「はぁ……っ」
まるで、溜め息にも似た短い息を吐くと、ルナは手に持っていたカップをソーサーに戻した。
ノエルたちの話を聴いてからしばらくが経ち、今は既に日も落ちてしまっている。しんみりとした静寂と寒さが身体に纏わりつき、室内にはぼんやりとした蝋燭の光が灯されている。
「出会い、ね……」
ルナはそう囁いて、手持無沙汰になった右手をカップの縁に走らせる。
今朝の話を耳にして、ルナもまた当然のように過去の出来事に想いを巡らせてしまう。
クートウスで過ごした六年間。今になって振り返ってみれば、それは自分にとって楽しい思い出ばかりではなかった。だがそれでも、たった今の瞬間に満足し、そして幸せな時を過ごしているのだという思いはそれよりも遥かに強いものだった。
特に、この二年間――仲間と共に過ごした時間は格別だ。
取り残された孤独の中、広大な海原を彷徨っていた自分に手を差し伸べてくれた、言わば恩人であり、また親友でもある。そんな仲間に出会うことが出来たのだから……。
「……」
それは確かに嬉しいことであり、感謝してもし切れない気持ちで満たされる。もし“彼”が自分を救い上げてくれなかったならば、自分は今も一人、際涯を見遣り彷徨し続けていたに違いないのだから。
だが、それとは別次元の話で、自分の心は行き悩んでいる。
彼に対する感謝を忘れたことは決してない。
でも、それとは別で、もし“他の大きな感情”を抱いているのだとすれば。しかし、それを言葉にすることは未だに出来ずにいる。
だからこそ、苦しい。
もうすぐ、“終わって”しまう。
楽しかった日々。心に刻まれた思い出。それが、戻りたいと望もうとも決して叶わない完全な過去の話になってしまう。
そうなれば、自分は一人で歩んで行かなければならない。それは自分が待ち望んだ最高の未来だと言うのに、その未来が到来するのを恐れ、背中を向けている自分がいる。
“終わらせたくない”。
このまま全てを有耶無耶にして、背を向けて走り出すことは簡単だ。だが、そうすればいずれ後悔することになる。
後悔だけはしたくない。美しい思い出に、汚点を残したくはない。
だが、そうしてしまえば、今度は彼に大きな負担を掛けることに成り兼ねないのではないか。自分だけの都合で済ますことの出来る問題ではない。“彼の意志”も尊重しなければならない。
それを考えてしまうと、自分も葛藤の渦に飲み込まれる――。
「……ん? まだいたのか?」
しんと静まり返っていた室内に、聞き慣れた声色が響き渡る。
蝋燭の光よりも明るい一筋の光が暗闇を照らし、ルナの顔を映し出す。光の先にいたその人は、紛れもない彼――ヴァイスであった。
「えぇ。少しだけ考え事をしていたのよ」
「そうか」
それだけを告げて、ヴァイスは自室へと向かっていく。
そうしてヴァイスの背中を見送り、再び物思いに耽ようかと頬杖をついたところで、不意に身体が温かい感触に包まれた。
肩の方に視線をやって、自分の身体に毛布が掛けられているのだとようやく理解する。そして、更に先へと視線を伸ばせば、その顔が目に留まる。
「ほら、風邪をひくだろ」
仕方ないな、とでも言いたげな表情をしていたヴァイスであったが、顔を向けた拍子に乱れた毛布を再びルナの肩へと掛けてやった。
ヴァイスから受け取った毛布を、ルナはきゅっと握りしめる。
「うん。ありがと……」
照れ隠しに視線を外しつつも、ルナは素直に礼を口にした。
自分でも顔が熱いな、とは思いつつも、それ以上のことを口にすることも、顔を背けるまでのこともしなかった。
しかし、それをヴァイスがどう感じたかはさすがに分からない。ルナの反応を見たヴァイスは、口元を僅かに緩めるだけだった。
「それじゃあ、お休み」
「お休みなさい、ヴァイス」
最後にそれだけの言葉を交わして、ヴァイスの背中は今度こそ自室の向こう側へと行ってしまった。
部屋に再び訪れたのは、もの悲しい沈黙と微かな灯火の光であった。しかし、それに身を委ねるようにして、ルナはゆっくりと瞼を閉じた。
決して自分にとって美談でも、はたまた卓越した逸話というということでもない。しかし、それは自分の内に深く刻み付けられた、とても大切な思い出だった。
その時の記憶は、今でも鮮明に脳裏に蘇る……。
ノエルは、自分とヴァイスの出会いを“穏やか”だと言っていた。
しかし、あれはどう見ても穏やかな出会いとは言えないし、そもそもそれが彼が込めた皮肉であることも十分に理解している。
だがしかし、自分の話となってしまうと、ルナも人のことは言えない立場になってしまう。何故ならば、ルナとヴァイスの出会いは、ノエルのそれと同等か、或いはそれ以上に剣呑であったのだから。
時系列的な話で言えば、それは四年生の終わり頃、丁度ヴァイスたちが残るもう一人のパーティーメンバーをどうするかと考え始めた付近のことになる。
事の発端は演習授業のことである。
演習授業と一言で表しても、その時の演習授業には二種類の形態があった。
自分の使用する武器と似たような形式でありながらも、殺傷能力を落とすために作られた木製の武器を使用する模擬演習。実際に狩場に持ち込む本物の武器を使用する実践演習。その二つである。
そのファーストコンタクトは、四年生で行われるクートウスでの最後の、各クラス合同模擬演習の際であった――。
「はああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
木製の双剣を突き出し、眼前に迫った“
これが実際に生きたモンスターであったのならば、確実に仕留めていたであろう。そして、生きようと信念がある生物ならば、最期までその意志を嫌と言う程にまで見せつけてくるだろう。しかし、藁で作られた偽物には、そんなものが存在するわけがない。
果たして、こんなことを続けてきて意味があるのだろうか。そんな懐疑的感情を胸の内に覚えながら、ルナは双剣を肩に背負い、そして小さな溜め息を吐いた。
すると、それから間髪を容れず、彼女の周りに他の女子生徒たちが群がって来た。
「凄いね、ルナ! また腕を上げたじゃん!」
「そうそう。動きも俊敏だし、これなら他の男子にも引けを取らない勢いだよ!」
ルナを取り囲む生徒たちは口々にそう言って、彼女を褒め称える。
しかし、このような台詞は、一体何度耳にしたのだろうか。耳に胼胝ができるような思いで、ルナは再び溜め息を吐いた。
「……別に、大したことないわよ。これくらい」
淡泊な口調でそう返すと、再び周りから声が上がる。
「またまた~、そんなこと言っちゃって。相変わらず素直じゃないなぁ~」
愛想の無いルナの対応でも、他の生徒はそんなことを気にも留めない。
それは、他の女子生徒たちにとって、ルナは憧れのようなものだったからである。実戦の実力はさることながら、常に高みを目指し続けるその姿勢に、皆は感心しているのだ。
だが、ルナにしてみれば、それをいじらしく思っている。まだまだ力量不足を痛感している。常に抱いている向上心は、自分の目標に達するにはまだまだであるということを嫌という程理解しているからである。
だから、本当は彼女たちの思うその姿と自分とでは、到底似つかないものなのである。
それを理解してくれる生徒は、今までに見たことはない。そうして呆れ、何度目になるか分からない溜め息を吐こうとしたところで、場が途端に静まり返った。それに加えて、皆の視線が一点に集中しているようである。
それにはルナも不審に思い、皆が首を向けている方へ視線をやってみた。
無数の視線の先にあったのは、一人の少年の姿であった。ルナが少年の姿を視界の中に捉えた瞬間、少年は手に持った木刀を構え、そして地面を蹴り上げた。
「っ――!?」
速い。
開いていた偽物と自分との間合いを凄まじい速度で詰め寄り、太刀の間合いに入った次の瞬間には風を薙ぐような音が聞こえてきた。遅れて、くしゃりと乾いた音が辺りに響き渡ると、偽物の胴体が真っ二つに両断される。
何てことはない。そうした様子で標的を斬り抜いた少年が顔を持ち上げ、その首をルナの方へ向けて来た。そして、ほんの一瞬だけ二人の視線が交錯する。
洒落っ気のある端然な銀髪。顔の線は細く、その瞳は海の底を思わせる深い蒼を湛えている。
しかし、涼しい表情を保ったまま、少年は何事もなかったかのように身体の向きを翻し、友人と思しき者たちの元へと歩み寄って行った。
それまでの粛然とした様も、ようやく失われていく。
「いやぁ、同学年に凄い才能を持った太刀使いがいるってのは聞いてたけど、噂は本当だったんだねぇ……」
ルナの隣にいた少女が目を輝かせながらそんなことを言う。すると、周りもその勢いに調子を合わせていく。
「ねぇねぇ、彼って別のクラスだよね? なんて名前なのかな~?」
「ヴァイス君って言うらしいよ。かなりセンスあるっていう話を先生たちもしてるみたいだね」
「確かに今の凄かったね。あんな動き出来るなんて……」
「何でも、五年生からはギルドナイト部門を専攻するらしいよ。それも、校長直々の勧めで」
「本当!? それって校長もヴァイス君の才能に目を付けたってことだよね?」
周りにいるのが女子生徒だからということもあるのか、その少年を見る目は好印象であった。
しかし、今のルナは、周囲に飛び交う言葉などに聞く耳を持たなかった。
ヴァイス。ルナと同い年で同じ学年でありながらも、太刀を扱う才能は誰よりも抜きん出ている。
話だけならルナも耳に聞いていた。しかし、こうして彼を、彼が太刀を扱う姿を目撃するのはこれが初めてだった。
そして、一目見ただけでその姿に愕然とした。
――“才能”。ルナが今まで積み重ねて来た“努力”とは対となる言葉だ。
そう。決してルナは恵まれた才能の持ち主というわけではなかった。自分の目標を叶えるため、日々鍛錬を重ね、そしてようやくここまで登りつめた。
しかし、突如として目の前に現れた少年は。彼はそんなルナとは大きく異なり、並外れて優れた才能を持ち合わせている。
例え努力を重ねていったとしても、彼のようにはなれない。才能という二文字の前には、そこまで積み重ねて来た努力も意味を成さない。才能が無ければ、結局は強くなれない。
頭の中でそう理解してしまうと、今までの自分は何だったのかと焦燥に駆られる。
全ては無意味だったのだろうか……?
高い目標を掲げたとしても、才能が無ければ所詮それは目標のままで終わるのだろうか……?
程なくして演習が終わり、他の生徒たちもぞろぞろと動き始めた。
そんな中、たった一人だけ、まるで時が止まったかのようにルナは静止していた。友人に声を掛けられても、「先に行っていて」と一言を告げて、そして周りの目が無くなるとようやく動き出した。
「……ねぇ」
そのように声を掛けると、同じようにその場に佇んでいたヴァイスがこちらに首を向けて来た。
――俺に何か用か?
そうとでも言いたげな視線をルナに投げかけて来る。
しかし、そんなヴァイスに臆することなく、ルナはもう一歩を踏み出し、そして再び口を開く。
「――私と、勝負をして」
それまで表情を崩すことがなかったヴァイスであったが、藪から棒にそう告げたルナの発言に対して、微かに眉を寄せた。
しかし、そんなことはお構いなしに、ルナは木製の双剣の柄に手をかけ、そして引き抜いた。振り抜かれた切っ先が真っ直ぐにヴァイスの顔面を捉える。
だが、それでもヴァイスは動こうとしない。木刀を振り抜こうとも、この場から立ち去ろうともしない。
やがて、無言を貫いていたその口がようやく開かれる。
「なぜ、そんなことをするんだ?」
長い沈黙の後に切り出された言葉は、しかしルナを幻滅させるようなものだった。それでも、ルナはその返答を予想していなかったわけではない。尚もその刃は向けたまま、強い意志の籠った瞳をぶつける。
「試してみたいのよ。今の私が、あなたにどれだけやれるのかっていうことを。そして私は、あなたの強さを知りたい」
それこそ、ヴァイスを挑発するかのような口調でルナは言う。
だがそれでも、ヴァイスは未だに動きを見せない。やがてそれは、ルナに焦りと怒りを覚えさせていく。
「……どうして、何も返してこないの? どうして動こうとしないの? どうして、そうして“私の前に立ち塞がる”の?」
自分でも何を言っているのか、終いにはそれすらもあやふやになっていく。
だが、ただ一つ確かだったのは、それが心の内に押さえ込まれた悲痛の叫びだったということだ。崩れかけた自分を何とか保とうと、ルナは必死になっていた。
しかし、そんなことをヴァイスが知る余地もなかった。呆れて溜め息を吐くようにして、その身を翻す。
「付き合っていられないな」
「何よ、怖気づいて逃げるつもり?」
立て続けに嗾けてくるルナに対して、ヴァイスも動かしていた歩を止めて、その首だけを動かして振り向いた。
「俺たちが勝負をすることに、どれだけの意味があるって言うんだ? そんなことをしても、何も生まれはしない。結局は全て無意味なんだ」
そう告げて、今度こそヴァイスが立ち去ろうとする。
しかし、今の言葉で、ルナの平静は完全に断ち切られた。
無意味……? 何を以てそう判断しているんだ? あなたとあなたの才能は、根本から私を“否定する”。それに立ち向かうことが、到底意味を成さないことだと言いたいのか――!
心の叫びは意地でも噛み殺したが、それでも冷静さを失ったルナには、そんなことをしても湧き上がる感情を押さえ込むことは不可能だった。
そして、その激情に身体が支配されると、もう抑えが利かなくなる。
感情に任せて荒々しく地面を蹴り出し、背中を向けたヴァイスに一気に詰め寄る。自身の間合いに入る寸前で、二対の双剣を脇腹目掛けて突き出す。
その瞬間、ルナは確信する。
――もらった。
だが、その確信はルナの目の前で呆気無く砕け散る。
視界に一瞬だけ大きな影が横切ったかと思うと、双剣を握る手から痺れるような痛みを覚えた。一撃を浴びせた手応えなどではない。そう、これは――。
「――なっ……!?」
何が起こったのか理解が及ばず、ルナが目を見開く。
繰り出した双剣が脇腹を捉える寸前、ヴァイスが木刀を振り抜きその双剣を弾き返した。
あの距離で、完全に捉えたと思われた一撃を、ヴァイスは難なく受け流して見せた。その事実が、ルナを失意のどん底に叩き落とす。
「う、そ……っ?」
勢いを殺しきれず、ルナの身体がつんのめり宙に浮く。このまま地面に倒れ込むかと思われたその身体は、今度は鈍い衝撃によって静止した。
ヴァイスに抱えられているのだとようやく理解した時には、その視界の先に地面に突き刺さった、先程まで自分の手の内にあった双剣がぼんやりと浮かんでいた。
嗚呼、やはり。やはり太刀打ち出来ないのか。才能の前には、自分の努力さえ無意味なものなのだろうか。
それをここまで無惨に痛感させられると、ルナも空疎な気持ちで満たされ、その身体から力が抜け落ちていく。
「……」
力無く身体を預けてくるルナを、ヴァイスは地面に立たせる。そして、その彼女には何も告げることなく、演習場を立ち去った。
一人取り残されたルナが、しばらくして地面に崩れ落ちる。
自分は一体、何をしていたのだろう。そんな虚無感に支配されたルナの頬を、乾いた風が乱暴に撫でる――。
その日から数日が経ったある日のことだった。
授業を終えたルナは、何気無しに外の景色をぼんやりと眺めていた。その視線の先で、葉の落ちた木々たちが風に吹かれて虚しく揺れ動く。
『そんなことをしても、何も生まれはしない。結局は全て無意味なんだ』
そんな言葉が、頭の中で反芻される。
完膚なきまでにルナは叩きのめされた。眼前にまで迫ったと思われたその壁は、しかしながら如何にしても越えられるものではなかった。
その事実がルナを束縛し、そして蒼然とした海へと沈めていく。
「はぁ……」
行き様の無い溜め息を吐いて机に突っ伏す。
そうすると、周囲の声が嫌という程に耳に入ってくる。
「ねぇねぇ、来年からのパーティーはどうする?」
「そうだね、私もまだ決めてないんだよねぇ……」
そのほとんどが、今生徒たちの間で持ち切りとなっている来年以降のパーティー編成の話であった。
五年生以降のパーティーは、生徒たちが自由に編成することが出来る。卒業試験を受ける重要な決断を、この時期になれば迫られるということなのだ。
ルナにしてみても、それは他人事ではない。友人の多くは誰とパーティーを組むか決定し始めていると言うのに、当のルナは誰かと組むという予定すらない。
しかし、今のルナにとって、それは喫緊の事項ですらなかった。自分を見失いかけている中、そんなことに構っている余裕など、ルナにはなかったのだ。
そうして周囲から隔絶しようと瞼を閉じた時だった。不意にこちらに近づいて来る足音が聞こえてきた。
また友人が他愛無い話を持ち掛けるつもりなのだろう。そう決め込み、ルナは意識を水面の底に持っていこうとすると、ポンポンと肩を叩かれた。
それこそ、最初は誰かと向き合うつもりはなかった。だが、さすがにそれにも気が引け、ルナは渋々と頭を持ち上げた。
そして、その動きが途端に硬直してしまう。
いや、それも仕方のないことだった。何故ならば、ルナの目の前に現れたのは他でもないヴァイスだったのだから。
「ど、どうしてアンタがここにいるのよ……!?」
やっとのことで振り絞った言葉に対して、ヴァイスは明確に答えようとはしなかった。代わりに、やや先ほどまでとは違う騒めきに包まれた教室を一旦見渡し、そして口を開いた。
「少しだけ話さないか? でも、ここだと場所が悪い」
「ちょっ、いきなり現れてどういうつもりよ?」
困惑した様子を見せるルナとは違い、ヴァイスはあっけらかんと振る舞う。
「……ん? 都合が悪いか?」
「べ、別にそういう訳じゃないけど……っ」
そう言って、ルナは視線を外す。
如何せん、あんな荒事を起こしてしまった後の話だ。素直にヴァイスの顔を直視することが出来ない。
しかし、これといってヴァイスは気にする様子もないようで、「それじゃ、行くか」とだけ告げて教室を立ち去ろうとする。ルナも付いていなかないわけにもいかず、ヴァイスの数歩後ろを続いて行った。
そうしてしばらく歩いてやって来たのは、中庭の広場であった。昼時は多くの生徒で賑わう場所なのだが、この時間にもなると人も疎らである。
ヴァイスは手頃なベンチを見つけて、そこに腰掛ける。その隣に座ろうと、ルナも手招きする。おずおずといった感じではあったが、ルナは素直にヴァイスの言うとおりに彼の隣に腰を下ろした。
「……ちょっと、一体どういうつもりよ?」
先に口火を切ったのはルナだった。そのルナの問いかけに、ヴァイスが疑問符を浮かべる。
「どういうつもりって、それこそどういう意味なんだ?」
「私はアンタに刃を向けたのよ。それがどういう意味か分かってるの?」
そこまで言って、ヴァイスはようやくルナの言いたいことを理解した様子である。
しかし、だからと言って、ヴァイスがそこに特別な反応を見せることはなかった。
「あぁ、先日の話か。でも、俺は別に気にしていないから、そんなに気に病む必要はないぞ?」
「それ、本気で言っているの?」
あまりにも能天気な発言に、ルナも思わず呆れてしまう。
「あそこでアンタが私の一撃を弾いたからいいものの、あれが命中していたら、少なくとも打撲程度の怪我をしていたかもしれないのよ? そんなことをした相手に、どうしてそんな事も無げな態度をしているの?」
「おいおい、そこまでして自分を悪人に仕立てあげたいのか?」
「仕立てあげるも何も、私は実際に現行犯なのよ。罵声の一つや二つくらい浴びるつもりだったのに、そんなことを決め込んでいた私が馬鹿みたいじゃない……!」
妙な物言いになってきた彼女の様子を掬してか、ヴァイスも腕を組んで考え込む素振りを見せる。そうしてから、やれやれといった様子で溜め息を吐いた。
「そのことについて言及するなら、事態を知った君の友人から話を聞いたんだよ。悪気は無かっただろうから、責めないでほしいとね」
「何よ、そんな単純な理由なの?」
必死になって抵抗しようと、ルナが如何わしい視線を投げ掛ける。
もしかして、自分のことを気に掛けてくれていたのではないか。そうだとしたら、この少年は薄馬鹿である。彼を巻き込んでまで空回りして情けない様になっているというのに、そんな自分を心配するなど。お人好しにも程があるというものである。
しかし、ヴァイスはそんなルナの内心を知ることもなかった。向けられるその視線を何気無い様子で受け止め、そして首肯する。
「それに、結果的には良い判断材料にもなったからな」
「は、はぁ? 判断材料って、一体何のことよ?」
内に抱いた疑念をこれでもかという程に込めて、ルナはそのような言葉を発する。すると、ヴァイスも「そのことについて話をしたいんだ」と姿勢を改めた。
その結果、ルナとヴァイスは互いに向き合う形となる。突然のことに、ルナは思わず身をよじろうとしたが、それは出来なかった。
逃げてはいけない気がした。ただ単純な直感が、ルナの行動を抑制したのだ。
そして、その蒼い瞳で真っ直ぐとルナを見据えたまま、ヴァイスが単刀直入に切り出す。
「俺たちとパーティーを組まないか?」
そう言われた直後は、彼の言っている言葉の意味を理解出来なかった。
しかし、時間が経つにつれて思考回路の働きも回復していく。ようやくその言葉の意味を組み取った時には、ルナは一頻りに素っ頓狂な声を上げていた。
「はぁ!? そんな、突然にも程があるでしょ! どうしてそんな、いきなりパーティーを組もうだとか言い出すのよ!?」
「あの時、君の刃と交えた時に確信したよ。君は筋が良いし、話に聞く限りでは相当な努力家らしいじゃないか」
大方、先のヴァイスに話した友人が、余計なことまで口走ったのだろう。
今まで強がってきて見せた虚勢も、全てお見通しだったのではないか。そう思うと、やはり恥ずかしくてたまらない。今にでも逃げ出してしまいたいくらいだ。
だがそれでも、ルナはこの場から逃げようとはせず、何とか踏み止まる。
「も、もしかして判断材料っていうのも……」
「あぁ、そういうことさ」
やはり、全てはヴァイスの手の内だったようである。一人暴走して、その結果絶望したのも全て。
だが、そんな自分を引き上げてくれようとした。自分とは対を成す存在であったとしても、ようやく自分を真の意味で認めてくれた人だ。
自分一人だけの力では無理だとしても、この少年とならもしかしたら……。
ルナがふとそんなことに耽っていると、ヴァイスが手を差し伸べて来た。
「名前、教えてくれないか?」
「……ルナよ。ルナ・クラヴディア。名前で呼んでくれると嬉しいわ」
海のような瞳に吸い込まれるがまま、ルナが静かに自分の名を口にする。そして、差し伸べられた手に、自分の手を重ねた。
「ヴァイス・ライオネル。これからよろしくな、ルナ」
口元を緩めて、ヴァイスが小さな笑みを浮かべる。それに釣られて、ルナもまたヴァイスの目の前で初めて笑って見せた。
握り返された手をしっかりと掴み、ヴァイスは立ち上がる。
「さて、そうと決まれば他の二人にもルナのことを紹介しないとな」
「え、えっ……?」
唐突に切り出したヴァイスに促されるがまま、ルナは連れていかれた。
その先で初めて知り合ったのは、同じくヴァイスとパーティーを組むことになったノエルとアーヴィンという少年二人であった。
「……そうですか。それでは、これからよろしくお願いしますね、ルナさん」
「えぇ、こちらこそ。それと、私のことはルナって呼んでくれないかしら」
「そういうことなら、分かりました」
アーヴィンとは最初こそぎこちない様子だったが、温かく受け入れてくれた彼に対しても、ルナはすぐに打ち解けていく。
「しっかし、ヴァイスは流石の行動力だぜ。まさか本当に女子を連れて来ることに成功するなんてな」
一方、初対面からそんなことを言ってくるノエルとは、以降も衝突することが多々あった。
似た者同士ということもあり、お互いに譲れない部分もあった。だが、そんなノエルとも今は良好な関係を築けていると思う。
そして、一緒に行動する時間が増えるようになってから、ルナのヴァイスに対する見方が大きく変わった。
確かにヴァイスは、他の生徒と比べ優れた才能を持っている。だが、それ以上にヴァイスは、人一倍に努力を積んでいた。日々の鍛錬はルナのそれよりも厳しい内容であったし、ギルドナイト部門を専攻するということで勉学にも抜かりなかった。
才能という二文字に溺れるのではなく、彼もまたルナと同じように、いやそれ以上の努力をしていた。
浅はかな考えだった。そんな人に、自分が勝てるわけがないじゃないか。
それを理解してからというもの、ルナも更に奮励した。楽な道のりではなかったが、共に切磋琢磨する仲間がいたからこそ、ここまで頑張ってこれたのだ。
そして、その切っ掛けを与えてくれたのは、今でもルナが尊敬するヴァイスなのであった――。
「……んぅ?」
瞼を開けてみると、淡くも温かい光が差し込んできた。いつの間にかうたた寝をしていたのかと理解すると、ルナは重たい身体を起こした。
「うぅっ、さすがに寒いわね……」
ヴァイスに貰った毛布が無ければ確実に風邪をひいていただろう。彼の些細な気配りにも感謝しつつ、眠たい目を擦りながらルナは蝋燭の火を消した。
夢の中で見た、彼との出会い。儚い思い出と言ってしまえばそれまでだが、それを完全な“過去の出来事”とはしたくない。
彼の意志を尊重しつつ、自分の想いを伝えたい。やはり、そうするしかないのだ。そうでもしないと、不安で押し潰されてしまいそうになる……。
はっきりしない意識の中でも、ルナは確かに決意した。この気持ちを、彼に打ち明けるのだと。
こうして、穏やかな冬の夜は今日も静かに更けていく――。