肩の力を抜いてお読みくださると幸いです。
では、どうぞ。
「μ’sは……私たちは、ラブライブのエントリーを取り消すべきよ」
絵里のその言葉に対するリアクションは人それぞれで、俺は別段驚くこともなくまぁそうなるだろうなと小さくかぶりを振った。しかし、他のメンバー、特ににこは俺と真逆な反応を示した
「な!ちょっと、それどう意味よ!」
今にも掴みかからんばかりの勢いで絵里に迫る。
絵里は静かに、それでいて堂々とにこと視線を合わせた。
「言葉通りの意味よ、私たちは第一回ラブライブから手をひくべきって言ったの」
にこはその迫力に一瞬怯んだものの、理解できないとでも言うように床を踏み鳴らして立ち上がった。怒りゆえか、それとも悲しみゆえかその目にわずかに涙が浮かんでいた。しかし、言葉にならないのか悔しげに歯を食いしばる。
俺はにこから視線を外して他のメンバーを見た。
凛は不安げに絵里とにこの両方を交互にきょろきょろと見て僅かに腰を浮かせている。花陽と希、そして真姫はおそらく絵里が言った言葉の真意を理解したのかそうでないのかは分からないが、悲しげに俯いていた。
ことりと海未は肩を寄せながら少しうるんだ瞳で絵里を見つめている。
「……あと、あともうちょっとなのよ!?こんな所で諦めるっていうの!?」
「ええ、私はそう思っているわ」
「納得いかない!何のために私たちは頑張ってきたのよ!」
「……にこは何のためだと思っているの?」
再び口を開いたにこに対して、静かに絵里が問いかけた。
にこは間髪入れずに答えを返す。
「ラブライブ出場の為よ!」
「違うわ、学校を存続させる為よ」
有無を言わさない迫力で、静かに絵里はにこの誤りを正した。
「そ……それはそうだけど!ラブライブに出れば音ノ木坂学院の宣伝だって出来る訳でしょ?」
「えぇ、今まではそうだったわ。でも、今は状況が変わってしまったの」
「……どういう事よ」
「穂乃果が『七日間連続ライブ』で倒れてしまったことはまだ、会場にいた人しか知らないわ。でもね、それは時間の問題で、必ず広まってしまうものなの」
「……」
「例えば万が一、私たちがラブライブに出場できるようになったとして、世間の人はそれをどう見るかしら?『頑張った、凄いな』そう言ってくれる人もいる。でもね、必ず『音ノ木坂学院は宣伝の為に倒れるほどの練習を強いてるらしいぞ』。こういう人達が現れてしまうの」
「そんな!ちゃんと話せば嘘だって……!」
「そういう人達は、噂が真実かどうかなんて興味ないのよ」
「……」
「私たちはμ’s。でも、『音ノ木坂学院アイドル研究部μ’s』であることを忘れてはならないわ。個人的な趣味の活動ではなくて、れっきとした部活動。学校の代表としてラブライブにエントリーしているのよ」
にこは反論する言葉がないのか、悔しそうに唇を噛んで頷いた。
「理事長は二つの事を言っていたわ。これが一つ、学校の経営者としての意見。もう一つは、教師としての意見。『自分たちを、仲間をちゃんと見れていなかったんじゃないのか。こんな結果を招くために活動してきたのか。私はきちんと自分たちを見つめ直す時間が必要だと思う』そう言ってた」
絵里は、背筋を伸ばしてゆるぎない態度で言葉を続ける。
俺には分かる。絵里だって、参入した時期は一番遅いにしろ、人一倍一生懸命な思いをμ’sに……ラブライブ出場に注いでいた。学校を守りたいという思いと同じくらい、ラブライブに出て満足のいくパフォーマンスをしたいという思いは膨らんでいたはずだ。悔しいに違いない、周りの事なんて関係ない!私だってみんなでラブライブに出たいわよ!そう言いたいに決まってる。
それでも、あえてその気持ちを押し殺してメンバーに語り掛けていた。
だからこそ、俺は何も言わない。
これは、μ’sの中で一番大人な彼女の役割なのだろうから。
「私たちは、自分の事にだけ一生懸命で、穂乃果の異変に気が付いてあげられなかった。同時に、穂乃果もやる気ばかりが空回りして周りが見えていなかった。今回のアクシデントは、誰のせいでもないし、言葉を返せばみんなの責任でもあると思うの。だからこそ、一度私たち自身のあり方を考え直すべきだわ。これが私の意見。みんなはどう?」
俺はどう思うか、か……。
今絵里は二つの理由をあげたが、俺は三つめの理由があると想像していた。それは、音ノ木坂学院の理事長があえて絵里に説明しなかったであろう考え。……たしか、理事長はことりのお母さんで、穂乃果の事を良く知っていてかつ、ことり似の優しい人だったよな?だとしたらおそらく、『穂乃果へのショックの少ない最善の策』としてラブライブ出場辞退を勧めたはずだ。
このまま、ランキングにμ’sの名前を残し続けても、まず間違いなく二十位以下に転落する。それは当たり前の結果。そりゃこの子達以外のグループは最後のチャンスを掴むためベストパフォーマンスでもって最終結果を待つはずだ。かたや俺たちは最後のアピールチャンスを失ったことになる。そんなハンデを覆せるなんていう甘い話は無いだろう。
だからこそ、理事長はその結果が出た後どうなるかを想像したに違いない。
真面目で責任感の強い穂乃果は責任を全て背負ってしまう。
もちろん、エントリーを続けるのと辞退するの。どちらの決断を下したとしてもあの子は責任を感じてしまうと思う。でも、敗北感と無力感、いつでも見れるサイト上に名前が残るのと残らないの、その二つはどちらも前者の方が辛いものだ。
どちらにせよ彼女が自分を見つめ直す結果になるのだとしたら、それは出来るだけ無駄な苦しみの少ない方が良いに決まってる。
そう、理事長は考えたはずだ。
あくまで俺の憶測だけどね。でも、俺が理事長だとしたらそう考えるだろう。
なんというか、客観的にこの問題を見れば、エントリーを取りやめるのが正解だとは思う。
でも……。
俺なら、名前を残したい。
理由は一つ。
俺自身が、明確な『敗北』という結果をその目に刻むことで前に進めるタイプの人間だからだ。負けた!次は負けねぇぞ!ぶっ潰す!なんていうしごく単純な反骨精神。でも、それは同時に、学校の都合など考えずただただ冷静に自分自身を高めたいと願う自己中心的な考え方。
加えて、穂乃果がそのようなタイプでない可能性もある。
あくまで経験則だが、彼女ほど周りの人間を引っ張っていくエネルギーを出せる人種は優しく、周りの事をよく気にしてしまうのと同時に自分の感情に大きく振り回される傾向がある。
だからこそ俺の出す結論は……。
「俺は絵里の言う通りだと思うな」
あくまで名前を残したいというのは俺の自分本位な考えに過ぎない。
それに、穂乃果の性格に合っていてかつ、学校のためにもなる方の策のが良いに決まってるだろう。俺はそう考えて、出した答えを口にした。
一つだけ。
穂乃果の居ない所でこのような話し合いをしてしまってることに関しては抵抗を感じてしまうけれど、状況が状況なので仕方ないのかもしれない。俺はそのことは考えないようにして他のメンバーの意見を待った。
「私も……そう思う。それに、今の私たちじゃ、他のグループには勝てないと思うから……」
花陽も俺に続いて口を開く。
付け加えた理由も、アイドルという存在を熟知している彼女から出たものであるからこそ重く響く言葉。たしかに、間違いないよな。たとえ出場できたとしても、今のままじゃ最下位だ。
「凛も……そう思うにゃ」
「ウチも同じ意見だよ」
凛と希も順々に肯定の返事を返した。
ことりと海未も静かに頷いて同意の意を示す。
残るは……。
自然とにこに視線が集まった。
彼女は未だに俯いて考え込んでいた。なんだかんだで周りの良く見える子だから、今自分達の置かれている状況は正しく理解しているハズだ。もしかしたら、もう既に答えは出ているのかもしれない。それも俺達と同じ。
それでも、彼女のアイドルというものにかけるただならぬ想いが邪魔をするのだろう。
確かに、学校に対する思いはみな同じかもしれない。また、ラブライブに掛ける思いも、皆平等に大きかったと思う。でも、こと、『アイドル』というものにかける想いは他のメンバーの非ではない。
その点で言えば、花陽ですら、にこに比べれば劣るかもしれない。
夢にまで見た舞台。
憧れの場所。
あと一歩のところまで来たのだ。
諦めたくない!そう思ってしまうのは当然だろう。
今日じゃ、答えは出ないかもしれないな。
そう諦めかけていた矢先の事だった。にこは迷いなく顔をあげた。
「分かったわ。確かに絵里の言う通りだと思う。部長宣言よ、にこたちμ’sはラブライブのエントリーをやめる事にする」
「にこ……」
絵里が安心とも、申し訳なさともとれる声色で彼女の名を呼んだ。
にこは絵里の方を見て少しだけ微笑んだ後、すぐに表情を引き締めて有無を言わさぬ口調で続く言葉を並べた。
「でも、二つだけ条件があるわ」
俺たちは黙ってにこの話に耳を傾ける。
「まず一つ目。穂乃果へは部長であるにこから話すわ。そもそも、リーダーである彼女の意見も聞かずに決断を下すなんて間違ってると思う。でも、誰がどう考えたって名前を残すメリットもないし、消すなら出来るだけ早く消さなきゃいけない。だから、穂乃果の回復を待つ事は出来ない。だからこそ、この部活の部長であるにこがにこの判断でこの選択をしたことにするわ。文句は言わせないわよ」
一つだけ心配だった穂乃果不在のこの状況。
やはり、気にしていたのは俺だけじゃなかったみたいだ。
少し強引ではあるが、一応筋は通る。少し不器用な奴だとは思うけれど……でも、彼女の優しさや先輩としての意識が良く分かる内容だった。
「二つ目。エントリーの取り消しの手続きはにこがこの手でやるわ」
その言葉に、全員素直に頷く。
しかし、俺だけは静かに息を飲んだ。
この中で何人、にこの今の台詞の真意を理解したのだろうか。
エントリーを消す。
その作業は実に簡単な事だ。辞退する理由を適当に書いて、数か所クリックすることですぐに終わる。
でも同時に、その作業程辛いものは無い。
想像、出来るだろう?
それをにこは自ら申し出たのだ。何とかラブライブ出場目前までこぎつけた、自分たちの成長の軌跡がすべて詰まったページをその手で壊すという作業。それをリアルに頭の中に思い描いたメンバーはいるのだろうか。
おそらく、いない。
なぜなら、今この瞬間は全員平等に悲しく辛いから。実際に練習をしていない俺でさえ苦しいのだ。実際汗水流して努力を続けて来た彼女たちの辛さは計り知れない。自らに追い打ちをかけるような想像が出来なかった彼女たちを責めることなんて誰も出来やしないだろう。
なんとなーく予想は出来てたけど、コイツとは思考回路が似てるらしい。
おそらく彼女は、自分のページを自分で消すという作業をその手で行う事で今の悔しさを忘れないようにしたいのだろう。なんというか、俺の言う反骨精神みたいなやつと似通ってるよな……。はぁ。
「それじゃ、あとはにこに任せなさい。今日は解散よ!」
にこはぱんぱんと両手を叩いてそう呼びかけた。
部長のその一声で、それぞれが帰宅の準備を始めた。
「また穂乃果の様子を聞いて、大丈夫そうならみんなで明日か明後日、お見舞いにいきましょう」
「さんせいにゃー!」
絵里の提案に全員が頷いた。
俺は一緒にはいけないだろうけど、もちろん行くつもりでいる。
ま、でも今日は……。
「海菜?」
一緒に帰らないのかとスクールバックを持ち上げてこちらを見る絵里に軽く手を振った。絵里は軽く首を傾げた後、こくりと頷いて希と一緒に部室を後にした。続いて他のメンバーも俺とにこにぺこりとあいさつした後、少しだけいつもより元気のない様子で去っていく。
そして残った俺とにこは……。
「アンタも帰りなさいよ」
にこはパソコンの電源を入れながらそう言った。
「いや、登録も動画投稿も俺がやってるんだから君一人じゃ分かんないだろ?」
「そんなの適当にいじっとけば分かるわよ。こうみえてネットには強いんだから」
「そりゃそうかもしんないけど……」
「別に気を遣わなくて良いわよ。にこは大丈夫だから」
どうやら、俺がにこを心配して残ったのだと勘違いしてしまったらしい。俺とは目を合わせようとせずに彼女はそう言った。別にそういう意図でここに残った訳じゃない。もちろん心配なのは心配だけど……ちょっと声、震えてるし。
俺がここに残った理由はただ一つだ。
「俺も、見る」
μ’sにとっての第一回ラブライブの結末を、この目で見届ける。
そして、この悔しさは、無力感は、絶対に忘れないと誓おう。
「アンタも物好きねー」
「君にだけは言われたくないけどな」
***
カチッ
終わりを告げるクリック音が二人しかいない部屋に響いた。
俺はグスンと鼻をすするにこの頭に優しく手を置く。
その日。
ランキングから『μ’s』の名前は……消えた。