夏合宿が終わり、新学期が始まって数日。
ついにラブライブ開催まで三週間を切った。もっとも、俺は夏休み最後の追い込みで忙しかった分それほどたくさん彼女たちの練習に参加できたわけでは無かったけれど、明らかにμ’s発足当時のレベルとはかけ離れたパフォーマンスを披露できるようになっていた。
そして今日。
ついに目に見える結果が出た。
「海菜!ラブライブのサイト見た!?」
「あぁ、見たよ」
いつもの待ち合わせ場所に向かうと、絵里が何とも嬉しそうな顔で駆け寄ってきた。思わず俺もつられて微笑んでしまった。まったく、クールな先輩キャラなのにな、普段は。
「今日は朝練なかったんだよな?」
「えぇ。でも朝からラインが鳴り響いてたせいでかなり早起きしちゃったけど」
「俺は音鳴らないようにしてるからそれは無かったけど……朝起きて通知が百件超えてたのはさすがにびっくりしたな」
「ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったわね」
あははと笑いながら絵里はスクールバックを持ち直して歩き出す。
来年大学生になるような歳でこんなに子供っぽく喜ぶのもどうかと思うけど……でも、やっぱりこの目でランキング一九位って文字を見た瞬間は嬉しかった。なんていうのかな、親が息子の受験合格を知る気持ちを何十年も先に味わってしまったような感じかもしれない。
もちろん、本当の結果が出るのは二週間後。
油断することは出来ないけど……夢だったラブライブ出場って目標が手を伸ばせば届く距離に来たのは紛れもない事実で。
何事もなく全員で輝くステージに立てたらいいのにな。
俺が願うのはその事だけだ。
ちらりと横を見ると、予想通り絵里は表情を引き締めて前を向いている。
ん。余計な心配はいらなさそうだな。まぁ、これで満足して歩みを止めるようなメンバーはμ’sには居ないだろうし。俺は引き続き静かに見守っていよう。
「これから大変になるわね」
「そうなの?まぁ、他のチームも必死になってるだろうしな」
「えぇ、それもあるけれど……これから『七日間連続ライブ』があって」
「ながっ!阿波踊りでも四日間だぞ?」
「なんで阿波踊りに詳しいのかは聞かないでおくけれど……もちろん七日間毎日私たちが躍る訳じゃないわよ?要はラスト一週間の追い込みのイベントみたいなものなの」
「なるほどね。どこでライブするの?」
「私たちは文化祭で踊るつもりよ!」
「へぇ……」
「一応、一般の人も来場出来るんだけど……」
絵里はそこで言葉を区切って、遠慮がちに俺の顔を見上げて来た。
おそらく来てほしい、との事だろうけど……。
文化祭かぁ。
今まで何度も彼女たちはライブをしてはいるけれど、ほとんど行ってやれてないからな。あれ、マジで最初のライブ、しかもμ’sが全員揃っていないときのものしか生で見てないかも知れない。
んー。
よし。決めた。
時間作って行くことにしよう!
「日にちはいつ?多分……いや、絶対行くよ」
「ほんと!?後で詳しい日付と時間は連絡するわね!」
ぱぁっと顔を輝かせて笑顔を見せる絵里。
こんなに喜んでくれるなんて……今までのも行ってやればよかったかなぁ。ちょっと反省。まぁ、いろいろと予定も入ってたから仕方ないんだけど。
「気合、入るな!」
「えぇ!……って、なんで海菜に気合が入るのよ」
「応援は任せてくれ。全力で盛り上げるから!」
「気持ちは嬉しいけれど出来れば大人しくしておいて。私たちより目立ちかねないじゃない……」
そうは言ったものの、普通にはじっこから見守るつもりではいるけどね。
一般の人も入場可能とはいっても、男子高校生はあんまりいないだろうし……。一応音ノ木坂学院は由緒正しいお堅い女子高、というのが俺達別の高校に通う人間の彼女たちに対するイメージだ。そのせいで俺の知り合いもナンパしに音ノ木へ行く、なんて言っている奴はいない。
目立たず騒がず大人しくしとこ。
「それじゃ、また」
「えぇ、いってらっしゃい」
「や、君もな!」
***
一週間後。
ついにラブライブ出場校確定前の最後のライブまであと一日に迫っていた。残念ながら、明日時間を作った分のしわ寄せでこの一週間μ’sの面々と会うことは出来なかったけれど、絵里からちょくちょく話を聞くところによると順調そうだ。
唯一、講堂がにこのくじ運のせいで取れなかったらしいけど……。なんでアイツら希に引かせなかったのだろう。彼女なら一振りで三つくらい当たりくじ出してくれそうなのに。
もっとも、代替案は決まったみたいなので大丈夫……のはず。
そういえば、穂乃果がえらく燃えているらしく、練習は激しくなっているもののそれに音をあげるメンバーもいないらしいし。明日は何とかなりそうかな!
現在時刻は午後十時。
先生や友達に挨拶して塾の校舎から出ると雨が降っていた。
明日にはやめばいいけど、などと思いながら折り畳み傘を開いて帰路につく。雨ってタイミングによっては好きだけど、今日に限っては勘弁して貰いたい。帰りがけに天候が悪いってだけで倍疲れるし、たしか講堂のかわりに使うのは屋上だったはず。
なんとなく、なんとなくだけど……少し嫌な予感がするな。
土砂降りという訳でもなく、小雨でもない纏わりつくような雨の中、歩みを進めているとポケットに入れていたスマホが振動を始めた。だれだろ、母さんかな?晩飯はいらないって朝言っておいたはず……。
画面が濡れないようにうまい按配で傘を固定して、表示された名前を見たところ想像していなかった人からの連絡だった。『園田海未』という青文字がバイブに合わせて明滅している。
「もしもし?」
『もしもし、海菜さん。すみません夜分遅くに……』
「いいよ。丁度塾の帰りだから」
『もしかしてかけ直した方がいいですか?』
「んーん。大丈夫」
申し訳なさそうな声色でこちらの状況を気遣う海未。
声のトーンから察するに、笑い話では無い事は確かだ。一体どうしたんだろう……絵里から聞く分には順調そのものなのに。
『では……一つお聞きしたいことがありまして』
「なに?」
『最近、ことりから何か聞かされていませんか?』
「ことりから?いや、無いけど……」
『そうですか……聞きたかったのはそれだけです。すみません、ありがとうございました』
「ことりがどうかしたの?」
『いえ、なんとなく元気がないような気がして……あくまで勘なのですが』
勘、ねぇ。
幼馴染の勘ほど頼りになるものは無いと身をもって知っている俺はふと思い当たる節があることに気が付いた。たしか合宿二日目、花火をことりと二人で買いに行ったその道中。相談らしきものを持ち掛けられたことはあったな。
もっとも、アレはあくまでことり自身は意見を聞きたがってることを知られたくない様子だったけれど。残念ながらあの会話からだけじゃ想像は出来ない。
「そっか、申し訳ないけど俺も良く分からないわ。合宿以来会ってないから。……穂乃果には聞いてみた?」
『はい、でも今穂乃果はライブに夢中で……』
「なるほどね……」
まわりが見えていない状態、か。
別にそれは悪い事ではない……とは思う。実際、それに触発されて頑張ってるメンバーも居るだろうから。でも穂乃果と海未に分からないなら他の子には分かんないだろうな。おそらく海未もダメもとで俺に連絡してきたのだろう。
『気のせいだったらいいのですが……』
「そうだな。まぁ、ことりが相談するとしたらまず間違いなく君と穂乃果が一番だと思うし……今は見守ってあげてたらいいんじゃないかな?とりあえずは明日のライブ頑張れ」
『はい、そうですね。頑張ります!楽しみにしていてください』
「ん。おやすみ」
『おやすみなさい』
んー。なんというか、まず間違いなくことりになにか起きてるな。
残念ながら俺にそれは察知できなかったけれど、海未が言うなら間違いない。……でも、ことりが考えなしに秘め事を作るとは思えないし……。
ま、考えても仕方ないか。
一応、希あたりにも気を配ってくれるよう伝えておこう。
答えの出そうにない思考を断ち切って、既に深さを増しつつある水たまりを避けながら歩みを進めた。街灯の光量が足りないせいで足元が良く見えず、前方に注意を払う余裕がなくなっていたその時。
曲がり角を曲がろうとした俺の体に勢いよく誰かがぶつかった。
「いっつ!」
「きゃっ!」
相手は傘を差さないまま目深にフードをかぶって走っていたようだ。
お互いに前を見ていなかったせいなので仕方ないけれど……。
少しよろけた後、上体を立て直して前を見たところ……見覚えのある顔がそこにあった。
「す、すみませ……って、海菜さん!?」
「穂乃果?何してんの」
暗がりでも良く分かる輝く瞳、可憐な顔立ち。
びしょびしょではあるものの、俺の前に立っていたのは他でもないμ’sのリーダー高坂穂乃果だった。一体どうしたのだろう……服装から察するにもしかして、ジョギングか!?この雨の中?明日は本番だろ?
答えを聞く前から少しばかり頭に血が上ってきてしまう。
夜でありかつ俺が傘を差しているせいか、穂乃果からは俺の表情は見えないらしく、なんとも平然と俺の問いに対する返事を返して来た。
「えへへ、大会に向けての体力作りでジョギングを……」
「この雨の中?」
「ちょっとならって思いまして。ランキング見てたら居てもたってもいられなくなったんです!」
確かに燃えてるな、コレは。
んー、気持ちは分かるけど……。
俺はとりあえず穂乃果を引き寄せて、持っていた傘の中に引きこんだ。案の定手の平は冷たくなってしまっている。心なしか鼻声のような気もするし……。
「くしゅんっ」
「ばか、風邪ひいたら元も子もないって……」
「はーい。それじゃ、急いで帰ります!……きゃっ!」
そう言って穂乃果はまた走り出そうとした。
しかし俺は逃がさない。冷え切った手を捕まえてとりあえず傍に会った屋根の下まで彼女を引っ張って行った。さすがにコレを黙って見過ごすわけにはいかないし。
「ど、どうしたんですか?」
「どうしたって……その状態で穂むらまで走って帰ったら間違いなく風邪ひくぞ」
「大丈夫ですよ!」
「大丈夫じゃねぇよ」
少しだけ真面目な声色で一言いうと、流石に何かを察したのかきょとんとした顔をするものの大人しくなって俺の顔を見つめ始めた。まぁ、どうせ今何を言っても聞きやしないだろうし、とりあえず他のメンバーの為にも今日体調を崩すこと自体は避けて貰わないと……。
「そのパーカーかなり濡れてるでしょ。脱いでこれ着て」
幸い雨は強くなかったため下着まで濡れている訳ではなさそうだ。なので俺は自分のブレザーを渡して強引に羽織らせる。冬用の分厚いものではないけど、何もないよりはマシだろう。
「くしゅんっ、ありがとうございます……」
わずかに赤く染まる頬。定期的に出るくしゃみ。
これ、手遅れかもな。
「ん。それじゃ帰ろっか。少し急いで帰るぞ」
「はい……でも海菜さんに申し訳ないというか」
「むしろ他のメンバーに申し訳ないだろ……」
「えっ?」
本当に分からないのだろう。
素直に疑問を浮かべていた。
そして俺は後悔する。
なんでこうなる前に直接この子……いや、この子だけじゃない、他のみんなに会っていなかったのかと。時間を作ろうと思えば作れたはずなのに、絵里の言葉を鵜呑みにして自分の目で確かめようともせずに。
一目見れば……一週間前にこの子と一度でも会う機会があれば出来るアドバイスがたくさんあったはずだ。本番を控えた身の扱い方を知る先輩として、言うべき言葉が俺には紡げたはずだ!
合宿前、隣を歩くこの子に言われた言葉を思い出して唇を噛みしめた。
仲間、失格だな。
「海菜さん?」
「……どうかした?」
「私の心配なら大丈夫ですよ!明日は楽しみにしておいてください。きっと雨もやみますから」
「……」
「えへへ、明日は久しぶりに海菜さんに直接ライブを見ていただけますね!楽しみだなぁ」
俺は穂乃果に言葉をかけてやることは出来なかった。
そして、本番が始まる。
俺はただただ、すべてが無事に済むよう祈っていた。
雨は、やまない。
積極的にμ’sに絡まなかった主人公がゆえの後悔です。
なかなかうまくはいきませんよね。
ではでは、失礼いたします。