらしないのだ。これはもうおかしいを通り越して意味が分からない。

 

 俺は苛立ち紛れに道端の石を蹴る。

 が、小石は動かなかった。

 

 ええと、つまりこの状況というのは……。

 ボンドのように地面に張り付いた小石を躍起になって蹴り続けてみるものの、全く動かないどころか、足をぶつけた痛みさえ感じない。さっき、自分の体に自分で触れた時は痛かったのに……。

 もしかすると、モノに接触した場合は違うのだろうか。

 

 

 色々と試行錯誤を繰り返すうちに、一つの結論へと辿り着く。

 俺は周りの物に物理的干渉が出来なくなっていたのだ。

 

 

 そして、もっと驚くべきことに。

 

「体が……、透けてる?」

 

 インターホンを押した時と、小石を蹴った際の違和感からそっと掌を胸の前に出して観察してみる。すると、手の平の向こうにあるはずの小石の姿が確認出来た。その肌の色はいつもよりもやけに薄く、色の入ったレンズのようだと、現実味のない感想を抱く。

 

 

「はぁ……」

 

 

 人間、処理しきれる限界を超えた時は溜め息しか出なんだなぁ。と、妙に冷静に思いながらも途方に暮れて俺は再三空を見上げる。

 

 ヒトナナマルマル。

 本日は晴天なり。

 

 

 

***

 

 

 しばらく呆けた後、いくらかより詳しく現状を把握しようと色々試して見た結果。次のような現象が見受けられた。

 

 一つには、俺はあらゆるものに物理的干渉が出来ない。

 

 いくら押したり引っ張ったりしても物は動かないし、体が物をすり抜ける事も出来ない。走ってる車に飛び込んだらどうなのかという事も考えたが、さすがに恐いのでやめておいた。

夢にしては明らかに意識がはっきりしているため下手な真似は出来ないだろう。

 

 二つには、どうやら俺の姿は他人に見えていない。

 

 五分前くらいに歩道で、全力でμ’sの楽曲を二・三曲踊りながら熱唱してきたのだが見向きもされなかった。声もどうやら聞こえておらず、誰かからヒントを得るという道も閉ざされたため、地味につんでいる気がする。

 僕、結構ピンチかも。

 

 以上、二つの制限というか、ルールがあると言うのは確からしい。

 

 こんなこと現実にあってたまるか、と大声をあげて言いたいところなのだが、如何せん思考にせよ体の動かし方にせよ普段通りであるためか、余計混乱してしまっていた。

 

 とりあえず、俺は考え事をしながら歩みを進める。

 たまに人とぶつかったりしたが、俺が一方的に弾き飛ばされるだけで相手は何も感じていない様だし、弾き飛ばされた俺も痛みを感じることは無い。この分だと車に突っ込んでも大丈夫そうだ。

 まぁ、やらないけどな……。

 

 

――さて。これからどうしようか。

 

 

 彷徨い歩いていても仕方ないし、何か目的でも定めなくてはいけない。

 日も傾き始めているから、せめて今晩の寝床だけでも見つけておかなくては。

 

「そういえば、絵里はどうしてるんだろう? 多分居るよなぁ」

 

 ふと呟いた。

 普段なら心の中で済ませる一言も、今は誰も見ていないのだから平気で口に出せる。俺は意外にこういうイレギュラーな状況に対する適応性は高いらしい。ま、なんの取り柄にもならないけれど。

 

「とりあえず音ノ木坂学院まで行くか」

 

 彼女の自宅はこの目で確認したし、おそらく絢瀬絵里は存在しているだろう。

 家の方で待っても良いが、することが無いし家へは入れないしで絵里だけでなく他の八人とも遭遇しやすい音ノ木に行った方が効率が良いはず。この姿なら平然と学院内にも侵入できるだろうし……行く他ないな。

 

 俺は力強く頷いて走り始めた。

 

 いつもは絵里と別れる道を、音ノ木坂学院へ続く方向へと曲がり、すこし新鮮な感覚に身を委ねながら急いで目的地へと向かった。既に四時は回っており、そろそろ授業も終わる頃だろう。

 入れ違いになる前に出来れば会っておきたい。

 

 

「ぜぇ、ぜぇ」

 

 結局到着したころには、ちらほらと下校を始めた女子生徒の姿が見受けられた。もっとも、彼女たちは学校で練習しているか、もしくは一旦集合してから神田明神なり誰かの家に行くと思うのでおそらくまだ校内に居るだろう。

 

 俺は躊躇いなく校門をくぐった。

 当然ではあるが、誰も咎めなどしない。

 

 厳格そうなお嬢様も、少し派手めな格好をした女の子も俺の姿を視界にとらえることなく横を素通りしていった。なんというか、透明人間というのはこんな気持ちになのか、と一人感心する。

 うむ。悪くない!

 残念ながらこちらから接触することが出来ないので更衣室に忍び込んだり、そっとセクシャルハラスメントちっくな行為を行おうとしても無理みたいだが。

 いや、例え出来るとしてもやらないけどな!

 一応人としてやっちゃいけないことはやらないつもり。ホントだよ。

 

 だってさ、もし仮に俺が至近距離で女子高生を観察したとして、その光景を見ることが出来る人間が一人でもいたとすれば話は変わる。たとえば、人の目に映らなくても、カメラになら映るとすれば当然俺は瞬く間に犯罪者だ。

 バカな気を起こしてはいけないだろう。

 

 実際誰に見られてるか分かったもんじゃないしな。

 

 そう考えてあたりを見回した。

 女子高生に交じって教員らしき妙齢の女性。清掃員っぽい人や、卒業生っぽいお姉さん、そして男子生徒。

 

 

 ……ん?

 男子生徒?

 

 

 俺は靴箱の前でこちらを凝視しながら突っ立っている『男子生徒』に焦点を合わせた。音ノ木坂に居るはずのない高校一年生か二年生位の男の子が、女子の制服とどこか配色に似通った点が見受けられる男子用の制服に身を包んでいた。

 穂乃果のリボンと同じ色のネクタイにブレザー。二年生だろうか?

 肩まで伸びた髪の毛と、鬱陶しそうな前髪の下から眼鏡越しに視線が届く。

 

 唐突に訪れる違和感。

 

――視線が届く?

 

 今の俺に視線をやることはまず不可能だ。見えないものに焦点を合わせて、凝視することが出来る人間は存在しない。それが人間の性質だし、その特性は間違いなく彼にも当てはまるだろう。

だとしたら、彼は……。

 

 くるり。

 

 俺が戸惑いながら思考を巡らせている最中。

 彼は一八〇度ターンを決めると、スタスタと歩き出した。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 俺は慌てて呼び止める。

 もし仮に、本当に俺の姿が見えていて尚且つ声が聞こえるのなら。今ここで見失う訳にはいかない。早いとこ、この質の悪い夢から覚めないといけない以上、大事なヒントを取りこぼさないようにしなくては。

 

 どうやら本当に俺の声が聞こえているらしく、彼は渋々といった感じで振り向いた。何だよ、話しかけてくんなよ鬱陶しい。そんな声が聞こえてきそうな渋面だ。

 

 俺はそれには構わず、急いで彼の元まで駆け寄る。

 

「なんですか……?」

 

 完全に不審者を見る目でこちらを眺めてくる。

 度の強いレンズを付けているのか、表情は少し読み取り辛いものの完全に警戒されていることだけはハッキリと伝わって来た。

 や。確かに俺は客観的に見て不審者でしか無いとは思うけど、君も男だろ? 俺は当然のようにそんな感想を抱く。

 

 が、たまに通り過ぎる女子生徒が彼に視線を送りつつも、意に介さず離れていくあたり男である彼がこの場に居ることは別段おかしい事ではないらしい。

 色々と疑問は残るものの、とりあえずは俺を視認できるらしい彼と会話を試みる。

 

「いや、君は俺の姿が見えるの?」

「……? 見えなきゃ返事出来ないでしょう」

「ご、ごもっとも……」

 

 彼はいぶかしそうに俺の顔を見た後、ちくりと皮肉を交えて言葉を返してきた。

 ぐうの音も出ない。

 

――何から説明すべきだろうか。

 

 考える。

 

 すると、俺が逡巡している間、しげしげと俺を観察していた彼の表情が急に驚きへと変わった。

 俺の足の先から頭の天辺まで素早く視線を巡らせた後、ぽかんと口を開く。

 

「体が……、透けてる?」

 

 どうやら少なくとも、話くらいは聞いてくれそうだ。

 

 

***

 

「信じがたい事ですけど、理解はしました……」

「マジか。俺は未だに信じられないし理解出来ないわ」

「……僕だって信じたくはないですよ。未来の世界から来た透明人間……胃が痛い」

「大丈夫?」

「貴方の所為です」

「ごもっとも」

「……はぁ」

 

 三枝裕介と名乗った彼は、半透明の俺の姿を見てため息をついた。

 口数が多い方ではないのか、それともただ単に驚いているのか分からないがあまり自分から話そうとはしてくれない。もしかして呆れてる?

 

 まぁ、俺も仮に彼の立場になったとして、見知らぬ半透明な男に話しかけられて冷静に対処できるかどうかは怪しい所だ。

 しかし、こちらとしても俺の姿を目視できる存在は貴重な訳で。

 なんとかこの夢の詳細を知ろうと質問を投げかけた。

 

 今のところ、お互いの名前と年齢。俺が幽霊状態にある事しか分かっていない。

 

「えっと、裕介……でいいか? なんで君は音ノ木坂に?」

「共学化のモニターとして入学したんです。今この学校は廃校の危機に瀕しているので」

 

 モニター? 廃校?

 聞き覚えの無い言葉と、かつては聞き覚えのあった言葉。

 

「廃校? その話はもうなくなったんじゃ……」

「何を言ってるんですか。その話が無ければ男である僕がここに居る訳がない」

「た、確かに」

 

 なるほど、その通りだ。

 俺は思わず頷いてしまった。

 この様子だと、どうやら本当に時間は巻き戻ったらしい。秋から初夏へ。そしてタチの悪い事に、俺が過ごした時間とは別の道筋をこの世界は辿っているようだ。だって、男子生徒のモニターだろう? 音ノ木はよほど経営に関してなりふり構わなくなっているらしい。

 

 それにしても、こんなファンタジーみたいな展開……。

 意外に、この夢を作り出した俺の脳内は王道展開を未だに好んでいるらしい。

 

「それにしても共学化とは、……驚愕だなぁ」

「…………」

「うぐ。ごめん」

 

 一応先輩だと分かったからか、明確な言葉にしてはこなかったものの明らかな呆れと否定的な気持ちがその渋面から読み取れてしまった。

 

 なんとなく裕介の性格がつかめてきたような気がする。

 少し人見知りで、頭を回転させながら最低限の礼儀をわきまえつつ発言する精神年齢の高い子だ。俺をみても大して驚かなかったあたり、冷静でもあるらしい。

 若干、失礼でもあるけどな!

 もうちょっと優しくボケを拾ってくれても良いだろう。

 

 しかし同時に……。

 

「それで、古雪先輩はどうするんですか」

「ん、そうだな」

「……まぁ、僕には関係ないですけど」

 

 素直ではないものの、なんだかんだ言いつつ良い子らしい。

 俺はぶっきらぼうにそう問うてくる祐介を見て、少しだけ微笑んだ。

 

 急にこんな状況に放り出された俺を無視して帰ってしまわないあたり、年相応の優しさや思いやりが垣間見える。俺は安心して、そっと息を吐いた。これで取り付く島もなかったらいよいよ路頭に迷う所だったから。

 

「とりあえずはどうだろ。なんとか夢から覚めたいんだけど」

「言っておきますけど、夢じゃありませんよ。一応僕には一五・六年の記憶が残っているので先輩の夢ではないと思いますし。同時に僕の夢でもなさそうです」

「う……。まぁ、そんな気はしてたけど」

「僕の今までの思い出が全て夢なら先輩の仮説も成り立ちますが。……なんなら、全部夢でも」

「えっと……、祐介?」

「……すみません、忘れて下さい」

 

 そう言って、彼はそっぽを向いた。

 少し気になりはしたが、会って数十分の得体の知れない男に自分の話をするような子ではないだろう。俺はそう判断して追及を諦める。

 

 ところで、と祐介は途切れた会話を繋ぎ直した。

 

「どうして古雪先輩は音ノ木に?」

「あぁ。幼馴染に会いに来たんだよ。何か分かるかなって」

「幼馴染、ですか?」

「うん。多分この学校に居ると思う。絢瀬絵里って女の子なんだけど」

「絢瀬生徒会長、の事ですか。多分その人ならいますけど」

「良かった! やっぱり居たか」

 

 俺は再び安堵して、大きく息をはいた。

 この世界でも彼女は変わらず生徒会長をしているらしい。季節を考えるとμ’sに参加した直後位だろう。あれ? でも、それはあくまで俺の世界での話であって、彼女が今この状況でμ’sに入っているとは断言できない。

 

「ちなみに、絵里はμ’sに?」

「その事はまだ校内でも知れ渡ってないのに……。本当に別の世界から来たんですね。はい、先日生徒会長と副会長が高坂達のグループに入りました」

「そうか。それは良かった」

 

 この感じだと、この世界で異質なのは俺だけで、彼女たちが幸せになれる方向へ無事時間は進んでいるらしい。本当に良かった。これでまだケンカ中だったとしたらどうしようもないし。

 

 でも、一体誰が絵里を導いてくれたのだろう。

 希だろうか、それとも穂乃果だろうか。それとも……。

 

「校内でも知れ渡って無い事を知ってるって事は、裕介はμ’sの関係者なのかな?」

 

 一瞬、彼はじっと俺を見つめる。

 

「まぁ……。半透明の先輩に言ったところで不都合もないですし。主に編曲をやっています」

「そっか! ……絵里がお世話になったね」

「……いえ。僕は何もしてません。生徒会長自身と、東條先輩、あと高坂達メンバーのおかげです」

「なるほどね」

「本当ですよ」

 

 くすりと笑った俺が少し気になったのか、少し強めに念押されてしまう。

 だけど、この子が彼女の為に一枚噛んでくれたことくらいなんとなく分かる。だからこそ、俺はそっとお礼を言った。

 

「ありがとね」

「先輩に言われることではないですから……」

「ん、そうだな。この世界の絵里は俺とは赤の他人だろうし」

「絢瀬生徒会長のことはほとんど知らないのでそのあたりは分かりませんけど」

 

 ところで、と祐介が改めて口を開いた。

 

「先輩の居た未来っていうのは……?」

 

 おずおず、といった感じで首を傾げる。

 

 確かに、気になるだろうな。

 俺は彼の質問の意図を汲み取って、大まかではあるが俺のいた未来に関する話を伝えた。廃校は免れたこと、幼馴染み繋がりでμ’sと関わっていること、季節は初秋であったこと。

 

 裕介は表情に驚きをありありと浮かべながらも、黙って聞いてくれていた。流石に、半透明な人間が関係者しか知らない情報を持ち、尚且つそれっぽい話をし始めたとなると信じる他ないのだろう。

 

 まぁ、実際俺だって嘘は言っていないしな。

 かいつまんでの話だったため、事実のみを伝えることになり、詳細は伝えきれていない。が、今のところはそれでいいだろう。本題は別にある。

 

 話し終えたところ、祐介は腕組みしながら視線を落とし、何やら考えに耽っていた。恐らく彼なりに俺の話や、今ある状況を整理しているらしい。

 

 

 俺は一息ついてあたりを見回した。

 

 俺が裕介に案内されて連れてこられたのは音楽室。人もいないし、他人には姿が見えない俺と話をするのに好都合と考えたのだろう。以前、真姫から聞いた話だと穂乃果と初めて会ったのはこの場所だったらしい。

 なんというか、聖地巡礼のような気分がして少し新鮮な気持ちになった。

 

「裕介はさっき帰るつもりだったの?」

「はい。オープンキャンパス用の曲をもう少し家で改良しようと」

「へぇ。そんな事出来るんだ。凄いなぁ」

 

 俺は素直に感心する。

 編曲など俺には到底理解も出来ない技術を駆使して行うのだろう。多分音楽の知識もたくさん必要だろうし。

 

 裕介は別に、と首を振るがこの子の腕が確かな事は、あのプライドの塊みたいな真姫が編曲を任せているという事実から良く分かる。

 

 

 なんというか、少しだけ嫉妬。

 

 

 俺はあの子達の為に、何もしてやれないから。

 

「あの」

 

 裕介が声を上げる。

 顔を上げると彼は自身のカバンを片手で掴みながら続けた。

 

「僕、もう帰りたいんですけど」

「え? なんで」

「いや、だから編曲を」

「いやいや。編曲は明日でも出来るけど、半透明人間と話をする事なんてこの先多分無いぞ」

「それはそうですけど……別に僕が望んで話しをしてるわけじゃ無いですし」

「うえぇえ!?」

「西木野の居ない所で彼女の真似してどうするんですか、……はぁ」

 

 裕介はこめかみに手を当てて大きくため息をついた。

 そして半眼で俺の方を見ながら、気怠げに口を開く。

 

「古雪先輩は僕にどうして欲しいんですか」

 

 呆れながらもそう聞いてくれるあたり良い奴だ。

 ここはお言葉に甘えておこう。

 

「μ’sの練習見に行こう? 気になるし、なんなら俺の事目視できる奴もいるかもしれないし」

「…………」

「……? 嫌なの?」

 

 なぜか言葉に詰まる祐介に、俺は素直に問いかけた。

 別にμ’sの面々と知り合っているなら、練習に付き合う位普通だろうに。しかし、どうやら目の前の彼には彼なりの事情があるらしかった。

 

「僕、あんまり練習に付き合った事が無いんです」

「は?」

「いえ、ですから、僕の仕事は編曲で……ダンスは専門外ですし。ボイストレーニング位です、僕が参加して意味があるのは」

 

 そう言って、彼は視線を逸らした。

 

 えっと、つまりこういう事か?

 

――普段練習に参加したりしないから、恥ずかしい。

 

 要約すればそんな感じだろう。編曲を担当するくらいだ。彼女たちと会いたくない訳ではないだろうし、厳密には違うかもしれないが似たような話だと思う。

 裕介は俺が思っている以上に、人付き合いが苦手なタイプなのかも知れない。

 

「別に、意味がある必要なんてないんじゃないか? それに素人だからこそ言える事もあると思うけど」

「それじゃ、古雪先輩は練習には参加していたんですか?」

「最近は結構参加してるな」

「それは……運動得意そうですし」

「いや。俺は傍で野次飛ばしてるだけだけど……」

「はぁ?」

 

 彼は敬語も忘れて、信じられないものを見るような目でこちらを見つめて来た。真面目な彼にとっては何の意味もなく練習に参加するなんて、訳が分からないのだろう。それに、彼には『編曲』という彼だけにしかできない仕事もあるのだろうし。

 彼はしばらく俯いて考え込んだ後、顔をあげた。

 

「それは、古雪先輩がその性格だから出来るのだと思います」

「ん?」

「初対面の僕ともスムーズに会話で来ていますし……貴方の世界ではきっと古雪先輩はムードメーカー的な存在なんでしょう。だからμ’sの面々にも歓迎される」

「……まぁ、そういう側面もあるな」

「僕とは全く別のタイプの人間だ」

 

 煙たそうな顔で俺を不躾に見る裕介。

 

――なるほど。

 

 俺はひそかに納得した。

 この子はおそらく、物事を客観視する能力に長けている。だからこそ、俺という人間を分析し、理解して見せた。そして、同時に……自分に対してだけ、ネガティブな色眼鏡をかけて客観視する癖があるらしい。

 他者の優秀な部分を明確に見抜き、自身と比較することによって起きるリアクション。

 編曲という大人顔負けの技術を有するほど一つの事に打ち込める才能のある人間は、同時に繊細であることも多い。才あるが故、人よりも打たれ弱い部分を秘める。

 

 俺のような持たざる人間は、何もないからこそがむしゃらになれるのだ。

 この子は、気を回し過ぎて自身の行動範囲を狭めてしまってる。でも……、それはμ’sの面々と付き合う上で不要な考えだと思うけどね。

 

「僕が参加しても、何の意味も……」

 

 そう言って、彼は少しだけ寂しそうに視線を落とす。

 俺は彼のその背中に軽く手を置いた。

 

 そして。

 

「知ったことか! 練習見に行くぞ!」

「なっ! は、離してください。行くなら貴方だけ行けば! ……って、僕は行かないって言ってるだろー!」

 

 むんずとシャツを掴んで引っ張る。

 どうやら裕介に触れることは可能らしかった。

 

 廊下には人が居なかったおかげで、シャツが妙な方向に伸びたままこれまた妙な走り方で移動する彼の姿は目撃されずに済む。祐介の方は気が気でないだろうが、俺は誰にも見られる心配がないので気楽なものだ。

 力任せに彼を引っ張って屋上まで行くと、容赦なく彼を投げ込んだ。

 

 ふぅ。いい仕事したぁ。

 

「ぜぇっ、ぜぇっ! 古雪先輩! アンタなぁ!」

「あれ? 三枝君、どうしたの?」

「一体誰と話してるんですか? っていうか、今日は編曲に帰ったんじゃ……」

「あ、いや……これは」

 

 穂乃果と真姫がすぐに彼の登場に反応した。

 この様子だと、μ’sメンバーにも俺の姿は見えていないらしい。少しだけ寂しい気もしたが、例えここで泣いたって気付いてくれないだろう。とりあえずは皆の様子を見守ることにする。

 

「もしかして、三枝君、ことりたちの練習を見に来てくれたの?」

「珍しい事もあるものですね……」

 

 ことりは意外そうに。海未は驚いた様子でそう、裕介に声をかけた。

 彼はというと、上手く言葉を返せず、しどろもどろになっている。妙に落ち着いた雰囲気を持つ彼だが、意外に可愛い所もあるじゃないか。

 俺はそっと屋上に入って彼の後ろに立った。

 少しだけ恨みがましそうな視線を向けられるが、別に本心から嫌がっている訳ではないだろう。どちらかというと安心したような表情をしている。

 

「僕は別に……」

「三枝先輩に見られると思うとなんだか緊張するにゃー」

「う、うん」

 

 一年生組はまだ少し先輩に対する緊張が残っているのか、表情を少しこわばらせる。が、彼のことを苦手に思っているわけではなく、純粋にまだ慣れていないだけなのだろう。

 俺は一人、そういえば、花陽が懐いてくれるまでずいぶんかかったなぁと懐かしんでいた。

 

 三年生組はどうだろう、と目を向ける。すると、幾分か表情の柔らかくなった絵里が裕介に視線を向けわずかに微笑んだ。なんだ、元気そうじゃないか。

 彼女はまだ、積極的に部内で喋るような感じではないのだろう、腕を組んで静かに立っていた。そして、わずかに視線を上に……つまり俺が居る空間へと向けて、訝しげな表情を浮かべる。

 

 同時に感じるもう一つの視線。

 隣に立つ希は、真っ直ぐに俺の方を見つめていた。

 

 まさか。

 

 俺が声を上げようとしたその瞬間。

 彼女たちは視線を祐介へと戻した。

 

 一体何だったのだろう。

 見えていたのだろうか? いや、だとすれば何かしらの反応があって然るべきだし……。俺は釈然としないまま、祐介を中心に楽しそうな雰囲気が広がっていくのを傍から見つめる。

 依然として彼は居心地悪そうだが、μ’sの面々は嬉しそうで。

 

 

 彼が、穂乃果達と作り上げた信頼関係を垣間見たようで、俺は一抹の寂しさを感じつつも、思わず頬を緩めてその光景を見守っていた。

 

 どうやらこの世界の彼女たちも、幸せらしい。

 

 

***

 

「どうして家まで付いて来るんですか……」

「だって、行くところないから」

「……はぁ、別に良いですけど。見えないですし」

「ぶっちゃけ、適当なところさまよってる最中に何処か閉じ込められたりでもしたらヤバイからさ。俺、モノを動かせないし」

 

 結局、俺は裕介に付いて帰っていた。

 一人で居るのは心細いし、物理的接触ができない現状ではどうしても俺の姿を見て話を聞いてくれる人が欠かせない。祐介も鬱陶しそうにしてはいるものの、俺の苦労を理解してくれてはいるのか諦めたようにため息をついた。

 

「つか、練習最後まで付き合ってやれば良かったのに」

「……余計なお世話です」

「もしかして照れちゃってた?」

「ウチのトイレに閉じ込めますよ」

「ごめんなさい」

 

 μ’sの練習を、編曲を理由に途中抜けしてしまった事を指摘してみたもののジロリと睨まれ、これ以上そのことに触れるなと釘を刺されてしまった。現時点で俺はもはや裕介に介護されていると言っても過言ではない。

 ドアは開けてもらうわ、寝床は提供してもらうわ。

 逆に彼を怒らせると一方的に虐げられるだけなので、ひとまずは生来の軽口を封印して大人しく謝っておいた。

 

「お腹は減ってないんですよね」

「そだな。飯はいらないみたい。まぁ、食えないどころか持てないし」

「分かりました。じゃ、家には母親しかいないので適当にくつろいでください」

「一応改めて聞くけど、ホントに良いの?」

「……別に、はい」

「YUSUKE的にはオールオッケーか」

「TMっぽく言う必要無いでしょう……」

 

 呆れつつ俺にツッコミを返しながら、彼は自宅のドアを開ける。

 俺は遠慮なくその隙間から滑り込んだ。

 

「ただいまー!!」

「初日にして自宅気分ですか」

「おつやおつや~」

「……高三にして春日部防衛隊」

「君のお母さんは三段腹だったりする?」

「しませんよ!」

 

 ふむ。訓練次第だな。

 ツッコミのセンスはあり。しかし、場数をこなせていないせいかフレーズは浮かぶものの、それに最適なテンションにまで自身を引き上げられないのだろう。

 

「おかえり、裕介」

「ただいま」

 

 謎のお笑い的考察をしていると、ぱたぱたと慌ただしい足音が玄関先に響き渡り、彼の母親らしき人が姿を表した。話を聞く限り母親……だよな? その女性の顔立ちはどちらかと言えば童顔で、かなり若い印象を受ける。

 歳相応に老けているうちのオカンとは大違いだ。

 

「今日は少し遅かったのね? どこか寄って帰ってたの?」

「別に。ちょっと用事があっただけだよ」

 

 俺と話している時とは違い、砕けた口調で返事を返す。

 へぇ、親との会話はこんな感じなのか。

 

 母親が必要以上に話し続ける、というのはどこも同じなようで、晩御飯は何時くらいがいいだの、何してきたのだの、学校で何か面白いことはなかったのかだの、彼女は優しい口調で裕介に話しかけ続けていた。

 

 彼も、近くで見ている俺の事を若干意識して居心地辛そうにしながらも、ぶっきらぼうな口調で、それでいて一応丁寧に返事をしている。基本的に罵詈雑言が二言目に来る古雪家とは違い、良好な親子関係を築けているらしい。

 

「あと三十分くらいしたらご飯にしたいんだけど」

「分かったわ。お風呂はその後で良い?」

「うん、それじゃ、僕は部屋に……」

「なら、先に母さんがお風呂入っちゃうわね」

 

 そう言って、裕介は二階へ。おばさんはリビングの方へ歩いて行く。

 俺は、少し迷って――リビングへと歩みを進めた。

 

「……」

「うぎゃっ!」

 

 背中に衝撃が走り、前のめりにぶっ倒れる。

 相手側からの接触であるせいか、痛みはないが驚きから悲鳴が漏れてしまった。振り返ると呆れた表情で俺を見下ろす裕介の姿。

 や、やるじゃないか。良いツッコミ持ってやがるぜ。

 異変に。もちろん俺にではなく、二階から再び戻ってきた彼に気がついておばさんが振り返る。

 

「どうしたの?」

「いや、別になんでもないよ」

「……もしかして」

 

 にやり。と、いたずらっぽく微笑む裕介ママ。

 

「な、何?」

「裕介、母さんと一緒にお風呂入りたいの?」

「違うよ! どうしてそんな発想になるの!?」

「難しい顔して母さんの後についてこようとするから……」

「どこの世界に母親と風呂入りたがる高校二年生がいるんだよ」

「母さんは別に構わないのよ?」

「うるさいな! いいから早く入りなよ!」

 

 親子でボケとツッコミ。

 羨ましいなぁ。ウチじゃどつきあいばかりだし。

 

「全く、ゆうちゃんったら……昔はあんなに素直だったのに」

「ゆ、ゆうちゃん!?」

 

 俺は全く見当違いな観点で感心しつつ、仲の良い親子の姿を見守るのだった。

 

 

***

 

「あの、好き勝手にウロウロしないで貰えますか?」

「失敬失敬」

「気持ち良いくらい反省しないんですね」

 

 半ば強引に彼の部屋に押し込まれる。勝手に出歩けないように入り口を閉められ、若干チクリと怒られてしまったがあいにくと反省はしない。だって、別に悪いことしてないし。

 ……ボケだよ、ボケ。

 友達のお母さんの風呂シーンを本気で求めるほど歪んだ性癖はしちゃいないって!

 

 俺は生返事をしながら彼の部屋を見て回る。

 一言で言うと、普通の部屋だった。

 編曲をしている、との事なのでドラムやギターやベース。いろんな楽器や機材が溢れてるのかと思ってたけど……どうやら違うみたいだ。後で聞いた所によると別室に纏めて置かれているらしい。

 そして、どうやらベッドの下や本棚の奥をチェックしたもののエロ本も隠されていなかった。

 ま、俺の部屋も押入れに衝動買いしたくだらないモノ(ツイスター、ブービークッション、木刀、爆竹など)が詰め込まれているくらいで、見た目は普通そのものだけどな。

 

「ここで編曲やってるの?」

「はい」

「楽器とかなくてもできるんだ」

「一応楽器類もありますけどね。でも、説明するよりも見せたほうが早いです」

 

 裕介は鞄を床において、パソコンの電源を入れた。

 恒例のデスクトップの背景チェック……!

 

 残念、デフォルトでついてる背景画像だったか。

 

 俺が心底どうでも良いことで落胆しているうちに、彼が立ち上げたよく分からないソフトがディスプレイに表示される。そういえば、パソコンに詳しい友達がソフトを使えば音楽を。今の時代、歌まで機械で作れると話していた事を思い出した。

 たしか、ボカロがどうとか。

 

「打ち込み、とかするんだっけ?」

「えぇ。まあそんな感じです。あまり詳しくないんですよね?」

「あぁ、専門用語は分からないし……。良かったら何曲か聞かせてみてよ」

 

 ミキシングが云々、と言った話をしかけた祐介は俺の表情から何かを察したのだろう。早々と具体的な曲をフォルダの中から探してくれる。ちらり、と見ると俺がいる世界(これが現実ならそう表現する他ないだろう)と同じ名前の楽曲たちが目に入った。

 見た感じ、この時期までに生み出された曲に差異はないみたいだ。

 

 

――なんだ、大して変わらないじゃないか。この二つの世界は……。

 

 

 なぜか少しだけ安堵して、溜息をつく。

 しかし、俺はすぐに自身の勘違いを悟った。

 

 それでは、と呟いて楽曲名をダブルクリックする裕介。

 

 スピーカーから然程大きくはない音量で流れ出す音符の波。

 映像が付いているわけでもない、特別音質が良いわけではない。

 本来付いているはずの彼女らの歌声さえもない。

 

 しかし、俺の体は強張り、凍りつく。

 呼吸が止まり、鼓膜へと流れこむ音の奔流に流されるままに立ち尽くす。

 

――それは、慣れ親しんだはずの曲。

――それは、何度も傍で聞き、そして勉強の合間に流していた歌。

 

 しかし、それは……。

 

 

 俺の知るそれよりも不思議なほど、格段に、魅力的に聞こえてしまった。

 

 

 九人だけの彼女たちでは出せなかったであろう、その音。

 心を強く揺さぶる旋律。

 

 

 

 俺はただただ、無機質なディスプレイを見つめて呆けてしまう。裕介は俺の表情をちらりと見たあと、形式を連続再生へと変えてドアの方へと移動した。一応、外に音が漏れないよう音量調節を終わらせてくれている。

 

「それじゃ、僕はご飯食べてきます」

「……あ、あぁ」

「適当にくつろいでいてください」

 

 そう言って、彼は自分の部屋を後にした。

 

 

「これが、編曲」

 

 

 小さく呟く。

 どうせ誰にも聞かれないのだ、声を出しても構わない。

 

 俺はふらりと、ベッドの端に腰を下ろした。

 

 舐めていた、と言わざるを得ないだろう。

 俺は編曲というものに対して何の知識も持っていなかったし、その重要性も理解していなかった。そういえば、俺の元いた世界でも、真姫が苦労しているといった話は聞いたことがある。

 おそらく、彼女たちは自身の努力でそこをカバーしたのだろうが……。

 

 

――この世界には三枝裕介という男がいる。

 

 

 俺は強く唇を噛み締めた。

 なんて、なんて素晴らしい曲に仕上げるのだろう。

 

 彼は編曲を担当していると言った。

 つまり、曲自体を作ってるのはおそらく西木野真姫。そして、タイトルが変わっていないことを見ると、園田海未が詩を書いていることは間違いない。

 しかし、たった今聞いているそれは、原曲の良さを最大限に活かし、より良いモノへと昇華させていた。彼女たち二人。いや、彼女たち九人だけでは作れなかった魅力が――彼という存在が加入することで生まれている。

 

 その事を否応なく理解してしまった。

 

 

 

――この世界には三枝裕介という男が居る。

 

 そして、この世界のμ’sは俺のいた世界の彼女たちよりも……魅力的だ。

 

 

 

 俺は突きつけられる。

 元いた世界の彼女たちのために、何一つ出来ていなかったという事実に。

 

 俺がいる世界と、いない世界。

 比較するからこそ分かる、矮小な自分。

 

 もちろん、俺には俺の役割があって、それを懸命にこなしてきたつもりだしこれからもそうするつもりだ。それに、隣の芝は青く見えると言う。だから、必要以上にこの事を重く受け止めるつもりは無い。

 

 が、仮に俺がこの世界に来た理由が、彼と出会うためだったのだとすれば……。

 一体、その意味はどこにあるのだろうか。

 

 

――俺にはまだ、分からない。

 

 

 

***

 

「……どうかしましたか」

 

 一体どのくらいの時間がたったのだろうか。

 かけられた声に反応して顔を上げると、髪の毛を湿らせゆったりした服装に着替えた裕介が訝しげにこちらを伺っていた。嫌に長い髪を、無造作にメガネのレンズの上から除けて小さく息をつく。

 

「いや……」

 

 二の句が告げずに黙りこむ俺の前を取り過ぎ、何度目かのループを繰り返していた音源のファイルを閉じる。

 室内を沈黙が支配した。

 

「なんというか、編曲って凄いんだな」

「まぁ、確かにあるのとないのとでは違うでしょうね」

 

 淡々と答える裕介。

 それはそうだろう、この世界にはこの子ありきの物語が紡がれている。あって当然なのだ。この素晴らしい曲は、当然のように穂乃果たちのために作られ、そして彼女らを引き立てている。

 

「先輩の世界では、編曲は誰が?」

 

 若干、自身の言葉に首をかしげつつも聞いてきた。

【先輩の世界】なんてそうそう言う台詞じゃないからな。

 

「詳しくは聞いてなかったけど、真姫がやってるみたいだよ」

「あぁ。そういえば独学だけでかなりの完成度で曲を仕上げてきたこともあったような」

「でも、君の作ったそれは俺が元いた世界の曲より、魅力的だった」

 

 嘘偽りない言葉。

 裕介はそっと目を逸らしながらわずかに頭を下げた。

 

「だったら、嬉しいです」

「ん。穂乃果たちも嬉しいと思う」

「……」

 

 なぜか、黙りこむ祐介。

 彼は一瞬口を開きかけたものの、遠慮がちに俯いた。

 

 なんというか、あまり人と距離を詰める事に慣れていないのだろう。二人きりで居るにもかかわらず、いや、むしろ二人きりで居るせいか余計な気を使ってしまっているようだ。初対面で、先輩で、おまけに透明人間と来ている。遠慮するなという方が酷かもしれない。

 

「何か、聞きたいことでもあるの?」

「少し、気になることがあって」

「いいよ、お世話になりっぱなしだし、遠慮なく」

 

 笑顔を浮かべながらそう言うと、彼はおずおずと問いかけ始めた。

 きっと、それはずっと気になっていた事なのだろう。

 

 

 

「……先輩の世界では、どうやって廃校を?」

 

 

 

 真摯で、真っ直ぐな問い。

 それはモデル生故か、それとも編曲者故か。

 

 素振りはなんとも興味なさそうで、ぶっきらぼうな口調。

 しかし、心の底から音ノ木坂学院の存続を憂いている事は伝わってきた。

 

「……それは」

 

 だからこそ迷う。

 なぜなら、俺達の世界での解答が、彼が導くこの世界で通じるとは思えない。明らかに彼という存在はμ’sに影響を与え、未来さえも違ったものに変化させているハズだ。

 それは、俺のいた世界よりも、素晴らしい結果を招きうる。

 俺は素直にそう考えていた。

 

「申し訳ないけど、それは言えない」

「……どうして」

 

 祐介は不服そうに眉間に皺を寄せる。

 

 余計なことは言わない方が良い。

 俺が見てきた景色と、そこから学んだ沢山の事は俺にとっては宝物だ。

 しかし、それを裕介に伝えることは決して正解ではない。良くも悪くも俺の言葉は彼の選択に寄与してしまうだろう。当たり前だ。賢い人間ほど、先駆者の意見を取り入れようとする。

 

 俺は考える。

 

 一生懸命に未来を憂う彼だからこそ。失敗しても、何が起きても、彼自身の選択でもってμ’sを救ってあげて欲しい。きっと、それが一番の正解だ。

 

 それに、俺だって失敗ばかり繰り返していたからな。絵里のこと、穂乃果のこと、ことりのこと。でも、あの時間があったからこそ今の俺がある。

 

 だから。

 

「俺の話は参考にならないよ。それに、心配することないと思うけどな」

 

――俺は逸らかす。

 

 もちろん、彼のことを思っての言葉だったが。

 帰ってきたのは無言の圧力。

 

「……」

 

 

――無責任な事を。分かったような口を聞くな。

 

 

 明確な敵意を持って睨まれる。

 俺は静かにその目線を受け止めた。

 

 無理もない。

 そう思う。

 

 彼は今、必死になって彼女たちの協力をしてくれているのだろう。音ノ木を守ろうとしてくれているのか、それとも穂乃果たちを守ろうとしてくれているのか。その動機は会ったばかりの俺には想像もつかないけれど。

 でも、一生懸命なのはよく分かる。

 あの曲を聞けば俺にだって伝わるさ。

 

 だからこそ、そんな彼に俺の適当な言葉をかける訳にはいかない。

 彼の引き寄せる未来を歪めてはならない。

 

 

「答えを出す権利は、君と、この世界のμ’sにしかないからね」

 

 

 μ’s。

 その単語を聞いて、僅かに祐介が顔を曇らせた。

 

「僕は……」

「うん」

「あなたの世界では、あなたが居たから、彼女達が救われたんでしょう」

「……」

「だとしたら、この世界は」

 

 そこまで聞いて、俺はやっと彼の苦悩に気がついた。

 おそらく、俺と出会ってしまったが故の発想。

 

 未来を知ることなど、常識的に考えてありえない。それは、たとえパラレルワールドの話だとしても同じことだ。すべてが丸く収まった俺達の世界を前にして、裕介が感じるプレッシャーは凄まじいものであるに違いない。

 聡い彼のことだ。

 

 俺のいた世界と彼の世界。

 その相違点が俺たち二人であるということに気がついている。

 

 俺みたいなタイプだと『なるほど、他の世界で達成できた事なら不可能じゃないよな。俺達も頑張ろう』と、ある種楽観的な。良い言い方をすれば前向きな捉え方をするだろう。

 

 しかし、彼は良くも悪くも思考が深すぎる。『他の世界では達成した廃校阻止。僕のいる世界で達成することは出来るのだろうか? 仮に、古雪先輩と僕という二人しか差が無いのなら、僕が原因で、廃校阻止が成らない可能性は存在する。だとすれば、僕はどうすべきか……』といった具合に頭を悩ませているはずだ。

 

 その性格を慎重と取るか、ネガティブと取るかは人それぞれだが――俺は目の前の彼を高く評価した。

 理由は一つ。

 

 

 もしかしたら、俺が犯してしまった失敗を、食い止められる未来が待ってるかもしれないから。

 

 

 脳裏に浮かぶ、ステージに倒れ込む穂乃果の姿を掻き消して、俺は静かに口を開く。

 もちろん言いたいこともありはしたが、多くは語らず一つの確かな想いだけを言葉に変えた。

 

「この世界は、きっと俺のいた世界よりも良い物になるよ。俺が保証する」

「適当な事を! ……言わないでください」

 

 一瞬彼の目に炎が揺らめいたが、歯を食いしばって声のボリュームを絞った。なかなかどうして、冷静そうに見えて激情を持ちあわせてもいるらしい。良いな。そのくらいが丁度良い。

 頭だけ回せる人間に価値は無いからな。本当に大事なのは心。

 

「だって、この世界には君がいる」

「……」

「俺よりもずっと、彼女たちの役にたってくれてると思うよ」

 

 それは俺の素直な意見だったのだが……。

 返ってきたのは沈黙だった。

 

 しばし俺を睨みつけ、諦めたように視線を外す。

 

 彼はこれ以上話す必要はない、とでも言うように俺に背を向けて、パソコンと向かい合う。そしてヘッドフォンを頭につけて何やら作業を始めた。恐らく編曲を始めたのだろう。

 

「ベッド使ってください、僕は布団を出して寝るので」

「いや、流石にそれは……」

「そもそも、明日までに完成させて持って行きたいので寝ないかもしれないんです」

 

 僅かに耳元からヘッドフォンを浮かし、自分のベッドを指さした。

 そして言い終わるが早いか、ぷいっと前を向いて今度こそ作業に没頭し始める。

 

 いい子なのになぁ。

 可愛げがない。

 

 俺は若干呆れながらも、そのまま床に横になった。

 作業に入った以上、邪魔するのはご法度だろう。

 

 別に、物理的干渉ができない以上、床だろうと布団の上だろうと関係ない。起きていても暇なだけなので、俺はそっと目を閉じた。

 

 眠りに落ちる一瞬前。

 小さな声が僅かに鼓膜を揺らす。

 

「……僕には、編曲(コレ)しか出来ない」

 

 

 俺は気付かなかった。

 彼のその呟きの直後、わずかに自身の身体に色が戻ったことに。

 

 

 

 そして、視認できないくらいわずかに裕介の身体が……透明さを含み始めたことに。

 

 

 

***

 

「……」

 

 勉強せずに寝たせいか、なぜか落ち着かずふと目が覚めてしまった。不思議とすぐに意識が覚醒し、体を起こす。ちらりと横を見ると、祐介が自分の腕を枕にパソコンの前で力尽きていた。

 外を見ると若干空が白んできている。

 そっと近づいてディスプレイを覗きこむと更新されたファイルが目に入った。どうやら、完成したらしい。日付を見たところ今日は土曜日。おそらく、休日の練習用に急いで完成させたかったのだろう。

 

 だとすれば、昨日は余計な事をしたな、と少しだけ反省してしまう。

 

 俺は裕介の肩を持って彼の身体を持ち上げた。

 モノに触れることは出来ないが、彼になら触れる事が出来る。俺はそのことに感謝して、出来る限り丁寧に布団へ寝かせた。もちろん、傍から見たら裕介がひとりでに浮いて移動しているパラノーマル・アクティビティ的ホラー現象だけど……。ドアは閉まっているため、安心だ。

 残念ながら毛布は掛けられないが、今はそれほど寒い季節ではない。風邪をひくことはないだろう。

 

「すぅ……」

 

 度の強いレンズを外した彼は、歳相応のあどけない表情で眠っている。

 この髪の毛をなんとかしてコンタクトにでも換えれば多少見れるようになるのに、と見当外れの評価をしながら俺は微笑んだ。

 

 俺が寝てしまってからもう、四・五時間たっただろうか。

 彼はその間中ずっと編曲に取り組んでいたのだ。

 

 限りなく似た世界に住んでいる彼は、俺とは全く別の道を選択し、そしてμ’sの皆を導いている。

 

――心底羨ましかった。

 

 俺には到底真似できないから。

 

 もちろん、自身の存在だって、元いた世界の彼女らにとってかけがえのないものだって事くらい理解している。俺は祐介の姿を見て落ち込み、自分の価値を疑うほど後ろ向きな性格はしていなかった。

 彼のようにμ’sを技術的な面でカバーして、続く栄光の道へ導くことは俺には出来ない。でも、俺は心の底からあの子たちを大切に思っているし、これからも支えてあげようと決心していた。

 

 

 しかし、彼はどうだろう。

 俺は静かに、幼さの残る表情で寝息をたてる後輩を見つめた。

 

 

 俺を見て、俺と話し、何を思うのだろうか?

 古雪海菜と三枝裕介の違い。

 それは性格や能力もそうではあるが、なにより決定的なものが一つある。

 

 

『生きている時間軸』

 

 

 俺は、一つの大きな壁を乗り越えた世界に。

 彼は、眼前に聳える、避けては通れない壁の前に今まさに立ち、それを越えようと、壊そうと必死に足掻いているのだ。μ’sの為、自分の為、学校の為。寝る間も惜しんで自身の役割を果たそうと歯を食いしばっている。

 

 そんな彼が、俺と出会ってしまった。

 

 図らずも、そんなタイミングでこの世界に来てしまったことを申し訳なく思う。古雪海菜という人間の存在は、間違いなく彼にとって大きなプレッシャーとなるだろう。実際はただのちゃらんぽらんなのだけど。

 

 しかし、頭のいい彼のことだ。

 俺が何を取り繕い、思考を凝らして言葉を紡ごうと、祐介は必ずそれを見抜く。出会った時間は短いがその程度のことは理解しつつあった。だから、俺に出来るのは一刻も早く帰る方法を見つける事なんだけど……。

 

 

 俺は、相変わらず光がスムーズに通り抜けていく身体を見て、溜息をついた。

 

 

 

***

 

「今日は土曜日だよな。やっぱり穂乃果達は神田神宮で練習してるの?」

「はい。……あと、外ではあんまり話しかけないで欲しいんですけど」

「それは無理。喋らせて」

「ホントになんなんだこの人は」

 

 朝食を食べ(俺は見えないのを良いことに三枝家を縦横無尽に走り回っていた)祐介は完成した音楽データをCDに落として外に出た。早速、穂乃果たちに届けるらしい。オープンキャンパスまで時間が無いせいか、早めにこの音源に慣れて欲しい、そう言っていた。

 俺自身特にすることもなければ、やはり鍵を握るのがμ’sであるという線を捨てきれなかったので俺は彼の後を追う。

 

 やはりおしゃべりな方ではないのか、永遠と話をし続ける俺に辟易しているようだ。性質の悪いことに、俺は相手が適当な返事を返そうと無視しようと、喋り続けられる特異な人間なため、最初は必死に無視しようとしていた裕介も諦めたように返事をしてくれるようになっている。

 

「相変わらず、この階段はしんどいな」

「はい」

 

 神田明神の石段を上がりながら、祐介が汗を拭う。

 かなり息を切らせているあたり、あまり運動が得意な方ではないのだろう。しかし、足の筋肉を見る感じ鍛えていないわけでは無さそうだ。肌は白く、運動部に所属しているわけでは無いみたいなので個人的に運動はしているらしい。

 

「今日は音源だけ渡して帰るの?」

「……他にすることないでしょう」

「いや、それは」

 

 こちらを見ることなくスタスタと先に上がっていってしまった。

 うーん。

 まぁ、μ’sとの関わり方は人それぞれだろうから特に文句はないけど……。でも、穂乃果たちは恐らく彼ともっと親密になりたいハズだ。

 

 俺は眼前の背中をゆっくりと追う。

 

「三枝くん!」

 

 先に登り切った祐介に気がついたのか、ことりの声が響いた。

 ガヤガヤと騒がしい。新しい編曲済みの楽曲や、裕介の登場で盛り上がっているらしかった。

 

 俺は、自分の身体が見えないものと高をくくってひょいと姿を現した。

 なんの躊躇いもなく祐介の元に集まるμ’sの元へと向かう。

 

――違和感。

 

 昨日とは違う。妙な感覚。

 

 そして。

 

 ふと、希と目があった。

 そういえば昨日もそんな事あったな、となんの感慨もなく見返していたが、どうやら様子がおかしい。視線が離れないのだ。俺は流石に変だと感じて足を止める。

 

 

「……あなたは?」

「どうしたの? のぞ……」

 

 

 希の声に反応して絵里が顔をあげ、まっすぐに俺を見た。

 

「何か、用かしら?」

 

 警戒心を露わにしながら問いかけられる。

 

 おぉ。

 友好的な彼女しか知らないせいか、少しだけドキッとしてしまう。希もわずかに身を引いてこちらを伺っているし、出会った頃に戻ったようだ。実際に初対面なのでその通りなんだけど。

 というか、そもそも見えてるのか?

 俺は半信半疑で自身の姿を指さして首を傾げてみせた。

 

 絵里はコクリ、と頷いてそして……やっと、俺の姿が透けていることに気がつく。

 

「きゃっ……」

 

 その悲鳴に釣られて、他のメンバーも俺へと視線を走らせた。

 当然、全員が俺の姿を許容出来るハズもなく……。

 

「透明人間にゃー!!」

「ダレカタスケテー!!」

 

――あぁ。これは説明が面倒くさそうだ。

 

 ぱたぱたと蜘蛛の子を散らすように逃げていくメンバーと、腰を抜かして呆けるメンバー。慌ててこちらを振り返り、現状を理解して溜息をつく祐介を見つめて……俺は空を見上げた。

 

 

***

 

「古雪海菜さん? なるほど、そんなことってあるんですね!」

「ホントに透けてるにゃー」

「つつくなつつくな」

 

 俺はなんとか全員を集めて、現状の説明を終えた。

 

 全て話しつくすのは面倒だし、彼女たちの貴重な時間をいたずらに奪うわけにいかない。だから、俺が別の世界からやってきたこと、そっちではμ’sの知り合いだったこと、帰る方法を探していることだけ伝えておいた。

 

 絵里との関係性などはまだ話していない。

 また、あまり動揺を与えたくは無いので、俺の世界では廃校の話が無くなったという話は伏せておく。なんとなくふわりと、所々誤魔化しながら伝えたが、察しのいい絵里や真姫辺りがその辺りを追求することなく話を切り上げてくれた。

 

「あぁ。ごめんな、練習の邪魔して……」

「いえ、それは良いけれど」

 

 絵里は、流石に何か感じるところがあるのか俺の表情を興味深げに伺っている。希は笑顔を浮かべて時折ちゃちゃを入れながらも、俺からはハッキリと距離を取っていた。間違いない、大分警戒されている。

 

 彼女と交錯する視線。

 俺は希の心情を察して、するりと目線を外した。

 

「練習続けてくれるかな? いろいろ、大変なんでしょ?」

「そうよ。オープンキャンパスも近いし、あなたに構ってる暇はないわ」

「ま、真姫ちゃん……それは流石に言い過ぎだと」

「いや、花陽……じゃなくて小泉さん。西木野さんの言う通りだよ」

 

 至極真っ当なことを容赦なく言葉にする真姫の表情を見て微笑む。

 まさしくその通りだ。彼女らの現在は最大の山場。俺の相手をする暇があるなら練習するべき。俺もそう考えていた。

 

 しかし、かといって、本番までこの世界に滞在するわけにも行かない。

 

「よければ、練習傍で見ててもいいかな? 帰るヒントが見つかるかもしれないし」

「別に、見てる分には構わないけど……」

「そうね。第三者の意見も聞けるし、むしろお願いしてもいいかしら?」

 

 他人行儀に頭を下げる絵里。

 ふむ。やっぱり不思議な気分だ。そもそも、皆を苗字呼びしなくてはならないのも複雑だし。

しかし、あまり深くかかわりすぎないようにするためには仕方ないだろう。

 

「それじゃ、俺と裕介は見てるから」

「なっ! ちょっと、待ってください! 僕は……」

「三枝くん、今日も練習に参加してくれるの? やったー!」

「……そんなこと誰も言ってな」

「祐介、行くぞ」

「分かった! 分かりましたから! シャツが伸びる!」

 

 全く、μ’sの連中が君が練習に参加すると聞いて顔を輝かせたのに気が付かないのか。俺は若干その事を気がかりに思いながらも練習風景を眺めることにした。

 

「ワンツー! ワンツー!」

 

 海未の張りのある綺麗な声と、リズムの崩れない手拍子が響き渡る。その光景は見慣れたものと全く同じで、思わず微笑んでしまった。元の世界の彼女たちと比べたら勿論実力は劣るものの、やはり彼女たちの踊りは素晴らしい。

 ちらりと横を見ると、祐介は落ち着かなそうに座って彼女たちの姿を眺めていた。

 

――んー、俺はどうしようか。

 

 いつもの様に野次を飛ばそうか、それとも大人しくしていようか。それとも、練習の手伝いをしてやろうか。迷った挙句、立ち上がる。

 このくらい、してあげても良いだろう。

 

「園田さん、手拍子変わろうか? 一応、さっき話したように多少の手伝いくらいは出来るから」

「あっ、えっと……その」

 

 俺が珍しく心からの優しげな笑顔を向けて近づくと、わずかに後退りされてしまった。どうやら、嫌がっているわけではなく、見知らぬ年上の男と話すのに緊張しているみたいだ。

 海未はわずかに頬を紅潮させ……そういえばこの子にもこんな時代があったなぁ。

 今では俺にいじられて絵里に泣きつく彼女しか見ていないので新鮮だ。不覚にも可愛いと思ってしまう。

 

「そうやね、古雪くんの話が本当なら、やってもらえばええやん。その方が効率ええしっ」

 

 希が助け舟を出してくれる。

 距離感はあるものの、やはり空気の読める女の子だ。

 

「はぁ? まぁ、良いけど。リズムをずらしたりしたら承知しないわよ?」

「だまれ矢澤。ズレてるのは君のキャラだバカやろう。……おっと、危ない。矢澤さん、安心してほしいな。何度もやったことあるし」

「危ないどころの騒ぎじゃないわよ! 全部言い切ったわね!?」

「失敬失敬」

「気持ち良いくらい反省しないのね、アンタ……」

 

 図らずも祐介と同じツッコミを返してきたにこに感心しつつ、九人の前に立つ。

 

 うん。いつもの景色だ。

 

 向けられる視線の意味に違いこそあれ、悪くない。

 彼女たちの顔を近くで見るのは……ホントに――悪くないな。

 

「それじゃ、行くぞ?」

「はいにゃー!」

 

 凛の元気の良い返事に頷き返し、手拍子を始めた。

 七日間連続ライブの失敗以来、積極的にμ’sに関わることを決めた俺はこの手拍子のように、出来る事はするよう心がけていた。勿論、部外者の俺がこういう関わり方をするのは良くないかもしれないが、流石に黙って見ているのも気が引ける。

 多少は手伝ってやらないと。

 

「高坂さん、今のところ、クセになってるぞ!」

「西木野さん! 手、下がってる! あと、右足のステップ誤魔化しただろ」

「東條さんは少し遅れてるよ。立ち位置も気をつけて」

 

 完成形を知っている、というのはやはり有利だ。

 未来の彼女たちとの比較でこの段階のμ’sのミスが目に見えて分かるせいか、指摘もし易い。はじめは半信半疑で俺を見ていた彼女たちも、流石に顔色を変えて練習に集中し始めていた。

 

 苦手としている場所を洗い、簡単なアドバイスを飛ばす。

 物語の本筋に絡まない練習になら、多少口を出しても良いだろう。

 

 

 三〇分ほど経っただろうか。

 多少、疲れから集中力が切れてきた彼女たちに野次を飛ばす。

 

 そうそう、流石に集中力のピーク時にふざけちゃ怒られるから……この時を待ってたんだよ。

 

「よーし、それじゃ、手拍子の速さ倍にするぞ~」

「いや、なんでよ!」

「見飽きたし」

「練習よコレは! そういうものでしょ!」

 

 おぉ、流石ににこのツッコミは早い。

 軽いジャブのつもりだったのだが、簡単にさばかれてしまった。

 

 俺は手拍子を続けながら、同時に口も動かし始める。

 

「星空さん!」

「なんですかー!」

「次、にゃーって言ったら階段ダッシュ一本追加で」

「そんにゃー! って、あ……」

 

 うむ、やはり凛は可愛い。

 

「絢瀬さん!」

「な、なによ?」

「寂しい時、おばあさんの夢を見るらしいな」

「えっ、ちょっ! なんでそんな事知って!?」

 

 一気に頬を紅潮させ、しどろもどろになる幼馴染。

 ん。絵里も相変わらずだ。

 

「ミナリンスキー! あれ、何故か変な名前叫んじゃった」

「ぴぃっ!」

「ことりちゃん?」

「ほ、ほのかちゃ~ん。なんでもないよ~」

 

 んー、情報アドバンテージって、デカイな。

 可愛らしく、慌ててこちらを睨むことりに笑顔を返して次なる標的を定める。

 

「園田さん、ダンス、キレッキレだね」

「あ、ありがとうございます」

「さすが、高坂さんの家でマイクを握って練習してるだけある」

「ぷふっ!」

「は、花陽!? 何を笑っているのです!? それに、古雪さん貴方!」

 

 なるほど、この世界では花陽に目撃されたのか。あの黒歴史を。

 運命とは過酷なものだなぁ。

 

 騒ぐ海未を横目に、逃れられ無かったらしい定めを憂いていると、真姫から声がかかった。

 

「ちょっと、真面目にやりなさいよ!」

「オコトワリシマス!」

「ちょっ、それ、まさか私の真似じゃ……」

「あはははは! 似てるにゃー!」

「り、凛!!」

「星空さん、階段ダッシュ追加ね」

「んにゃー!?」

「もう一本。アホだな」

 

 なぜか、真姫の巻き添えになって順調にダッシュを三本へと増やす凛。

 やっぱり、一年生って弄りがいあるよなぁ。

 

 あ。そういえば、もう一人一年生が……。

 俺はちらりと花陽へと視線を向けた。

 

 ひぐっ、と一瞬で涙目になる彼女。

 や、ヤバイ。怖がられてる。そういえば仲良くなるまでに数ヶ月かかったもんな、元の世界でも。俺はとりあえず花陽は褒め倒しておくことにした。

 

「小泉さんは可愛い! 素敵! 大好き!」

「えぇ!? はぅう……」

「ちょっと、アンタ! 私達と扱い違いすぎでしょ!」

「差別だにゃ……差別ですよ!」

 

 うるさいぞ、その他一年生。

 

 よし、それじゃ、残りは……。

 

 見回してみると、爛々と目を輝かせてコチラを見つめる穂乃果がいた。そうだな、この子はどうしようか。

 

「高坂さんは、いいや。逆に」

「えぇ~、私にも何か言ってくださいよー!!」

 

 今までの流れで、よくイジられたいなんて言えたな?

 

 俺は若干呆れながらも、大げさに右手をおでこの上にあて、何かを探す仕草をする。手拍子は止まってしまったが、どうせ休憩に入る頃合いだし、別に構わないだろう。

 

「おい! 矢澤さんはどこに行った!? くそっ、この一瞬で視界から」

「目の前にいるでしょ! 背が低いから見えてないだ……って、何言わせるのよ!」

「にこっち、ノリノリやね……」

「はっ、つい……」

 

 結局、μ’sはμ’sらしい。

 一瞬、希とアイコンタクトを取って軽い意思疎通を測った後、ただただ笑う。

 

 

――この調子なら、大丈夫だろう。

 

 

 俺は確信を持って頷いた。

 少し心配だったのは、今ここにいる穂乃果達が、俺のいた世界の彼女たちと違っていた場合だ。確かに、廃校を乗り越えられたのは、俺の介入も一つの理由に挙げられるだろう。

 

 しかし、割合で言えば間違いなく一割にも満たない要因。

 

 九割九分、彼女たちの魅力、そして努力によって成し遂げた廃校阻止。

 だからこそ、仮にこの世界のμ’sが俺の知る彼女たちよりも何か劣っている点があるのだとすれば、廃校の阻止という目的達成は難しいと考えていた。

 

 だが、心配ない。

 この世界の彼女たちもやはり魅力的だし、何より。

 

 

 何より、俺ではなく祐介が付いてる。

 

 

 ただでさえ凄かったグループに、技術までが揃ったのだ。

 きっと、心配することは何もない。

 

 

 俺は憑き物の落ちたスッキリとした感覚のまま、ちらりと祐介の方を見た。練習中は彼女たちに意識を集中させていたせいか、彼を見ていなかった事を思い出す。

 

「……祐介?」

 

 一瞬、視線が交わる。

 

 感じる違和感と、妙な胸騒ぎ。

 

 その感覚の原因を探ろうにも、すぐに祐介に目を逸らされてしまった。一体なんだろう、今の感覚は。過去にも一度、味わったことがある。

 ……そうだ。穂乃果がライブで倒れる前日にも同じ予感があった。

 

 しかし、今回は感覚ばかりが先行し、肝心の原因が分からない。

 

「それじゃ、一度水分補給をしましょう」

『はい!』

 

 この世界の絵里は俺の異変に気がつかない。もちろん、他のメンバーも同じだ。それは当然の事ではあるけれど。

 

 俺は、首を傾げながらも祐介の方へ歩みを進める。

 と、俺の横を一つの影が横切った。

 

 朱色がかった艶やかな髪、ぴんと伸びた背筋。

 真姫か……、一体どうしたというのだろう?

 

 後を追うように近づくと、彼女と祐介の会話が聞こえてきた。

 

「三枝先輩、さっきも軽く話したけど今日来てくれたって事は……」

「……編曲は終わってる」

「ふふ、ありがとう」

 

 無愛想に返事を返す裕介。分かっていたかのように微笑む真姫。

 んー、本当に真姫が編曲を任せてるんだなぁ。勿論、祐介の話を信じていなかった訳ではなかったが、自分の作った作品の手入れを赤の他人。しかもモデル生の男にやらせるとは。

 裕介は気づいていないかもしれないが、少なくとも真姫は彼の実力や人間性にかなりの信用を置いているハズだ。

 

 少し離れた場所で歩みを止めて、その光景を見る。

 

 

 

 そして、俺は改めて実感した。

 ココは、俺がいるべき場所ではない。

 

 

 

 裕介と、μ’sメンバーの間でどんな事があったのか俺には分からないし、これからも知ることは無いだろう。でも、これだけは確かだと自信を持って言える。

 この世界は、彼を中心に回ってる。

 俺ではなく、彼が紡ぐ物語。

 

 しかし、俺のそんな内心とは逆に、運命の歯車はおかしな方向に回り始めたようだ。

 

 

 

 裕介がカバンの中から、今朝データを入れたばかりのCDを取り出し、目の前に立つ真姫に渡そうとした。そして、彼女は頷きながら手を伸ばし……唐突に悲鳴をあげる。

 

「きゃあっ」

「どうしたの?」

 

 急に響いた声に、他のメンバーも慌てて真姫の周りに集まる。

 かくいう俺も何が何だかわからないまま祐介の隣へと走った。

 

「さ、三枝……先輩」

「……な、なんだよ」

 

 震えながら裕介の身体を指さす真姫。

 俺達は、そこでやっと異変に気がついた。

 

「か、身体が……透けて」

「っ!?」

 

 

 

***

 

――状況を整理しよう。

 

 騒然となる雰囲気の中、俺は冷静に現状の把握に努める。裕介もかなり慌てた様子で自身の身体をあちこち触って確かめていたものの、顎に手を当てて黙り込んだ。俺はその姿を見つめ、僅かながら身体が透けていることを確認する。

 

 原因は不明だが、彼の身体が俺と同様に薄れていっているのは確かなようだ。

 

「ちょっと、冗談でしょ……?」

 

 にこのその呟きに答えるものは誰一人としていない。

 各々が顔を合わせて、この怪奇現象を前に言葉を失っている。

 

「裕介……どこか、おかしいところは無いか? 体調不良とか」

「いえ、特には。今、西木野に言われて初めて気がついたので」

「そ、そうか」

 

 なら、ひとまずは良かった。

 いや、良くはないけれど、何か痛みとかがあっても手の施しようがないしな。俺は記憶を遡って原因を探す。

 俺が思考の波に潜っている間に、我に帰った絵里が幾つか質問を投げかけた。

 

「三枝くん。来た時はどうも無かったわよね? たしか」

「はい、そうですね……」

「だとすれば、今の練習中になにかが」

「でも、凛達ダンスしてたから何も見てないにゃ」

 

 うん。来る途中に異変がなかった事は覚えている。

 仮に今くらい身体が半透明になっていたとすれば流石に気がつくだろう。とすれば、絵里が言うように俺たち一〇人が彼から目を離していた数十分のうちに起きたと考えられる。

 でも、一体何が?

 

 俺達は頭を抱えた。

 俺は訳がわからぬまま、自身の手を見つめる。

 

 その手は、相も変わらず初夏の太陽をほぼ全て通し……いや、思いの他通さないな。……なぜだろう?

 

 そして、俺はある一つの事実に気がつく。

 顔をあげてその事を伝えようとした。

 が、それよりも早く希が口を開く。

 

 

「古雪くん。キミは初めからそんなにハッキリ見えてたかな? ウチは、もうちょっとぼんやりとしてた気がするんやケド」

 

 

 同時に、視線が俺へと集まった。

 俺は彼女の指摘に素直に首を振りながら答える。

 

「いや、明らかに身体に色が戻ってきてる」

 

 俺がこの世界に来た初めの状態と、今の状態。明らかに肌は元の白さに近づき、降り注ぐ太陽光は透過する量を減らしている。殆ど色の入っていない透明なレンズのようだった俺の肉体は、今では明らかに減光物質へと性質を変えていた。

 そして、その変化は主にこの練習場所に来てから今までの間におきている。

 注意深く俺を観察していた希にはそれが分かったのだろう。

 

「そう、やんな……。だとすれば」

 

 険しい顔で紡ぎ出そうとする結論。

 しかし、希の言葉を引き継いだのは、何食わぬ顔で立ち上がった裕介だった。

 

「古雪先輩が元の姿に近づいた分、僕の身体が薄れたと考えたら説明はつきますね」

「っ!?」

 

 やけに強く耳朶を打つ、彼の然程大きくない声。

 

 まさか、そんなことは……。

 

 全員の間に驚きと緊張が走る中、裕介はあくまで冷静に持論を展開していく。そして、それは聞けば聞くほど論理的で正しいと思われる話だった。

 

「おかしいと思ってたんです。どうして高坂たちは、今日に限って古雪先輩の姿が見えるのか」

「……という事は、昨日も彼は私達の前に来たのかしら?」

「はい。絢瀬生徒会長の目の前まで古雪先輩は来ていました」

「道理で昨日一瞬、貴方が屋上に来た時に違和感を感じたのね」

「ウチも、少し気になっとったんや。そんなことが……」

 

 そういえば、一瞬だけこの二人は俺の方を向いたような気がする。元の世界での繋がりの強さ故か、他のメンバーよりは俺に反応しやすいのかもしれない。

しかし、だとすれば裕介が言うように今日になって全員から視認されるこの状況は明らかにおかしい。

 裕介はちらりと視線を俺に向けた後、呟くように続けた。

 

 

 

「古雪先輩が色を取り戻し、僕が失った。いえ、……少し言い換えましょうか。僕の失った色が、古雪先輩へと移った。そう考えれば辻褄は合う」

 

 

 

 しん。と、辺りが静まり返る。

 普段は気にもならない風の音が嫌に良く響いた。

 

――なるほど、確かにその通りかもしれない。

 

 動揺からその答えに辿り着くのは遅れたものの、恐らく俺も彼と同じ推測をしただろう。事実、俺の姿が前日と比べて濃くなっており、彼女たちにも見え初めているのだ。

 

「ウチも、三枝くんと同意見や」

「でも、どうして……?」

 

 花陽が不安そうにこぼす。

 

 そうだ。まだ、肝心の理由が分からない。

 希も険しい表情で俯いてしまった。

 

 俺としてもこの状況は想定外。勿論、この状況に来てしまった事自体想定外ではあるのだが、まさか俺の移動が祐介にまで影響を及ぼすとは夢にも思わなかった。

 帰る方法を適当に探して……などと、悠長な事を言っている暇はない。

 

 何か、ヒントが有るはずだ。

 

 俺はこの世界に来て、何をした?

 何を変えた?

 何が変わった?

 

 

「もしかしたら」

 

 

 誰もが黙りこむ中、裕介が口を開く。

 どこか物悲しそうな、低く、小さな声。

 

 

 

「もしかしたら、この世界は、僕よりも古雪先輩のほうを必要としているのかもしれませんね」

 

 

 

 一つの意見。

 確証のない回答。

 

 しかし、それにしてはあまりに真に迫る言葉だった。

 

「なっ!? 裕介!」

「ちょっ! あなた、何を言って」

 

 俺は思わず腰を浮かせ、彼を見る。

 が、酷く冷静な面持ちで視線を受け止められる。

 

 真姫は、俺よりも早く、顔色を変えて立ち上がっていた。

 

 

 

「だって、それ以外考えられない」

 

 

 

 有無を言わさぬ口調。

 俺達は黙りこむ他無い。

 

「僕に出来る事は、編曲だけだ」

「……」

「でも、古雪先輩。貴方はきっと、もっと大切な何かをそこにいる彼女たちにあげられるんだと思います」

「ちょっとまて、祐介、何が言いたい?」

 

 俺は身構える。

 

 もし仮に、彼がその先の言葉を紡ぐなら……。

 

 現状、何が原因で彼の体の色が失われたのか、その確たる原因は分かっていないし、もっというと俺と彼の間に相関関係があるかどうかすらハッキリとはしていない。勿論、その原因を究明するために各々の意見を出し合うことは必要だが。

 

 今、裕介が言おうとしている言葉は、俺の一番聞きたくない台詞。

 俺が今、一番この娘たちに聞かせたくない台詞だ。

 

「昨日、古雪先輩に強引に練習に連れて行かれて思ったんです。僕は何も出来ないって」

「そんなこと!」

「高坂、少し静かにしていてくれないか。……そして、先輩に色んな話、未来の話を聞いて考えました。僕に出来る事、出来ないこと」

「……」

「今日は、貴方の振る舞いを見てました。初対面でも、いや、先輩にとっては初対面では無いかもしれませんが、九人のメンバーを平等に見て気を使える。明るく、前向きな雰囲気を作って皆を乗せて行くことが出来る」

「それは……過大評価だよ」

「いえ、少なくとも僕にはそう見えました。そして、高坂たちもそう感じているはずです。だろう?」

 

 静かに、穂乃果たちに語りかける。

 彼女たちは戸惑いながらも、唇を噛んだ。

 

 確かに、裕介の言ったことは間違いではない。少なくとも、編曲などの技術を持たない無能な俺の役回りはそこにあった。見守り、盛り上げ、そして支える。

 だが、それは元いた世界のμ’sとの関わりあいであり、今ここにいる彼女たちとの関係ではない。

 

 しかし、彼はそうは考えていないようだ。

 

「どうして、僕まで透明になったのか。そして、どうして『廃校を阻止した世界』から『未だ廃校阻止を成せていない世界』に古雪先輩が来たのか。理由が知りたくありませんか?」

「廃校、阻止?」

「そうだ。南、この人は元いた世界で、南たちの悲願である廃校阻止を達成してるんだ」

 

 余計な混乱を避けるため、一応伏せておいた俺の元いた世界の話。

 

 メンバーの間に動揺が走る。

 ……最後まで、言うつもりは無かったんだけどな。

 

 俺は、若干の非難の意味を込めて裕介を睨む。

 が、彼は冷静にその視線を受け止めて言葉を続けた。

 

「貴方の姿を見て思ってしまったんです。僕の代わりに、この人がこの世界にいれば良いんじゃないかって。そうすれば、全て上手く行くんじゃないか。古雪先輩は、この世界の高坂たちを救うためにやってきたんじゃないか」

「……!?」

「それが、この結果です」

 

 両腕を広げて各々の顔を見渡す。

 少し小柄な彼の身体が、より小さく見えてしまった。

 

「僕は、μ’sに必要無いのかもしれない」

 

 そう、言い切った裕介の身体が色を失い一層透明さを増し、変化が見て取れるほどにはっきりと展開されていく。祐介の身体を通過した日光が、不快なほど強く網膜に焼きついた。

 と、同時に俺の身体に再び色が戻る。

 

 裕介はその事を確認し――哀しそうに拳を握りこんだ。

 

 今、確信する俺と裕介の相関関係。

 

 そして、間違いない。

 その関係を支配するのは彼自身の意志だ。

 

 彼が自分の存在意義を疑えば疑うほど、その体は価値を無くし、消えていく。

 

「そんなこ……」

 

思わず俺は声を荒げかけ……。

 

 

 

「ふざけたことを言わないで!!」

 

 

 

――絶句。

 

 俺の声が瞬時に飲み込まれる。

 

 真姫の怒声がビリビリと空気を揺らした。

 

 裕介はその声に驚き、固まる。

 真姫は今まで見たことないような厳しく、強張った表情を浮かべていた。俺は思わず言葉を失い、彼女を見守る。

 真姫は強く拳を握って祐介の眼前に迫った。

 

「西木野……」

「つまりはどういうこと!? 貴方が消えて、この人がこの世界に残るって言う意味!?」

「……。さぁ、消えるかどうかは分からない。別に、僕だって消えたい訳じゃないからな」

「じゃあ、なんでそんなこと!」

「仕方がないだろう。古雪先輩の方が僕よりも西木野達との関りにおいて重要な役割を果たすんだって、そう思った途端こうなってしまったんだから」

 

 あくまで冷静に裕介は返す。

 

 しかし、その声は僅かに震えていた。

 

 きっと彼の言葉は、俺達に届けるためではない。彼自身に言い聞かせるために紡がれてる。彼自身も納得なんかしたくないはずだ。自身の価値を疑いたくなど無いに決まってる。

 

 けれど、不自然なほど多く、彼に今の意見を抱かせる要因が揃いすぎた。

 

 

 俺の来たタイミング。

 俺の居た時間軸。

 俺が来た理由が分からないこと。

 この世界との差異が彼と俺であること。

 俺の世界では廃校阻止が成っていたこと。

 今、明らかに彼の存在が俺に侵食されつつあること。

 

 

 人間は理由を求める動物だ。

 そして――能力が高ければ高いほどその傾向は顕著になる。

 

 今、裕介が話した説。それが現段階において最も正しそうな意見であることは確か。

 

「この人が貴方より重要なんて、どうして分かるんですか!」

「……古雪先輩が、僕にないモノを持っているのは事実だ」

「……っ! だからっ! ソレとコレとがどう関係あるっていうの!?」

「真姫ちゃんの言う通りや。言葉を返せば、三枝くんだって古雪くんにないモノを持ってるってことやろ?」

「そうです。でも、僕が消えかけて彼が色を持ち始めた。この現象自体が、僕が必要ないという事実を示しているハズです。意味もなく人が別の世界に来ることなんてありえない。そして、よりにもよってその人は僕らの一番の願いの叶え方を知っていた。ここまで言っても、まだ分かりませんか?」

「……っ!」

「……」

 

 つっかかっていた真姫も、彼女に追従していた希も言葉を無くす。

 どちらも理詰めの人間であるせいか、言い返す台詞が見つからないのだろう。

 

 俺という存在が不必要なモノなら、わざわざこの世界に来る訳がない。きっと、穂乃果たちのためにやってきたはずだ。そして、俺がここにいるμ’sに最大限働きかけるためには、祐介が消える必要がある。

 

 

 至極シンプルな意見。

 

 

 だからこそ、正しいと思ってしまう。

 

 

 しかし俺からすれば、心底……下らない意見。

 なぜならそんなものよりも、もっと大切な論理があるから。

 

――さて、どうしたものか。

 

 ふぅ。

 小さく溜息を一つ。

 

 

「そっか、裕介の言い分は分かったよ」

 

 

 祐介のいぶかしそうな目線。

 

 彼らが話している間中、様々な事を考えた。

 彼のこと、元いた世界のμ’sの事、この世界にいる彼女たちのこと。色んな思考を辿って、色んな弊害や利益、その他諸々を考慮に入れて俺なりの結論を出そうと努力した。

 そして、俺は一つの答えに辿り着く。

 

「裕介」

「……」

 

 交錯する視線。

 この時ばかりは他のメンバーも固唾を飲んで俺たちを見守っていた。

 

「だったら、消えてしまえば良い」

 

 一気に空気が凍りつくのが分かった。

 ぴくり、と彼の眉が僅かに動く。

 

 しかし、俺は構わずに言葉を続ける。

 

「でも、俺がアイツ達にしてあげたことと同じことをしたとしても、きっと、この子達は自分達の目標を達成出来ないよ」

「……どういう事ですか」

「だって、ほら」

 

 俺は指で周りに立つμ’sの面々の顔を指し示す。

 見事に揃って、俺に向けて敵意の視線を送っていた。

 

 怖すぎだろ!

 試しに言ってみただけなのに、全員が全員臨戦態勢なんですけど!?

 

 まぁ。もちろんイタズラに今みたいな台詞を吐いたわけでは無いけどね。

 少なくとも俺は、『僕がやるんだ!』っていう確固たる想いを持つべきだと思うし、そうでなければ彼女たちを導くことは出来ない。そう考える。

 だからこそ、μ’sの前で、自分よりも役に立つ人間がいると言い切る彼を認めるわけにはいかない。でも、そんなことはあくまで俺の持論に過ぎないのだ。

 

 彼には彼のやり方がある。

 

 μ’sのダンス練習に参加しづらく思ってしまうのも言葉を返せば、彼の歌関連の貢献度の大きさに繋がる。上手く明るい会話ができない不器用な一面も、きっと、彼女たちにとってはこの世界の日常に変わっているのだろう。

 

 だから、それに関して偉そうに説教するつもりは毛頭ない。

 しかし、一つ大きな壁を超えた俺だからこそ気付ける事実だけは!

 

――伝えなきゃならないだろう。

 

「こんな顔した連中が俺の言うこと聞くと思う?」

「……先輩に付いて行けば廃校を阻止できると確信すれば、きっと」

 

 違う。

 そういう問題ではないんだよ、後輩。

 

 俺は言葉を返そうとして……。

 静かに口を閉じた。

 俺はどうやら黙って見ているだけで良さそうだ。

 理由は単純。

 

 俺が喋るまでもなく、

 

 

 

「そういう問題じゃないわよ!!」

 

 

 

――この子達が黙っちゃいない。

 

 

 再び響く、真姫の怒声。

 彼女の、涙混じりのその声は明らかに祐介の感情を大きく揺さぶった。

 そして、その声に全員が一斉に頷き、高坂穂乃果が。……μ’sのリーダーが前に出る。

 

「そうだよ。三枝くんは勘違いしてる」

「勘違い? 僕は間違っていることは何も」

「間違ってるよ」

 

 穂乃果にしては珍しい、相手の意見を真っ向から否定する有無を言わさぬ姿勢。

 裕介は彼女のその態度に、思わず、といった様子で言葉を失った。

 

 穂乃果の言葉を引き継いで、ことりが彼に語りかける。

 

「ことりたちは、廃校を阻止するためにこうして頑張ってる。それは本当だよ? 私達が叶えたい一番の願い事」

「だったら……」

 

 だったら、僕ではなく古雪先輩が。

 そんな彼の小さな声はことりによってかき消された。

 

「私達は、廃校を阻止したい。大好きな音ノ木坂を守りたい。大好きな先輩と、大好きな友達と、大好きな後輩。皆を守りたいから、私達は踊ろうって決めたんだ」

「……」

 

 そこまで黙って聞いていた絵里が、ふわりと微笑む。

 

「三枝くん。まだ分からないの?」

「……」

「自分の事となると頭が固いのね、モデル生クン」

「もう、エリチ。意地悪な言い方はダメやで」

「ふんっ。それくらい言ってやったほうが良いわよ」

 

 続いて、希とにこが口を挟む。

 裕介は戸惑った様子で皆の顔と俺の顔を交互に見ていた。

 

「凛は、この十人で頑張るのが好きだにゃー!」

「わ、私も……三枝先輩の作ってくれる曲が、大好きです」

 

 いつもの様に楽しげに話す凛と、おずおずと手を挙げる花陽。

 

 二年生の、説得の言葉。

 三年生の、からかい混じりの優しい言葉。

 そして一年生の、素直な言葉。

 

 裕介が、終ぞ予想しなかったであろう言葉が紡がれていく。

 

 俺はどこか寂しいような、それでいて安心したような自分でもよく分からない胡乱な感情に身を任せながら彼らの様子を見つめていた。

――ふむ。どうやら俺はただの部外者らしい。

 

 そして、最後に海未が溜息をつきながら、困ったように笑った。

 

 

 

 

「私達が守る音ノ木坂学院に、貴方が居なくてはなんの意味も無いじゃないですか」

 

 

 

 

 その言葉を聞いてやっと、終始冷静で達観した様相を見せていた裕介の表情が動く。驚きとも、戸惑いとも……喜びとも取れるそれを見て、俺は一人頷いた。

 

 

 俺にも経験がある。

 主人公はあくまでμ’sであり、自分は補佐に過ぎないのだという感覚。

 きっと彼もそう考えているだろう。

 僕はあくまで編曲者。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 俺も同じ考えを持っていた。んー、下手をすればもっと酷いな。編曲者なんて言う立派なものではなく、ただの保護者かも……。そして、その考えは今でも根本的には変わっては居ない。

 

 しかし、それでも、一つだけ。

 

 元いた世界の彼女たちに気付かせて貰ったことがある。

 

「俺らは、なんだかんだいいつつ、愛されてるよ」

「……なんですか急に」

 

 裕介は呆れた様子でこちらを見てくるが、事実なのだから仕方がない。

 俺達が彼女達を大切に思ってくれているように、彼女たちも俺達に心をくれる。

 

 俺が笑えば、穂乃果も笑ってくれる。

 俺が落ち込めば、ことりが慰めてくれる。

 俺が怒れば、海未も共感してくれるし。

 俺が困れば、花陽がおずおずと手を差し伸べてくれる。

 俺が驚くと、凛も一緒になって飛び上がるし。

 俺が真面目な時は、真姫も参考書と真摯に向き合う。

 俺がからかえば、にこはすぐにノッてくれるし。

 俺が間違えると、絵里が叱ってくれる。

 そして、俺が一人で居ると、希がそっと寄り添ってくれる。

 

 きっと、この世界でも一緒なのだろう。

 μ’sの想いはきっと、祐介のもとにある。

 

――それが、何よりも大事なのだ。

 

「だよな? 西木野さん」

「うぇえ!? なんで私に振るのよ!」

「俺の知ってる君は、懐いてもない人間に自分の作った曲を弄らせるようなヤツじゃなかったし」

「そ、それは……三枝先輩、コッチを見ないでください!」

「ぼ、僕が悪いのか?」

 

 いいなぁ。

 俺も真姫とそういうやり取りしたい……。

 

 内心の嫉妬を追い払いながら言葉を紡ぐ。

 

 

「確かに、君の言ったことは間違いないよ。君にない力が俺にはあって、だからこそμ’sの力になれた。でも、もう分かるだろ?」

「……」

「俺じゃ、『この娘達』の力には成れない」

 

 俺の、素直な語りかけ。

 彼の、先程とは違った瞳の色。

 

 祐介は一瞬間を取った後、こくり、と頷いて穂乃果の方を見る。

 

「はぁ。どうしても僕を働かせたいんだな?」

 

 皮肉交じりの、どこまでも彼らしい台詞。

 

「うんっ。穂乃果は三枝くんと真姫ちゃんが作った曲じゃなきゃ踊りたくない!」

「……それだとただの我儘じゃないか」

「ごちゃごちゃ言ってないで、ニコのためにしっかり働きなさい。全く、幸せものよ? 宇宙ナンバーワンアイドルのニコちゃんの傍であろうことか編曲を……」

「急に消える気満々になってきました」

「ちょぉっと!! それどういう意味!?」

 

 やいのやいのと楽しそうに掛け合いをする面々。

 俺はそれを一人寂しく菩薩のような顔で見守っていた。

 いいなぁ。いいなぁ。

 

 そして、彼の冗談交じりの言葉とは反対に、俺の身体から色が失われていくのが分かる。

 

 先ほどとは全く逆のカタチで現れる相関関係。

 どうやら彼は、本当の意味で彼女たちの想いを理解しつつあるらしい。

 

 俺は安心と、少しの寂しさをのせて僅かに微笑んだ。

 

 そんな時、ふと感じる視線。

 

 振り返った先でちらり、と希と目が合うと、申し訳無さそうに頭を下げられてしまった。

 別に何かされたわけでは無いのにな。俺は軽く笑いながら頷くと、二歩三歩と皆から距離を取る。

 

「古雪先輩」

「なに?」

 

 裕介は僅かに考えこむ素振りを見せた。

 

「それでも、僕は、貴方の方が適任だと思います」

「あぁ。もしかしたら、そうかもな」

「でも」

 

 交錯する視線。

 そこには彼の色んな感情が含まれていた。自分の目指す場所に立った先輩への羨望。別種の魅力を湛えた同性への尊敬。そして、初めて見る、燃えるような対抗心。決意の色。

 静かにそれを受け止める。

 

 こういう目をする人を、俺は何度も目にしたことがある。

 穂乃果や絵里。そしてμ’sの皆。

 

 確固たる何かが胸に芽生え、何かを決めた、そんな力強い瞳。

 

 裕介。

 俺は君とは全く違う道を選んで、違うやり方で道を開いてきた。だからこそ、君の選んでいく道が全て正しく、良いものだとは思わないし、君のμ’sとの関わり方だって全てを肯定するつもりは毛頭ない。

 

 しかし、これだけは自信を持って言える。

 

 

 この僅かな時間で俺は君の色んな部分を垣間見てきた。

 

 でも。……でも、俺は一度も、君に失望したことは無いよ。

 

 

――心の底から期待してる。

 

 

 君なら出来ると。迷いなく断言できる。

 

 もちろん、言葉にはしない。

 きっと、彼はそんな優しい言葉を俺に求めちゃいないから。

 

 だからこそ俺は彼の言葉を静かに待った。

 

 

 

「ここは僕の居場所みたいです」

 

 

 

 さほど通りの良くない、変声期をこえた少年の低い声。

 しかし、彼の言葉は確かに俺に届いた。

 

 彼の決意に呼応して薄れゆく俺の身体、混濁していく意識。

 

「君と取って代わるために俺はここに来たのかもしれないのにな?」

「僕はその案を推してるんですけどね」

「……随分とハッキリ、却下されたみたいだけど」

「はい。言って聞くような連中じゃ無いことくらい、分かってたはずなんですけど」

 

 揃って裕介の周りに立つ彼女たち。

 十人と、少し離れて、俺。

 

 その僅かに空いた空間はどこまでも広く、どこまでも遠かった。

 きっと、俺では手が届かない。

 

 

 そう思わせるだけの何かがそこにはある。

 

 

 元の世界に帰る方法。

 ようやく理解する。

 

 彼が、自身の価値を理解すること。

 彼が、今まで以上に穂乃果達を大切に想うこと。

 

 

 

 そして、この世界の絵里が、希が……μ’sの皆が。

 俺ではなく彼を選び取ること。

 

 

 

「ようやく、俺は帰れそうだな」

「別に、来てくれなんて誰も頼んでないですからね」

「ホント、君も口が減らないよなぁ」

「……古雪先輩にだけは言われたくないんですが」

 

 無駄口を叩きながら、最後の時を待つ。

 

 元の世界への扉を開く鍵は、彼が握っているのだ。

 

「ま、コレでお別れだし、多目に見とくよ。後輩」

「……。はい。それでは、サヨナラです」

 

 俺は小さく微笑み、祐介は頷く。

 その鍵は彼にしか回せない。

 

 すぅ。と、小さく息を吸う音が喧騒の中小さく響いた。

 

――そして。

 

 

 

「古雪先輩、貴方は……この世界に必要ない」

 

 

 

 その瞬間、確かに扉が開かれた。

 

 全てを理解した彼の、俺が心待ちにしていた言葉。

 

 

 その通りだ。

 俺は精一杯いたずらっぽく、ニヤリと笑った。

 来た時よりも体の色は抜け落ち、μ’sの面々は俺の姿を見失って慌てている。

 

 もう、彼女たちが俺を認識できないレベルにまで薄まっているハズだ。

 

 意識がぼんやりとして、もうロクに頭が働かない。

 

「……ありがとうございました」

 

 裕介の口から溢れる言葉。

 

 別に、お礼を言われることは一つも無いよ。

 勝手にやってきて、勝手に掻き乱しただけ。

 

 しかし、今は来て良かったと思ってる。

 大切な何かを教えてもらったような。

 大切な何かを伝えられたような。

 

 かけがえのない出会いが、あった気もする。

 

「もう、会えそうに無いですね」

「……あぁ」

 

 間違いない。

 俺たちはもう二度と、出会うことはないだろう。

 

「……」

「……でも、いつか」

 

 振り絞る声。

 まだ、届く。

 

 

――届け!

 

 

「いつか、ちゃんと確認しに来るからな」

「……」

「君が、その娘達を幸せに……!」

 

 

 

――暗転。

 

 

 

 言い終わることなく意識が吹き飛んだ。

 

 でも、最後のその瞬間。俺が突きだした拳に彼のそれが少し荒っぽくぶつかった感覚と、俺の最後の台詞に重なるように届いた彼の言葉だけは覚えている。

 

 

 

 

「さぁ、どうでしょう。一応……全力は尽くします」

 

 

 

 

 彼特有の、少し斜に構えた台詞。

 しかし、俺は満足だった。

 

 

 

 

――裕介ならきっと!!

 

 

 

 

 俺は楽しみにしてるよ。

 俺の居ない世界で紡がれる、君の物語を。

 

 

 俺は負けないよう、俺の……。

 

 

***

 

「……菜! ……海菜!!」

 

 誰だよ、うるさいなぁ。

 嫌に聞き慣れた声が脳内にガンガンと響き渡り、微睡んだ意識の中、ひたすらに再びの睡眠を試みる。ったく、人が寝てる邪魔をするなって。

 

「うわぁ。グッスリやん」

「ちょっと、凛。氷持って来なさい」

「了解だにゃー!」

「ちょっと、ニコ。何をするつもりですか?」

「海菜さん、寝顔可愛いかも。ね、穂乃果ちゃん」

「うん! ことりちゃん。写真とっても怒られないかな」

「あ、あのー、あんまりイタズラすると後で仕返しされるんじゃ……」

「はぁ……、花陽。どうせ止めても無駄なんだから放っておきなさい」

 

 パシャリ。

 

 不快な音と、フラッシュを感じた。

 一瞬目の前がまぶたを通した光で紅く染まる。

 

 しかし、眠気だけに支配されている俺はうめき声を上げるだけで、なんとか眠りの世界に戻ろうと身体を丸めた。

 そして、シャツの首元を引っ張られる感覚。

 

 なんだ、誰だよ。

 鬱陶しい。

 

 苛立ち紛れに寝返りを打とうとするものの、服を引っ張られているせいか上手く動けない。

 そして、……次の瞬間。

 

「……!! つ、冷たぁっ!?」

 

 唐突に背中を襲ってきた、刺すような冷気に驚いて飛び起きる。

 何が起きたのかわからないまま、ただただぴょんぴょんと飛び跳ねて背中の異物を取り除こうとしていた。すぐに、カランという軽い音を立てて、溶けかけの氷がシャツの下から落ちてくる。

 

「あははは! 良いリアクションするわねぇ」

「に、にこ……お前」

 

 ギロリ、と爆笑する同級生を睨むものの、すぐに距離を取られてしまった。

 身体二つ分離れた位置でニヤニヤしながら俺の表情を伺っている。

 

 あのアマ……。

 

 どうやら、俺は寝てしまっていたらしい。

 くぅ。隙を見せた俺が悪いのは明白か。

 

 俺は若干反省しつつも、当然黙って諦めるタイプでは無いのでにこを追いかけ回す。

 

「穂乃果ちゃん、さっきの写真ことりにも頂戴ね♪」

「うん、今送るね!」

 

 なっ!?

 もしかして寝顔の写真も取られてた!?

 

 しかも本人の目の前でやり取りしてんじゃねぇよ!

 

「はぁ……」

 

 溜息一つ。

 

 ちょこまかと逃げるにこを追いかけるのを諦め、振り返った。

 

 いつもと変わらない笑顔を浮かべる絵里。

 穂乃果とことりは嬉しそうにスマホを弄っているし、海未は少し申し訳無さそうに俺に向けて頭を下げている。

 花陽と凛は追いかけっこをしていた俺とにこを見て笑い、真姫は呆れたように首を振っていた。

 横には軽く首を傾げながら俺を見つめる希と、その後ろに隠れるにこの姿。

 

 

 九人と一人。

 

 

 しかし、その間に不思議と距離は無かった。

 

 不意に浮かぶ、彼女たちと俺とを壁が隔てるイメージ。

 あるはずがないその隔絶を、頭を振ることで強引に忘れる。

 

 

 なんだか、長い夢を見ていた気がするな。

 

 何か、大切な出会いがあったような気もするし、なにか大事なことを教わったような気もする。でも、俺は上手くその事を思い出せなかった。まぁ、夢なんて言うのは往々にしてそういうものだろう。

 思い出したい情景も、思い出したくない状況も、全て忘れ行く。

 

 俺は無意識のうちに自分の手のひらを見つめていた。

 軽くごつごつとした、帰宅部らしい白めの肌。

 何故か、少しだけ安心する。

 

 もし仮に、自分が透明だったなら。などという下らない妄想。

 

 

 しかし、一つだけ、数分前、数十分前の自分と違う部分があった。

 

 

「どうしたの? 海菜。練習中に昼寝なんて、らしくないわよ」

「そうやでー? ウチらの事、ちゃんと見てくれないとダメやん」

 

 

 幼馴染と、その親友の言葉。

 かけがえのない絆。

 

 この娘達を支えるのは、紛れも無く俺の果たすべき役割だ。

 そんな、出処の分からない確信。

 

「あぁ。そうだな」

 

 不思議な事に、なぜだか凄く、彼女たちの事を愛しく想う。

 相変わらず生意気だったり、天然だったり、すぐ怒ったりするけれど。

 

 

 

 でも、今まで以上にμ’sを大切にしたい。

 それが、この世界に俺がいる意味に違いない。

 

 

 

 そうだろう?

 

 

 

 

 

 

 

――裕介。

 

 

 

 

 

 

 

 俺は小さく彼の名前を呟いて。

 笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Fin

 

 

 

 

 

 

 

 




お疲れ様です。
さて、いかがだったでしょうか。

最後まで読んでくださった方。
そしてコラボしてくださったkazyuki00さん。
本当にありがとうございました。


このコラボ回に関しては私自身、様々な想いを込めて書いたつもりです。
ですから、読者の方々がこの話をどう捉えるのか。凄く興味がありまして。

もしここまで読んでくださった方。
お時間が許すなら、少しでも面白いと思ってくださったのなら。もしくは批評すべき点があるのなら。感想頂けると本当に嬉しいです。

ぜひ、今回だけでもよろしくお願いします。

そして。

このコラボを書くにあたっての私の考え、そして読者様に伝えたいこと。
それらを私のページの活動報告の方へまとめさせて頂きました。
とくに『コラボ』に関して否定的な意見をお持ちの方に読んでいただきたいと考えております。

それでは、また。本編でお会いしましょう。
失礼致します。

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