ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第五十八話 その背中を

 現在時刻は夜の十一時、私はしょんぼりと肩を落としながら海菜さんが家にやってくるのを待っていました。少し物が減ってスペースが広くなった部屋の中で一人、ぼうっと椅子に座って窓の外を見ています。

 昨日海菜さんに連絡を入れたところ、やはり塾で夜遅くなりそうだとやんわりと断られてしまいました。でも、どうしても話したいことがあるって言うと、夜遅いから彼がウチに来るという約束でOKしてくれて……。

 

 多分そろそろ来るころかな?

 

 コンコン

 

「ことり、ちょっといいかしら?」

「お母さん。いいよ、入って」

 

 唐突に鳴り響いたノック音に答えると、すぐに扉が開いた。

 すると、先ほど仕事から帰ったばかりのお母さんがスーツのまま姿を現す。心なしか頬の血色が良い。それにはもちろん理由があって……。

 

「ことり、学校の貼り紙は見た?」

「うんっ!音ノ木坂学院、来年度まで存続することに正式に決まったんだね」

「えぇ、本当は一番に知らせてあげたかったんだけどね。実の娘とはいえ、正式な発表までは……」

「全然気にしてないよ。サプライズみたいで楽しかったかも」

「そう、なら良かったわ」

 

 私の言葉にお母さんはにっこりと笑って頷いた。

 

 そう、いい知らせが一つ。

 

 ついに音ノ木坂学院の存続が正式に決定したんです!一応、オープンスクールの結果が良かったことからほぼ決まってはいたんだけど、正式な発表は今回が初めてでした。嬉しかったなぁ、絵里ちゃんなんて柄にもなく泣いちゃってたし。

 ぽろぽろ涙を流しながら海菜さんに電話を入れてる姿を見ると、私もなんだか泣けてきちゃった。きっと、私の知らない深い絆があの幼馴染二人の間にはあるんだなって。まぁ、結局、涙声で何一つ絵里ちゃんの言葉を聞き取れなかった海菜さんが『もらい泣きしそうだから希に代わって!せめて君が泣いてる理由知ってから泣かせて、恥ずかしいから!』なんて電話越しに叫びながら慌ててたんだけど。

 

 それにしても。

 

 

 幼馴染か……。

 

 

 私は、小さなころからずっと一緒だった二人の友達を思い浮かべる。

 瞬間、深い後悔と悲しみがこみ上げて来た。

 

「ことり、あのことはもう穂乃果ちゃんには話したの?」

「うん、今日話して来たよ」

「そう……分かって貰えた?」

「……」

 

 私は、その問いかけに対して肯定も否定もしませんでした。

 

 今日の放課後、学校が存続させるという目標の達成を祝って開かれたお楽しみ会。その最中に、私は夏合宿頃から今までずっと皆に隠してきた事を告白したんです。厳密に言うと、海未ちゃんがいつまでたっても言い出すことが出来ない私の代わりに話してくれたんだけどね。

 でも、結局私は普段見せない悲痛な表情でどうして教えてくれなかったの!と訴えかけてくる穂乃果ちゃんに泣きながらほとんど言葉になっていない台詞をぶつけて、逃げてきてしまいました。

 

 

 そしてさっき届いたメール。

 

【from穂乃果ちゃん:ごめんね、ことりちゃん。私全然周りの事、見えてなかった】

 

 謝って欲しいんじゃないんだよ?

 むしろ、こんな大切なことを言い出す勇気がなかった私がいけなくて……。行き場のない後悔や悲しみに襲われて、私は静かに目を伏せた。お母さんは優しく私の頭を数回撫でた後、立ち上がって口を開く。

 

「これからお客さんが来るんでしょう?そんな顔してちゃだめよ?」

「うん……」

「ことりが初めて連れてくる男の子だもの。お母さんも楽しみにしてるんだから」

「そ、そんな関係じゃないよ?」

「分かってるわよ。でも、大切なお友達なんでしょう?こんな夜遅く、わざわざうちまで来てくれるような優しい先輩なんだから。俯いて迎えるような失礼なことをしてはいけないわ」

「……うん、そうだね」

 

 これから海菜さんには今日放課後、皆に話したことと同じことを伝えるつもりです。皆には、私から伝えるから教えないでって言ってるから何も知らずに来るはずです。そうだよね、別に、悪いニュースを伝える訳じゃないんだから。

 そう思い直して、顔をあげるとお母さんもにっこりと微笑んでくれた。

 

 ピーンポーン。

 

 鳴り響くインターホンの音。

 私たちは足早に階段を駆け下りて、玄関の扉を開いた。

 

「こ、こんばんは。すみません、夜分遅く」

 

 少し緊張した面持ちでお母さんに頭を下げる海菜さん。塾から直行してくれたのだろう、通っている制服のままパンパンに詰まったカバンを背負って彼は軽く一礼した。

 

「こんばんは、海菜さん。わざわざありがとうございます」

「こんばんわ。あなたが古雪くんね、ことりから話は聞いてるわ。いつもお世話になってるみたいね」

「いえ、そんなことないですよ……な、ことり」

「ふふ、そうですね」

「そこはお世辞でもお世話になってますって言えよ!」

「……あぅ!」

 

 こつん、と軽く私の頭に手刀をいれる海菜さん。

 お母さんはそんな私たちの姿を見て楽しそうに笑っていた。

 

「それじゃ、遠慮なくくつろいでいってね。大したおかまいは出来ないけど」

「いえ!夜も遅いので話がすんだらすぐお暇させていただきますから、お気遣いなく」

 

 私は申し訳なさそうな表情を浮かべる海菜さんを自分の部屋に案内した。

 そして、部屋に入って落ち着かなそうに身じろぎする海菜さんをベッドに腰掛けて貰うよう誘導する。本当は椅子や座布団やらを出すべきなんだけど、残念ながらそれらはもう荷造りし終えてしまっていた。

 

 海菜さんは怪訝そうな表情を浮かべて部屋を見渡している。

 そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「引っ越しでもするの?……やけに荷物が少ないし、あのダンボール」

「えっと……」

「でも、下の階は綺麗に片付いてたし……むしろ越して来たのかな?そんなことは無いと思うけど」

 

 海菜さんは不思議そうに聞いてきた。

 どうやって本題に入ろうかと思っていたけど、その時は思っていたより早く来てしまう。私は少しだけ緩んでいた気持ちを新たに締め直して、真っ直ぐに海菜さんの目を見つめた。彼は静かに見つめ返してくる。

 その綺麗な黒目は、ただただ真っ直ぐに私だけを見据えていた。

 

 深呼吸一回。

 まばたき二回。

 

 

「海菜さん。大事な話があるんです……」

 

 

 言わなきゃ。

 

 そんな気持ちが膨らむにつれて、逆に私の体はそれを言葉にするのを拒否します。

 今更何を、なんて怒られるのが怖くて、そして失望されてしまうのが嫌で……考えれば考えるほど数時間前の穂乃果ちゃんの表情がフラッシュバックして、私から声を奪っていきました。

 

 それっきり何も言わない私を不審に思ったのか、海菜さんは静かに小首を傾げます。

 

 そして彼はこくりと頷いて、少しだけ微笑んでくれました。

 私の緊張を和らげるために作ってくれたその表情。

 

 不思議と、強張った身体から力が抜けていきます。大丈夫、この人はどんな言葉も受け止めてくれるはず。私は人知れず両手を握り込んで再び顔をあげました。

 

 

 

「いきなりでごめんなさい。私……留学することになりました」

 

 

 

 言えた。

 息継ぎすることなく、私はずっと言えなかったその事実を言葉にしました。

 

「……!そ……そっか」

「はい……」

 

 大きく目を見開いて、驚愕の表情を浮かべた彼はしばらく視線を彷徨わせた後なんとか声を絞り出します。さすがに予想外だったのか、俯いて考え込んでしまいました。

 

 

 一分、二分とまだ残してあった時計が時を刻みます。

 

 

 しばらくして、彼はゆっくりと顔をあげました。

 

「何しに?」

「ずっと服飾の勉強がしたくて……お母さんの友達が声をかけてくれたんです」

「服飾……そっか。いつ、日本を発つの?」

「一週間後です……」

「!そりゃまた、急だね……」

 

 一瞬、一瞬だけど微かに彼の瞳に炎がちらついたように見えました。

 なんで今の今になるまで言ってくれなかったのか、そんな怒りを瞬時に飲み込んだような気配。多分、私がこんなギリギリまで言い出せなかった理由を察したんだと思います。それでも、やっぱり納得は出来ないのか考えに耽るように再び口を閉ざしました。

 

 私は再び頭を下げる。

 

「すみませんでした。今まで言い出せなくて」

「いいよ、色々ごたついてたもんね。でもいくつか聞かせて、留学の話は多分夏合宿の時には届いてたんだよな?」

「はい」

 

 私は合宿二日目の買い出しの最中、海菜さんにした質問を思い出していました。夢を叶えるためには友達と離れ離れにならなきゃいけない、そんな時海菜さんはどうしますか?って。

 彼はほとんど考える間もなく『夢』を取りました。

 その言葉が私の背中を少しだけ押してくれたのは確かで……。

 

「他のメンバーに言ったのは……今日だよね。朝、絵里、普通そうにしてたから」

「そうです、今日海未ちゃん以外の……穂乃果ちゃん達に報告しました」

「!穂乃果にも今日?海未もライブ前は知らないって言ってたし、さすがに……」

 

 さすがに、相談しなさすぎじゃないのか。

 彼はその言葉を飲み込んでじっと私の目をのぞき込んできました。黒曜石みたいに深く、綺麗で澄んだ瞳がなんとか私の気持ちを理解しようと静かに揺れます。そんな海菜さんの優しさに、私は申し訳なさとそれでも仕方がなかったのだという思いが交錯して、涙を浮かべながら声を絞り出しました。

 

 

 

「私は……私は穂乃果ちゃんに!」

 

 

 

 彼は私のその言葉で全て悟ってくれました。

 きっと、絵里ちゃんっていう幼馴染を持つからこそ理解できる私の気持ち。

 

「……うん。分かったよ。穂乃果に一番最初に相談したかったんだよね」

「……はい」

「そっかそっか、なら仕方ないな!」

「ごめんなさい……」

「謝らなくてもいいよ。君の気持ち、良く分かるから」

 

 私が夏合宿中、わざと回りくどい言葉で海菜さんに相談をしたのはたった一つの理由から。本当の事を一番最初に伝えたかったのは他でもない、初めてできたお友達の穂乃果ちゃん。それだけは決めていた。でも、それは叶わなくて……。

 結局今日まで先延ばしにしてしまった自分自身に自己嫌悪。

 

「穂乃果はなんて言ってた?」

「なんで言ってくれなかったんだって、怒られちゃいました」

「……だろうね。仲直りは、出来た?」

 

 放課後の事を思い出したら少しだけ涙が出て来て……私は静かに首を振りました。

 すると、海菜さんは困ったように微笑んで立ち上がります。そして俯いて涙をこらえる私の傍まできて、ぽんぽんと優しく頭の上に手を乗せてくれました。子供をあやすように軽く頭を揺らします。

 

「よしよし、ありがとね」

「ぐすっ。……?」

「辛いのに、ちゃんと報告してくれて。ありがと」

 

 静かに海菜さんはそう言って、私が泣き止むのを待ってくれました。

 

 少し時間が経って、涙も止まって……私はそっと顔をあげます。

 すると彼は、どうした?と首をかしげて聞いてきました。

 

 再び一呼吸。

 今日彼にわがまま言って来てもらったのには二つの理由がありました。一つは、この事実を大切な先輩である海菜さんにも伝えばきゃいけないって思ったから。もう一つは、この人に……いつもありのままの私たちを受け入れてくれる海菜さんに、この背中を押して欲しかったから。

 

 頑張れ、ことり。応援してる。

 その一言が欲しくって……。

 

 だからこそ、私はずっと聞きたかった質問を投げかけました。

 

 

 

「海菜さんは、私の事、応援してくれますか?」

 

 

 

 瞬間、初めて海菜さんの表情に戸惑いが浮かぶ。

 

「俺は……」

 

 私から視線を外して俯いて考え込む。

 しかし、私は、そんな海菜さんの様子を見て全て悟ってしまいました。

 

「海菜さんの本当の気持ちを教えてください。それが……聞きたいです」

 

 きっと、彼なら今の私の気持ちを察してくれてると思う。

 穂乃果ちゃんと分かり合えなくて、落ち込んだ自分の背中を押して欲しい。なんて口に出さないわがままをこの人は分かっている。それを知って尚、この人は今、悩んでいた。自分の想いをそのままこの子に伝えていいのか、それが本当に最善の方法なのか。

 

 嘘でも、不安そうなこの子の背中を押してあげるのが俺の役割ではないのか。

 

 半年間とはいえ、彼と一緒に過ごして来た私には彼のそんな葛藤が分かってしまいました。どうしようもなく優しい彼の心遣い。でも、私はそれに甘える訳にはいきません。

 

 その言葉に、海菜さんは観念したように顔をあげて再びまっすぐ私の目を見つめて来てくれます。その口から届けられる心からの言葉。私はそれに耳を傾けました。

 

 

「俺の意見は、夏合宿の頃から変わってないよ。自分の本当に叶えたい夢がそこにあるなら、俺は友達と離れ離れになろうと手を伸ばすべきだと思う」

「……はい」

「俺の言葉が君が日本を離れる決断を後押ししたとすれば、それは凄く寂しい事だけどその辛い決断をした君の背中を全力で押そう!そう……思ってた」

「……」

「でもね……」

 

 海菜さんは、静かに零れ落ちた私の涙を人差し指で拭って、続く言葉を紡ぐ。

 

 

 

「君が、泣いてるから……」

 

 

 

 悲しそうに、彼は言いました。

 

「この涙が、穂乃果とケンカしてしまった事からくるものだけだとしたら、俺は自信をもって君を送り出すよ。寂しいけど、全力で君の決断を後押しして見せる!」

「……」

「でも、ホントにそれだけなのかな?」

 

 優しく、問いかけられる。

 

 

 私は……答えられなかった。イエスともノーとも。

 

 

 私は……言えなかった。

『やり残したことは穂乃果ちゃんとのすれ違いの解消だけです』と。『それさえ解決すれば、私は自分の夢に向かって走り出せます』と。きっと、彼が聞きたかったのはそんな決意の言葉。

 

 でも、私にはそれが出来なくて。

 

「俺じゃ君の気持ちを全て分かってあげられはしないけど、もし仮に、君がまだ叶えたい夢をここに残したままどこかへ行こうとしてるのなら!俺は……」

「海菜さん……」

「ごめんね。俺は君の背中を押してあげられない」

 

 

 彼はそう……言い切った。

 

 

 

 


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