文化祭当日。
案の定、雨はやんでいなかった。
時刻は昼の一時をまわっている。当初の予定では朝から出張って他校の文化祭を楽しむ予定だったけど……さすがにそんな気分になれなかった。朝ライングループ上で頑張ろうね!みたいなやり取りがあった所を見ると一応全員揃っているらしい。
しかし、昨晩の穂乃果の事を考えると最悪の結果が頭をよぎる。
もちろん、何事もなく終わる可能性だって十分残されてはいるけれど……起きて欲しくないことほど土壇場で現実になるのが常だ。だからこそ然るべくして成功する人間はリスクを消しながら成功への道をたどる訳で。
「……」
結局ほとんど手のつかなかった問題集を荒っぽく閉じて立ち上がった。
毎朝、絵里と別れるポイントで普段とは逆向きに曲がって音ノ木坂へ向かう通学路に沿って歩く。俺は、目に入るあまり見ない景色に心躍らせる事もなく、淡々と歩みを進めた。相変わらずのまとわりつくような雨。深い水たまり。
俺は未だに悩んでいた。
今からでも遅くない、穂乃果を止めるべきなんじゃないかと。
そんなこといっても……出来る訳ないよな。それに止めたところで聞くはずもない。でも、もし本当に体調が悪いまま踊って怪我なんかしたら!考えれば考えるほどネガティブな方向へ思考が行ってしまう。
ここで彼女を止める、という事はラブライブの出場を諦めさせるのと同義だ。
それでも、本当に穂乃果の事を想うなら止めるべきではないのか。でも、じゃあ他のメンバーの事はどうなるのか。答えは未だに出せないまま俺は音ノ木坂学院の校門前についてしまっていた。
「くそっ……」
無意識のうちに強くかかとを地面に打ち付け、水滴をまき散らして自爆してしまう。靴の中まで濡れてしまったせいでかなり気持ち悪く、自分が悪いのにも関わらず舌打ちをした。
はぁ、何やってんだろうな、俺。
音ノ木坂の前までついて立ち止まる。
ダメだダメだ!止めることなんてもう無理だし、こんなテンションで応援なんて出来るか?出来ないだろ!
そりゃ反省点や後悔をあげてればキリがないけど、少なくとも彼女たちはこの雨の中ステージに立つはずだ。雨粒がコンクリートを叩く音に負けないだけの声を張り上げるはずだ!
そんなμ’sの前で俺はこんな悲痛な顔をして頑張れなんていうのか?
んなこと……するわけにはいかない。誰もそんなこと望んじゃいないだろう。
俺に今、出来ることはただ一つ。
無事にみんながステージを降りられるよう祈りながら、精一杯声援を送ってやることだけだ。
本番開始まであと三十分。
俺は真っ直ぐに顔をあげて、ライブが行われる校舎の方へ走りだした。
***
「エリチ、古雪くんから応援のライン届いとるよ~」
「えっと……今手元にスマホがないから見せてくれる?」
私は髪の毛のセットの最終調整をしながら、既に準備を完了している希に返事を返した。アイツにしては珍しくギリギリの時間に送ってきたわね……今までのライブ前も、こないにせよ応援の一言は入れてくれてたから。
「はい!全体ラインにいつもの感じで書いて来てくれてるよ」
「えっと、なになに?『衣装が濡れるという事で、満を持してライブ参戦予定です。ファンの心の取りこぼしがないように。あるものをこぼせば逆に取りこぼさないですよ。もちろん、ポロリのことね!』まったく……あのバカ」
「あいかわらずやねー」
この幼馴染の激励は毎回余計なひと言が多いわね。
でも今回は何となく……言葉にキレがない気がする。不調なのかしら?って、なんで本番直前に海菜のギャグ批評なんてしなくちゃなんないのよ!まぁ、でも……天候には確かに恵まれてないけれど、今日は初めて海菜に本番のライブを見て貰える機会。……頑張らなきゃね。
心なしか他のメンバーもいつもよりそわそわしている気がする。
もちろん、海菜が来るという理由も一つにはもあるが、このライブがラブライブ出場を決めるという事実が大きい。なんせ、今いる位置が十九位という瀬戸際だからこそ、そう言っても過言ではない。そのプレッシャーは決して小さくは無いわ。……でも大丈夫、私たちなら!
「うわっ!っとと……」
「穂乃果ちゃん?」
「ごめんことりちゃん、大丈夫大丈夫!あはは」
「もう、しっかりしてよね?」
真姫の注意が飛ぶ。
穂乃果も緊張のせいか先ほどからこけそうになったり衣装の小道具を間違えたりと、ミスを連発している。そういう類とは無縁の子かと思っていたけど……意外な一面もあるものね。
「古雪余計なことしないでしょうねー」
「何してくれるかたのしみだにゃ!」
「初めて会ったときはにこに付いて来れるぐらい派手にARISEのライブにノってたから……」
「え?にこちゃん、海菜さんとライブ行ったの?」
「偶然会っただけよ」
「そ、そうなんだ……」
入口付近ではにこりんぱなの三人が完全に準備を終えてストレッチをしながら談笑していた。さすがに海菜も今日は大人しくしてるんじゃないかしら?……多分。
そうこうしているうちに全員準備を終え、本番まで十分を切った。
「雨、全然弱くならないわね……」
「ていうか、さっきより強くなってない?」
「これじゃ、お客さんが来てくれたとしても……」
私のぼやきににこが窓の外を睨みつけながら返事をした。真姫も不安げに最後まで言い切らないものの、全員の気持ちを代弁して呟く。
なんとなくメンバー達の士気が下がってしまった。
しかし、穂乃果が間髪入れず口を開く。
「やろう!!」
たった一言。
でも、彼女が紡ぐその力強い言葉は一瞬前進を止めた私たちの心を再び奮い立たせた。
「ファーストライブの時だってそうだった。あそこで諦めなかったからこそ今の私たちがあると思うの。だから、みんな!行こう!!」
頬を紅潮させながら真っ直ぐ一人一人の目を見つめて言葉を放つ。
「そうだよね、そのために頑張ってきたんだもん……」
「後悔だけはしたくないにゃ!」
一言一言噛みしめながら言葉にする花陽と元気よく立ち上がった凛。
私もそれに続いて口を開いた。
「泣いても笑ってもこのライブが終われば結果は出る」
「だったら、思いっきりやるしかないやん!」
「進化した私たちをみせてやろうじゃない!」
「やってやるわ!」
希、真姫ににこが続いて立ち上がり、歩き出した。
さぁ、本番よ!
その瞬間を見計らったかのように、全員のスマホに通知が一件。
古雪海菜からの『頑張れ』の三文字。
穂乃果は笑顔で頷いた。
「はい!……皆!ファイトだよっ!」
私たちは駆けだした。
ステージが、待ってる!
***
全員でステージ上に駆け上がり、あたりを見回した。その瞬間、まばらではあるけれど、確かな拍手が鳴り響いた。最前列には妹の亜里沙とその友達の雪穂の姿。自分の制服が濡れることも構わず嬉しそうにこちらに向けて手を振ってくれている。
少し離れた端っこに見慣れた黒髪。
軽く手をあげてくれる。その顔に浮かぶのはいつもの笑顔。
でも、どこかその笑顔に陰りがあることに気が付いた。
きっと幼馴染である私にしかわからないその差異。彼の表情の理由を考える前に……一曲目が始まった。一瞬でダンスと歌に集中するために、他の思考を全て捨て去る。目に入るのは他のメンバーの動きとお客さんの姿。
雨のせいか視界は悪いし、動きづらくもあったけれど、間違いなくベストパフォーマンスが出来ていた。
穂乃果の考え付いた難しいステップも全員うまくこなして次のパートへ。二度目のサビからは観客のみんなののってくれたおかげで次第に会場のボルテージも上がってきた。私たちが躍っている最中にも観客は増え、もっとたくさんの人に声が届くよう一生懸命歌う。
そんな幸せな時間。
しかし、それが続いたのは五分にも満たないわずかな時間。
終止符をうったのは、くしくも……私たちのリーダーだった。
ぱしゃん。
一曲目が終わった直後。
糸が切れた人形のように、突然穂乃果がその場に倒れ込んでしまった。座ることも出来ないのか、ステージの上に身を投げ出してぐったりと横たわる。会場に広がるざわめきと強まる雨音。
「穂乃果!!!」
このアクシデントに一番早く対応したのは、古雪海菜だった。
海菜は血相を変えてステージに飛び乗って穂乃果の元に駆け寄る。一瞬遅れて私たちも口々に彼女の名前を叫びながらその周りに集まった。固まった私たちの間を縫うようにして雪穂も自らの姉の横に膝をつく。
「次の……曲を……」
「穂乃果、ちょっといいか!?」
「か……海菜さん?……ごめんなさい、すぐ、再開……」
「っ!ごめんな穂乃果……。……やっぱりすごい熱だ。絵里!」
海菜は穂乃果の額に手を当てて呟いた後、私の名前を鋭く呼んだ。
私はその目の色だけで彼の意図を把握して立ち上がる。
彼は希に手伝って貰いながら穂乃果の体を抱きかかえるようにして立ち上がると、小さく首を振る。どうやら続行は不可能らしい。にこは悔しそうにしながらも、いち早く駆け出して海菜の先導を始めた。
私は私の役目を果たさないと……。
一年生、二年生は一体どうしていいのか分からず、オロオロと周りを見回している。
「すみません!メンバーにアクシデントが起きたので、ライブを中止させていただきます!」
私は深々と頭を下げた。海未達もそれにならって頭を下げる。
お客さんも不安げな表情で、一人、また一人と去って行った。
これで、もう、ラブライブは……。唐突に浮かんできた考えを強引に胸の奥に押し込んで、私も他のメンバー同様ステージから飛び降りた。
正直私にもまだ状況は正しく理解できていないけれど……でも、穂乃果が再起不能の今、私たちは踊れない。それだけは確かよ……。ざわつく会場を後にして、残りのメンバーは急いで海菜たちを追う。
部室に入ると、海菜とにこ、希の三人が深刻な表情で待っていた。
「穂乃果ちゃんは!?」
「保健室で寝てるよ。機材準備をしてくれてた穂乃果の友達って子三人と雪穂ちゃんと亜里沙ちゃんが付いてるから大丈夫」
心配そうに聞くことりに、海菜は冷静に言葉を返した。
どうやらこの様子だと穂乃果は無事みたいね。
「ほんとは男の俺が穂乃果を家まで送ってくべきだったんだろうけど、君らに説明する役も必要だし、さっき言った子達がちゃんと任せられそうな感じだったから」
「にこたちもびしょ濡れだったから手伝えることもなくてね……」
「えぇ……それで、どうだったの?」
「いわゆるただの風邪みたいだって。熱はかなり高いけど」
「でも、大丈夫なのよね?」
「ん。さっき見た時は顔色も少し回復してたから」
ほぅっと海未が安堵のため息をついた。
「とりあえず、みんな着替えよっか?寒いやろ?」
希がいつも通りのふわりとした口調で言う。
その言葉に海菜は無言で部室を後にした。
さすがに空気は重く、誰も一言も発さないまま着替えを終わらせる。これからどうしようかしら。……思案にくれて、今日はとりあえず解散にしようかと思ったその瞬間。校内放送がかかった。
『生徒会長、絢瀬絵里さん。至急、理事長室にきてください』
十中八九、穂乃果の件だろう。
学校行事中に生徒が一人倒れたのだ。学校としても見過ごすことは出来ない案件に違いない。私は行ってくるわね、と言い残して扉を開けて外に出る。その扉のすぐ横の壁に海菜が静かに腕組みをしながらもたれかかっていた。
「みんな着替え終わったから入って待っててくれていいわよ」
「ん」
何か考えている様子の彼は私の言葉に頷きはしたものの、その場から動こうとはしない。すこしその様子が気になったものの、急いで理事長室に向かった。
コンコン。
少し大きめの木製のドアを二度ノックする。
すぐに中から入ってください、との返事が届いた。
「いきなり呼び出してごめんなさいね」
「いえ……」
「ライブの事、先ほど養護の先生から連絡が届いたわ」
南理事長の表情からはいつもの柔和な笑顔が消え、固く、そして寂しげなものに変わっている。初めて見る生徒想いの理事長のそんな顔。
きっと言いたくないに違いない。しかしこの人にも立場というものがある。だからこそ、彼女は一人の大人として私に厳しい言葉を告げた。