ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第五十話 ラストスパート

 

 大きな決断をしてから数日が経った。

 

 別段空気は重くなく、今まで以上に全員が練習に真摯に取り組むようになっていた。

 スクールアイドル活動自体は例えラブライブで勝てなかったとしても続けては行ける。しかし、μ'sで居られるのはあと二ヶ月足らずの期間だけだ。気合の入り方はやはり最後を前にした人間とそうでない人間では明らかに前者へ軍配が上がる。

 穂乃果たちは確かにあの涙の日を契機に更なる高みへと昇った気がした。明確な空気の変化を感じ取ることが出来た。きっと、彼女達はこのまま最後の時まで減速せずに走り抜けるだろう。

 

 もう、何も心配ない。

 

――が、一方俺は。

 

 

「海菜、昨日も遅くまでご苦労様」

「ふわぁ……」

「お疲れみたいね」

「あぁ。流石に二次試験まで一週間ってなれば……」

「ラブライブ本選も二次試験の一日前だもの、早いものね」

 

 俺は日に日に重くなっていく足に鞭打ちながら歩いていた。

 

 ただでさえ消えなかったクマが一層酷くなってるのを感じる。目尻が眠気と疲れで異常に重く、春の訪れる兆しの無い冬の冷気が必死に体を覆ったダウンを無視して俺を凍えさせた。自分で言うのもなんだが、少し根を詰め過ぎでは無いだろうか。そう感じるほどには自らを追い込んでいた。

 もちろん、それは他の受験者の人たちも同じだろうけど。

 

「止めても無駄だろうし、最低限の体調管理はしてるだろうから小言は言わないけど……お願いだから無理はしないでちょうだい?」

「うー。分かってる」

 

 返事にウィットにとんだギャグを混ぜることも出来ない。

 俺は塾へ向かうがてらμ'sの練習に顔を出そうと絵里と一緒にいつもの練習場所へと向かっていた。

 

「はぁ……」

 

 真っ白な息が視界を覆う。

 なぜだろう……あぁ、下を向いてるからか。

 

「…………」

「…………」

 

 到底、小粋なトークを展開できるようなテンションや脳内状況ではないので二人して無言で歩き続けていた。普段より少し不規則な足音が耳朶を打ち、そのリズムで叩き込んだ数式が踊る。

 

「海菜……?」

 

 平面図形を見た時に考えることは大きく分けて四つ。三角比を利用するか、ベクトルを用いるか、座標に落とし込むのかはたまた初等幾何的に図形処理するのか……。座標で行くとなると時間がかかるし、初等幾何は難問が多い。公式処理や数式が簡単になり易い前半二つを……。

 

 ぐるぐる。

 

 異常な速度で回り続ける頭を特に制御することも無く歩いていた。睡眠不足なのは確かだが、別に体調を崩すレベルで勉強をしているわけでは無い。きちんとベストパフォーマンスを維持出来るギリギリを見極めて生活はしている。

 ただ、明らかに精神状態が受験一色に染まっているのは事実だった。

 

「海菜」

 

 それは仕方ないだろう。

 今まで過ごした三年近い歳月は、一週間後のたった一日にだけ、焦点を置いて来たのだ。勿論たくさん大切なものはあるけれど、一六八時間にまで迫った運命の分かれ道を前にしてしまうとそれ以外は考えられなくなっていた。

 

「海菜!」

「は、はい!」

 

 急に絵里の声で現実に引き戻される。

 

「ど、どした?」

「何度も呼んでるのに返事がないから……ホントに大丈夫?」

「体調管理の心配? そんな初歩的なヘマはしないって。全て含めて受験だし」

「いや、受験の心配なんてした事無いわよ。海菜は絶対受かるって信じてるもの」

 

 さらっと嬉しい事を言ってくれる。

 しかし、絵里の表情は明るくなかった。

 

 一体どうしたというのだろう?

 普段の俺なら多少の予測は立てられたのかもしれないが、現時点で絵里の表情の意味を理解することは出来なかった。静かに首を傾げて彼女の言葉を待つ。

 

「でも、無理して練習に付き合う必要はないと思うわ」

 

 それはシンプルな提案だった。

 

「何度か言ったとは思うけど……」

「うん、というか結構前から言ってるよな?」

「同じ言葉自体は、でしょう? ちょっと意味が違うの」

 

 何か含みを持った台詞に疑問符が浮かぶ。

 確かに同じ言葉自体は何度かかけられたことがある。勉強は結構忙しいし、俺に負担がかからないよう心配してくれているのは分かって居た。しかし、彼女たちと一緒に居たいと決めたのは俺だし何よりそうしたいとも思っている。だからこそ忙しくても顔を出すくらいは……。

 

 

「改めて聞くけれど、どうして練習を見に来てくれるの?」

「それは……自分で決めたことだし」

「えぇ。勿論、その決断をした海菜の考えは良く分かってるつもりだし、感謝してるわ。でも、今この瞬間、本当に初めの頃の気持ちで顔を出そうとしてくれてる?」

「初めの気持ち……?」

 

 初めの気持ち。

 それは俺が大切に想う穂乃果たち――μ'sと出来るだけ多くの時間を共有して俺も彼女たちの力に、一員になりたくて。だからこそ多少無理をしてでも練習場所に向かっていた。

 

 

「もちろん、変わってないよ……」

「そうかしら。私は、海菜が来てくれる理由は既に達成されていると思うの」

 

 サファイア色の瞳が俺の奥深くまでを見通す。

 

 

――全てが理解されている感覚。まるで心まで覗き込まれているかのような。

 

 

 絵里だけに出来る瞳。

 

 

「少し、惰性で無理してくれているのだと思うわ」

 

 惰性……?

 

「もう、あと一週間位は来なくたっていいのよ? だって、貴方はもう既にμ'sの一員でしょう。それは、あの日……海に行った日。穂乃果が口にした『十人』という言葉でハッキリしたはず。私は……私達はこのまま走り抜ける、海菜にもそうして欲しいの」

 

 

 惰性か。

 

 その言葉の意味は知っている。同時に認めたくは無かった。

 俺がμ'sにかける気持ちは本物だし、揺るぎないもの。しかし、絵里が言ってくれた言葉に一つとして反論は浮かばない。俺が練習に参加する意味は今までは『μ'sの結束を高める』『練習効率をあげる』……色んな意味を持っていた。

 しかしどうやら『俺の意地』以外に無くなっていたようだ。

 

 それを惰性と表現するのなら間違いは無い。

 意味があるから行くのではなく、行くことが目的に変わってしまっていた。

 

 だとすれば、その工程を削る事は決して悪い事では無い。

 むしろ、自分の将来と真摯に向き合うならば……。

 

「……」

「私は海菜の事ならなんだって分かるわ」

 

 可愛らしく微笑みながら絵里が言う。

 

「受験の事で頭が一杯でしょう? 三年間頑張ってきたんだもの……最後の一週間くらい誰かの為じゃなく、自分の為だけに頑張ってあげて」

「それは……でも」

「お願い」

 

 長い睫毛が伏せられる。

 お願いって……。

 

 どうして君が頭を下げるんだよ。俺は小さく苦笑を浮かべると前を向いた。吐き出した白い息は先ほどとは違って空へと昇っていく。俯きがちだった顔はいつの間にか前を向いていた。

 

 

 

「それじゃ……任せて良いかな」

 

 

 

 それはお願いではなく信頼。

 唯一無二の幼馴染が示してくれた選択肢を選び取る。

 

 

 

 

***

 

 

 俺は初めて――穂乃果が倒れてしまった時以来、初めて、練習を休んだ。

 

 その決断のもたらした成果は大きい。少し増えた仮眠の時間は着実に集中力の向上に貢献し、何より『数時間使える時間が増える』という事実が明らかに追い込まれていた精神に緩和をもたらしてくれた。μ'sの練習参加が『負担』だと思ったことは一度もないが『枷』であったのは事実。

 俺は俺の時間を俺だけの為に使えるようになった。

 

 でも――。

 

 不思議に思う。

 

 

「我ながら素直に言う事聞いたよなぁ」

 

 

 塾を出て、寒空の下をゆっくり歩く。

 自分で言うのもなんだが、意思は強い方だ。言い方を悪くすれば意地を張りやすいタイプでもある。俺が練習に参加する意味が既に『自分の意地』以外に無くなってしまった事は自覚した。しかし、古雪海菜という人間は本来その『意地』を重要視してしまう頭の固い性質を持っている。

 

 自分の事だからこそよく分かって居た。

 このまま練習に意地でも参加する! と言ったとしても違和感は無い。

 

 しかし、現実は違う。

 

「結局、練習行かなかったし」

 

 幾分か疲れが取れて軽くなった足取り。

 

「その事を気にしてる訳でもない」

 

 行かなかった事実を反省することは無く、これで良かったのだと思えてる。

 

 

――不思議だ。

 

 

 俺の本質が変わってしまったかのような感覚。

 

 

 

 

 しかし、なんとなく答えは分かって居た。

 

 

 

 

「絵里が言ってくれたからだろうな」

 

 

 

 

 きっと、それに尽きるのだろう。

 例え同じ台詞だとしても、絵里以外が俺に諭したとしたらきっと言う通りにはしなかったと思う。『誰かの言葉』と『自分の意地』を比べた所で勝敗は明確。後者を優先してしまうのが俺だ。

 でも、『絵里の言葉』と『自分の意地』を比べたら……。

 

 きっと、それが俺の決断の理由に違いない。

 

 絵里は、俺の事を理解してくれているから。

 彼女が俺の事を考えて進めてくれた選択肢。いつもは見守り支えてくれる事の多い彼女が明確に俺の意思とは反する道を示した。きっとそこには俺が考えている以上の意味と心が詰まっている筈で。手放しにそれを信じられるからこそ俺は彼女の言葉に身を委ねることが出来た。

 

 きっと、そうさせてくれるのはあの娘だけ。

 

 

 

 この先もずっと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「古雪くん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 唐突に聞こえた自分の名前。

 それは二番目に慣れ親しんだ声だった。

 

「希? どしたの、こんな時間に」

「え、いや……。古雪くんが今日から練習来れないってエリチに聞いたから」

「あぁ、絵里がちゃんと説明してくれたでしょ?」

「そうなんだけど……」

 

 希は寒さからか……それとも恥じらいからか。頬を赤く染めて視線を足元に落とす。ラブライブまで時間が無いため、最近はバイトに入っていなかったはず。にも拘らずこの時間に出会うという事は――彼女は俺に会いに来てくれたのだ。

 

「あの、コレ」

 

 そう言って希は缶コーヒーを差し出した。

 

「……お疲れ様!」

「え? あ、ありがとう」

 

 意図は分からないまま、とりあえずコーヒーを受け取る。手袋越しにも暖かさが伝わってきた。俺と会う少し前に買って来てくれたのだろう。俺はありがたく、少し甘すぎるものの疲れた身体に染み渡る差し入れを啜る。うん、美味しい。

 

「えっと、どこか入る……?」

「あ、いや! そういう事ちゃうんよ! ……帰りながら話さへん?」

「そっか。全然良いけど」

 

 どうやら込み入った話をしたい訳では無いらしい。

 俺は訝しみながらも歩き始めた。

 

「さ、寒いね?」

「あぁ、わざわざ来てくれてありがとな」

「それは気にせんくてええんやけど……あの」

 

 希はぎこちなく視線を彷徨わせながら両手を後ろに回していた。

 二月も中盤に差し掛かり、僅かに気温も春へと向かっているもののほとんど真冬。木枯らし一つ吹くだけで頬は強張り体が震える。折角買って来てくれた暖かなコーヒーも飲み切る前にすっかり冷えてしまっていた。

 

 希が会いに来たわけ。

 

 俺はそれが分からずに様子を伺う。

 きっと、きっと何か大切な用事が……。

 

 

 

 

「これ……これを渡したくて、来たんよ」

 

 

 

 

 

 一体何を――。

 

 差し出された両手に握られていたのは。

 

「お守り?」

 

 小さな贈り物だった。

 紫紺の布地に細かな刺繍のなされた綺麗なお守り。何処か見慣れた……希のバイト先の神社の名前が書かれていた。何度かバイト先に迎えに行ったときに見たことがある。確かこの色は学業に関するお守りだったような。

 

「その、もうあと一週間で二次試験やから……」

 

 俺の朧げな記憶はどうやら正しかったらしい。

 

「……さんきゅ。わざわざこの為に?」

 

 希は小さく頷いた。

 

「エリチから、一週間は受験に集中するって聞いて少しだけ心配になって……」

「心配?」

 

 不意に彼女の口から飛び出したワードに反応する。

 

「うん」

 

 アメジスト色の瞳が少し深い色を帯びた。視線と視線が交差して、まるで覗き込まれるかのような感覚に陥る。揺れる瞳の奥には確かな優しさの光が見えた。どうやら彼女は俺を本当に心配してくれているらしい。

 何が理由だろうか?

 別段、気にかかるような事は……。

 

「どうして? 試験なら心配無いよ。これでも成績は優秀だし」

「いや、そうなんやけどね? その……」

 

 希は逡巡した後、自信なさげに囁いた。

 

 

 

「古雪くんらしく無いなって……」

 

 

 

 俺は無言で続く言葉を待った。

 

 

 

「古雪くんやったら、意地でも練習に顔出しそうなものやん?」

 

 

 

――参ったな。確かにその通りだ。

 

 考えていたことが、俺の特性が。

 完璧に見透かされていることに気付き、動揺する。

 

「あ、もちろん、無理して来て欲しかった訳ちゃうんよ!?」

 

 慌てて取り繕う希。

 しかし、俺は得体のしれない……むず痒い気持ちをどうにか処理するのに必死になっていた。

 

 俺は、誰かの気持ちを――完璧に理解することは出来ないと思ってる。

 

 少なくとも、出会って数か月、数年の人間を理解し逆に理解されることはあり得ない。そしてそれは間違いない事実だろう。だからこそ俺達は一生懸命自分の気持ちを言葉にするし、相手の想いを聞いて自分の中に噛み砕いて落とし込もうとするのだ。

 

 俺は知っていた。

 誰かを理解することの大変さと、その労力を。

 

 

――だからこそ。

 

 

 

「ただ、いつもと違う古雪くんが……心配やったから」

 

 

 

 希の気持ちが嬉しかった。

 

 きっと、一生懸命俺の事を見てくれていたのだろう。考えていてくれたのだろう。俺が彼女の気持ちに気が付くずっとずっと前から、希は俺の事を理解しようと頑張ってくれていたのだ。我ながら理屈っぽくて、面倒な性格で。それでも一緒に時を過ごし、いま、確かに普段とは違った様相を見せた俺の心を見抜いてくれた。

 

 それが分かるからこそ、どうしようもなく彼女の気持ちが嬉しくて。

 心臓の奥深く。自分でも見えない部分が熱を持つのを感じた。

 

 もちろん、俺を理解してくれているという点では絵里に及ばない。

 絵里はきっと気付いてる。気付いた上で、俺の進むべき道を教えてくれた。

 でも、それはある意味俺たちの関係上は当たり前のことで。

 

 

 

「そっか、ありがとな」

 

 

 

 無償の優しさが身に染みた。

 

 

「ううん。ウチじゃどうして良いか分からなくて」

「そんなの、気にしなくて良いって」

「エリチがきっと古雪くんにとって一番の手助けをしてくれると思うんよ。だから、ウチじゃ古雪くんの役にはたてないだろうから……せめて」

 

 

 希はにこりと微笑みながら言った。

 

 

「ちゃんとウチのパワー、このお守りに込めたんよ」

「……」

「応援だけでも、させて欲しいから」

 

 

 それは、絵里とは違った在り方だった。

 俺と絵里との関係はいつも……背中合わせ。互いに独立して立ちながらも、いつだって相手の事を気にかけていて。助けが必要なら手を差し伸べて力を貸して。その形は彼女が俺に好意を見せてくれてからも何ら変わっては居ない。

 

 でも、希は……。

 

 

――静かに寄り添ってくれる。

 

 

 俺が進む道。

 俺が苦しむ過程。

 俺が見据えた未来。

 

 

 確かに感じる優しい温もり。

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 返せたのは掠れ声だけで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラブライブ本選まで残り六日。

 二次試験まで残り七日。

 


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