――静まり返ったその空間は、張り詰めた緊張に満ち満ちていた。
唯一そこにあったのは、筆がスラスラと紙をなぞる音。そこにいる皆の誰もが、極め細やかに板書された要点の数々を熱心に書き留めていく。
「そもそも、この自然界においては、モンスターの存在意義については――」
静まり返っていた空間に、いかにも教養のありそうな男性の声が響き渡る。その男性の言葉を聞き逃さぬよう耳を傾け、重要だと思うところは各々でメモを取る。
そんな場所に、藍色の“制服”を身に纏うとある少年がいた。その少年もまた、男性の言葉を一言一句聞き落とすことなく、そして自らの知識と重ね合わせペンを走らせる。
そうしてしばらくの時が経ち、男性の話に区切りが付いた頃、ウェストミンスターの鐘が辺りに鳴り響く。
「おっと、丁度時間が来てしまったな。それでは、今日はここまで。解散」
男性の“解散”の一言で、張り詰めていた緊張の糸が遂に切れる。「やっと終わった」と溜め息を吐く者もいれば、硬直した筋肉を解そうと大きく伸びをしている者もいる。
しかし、少年は少年で軽く息を吐くと、窓から見える景色に目を向けた。
少年の先に見えたのは、高きに連なる山々の数々。そして、茜色に染まりつつある空。物思いに耽ようものなら、雪化粧をした山々を臨んでしまえばいい。そうすれば、それ以外の何物をも考えずに済むのだから。
だが、さすがに少年も、今に至ってはいつものように物思いに耽ることはできなかった。手早くペンやノートを片付け、そして皆の後に続いてその場を――教室を後にする。
教室から一歩を踏み出して外界に出ると、辺りは急に騒がしくなる。
わいわいと言葉が行き通う廊下。今しがたの静けさが嘘に思えてしまうほどにまで、そこは多くの喧騒で溢れ返っている。
しかしながら、少年がその喧騒に飲まれることも、また入り込むこともない。そこに不快な表情を見せることも、はたまた羨望に満ちた視線を送ることもなく、少年は廊下を進み始めた。
その廊下をしばらく進んで角を曲がると、向かって右手に中庭が見えてくる。そちらの方に一瞬首を向けようかと思ったとき、少年の後方から不意に声が掛けられる。
「よう、ヴァイス。お疲れ」
声を掛けられた少年――ヴァイスはその声のした方へ振り向く。するとそこには、ヴァイスと同じ制服を着込んだ見知った顔の二人が佇んでいた。
「お疲れ様ですヴァイス。部屋に戻るところですか?」
「あぁ、そのつもり。ノエルとアーヴィンはどうするんだ?」
ノエル、アーヴィンと呼ばれた少年二人も互いに頷く。
「今日の授業もようやく終わったことなんだ。さっさと部屋に戻ろうぜ」
如何にも退屈そうな欠伸をしながら、ノエルは二人を急かす。その二人もまた、ノエルに賛同して歩き出す。
ノエル・バトラー。そして、アーヴィン・シエル。
漆黒の髪に、少年らしい物怖じしない黄金色の瞳。竹を割った様な、飾り気のない口調が特徴的なのがノエル。
そんなノエルと対象に、柔和な笑みを浮かべているのがアーヴィン。切り揃えられた焦茶色の髪と、穏やかな甕覗の瞳。そして、丁寧かつなだらかな言葉遣いが印象に残る。
三人は共に親友と呼び合えるほどの仲であり、付き合いも長くなる。無駄な気を遣うこともなく、遠慮無しに言い合うことのできる三人も、次第に周囲の喧騒と同化していく。
「そういえば――」
そうしてヴァイスが何かを言おうとして、途端にノエルが「ははん」と何かを悟った表情になる。
「彼女なら途中で別れましたよ。寄りたい所があるから、先に部屋に戻っていてほしいということのようです」
ノエルを遮るかのように切り出したアーヴィンであったが、ノエルもノエルでしつこい性格である。アーヴィンの隣から頭を出すと、慣れた口調でヴァイスに迫る。
「遂にヴァイスも、そこまであいつのことを気に掛けるようになったか~。いやぁ、ようやくその気が出てきたみたいだ。そいつは嬉しいことだ」
「別にそういうことじゃない。二人だけが一緒だと、さすがに不自然に思うだろ?」
一方のヴァイスも、華麗にノエルの冷やかしを受け流す。そうなると、ノエルは面白くなさそうな面持ちになって肩を竦める。
「へいへい。お前って奴は相変わらずだ」
そう言ったノエルに対し、「人の事は言えませんよ」とアーヴィンが返す。そうすると、三人の誰もが無意識に噴き出してしまう。
そう、いつだってこんな調子だ。だが、こんなテンプレートのような会話でありながらも、そこに面白味を覚えるということは何とも不思議なものである。
いつものように何気ない会話を交わし、いつものように廊下を歩く。
そんな調子で廊下を歩いていると、中庭にとある人物を発見する。そこに設置されたベンチに腰掛け、ウトウトと居眠りしているようだ。
「ったく……。マーキィの爺さんはまた昼寝か」
そう言ったノエルが、やや呆れた様子でマーキィという老人に視線を向ける。ノエルに釣られて、二人も同じような視線を向けてしまう。
「あれでこのクートウスの理事長だと言われたら、さすがに驚きますね」
「アーヴィンに同感だ」
苦笑いを浮かべるアーヴィンにヴァイスも賛同する。
――ガーランドワークス学術院ハンター専門学校ドンドルマ校。通称“クートウス”。
かつて古龍観測所と並列で古代文献などの解読をするなどの研究所としての役目を担っていた施設。それこそがクートウスの礎となる。
当時、若手ハンターの死亡率が増加したために、ハンターの育成養育については議論が飛び交った。そんな中、その研究所はドンドルマの訓練所を取り込み、通常以上のハンター育成を行うという方針を決定する。その結果、新たな教習所が設立される。
以降は、教習所、研究所共に発達し、それに伴って施設を新調、あるいは拡張していく。そうして今に至るのが、このクートウスなのだ。
そして、このクートウスの設立に尽力したのがマーキィ・ガーランドその人だ。
元々マーキィは熱心な研究員であった。そのマーキィの元に、昔から交流のあった大長老から若手ハンターの養成について相談が来る。その時、訓練所を取り込んで、より濃密な訓練を行うという方針を決定したのがマーキィだった。その功績が称えられ、マーキィは今尚クートウスの理事長として若手ハンターの育成に励んでいる。
しかしながら、そんなマーキィの趣味は昼寝と日向ぼっこ。何とも日和った性格な故なのか、こうして天気のいい昼下がりには、中庭でマーキィが昼寝している姿が目撃されるのだという。
「というか、もう日が暮れてきてるぜ。マーキィの爺さんはいつまで寝てるつもりなんだ?」
こちらから起こさない限りは、向こうもあのままだろうとノエルが溜め息を吐く。一方の二人は「そっとしておいてやろう」とノエルを説得し、改めて足を動かし始める。
そうしてしばらく歩くと、ノエルがふと思い付いたように口を開いた。
「……なぁ、これから時計塔に行ってみないか?」
余りにも唐突なノエルの提案に、ヴァイスは憮然とした表情を浮かべる。対して、アーヴィンは何ら心に留めることもなかった。
「時計塔ですか? 僕は構いませんが」
アーヴィンは快諾するが、ヴァイスはそれと対照的に如何にも尻が重そうである。
それを受けたノエルも納得し、そこに不快感を覚える様子もなく、それどころか決まりの悪そうな様子になる。
「あぁ、ヴァイスはどうする? 先に帰っていても問題ないぜ」
改めてノエルが訪ねてみると、ヴァイスは首を横に振る。
「……いや、大丈夫だ。俺も行くよ」
何処か力無いヴァイスの返答に、ノエルは「そうか」とだけ返す。
それを合図にして、三人は方向転換して目指す時計塔への廊下を進み始める。
彼の言った時計塔は、このクートウスの中心部分に位置する。授業の呼び鈴、正午を知らせる鐘の音はここから発せられるものだ。
そして、この時計塔はクートウスの生徒も立ち入りが許可されており、時計塔最上階からはドンドルマの街を一望することができる。三人が目指しているのはその最上階だ。
「しかし、ノエルも物好きだな」
やや呆れたような物言いのヴァイスに対し、ノエルは「そうか?」と小首を傾げる。
「あの場所は、何というか神秘的なんだよ。“クートウスの根源”がそこにあるから猶更だ」
「ノエルの発言には僕も一理ありますね。確かに、あの場所には並々でない程の強い想いに満ちている気がします」
感慨に耽るノエルとアーヴィンを目の前に、ヴァイスはある種の羨望の眼差しを送る。
そうしているうちに、三人は時計塔の最上階に辿り着いた。
眼前に広がるのは、夕日が紅く照らすドンドルマの街並み。それは幻想的な光景であり、思わず息を呑んでしまう。
しかし、三人がいつまでもその景色に見惚れることはない。彼らの視線は、その後方で赤光に照らし出される銀の刃の双剣に釘付けになる。
もしこの双剣が何の変哲もない物であったならば、三人も夕日の照らすドンドルマの街並みに目を奪われていただろう。だが、この双剣には三人の目を惹くには十分すぎる異常が現れていた。
本来双剣というものは、二つの対の刀身が美しく煌くものだ。だが、この双剣にはそれが見られない。何故ならば、この双剣の刀身は、一本は根元からへし折れ、もう一本は刀身が砕けたように欠けてしまっているからだ。
地平線の近くに浮かぶ夕日と同じ、紅の布の上に置かれた台座に座する鋒無き双剣は、ぼんやりと鈍い光を反射している。
だが、何故だろうか。この双剣から神秘的な雰囲気を感じるのは。
それを思うと、周囲の時がまるで停止したかのような沈黙に包まれる。今しがたまで耳に届いていた喧騒も、ここでは聞こえてこない。
三人もまた停止した時に逆らうことができず、しばらく無言になる。
しかし、その沈黙はいずれ破られる。だが、停止した時計の針を進め始めたのは、ヴァイスでもなければノエルでもアーヴィンでもない。停止した空間に来た“来訪者”が、再び時を刻んだのだ。
「……おや、こんな時間にここに来る者が私以外にいるとはな。いやはや、君たちもまた、私に似て相当な物好きのようだな」
突然の来訪者は、そうして笑みを漏らす。そして、三人の間をすり抜け、自らも鋒無き双剣の前に赴き、そして跪く。
「――不思議なものだ。私も君たちと同じような年の頃には、漠然とした夢と理想を抱いて、荒野を駆けまわっていたのだ。それが、こんなにも昔の出来事のように思えてしまうなど……」
来訪者は依然として鋒無き双剣から視線を外さないまま、しかしながらそう語りかける。
だが、その語りは果たして三人に向けられたものなのだろうか。彼の来訪者は、その先にある鋒無き双剣に向かい、それを回想しているのではないだろうか。無意識にそう考えてしまう。
「その夢を失い、理想も砕けた時。私を救ってくれた“あの方”には感謝しきれない。そして、私の身体の一部でもあった“お前”にも……」
そうして、そこに再び沈黙が流れる。
しかし、そこから時の刻みが忘れ去られることはなかった。来訪者は立ち上がり、ばつが悪そうな表情を浮かべた後、そして再び笑みを露わにする。
「すまないね。この場所に来ると、どうも私は昔を懐かしんでしまうらしい」
――君たちも精進したまえ。
最後にそれだけを言い残し、来訪者は去って行く。
その場に取り残される形となった三人は、しばらくは去り行く来訪者の後ろ姿を見送るだけだった。そして、その背中が完全に視界から消えてしまうと、アーヴィンがようやく言葉を切り出す。
「“校長”は、この双剣に――“無先剣クートウス”にどれだけの思い入れがあるのでしょうか。それは僕には計り知れません」
無先剣クートウス。それが、この双剣の真の銘なのか、それは誰にも分らない。
この名は何時からか囁かれ始めたものだった。それが真実なのか、それとも単なる噂に過ぎないのか。それを特定できない理由には、そういう訳がある。
しかし、その真実を知る者がただ一人存在する。それこそがクートウス校長、ゲイル・シュタイナーである。
彼もまた、かつては双剣使いのハンターであり、その実力は高く評価されていた。しかし、そんな彼を奈落の底に突き落とす悲劇が待ち受けていた。
それは、彼が古龍との激闘の末に起こった結末だった。当時彼が愛用していた双剣が、この激闘の中で力尽きる。
ゲイル本人にしてみれば、その双剣は自分の夢であり、そして理想の具現であった。それをこうして失ってしまった時、彼は夢も理想も、そして終いにはハンターとしての意志さえをも喪失してしまう。
途方に明け暮れ、ハンターから退こうと決意したゲイルに、ここで救いの手が差し伸べられる。その人物こそ、クートウス理事長、マーキィ・ガーランドだった。マーキィの熱心の説得の末、ゲイルはクートウスの校長に就任した。
そして、校長となったゲイル兼ねての希望により、時計塔最上階に彼の愛用していた双剣を展示することになった。
――クートウス。それは、未来を切り開く若人たちの道標となるべく、こうして高きに座し、その道を照らし出す。それこそが、クートウスのあるべき姿なのだ。
マーキィと、そしてゲイルの願いは、大いなる夢と希望を抱く若人たちに紡がれ、そして伝えられていく。
「でも、俺らにだって夢はある」
ノエルの力強い言葉にアーヴィンは頷く。
「ええ。だからこそ、こうしてここにいるんですから」
アーヴィンも共に決意を改め、そして再び無先剣クートウスに視線をやる。
――汝、夢、希望、そして理想を抱く若人ならば、それを実現させるだけの努力を惜しまず、精進することを誓え。
そんな声が聞こえてくる気がする。
三人は一礼して、そして踵を返す。
この場所は、自分の決意を改められる。だからこそ、こうしてここに通うこともある。自らの決意を認識し、そして前に進むために。
クートウスは、若人の道標となる。
「……ふぅ、気が引き締まった。これで、次の演習も気合い入れて臨めるぜ」
握り拳を作ったノエルが意気揚々とそんなことを述べる。
アーヴィン、そしてヴァイスもそれには同意する。しかし、ヴァイスはそんな二人に気付かれないような気鬱な溜め息を吐く。
「ところでさ。演習は一応次で最後なんだろ? どこに行くんだ?」
「あそこまで熱くなっておきながら、その辺りはてんで気に留めていなかったんですね……」
そのヴァイスには気付く様子もなく、二人はそのような会話を交わす。そうしていると、ノエルが普段の調子で今度はヴァイスに尋ねてきた。
ヴァイスもいい加減気を改めると、ノエルの問いかけに答える。
「次の演習はテロス密林だ」
「テロス密林か……。演習の最後には打ってつけの狩場だな」
「あぁ。気候も丁度いいし、存分に力を発揮できる」
ヴァイスもそうしてノエルに頷く。
ハンターが狩猟を行う際、ギルド側からは単独での行動から四人一組のパーティーを編成することが認められている。
そして、このクートウスでも、演習授業の際にはパーティーが編成される。
六年制の教育課程であるクートウスでは、三年次、四年次に無作為にパーティーメンバーが決定され、“実技演習”ごとにそのパーティーは再編成される。
そして、五年次、六年次には、“卒業試験”を受験する正式な四人一組のパーティの決定が義務付けられている。この際のパーティーメンバーは、生徒同士で自由に結成が可能であるが、原則として結成後のパーティーメンバーの変更は認められない。
また、“卒業試験”は言うまでも無い。クートウス卒業に適したハンターとしての知識、能力が備わっているかどうかを筆記試験、実技試験で考査する。
ノエルが再三口にした演習とは実技演習のことを指す。演習では基本的にクラス単位で実際に狩場に赴き、そこで様々な課題をこなしていく。本来ならば狩場ではパーティー単位での行動になるわけだが、演習では様々な理由を考慮し、多くの生徒が同時に狩場を回るといった形になる。
つまりは、実戦形式での狩猟というものは、卒業試験になって初めて経験することになるのだ。卒業試験を受験する生徒たちにしてみれば、この緊張感は途轍もないものである。
「テロス密林での演習は、パーティー内で自由行動となっていましたよね?」
アーヴィンの問いかけにヴァイスが首肯する。
今まで行われた演習では、クートウスの教育方針に則り、担当教員たちが授業内容を決定してきた。具体的に言えば、特定の素材の採取や小型モンスターの狩猟などがメインだ。
しかし、最後に当たる次回の演習では、パーティー内での自由行動が承認されている。これにより、各パーティーで足りない実戦知識などを補う時間に費やすことも可能なのだ。
「それで、俺たちはどうするんだ?」
このパーティーのリーダー役を担うヴァイスに、ノエルが判断を委ねてくる。
ヴァイスはしばらく考える素振りを見せた後に、頭の中を反芻するように計画を述べる。
「まだその辺りは考えている最中かな。ただ、特別これといったことをするつもりはないな。卒業試験を見据えて、小型モンスターの討伐がメインになると思う」
「確かに、普段の演習と変わりないですね」
アーヴィンが改めて指摘すると、ノエルが大仰に肩を竦めた。
「別にいいんじゃないか? 今更新しいこと覚えようたって、それは無理な話だぜ」
「そうですね。僕たちは僕たちらしく、やるべきことを落ち着いて遂行するだけですからね」
「まぁ、そういうこと」
普段通りで構わない。冷静に行こう。
それを確認し合った三人が互いに頷く。
「さて、そろそろ部屋に戻ろう。さすがにこれ以上遅くなると、あいつに文句を言われるかもしれない」
「おぉ~、それは実におっかない」
全く恐ろしいという感情が籠められていない口調でノエルが軽口を叩く。
だが彼も、これ以上遅くなるのもあれだと何かと引っ掛かったのだろう。そそくさと自室に向かっていく二人の後をノエルも追いかける。
このクートウスは、ドンドルマの西側に正門が位置している。そこから向かって北側と南側に生徒の使用する共有スペースや各人の個室が。正門正面に建てられた庁舎には、授業で使用される教室が設置されている。ヴァイスたちが向かっているのは、その北棟だ。
ようやくそこまで辿り着いた三人は、彼らが使用している部屋の位置する階まで階段を上っていく。そして、部屋の正面までやって来ると、アーヴィンが持っていた鍵で入り口の扉を開く。
部屋に踏み入れて最初に広がる光景は、広々とした共有スペースだ。居間や台所に当たるスペースはここに割り振られ、談笑や勉強会などといったことも行える空間になっている。
トイレやシャワーはその奥にあり、そこへ続く廊下を挟むように、各々が自由に使える個室が四室備わっている。寝室はこの部屋に当たり、机や本棚といった勉学に励む生徒に必要とされるものはこの場に備えられている。
「灯りが点いていますね。どうやら、先に帰ってきていたようですね」
アーヴィンがそう呟いて扉を閉める。すると同時に、個室のうちの一室の扉が無造作に開かれる。
「遅かったわね。先に戻っていたわ」
その扉の向こうから姿を現したのは、三人と同じ色合いながらも、可憐な雰囲気を醸し出す制服を着た少女だった。
「すいません、ルナ。時計塔の方に行っていたもので、少し時間が掛かってしまいました」
――ルナ。そう呼ばれた少女は「別に気にしていないわよ」と淡泊な様子でアーヴィンに返した。
ルナ・クラヴディア。それが、この少女の名だ。
彼女の姿を一目見てまず視線を惹かれるのは、月のように美しい
人形のように整った白皙の顔。そして、その顔立ちには不相応な程の強い意志が込められた瞳は
その彼女こそが、このパーティーのもう一人のメンバーなのだ。
「時計塔って言うと、どうせノエルがそんなことを言い出したんでしょ? それにヴァイスとアーヴィンが付き合わされたのは分かり切っているわ」
的確に的を射ているルナの発言に、アーヴィンが苦笑いを浮かべて首肯する。
一方のノエルは、やや不満そうな視線をルナに送る。
「それは別に俺の勝手だろ? もうすぐ最後の演習があるんだ。だからこそ、あそこに行って気持ち改めておくのが俺のやり方ってもんだ」
そうだったわね、とそれだけを呟いて、ルナは近くの椅子に腰を下ろす。
「はぁ、相変わらずアンタも物好きね……」
やれやれといった様子でルナが溜め息を吐く。すると、そんなルナの発言を聞いたノエルが可笑しそうに噴き出した。
ルナも、突然のノエルの反応に「何よ?」と怪訝な顔をする。
「それ、ヴァイスにも全く同じこと言われたぜ。ハハッ、本当にお前たちってお似合いだわ! こんなところまで息ぴったりなんだからな」
ついに堪え切れなくなったノエルが否応を言わせない勢いでそんなことをぶちまける。
そうすると、ルナも言葉を失う。今までぶすっとしていた彼女の顔に次第に赤みが帯びていく。
「は、はぁっ!? それはそれでノエルの問題でしょ! それに、私たちがお似合いってどういうことよ!?」
必死に取り繕うようにそうは言うが、ノエルもそれは華麗にやり過ごしてみせる。更にノエルは、ヴァイスにまで火種をまき散らす。
「さて、ヴァイス。当のルナはそう仰ってるぞ?」
「そこで俺に振るなよ……」
ヴァイスも頭が痛い様子で溜め息を漏らす。
しかし、ヴァイスの返答を聞いたルナが再び言葉を詰まらせてしまう。
そんな様子を不審に思った――わけでもなく、ノエルが更にルナに漬け込む。
「おっ? その様子だと、ルナは何かに期待していたのか?」
「な、なぁっ!? べ、別にそんなことないわよ!」
「へぇ~、そうなのか~」
わざとらしく首肯するノエルに、ルナが鋭い視線を送る。だが、その程度でノエルが怯むはずもなく、ルナの攻撃は空しいものとなる。
「ねぇ、アーヴィン。傍観してないで、アーヴィンからも何か言ってちょうだい……」
無駄な努力をすることを諦めたルナが力無く助け舟を求める。
対して、アーヴィンもにこやかな笑みを浮かべながらも、場を鎮静してくれるよう動いてくれた。
これこそが、このパーティーの日常の風景だ。傍から見れば喧しい騒ぎであるのに、そんなことはお構いないなしだ。
そうして、今日もこんな調子で夜が更けていく。