ボルボロスは再びエリア3へ移動した。
地中から飛び出したときには、既にヴァイスたちも追いついていた。
「ガアアアアァァァァァァァァァァァァッ!」
沸々と湧き上がってくる怒りの感情がボルボロスから伝わってくる。怒りが我慢の限界を超えた途端、こちらも立ち回りを変えざるを得なくなる。ならば、今の内にできることは実行しなければならない。
「俺は尻尾の切断を試みる。二人は援護を頼む!」
「了解しました!」
「任せてください」
そう言うやいなや、ヴァイスは走り出していた。
闇雲に繰り出し続ける突進を回避し、アトランティカを鞘から引き抜いた。
だが、突進を終えたボルボロスはいきなり方向転換をしてしまう。尻尾に命中するはずだったアトランティカが空振り地面を抉る。
「チッ、外したか……」
今までの様子を見る限り、ボルボロスはそこまで知能が高いとは考えがたい。だが、その分、野生の勘は働くらしい。計算に計算を重ねているこちらの動きを、ただ「勘」だけで回避されてしまったのが響いた。
さらに、ボルボロスの尻尾は高い位置にある。例えリーチの長い太刀でも動き回る尻尾一点に命中させ続けることは難しい。連携がうまくとれなければ尻尾を切り落とすだけでも時間を食われてしまいかねない。
「師匠!」
だが、あくまでそれは連携がうまくとれなければの話だ。ここにいる仲間との連携は、そこまで生半可なものではない。
「ああ、行くぞ!」
クレア、グレンがボルボロスの懐に飛び込んだ。二人とも常に動きを止めずにボルボロスを翻弄する。
動きを止めている今なら尻尾に当てるのは容易いことだ。
振り下ろしたアトランティカは、今度こそ尻尾に命中した。突きは命中しないが、斬り上げ、斬りつけは狙い通りの場所に吸い込まれていく。
「ガアアァァァ、ガアアァァァァッ!」
しかし、今度はボルボロスが反撃を試みる。
自身を囲むような形で動き回っている三人を尻尾で一気になぎ払う。
「ダメだ、避けきれない!」
クレアが盾を迫り出す前に、なぎ払いは繰り出されてしまった。
「わぁっ!?」
「うわっ!?」
咄嗟の判断でヴァイスは逃れることが出来たが、クレアとさらにグレンまでも避けきれずになぎ払いの餌食になってしまう。
「クレア! グレン!」
ヴァイスの方向に飛ばされたクレアへと駆け寄る。グレンは、何とか受け身が出来たのかすぐに立ち上がった。
「大丈夫か?」
クレアを助け起こし、怪我がないか窺う。
「大丈夫です。なんとか……」
幸い目立った怪我は見られないが、体力的には辛い状況に見える。ここは、クレアに回復薬を使わせる隙を作らせる必要がある。
「無理はしなくていい。お前は、出来る範囲で俺を援護してくれればいい」
肩をポンと叩き「頼むぞ」と頷く。クレアも頷き返すと、ヴァイスは踵を返して走り出した。クレアに回復する隙を与えるためにだ。
様子を窺い、クレアは回復薬を使用する。念のためにもう一本飲み干し体力が全快に回復する。
「よしっ、私も役に立たないと!」
空になった瓶をポーチの中に押し込みレムナイフの柄に手をかける。
ボルボロスに肉迫する二人の間に割って入り、クレアも助勢する。背後から歩み寄り、ジャンプ斬り、斬り上げ、斬り下ろし、横斬り、水平斬りと連続で斬撃を浴びせる。
「師匠、グレンさん、ありがとうございます!」
隙を作ってくれた二人に対し、クレアは礼を言う。
「身体の方は大丈夫なのか?」
グレンも心配してくれていたようだ。ボルボロスに注意を向けつつグレンに返答する。
「はい、おかげさまで」
「そうか」
それきり、グレンは話さそうとはしなかった。
一旦ボルボロスから距離をとったグレンは、タイミングを窺い頭部に向かってトランペッコを振り下ろした。
手が痺れるほどの硬い頭殻を、演奏効果による後押しを受けつつ攻撃する。目の前に迫るボルボロスから一歩も退かずトランペッコを振り回す。
「ゴオオォォアアアアァァァッ!」
目の前で攻撃を仕掛けるグレンをハエ虫を振り払うかのように威嚇する。
だが、グレンは退かない。
「グレン、無防備すぎる。退け!」
その言葉がグレンに届いたのかはわからない。だが、どちらにしてもあの場に止まれば攻撃を喰らってしまう。先程のダメージが残っている上に更に攻撃を喰らってしまえば致命傷だ。
ボルボロスの牙が怪しく光る。あの位置では回避することは出来ない。
怯ませられれば攻撃は止まるが、この状況でそこまで都合の良い事はない。ただ、このまま黙って見てることしかできないのだ。
「くそっ!」
ヴァイスもアトランティカを振る手を止めなかった。攻撃が命中するその時まで、まだ終わりではない。だが、それも無意味に終わろうとしていた。
「お願い、止まって!」
もう駄目だとヴァイスも思った瞬間であった。
目の前で、ボルボロスの巨体が揺らいだ。全身から力が抜けていき、派手な音と土煙を立てて地面に倒れ込んでゆく。
「眠った、だと……」
そう、クレアの放った一撃が偶然にもボルボロスの睡眠属性の耐性値を越えたのだ。奇跡と言っても過言ではない。あるいは、クレアが相当な幸運の持ち主なのか。どちらにしてもこの窮地はクレアに救われた。
「グレン、深入りしすぎだ。あのまま攻撃を喰らっていれば、下手をしたら動けなくなっていたかもしれないぞ」
呆然と立ち尽くしていたグレンの元へ歩み寄り、念のために忠告をした。
「……すいません。周りが見えていませんでした」
ヴァイスは「はぁ……」とため息をつきながらグレンに言う。
「自覚があるならいいが、次は気をつけろよ」
「はい……」
ヴァイスの忠告の意味を悟ったグレンは応急薬を取り出し体力を回復する。ついでに、切れ味の消耗が激しかったトランペッコに砥石を使用する。
「あの、師匠……」
「すまない、助かった」
強引に話を逸らし、ヴァイスは淡白に礼を言った。だが、状況があまり芳しくないことがクレアにも悟られているらしい。
大きな鼾をかいて眠っているボルボロスとグレンとを見比べる。そして、握っていたアトランティカを一層強く握り締めた。
「……」
無言で背中から伝わってくるクレアの視線が何を言いたいのかも手に取るように理解できる。だが、この狩猟をいつまでもとめていることは不可能だ。
「……狩猟を再開する」
掲げたアトランティカがボルボロスの尻尾に振り下ろされる。刹那、驚いたようにボルボロスは飛び起き、ヴァイスたちを睨みつけた。
「ゴオオオアアアアアアァァァァァァァァァァァッ!」
頭から白煙を巻き上げ、辺りにバインドボイスを響かせる。
鬼門とも言うべきボルボロスの怒り状態。事をうまく運ばなければ、最悪の場合この狩猟自体をリタイアすることになってしまう。そのためにも、指揮をとるヴァイスがリードしなければならない。
「閃光玉だ。閃光玉を使ってくれ!」
グレンが合図の話を覚えているか不安だっため直接口で閃光玉を使うタイミングを教えた。
閃光玉がボルボロスの眼前で炸裂し眩い光が走る。めまいを起こして動けないボルボロスを尻目にグレンを見る。ちょうどトランペッコで演奏をしようとしているところだった。どうやら、ちゃんと方針は覚えてくれていたらしい。
「はあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
控えめな立ち回りから一転、ヴァイスも派手さが増した立ち回りをする。
気が溜まればとにかく気刃斬りを繰り出し、ボルボロスに大きな痛手を負わせる。大まかな狙いを尻尾だと選択しても、その他の部位にアトランティカの斬撃は多く命中した。
だが、ヴァイスの狙いは成功した。
遠心力によって振り回されていたボルボロスの尻尾は、根元から切り落とされた。さすが、気刃斬りというべきである。
「すごい! さっすが師匠!」
やはり、G級ハンターでありギルドナイトでもあるヴァイスの腕は確かなものだ。誰が見てもその凄さが理解できる。
クレアなどの経験の浅いハンターにしてみれば、ヴァイスの立ち回りから学べることは数多い。
「……」
演奏を終えたグレンは、ヴァイスの動きを無言で見つめていた。
一目瞭然だ。自分と、ヴァイスという天才ハンターとの差は大きい。20歳という若さなのに手の届かないような高みにいる。そんな彼を、最近、心のどこかで嫉妬している自分がいた。理不尽なこの世界の理(ことわり)を恨んだ。
――あの時と同じように……。
「ガアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!?」
尻尾を切り落とされ悲鳴交じりの咆哮を上げる。
依然として纏わりつくヴァイスを振り払おうとなぎ払いを仕掛けるが、尻尾は切り落とされリーチはかなり短い。命中するはずもなく、ヴァイスに攻撃を許してしまう。
「グレンさん、私たちもできることはやりましょう!」
クレアがグレンに話し掛ける。だが、グレンは人形のように動かない。ただ、一点だけに視線を集中させている。
その眼が、悲しげな様子をしているのは気のせいだろうか。……いや、今はそんなことを気にしている時ではない。目の前にある状況に対応しなければ、モンスターにやられてしまう。
「……グレンさん!」
「わっ!? ク、クレア?」
「もう、グレンさん。私たちも何か出来ることをしないと。師匠だけに押し付けるわけにはいきませんよ」
「そ、そうだね……」
そう言い残し、クレアはボルボロスの元へと向かった。
グレンは、しばらくヴァイスの様子を傍観していたが、ついに我慢できなくなり気が付けばボルボロスが目の前に立ち塞がっていた。
「くっ!」
強くならないといけない、そんな気持ちが溢れてきている。ヴァイスを見ていればわかる。自分は、やはり弱者なのだと。
トランペッコを振り下ろし、右ぶん回し、左ぶん回しと続ける。もう一度振り下ろしを繰り出したが、それは空振りしてしまった。
「一体どこに……」
クレアも動きを止めてボルボロスの行く末を見つめていた。二人とも、別のエリアへ移動すると考えたのだ。
だが、ボルボロスはエリア移動はせず、代わりに泥沼で犬のように転げまわる。
「随分と余裕な……」
唖然としていたクレアだったがその理由はすぐに理解できた。
ボルボロスは、三人による攻撃によって弾けとんだ泥を再び身体に付着させていたのだ。泥は見る見るうちに固まり狩猟開始当初のような状態に戻っていた。
「いくら泥を纏おうが結果は同じだ」
足場の安定しない泥沼をヴァイスは全力で駆け抜ける。一気にボルボロスに接近し右腕を狙う。気刃大回転斬りを叩き込みアトランティカの攻撃力が上昇する。
ボルボロスも負けじとづ頭突きを繰り出す。振動で宙に舞い上がった泥をヴァイスは回避する。そのため、ボルボロスとの間合いがやや開けてしまった。だが、その隙間にクレアが入り込んだ。
レムナイフによる攻撃でボルボロスを眠らせることは期待できない。つまり、武器自身の攻撃力に頼って立ち回るしかないのだ。
「狙われているぞ!」
ヴァイスの警告がなくてもクレアはわかっていた。だが、足場の悪い泥沼での対峙はかなり不利な要素であった。激しく動き回るとなると、如何せんこの場も本性を現してくるようだ。
「オオオオォォォォォォォォォォッ!」
野生の勘でそれを悟ったのか、ボルボロスは得意の突進を繰り出す。泥沼でもその速さは健在だ。
「避けきれない!」
走っても突進に巻き込まれる。そう判断したクレアは突進をガードする選択をした。だが、泥沼では踏ん張りが利かず身体はいつも以上に衝撃を流しきれなかった。
グレンも援護しようとするが泥沼の対処に手間取っているようだった。
「奴を泥沼の外へ誘き出せ。ここでは不利だ!」
怒り状態、泥沼とこちらに不利な要素が揃いクレアとグレンは苦戦を強いられている。地上へボルボロスを誘き寄せてから攻撃を与えたほうが得策だ。
いち早く泥沼から抜け出したヴァイスがペイントボールでボルボロスの注意をこちらに向かせることに成功した。その後に続いてクレアとグレンも続けて泥沼を抜け出すことが出来た。だが、スタミナの消耗は大きく、二人とも荒い呼吸を繰り返している。
「俺が惹きつけているうちに回復をしろ!」
二人とボルボロスの距離がどんどん開いていく。ヴァイスが器用にボルボロスと対峙してくれているおかげだ。
ヴァイスも体力的には少なからず辛くはなってきているだろう。ここは、少しでもヴァイスを援護し耐え抜く必要がある。
当初は手付かずで残っていた回復薬類がだんだんと減ってきている。もう、あまり無理はできそうにない。一撃離脱の戦法でヴァイスを主軸に狩猟を続けていくことが主になりそうだ。
「グレンさん、早く回復しないと。いつまた襲われるかわかりませんから!」
クレアがグレンに回復を促す。しかし、グレンはそれに答える素振りも見せない。無言のまま俯いているだけだ。
さすがのクレアもむっとくる。
「グレンさん、どうしたんですか!? グレンさん!」
「……なんで、……だよ……」
「……グレンさん?」
何を言ったのかクレアはよく聞き取れなかった。もう一度聞き直そうかとクレアがグレンに近寄った時だった。
ついに、グレンの溜まった想いがここで爆発した。
「なんで……、なんで俺はいつもなにもできないんだ!! だから俺は、俺は……」
完全に気が動転してしまっている。狩猟中にこうなってしまっては仲間全員の危機に繋がってしまう。どうにかしなければ取り返しのつかないことになってしまいかねない。
「グレンさん、どうしたんですか!? しっかりしてください!」
必死にクレアが正気に戻そうと試みる。
しかし、それは皆無だった。もう、彼を止めることは出来なくなっていた。
「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
その絶叫にヴァイスが気を逸らしてしまったのは他でもない。
ヴァイスらしからぬこの行動はボルボロスにしてみれば好機であった。首を持ち上げ頭突きを繰り出す。寸前でヴァイスは気づいたが手遅れだ。ヴァイスは派手に吹っ飛ばされ地面を転がる。
「師匠!」
今にも泣きそうな表情をしたクレアがヴァイスの元へと駆け寄ってきた。
「俺はいい! それより、グレンの奴、どうしたんだ!?」
「わ、私にもそれが……。早く何とかしないとグレンさんが!」
「わかっている!」
グレンは単身ボルボロスへと突っ込んでいく。もう、それは自殺行為と言っても過言ではない。
無防備に突っ込んでくる無謀なハンターをボルボロスは無論狙う。
しかし、その前にエリア3に閃光が走る。閃光玉だ。ヴァイスが攻撃を繰り出す直前のタイミングで閃光玉を投擲したのだ。
「どうするんですか!? あのままだと、グレンさん大怪我してしまうかもしれません!」
「大怪我で済めばいいがな。とりあえず、奴は拠点へ連れて帰る」
「どうやって……!」
「念のために閃光玉を渡す。出来ればこれで奴を惹き付けてくれ。後は、俺がどうにかする!」
ヴァイスは、クレアの有無を聞かずに残っていた四つの閃光玉を押し付けた。そして、すぐさまグレンを連れて帰るべく走り出した。
「ガアアァァァァァァァァァァァァッ!」
グレンもボルボロスも闇雲に攻撃しているだけだ。本能に任せた動きではなく感情に任せた動き。それが、奴らの共通点であった。
その闇雲な攻撃が不運にもグレンに、しかももろに命中してしまった。グレンの身体は軽々と吹っ飛ばされてしまう。さらに、視界は潰れているのにも関わらずボルボロスはグレンの元へと近寄ってくる。野生の勘がここでも発動してしまっている。
さらに、グレンは今までの傷を回復しきっていない。それがかなり身体に堪えているはずだ。
「そんな……、このままじゃグレンさんが!」
クレアも距離を詰めるが閃光玉は無意味だ。冷たい汗が背中を伝って流れる。
グレンもなかなか起き上がれずにいた。ようやくぐらぐらと立ち上がっても今にも倒れてしまいそうだった。
「うぅっ……」
死ぬ。そんな気がした。目の前にいる強大なモンスターに殺されるのだと。何も出来ないまま野垂れ死んでいくのだと。
ボルボロスが体勢を低くした。突進を繰り出す合図だ。
――これで、終わりなのか……?
ゆっくりと眼を閉じようとした。そうすれば楽になれると思って。ようやく全て終わるのだと思って。
これで全て……。
――まだ、終わりじゃない!
「っ!?」
目の前に誰かが割り込んできた。
金色の縁取りをした太刀を持ち、蒼い服のようなものを纏った銀髪の青年が。
「はああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
それは、一瞬の出来事だった。
ボルボロスに振り下ろされた太刀が命中すると同時に、ボルボロスは大きく揺らぎ確かな苦痛の叫びを上げたのだ。
目の前に現れた青年がやった。まるで、自分の命を顧みない騎士だ。守るべきもののためなら、自分の命さえも散らす覚悟を持つ騎士。
おそらく、それこそがこの青年であることの証だろう。
「……ヴァイス・ライオネル……」
青年の名を呼ぶ。彼は答えない。だが、彼の背中は物語っていた。「お前を必ず生きて帰す」と。
それから身体に限界がやってきた。力が全身から抜けていき、ゆっくりと崩れ落ちていった。そして、それから意識が遠のいていくのにそれほど時間は要さなかった。だが、目の前の出来事は脳裏に鮮明に記憶された。
暗闇の中、一筋の淡い光が差し込んだ瞬間だった。