捕獲したティガレックスをギルドに任せた後、四人は砂原を後にした。
何日もかけてユクモ村に戻ってきた頃には、既に日は落ち辺りは暗くなっていた。視線の先に映るユクモ村は、家々の灯りのおかげで暗闇の中でぼんやりと浮かび上がっている。何とも幻想的な光景だった。
「帰ってきましたね……」
「ああ」
クレアは先ほどから転た寝しており、グレンとソラはこうやって話をしていた。
ヴァイスはというと、特にすることもなく夜空を見上げていた。雲一つない夜空に月や星たちが綺麗に煌いている。
「ヴァイスさん」
不意に声をかけられ、顔を下げる。声を掛けてきたのはグレンだ。
「どうした?」
ヴァイスが答えると、しかしながらグレンは首を横に振る。
「いえ、特に何も。ただ、ヴァイスさんは先ほどから何をしているのかと」
「ああ、ただ星を見ていただけさ」
「なるほど」
納得したようにグレンが頷く。
そうして、ヴァイスが再び夜空を見上げる。釣られて、グレンも顔を持ち上げた。
「……綺麗ですね」
「そうだな」
しばらく、二人は無言になった。喋る話題が無くなったというより、寧ろこの夜空に見惚れていただけであった。
「俺、感謝しています。ヴァイスさんには」
唐突にグレンが切り出した。
ヴァイスにはその言葉の意味が分からなかった。ヴァイスにしてみれば、感謝されるようなことをした覚えはないからである。「何のことだ?」と尋ねようとしたが、ヴァイスの疑問を理解したグレンが先に付け加えた。
「ヴァイスさん。あなたは、俺の目を覚まさせてくれた。あなたのおかげで今の俺がいるんです。そのことに俺は感謝しているんです」
ヴァイスもようやく理解する。
確かに、グレンの目を覚ましてやろうとしたのは他でもないヴァイスだ。だが、ヴァイス本人は、それはグレン自身で変わろうとしたのが大きかったと思っている。それに、面と向かってそんなことを言われても気恥ずかしく、居心地が悪くなる。
そんなことを誤魔化そうとヴァイスもぶっきらぼうに答える。
「さあ……。前にも言ったとおり、俺は何もしていない。当然のことだが、俺にはグレンの運命を定める権利は無いんだ。だから、自分決めた運命を歩めばいい。その時には、俺も少しは手伝ってやる。そういうことだ」
グレンが笑みを漏らす。その様子はどこか嬉しそうである。
「ヴァイスさんらしい答えですね。そう言うと思いました」
どうやら、この回答はお見通しだったらしい。そこまで分かりやすい性格なのか、とさすがにヴァイスも苦笑いしてしまう。
実は、ヴァイスも当初、自分の発言に対して嫌悪の情を抱いていた。グレンのためだとはいえ、さすがに冷酷すぎたのではないかと。ただ、それがグレンにはプラスに働いたらしい。グレンも感謝しているのだが、本当はかなり冷や冷やさせられたものだ。
一番気に食わなかったのはやはり自分だった。グレンに対して偉そうな御託を多く言っていたが、自分も他人のことを言えるほど偉くはない。
と、グレンが笑みを引っ込め真剣な顔つきになる。
「それより、気になることが一つあります」
「随分と急だな。……それで、一体何だ?」
「ソラのことについてです」
グレンは声を低くし、ソラ本人には聞かれないようにしている。
当のソラは、荷車に揺られながらユクモ村の方向をじっと見つめていた。声量を絞ればソラの耳に届くことはないだろう。そう判断した結果がこれだろう。
「ソラは最初にこう言ってました。自分は自信を失った、と。でも、今回の狩猟では、到底そうには思えない。ましてや、もっと高い才能を持っている気がします。自信を失ったとしても、もう取り戻しているのではないか……。俺はそう思ってしまいます。そのことについて、ヴァイスさんに訊きたいんです」
グレンが淡々とした口調で用件を話す。
どうやら、ソラの言葉と行動が矛盾しているのを疑問に思っているらしい。実際はグレンの言うとおりで、ヴァイスもソラが自身を失ったようには見えなかった。
だが、ヴァイスはすぐに肯定できなかった。ソラが無理に隠し込んでいるのか、はたまたグレンの思案が的中しているのか。ヴァイスには判断できない。
「正直なことを言えば、俺はどちらであろうと構わない。グレンの言うとおりだったとしても、ソラが俺たちから学べることがあればそれでいいさ」
「そういうものですかね」
「まあな。それに、仮にソラが手助けを求めているとすれば、クレアやグレンだろうからな。その時は頑張れよ」
「そ、そんな……。俺ですか?」
「ああ、言い出しはグレンだからな」
「うっ……」
ヴァイスがあっさりとグレンを論破する。言い返しようのないグレンは言い淀む。
しかし、グレンもそれは承知の上。彼のことだ、自分で言ったことを放り出すような無責任な人間でないことはヴァイスも知っている。クレアも、こういう時にはとても頼りになる。同年代ということもあってか、クレアも張り切っている。この二人になら、ヴァイスは安心してソラのことを任せられることができる。
「……さて、もうじき到着か。クレアも起こしてやらないとな」
すうすうと寝息をたてているクレアの肩をヴァイスが優しく揺らす。狩猟を終え何日も経過したが、道中で疲れたのだろう。起きる様子は窺えない。
さすがに寝ているところを背負っていくのは色々な意味で勘弁だった。ヴァイスが、今度は声を出してクレアを起こそうと試みる。
「クレア。もうユクモ村だぞ」
「う~ん……、あと五分だけぇ……。ふにゃぁ……」
「はぁ……。お決まりの寝言だな」
「それほど、今回はクレアも頑張ったってことですよ」
「まあ、そうだな」
ヴァイスも、やれやれといった感じだ。
荷車に揺られながらも、気持ちよさげに寝ているクレアの寝顔をソラが覗き込む。
「クレアさん、気持ちよさそうに寝ていますね。起こすのがかわいそうです」
「……着くまで寝かせといてやるか」
「そうですね」
ソラの発言でヴァイスの気も変わった。グレンも同様のようで、ヴァイスの提案に賛成した。
それから五分程度経った頃だろうか。ヴァイスたちを乗せた荷車がユクモ村に到着した。集会浴場に直接向かいたいため、降ろしてもらったのは正面の鳥居がある場所とは向かって反対側にある入り口だった。
先にグレンとソラを行かせ、ヴァイスが今度こそクレアを起こそうと試みる。
「さあ、五分経ったぞ。いい加減起きないと、このまま運んでいってもらう羽目になるぞ」
「は~い、起きます……」
渋々といった感じでクレアが身体を起こす。まだ眠たそうな目をしょぼしょぼさせている。見ていて危なっかしいので、荷車から降りるのにヴァイスが手を貸す。
荷物を確認し、ヴァイスが皆を代表して御者に礼を言う。
「悪いな。わざわざ乗せてもらって」
「気にすんなって。じゃあな。あんたらも頑張ってくれよ」
「ああ」
実は、今回は途中の小さな村まで御者が付いてくれていた。というのも、砂原に向かう道中にあるその村で用事があったらしく、護衛を兼ねてヴァイスたちは乗せてもらっていた。そして、砂原からの帰路で用事を済ませた御者と合流し、帰ってきたというわけだ。荷車もその人物が所有している物らしく、これから別の地域に向かうのだという。
寝起きのクレアと共に、ヴァイスが集会浴場を目指す。集会浴場に到着すると、既にグレンたちが報酬を受け取ってくれていた。
「ヴァイスさん、ご苦労さまでした。これが、今回の報酬です」
「悪いな、手間かけさせて」
「いえ、これくらい大丈夫です。ほら、クレアの分も」
まだ寝足りないせいか、ぼんやりとしているクレアに報酬を手渡す。
「そんなに眠いなら帰っていいぞ」
「……わかりました。皆さん、お疲れ様でした……。ふみゃぁ~……」
アイルーのような欠伸を最後に残してクレアが去っていった。残った三人はその様子に苦笑いするしかなかった。
三人はしばらく軽い雑談をした。そして、そろそろ頃合いになったというところでソラが質問した。
「皆さんは、これからどうするですか?」
「そうだなぁ。俺は温泉にでも浸かろうかな。結構疲れ気味だし。ヴァイスさんやソラもどう?」
「いいですよ~」
ソラが快く返事をする。
「ヴァイスさんはどうしますか?」
グレンの誘いも魅力的だった。だが、ヴァイスは首を横に振る。
「悪い、俺は遠慮させてもらうよ。他にやりたいことが多いからな」
「そうですか。じゃあ、またの機会に」
グレンも仕方ないと悟ったようだ。如何せん、ヴァイスの仕事柄だ。多忙なのことはわかりきっていることである。
「じゃあ、ヴァイスさん。お疲れ様でした」
「お疲れ様です~」
「ああ、お疲れさん」
互いに労いの言葉を交わし、ヴァイスとはここで別れる。
残った二人も、一旦荷物を降ろしてくるために互いの家へと戻っていった。
着替えを済ませたグレンが、浴場へと移動した。
現在の時間帯からしても、対して混むことは滅多にない。だが、グレンは中央に居座るのもどうかと思い端っこにちょこんと座る。
「はぁ、癒されるなぁ……」
やはり、狩猟を終えてから浸かる温泉は心地よい。何度もこの温泉に浸かっているが、やはり止められないものだ。
と、ソラも着替えを終えてきたようだ。ソラがグレンの隣に座る。
「っ!……」
この温泉で、混浴する人々を見るのは日常茶飯事だ。誰もが平然としているのだが、グレンは本当にどうしようもなかった。彼の場合、純情ということもあるが、それ以上にグレンはソラに一目惚れをしてしまっているのだから。
それもあってか、ソラを誘ったのはいいものの、やはり温泉で混浴するのはどうも慣れない。身体にタオルを巻いているため見るに耐えないということはないが、色白のソラの肢体は嫌でも見えてしまう訳で……。
「(……って、何考えてるんだよ、俺!)」
グレンがぶんぶんと首を振る。冷静になれ、冷静になれ、と自分に言い聞かせる。
「気持ちいいですね~」
すると突然、ソラが話し掛けてきた。そのため、グレンがビクッと肩を震わせる。結局、全く冷静になれていないグレンだった。
グレンも何とか言葉を取り繕うと声を絞り出す。
「あ、ああ。そうだね……」
「どうかしたですか? グレンさん、さっきに比べて様子がおかしいです」
「つ、疲れてるんだよ、俺も。ハハハ……」
否、これは真っ赤な嘘だ。しかし、ソラは不審に思うことなく「そうですか」と答えた。ここにヴァイスやクレアがいたならば、きっときつい指摘を受けるに違いない。
ソラに気づかれないようため息を漏らす。
そう、こんな下らない一人芝居をするために温泉に来たのではない。なるべくソラが視界に入らないよう目線を調整し、グレンが話し出す。
「な、なあ、ソラ。こんなことを言ってもソラのためになるか分からないけど、それでも俺は一つだけ言っておきたいことがあるんだ」
「はい、なんです?」
「俺は、今回の狩猟でソラを凄いハンターだと思った。突然パーティーを組んだのに、俺たちの援護をきっちりこなしてくれた」
ティガレックスと対峙した中でグレンは実感した。ソラはハンターとしての実力もあり、才能もある。
ソラは、何らかの影響で自身を失ったのは確かかもしれない。グレンや他の面々がそれを解決できるかは分からない。だが、ソラの支えることくらいはできるのではないだろうか。だから、グレンは続けた。
「こんな俺が言うのも何だけど、ソラは自身を持ってもいいと思う。ソラは、十分凄いハンターだよ」
「そう、ですか?」
「ああ、そうだよ。でも、ソラが自身が無いと言うなら俺はソラを全力で手伝う。ソラが満足するまで、俺はソラに付き合うよ」
「グレンさん……」
ソラは年齢から考えても、他人に誇ってもいいのだ。だが、彼女自身がそうでないと思うならば、グレンは彼女を支える。彼女が満足できるその時まで。それが、ソラの翼になるということのグレンなりの答えだった。
そう言って気恥ずかしくなったグレンは、後頭部をぽりぽりと掻く。
「まあ、俺も人のこと言えないんだよなぁ。俺も、最初は色々と抱えてるものがあったから」
「グレンさん、その頃に何かあったですか?」
「大したことじゃないよ。俺が生まれ故郷の村から旅に出た理由を言い訳に狩猟で無謀なことをするな、ってヴァイスさんに言われたんだ。あの時は本当に目の前が真っ暗になったよ」
今となっては、その時のことをあまり気にしていない。寧ろ、その時の自分が懐かしいとすら思えてくる。こうやって自分の口から今までの経緯を軽々と話せるようになったことは、昔の自分は考えてもいなかった。
でも、こうやっていられる今の時間が本当に嬉しく思える。
「けど、俺も変わることができた。もちろん、俺はソラの意志を尊重するよ。その上で、俺はソラに協力したい」
グレンの言葉には熱意が篭もっていた。真っ直ぐとソラを見据える瞳は、その意志の強さを物語っている。
ソラは思う。グレンの言うとおり、自分は自信を持ってもいいのかもしれない。だが、どうしてもそれが叶わない。それでも、グレンを始めヴァイスやクレアもソラに協力してくれるはずだ。それに、グレンの事も聞いてしまった。だったら、こちらとしてもおあいこという形にしたかった。
「わたしは……」
ソラが言い淀んでしまう。しかし、それでもグレンたちには教えなければならなかった。自身を失ってしまった原因を。
「わたしは、ある日他の人と組んで狩猟に出かけたです。だけど、わたしはその人を怪我させてしまった……。全部、私のせいです……」
ソラと、その若い男性ハンターは初対面という関係だった。だが、彼がどうしても手伝ってほしいと言うのでソラは協力することになった。
依頼は、二人で臨んだとしても十分達成できるであろうはずだった。しかし、そうはいかなかった。狩猟が大詰めに差し掛かった頃、ソラは気を抜かぬよう自分に言い聞かせていた。
それが、逆に仇となった。彼がモンスターの攻撃を回避するところを一瞬見落としてしまったのだ。彼にしてみれば、ソラを信頼しての立ち回りだった。だが、ソラはボウガンの引き金を引いてしまった。直線状にモンスターと、そのハンターを挟んでいる状況で。
間一髪、弾丸を回避することには成功した。だが、そちらに気を取られたせいでモンスターに致命傷を負わされてしまった。
狩猟は中断され、急いでロックラックへと戻った。ハンターは全治数ヶ月の大怪我。自分が悪かった、とソラは謝られた。本当は違う。悪いのは自分だ。ガンナーとしてあってはならない誤射をソラはしてしまった。それ故に、彼を怪我させたのは自分だと。
それは、ロックラックでは「不運な事故」と見られていた。しかし、ソラは到底そうだとは思えなかった。
結局、その影響はずるずると後にまで引きずった。ついには、自分がガンナーでいる自信をも失ってしまった。
もう、どうしようもない。ある日のソラは、一羽の白い鳥を見ながら途方に暮れていた。そんな時だった。ソラの耳にあるギルドナイトの噂が流れてきたのは。
それは、単なる偶然だった。だが、ソラはどうしても諦めたくはなかった。鳥が自らの翼で蒼穹を翔けるように、もう一度自信を持って自分も高くまで飛び立ちたいと思った。
「ソラ……」
グレンは、言葉を失った。かける言葉すら見つからず、ただ彼女の名を呼ぶしかできなかった。
「……お先に失礼するです!」
「おい、ソラ!」
グレンがソラを止めようと手を伸ばす。しかし、ソラはグレンの静止には目も呉れず、集会浴場から姿を消した。
取り残されたグレンは、大きなため息をつく。それは、自分の無力さに腹が立っている自身へ向けられたものだった。
「俺は、ソラを止めることもできないのかっ……!」
グレンが歯を食いしばる。あの時、ソラを静止させることはできたはずだった。ソラの苦しみを和らげることができたはずだった。しかし、結局駄目だった。
疲労など、グレンはとっくに忘れていた。
しばらく、ソラとはぎくしゃくするかもしれない。だが、近いうちに必ず伝えたいことがある。「俺は、ソラを信じている」と。自分の本心を、もう一度ソラに伝えなければならない。
理解し難いのは、ティガレックスと対峙して見せたソラの動き。やはり、ソラも想いは同じなのかもしれない。
グレンは、再び決心を固め湯船から立ち上がった。
夜が更ける。
この時間帯になれば、多くの人は眠りについているのが当然だ。だが、ヴァイスはそんな時間にも関わらず椅子に座りペンを走らせていた。ヴァイスも当然の事ながら眠たいのだが、こういった資料は早めに記しておく癖があった。
資料とはティガレックスについてだ。ドンドルマ周辺のティガレックスの動きや癖と参照させ、内容をまとめていく。流れは順調だった。かなり短時間で、資料をここまでまとめることができたのだから。それには、ヴァイスがティガレックスに関する知識を豊富に持ち合わせているのも関係していることだろう。
「やはり、多少は違う程度か」
一段落したヴァイスが呟く。それと同時に、今まで然程ではなかった眠気が一気に襲い掛かってきた。
それも当然だ。狩猟を終え帰ってきた日に、夜更けまで仕事をしていたのだから。
無論、日付は変わってしまっている。だが、何故か大人しく寝ようという気にはなれなかった。理由は色々ある。だが、大きな要因を占めているのが仲間のことだった。
今回、ヴァイスはいつもと違い援護的な位置で狩猟が進行された。その影響か当初とは違った方針を取ることになった。やはり、彼らはまだ未熟なのだ。そのことは、正直些細なことだった。問題はそれと関連した別のものだ。
夜風がヴァイスの頬を撫でる。書物としてまとめた資料の一部のページが風の影響で音もなく捲れる。そして、栞が挟んであっただろうページが自然に開いた。
大切な資料のため、書物を閉じようとする。すると、必然的にそのページに視線を落すことになる。
「……ジンオウガ」
そのモンスターの名を言う。
ヴァイスの追い求めるモンスターの内の一体。それが、このジンオウガというモンスターだった。
ヴァイスが書物を閉じる。そして、ベットに横になった。
――ジンオウガ。
そいつは、確実に近づいてきていた。人々を恐怖させる蒼雷と共に。