朝を告げる鐘の音が、凍り付いた冬空のクートウスに鳴り響く。
東の山々から太陽が顔を出すと、小鳥たちも陽気に囀り始める。この時間帯になってくると、廊下などにも生徒たちの姿がちらほらと見るようになる。
この辺りになれば、食堂も朝食を提供してくれる。しかし、ヴァイスたち四人は、朝と晩では自分たちで料理を作ることにしている。この時間帯に食堂が混み合うのを嫌ってそういうことになったのだが、本音を言うと各自の料理の腕前を上達させるという理由があった。
既に朝食を済ませた四人の中で、本日の朝食の料理当番であるルナが仕事を終え、大きく伸びをする。
「んー。さて、私は着替えてくるわ」
「うぁ~、俺は部屋に戻って二度寝するわ~……」
朝からキビキビとした振る舞いのルナとは裏腹、朝の弱いノエルが、二度寝という魔の欲求に負けて部屋に戻っていく。
「時間になったら引きずってでも連れていくわよ」
と言っても、ノエルのこの光景は何も珍しいものではない。ルナの言うとおり、部屋を出る時間になったならば、ノエルを叩き起こしてでも教室へ連行すればいいだけの話なのだ。
そうして二人が自室へ戻ると、その場はしんと静まり返る。このように、パーティー内でも割と騒がしい二人が姿を消した空間は、今までとは一転して驚くほど静まり返ってしまう。
だが、この温度差にもいい加減に慣れたものだ。身支度を早めに整えていたアーヴィンは、そんなことを気に留めることもなくなった。
こうして時間に空きが生まれたアーヴィンは、何となく四人掛けのテーブルに目を向け、そして苦笑いする。
彼の視線の先に映るのは、椅子に腰を下ろし、窓の外をぼんやりと眺めるヴァイスの姿だった。
これもいつもの光景。そして、普段ならヴァイスに声を掛けることはなく、そっとしておく。だが今朝は、それはできなかった。本当に何となく、声を掛けない気にはなれなかったのだ。
しかし、理由もなく話を振るのも気が進まなかった。するとアーヴィンは、あることを思い出す。キッチンまで行くと、ポッドに準備されていた紅茶をカップに淹れ、それをヴァイスの所まで運んだ。
「ヴァイス」
ただ彼の名前だけを呼び、紅茶の入ったカップをそっと差し出す。
「わざわざ悪いな」
「お礼ならルナに。朝から紅茶を準備をしていたのは彼女ですから」
「そうか……」
それだけの会話を交わし、ヴァイスが差し出された紅茶を口元に運ぶ。しばらくしてヴァイスがカップをソーサーに戻すところを見計らって、アーヴィンが口を開く。
「……また、考えていたんですか?」
その懊悩を見透かしているかのような静かな問いかけに、ヴァイスはそちらに首を向けることもなく「ああ」と頷いた。
相変わらず内向的な表情で外を見遣るそんなヴァイスの姿に、アーヴィンも呆れたような、それでいてどこか感心しているかのように溜め息を漏らす。
「何度も言うようで申し訳ないですが、やはり僕には分からないですね。そこまでして“理由”を追い求める意味が、僕には見当たりません」
「アーヴィンの言いたい事も分かるよ」
そうすると、ヴァイスもようやくアーヴィンに顔を向け、そして苦笑する。
「……俺が、俺だけがそんなことを求めているだけなんだ。そんな理由なんて、後から付いてくるものでもあると思う。だけど――」
そうして、ヴァイスは言葉を詰まらせる。
アーヴィンも、ヴァイスの続きの言葉を待った。決して急かすようなことはしなかった。一息入れて落ち着いたのか、それからしばらくが経過した後にヴァイスが再び口を開いた。
「俺には必要なんだ。理由が――、“ギルドナイトを志す理由”が……」
ギルドナイトを志す理由。そう言ったヴァイスが、力無く背凭れに身体を預けた。
クートウスは、ハンターの役職に応じた専攻がそれぞれ設けられている。多くの生徒が専攻するのは、一般ハンター部門。このパーティー内ではアーヴィンを始め、ルナとノエルもこちらを専攻している。
この一般ハンター部門の他にも、王立書士隊部門、はたまた、オトモアイルー部門なる専攻も設けられている。その中でヴァイスが専攻しているのは、ギルドナイト部門。少数精鋭の、学術、技術に優れた者を養成する、言わばギルドナイトの英才教育を行う部門と言っても過言ではない。
そんなギルドナイト部門を専攻する者は――いや、ギルドナイトなら誰しも、ギルドナイトであることを誇りとする。そして、そこを目指そうとする若人は、大いなる意志と決意を心に抱き、自らの夢を実現しようと必死にもがいている。
だが、ヴァイスという少年だけは違っていた。
――天才。彼を一言で表す言葉に、これ以上のものは存在しない。知識だけを取っても、ヴァイスの狩猟に関する技術は豊富である。だがそれ以上に、ヴァイスは剣の腕――太刀捌きに長けていた。同年代の生徒を圧倒する絶対的な技量と才能を、ヴァイスは持ち合わせていたのだ。
無論、このような天才を一般ハンターとして育て上げるのは惜しい。クートウスの上層部はそんなことを考えたのだろう。専攻ごとに分かれる五年生に進級する以前に、ヴァイスは校長であるゲイルから推薦を受けていた。「君は、ギルドナイトを目指してみる気はないか」と。
ヴァイスはその時、迷いなくゲイルの提案に承諾した。
それが意味するところは、自分で選択した訳ではなく、況してや興味本位でギルドナイト部門を専攻したわけでもない。それは、“他人に示された道を歩く”という単調な理由だった。
しかし、それこそがヴァイスを悩ませる種子であったのだ。
ヴァイスの歩んでいる道は、自分から考え、選んだものではない。他人に示された道を、ただ機械的に辿っているだけに過ぎない。故にヴァイスには、ギルドナイトを目指す根本の理由が存在しない。誰かに憧れたというわけでもない。前線で活躍したいということでもない。
ハンターの中でも選ばれた存在、ギルドナイト。この高みを目指す者として、そんな無意味なままでいいのだろうか。空っぽの自分が、ギルドナイトであり続け、その任務を遂行することができるのだろうか。ヴァイスはそれを思い、そして悩み続けることになる。
「――何か、意味がなきゃ……」
何かにせがるわけでもなく、ヴァイスは囁くようにそう口にする。
ヴァイスは卒業試験を控えた時期になった今でも、未だにこうして考え続けていた。そうして思考を巡らせる際には、ヴァイスは決まって窓の外に視線を投げ出し、まるで空虚な瞳で遠くを見遣るのだ。
そうして再び、ヴァイスが深くにまで自分の世界に潜り込もうとした直前、彼の目の前に銀色の光が差す。目線を少し上に向けると、柔和な笑みを浮かべたアーヴィンがいつの間にか隣にいた。そのアーヴィンは、ヴァイスの目の前に銀色のネックレスを掲げている。
「まだ、焦らなくていいんですよ、ヴァイス。その理由は、貪欲に求め続けて見つかる代物でもないことは、ヴァイス自身も理解しているはずですよ」
そう穏やかに言葉を紡ぐアーヴィンが、不意に言葉を区切る。そしてヴァイスの腕を持ち上げ、彼の手の中にそのネックレスを受け渡す。
「残された時間は、まだ十分あります。ヴァイスには、この“幸運のお守り”もあるんですから。ですから、今はそこまで悩み苦しむことはないんです。少しずつ、時間を掛けてその理由を導き出すべきですよ」
そう言われて、ヴァイスは手渡された“幸運のお守り”をまじまじと見つめる。
銀色の十字架が施され、その中心にヴァイスの瞳と同じ、蒼色の宝石が埋め込まれたネックレスだ。
「アーヴィン、どうしてこれを?」
これはヴァイスがクートウス入学時に、彼の両親から入学祝として贈られたものだ。そのネックレスを、何故アーヴィンが所持していたのかという一抹の疑問が浮かんでくる。
するとアーヴィンは、「単純なことですよ」と肩を竦める。
「昨夜も遅くまで考えていたんでしょう。ルナが今朝起きてみると、これがヴァイスの今いる机の上に置き去りにされていたようですよ。僕は彼女からヴァイスに渡しておくよう頼まれていたんです」
「なるほど、そうだったか。いや、そうだったな……」
受け取ったネックレスをまじまじと見つめながら、ヴァイスがポツリと言葉を漏らす。
しかし、アーヴィンにもその言葉は届いたのだろう。
幸運のお守りなのだから、肌身離さないようにしないといけませんよ。
そんな穏やかな忠告を告げると、アーヴィンもまた自らの部屋へと戻っていった。
その場に一人取り残されたヴァイスは、もう一度十字架のネックレスに視線を落とす。中心で静かに煌く蒼の宝石は、その輝きの向こうでヴァイスを映し出す。
「……分かっているよ。今ここで悩んでも、無駄だっていうことぐらい」
自らに言い聞かせるように、ヴァイスはゆったりとした口調でそう言い切った。
そう。ヴァイス自身も、それは分かっている。ただここで行き悩むだけでは、その答えが見つかることなど決してない。例え蟠りを抱いていようと、前へ進みださなければその“理由”を掴むことはできない。
「そうだな。今は、まだ前を見ているだけでいい」
そうして自分に言い聞かせて、ヴァイスは重い腰を上げる。
既に卒業試験は、まじかにまで迫っている。そこに迷いが生じれば、仲間の足を引っ張る形に成りかねない。
だからこそ、今は前を見て進む。仲間と共に、大きな壁を乗り越えるため。そして、空っぽの自分と別れを告げるため。
そんな強い気持ちが、未だに後ろ髪を引かれるヴァイスを突き動かしたのかもしれない。
「それでは今から、明日から行う演習についての確認を行いたいと思うんだが――」
昼食をはさんだ午後の授業。この時間は普段と異なり、翌日から出発する演習についての各種確認を行う時間として当てられている。
教卓の前で淡々と話を進めるのは、ヴァイスたちの担任を務めるルーク・レイナーだ。
ルークはクートウスで教師として勤めている傍ら、今も尚現役のハンターとして活躍している。使用する武器はランス。防具は
だが、現役ハンターである彼が受け持つ授業は、あくまでハンターの基本的な知識を養うものが中心である。学院内で行われる演習授業については、このクラスでは副担任を務める臨時講師が授業を行っている。
しかし――、
「なぁ、アヴィさん。遅くないか?」
ヴァイスの後ろに座るノエルがそっと耳打ちしてくる。ヴァイスもそれには「そうだな」と素直に同意を示す。
アヴィとは、演習授業を受け持つ臨時講師の名だ。本来なら、この時間ならばアヴィも教室に姿を見せているはずだ。演習事業を受け持つ講師として、演習地へ赴く際の各種確認及び注意事項の説明は、彼が行うべきことなのだから。
「あの人は臨時講師でクートウスに呼ばれているんでしょ。ただ、忙しいだけじゃないの?」
ルナの発言にも一理ある。
アヴィの他にも、クートウスは多くの臨時講師を募っている。臨時講師と言うだけあり、普段はハンターとして活動している者も数多い。確かに、アヴィもその臨時講師のうちの一人であるが、ルナの指摘どおり基本的に忙しいことに変わりないはずだ。
そうして互いに憶測を交わしてしばらく経つと、不意に教室の扉が開かれた。その瞬間、やや騒めいた教室が一瞬にして静まり返った。そして、クラスの全員の視線が、そちらの方向に向けられる。
「……すいません、遅れました」
開口一番に謝罪をして入室してきたのは、長身で細身の男――いや、正確に表現するならば少年だ。その少年はゆっくりとした足取りで教卓の前まで進み、そして改めてルークに頭を下げた。
「あぁ、気にしないでくれアヴィ君。君が忙しいことは、私も重々承知しているからね」
「以後、十分に気を付けます」
二人が短く言葉を交わした後、ルークが教壇から降りて窓辺にあしらわれた椅子に腰掛ける。そのルークと入れ替わるように、アヴィが教壇に登壇した。
「相変わらず、掴みどころがないというか、何とも不思議な人だな……」
アヴィに決して届くことのない程の小声でノエルが呟く。
正直なところ、アヴィの姿を初めて目の当たりにした時、ヴァイスも全く同じ感想を抱いていた。
一見すると華奢そうな体型だが、その身体はハンターとして鍛え上げられている。顔立ちは大人びているが、実際は自分たちと大差無い年齢だと聞いている。
ただ、それだけなら何も不自然に思うこともない。だが、アヴィの流浪の民の如く果てを見遣るその瞳は、彼の中に漂う深い闇を映じているようだ。そこから抱くのは、彼はその辺りにいるハンターとは違った妙な雰囲気を醸し出しているということだった。
「では早速、密林で行われる演習についての確認を行っていく」
それをアヴィがどう思っているのか。そんなことを汲み取ることは不可能だった。普段と同じ淡々とした口調で、演習を実施する際の細かな注意点を述べていく。
「今回の演習は、卒業試験を控えた重要なものだ。前回の演習の際にも言ったとおり、今回の演習では、各パーティーの自由行動を許可する。各々で不足していると感じる部分を意識して、今演習には臨んでもらいたい」
説明の最初の辺りは、このような事前に聞かされていることに関するものが主だった。そのためか、ノエルも退屈そうに欠伸交じりにアヴィの説明を聞き取っていた。
しかし、それからしばらくしてアヴィの話も終盤の辺りに差し掛かったころで、彼の声色が僅かに強張った。それを感じ取ったノエルも、さすがに居住まいを正す。
「最後になるが、今演習において最も重要なことを伝えておく。皆も知っているだろうが、この時期になるとランポスたちも餌を求めて活動が活発になる。だからと言って、密林でランポスの大群に遭遇する可能性は高くないだろうが、それでも狩場はランポスのテリトリーであることに変わりはない。故に慢心は禁物だ。何か非常事態が起これば、手筈通りに救難信号を出すように。俺からは以上だ」
一通り話し終えたアヴィが一息吐く。ルークも「お疲れさま」とアヴィを労い、そして今度はルークが口を開く。
「さて、演習に関する注意事項は以上だ。今日はこれにて解散になる。明日の出発に備え、各自準備を整えておくように」
ルークとアヴィが教室を後にすると、生徒たちが途端に騒めき始める。大方、演習の話題が飛び交っていることは想像に難くない。
そんな中、ノエルがやはり気怠そうな表情で溜め息を吐いた。
「しっかし、ランポスの狂暴化と言われてもな」
漆黒の髪を弄びながら、ノエルがそんなことを呟く。そこからルナとアーヴィンに視線を向けてみると、二人も同じような心境であることが見受けられた。
「ランポスの大群が発見されていないなら、それはせめてもの幸運だと思うけどな」
「それは、ヴァイスの言うとおりだけど……」
今までの演習において、ランポスを討伐した経験は確かにある。だが、その時を振り返ってみても、単独、もしくは二、三体の小さな群れを形成したランポスを討伐しているだけに過ぎないのだ。
この冬の時期は、餌を得る機会が減少してしまう。そうなると、ランポスたちも更に結託して、普段は見せないような執拗な行動を取ることもあるのだという。各々にしてみれば、それが今回の演習の重石になっているのだ。
「例え大きな群れでなかったとしても、ランポスたちにとっては、結局は僕たちは餌であることに変わりありませんからね。実戦を考えれば良い経験でしょうが、気が進まないことも確かです」
「はぁ……、そういうことだ」
ノエルは、やれやれとでも言いたげに席を立ち、大きく伸びをする。
「でも、そこまで気に病む必要はないだろう。普段どおりに立ち回れば、何も苦労することはないはずだから」
三人とは違って、ヴァイスは楽観的だった。そんなヴァイスの様子を見て、アーヴィンも「さすがですね」と笑みを漏らす。
ノエルに倣って三人も席を立ち、そして荷物をまとめて教室を後にする。
夕日が差し込むクートウスの廊下を、四人は真っ直ぐに進んでいく。道中でいつものように昼寝中のマーキィと遭遇して、いつもの道筋を進んでいく。
しかし、ヴァイスたちの足は途中で歩みを止めてしまう。その理由は単純だ。普段とは異なるものが、四人の視界に移りこんだからである。
四人の視線の先にいるのは二人の人影。うち一人は、アヴィだと理解するのに時間は要さなかった。だが、もう一方の人物には心当たりがない。
二人は妙に親し気な雰囲気だった。いや、正確に言うと、面識の無い人物――遠目では女性のように見えるが、その人物が一方的にアヴィに話を投げ掛けているようであった。その二人のやり取りは、こちらにも薄っすらと届いてくる。
「やっぱ山の上だから、ドンドルマの空気って美味しいねぇ……。それよりも、調子はどうかな、アヴィ。なかなか講師も板についてきたようだけど?」
「……」
「わかってたけどこっちも色々大変でさ~。いやでも、やっぱり凄いところだな、改めて感銘を受けたよ。引き締まって、いい雰囲気だよ、クートウスは」
「……」
「何だよぉ、さっきからだんまり決め込んじゃってさ。らしくないじゃんよぅ」
「いや、少しな……」
気乗り薄なアヴィの様子を見て、その人物は静かに頷いた。
「強引に連れて来ちゃったかなってずっと気にしてたけど、案外上手いこといってるみたいで良かったよ。いやしかし、正解だったかな、こういうとこに入ってもらったのは。こうでもしないと、アヴィは理解してくれなさそうだったし」
「……」
今までと同じく、アヴィは沈黙を貫く。だが、この時だけは、彼は目の前の人物相手に押し黙った。
二人の後方にいるヴァイスたちからは、アヴィの表情を窺うことはできない。だが、彼はいま渋々とした表情を浮かべているであろうことは何となく想像できた。
すると、アヴィと話していた人物の視線がヴァイスたちに向けられた。視線が合うと、四人の中には気まずい空気が流れたが、向こうはそんなことを気にしない様子で微笑んだ。
「彼らが、君の教え子なんだろ?」
「ああ、そうだ」
アヴィも溜め息を吐くと、その問いかけに首肯する。
「しかし、アウルーラ。なぜお前がそんなことを気にするんだ?」
アウルーラと呼ばれたその人物は、「いや、別になんでもないさ」と答えると、ヴァイスたちに歩み寄って来た。
四人の目の前まで迫ったアウルーラが、まじまじとした視線を送ってくる。だが直後に、アウルーラは再び柔和な笑みを漏らす。
「へぇ~、君がヴァイスなんだね。一目見て分かったよ」
アウルーラの突然の発言に、四人は――特にヴァイスは面食らった。それもそうだ。こちらにしてみれば見ず知らずの人間のはずが、一方のそちらはヴァイスの名前を知っているのだから。
しかしアウルーラも、四人が狼狽している様子を見て、警戒されていることを悟ったようだ。笑みを苦いものへと変貌させ、「そんなに警戒しないでくれよ」と軽い口調で言う。
「“ボク”はアウルーラ。アヴィとは、昔から縁があってね。簡単に言うと家族、みたいなものかな?」
疑問形の言葉と共に、アウルーラはアヴィのいる方へ振り向く。するとアヴィは、無言ながらもコクリと頷いた。
「まぁ、そういうことになるね」
そうしてアウルーラが大仰な素振りを見せる。
しかし、当の四人はそんなアウルーラの様子を気にも留めなかった。先ほどアウルーラの発した言葉に、妙な違和感を覚えたためである。
「もしかして、ボクっ子……?」
ついにノエルが、その違和感を小声で呟いた。
それはノエルにしてみれば、アウルーラの耳に届かぬように囁いたつもりなのだろう。だが、一方のアウルーラは、困惑気味の四人を見て苦笑いを浮かべた。
「ははは、君たちもやっぱり勘違いしていたかな? よく勘違いされるんだけど、ボクは男なんだ。こんな容姿だけどね」
この口調から察するに、アウルーラはノエルの言葉を聞き取ったのだろう。いや、例えそうでなかったとしても、分かりやすい四人の態度を窺えばその憶測は容易だったはずだ。
初対面の相手に心の内を見透かされたかのような感覚に、ヴァイスたちも思わずたじたじとなる。
「いえ、そんなことは……」
ヴァイスが取り繕って、アウルーラの言葉を否定する。
しかし、それが苦し紛れであることは、アウルーラ自身も理解しているだろう。それを思ったヴァイスが、降って湧いたように話題を転換する。
「そんなことよりも、どうして俺の名前を?」
「あぁ、そんな事か。それは簡単だよ。ボクはしばらくギルドに顔を出していたんだけど、その時にとある噂を耳にしたんだ。クートウスに将来有望なギルドナイトがいるとね」
「それは……」
アウルーラの言葉に、ヴァイスは言葉を失う。
彼の言葉通り、ヴァイスはクートウスの生徒ながらも、ギルドナイト内でその名が知られている。それはもちろん、ヴァイスが将来有望なギルドナイト候補であると既に知られているからだ。
だが、やはりヴァイスは、その事を自身で考えてみると、どうしても居心地悪さを感じてしまうのだ。今朝の決意も、これを気に揺らがんとヴァイスを苛責る。その理由は言うまでも無い。
アウルーラも、後ろ暗い反応を示したヴァイスを見て言葉を付け足す。
「気を悪くしたら悪いね。でも、そうでなかったとしても、ボクはヴァイスのことをアヴィから聞いているよ。実力も申し分ない上、知識も兼ね備えているとね」
「ですが、それだけだと俺はギルドナイトになれないですよ」
「そういうものかな? まぁ、志しが高いことは良いこと思うよ。ボクがこう言っても説得力が皆無だけど、ヴァイスはギルドナイトになれるはずさ」
「ありがとうございます。少し気持ちが楽になりました」
神妙に頭を下げたヴァイスを見て、アウルーラは一瞬驚いた様子を見せた。だが、またすぐに微笑んで見せて、アウルーラは身を翻した。
「じゃあ、ボクはこの辺りで。明日からは演習があるんだよね。頑張って、応援しているよ」
最後に首だけをこちらに向け、肩越しにそう言ったアウルーラの背中が次第に遠くなって行く。
アヴィもまた、四人に引き立ての言葉を掛け、またどこかへ行ってしまった。
その場に取り残される形となったヴァイスは、軽く溜め息を吐く。そうしてから、皆と連れ立って自室へ続く廊下を歩き始めたのだった。