ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第五十八話 オトナな先輩ミジュクな後輩

 締め切った窓から僅かに月の光が漏れ、冷気がガラス越しに部屋へと滲む。暖房器具の電源を入れていないせいか気温は低く、室内とは思えない。しかし、俺はそれに気が付く余裕もなくロクに乾かしてない髪をそのままに布団へと潜り込んでいた。

 歯を食いしばり、掛布団で全身を覆う。

 目の前は闇に包まれ、寒さも幾分か紛れた。

 

――やってしまった。

 

 去来するのは深い後悔。

 一体、どこで間違ってしまったのだろうか。

 

 俺は疼く胸の痛みを誤魔化す様に布団を振り払い、立ち上がる。無造作に投げ捨てられた毛布がパサリと床に落ちた。埃は舞い、視界は揺れる。荒っぽく再びベッドに腰を下ろすと、闇雲に拳を膝に叩きつけた。

 

「何も見えてなかったんだな、俺は」

 

 結局その一言に尽きるだろう。

 

 絵里の事、希の事そしてツバサの事。

 全て相手からのアプローチもしくは決定的な証拠を元に好意を自覚していた。俺はその経験をして、いままでよりずっと敏感に真摯に、μ'sの子達と関わるようにした――ハズだった。そのつもりでは居た。

 しかし、この様。

 

 ことりの気持ち――誘われて、デートに出向くまで気付けなかったのだ。

 

 なんて滑稽なのだろう。

 

『でも、貴方の事を好きなμ’sの娘達はどうなるの?』

 

 ツバサがくれた言葉。

 馬鹿な俺を導こうと与えてくれたアドバイス。

 俺はそれ勝手に分かった気になって――。

 

 それなのに、肝心なものは何も見えていなかった。

 

「もっと、早く気が付けていたら!!!」

 

 乱雑に頭を掴み、俯く。

 濡れた髪から水滴が散った。

 

――もっと早く気付けていたら、やりようはあったはずなのだ。

 

 ことりが傷つかない答えを。

 ことりが泣かない結果を。

 ことりが笑って諦められる未来を。

 

――探すことが出来たはずなのに!

 

 俺は頭を上げて、右手を前に伸ばす。

 開いた掌には消えない暖かさが残っていた。

 

 俺を好きだと言い、泣いたことりの姿。

 零れ落ちた彼女の涙の跡を見つめる。

 

「最低だ……」

 

 誰かの為を想うなんて偉そうな事を考えて、結局のところ自分の事で手一杯だったんだ。絵里に何て答えよう、希に何て答えよう。それはつまるところ相手を思いやっていた訳では無く、俺の為に凝らしていた思考。

 もう少し視野を広く持っていれば。

 もう少し人の心の機微に敏感になって居れば。

 

 あの子を泣かせることは無かったかもしれないのに。

 

「なんて……後悔したって何も変わらないのにな」

 

 独白――。

 

 分かって居るのだ。

 この時間は全くの無意味。

 

 残ったのは悔いだけ。

 

 俺はそっとスマートフォンの電源を入れて、ラインを開く。ことりは無事家に帰っただろうか? 一人で帰らせて欲しいと、目を腫らしながら笑った彼女を追いかけることは出来なかった。一体どの面を下げて送って行けばよいと言うのだろう。……いや、きっとそれも言い訳。本当に彼女を想うなら少し離れた所からでも、見守らなきゃならなかったんだ。

 気まずさに負けて、しでかした過ちから目を背けたくて。俺は一人で帰ってきた。

 

――ことり。

 

 アイコンの彼女は可愛らしく笑っていた。

 誰からも好かれる、優しい微笑み。

 

 俺は静かに文字盤をフリックする。

 足りなかった言葉を、メッセージで補おうと一生懸命に絞り出し――。

 送信する前に手に持っていたそれを放り投げた。

 

 

――きっと、これもただのエゴなのだろう。

 

 

 罪悪感から逃げようと、ことりの為と言い訳しながら紡ぐ贖罪の言葉たち。

 

 俺は虚ろなため息を一つ。布団に潜り込んだ。

 目を閉じて、騒めく心を治める術を知らないまま夢へと逃げる。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 それは、唐突な出来事だった。

 

「いつまで寝てんのよ!」

「ふごっ」

 

 顔面に何かが叩けつけられたような感触を感じて俺は飛び起きた。未だに視界はハッキリとしておらず、ただただ鼻先がジンジンと痛むだけ。状況を理解できないままとりあえず掛布団を手繰り寄せて、声の主の方へと視線をやった。

 

「おはよっ」

 

 天真爛漫な笑顔。

 小柄な体躯。

 見覚えのある赤いリボンに。

 元気よく飛び出たツインテール。

 

「にっこにっこにー!」

 

 矢澤にこがそこに居た。

 

「い、いや……」

「なによ、低血圧? 元気無いじゃない」

「朝っぱらから鼻先枕でぶっ叩かれて元気なんて出る訳ないだろ……」

「そう? 朝、美少女に起こされるなんて願ってもないシチュエーションじゃない」

 

 ドヤ顔でそう自信満々にのたまう彼女に渾身の渋面を向け、抗議の視線を送った。

 

「美少女ならな」

「ちょっと、ソレどういう意味よ」

 

 言葉通りだよ、やっと覚醒して来た頭を振ってベッドの端まで身体を運んであぐらをかいた。ちらりを壁時計を伺うと時刻は既に昼前。どうやらいつのまにか眠りについてしまっていたらしい。寝付くまで時間がかかったせいか大分遅くまで横になっていたようだ。

 にこは興味深そうにジロジロと俺の顔を眺めていた。

 

「んだよ……」

 

 というか、そもそも。

 

「今日、別に君と会う約束してないだろ」

 

 記憶が正しければ誰とも会う予定はない。

 ……それに、出来ればそっとして置いて欲しいのだが。

 

 にこは俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、フンと軽く鼻を鼻を鳴らして一言。

 

「思ったより顔死んでるわねー」

「…………」

「クマと疲労感で一杯よ今のアンタ。何かに憑かれてるとしか思えないんだけど」

「憑かれてるんじゃなくて疲れてるんだよ、ほっとけ」

「ふ~~~ん」

「なんだよ……?」

 

 俺は若干の苛立ちを込めて彼女を睨み付けた。

 八つ当たりをするつもりはないけれど、不快な事は間違いない。

 

「睨まないでよ」

「…………ちっ」

 

 舌打ちをしながら視線を外すと、困ったようににこは笑った。

 

「ちょっと、今日はホントに勘弁して欲しいんだけど」

 

 乾かさずに寝た所為か、ボサボサになった髪の毛を掻きながら告げる。別に、普段なら大歓迎だが昨日の今日で誰かと楽しく遊ぶ気にはなれない。

 ふと目を向けると、窓の外はからりと晴れ渡っていた。

 幾分か気持ちは楽になるが、残念ながら変わらず心は荒れ模様。

 

「そうなの?」

「……あぁ。マジで帰ってくれ」

「……それはどうして?」

 

 瞳の奥を覗き込むようにしてにこは問いかけてきた。

 

――どうしてって……。

 

 

「言わねぇよ……」

 

 

 人に話してどうにかなるような事じゃ――。

 

 

 

 

「ことりの事でしょう」

 

 

 

 

 条件反射で飛び起きた。

 その衝撃で目覚まし時計が地面に落ち、不愉快な高濁音を立てる。しかし、俺はそれに気が付かないまま、平然と座るにこを見つめた。跳ねるように心臓が脈打っているのが分かる。ジリリリとけたたましく鳴り響くアラームに手を伸ばしたのはもう少し後の事だった。

 

「君……なんでそれを!?」

「……帰らなくて良くなったわよね?」

「…………」

 

 目の前に座り、見つめ合った。

 にこは一度ため息を吐いた後、語り出す。

 

「来て正解だったわ、にこが思ってたより三割増しで酷い顔……その顔で表出たら通報モノよ?」

「一体、どういう……?」

「安心しなさい、ことりはさっきウチまで送り届けておいたから」

「ことりを? ってことは……え?」

「アンタがあの子を送らず返しちゃったから、にこが代わりに迎えに行ったの! それで、昨日はにこの家に泊まって、さっきことりの家まで一緒に行って来たの! シャキッとしなさいシャキッと。理解が遅いのよ!」

「ふがっ」

 

 ぐいーっと、俺の鼻先に人差し指を押し付けながら彼女は捲し立てるように言い切った。

 しかし、残念ながら俺の思考は追いつかない。

 

「だ、だから、なんで君が……」

「何でって、知ってたからに決まってるじゃない」

「知って……?」

「そ。ことりから、アンタをデートに誘ったって連絡は受けてたし、心配して夜ライン送ったら一人でにこん家の近くまで来てるっていうし」

「つまり、どういう?」

「あー、まどろっこしいわね!」

 

 苛ついた様ににこは髪を掻きむしると、腰に手を当ててふんぞり返った。

 

 

 

「全部知ってるってこと! 昨日の夜あった事全部!」

 

 

 

***

 

 

「君に、全部話してたんだな……」

「えぇ。意外でしょ?」

「うーん、意外なような。でも、言われてみればなんとなく……」

 

 まず最初に浮かんだのは穂乃果と海未の顔だった。ことりなら、まず最初にあの二人に話をしそうなものだけど、確かに恋愛の話となると心許ない気がする。だとすれば、必然的に上級生に相談相手は絞られてくるし……にこに話をしても可笑しくはないだろう。

 

「ま、そゆことよ。詳しい話はあの子の秘密を言っちゃうわけにはいかないから、聞かないで」

「それは、うん。分かった」

 

 そう言って、にこは子供をあやす様な笑顔を浮かべた。

 

「大体、状況は呑み込めたでしょう?」

 

 こくり、静かに頷く。

 詳しくは分からないが、にこは全て知っているらしい。

 

「古雪も一人になりたいでしょうから、手短に済ませるわね」

 

 彼女は少しだけ真面目な表情に変わった。

 

――あぁ、いつか見た顔だな。

 

 なんとなく、そう感じた。

 どのタイミングだろう?

 ……そうだ、確かホームページからμ'sの名前を消した時だ。色んな事を考えて、考え抜いて――そうして決断して、言葉を紡ぎ出していたあの時と同じ感覚。穏やかな雰囲気の裏に、何故か鬼気迫るものを感じ取った。

 

 赤みがかった瞳が艶めき、意志の強そうな眉が眉間に皺を寄せる。

 

 

 

「何も、気に病む事は無いわよ」

 

 

 

 一言。

 

「ことりは、大丈夫だから」

 

 そう言って、にこは笑った。

 聞き分けの無い子供に言い聞かせる様に。

 癇癪の収まらない幼子を宥める様に。

 

「アンタが責任を感じる必要は無いのよ」

 

 優しく語り掛けてくれた。

 

 その言葉は――不思議と胸に溶けていく。

 

 何故だろう、俺なら反発しかねない。

 そんなことない! と叫んでしまうような台詞。

 

――だけど。

 

 

 

 

「アンタは悪くないわ」

 

 

 

 

 俺の胸を覆っていた靄が僅かに――晴れた。

 

「なんとなく、分かるわよ。古雪が考えそうなこと。もちろん、全部とは言わないけど……」

「…………」

「そう、黙って聞くだけ聞いときなさい!」

 

 にやり、と悪戯っぽく彼女は笑う。

 

「ことりの恋は――ううん、誰の恋でも同じ。そこに良いも悪いも無いのよ。現時点のあの子が、現時点のアンタに恋をした。きっと、古雪はそんな今の自分の未熟さを……ことりを傷つけてしまう自分自身を責めるけど。それも含めて『ことりがした、幸せな恋』なの。それを分かってあげて欲しい」

 

 幸せ――にこは確かにそう形容した。

 

「ことりは確かに泣いてたわ。でも、絶対に――いい? よく覚えておきなさい」

 

 その迫力に気圧される。

 にこは鋭く言い切った。

 

 

 

「ことりは絶対に、アンタに恋したことを後悔してないわ!」

 

 

 

――後悔……していない?

 

「未熟なことりが、未熟な古雪に恋をして。不器用に玉砕して、泣かされて……。でもそれも全部ひっくるめて大切な……掛け替えのないあの子の幸せな恋なの」

「よく……分かんない」

「理解出来なくても、噛みしめなさい。絶対、後悔なんかしないで」

 

 すぅ、と彼女は息を吸い込んだ。

 

 

 

「ことりが、自分に恋しなければ良かったなんて思わないで」

 

 

 

 瞬間――脳天からつま先まで走り抜ける様な電撃が走った。

 

「こんな結末でも。あの子が、一生懸命選び抜いた道なのよ」

「…………」

「全部分かってて。アンタを傷つける事も、それ以上に自分が傷つくことが分かってても、それでも踏み出して選んだ、紛れもないあの子の選択だったの。それをね、古雪。あの時ああすれば良かった、こうすれば良かったとか、俺が馬鹿だったから――なんて言葉で間違いだって決めつけないで!」

 

 そうか。

 俺は力なく視線を下に落とした。

 

――あの子は分かってたのか。

 

 振られることも、泣いてしまう事も。

 それでも尚、彼女はあの場所に来て――。

 

 なんて強い子なのだろう。

 

 拳を握りこむ。

 全ての思考を整理するには時間が掛かりそうだけど。

 

 

「ちゃんと、分かって貰えたみたいね」

 

 

 そう言って、にこは笑った。

 きっと、俺がするべきはウジウジと解決できない事を悩む事では無いのだろう。起きたこと全てをありのままに受け入れて、肯定しなきゃいけない。未熟な部分や後悔ももちろんあるし、それを考えないなんてことは俺には絶対に出来ない。

 でも、それだけじゃダメなんだ。

 にこはそれを伝えに――。

 

「それじゃ、にこは帰るわね」

 

 もう、用は無いとばかりに立ち上がるにこ。

 俺は慌てて立ち上がった。

 

「ちょ、ちょっとま……」

「何か話したいならまた今度にしなさい。まだ、纏まって無いでしょ」

「そ、それはそうだけど!」

 

 彼女は手早くコートを羽織り、帰り支度を進めていく。

 

「ホントにもう帰んのか?」

「何よ、寂しいの?」

 

 ニヤケ面で振り返った。

 

「はぁ~?」

「ふっふーん、土下座して頼んでくれたら残ってあげなくもないわね!」

「だ、誰が!」

 

 残念ながら、ウィットに富んだ返しは出来そうにない。

 俺はただ、テキパキと荷物をまとめるにこの背中を見守っていた。艶やかな黒髪が揺れ、不思議なほど大人びて見える。いつもはじゃれ合うだけの同級生がこれほど頼もしく、そして美しく見えるとは思わなかった。

 迷うことなく出口の扉に手をかけ。

 

 彼女は振り返る。

 

 その表情はどこまでも気高く――。

 

 

 

「最後に、一つだけ」

 

 

 

 にこには感謝してもし足りない。

 その言葉は、俺の中の――何かを変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「古雪。アンタは……アンタの為だけに誰かを好きになりなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう言い残して、彼女は戸を開いた。

 

「に、にこ!」

「まだ何かあるの?」

「いや、その……」

「何よ?」

「どうして、君はそこまで……?」

 

――俺の為に。

 

 続く言葉は出なかった。

 なぜなら、部屋に着信音が鳴り響いたから。

 

 液晶に映し出されたのは――南ことりの名前。

 

 

「じゃ! またなんか美味しいものでもご馳走しなさいよ!」

 

 

 そう言って、彼女は帰ってしまった。

 俺は追うことも出来無いまま通話ボタンを押して――。

 

 

 

***

 

 

「海菜さん、こんにちわ」

「も、もしもし。ことり……昨日はその……」

 

 受話器越しの声は震えていて。

 

 ことりは赤く腫らした目を、それでも笑顔で細めながら言う。

 

「昨日は……泣いて帰っちゃってごめんなさい」

「いや、そんなの……」

「一つだけ、言い忘れていました」

 

 そっと一息。

 小さな掌を握りこんで、胸元に。

 暖かな力が宿るような気がした。

 

 

 

「分かってます、ことりの想いが届かない事。分かってます、早く貴方への想いを無くさなきゃいけない事。――でも、ことりにはまだ無理そうです」

 

 

 

 

 だから――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう少しだけ、貴方の事、好きでいさせてください……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は――そっと頷いた。

 

「ごめんね……」

「……違うでしょう?」

 

 ふふ、と小さく笑う。

 

 

 

 

 

「ありがとう、ことり」

 

 

 

 

 

 それは奇しくも、昨日彼女を傷つけた台詞と同じで。

 しかし、不思議と――古雪海菜らしい言葉だった。

 

 

 彼女の想いは――優しく抱き留められて。

 

 

 

***

 

 

 寒空の下一人。

 矢澤にこは早足に歩を進める。

 

――どうして、君はそこまで……?

 

 当たり前でしょ、と、溜息。

 

 

 

 

「いい女ってのは、惚れた男の幸せを願うものなのよっ」

 

 

 

 

 なーんてっ! カッコつけ過ぎたにこ~!

 

 彼女はぺろりと舌を出して走り出した。

 

 

 

 

 

 

 後に残るは涙の足跡。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の想いは――知られること無く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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