ラブライブ! ~黒一点~   作:フチタカ

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第四十四話 心からの応援を、これからの君へ

 屋外の冷気が頬を刺すが、強く押し当てたスマホが僅かに熱を持ってそれを和らげる。しかし、俺の心情は暖かさや落ち着きとはかけ離れたものだった。忙しなく足を動かして、西木野家の玄関先をウロウロと歩きまわる。

 少し強くなってきた雪が肩に降り積もっていくのも気にならなかった。

 

「もしもし?」

『もしもし、ツバサです』

「あぁ」

 

 通話相手は綺羅ツバサ。

 つい数時間前まで穂乃果達と熾烈な最終予選を戦っていたスクールアイドルグループA-RISEのリーダーであり、自他共に認める天才。彼女の声は予想よりずっと落ち着いていて、普段と何ら変わらない透き通る……それでいて深みのある声色だった。

 

『ふふ。連絡、待ってたでしょう?』

「いや、てっきり明日以降かと……予選直後は疲れてるだろうし。とりあえずはお疲れ様」

『ありがとう! いえ、大事なことはきちんとこなしておかなきゃね? 約束だし』

 

 そう、約束。

 俺はなぜ彼女が連絡してきたのか検討が付いている。まさか今日すぐにその話をするとは思っていなかったけれど、確かに彼女の以前の発言を言葉通り捉えるのなら当日に肝心の話をして来るのは自然な事。

 

【最終予選の後、私はカイナに正式な告白をするわ】

 

 その台詞を忘れた日など無かった。

 

『まさか、答え出してないとかは……無いわね。貴方に限っては』

 

 電話越しに僅かな笑い声が響いた。

 

 もちろん、答えは出てる。

 

 

 

――ツバサが俺に好意を持ってる。その意思表示に対する答えは。

 

 

 

『これから、会える?』

「……もちろん」

『ありがとう。……ごめんなさい、あの娘達との時間を奪ってしまうけど』

 

 声のトーンが下がる。

 彼女のことだ、きっと俺がμ'sの皆と一緒に居ることくらい予想は付いているのだろう。しかし、彼女は俺を呼んでる。ツバサにとってそれだけ重要な時間なんだと思う。そして、俺にとってもかけがえのない経験になるって感じるから……。

 

 だからこそ、頷いた。

 電話じゃ伝わらない。

 直接会って伝えなきゃいけない言葉がある。

 

 

『それじゃ、いつものカフェで待ってるから』

 

 

 言い残して、ツバサは通話を切った。

 いつの間にか二人が会って話をする場所になっていた俺のお気に入りのカフェ。人通りの少ない入り組んだ路地にある、勉強するにはうってつけのその場所でトップアイドルと逢瀬を繰り返すだなんて、一年前には想像すらしていなかった。

 

 俺はスマホをポケットにしまうと、荷物を部屋に戻って取りに行くか一瞬考えた。

 

――いや、このまま行こう。

 

 ツバサの事だ。時間を無駄に取ることは無いだろう。

 それに、祝勝ムードに浸る皆の邪魔をするのは良くない。下級生はまだしも、特に三年生組は俺がこんな時に抜け出すことに関して心配してしまうだろう。余計な気を使わせて折角の楽しい雰囲気を壊したくなかった。

 だからこそ、俺は何も言わず門を出ようとして……。

 

 

 

「古雪くん」

 

 

 

 足を止めた。

 

 この声は――。

 

「希……」

 

 振り返った先には同級生の姿があった。

 そして、俺はすぐに彼女の手に俺のカバンが握られていることに気がついた。参ったな、どうして分かったんだろう。苦笑いを浮かべながら一歩希に近づく。

 

「どうかした?」

「うん。慌てて古雪くんが外に出てくのが見えたから」

「そっか」

 

 見られてしまったのは仕方がない。

 肝心なのは、彼女がわざわざ荷物を持ってきてくれたことで。

 

「そのカバンは?」

 

 俺は素直に見慣れたスクールバックを指差して問いかけた。

 

「なんとなく、古雪くん……どこかに行く予定があるんやろなって思ったから」

「……察しが良すぎるだろ」

 

 気が回る女の娘とは言え、あまりに予測が正確過ぎる。電話を理由に部屋を出た俺の表情を見ただけでそこまで判断出来る人間なんて早々居ない。きっと綺羅ツバサでも無理だ。確かに、気にはなるかもしれないが確信までは持てない。

 だが、希は少しだけ寂しそうに微笑んだ。

 

 

「古雪くんの事は、よく見てるから……」

 

 

 僅かに震える声で。

 染まった頬は寒さのせいじゃないだろう。

 

「なんとなく、祝勝会が始まる前から緊張してる様子だったから何かあるのかなって考えてて」

「…………」

「その理由は何となく分かったんよ」

 

 希はそっとスクールバックを差し出しながら言った。

 

 

 

「ツバサさんの事、なんやろ?」

 

 

 

 なるほど、確かに予想を立てる事は出来るかもしれない。

 ツバサが俺に想いを寄せてくれているというのは皆が知ってることであり、結果が出ていないことも分かっている。その上で、持ち前の観察力で俺の挙動の違和感に気が付いたんだとしたら安易に答えに辿り着けるだろう。

 俺としては普段と変わらないように振舞っていたつもりだが、どうやら片鱗が出てしまって居たらしい。

 

 不覚。だけど、そりゃ力みもするさ……。

 言い訳をするつもりは無いけれど、こんな経験初めてだから。

 

「あぁ。……ちょっと会ってくる。皆には……」

「うん。ウチから上手く言っとくよ」

「さんきゅ」

 

 彼女からカバンを受け取って軽く頭を下げた。

 本当、頭が良くて空気が読めて……優しい女の娘だ。

 

 俺はそのまま踵を返して、約束の場所へと向かい――。

 

 

「ふ、古雪くん!」

 

 

 焦った声。

 吐息は白く。

 頬は紅く。

 

 

「あの……あのね! ウチ……」

 

 

 何となく、希の気持ちは理解出来た。

『古雪くんのことは、よく見てるから……』

 それは自然に出てきた言葉じゃ無いだろう。きっと勇気を振り絞って何かの考えのもと、口に出したんだと思う。

 

――もしかしたら、古雪くんとツバサさんは。

 

 自然な思考だろう。俺に想いを寄せてくれているのなら、尚更。

 

 

「ウチね……!」

 

 

 何を言おうとしたのかは分からない。

 

 それを察してあげられるほど俺は聡明じゃなかった。

 

 

 でも――。

 

 

 分からないけど、最終予選を済ませて疲れきったままに彼女はここにいて、その状態で色んな事を考えてる。それはもしかしたら誤った思考や判断を招きかねないことで……。焦燥感や不安感から紡ぎだされる言葉を彼女の口から聞きたくはなかった。

 だから、俺はそっと希の側に戻って優しく額に拳を当てて囁く。

 

 

 

「また、ゆっくり話そう」

 

 

 

 きっと、希も俺の言おうとしたことを理解出来はしていなかっただろうけど……。

 

「……うん」

 

 素直に頷いてくれた。

 

 

 

***

 

 

 カランカラン。

 

 古びて僅かに摩擦音の交じる鐘の音が店内に響く。相変わらず客足の少ない、にも関わらず遅くまで回転しているカフェに足を踏み入れた。馴染みのマスターが軽く会釈をくれる。

 俺は、ツバサが来る前に注文だけ済ましておこうとして、

 

「こっちよ!」

 

 既に彼女が居ることに気がついた。

 何となく違和感。いつもは一方的に押しかけられるばかりだったから。

 

「はい。珈琲で良かったわよね?」

「あ。悪い。代金は払うよ」

「遠慮しないで。ずっと奢って貰ってたんだから、最後くらい」

 

 それはただの日常会話の様だった。声色は普段と変わらず、最終予選の後にも関わらず彼女の表情に疲れは見えない。どこか吹っ切れたような顔つきとくるくるとよく動く大きな瞳。ツバサは何の葛藤を表に出すこと無く『最後』と言った。

 

「最後……?」

 

 呟いた言葉に返事は帰ってこなかった。

 ツバサは意味深に微笑むと、そのワードを無視して話し始める。

 

「カイナ。今日はおめでとう。μ'sのライブは本当に素晴らしかったわ」

「さ、さんきゅ」

「完敗よ。……貴方が言った通りになった」

 

 真っ直ぐに俺の目を見つめる。

 

「言い訳をするつもりは無いけれど。正直、まさか私達が負けるなんて思ってなかったわ」

「…………」

「私は、私の思う全ての努力を余すこと無く実行してきた。それはあんじゅも英玲奈も同じことよ」

「そう、だろうな」

「でも、私たちは負けた」

 

 俺は静かに聞いていた。

 なぜなら、掛ける言葉が見つからなかったから。確かに、俺はμ'sの応援をしていたし仲良くなったとはいえA-RISEは敵。だから、いつだってツバサの敗退を願ってきた。どうにかして穂乃果達を勝たせたい……それだけを目標にしてきた。

 しかし、いざそれが現実になった今。

 別の感情が、新しい疑問が湧く。

 

――天才(綺羅ツバサ)でも超えられない壁があるのか。何故、穂乃果達は勝てたのか。

 

 彼女は紛れも無い天才だ。

 そんな事、俺が一番良く解ってる。頭の回転、生まれ持った身体能力、容姿、家庭環境に至るまで。それら全てを兼ね備えていたのがツバサだし、彼女を個の力で超えるメンバーはμ'sに居ない。きっと穂乃果でさえ、実力を数値化するのならツバサの半分にも満たないだろう。

 

 しかし、μ'sが勝った。

 信じていたさ。だけど、信じられ無い部分も、目を背けていた部分も確かにあった。

 A-RISEが失敗した訳じゃない。彼女たちは彼女たちなりのベストパフォーマンスをした。ウチも同じ。しかし、明らかにあの場所での輝きは穂乃果達の方が大きかった。その理由は俺の中では未だに不透明で、きっとμ's自身にも分かって無いことだと思う。

 

 

 

「私は、間違ってたみたい」

 

 

 

 彼女は微笑んだ。

 俺はきっとその表情を生涯忘れないだろう。

 

 諦めでもない、悔恨でもない、悲しみでもない。

 あらゆる負の感情を含みかねないシチュエーションと言葉だ。今上げた想いが込められていても不自然ではないし、むしろ人間ならそれが当たり前だろう。自分の努力が実らず、目標が潰えたのはつい数時間前のこと。常人なら涙を流して悔しがり、もしかしたら怨嗟の声をあげるかもしれない。

 

 しかし――。

 

 

 ツバサは笑う。

 力強く。

 気高く。

 

 

 彼女はもう、前を向いていた。

 

――天才とはかくあるべきなのか。

 

 感心や感嘆と共に俺は同情を覚えてしまった。泣いても良いんじゃないかと思う。辛かったって、悔しいって。嘆いたって良いと思う。そんなにもストイックに自分を追い詰めなくても良いんじゃないかって。だけど、きっと彼女はそんな無駄な時間を取るつもりは無いんだろう。

 

「ツバサ……」

「なんで貴方がそんなに哀しそうな顔をするの?」

「いや。何でもない」

 

 そして、俺のこの感情はただのお節介だ。

 古雪海菜から見れば険しく辛い道のりも、ツバサにとっては当たり前の人生。才能という積まれたエンジンが違えば、きっと彼女みたいな生き方も出来るんだろう。どこまでも底知れない。同情と憧れを同時に感じてしまった。

 

「差し支えなかったら、教えてくれないか?」

 

 俺は問う。

 

「君は何を間違ってたのか」

 

 素直な疑問。

 勝利を目指すツバサの姿勢に間違った点はあったのだろうか? 穂乃果には穂乃果の、ツバサにはツバサの哲学があってそれに従っただけ。確かに結果は出たけれど、俺は彼女の在り方を否定しては居なかった。

 純粋に、穂乃果達を応援して信じていただけ。

 

「貴方にはわからなかった?」

「言葉にできるほど、ハッキリとは。たしかにμ'sの輝きが勝っては見えたけど……」

「……そう。でも、だからこそ。意識していないからこその輝きなんでしょうね」

 

 ツバサは一人、納得したように頷いた。

 

「私は、実力が全てだと思ってた」

 

 彼女の独白が溶ける。

 

「私さえ魅力的なら、輝ける。全ての視線を集められる」

 

 理解は出来た。

 きっとそれはツバサの核となる考え方だったのだろう。生まれ持った才能を自覚した人間だけに許される思考。彼女の魅力によって一度は頂点までのし上がったのがA-RISEだ。きっとあんじゅや英玲奈は懸命にツバサを追いかけてきた。

 

「それは……間違いだったのか?」

「……えぇ」

「俺は……そうは思わない」

 

 実力は大事だと思う。きっと、何よりも。

 ただひたすらに自己の完成を目指すツバサの姿に憧れ、嫉妬したことはあれどそれが間違いだと思ったことはない。意地を張って彼女たちに敵対する道を選んだのも、それほどまでに自分に厳しく慣れず才能も足りない己への反抗心でもあったから。

 

「いいえ。間違いだった。……少なくとも、スクールアイドルの頂点を目指すなら」

 

 しかし、ツバサは俺の言葉を真っ向から否定した。

 

「穂乃果さんは、素晴らしいリーダーね?」

「え? あぁ。おっちょこちょいではあるけど、立派なリーダーだと思う」

「あの娘は私とは別種の才能の持ち主。そして、それはスクールアイドルに最も適したセンスだった」

 

 穂乃果の……能力?

 なんとなく、上手く説明は出来ないけれど言いたいことは分かるような気はした。

 

「私は全ての結果は自分の能力にだけ帰着すると思っていたの。でも、きっと彼女はそうは考えないでしょう?」

 

 ツバサは心地よさそうに珈琲の香りを嗅いでみせる。

 

「穂乃果さんは言ったの。夢を叶えたい……皆でって」

 

 記憶の片隅を刺激される。

 それは閉会式の台詞だった。

 

「それを聞いて分かったの。彼女たちの強さの理由も、私達が負けた訳も」

 

 彼女は紡ぐ。

 冷静な分析。

 次に繋がる言葉たち。

 

「『皆で』って私には欠片もなかった考えだったわ。だってそうでしょう? 努力をするのも、目標をきめるのも、演技をするのも、そして勝つのも……全て『自分』だったから。だけど、そんな私が負けて正反対の在り方をしたμ'sが勝った」

 

 自分が頑張る。

 自分が歩く。

 自分が勝ち取る。

 

 それは俺の中にもある考えだった。

 

「俺は、ツバサの考え寄りだから。間違っては無いと思う……」

「ふふ。きっと、それが『勉強』と『スクールアイドル』の違いなのよ。客観的な数値以上に不可視な印象や感情が左右するのがダンスであり歌。私はそんな曖昧な評価さえ意のままに操れるって思ってたけど……それは思い上がりだった」

「…………」

 

 静かに彼女の言葉に耳を傾ける。

 

 

「μ'sと、カイナの姿を見て気付かされたわ」

 

 

 そう言って、彼女は俺を見つめた。

 

「俺? 俺はなにも……」

「きっと、本人には気付けないのね。でも、私は見たの」

 

 見た? 何を……?

 俺はただ、μ'sを信じて声援を送ってただけ。

 

 

 

「A-RISEに届き得なかったμ'sの輝きが、観客の声と――貴方の声援に呼応して私を超えるほどに膨らむ光景を」

 

 

 

 思い出すのは手を繋ぎ現れた穂乃果達の姿と、必死に声を振り絞った記憶。あんなに広い会場で出した俺の応援は当たり前のように溶けていって。

 ……だけど、確かに彼女たち一人一人と意識が通じあったような、そんな気がした。

 

「私は気がついた。自分一人じゃ開けられない扉が存在するの」

 

 滔々と語る。

 

「片側から必死に押したって開かない。両側から息を合わせて初めて魅せられる光がある。μ'sはカイナの為に輝こうとして、カイナは私の知らない大きな想いを彼女たちに乗せた。だからこそ、A-RISEでは開けなかった高みへと繋がる扉をこじ開けた……私はそう思う」

 

 だから、私たちは負けたのよ――。

 

 

 ツバサは言い切った。

 

「そう……なのかな」

 

 しかし、俺はまだ半信半疑で。

 言われてみればそうなのかもしれない。だけど、自分の力がどれくらい穂乃果達に何かを与えられているかなんて分からないし、ツバサが言うように本人には気付けないのかもしれない。

 しかし、確かにA-RISEになくてμ'sだけにあるものって考えると納得出来る部分もある。それに、他でもないツバサの分析だ。

 

 もし、本当に俺が少しでも力になれてたのだとしたら。

 ……それほど嬉しいことはない。

 

 

 

 

「私は、それを踏まえて前に進むわ」

 

 

 

 ツバサは好戦的に微笑んだ。

 

 

 

「『スクールアイドル』として必要なこと、『アイドル』として必要なこと……それを冷静に見極めながらね。カイナと、μ'sに出会えたことは私にとって本当に良い経験になった」

 

 

 

 それは、俺にも言えることで。

 俺は、君と会えたから――。

 

 

 

 

「それじゃ、反省はここまでにして……本題に入りましょう?」

 

 

 

 

***

 

 

 

 かたん。

 

 乾いた音を立ててイスが揺れた。

 ツバサは少し崩していた姿勢を戻し、背筋を伸ばして深く腰掛ける。体重がかかった椅子の足が古くなった床板を軋ませた。さっき頼んだ珈琲は既に冷めていて、立ち上る湯気は見る影もなく彼女の端正な顔立ちだけが瞳に移る。

 

 凛々しい表情だった。

 美しい眼差しだった。

 

 これから紡ぐ言葉に、全ての想いを乗せる覚悟をした女の娘の姿。今まで何度か見たことあるはずの光景は、今までのどんな状況よりも俺の心を震わせている。落ち着き払ったツバサの様子とは正反対に鼓動は増し、震えそうになる掌を握りこんだ。

 

 

「カイナ」

 

 

 俺だけにしか聞こえない声。

 俺だけに届けてくれる言葉。

 

 小さな薄桃色の唇が――揺れた。

 

 

 

 

 

 

「貴方の事が好きです。私と、付き合って下さい」

 

 

 

 

 

 

 天才の告白の台詞は、拍子抜けするほどに単純で。

 そしてどこまでも深く重みのあるモノだった。

 

 ツバサはゆっくりと言い終わると、小さく頭を下げた。艶やかなショートヘアが揺れる。

 そして、顔をあげると真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。照れるでも無く、遠慮するわけでもない。ただ、俺の心を見透かすかのような視線を送ってきた。

 

 俺は乾いた唇を噛み締める。

 

――言わなければ。

 

 これほどまでに正々堂々と彼女は俺に心をくれた。

 だからこそ、俺は考えて来た結論を素直に口にするだけ。

 

「ツバサ……、俺は」

 

 しかし。

 

 

 

 

 

「いえ、返事は必要ないわ」

 

 

 

 

 

 戸惑いで頭が真っ白になる。

 呆けた様子の俺を見つめながらツバサは微笑んだ。

 

――とても哀しそうに。

 

 

 

 

 

「困る事もあるのね……。人の心が見え過ぎるっていうのは」

 

 

 

 

 

 それは、独白。――天才故の。

 

 乾いた笑い声。

 

「ずっと分かって居たわ。貴方の心が私ではない誰かに向いてること。全部知ってた。恋心を意図的に押し隠す姿も、私がきっかけで真摯にそれと向かい合っていることも。でも、出会った頃からカイナは何一つ変わってないってことも……」

 

 寂しそうな瞳。

 

「そう、貴方は変わってない」

 

 止めどなく彼女は話し続ける。まるで俺に口を挟まれるのを拒絶するかのように。

 

「出会った頃と今と。本質は変わってないの。貴方の大切なものは、一番大事にしたいものは……私じゃない。そうでしょう?」

 

 

 

 俺は――頷いた。

 

 

 

「やっぱり……。私は、貴方を変えられなかった」

 

 

 

 一番大切にしたいもの。

 それは、彼女じゃない。

 

 やはり脳裏に浮かんだのは二人の女の子の姿だった。

 

 もちろん、ツバサと付き合いたいって気持ちが無かった訳じゃない。相手はトップクラスのスクールアイドルで、美人で可愛い。男として彼女と恋人に成るということはどれほどのステータスになるだろうか? それだけじゃなく、あの才能を間近で見られることの幸運さだって理解している。

 きっと、ツバサと一緒にいれば俺も高みへ行ける――そんな気がしていた。

 

 客観的に見れば悪い事なんて無い。

 世界中探したってツバサ以上の女の子は居ない。

 

 

 理解ってる。理解っているさ!

 

 

 でも――俺には、もっと大切な女の子がいた。

 

 

 

「ふふ。そんな貴方だから、手に入れたいって躍起になっちゃったのかもね」

 

 

 

 ツバサはそんな俺の本心を見抜いていた。

 頭で考えてどうこうできる問題じゃない。理論建てて考えればツバサと付き合うのが一番だ。でも、その結論を他でもない俺の心が拒絶した。だから、俺は君を選ばない。選ぶことは、出来ない。

 

「でもね、カイナ」

 

 ツバサは笑った。

 それは、初めて見た笑顔だった。

 

 いつもの、文句の付けようのない作り物の表情じゃない。

 不器用に貼り付けた、今にも泣き出しそうな微笑み。

 目尻には僅かな涙が溜まり、唇はきゅっと引き結ばれた。

 

「私は、貴方に会えて本当に良かったと思うわ」

「……俺も同じだよ」

「ええ。それも知ってる」

「ぐぬぬ……」

「カイナと会ってから、私は色んな経験が出来たから。初めて選び取った専門分野で負けた上、心の底から欲しいと願った貴方は……手に入らなかった。きっとこれからもカイナが私に振り返ることはない」

 

 少し震えた声で彼女は続ける。

 

 

 

──泣くのかな?

 

 

 

 そう思ってた。

 

 ツバサが初めて見せた感情の片鱗。

 俺はどう声をかけるべきか、そればかりを考えてた。

 だって、彼女は俺の大切な友達だ。告白されて、それを振ることになったとしても変わらない。ツバサの泣き顔を黙って見ては居られない。……例え、それが俺が原因となった涙だとしても。

 

 

 だけど――。

 

 

 

 

「ありがとう、カイナ! お陰で、私はもっと強くなれる」

 

 

 

 

 そんな心配は無用だった。

 顔を上げ、今までの哀しげな表情を払拭し力強く頷いてみせる。

 

 

 

 

――それは綺羅ツバサの在り方。

 

 

 

 

 どこまでも強く。

 どこまでも気高く。

 どこまでも美しく。

 

 俺はそれに憧れ、嫉妬したんだ。

 眩いほどの才能を持ちながら、そうではない俺以上に努力を重ねる女の子。一人じゃ気がつけなかった大切なことを教えてくれたのは他でもない、ツバサだ。

 

 お礼を言いたいのは、言うべきなのは俺の方で。

 

 

 きっと、彼女はこれからも高みへと歩き続けて行くのだろう。今日の挫折さえ前へ進む力へと変えて。ツバサの目を見ればそれがすぐに分かった。

 

 

「こちらこそ……ありがとう」

 

 

 彼女が歩んでいく輝かしい道の、一つの礎になれたのなら……それほど嬉しいことはない。

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 雪の中、二人は肩を並べて歩く。

 その距離は近くはなかったけれど。

 

 普段のように弾む会話はなく、無言で雪道に足跡を刻んでいく。この路地を抜ければきっと二人の距離はもっと開いていくだろう。長く、長く続いていくそれぞれの道が、偶然か……それとも必然か。運命に導かれて一瞬だけ交差した。

 これからは、それぞれの夢へ向け歩き出し、少しずつ相手の姿は見えなくなっていく。

 

 お互いにそれを知っていた。

 聡明な二人だからこそ。

 

 

 一歩、二歩。

 

 

 別れは近づく。

 

 

 一歩、二歩。

 

 

 足取りは軽い。

 否、二人とも意図的に渋る両脚を急かしていた。

 

 

 一歩、二歩。

 

 

 近づく終わり。

 

 

 一歩。

 

 

 二人は向かい合った。

 

 

 古雪海菜と綺羅ツバサ二人だけで交わす最後の言葉。

 

 

 

「カイナ、最後に一つだけ聞いていい?」

「あぁ」

 

 

 

 ツバサは一瞬躊躇った後。常に自信と確信に溢れた彼女が、初めて。初めて囁くような不安げな声で問いかけた。

 

 

 

「改めて聞かせて」

 

 

 舞う雪。

 白い吐息。

 

 

 

 

 

「カイナは、私の……A-RISEのファンになってくれる?」

 

 

 

 

【そんな言葉かけられたままじゃ引き下がれない。絶対、私たちのファンにして見せるから!!】

 

 

 

 

 海菜は、初めてツバサと話した時のことを思い出す。

 今の彼はその時とは違う、色んな事を知って様々な景色を見て来た。

 

 

 だから――。

 

 

 

 

「あぁ。応援する。……仕方なく、だけどな?」

 

 

 

 

 素直じゃない、どこまでも海菜らしい言葉。

 ツバサは無垢な喜びが揺れる笑顔を浮かべて――。

 

 

 

 

 

 

「俺は君のファンだよ。今までも……これからもずっと」

 

 

 

 

 

 

 二人の物語は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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