【矢澤にこの夢】
ピーンポーン。
少しばかり黒ずんだインターホンを押すと、扉の向こうで慌てたような物音が聞こえた。そして数秒の間の後、ゆっくりと鍵が開く。俺が会いに来た人物、矢澤にこ本人が顔だけ覗かせた後、呆れたようにため息をついた。
「はぁ……」
「よっ!」
「……よっ!じゃないわよ。わざわざ家にまで来て何の用よ」
「説明が必要?」
「……いらないわ。ほら、入りなさい」
にこはジトっとした目でしばらく俺の顔を眺めた後、諦めたように視線を外してドアを開けた。そのまま早くしなさいと手招きしながら、俺の靴を置けるスペースを手際よく開けて奥の部屋に歩いて行く。
俺は元気よく挨拶してくれたこころちゃんやここあちゃんに軽く手を振ってから、にこの部屋に入った。相変わらずアイドルグッズに溢れた騒がしい部屋だ。天井にまでポスター貼ってからに……夜目があったりして怖くならないのだろうか?
「お茶の準備なんて出来てないわよ?」
「あぁ、お構いなく。話すんだらすぐ帰るつもりだし」
「そ。まぁ適当に座って頂戴」
にこは手直にあったクッションを投げてよこすと、自分はベッドの端に腰を下ろした。俺はお言葉に甘えて目の前の位置に胡坐をかいて背負っていたスクールバックを床に置く。必然的ににこを見上げる体勢になってしまい若干腹が立ったが、今は我慢することにした。
「あんたも律儀な奴ね……もしかしてメンバー全員の話を聞いて回ってるの?」
「んー。まぁ、そのつもりではいるけど」
「相変わらず変にマジメな奴。でも……ふんっ。アンタが自分の時間を割いてまで力を入れるほどの価値が今の穂乃果にあるとは思えないけどね」
にこは一瞬俺に対して申し訳なさそうな視線を送った後、気が付いたように視線を外してそう吐き捨てた。その冷たく突き放すような口調から、彼女が心底穂乃果に対して激昂していることが伺える。
だが、それも無理はない。
矢澤にこ。実は彼女。μ’sの中ではかなり異質な存在であったのだ。
二年生とにこ以外の三年生がμ’sとして活動していた一番の理由は『音ノ木坂学院を存続させるため』といったものであり、極論を言えばそれさえ叶えば手段は必ずしもスクールアイドルである必要はなかったとも言える。そして、一年生はμ’s、もしくはスクールアイドルへの漠然とした憧れから入部を決めていた。
凛にせよ真姫にせよ『スクールアイドルがやりたい!』といった確固たる意志は持っていなかった。そして花陽も決意というよりかは憧れからくる動機を持っていたように思われる。
しかし、にこは違う。
メンバーの中で唯一『絶対スクールアイドルがやりたい』という目標を掲げて入部した女の子だ。だからこそ、音ノ木存続という夢を全員と共有しながらも、それと同じくらい大事な目標として『ラブライブ出場』を目指していたのだろう。
その分、怒りは大きい。
他のメンバーが穂乃果の下した決断に対して戸惑いや焦りを示しているのとは対照的に、この子は明らかな怒りと失望をあらわにしていた。今も悔しそうに下唇を噛みながら、泣き出しそうに震えている。
「そうかもな」
「……」
「でも、あの子が本気でそう言ってるんだとしたら、だけどね」
「本心であろうとなかろうと、諦めの言葉を口にした時点で論外よ」
「う……厳しいな?」
「もちろんよ!アイドルなめんじゃないっての!」
一瞬、なんとかなだめようとはしてみたが全く取り付く島もない。
俺は小さくため息をついて、この子のいう事ももっともだと頷く他なかった。
「で、結局アンタは何しに来たわけ?もしかしてμ’sを辞めない様説得しに来たわけじゃないでしょうね?だとしたらお断りよ。やる気のないグループになんて死んでも居たくないわ」
「違う違う。落ち着いて話を聞いてくれって」
「落ち着く?これが落ち着いていられるかってのよ!にこはあの子が本気でアイドルやろうと思ってたからこそμ’sに入ったの!」
「あぁ、分かってるよ」
「なのに……もうアイドルを続ける意味がないって……これじゃ二年前と一緒じゃない」
「……」
にこは乱暴に赤くなった目を擦ると自嘲気味に微笑んだ。
「こんなこと、アンタに言ったって仕方ないわよね。結局、信じたにこが悪かったのよ」
「そんなことは!」
「そんなことは無い!なんて言うつもり?にこなんかよりよっぽど頭が良くて周りが見えてるアンタが分かってないハズなんてないでしょ」
「……」
「ことりは留学するの。穂乃果はきっと戻ってこない。μ’sは、終わりよ。μ’sが部長であるにこのお陰で一つになってた、なんて言う程にこだって自惚れてないわ。穂乃果がやめるというなら、それはμ’sの終わり。これはもう決まってる。でしょ?」
息継ぎもせぬまま言い切ると、にこは諦めたように笑う。
なにか言い返したい。そんなことない、まだ諦める必要なんてない!そう言いたいと心が叫ぶ。でも……涙を見せまいと目尻を拭い続けるにこを前にして、俺は何一つ言葉にすることは出来なかった。
にこはその場の重苦しい雰囲気を断ち切るようにポンッと膝を叩くと、顔をあげ、口を開いた。
「にこはとりあえず、全員にアイドル続ける意思があるか聞いてみるわ」
「……ってことは、続けるんだな?スクールアイドルは」
「もちろんよ。たとえ一人になっても続けてみせる。一度諦めた夢をもう一回拾い上げたのよ……こんな事くらいで捨てることなんて出来ないわ」
「そっか。分かったよ」
にこが選んだのはやはりスクールアイドルを続けるといった道だ。
その目に浮かぶのは悲壮な覚悟。
「アンタは……古雪はどうするの?」
その時、今日初めてにこが弱々しい声を発した。
俺が家を訪ねてからずっと、吐き捨てるように、あるいは振り切るように淡々と涙を堪えながら言葉を紡いできた彼女が。かすれた、すがるような声色で俺に問う。捨てられた猫のような寂しさを湛えた瞳。
「サポート位はするつもりだけど。……余計なお世話か?」
「……ふんっ」
全く、相変わらず生意気な奴。
素直にありがとうって言えば良いのにな。
俺はそっぽを向いて涙を拭うにこの横顔を見て静かに笑った。
それでも、俺にはまだ追いかけたい夢がある。
たとえにこに罵倒されても、泣かれるとしても……言わなきゃ。
「でも、俺は諦めてないよ。俺は……まだ!」
「……」
「俺はμ’sの歌が、踊りがもっと見たい。だから、諦めない」
「……はぁ。正気?誰がどう考えたって無理じゃない」
「でも、きっと可能性はゼロじゃない。どうせだから足掻いてみせる」
「アンタ、冷静そうに見えて実はバカよね」
「シャラップ!赤点ギリギリの君にだけは言われたくないわ!」
「そういう事を言ってるんじゃないわよ!……でも、まぁ」
呆れられて追い出されるかと思ったが、どうやらそれは無いらしい。にこはかぶりを振ってかつ、ため息をつきながらも俺の顔を見て困ったように笑った。
「アンタのそういう所嫌いじゃないわよ」
「……」
「アンタがそう言うなら、少しだけ期待して待っておくわ。にこも……。にこだって本当はこれからもμ’sで居たいんだから」
五人の夢は……同じ。
【小泉花陽と星空凛の夢】
「かーいーなー先輩!!」
「はわわ、凛ちゃん!あんまり大きい声出したら迷惑だよぉ……」
にこと話をした数日後、俺は待ち合わせの場所に数分遅れで到着した。するとすぐに少し離れた場所から聞きなれた後輩の声が届く。いや、ラインとかで呼ぶ、もしくは直接俺のところに来て背中を叩いたりしてくれた方が良いんだけどね……。視線が痛いし。
俺は苦笑いを浮かべながら、遅れてすまんと片手をあげた。
「もー、遅いですよー?」
「ごめんごめん……」
「い、いえっ。私たちも今来たところですから」
「あー、また!かよちんは海菜先輩に甘すぎるにゃ」
「そ、そんなことないよぉ」
二人とも思っていたよりも元気そうだ。ま、それもそうか。色々とこの子達も考えただろうが、にこや希に比べれば心理的なダメージは少ないはず。少なくとも楽しく笑い合えるくらいには回復しているらしい。
「ところで、どこに行くんだっけ?」
「ふっふっふ、知りたいですか?」
「そりゃ、集合までしたんだからそろそろ教えて貰わなきゃ……」
この子達とも話をしなくちゃな、と思っていた矢先。急に凛から連絡が来たのだ。要件は花陽と俺と自分の三人で遊びに行きましょう、との事だけで詳しくは聞かされていない。単純に遊ぶって言われても、二個下の女の子と出来ることなんてあるかなぁ?
多少の不安を抱えつつも、話を聞くのにも丁度いい機会だと考えて来てはみたんだけど……。
「えっと、これにご一緒して貰おうと……」
おずおずと花陽が取り出したのは三枚のチケット。
刻まれているのは『ラブライブ』の五文字。……って事は、まさか?
「もしかしてライブ見に行くの?」
「正解にゃ!正確に言うと、ライブビューイングですケド!」
「らいぶびゅーいんぐ?」
「ライブビューイングとは簡単に言うと、ライブの中継を別の会場で見て盛り上がるといったものです!会場に行けなかった人も楽しめる素晴らしい試みで……」
「あ、分かったから花陽。そのライブビューイングとやらの歴史まで語らなくて良いからな」
「はぅっ」
「かいな先輩もだいぶかよちんの扱いに慣れて来てるにゃー」
キラーンと両目を光らせて説明モードに入った花陽を押しとどめて俺は納得したように頷いた。そういえば今日ラブライブの開催日だったっけ。μ’sが出られなくなった以上、もともとアイドルに興味の薄い俺はすっかり忘れてしまっていた。
それにしても、何で俺が誘われたんだろう?
ふと疑問に思って聞いてみた。真姫とかでも良かったように感じるけど。
「で、なんで俺を?」
「最初はにこちゃんが来る予定だったんですけど、おととい急に『にこは会場のチケットをゲットしたから行かないわ。代わりに古雪を連れて行きなさい』って。折角だからかいな先輩と遊びたいなってかよちんと話したんだにゃ」
「なるほど……」
本当に会場のチケットが手に入ったのかどうかは分からないが、にこが気を利かせてくれたのは確かだろう。俺は心の中で彼女に感謝して、いつも通りの笑顔で顔をあげた。ま、心配せずともにこは自力でライブのチケットを確保しているだろう。案外そこらへんに居るかも知れない。
「で、場所はどこ?」
「あっ、はい!UTX前に簡易ステージが用意されるらしいです」
「まじか!やっぱ規模が違うな……」
「そうですね!なんせ、予選をぶっちぎりの一位で通過した優勝の最有力候補ですから!もちろん二位だった……」
「よし、時間もなさそうだし行こうか」
「了解にゃ」
「待ってよ凜ちゃん!海菜さん!」
再び二位のアイドルから、放っておいたら二〇位までのグループ全員分の解説をしてくれそうな花陽を軽くスルーして歩き始めた。まさかラブライブの本選を見る機会が出来るとは思わなかったけど……折角なので楽しもうかな。
それに、この子達の選ぶ道も知りたい。
早く早く!と手を振る凛に、後ろから慌てて追いかけてくる花陽。
一体この子達はこれからどうするつもりなんだろうな。
俺達は数分ほどくだらない話をしながら歩いていた。
UTX前には既に行列が出来ていて、バカでかいスクリーンに別の場所にある会場の様子が映し出されていた。しばらく行列に並んでいると、全員が一斉に動き出す。俺達ははぐれないよう気を付けて、流れに身を任せて進み始めた。
いつの間にか画面は、出場グループの紹介映像に代わっている。
さすがに何度もサイトをチェックしていたせいか、ほとんど名前の知っているグループばかりだ。どうやら最後のライブで一気に順位を上げて本戦参加に名乗りをあげた子達もいるらしく、ちらほら知らない名前も交じっていた。
そして、『ラブライブ』が……始まる。
盛大な音楽と共に、出場校二〇校のメンバー全員が姿を現した。
きらびやかな衣装に身を包み、会場を、そして何キロも離れたこの場所の観客のボルテージをも跳ね上げさせる。緊張している人、余裕そうな人、いろんな女の子が居たが、全員自信に満ち溢れた顔をしていた。
「うわぁ……かよちん、凄いね」
「うん……」
花陽と凛は呆けた顔で互いの手を握り合いながら画面にくぎ付けになっていた。
「これって、すぐに演技に入るの?」
「……はっ!い、いえ、まずは順番をくじで決めるんです」
「へぇ……何番目に当たるかも重要だもんな」
花陽の言葉通り、グループの代表者二十名が前に出て次々にくじを引いて行った。三番、一二番、八番と中途半端な数が続く。そして四人目の代表者が一歩前に出て、顔をあげた。
瞬間。
ほんの、ほんの一瞬ではあったが、会場全体が静まり返る。
意識すら出来ないようなその刹那の静寂。
しかし、確かに俺は、そこに立つ一人の女の子の存在に圧倒された。
『さて、次は優勝最有力候補のARISE!その若きリーダー、綺羅ツバサちゃんです!』
瞬間、沸き上がる歓声によって体の硬直が解ける。
今のは……?
戸惑いと共に周りを見るが、綺羅ツバサに夢中の観客たちは拳を振り上げて歓声を送るのに夢中で何も気が付いていなさそうだ。凛や花陽も同様で、楽しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねている。
一度ARISEのライブを見たことはあるが、こんな圧倒される感じは無かった。……なんていうのだろうか、絶対に勝ちようのない強大な存在に出会ったような。心臓を丸ごと掴まれたかのような感覚。
『出来れば、トリで踊ってみたいな!』
気が付くと、綺羅ツバサは進行役の「何番目が良いですか?」という問いにそう答えていた。そしてそのまま、無造作に箱の中に手を突っ込む。その様子をみて、俺は直感した。否応もなく理解する。
まず間違いない。
引き当てる。
根拠はない。でも、確信していた。
圧倒的な才能は全てを引き寄せる。きっと、運命は平等じゃない。
彼女が高く掲げた丸い玉には『LAST』の四文字。誰が勝つかなんて、その時点でもう全部分かってしまった。以前知り合ったARISEのメンバーであるエレナ。あの子ほどの人物がリーダーと認めるだけはある。
ラブライブ第一回大会。
優勝は……ARISE。
***
「はー。やっぱりARISEは凄かったにゃー」
「蓋を開けてみたら圧勝だったな」
「はい。他のグループも凄かったんですけど……」
ライブビューイングを堪能した後、俺達は近くにあったファミレスで休憩がてら感想を言い合っていた。それにしてもホント圧倒的だったな。ダンスの迫力、歌の力強さや繊細さ、ありとあらゆる要素を見てもARISEに勝っていたグループは無かったように思える。
それほどまでに彼女たちは完成されていた。
「これじゃ、もし出場しても勝てっこなかったね」
「えー、そんなことないよ!凛たちなら分からなかったハズにゃ。ねー、かいな先輩?」
「……」
俺は凛のその言葉に黙って困ったような笑顔を返す。
すると、二人の表情から笑顔が消えた。
「出来れば、出たかったね……」
「凛ちゃん……そうだね」
二人はお互いを慰めるように肩を寄せ合って、寂しそうに下を向いた。叶うのなら二人にはずっと笑顔でいて欲しいけれど、これからの話は絶対に避けて通れない。辛い事だけど、だからこそ向かい合わなくては。
俺は、静かに本題を切り出した。
「二人は、これからどうするの?」
「凛たちは……」
凛と花陽は一瞬顔を見合わせた後、決意のこもった眼差しで口を開いた。
「実は凛たち、一緒にスクールアイドルやらないかってニコちゃんに誘われたんです」
「それで、今日までずっと悩んでたんですけど……やっぱりアイドルやりたいなって」
そっか。
君たちはそちらの道を選ぶんだな。
俺は黙って頷いた。
「今日のライブを見て思いました。やっぱり、皆すごいなぁって」
「でも、同時に凛たちも出たい!そう思ったにゃ!だから……」
「うん。良く分かるよ。多分にこも同じことを考えてる」
「でも……」
二人はそう呟くと、黙って視線を交し合う。
そして、代表して花陽が自身の想いを吐露した。
「出来ることなら……μ’s皆で」
七人の夢は……同じ。