ユクモ村から数日、ヴァイスたちは渓流に赴いた。
普段は穏やかな渓流も、今日だけは違った。風はまるで騒めくように吹き荒れ、昼間にも関わらず不気味な雰囲気すら漂ってくる。
拠点に辿りついた四人は、早速狩猟の準備を整える。
ティガレックスとの狩猟から四人に目立った武具の変化は見られない。唯一、ヴァイスだけが武器を変更していた。
太刀特有の刀身に窺える反り。ヴァイスの身長を凌ぐ細身のフォルム。見た目は鬼哭斬破刀・真打と大差ないだろう。しかし、その刀身に宿す属性は氷属性。一度鞘から引き抜けば、相手の傷口をも凍てつかせてしまうほどの冷気が一閃される。
ジンオウガに対し氷属性が有効かどうかは明確ではない。しかし、ヴァイスの調べでは、氷属性が弱点ではないかという推測らしい。
「何だか、不気味ですね……」
普段は物怖じしないクレアが、そう告げた。
それは、クレアだけが感じ取ったものではない。ここにいる全員が、その感情を抱いている。
「ああ、確かにな」
クレアの言葉にヴァイスが静かに答えた。
まだ、ジンオウガと対峙したわけではない。にも関わらず、重い威圧感が感じられる。大抵のハンターだったら感じることができる。ジンオウガは、とても手強い相手なのだと。
準備を整えたグレンが、ヴァイスに問いかける。
「ヴァイスさん。今回はどう動きますか」
地図を眺めていたヴァイスは、グレンの問いかけに頷いた。
「今回は、俺から指示することはあまりない。ただ一つ、絶対に深入りしないことだ。それを心がけて欲しい」
ヴァイスの言葉にグレンの他、クレアとソラも重々しく首肯する。
ジンオウガに対する情報は限りなく少ない。雷属性の攻撃を得意としている、氷属性が弱点ではないかという目星は付いた。だが、肝心の立ち回りについてなどは一切不明だった。
以前、ジンオウガがユクモ村を襲撃したことがあった。その経験から、何か打開策は考えられないものかと思った。しかし、実際にそれは叶わなかった。ギルドマネージャー曰く、ジンオウガの動きは予測不可能だという。収穫はその程度だった。
情報は、実際に対峙して得ることになるだろう。クレアたちに掛かる負担が大きくなることもヴァイスは覚悟している。こちらの立ち回りも、考えることは難しい。
あと一つ。気掛かりなことはソラだった。
ここに来る途中でグレンから聞いたのだが、どうやらハンターを辞めたいという意志があるらしい。生半可な気持ちでジンオウガに挑めば、自らを危険に晒すことになる。ソラは、ユクモ村の人々の力になりたいと言っているらしいが、いざという時はパーティーから除外することも考えておかなければならない。
「さて、準備は整ったか?」
ヴァイスが三人に問いかける。互いに無言で頷き、準備が整っていることを告げた。
そして、ヴァイスは最後の警告を促す。
「何度も言うが、絶対に無理は禁物だ。相手の実力は未知数だからこそ尚更だ。無理を感じたらすぐに撤退してくれ」
ヴァイスから言えることはもうない。
先陣を切って、ヴァイスが拠点を後にした。クレアたちもヴァイスに続き、拠点を出る。
エリア1。普段は、このエリアにはガーグァやケルビなどの気性の大人しい小型モンスターのいることが多い。だが、エリア1には小型モンスターの姿は見られなかった。
不審に思ったが、取り合えずエリアを移動する。
岩肌が剥き出しの斜面を下りていき、エリア4へ辿りつく。ここには、ジャギィとジャギィノスの群れが屯していた。しかし、肝心のジンオウガと思しき姿はない。
「いませんね」
「ああ。だが、油断するな。いつ出てきても不思議じゃない」
ヴァイスは辺りを一瞥すると、再び歩を進めた。今度は、エリア5へと続く道を行く。
木々が生い茂ったこの場所は昼間でも薄暗い。遠くから聞こえる羽音は、おそらくブナハブラのものだろう。だが、ヴァイスたちはそんなことなど気にしていなかった。何故なら、標的となるジンオウガを視界に捉えたのだから。
こちらには背中を見せている。その背中は青い鱗と黄色い甲殻で覆われている。
「あいつが、ジンオウガ……」
誰かが、無意識のうちにそう呟いた。
その声に釣られるかのように、ジンオウガがこちらを振り向いた。身体が強張る。だが、ジンオウガのその姿から視線を逸らすことはなかった。
頭部に生えている二対の角。腹や首などに生えている白い体毛。強靭に発達した四肢。この場にいる誰もが見たことのない、まさに未知のモンスターだった。
「来るぞ!」
氷刀【雪月花】を抜き放ちながらヴァイスが叫ぶ。三人も、その言葉に反応するかのように散開した。
ジンオウガがヴァイスを見下ろす。ゆっくり、ゆっくりと確実にヴァイスに近づいていく。
「ウオオオオオォォォォォォォォォォォッ!」
先に動いたのはジンオウガだった。頭部の角を突き出し、頭突きを繰り出してくる。
ヴァイスは、抜刀したまま前転回避を行い、その攻撃をやり過ごす。しかし、ジンオウガはヴァイスを逃がそうとはしない。
体勢を低くすると、その四肢を駆使し突進してくる。
「くっ」
氷刀【雪月花】を鞘に収める暇はない。ヴァイスは、この攻撃も前転回避で回避に成功する。
ジンオウガが、身を翻して身体を停止させる。その背後から、クレアが接近した。
シャドウサーベル改を抜き放ち、ジンオウガの尻尾に一閃させる。だが、その一撃は、呆気なく弾かれてしまう。
「か、硬い!」
シャドウサーベル改の切れ味は決して低くはない。だが、その斬撃が弾かれるほどジンオウガの甲殻は硬いものなのだ。
ジンオウガがクレアに振り向く。斬撃を弾かれたクレアは、完全に体勢を立て直せていない。このままでは、無防備なクレアをジンオウガが攻撃してしまいかねない。
だが、そうはさせじと動いたのがグレンとソラだ。グレンは、ジンオウガの前脚にヘビィバグパイプを叩きつけ、ソラが頭部にLv3通常弾を撃ち込む。
ジンオウガの注意がクレアから一瞬逸れた。その隙に、クレアが安全圏に後退する。
グレンも続けて後退し、入れ替わるようにヴァイスがジンオウガに斬撃を放つ。シャドウサーベル改では通らなかった斬撃も、氷刀【雪月花】を持ってすれば関係ない。ジンオウガの尻尾の先端部分に氷刀【雪月花】の軌跡が走る。
だが、ジンオウガは動きを止めない。射撃を続けているソラを正面に捉えると、勢いよく飛び掛ってくる。発達した四肢から繰り出される跳躍力は凄まじく、開いていた距離を一気に殺してきた。
ソラも、寸でのところで回避する。立ち上がると背中を向けているジンオウガに対し照準を合わせる。背後からなら、安全に射撃ができる。そう判断したソラの前でジンオウガは動いた。
ジンオウガは、その跳躍力を生かし身体を宙に浮かべた。空中で身体を反転させると、その勢いと自らの体重を乗せ尻尾を振り下ろした。
「そんな!?」
意表を突かれたソラはその場から動けなかった。ジンオウガの尻尾がソラの身体に向かって叩きつけられる。
「きゃあっ!?」
衝撃。そして、遅れてやってくる身体の痛み。ソラは成す術なく、攻撃を喰らってしまった。背中から地面に叩きつけられ、肺の中の酸素が逆流し息苦しさを覚えた。そして、その一撃だけで身体の自由が利かなくなった。
「ソラ!」
「ソラさん!」
クレアとグレンが、ソラを助け起こそうと走り寄る。だが、ジンオウガがその二人の前に立ち塞がるように動いた。
ジンオウガが身体を捻ったかと思うと、再び空中にその身体を舞い上がらせた。その時の勢いで尻尾が薙ぎ払われ、二人を打ち捉えた。
「きゃっ!」
「うわぁっ!?」
ヴァイスが荒く舌打ちする。ポーチから閃光玉を取り出すと、躊躇いなくそれを投擲した。眩い閃光が辺りに走った後、ジンオウガの悲鳴が聞こえてきた。
どうやら、閃光玉はジンオウガに対して有効らしい。しかし、ヴァイスはそのことに安堵せずソラを助け起こす。残りの二人は自力で立ち上がることができている様子だ。
「大丈夫か?」
「はい。なんとか大丈夫です……」
ヴァイスがジンオウガの様子を窺う。
閃光玉の影響から回復したジンオウガは、まるでヴァイスたちを見下すようにこちらを睨んでくる。そして、ヴァイスたちを捕らえるために動き出す。
「ちっ……」
ヴァイスは舌打ちしつつ、氷刀【雪月花】を鞘から引き抜きジンオウガに接近する。あえてジンオウガの目の前を横切り、こちらに気を逸らす。案の定、ジンオウガは狙いをヴァイスに変更したようだった。
一旦後方へ身を翻すと、そこからヴァイスに向かって突っ込んでくる。
しかし、ヴァイスはそれを冷静に回避する。そして、ジンオウガが反転して停止した隙に斬撃を繰り出す。突き、斬り上げ、斬りつけ、斬り下がる。手応えは浅い。だが、確実にダメージを負わせてはいる。
体力を回復したクレアが、ジンオウガの尻尾に斬り込む。今度は尻尾の先端ではなく、その付け根にシャドウサーベル改を振り下ろした。それは、弾かれることなくジンオウガの尻尾に斬撃が走った。
ソラも援護を再開させると、今度はグレンも動いた。へビィバグパイプを演奏体勢に構え、攻撃力強化【小】、防御力強化【小】のスキルを発動させる。
「オオオオオォォォォォォォォッ!」
ジンオウガも止まらない。先ほどと同じく体勢を低くして身構えた。突進を繰り出すのかと身構える。だが、ジンオウガは突進するのではなく、その巨体ごとタックルを行ってきたのだ。
並みのモンスターなら対応できた動きだったかもしれない。しかし、ジンオウガの動きは俊敏で対処が間に合わなかった。その影響を受けたのがクレアで、盾でガードする前に吹っ飛ばされた。
「くぅっ!?」
何とか受け身を取ることに成功したが、受けたダメージは大きい。先ほどの薙ぎ払いといいタックルといい、剣士の防具でここまでのダメージを受けてしまうと現実味が薄れてきてしまう。
「とりあえず、回復を――」
そうしてポーチに手を伸ばしたとき、クレアは咄嗟にその場から退いていた。遅れてクレアの元いた場所に、淡い光を帯びた何かが通過していった。
「今のは!?」
驚きのあまり、狩猟中にも関わらずそんな言葉を発していた。
先ほどの物体が飛来してきた方向にはジンオウガがいる。先ほどの物体はジンオウガが繰り出した攻撃の一つだということだろう。
もう一度ジンオウガの様子を確認すると、クレアは回復薬を一本飲み干した。
既に、ヴァイスとグレンがジンオウガの気を惹きつけてくれている。さすがと言うべきか、ヴァイスの動きには余裕があるが、一方のグレンは精一杯といった感じに見える。
その様子を察したのか、ジンオウガはグレンを標的としたようだ。空中に飛び上がり、尻尾を叩きつけてくる。グレン、そして同じくジンオウガに肉迫していたヴァイスも回避行動をし、辛うじて回避することに成功した。
遠目からクレアは安堵しつつ、ジンオウガに接近しシャドウサーベル改を抜き放った。
片手剣の常套手段は連続斬り。一撃の重さではなく手数の多さで勝負する。しかし、慎重に攻撃を行うとなると大剣や太刀に比べ働きが幾分か落ちてしまう。クレアは、ジンオウガの注意を惹きつけるべく手数をなるべく多くし、かつ深入りしないよう心がけ斬撃を放った。
ソラの援護の助けもあって、ジンオウガの追撃を阻止することができた。
後退していた二人も加わり、ジンオウガを囲む形でそれぞれの武器を振るった。
さしものジンオウガも、これで翻弄することができるのではないか。しかし、ジンオウガの力は、その予想を遥かに上回った。
ジンオウガが後脚だけで立ち上がる動作を見せた。それだけで、ジンオウガが自分たちを押し潰そうとしていることが理解できた。誰もがそう判断し早目の回避行動を取る。しかし、ジンオウガはそれでも獲物を逃がそうとはしなかった。適当な一人――クレアに狙いを付け、回避した後もホーミングを行った。
「何っ……!?」
そのジンオウガの能力には、ヴァイスをも驚愕させた。
無論、クレアは避けきれず、ボディプレスの餌食になってしまう。
「くそっ……!」
近くにいたヴァイスが、クレアを助け起こしたいのは山々だ。しかし、このボディプレスの影響でジンオウガの周囲に強い風圧が生じた。それを防ぐスキルは発動しておらず、ヴァイスとグレンの身体が風圧で押し流される。
その様子を見ていたソラは、射撃を中断しクレアの元へと向かった。どうやら、大した痛手ではないらしく自分で起き上がることができている。
「クレアさん、大丈夫ですか!?」
「うん、私は大丈夫だよ。それよりも、ソラさんは援護を!」
「はいです!」
クレアはその場に留まって回復を行い、ソラだけが場所を移動し射撃を再開した。
風圧の影響を受けた二人は、どうやら一旦距離を取ったらしい。その中で、グレンがヴァイスの元へと走り寄っていった。
「すいません。俺が演奏して風圧を防げれていれば……」
「そのことは大丈夫だ。気にするな」
「はい。わかりました」
短く言葉を交わすと、二人は再び散開した。
グレンはそこから更に後退し、演奏体勢に入る。先ほどの教訓を生かし風圧無効のスキルを。ついでに、攻撃力強化【小】、防御力強化【小】の旋律効果を延長させた。
グレンが演奏を終えたとき、ジンオウガはグレンに向かって背を向けていた。ジンオウガに走り寄ると、へビィバグパイプを尻尾に向かって叩きつける。太刀などの斬撃とは違う、狩猟笛の打撃攻撃はジンオウガの尻尾に弾かれることはなかった。
数回殴りつけたところで、一歩後退する。最前のジンオウガの攻撃手段として、ジンオウガの後方はあまり安全ではないと判断する。グレンは、ジンオウガの右後脚辺りに場所を移すと再びヘビィバグパイプを叩きつける。
しかし、ジンオウガが標的としたのはグレンではなく、その反対側に位置する場所にいたクレアだった。低く身構えると強烈なタックルを繰り出してくる。
だが、クレアも同じ轍を踏むのではない。一度見た動きのため、身体が反射的に動く。右手に装着された盾を突き出し、その衝撃を受け流す。
「くぅっ……」
やはり、盾で防御したとしてもその衝撃は大きかった。クレアの身体は押し流され、その影響でジンオウガに無防備な姿を晒してしまう。
ジンオウガがクレアに向き直ろうとする。そのジンオウガの頭部に、ヴァイスが携える氷刀【雪月花】の斬撃が走った。ジンオウガも不意を突かれたのか、ここは身を翻し後退した。
「師匠!」
「今のうちだ」
ヴァイスに促され、クレアは体勢を立て直すために一時後退する。
身を翻し自身も後退したジンオウガは、その場から突進してくる。進行方向にはソラがいたが、冷静にヴァルキリーファイアを背負いその場から退く。
ジンオウガが動きを止めたその瞬間、グレンが真っ先に攻撃を行う。へビィバグパイプを上段から叩きつけ、左右にぶん回す。
「ガアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッ」
先ほどから執拗に纏わり付いてくるグレンが目障りなのか、ジンオウガはグレンを標的と定めた。
身体を捻ると、強靭な右前脚をグレンに向かって振り下ろしてきた。初見の動きだったが、後方に回避し難を逃れたかと思った。だが、ジンオウガの動きは止まらない。空振りに終わった右前脚を地面から抉り抜くと、今度は左前脚を振り下ろしてきた。それも、回避したグレンを追尾するような動きで。
「なぁっ!?」
さすがに、この動きに付いていくのは不可能だった。身体を捻り急所は外したものの、ジンオウガの前脚がグレンを容易く吹っ飛ばした。
「くそっ……」
グレンは、何とか自分の力で起き上がる。
その様子をまるで見下すような形で見ていたジンオウガは、ようやく気が済んだのかエリア5から姿を消した。
その途端、身体から力が抜けてしまったのかグレンがその場にへたり込んだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
ソラが駆け寄ってくる。グレンは、ソラの問いかけに苦笑いしながら答えた。
「大丈夫、脇腹に命中しただけだから。この防具は頑丈だし、回復薬を飲めば痛みはすぐに治まるよ」
「そう。よかったです……」
ソラがほっと安堵する。
遅れて、ヴァイスとクレアがやって来た。
「どうやら大丈夫そうだな」
「ええ。これくらいでへこたれてられませんから」
「そうか」
ヴァイスはそう言い、ジンオウガの去っていった方向――エリア4へと続く道に目をやった。
ジンオウガは上空を飛んでエリアを移動するモンスターではないため、ペイントの臭気が無くともどこに移動したかの見当が付く。ジンオウガがエリア4に向かったのは間違いないはずだ。
その間に、クレアとグレンは各々の武器に砥石を当て、ソラが残りの弾丸の数を確認する。
狩猟序盤だというのに回復薬の消耗が著しく激しい。それほどまでにジンオウガの破壊力が高いということもあるが、何よりもジンオウガの攻撃に対処できないということが一番の要因だった。
「さて、行くぞ」
三人の準備が整ったところでヴァイスがそう切り出した。
状況はあまり芳しくない。これから先のことをどうするかとヴァイスは頭の片隅で考えつつ、ジンオウガの後を追った。