上空に姿を消したギギネブラを追いかけ、三人は再びエリア5に戻って来た。
狩猟を開始した当初も、ギギネブラはこの場所に佇んでいた。それを考えると、このエリアはギギネブラの休息エリアなのだろう。
そうと分かれば、ギギネブラを休ませるわけにはいかない。暗闇の中に浮かび上がる白い物体を視界の中に捉えると、三人は一斉に走り出す。
「オオオォォォォォォォォォォォォォォォッ!」
対して、ギギネブラもこちらの存在に気が付く。身を翻して三人の方へ身体の向きを変えると、けたたましい咆哮を放つ。
その余韻が残る中、まず最初に斬り込んだのはヴァイスだった。ギギネブラの側面に回り込み、翼に向かって飛竜刀【椿】を振り下ろす。
「後ろに回ります!」
「あぁ、援護は任せろ」
クレアがギギネブラの背後から接近するための隙を、ヴァイスが作り出す。
側面からわざとギギネブラの正面に躍り出て、挑発するような立ち回りで揺さ振りを掛けてみる。すると、ギギネブラもまんまとヴァイスの罠に嵌ってしまう。のこのこと真正面に出てきたヴァイスを押し潰そうとするが、それはあっさりと回避されてしまう。反対に、ギギネブラは背後からの反撃を食らう形になる。
「はあぁぁぁっ!」
ギギネブラの後方に位置取っていたクレアがタイミングを見計らってレムナイフを振り下ろした。ギギネブラも瞬時には対応することが出来ず、無防備な状態でかなりの斬撃を浴びてしまった。
二人が後退して、ギギネブラもようやく反撃体勢に入る。頭部の口から迫り出した牙を不気味に光らせ、周囲の熱源を頼りに突進する。しかし、ギギネブラは散開した無人の空間を突っ切っただけに終わってしまう。急停止したギギネブラの元に、ヴァイスとクレアがもう一度接近を試みる。
「援護します」
一方、グレンは二人の様子を観察するように後方で援護に徹していた。演奏の効果はまだ持続するだろうが、『スタミナ減少無効【小】』と『風圧無効』のスキルを発動させる演奏を念押しで行う。
すると、その音色に反応したか、はたまた気まぐれなのか。ギギネブラがグレンのいる方へ身体の向きを変えた。ギギネブラは後方に大きく跳躍しつつ、その勢いを生かして毒液玉をグレンに向かって発射した。
「毒液玉だ、気を付けろ!」
「分かっていますよ!」
言われるまでもない、とグレンは声を上げる。ドロスヴォイスを肩に背負い、横っ飛びで難を逃れる。両者の距離は十分に開いていたため、これは余裕を持って回避することが出来た。
前に出ていた二人は再度ギギネブラに向かって行くが、そのギギネブラは着地した場所に留まり腹部から毒霧を噴射する。下腹から放たれる毒はギギネブラ周辺を覆い込み、剣士である二人を寄せ付けない。こうなってしまうと、二人にはこれ以上接近する術が無い。
やがて、毒霧が霧散したことを確認して二人が動き出す。先に間合いに踏み込んだヴァイスが飛竜刀【椿】を振り上げたのとギギネブラが動きを見せたのはほぼ同時であった。熱を帯びた白銀の刃は闇を斬り裂き、ギギネブラの頭部を貫く。一太刀目は切っ先で浅く斬りつけただけであったが、二太刀目の突きは抜群の威力を発揮する。
「オオオオオォォォォ―――――――――――――――――――――――――ッ!」
斬撃と共に紅炎が弾けると、ギギネブラが一頻り咆哮する。その身体は暗黒に溶け込み、漆黒に浮かび上がる尻尾の毒腺が不気味に尾を曳いた。
「また怒ったか……!」
頭上から凄まじい音量の咆哮を食らいながらも、ヴァイスは僅かな笑みを浮かべていた。
ギギネブラはだいぶ追い込まれ、体力もかなり消耗しているはずだ。この怒り状態も、生命の危機を感じたギギネブラの防衛本能が怒りという形で現れたのだろう。ヴァイスは、この状況をそう汲み取っていた。
「ここで決めるぞ!」
仲間と、そして自分自身に言い聞かせるように。ヴァイスは飛竜刀【椿】の柄に手を掛け、そして走り出す。
「師匠、ギギネブラの足止めをお願いします!」
その言葉に口で答えることはない。だが、行動では確実に応えてみせる。怒り状態のギギネブラの正面に陣取り、太刀を鞘から振り抜く。
先ほどとは違う、手応えの浅い一撃。しかし、それでもヴァイスは斬撃を浴びせる手を休めない。基本の型で立ち回り、ギギネブラを攪乱する。
ギギネブラの動きが鈍っているうちに、クレアがその隙を突く。後方まで回り込んだクレアが肉薄し、尻尾を目掛けてレムナイフを振るう。軟らかくなった尻尾の表皮はレムナイフの刃でも易々と通る。ジャンプ斬りから続けて斬撃を放ち、最後にレムナイフを横薙ぎに振り抜いた。
瞬間、レムナイフの刃が表皮を捉えるのとは異なる音が洞窟に響く。ガラスが砕け散るような鋭い異音が巻き起こると、ギギネブラの尻尾から僅かながらの紫煙が浮かび上がる。
「オオォォォォアアアアァァァァァァッ!?」
奇声を上げたギギネブラの身体が、その痛みに耐え兼ねて反り上がる。尻尾の毒腺までもが破壊されたギギネブラは、しばらく身動きを取ることが出来ない。
ようやく立ち直った頃には、既にかなりの痛手を負っていた。しかしそれでも、ギギネブラは退こうとはしない。正面に捉えたヴァイスを狙って毒液玉を吐き出す。
毒腺が破壊されたために分泌される毒素は低下したはずだが、それでも猛毒であることに変わりはない。ヴァイスは慎重に毒液玉の軌道を読み取り、十分な余裕を保った上でそれを回避する。
毒液玉を放つ前後の時間はギギネブラも身動きを取れなくなる。そこを狙ってクレアとグレンが接近した。
しかし、ヴァイスに毒液玉を回避されると、ギギネブラが大きく息を吸い込んだ。この時点で、次の瞬間に何が起こるかは嫌でも理解出来る。だが、それでも肉薄して攻撃を浴びせようとした身体を止めることは不可能だった。
「しまっ――!」
「オオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
グレンの声を掻き消すように、ギギネブラの咆哮がエリア5に反響する。後退する余裕さえ与えられなかったクレアとグレンが、ギギネブラの近辺で身体の自由を失ってしまう。
「早く、後退しないと……!」
そうは言うものの、ギギネブラはそれを許さなかった。頭を二人の方へ向け、前方を薙ぎ払う。回避もガードですら不可能な状況で繰り出されたそれに、二人の身体が吹っ飛ばされる。
「クレア! グレン!」
ギギネブラから離れた位置にいたヴァイスも、目の前の状況を目の当たりにして焦りを露わにした。
このままでは相当危険だ。当たり前のように思考が語り掛けてくる中で、ヴァイスがギギネブラの正面から肉薄する。
極限までギギネブラの懐へ踏み込み、飛竜刀【椿】を振り下ろす。二人が後退するまでの時間を、ヴァイスはたった一人で作り出してみせた。
「ありがとうございます、師匠!」
ギギネブラから一旦距離を取ったクレアが礼を述べる。
ヴァイスもそれに答えようかとしたところで、ギギネブラが邪魔をする。視界の中にヴァイスを捉えて、そのまま突進しようとする。
――避けられない。
クレアとグレンがそう悟った目の前で、ヴァイスは二人の予想を裏切る。
突進しようと一歩を踏み出したギギネブラに対し、ヴァイスはすぐさま反応して横方向にステップする。その反動を利用して、がら空きになった空間を飛竜刀【椿】で斬り裂いた。その一撃は緻密に計算されていたように、丁度頭を出してきた形になったギギネブラの頭部に命中した。
「すごい……!」
クレアは感嘆の声を上げるが、一方のヴァイスは僅かな笑みこそ浮かべているものの、その表情は硬い。
一度ギギネブラから距離を置いたヴァイスの元に、クレアが駆け寄る。
「師匠。大丈夫ですか?」
「ああ。怪我はしていない。だが、あれは運が良かっただけさ」
彼の表情は、今し方の出来事に対する危機感を表していた。偶然にも回避に成功したものの、一歩間違えれば大怪我をしていた可能性を考えれば、ヴァイスの反応も理解出来る。
「それよりも、今は目の前の敵に集中しよう。ここで決着をつけるためにもな」
「はい!」
ヴァイスの言葉に応じて、クレアが首肯した。
突進を回避されたギギネブラは、その場で跳躍して天井に張り付いた。一人ギギネブラとやり合っていたグレンであったが、『風圧無効』の演奏効果のおかげで跳躍の際に生じた強風の影響を受けずに済んだ。グレンもギギネブラの真下から抜け出し、様子を窺う。
「どう来る……!?」
誰か一人を狙って飛び降りてくるか。それとも毒液玉を吐き出してくるか。次に繰り出すであろうギギネブラの動きに備え、三人が身構える。
そんな中で、ギギネブラは毒液玉を吐き出す体勢に入る。クレアを標的に定め、口内から三発の毒液玉を放つ。しかしクレアも、長い狩猟の中でギギネブラの立ち回り方を理解している。毒液玉はクレアに命中することなく、無人の空間に着弾し虚しく弾け飛ぶ。
毒液玉が空振りに終わったことで、ヴァイスたちも反撃の体勢を取る。しかし、ギギネブラは未だに地上には降りてこない。天井を這って進み出し、ヴァイスの頭上まで移動してきた。そのままヴァイスを押し潰そうと天井から落下してきたギギネブラだったが、それすらも回避されてしまう。
回避に成功したヴァイスが、ここで反撃に転じる。左翼を狙って飛竜刀【椿】で斬りつけ、突き、斬り上げ、再び上段から斬りつける。
ヴァイスに少し遅れて、クレアとグレンも加勢する。三人でギギネブラを包囲したところで、ヴァイスが仕掛ける。
身体に蓄積させた気を飛竜刀【椿】の刀身に乗せ、必殺の気刃斬りを放つ。大上段からの一撃を振り下ろし、追い打ちを掛けるように気刃大回転斬りを叩き込む。銀炎の軌跡が横一文字に走ると、ギギネブラの身体が地面に崩れ落ちる。
腹部の毒腺を無防備に曝け出したギギネブラに対して、今度はクレアが大胆な動きで攻めに出る。開いていた距離をジャンプして詰め、その勢いそのままにレムナイフを振り下ろす。肉薄した状態で、暴れ回るギギネブラの翼に掠っても斬撃を繰り出す手を休めない。そして、最後に繰り出した会心の手応えの一撃が腹部の毒腺を引き裂き、破壊した。
「あと少し!」
確実にギギネブラを追い込んできているはずだ。しかしそれでも、ギギネブラも最後の意地を見せる。傷だらけになった身体を持ち上げ、三人に突っ込んで来る。
「まだそんな力が残ってるのか!?」
動きが衰えるどころか、更に激しさを増す。地面に散らばっていた小型モンスターの骨を蹴散らし、凄まじい速度で大蛇の如く這い回る。
「ちっ、これだと近づくことさえままならない……!」
そうは口にするヴァイスであったが、激しく動き回るギギネブラの動きを冷静に見極め、そして肉薄する。
ギギネブラも止まらない。接近してきたヴァイス目掛けて毒液玉を吐き出し、地面に叩きつける。しかし、腹部の毒腺が破壊されたために、生成される毒素の量も減少したのだろう。着弾したはずの毒液玉から発生した毒霧は、今までのそれに比べて狭い範囲に留まっていた。
ギギネブラの最大の武器であったはずの毒液玉が、ここに来て致命的な弱点となってしまう。毒液玉を易々と回避してみせたヴァイスがギギネブラとの距離を一気に詰め寄り、斬りかかる。クレアとグレンも駆け寄り、共に左右の翼を攻撃する。
三人に袋叩きにされる中で、ギギネブラも反撃に転じようかという姿勢を一旦は見せた。だが、ギギネブラもそれまでだった。不意にギギネブラがか細い鳴き声を上げると、漆黒だった体色が元の白へと戻る。ずしん、と重々しい音を立てて地面に崩れ落ちると、それから二度と立ち上がることはなかった――。
「何とか終わりましたね……」
ギギネブラから剥ぎ取りを終え、拠点に戻って来たクレアが息を吐く。その表情は、やり切ったという清々しいもので、実に彼女らしい。
対して、そんな彼女の隣に佇むヴァイスの表情には影が差していた。その様子を見たクレアも、彼の様子を不審に思う。
「師匠、どうかしましたか?」
「あぁ、少しな……」
歯切れの悪い様子を見て、ますますクレアも妙な違和感を覚える。言葉で表すとすれば、この状況で打倒なのは“不安”の二文字。
それからしばらくの間、二人の間に会話が生まれることはなかった。
どれくらいの時間が経過しただろうか。やがて、ヴァイスが上空に広がる――今にも落ちてきそうな曇天の空を一瞬だけ見上げると、重い足を動かし始めた。
そして、目的の場所――グレンの目の前にまでやって来たヴァイスの足がそこで止まる。
「……グレン」
殊更にゆっくりとその名を呼ぶと、視線の先でグレンが顔を上げる。並々ならぬ強い意志が宿った、紫水晶を思わせる双眸の視線を受け止め、ようやくヴァイスが口を開く。
「“採点”の結果を、この場で伝えようか」
採点。ヴァイスがその言葉を発した時、場の空気が一段と重くなったように感じたのは、気のせいではない――。