「はぁ……」
赤く彩られた反り橋の上でソラがため息を漏らした。
皆、ジンオウガに敗退を喫したものの、それでも村を守るために再度ジンオウガに挑もうとしている。
もちろん、自分もそのつもりである。だが、ハンターを辞めようとしている自分が村を守れるのだろうか。ヴァイスたちに同行したところで、足手まといになるだけではないだろうか。そういった考えが無意識に浮かんでくる。
「だからと言って、逃げるわけにはいかないです……」
この状況から逃げ出せれば、どれほど楽になれるだろうか。だが、それは許されない。そうしてしまえば、今度こそ自分を見失ってしまう気がしたからだ。
いや、ハンターを辞めようとしているという時点で、自分は現実から逃避しようとしている。ジンオウガを討ったところで、その選択が誰も望まないことに変わりはない。
それは、信頼されているから。
信頼されているからこそ。自分の力を必要としてくれるからこそ、ハンター辞めると言った自分を彼は引き止めようとした。
しかし、それでも無理だった。ハンターを続けたいという意志よりも、自信を失ったがためにハンターを辞めたいという感情が勝っている。
もう少しだけ、意志の強い人間だったら、とつくづく思う。反り橋の下にある池の
「はぁ……」
再び、ため息が漏れる。
ジンオウガが渓流に出没したためか、時刻は夕方にも関わらず人の姿はほとんど見られなかった。
薄暮の空が広がる上空を仰ぐ。そこには、憎らしいほどの高い空が変わらずに広がっていた。
もう一度。もう一度、あの高い空に舞い上がれる自信を取り戻せるのならば。そうすれば、きっと強くなれる気がした。
「ソラさん?」
その声にはっと我に返る。そして、ソラは思わずその声のした方を振り向いた。
「クレアさん……」
そこにいたのはクレアだった。ベリオシリーズを纏っているわけではなく、ラフな格好をしている。おそらく、買出しか何かの途中だったのだろう。
「あっ、やっぱり」
ソラだと認識したのか、クレアが駆け寄ってきた。
「こんな所でどうしたの?」
「へっ!? そ、それは……」
いきなり痛いところを突いてくる。物思いに耽っていた、と馬鹿正直に返す勇気はソラにはなかった。
「ちょっと風に当たりたいな~、と思ったんです」
「そうだったんだ」
クレアがそれ以上追及してくることはなかった。その代わり、クレアはある物に心奪われていた。
「綺麗……」
「綺麗、ですか?」
「夕日のことだよ。ほら、前も一緒に見たでしょ?」
クレアに言われ、ソラは思い出した。
それは、ティガレックスの狩猟に赴く前のことだった。温泉に浸かった帰りに、集会浴場から夕日を一望した。そして、秋になったら、また二人で夕日を見ようという約束を交わした。
ユクモ村に秋が訪れるのは、だいぶ先のことになる。その時にもう一度、クレアとこの夕日を見られたなら、確かにそれは素晴らしいことだろう。
そうソラが思い耽っていると、クレアが小首を傾げた。
「ソラさん。何か悩み事でもあるの?」
「ど、どうして分かったのですか!?」
「えっと……。何となく、かな」
「な、何となく……?」
勘が鋭いクレアにとって、自分が悩んでいることはお見通しだったらしい。そう思うと、少しだけ恥ずかしくなってくる。
「ねぇ、ソラさん。私でよかったら、ソラさんの悩み事話してくれないかな。もしかしたら、力になれるかもしれないし」
「で、でも。それだと、クレアさんは迷惑じゃあ……」
困惑した様子で言ったソラにクレアが微笑んだ。
「大丈夫だって! 私たち、友達でしょ?」
「友達……」
友達。その言葉は、ソラにとって嬉しくもあり、苦しくもあった。
クレアは、自分の悩み事を聞いてくれようとする。それが、ただ同情するためでなく、悩みの種を消そうとしてくれている。
おそらく、クレアに「ハンターを辞める」と告げれば「どうして?」と問われることだろう。それが理由で、友達という関係が崩れてしまうかもしれない。せっかく築いた関係が、たった一つの悩みの種で跡形も無く崩れ去ってしまう。それが、怖かった。
本当のことを言うのが怖いのだ。
「……クレアさんは、ある人に憧れてハンターになったんですよね」
ソラの突然の一言に、クレアは最初こそ驚きを隠せなかった。静かに頷いたクレアの口元が緩む。
「そうだよ。師匠かグレンさんに聞いたんだね」
「はい」
クレアがハンターを志した経緯は、以前にヴァイスから聞かされていた。そして、彼女の憧れの人物が、他でもないヴァイスだということも。
憧れの念を抱きハンターになったクレアに、ソラは質問してみたいことがあった。
「クレアさんは、子供のころにリオレウスに襲われたと聞いたのです。その時に助けてくれた人に憧れたということも。……でも、クレアさんは、それでもモンスターの存在を怖いと思わないんですか?」
辛い過去の経験があるクレアにこんなことを訊くべきではないということは重々承知している。
しかし、ソラはどうしても知りたかった。モンスターの存在を怖いと思っているのかどうかを。
クレアは相変わらず微笑みながら、しかし、僅かに陰のあるような表情で口を開いた。
「怖くない。そう言えたら、嬉しいんだけどね……」
やはり、クレアはモンスターの存在を怖いと思っているのだ。死の恐怖に追いやれたことを考えれば、それは当然のことだ。
だが、クレアは「でもね」と言葉を紡いだ。
「でも、怖いのは誰でも同じだと思う。みんな、命がけで狩猟をしている。そんな中で、私一人だけ怯えてるのは嫌だったから。あの人に追いつくには、怖がってちゃ駄目だって分かったんだ」
「怖がってちゃ、駄目……」
その言葉は、表面的なもの以上に大きな意味を持っているような気がした。
クレアにとって、モンスターの存在は怖い。それが、これから先で変わることはないはずだ。だが、クレアはそれを自分の力で乗り越えようとしている。恐怖の先にクレアがハンターを志した理由がある。クレアの憧れたハンターがそこにいる。
その人物のようになりたい。ただ、それだけの理由で。いや、クレアには十分過ぎるほどの理由で、彼女は現実から目を逸らすのではなく、現実と向き合う決心をしたのだ。
「私はその人に、ありがとうって言いたい。いつか、また逢えることを信じてるから……」
そう言って、クレアは首元からあるものを外した。それは、夕日の赤光を反射して輝くネックレスだった。十字架を模した中央部には、蒼く輝く小さな宝石らしきものが埋め込められていた。
「クレアさん。それは……」
「うん。これは、あの人から貰ったものだよ。これを見るたびに、私はあの人のことを思い出すんだ」
クレアがそのネックレスを翳す。そのネックレスを見つめるクレアの瞳は、その時のことを思い出しているようだった。
「クレアさんにとって、とても大切なものなんですね」
ソラの言葉にクレアが無言で頷いた。
「これは、あの人と私の約束の証……。そうやって、私は一方的に思い込んでいるんだよね。でも、私はこれのおかげで少しは強くなれた気がする」
クレアとそのハンターを繋ぐ約束の証。辛い時も、苦しい時も、これを見れば乗り越える気がするのだという。今も、そして、これから先も……。
「ごめんね。なんか、感傷的な話になっちゃって。ソラさんの相談に乗りたかったのに」
声のトーンを普段通りに戻したクレアがそう言った。
「そ、そんなことないです。わたしは、クレアさんとお話できてスッキリできたのです」
「そうかな? よく分からないけど、ソラさんの力になれたならよかったよ」
クレアが屈託の無い笑みを浮かべる。ソラも、それに釣られて自然と笑みがこぼれてきた。
「じゃあ、ジンオウガの狩猟。頼りにしてるからね!」
「はい!」
そうして、クレアは自宅の方へ向かっていった。
その場に一人取り残されたソラは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「……やっぱり、羨ましいのです」
すっと口元を緩めソラが呟いた。
地平線に沈みゆく夕日が、そんな彼女の横顔を照らしていた。
日付は跨ぐ。
太陽が高くに昇り、現在は昼餉の時間帯である。普段なら、この時間帯は多くの村人や観光客で村の広場はごった返す。しかし、今日に限っては人の姿は見られず、ユクモ村は不気味なほどに静まり返っていた。
それもそうであろう。ユクモ村は過去にジンオウガに踏み込まれてしまっている。その恐怖は、今でも人々の心に強く根付いている。
物寂しさはおろか不気味さを感じる広場を抜け、クレアがやって来たのはヴァイスの元であった。
「師匠。いますか?」
扉をノックしてしばらくすると、扉の向こう側からヴァイスが現れた。普段と変わらない、ギルドナイト蒼シリーズを着込んでいる。
「悪いな。こんな時間に呼び出して」
「いえいえ。全然大丈夫ですよ」
クレアは「お邪魔します」と言って家へ足を踏み入れた。
既に、グレン、ソラの二人がクレアより先に来ていた。しかし、その表情はあまり明るいものではない。
「揃ったな」
ヴァイスが三人を一瞥するとそう言った。そして、三人を呼び出した理由――ジンオウガの狩猟について話し始めた。
「……見ての通り、最近はユクモ村は活気を失っている。その理由はもちろんジンオウガの出現だ」
「そうですね。これだと、今までの面影が全く感じられない……」
グレンの言葉には誰もが同意出来る。あの活気溢れていたユクモ村がここまで衰退しているのだ。この状態を知らない者に、以前は観光客などで賑わっていた、などと言っても信じてもらえないかもしれない。
「ああ。この状態は速急に対処する必要がある」
ヴァイス達がジンオウガを討伐し、ユクモ村を脅威から退ける。それしか、この状態を打破することは出来ない。
「俺も、自分なりに色々な思考をしてみた。結論から言えば、ジンオウガは討伐ではなく、捕獲するという方針で行く」
その決断は致し方なかった。
ティガレックスの狩猟の際も、狩猟方針を討伐から捕獲へと途中で変更している。それは、標的に対してあまりにも苦戦を強いられ、討伐が難しいと考えられた時の選択である。ジンオウガも例外ではなく、ましてやティガレックスを上回る強さを誇っている。ヴァイスの決断には納得出来る。
しかし、それはあくまで狩猟方針の変更に過ぎない。ジンオウガを狩猟するという意味では、何ら意味が変わったわけでもない。討伐でも捕獲でも、ジンオウガの脅威を退ければいいのだから。
「分かりました」
三人を代表して、クレアがその決断に同意したことを表す。
「よし。次は具体的な狩猟内容を話す」
ヴァイスは一旦その場を離れ、仕事机とも言える場所から何枚かの紙を持ってきた。おそらく、ジンオウガの情報を独自に調べ記したものだろう。
「色々と調べてみたが、ジンオウガの弱点は氷属性で間違いないだろう」
弱点となる属性の確定。それは、こちらにとって大きな情報だ。弱点を突き、より大きな痛手を与える。狩猟を有利に進めるには定石な手段である。
「そして、クレア以外の俺達はジンオウガの攻撃を受け止める手段がない。そこで、グレンとソラは基本的に援護に回ってほしい」
「わかりました」
「はい。任せて下さい」
二人がヴァイスに了解する。
そんな中、具体的な立ち回りを指示されなかったクレアが口を開いた。
「師匠。私はどうすればいいですか?」
「お前は自由に動いて構わない。俺がフォローする。だが、深追いだけは禁物だ」
クレアは思い思いに動き、それをヴァイスがフォローする。それは、二人で狩猟をする際の方針だった。
もちろん、クレアはヴァイスのことを心の底から信頼している。ジンオウガが相手でも師匠なら任せられる、と。
「分かりました。師匠も、私のことをちゃんとフォローしてくださいね」
「もちろんだ」
そうして、細かな立ち回りの方針を決めたところでヴァイスが二枚目の資料に目を通す。
「次に、使用するアイテムだ。基本的な回復アイテム類や砥石など。そこに、ウチケシの実、閃光玉、大タル爆弾Gや罠。捕獲用の麻酔球か弾丸。個人で必要ならば鬼人薬や硬化薬など。それくらいだ」
ウチケシの実は、先の実体験から必要不可欠と判断したアイテムだ。雷を纏ったジンオウガの攻撃で「雷属性やられ」という状態に陥った際に回復することが出来る。
もちろん、大タル爆弾Gなどは調合素材分も持ち込む必要があるだろう。そうなれば、持ち込む道具はかなり嵩張ることになる。
「罠は落とし穴だけでいいですよね?」
クレアがヴァイスに問う。
それも、ジンオウガに対しシビレ罠が効かなかったのを目の当たりにしているからこその考えだった。シビレ罠がジンオウガに無効な以上、持ち込むのは落とし穴だけでいいというのは常識な考え方だ。
だが、ヴァイスは首を横に振った。
「いや。俺はシビレ罠と落とし穴の両方を持ち込むつもりだ」
さすがにクレアもヴァイスの言葉を疑った。
この目で、ジンオウガがシビレ罠を呆気なく破壊したのを確かに見た。にも関わらず、ヴァイスはシビレ罠を持ち込むのだという。
ヴァイスのことだから、何も考えなしにそう言っているのではないと分かっている。しかし、何を根拠にシビレ罠を持ち込むことを決めたのかが疑問だった。
ヴァイスも、これに関して補足をする。
「確信はない。だが、ある一定の状況下でそれまで効かなかった罠が効果を発揮するというモンスターも存在する」
つまり、ジンオウガが何らかの状況になった時シビレ罠が効果を発揮する。ヴァイスはそう推測したのだ。
そして、その特殊なモンスターについて、グレンは身に覚えがあった。
「もしかして、ナルガクルガのことですか?」
グレンの言葉にヴァイスが「そうだ」と頷く。
ナルガクルガは飛竜種に分類されるモンスターだ。特徴的なのはその速さ。他のモンスターを遥かに凌ぐ俊敏性は、その動きを目で追うことも難しいことから、ナルガクルガは迅竜とも呼ばれる所以となっている。
この辺りの地方でも、度々目撃されているらしい。しかし、ヴァイス以外の者は狩猟経験がないため、その詳しい詳細は分かっていない。
「ナルガクルガは、通常では落とし穴が効かない。だが、奴が怒り状態になった途端、落とし穴が有効になるんだ」
「怒っただけで、落とし穴が効くようになるんですか?」
「ああ」
俄には信じられないが、これは事実だ。
実際のところ、詳しい説は分からない。だが、怒りで我を忘れ、冷静さを欠き落とし穴の存在に気が付けずに罠に掛かってしまうと考えられるだろう。
「でも、ジンオウガを怒らせればシビレ罠が効くってことじゃないですよね」
ヴァイスの言うとおり、特定の状況でシビレ罠は有効かもしれない。しかし、ジンオウガとナルガクルガの生態は明らかに違う。怒らせたところで罠が有効になるという保証はない。
そんな内容のことを口にしたクレアにグレンが口を開いた。
「それに関しては大丈夫じゃないかな」
「大丈夫? 何がですか?」
グレンの言っている意味が分からず、クレアが質問する。
「シビレ罠は雷光虫を素材として作られてる。一方で、ジンオウガはその雷光虫を活性化させる能力を持っている。もし、ジンオウガが雷光虫を活性化して帯電状態になった時、そこにシビレ罠を仕掛けても効かないのは当たり前じゃないかな」
「つまり、ジンオウガが超帯電状態になる前なら、シビレ罠は有効かもしれないってことですか?」
「まぁ、簡単に言えばそういうことだね」
確かに、グレンの言っていることは間違いではないだろう。しかし、そこに疑問を抱いたソラが口を挟む。
「でも、それだと通常の状態でもシビレ罠は効かないように感じますけど……」
ジンオウガは通常の状態でも雷光虫を集め、そこから超帯電状態に移行することが出来る。それなら、シビレ罠の持つ雷光虫のエネルギーはジンオウガに吸収され、シビレ罠は結局効かないのではないか。ソラはそう考えた。
「それは……、上手く言葉で表すのは難しい。多分、ヴァイスさんの方が上手く説明できると思う」
途端にヴァイスに注目が集まる。
バトンを受け取ったヴァイスがグレンの考えの捕捉をする。
「確かに、ソラの言うような考えも出来る。だが、ジンオウガは自分の意志で雷光虫に自らの電力を分け与えなければ帯電状態にはなれない。電力を分け与え帯電状態になった時、初めて雷光虫に対する耐性ができる。つまり、帯電状態でないジンオウガは、元々雷光虫に対する耐性は少なくシビレ罠は有効である。だが、帯電状態となり雷光虫に耐性ができた状態ならシビレ罠は効かないと判断出来る」
ヴァイスの説明に納得したクレアが「おぉ~」と感嘆の声を上げた。
「さすが師匠! 確かに、師匠やグレンさんの言うとおりかもしれませんね」
「ああ。だが、必ずしもシビレ罠を持ち込む必要はない。あくまでこれは推測であって、おまけに嵩張るからな」
剣士のヴァイス達はともかく、ガンナーであるソラは各種弾丸を持ち込む必要がある。弾丸だけで道具類はかなり嵩張るため、持ち込む道具は適宜に決定しなければならない。
今回の場合、ソラがシビレ罠を持っていくことは不可能だろう。剣士の三人がシビレ罠を持っていくことになる。
「でも、シビレ罠が有効ならこちらにとってはプラスですね。落とし穴は設置に手間がかかりますから」
シビレ罠と落とし穴の違いは単純だ。
シビレ罠はその場に設置し、モンスターを誘導するだけで構わない。だが、落とし穴は一旦モンスターの動きを止めるだけの穴を掘り、そこに仕掛けをする必要がある。
その分、落とし穴の方が効果は大きいが、落とし穴の設置を邪魔されないよう援護する必要もある。シビレ罠に比べ、ハンターに掛かる負担が大きいということだ。
「なら、次へ移ろう。先も言ったように、ジンオウガは捕獲する方針で狩猟を進める。そこで、誰が捕獲用の道具を持ち込むかだが……」
モンスターを捕獲するのに必要なものは捕獲用麻酔玉。もしくは捕獲用麻酔弾である。ティガレックスの捕獲時に使用したのは後者だ。
「捕獲すると決定している以上、その数が多いに超したことはない。ソラは余裕があればで構わない。俺達は捕獲用麻酔玉を持っていこう」
ヴァイスの提案にクレアとグレンが共に首肯する。そして、ソラもそれに続いた。
「大丈夫です。わたしも余裕があるので、麻酔弾は持っていきます」
「そうか、分かった。なら、次だが……」
そうして、ヴァイス達は夕刻まで話し合いを続けた。
ジンオウガの捕獲を何としても成功させる。その気合いがあったからこそ、さまざまな作戦を練ることが出来たのだ。
明日の出発に備え、皆が帰路についた。ヴァイスはその後も、自らの仕事を進めた。
そして、時刻は夜を迎える。
ヴァイスは一人、集会浴場を目指した。本当は村長に顔を出しておきたかったのだが、「お気に入りの場所」に姿が見えなかったため、ここを訪れることにしたのだ。
「おう。珍しいな。この時間にチミが来るなんて」
出迎えてくれたのはギルドマネージャー。そして、その傍らに村長が佇んでいた。
やはり、二人の表情にも心配の色は表れている。それだけ、村全体がこの状況を緊急事態として捉えている証拠だった。
「俺達は明朝に村を発ち、渓流へ向かいます」
ヴァイスが単刀直入に切り出した。二人の表情が更に歪んでいく。
「そう、ですか……。明日には既に……」
「ええ。この状況はなるべく早く打開しなければなりませんから」
ヴァイスが躊躇いなくそう言う。
そんなヴァイスに、ギルドマネージャーが申し訳なさそうに口を開いた。
「……すまないな。アタシ達には、何も出来なくて」
だが、ヴァイスは肩を竦め「大丈夫ですよ」と平然とした面持ちで言った。
「これが俺達ギルドナイトの……いや、ハンターの仕事ですから」
ハンターは、ただモンスターを狩猟することが仕事ではない。時には人々を護衛し、またある時は街などの防衛に務める。
特に、ギルドナイトとしてこのような任務をこなしてきたヴァイスは、この状況には既に慣れている。自分が何をすべきなのか。そこで、本来の自分の持てる力を発揮する。そのことをヴァイスは熟知している。
「今日は、挨拶に来ただけです。では、俺はもう行きます」
「……待ってください」
家に戻ろうと身を翻して歩を進めたヴァイスを、村長が突然呼び止めた。
ヴァイスは村長に向かって振り返らず「何でしょうか」と口にする。その言葉にしばらく間を置いて、村長が
「……必ず、無事に戻ってくると信じてますわ」
「ええ。約束します。俺達は、全員無事で帰って来ると」
そして、ヴァイスは集会浴場から静かに立ち去っていった。
村長とギルドマネージャーは、それでも心配なことに変わりはなかった。かつてのジンオウガの恐怖を知っているからこそ。ハンターとして、一番の危険に晒されるヴァイス達の身を案じたのだ。
月明かりが照らすユクモ村の夜は静かに更けていった。