モンスターハンター ~流星の騎士~   作: 白雪

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EPISODE7 ~騎士の条件~

 ペイントの臭気は、未だにその役目を果たしていた。拠点を後にした途端、その臭気が一層強まったように感じられた。

 現在、ペイントの臭気が指す限りでは、リオレウスはエリア5――ヴァイスが最初に対峙した場所に腰を落ち着けているらしい。

「眠っているのか?」

 体力を極限まで消耗してしまったモンスターは、人間と同じように睡眠を取り体力の回復を図ろうとする。強大なモンスターも一種の生物なのだと改めて感じることができる。

 だが、ヴァイスはそんなことを考えてはいなかった。寧ろ、先ほどの疑問が何なのかということに意識を注いでいた。

 しかし、身体だけは動く。エリア1からエリア2を通過し、エリア3へと出る。

 エリア3は、この森丘で最も身動きが取りやすい場所の一つだろう。視界を妨げるものはほとんどなく、エリア自体もある程度の広さがある。

 そういえば、とヴァイスは思う。

 リオレウスと対峙してから時間は流れたが、このエリア3でリオレウスと対峙する機会が今まで一度もなかったのだ。気まぐれなのか、はたまた偶然なのか。ヴァイスには理解し難い。だが、そんなことを気にも留めないのが今のヴァイスであった。

 ――奴を仕留める。

 ヴァイスにとって、それが最重要事項だった。

 エリア3で暢気に草を食べているアプトノスたちにも用はない。元々気性が大人しく、こちらから攻撃を仕掛けない限りは攻撃を行わないモンスターだ。野放しにしていても害を及ぼすことはない。

 ヴァイスが歩を進め始める。

 そして、ヴァイスがエリア4に向かう道を向かおうとしたその時だった。確実にエリア5を示していたペイントの臭気が動き出した。それは、北東に向かって進路を取り、真っ直ぐにこちらに飛来してきていた。

「寝ている訳ではなかったか」

 大して残念そうでもなくヴァイスはそう呟いた。

 ヴァイスにしてみれば、逆にエリア5まで移動する手間が省けたのだ。奇襲を仕掛けられないことは痛いが、それでもリオレウスを仕留めることなどこの場所で十分だった。

 ペイントの臭気が次第に近づいてくる。

 ――来る。

 ヴァイスは、黒刀【参ノ型】の柄に手を伸ばした。だが、その動きが突然、ピクリと止まった。

「何だ?」

 この時、ヴァイスは妙な違和感を感じていた。

 モンスターのものではない。何か、別のものの気配がする気がしたのだ。しかし、辺りを見渡しても何も見当たらない。

 本来、狩場で、そして狩猟の最中にも関わらず、こういった行動を取ることは愚行とも言える。だが、ヴァイスはどうしても意識を逸らすことができなかった。否、意識を逸らしてはいけない気がしたのだ。

 もう一度、神経を研ぎ澄ます。そして、微かながらそれは聞こえてきた。

「……か、……けて……」

 それは音だった。だが、何の音なのかは分からない。少なくとも、それはこの場にいるモンスターの鳴き声ではなかった。ヴァイスは、更に神経を研ぎ澄ませた。目蓋を閉じ、その音に耳を傾けた。

「ひぐっ……。誰か……、助けて……っ!」

 その“音”は泣いていた。それは、今にも掻き消されてしまいそうなほどか細いものだった。

 それは確かに、人の声だった。この場にヴァイス以外の何者かがおり、助けを求めている。そのことをヴァイスは瞬時に理解していた。

「くそっ!」

 この時のヴァイスからは、リオレウスをどうしようという感情は失せていた。助けなければならない。そんな感情がヴァイスに押し寄せてきていた。

「どこだ……! どこにいる!?」

 ヴァイスが必死に辺りを捜索する。だが、人影は見つからない。その間にも、リオレウスはエリア3に接近してきていた。

 早く見つけなければ。焦る気持ちがヴァイスの頭を更に混乱させていく。

 ヴァイスはエリア3の北西側、エリア9、10へ続く分かれ道がある場所を目指して走った。

「この辺りのはずなんだ……!」

 既に、アプトノスの群れがリオレウスの気配を察知し、他の場所へと移動を開始していた。声を張り上げて捜索しようにも、それではリオレウスに居場所を教えているようなものだ。

 ついに、リオレウスがエリア3へと舞い降りてきてしまった。今のヴァイスにはリオレウスを他のエリアに移動させる手段がない。つまり、リオレウスがヴァイスを捕捉してしまえば、助けを求めている人物も煽りを食らい更なる危険に晒されることとなる。

 そんな中、ヴァイスは急に足を止めた。

「あれは……」

 エリア3の北西側には、一本の木が生えている。その木の幹の下、木陰に身を蹲せている人影があった。

「見つけた――!」

 その声を遮るように、リオレウスが咆哮した。リオレウスが、ヴァイスたちの姿を捉えたのだ。

「くっ!」

 ヴァイスは、その人物に向かって走りだそうとする。だが、その意思に反して身体が動こうとしなかった。

「俺は、人を助けられるのか……?」

 無意識にヴァイスはそう口にしていた。

 自分は、何も出来なかった弱者だ。そんな自分に、人を助けることなどできるのだろうか。だが、今この場にその人物を助けられるのはヴァイス一人だった。無残に命を散らせる真似などできない。だが、自分は“人を守るのに値する人間”なのかとヴァイスは自問した。

「今はそんなことを考えている暇じゃない。俺は、あの人を必ず、命を賭してでも助けなければならないんだ!」

 その瞬間、ヴァイスはあることに気が付いた。否、思い出したのだ。

 自分は、目の前の人を守ることができなかった。ただ守られるだけで、決してその人を守ることをできなかった。

 だから、ヴァイスは決意したのだ。誰かを守るために。力がなく、人を守れないという真似をもう二度としないために。ヴァイスは、誰よりも力を求めた。ただ、人を守るために。それが自分の中であの人に対する一番の償いなのだと分かったから。

 ヴァイスの迷いは消えていた。目の前に守らなければならない人がいる。その決意が、ヴァイスを突き動かした。

「こっちだ!」

 ヴァイスが声を張り上げた。すると、その人物は弾かれたようにこちらを振り向いた。

 それは、少女だった。何故こんなところに一人で、という疑問は残る中、ヴァイスはそれを押し殺し手を伸ばした。

「さぁ、早く!」

 少女は、ヴァイスの言われるがまま、ヴァイスに走り寄ろうとした。だが、それを許すほどリオレウスは甘い存在ではなかった。

 リオレウスは、しばらくの間ヴァイスの様子を窺っていたようだ。だが、それに焦れたのかリオレウスは攻撃を仕掛けてきた。上体を大きく反らし炎ブレスを放つ体勢に入る。あろうことか、それはヴァイスではなく少女を狙っていた。

「まずい!」

 その異変に、威圧感に少女の動きが思わず止まってしまった。

「あ……、あ……」

 少女から途切れ途切れのか細い声が漏れていた。

 少女は、リオレウスに圧倒され身動きが取れないようだった。仮に今から動き出したとしても、炎ブレスを回避することは不可能だ。

 無情にも、炎ブレスがリオレウスの(あぎと)から放たれた。それは、少女に向かって一直線に飛来する、少女にとっては死を(いざな)う炎だった。

 少女が目を瞑って衝撃に耐えようとした。だが、それが無意味だということを少女は理解していたはずだ。つまり、生きるということを諦めかけていた。

「死なせない。絶対に、見殺しになんてさせるか……!」

 もう二度と目の前の人を失うわけにはいかない。その想いが、決意が、ヴァイスを駆り立てた。

 少女との足りない距離をヴァイスは跳躍して一気に殺した。少女を押し飛ばしたとしても炎ブレスの爆風に巻き込まれてしまうだろう。ヴァイスは、飛来してくる炎ブレスに背を向け、少女を抱きかかえるようにした。刹那、ヴァイスの背中に凄まじい衝撃と痛みが走った。あまりの衝撃に、ヴァイスの身体は後方に大きく吹っ飛ばされた。

「うわあぁっ!」

「きゃぁっ!?」

 ヴァイスと少女はもんどりうつように地面を転がった。地面に叩きつけられた衝撃によりヴァイスの身体が更なる悲鳴を上げた。

「う……、くっ……」

 背中が焼けるように痛い。おそらく、火傷を負ったのだろう。だが、少女には擦り傷一つすら付いていなかった。それを確認したヴァイスは、不思議と背中の痛みが和らいだ気がした。

 少女が目を瞑っている間にヴァイスは閃光玉を投擲した。

 目蓋を通じて、眩い光が弾けたのが分かったのだろう。少女がゆっくりと目を開けた。少女は、まるで夢を見ているように朧げな表情をしていた。

「大丈夫か?」

 立ち上がり、少女の様子を確認する。少女は何かをヴァイスに伝えたいようである。だが、思うようにそれが言葉にできないようだった。

 その様子を見て、ヴァイスが静かに微笑した。

「俺は、お前を必ず守ってみせる。だから、俺を信じてくれ」

「は、はいっ……」

 少女は、まだ覚束無い様子ながらも返事を返してくれた。

 先ほど、エリア9には害を及ぼすモンスターの姿はなかった。ヴァイスは、少女をエリア9に逃し、リオレウスに向き直った。

 黒刀【参ノ型】を鞘から引き抜き、身構える。

「ようやく、目が覚めた」

 その言葉と同時に閃光玉の効力が切れた。リオレウスがヴァイスを捕捉する。

 そして、ヴァイスも射抜くような視線でリオレウスを捉えていた。

「……そうだ。俺は、決意したんだ」

 ヴァイスは、一気に走り出した。そこには、モンスターに対する憎しみの情はない。

 今は、人を守るために。ヴァイスは、リオレウスとの最後の対峙に動き出した。

 

 

「ひぐっ……。誰か……、助けて……っ!」

 ここがどこか分からない。いや、狩場というモンスターの巣の真ん中だということだけは唯一理解していた。

 元々、自分は泣き虫とまではいかないが、同年代の人と比べてしまえば泣き虫と言えることができた。もう十四歳になろうというのに、孤独に押し潰されそうになり、ただ泣くことしかできなかった。

 そこに、奴は現れた。

 巨躯を支えるほどの巨大な翼。燃える炎のように彩られた紅い鱗や甲殻。自分をこんな状態に追いやったモンスターが、そこに現れたのだ。

 確か、あれはリオレウスと呼ばれるモンスターだったはずだ。性格は凶暴。自身のテリトリーに侵入した者は容赦なく排除しようとする。

 リオレウスがけたたましい咆哮を上げ地上に降り立った。そして、リオレウスと目が合った気がした。瞬間、身体が硬直する。あまりの威圧感に、声すらも出てこなくなりそうであった。

 しかし、早く逃げなければならない。そうしなければ、自分はリオレウスに殺される。だが、ハンターでない自分がリオレウス相手に逃げ切れるかというと、それは絶望的だった。

 そんな時だった。この場に、知らぬ人の声が響いた。

「こっちだ!」

 弾かれたように、その声のした方を向いた。

 赤い服のようなものを纏った男性ハンターだった。彼がハンターだと分かったのは、背中に携える武器が目に入ったからだ。

「さぁ、早く!」

 そのハンターが、こちらに逃げるよう指示してきた。足取りは覚束無いが、そのハンターに走り寄ることはできそうだった。そうすれば、きっと自分は助かる。

 だが、リオレウスはそれを許そうとはしなかった。

 ハンターではなく、自分目掛けて攻撃態勢に入った。

「あ……、あ……」

 本当は、泣き叫びたかった。怖かった。だが、それすらも許されなかった。それほどの威圧感に圧倒され、まともに言葉すら発せられなかったのだ。

 身体も硬直して動かない。無防備な自分目掛けて、ブレスは放たれた。

 ――死ぬ。

 あんな攻撃をまともに喰らえば、生きていることの方が不思議だ。死へと(いざな)う炎が、一直線に飛来してくる。

 自分の意志ではなく、本能的に目を瞑って衝撃に耐えようとした。いや、実際はそれが無意味だということは分かっている。目を逸らせてしまえば。そうすれば、死という恐怖から逃れられる気がしたから。

 大きな衝撃の、あるいは衝撃すらまともに感じないほどの威力のブレスに身構えた。しかし、その身体を包んだのは痛みではなく、人の温もりだった。刹那、凄まじい爆音と衝撃が身体を襲った。

「うわあぁっ!」

「きゃぁっ!?」

 その時は頭が混乱しており、“別の人の悲痛”に気が付かなかった。

 しばらくして、目蓋を閉じていていてもなお眩い閃光が走った。一体何が起こっているのだろうかと、恐る恐る目蓋を開ける。

 目の前には苦渋の表情を浮かべた男性――いや、青年のハンターがいた。長身だったため、二十代後半くらいに思われたが、実際に顔つきを見てみるとかなり若かった。

 そう。この青年がリオレウスのブレスから身を挺して自分を守ってくれたのだ。

「大丈夫か?」

 平然を装い、その青年は何事もなかったようにそう尋ねてきた。

 青年にはちゃんと「はい」と答えたかった。だが、思うように言葉が出ない。

 そんな自分の様子を見てか、青年が静かに微笑しこう言った。

「俺は、お前を必ず守ってみせる。だから、俺を信じてくれ」

 その言葉にどれだけ勇気付けられたことだろうか。一度は死すらも覚悟したというのに、この青年は身を挺してまで自分を守ってくれた。

 今の自分に、一つの希望を与えてくれた。この人なら、必ず守ってくれると。そう、信じることができた。

「は、はいっ……」

 未だに呂律が覚束無いが、そう返事をすることができた。

 青年に促され、彼が示した方向へと走った。

 後ろは振り向かない。振り向いてしまうと、青年の言葉を信じることができなくなってしまいそうだったから。

 今の自分にできることは、青年の言葉を信じること。そして、青年の無事を祈ることだったのだから。


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