ぼんやりとした意識の中、小鳥のさえずりが聞こえてくる。そして、頭の中が徐々に覚醒していく。もう、朝がやってきたのだ。
「……んん」
どうやら夢を見ていたようだ。内容は漠然として覚えていないが、大した内容ではないだろうと自己解釈する。
まだ眠たい目をこすりながら、ヴァイスはベッドの上で伸びをする。
「朝か……」
そう言って窓から見える景色を見る。朝とは言っても、まだ日が昇りきっていない時間だ。早い時間に寝たためか、かなり早い時間に起きてしまったようだ。
元々、ヴァイスは朝に強い方である。仕事柄か、早朝から起きていることも珍しくはなかったため、二度寝してしまおうという気にはなれなかった。
まだ重たい身体を起こし、ベッドから起き上がる。布団から抜け出すと、若干肌寒かった。山間にある村のためか、朝方や夜中は冷えるらしい。
銀髪を掻き揚げ、ヴァイスは洗面所が位置する部屋に向かった。
本来なら、昨日の内にギルドに顔を出しておきたかったが、どうも疲れが溜まっていたらしく大人しく睡眠を取ることにした。そして、今に至る。この時間帯でもギルドは運営している。だが、寝起きの顔でギルドに顔を出しても失礼なだけだ。最低限の準備を整えてから挨拶しに行けばいいだろう。
冷たい水で顔を洗い、眠気を一気に飛ばす。ついでに、朝食の準備をしようと考える。とりあえず台所へと向かった。
「朝食は……、簡単なものでいいか」
起きてから時間が経っていないため食欲はあまり湧いていない。取り合えず、短時間で作れるもので満足できるだろう。
台所には、ご丁寧なことに食材が用意されていた。ヴァイスが見たことあるようなもの、この村で採れたであろう野菜などさまざまだ。
取り敢えず、近くにあったシモフリトマトを手にすると、それを一口サイズにカットしていく。ついでに村で採れた葉菜も大きめに切り、皿に盛っていく。最後に、粉末状にした幻獣チーズを振りかければシモフリトマトのサラダが完成する。
「こんな感じか」
他から見れば物足りなく見えるかもしれないが、今のヴァイスにはこれだけで十分腹を満たせそうだった。
早速食べてみる。幻獣チーズ独特の風味とシモフリトマトの甘酸っぱさが絶妙に合わさっておりとても美味しい。葉菜の方も、食感、味、共に満足できるものだった。
食べ終えて、後片付けをする頃には辺りも明るくなってきた。
後片付けを終え、ヴァイスはギルドへ挨拶をしに家を出て行った。
ユクモ村の人々の朝は早い。
家を出たヴァイスは、この村のギルド――集会浴場へと向かうべく石段を上っていた。その中、村人を多く見たヴァイスはそう感じた。
ヴァイスは今、ギルドガード蒼シリーズを身に纏い飛竜刀【椿】を肩に背負っていた。これからすぐに狩猟に向かうかのような装いである。
挨拶ついでにここでのハンター登録を済ませるつもりだが、すぐに狩猟に向かうわけではない。ハンターにとって、武具は自分がどれだけの実力を持っているか証明するものの一つである。すなわち“自分はこれほどの実力を持つハンターだ”と強調する役割も持っているということだ。
集会浴場は、村の一番高くに位置する場所にある。昨日ヴァイスが見た、聳え立つような建物が集会浴場なのだ。近くに来ると、その大きさがよくわかる。一体どうやって、こんな場所にこのような高い建物を建てたのだろうか。おそらく、高い技術を持った建築士たちの成せる業なのだろう。
集会浴場の入り口には赤い暖簾が掛けられていた。どこか、宿屋のような雰囲気を感じさせる。
その暖簾を潜り、中に足を入れる。その途端、身体が熱気に包まれた。無論、火山や砂漠の比ではない。外が涼しい分、この場所も暖かく感じる程度だ。
集会浴場とあってこの村のギルドは大浴場と併設されている。足を踏み入れた途端に気温が上昇したのもそのためで、今も何人かの人が温泉に浸かっているようだった。
時間が早いせいか、辺りには温泉に浸かっている人以外の姿は見られない。がらがらの集会浴場をヴァイスは一人、カウンターへと向かった。
「おはようございます! ハンターズギルド・ユクモ村出張所へようこそ! どういったご用件でしょう?」
カウンターの向こうに腰掛けた受付嬢の一人が、やって来たヴァイスに対応する。
「ああ、この村でハンター登録をしたいんだ」
「ハンター登録ですね。では、ギルドカードの提示をお願いします」
ヴァイスは、懐からギルドカードと呼ばれるものを取り出し受付嬢に渡した。
ギルドカードは、持ち主の役職やこれまでの活躍といった個人情報が記されている。言ってみれば、ハンターの身分証明書のようなものだ。他の街や村で狩猟に出る場合は、ハンター登録をする際このようにギルドカードの提示を要求される。
「はい、ヴァイスさんですね。登録が完了しました。ギルドカードをお返しします」
登録を完了しギルドカードを受け取った。すると、
「ひょっひょっ。この若武者がヴァイスかね。……ほう、思っていた通りいい面構えをしてるぜ」
手続きをしてもらった受付嬢の左隣、大胆にもカウンターの上で瓢箪に入った酒を煽っている小柄な老翁がそう言った。若武者、とこの老翁は言っていたが、察する限りでは自分以外にその言葉が当てはまる人物はいない。
老翁は人を品定めするような鋭い眼差しから、柔和のものへと変えた。そして、「ひょっひょっ」と笑うと再び酒を煽り始めた。
一体、あなたは何者ですか。ヴァイスはそう言おうとでも思ったが、それより先に手続きをした受付嬢が口を開いた。
「この方はこのギルドのマネージャーです。いつもこういった感じですが、とても優しい人です。どうか気を悪くしないで下さい」
おそらく、この老翁――ギルドマネージャーの態度がヴァイスの気に触れたのではないかと不安になり、フォローを入れたのだろう。別にヴァイスも不快ではなかった。それよりも、この老翁がギルドマネージャーだったということに驚いている。カウンターの上を一人陣取り、尚且つこんな朝早くから勢いよく酒を煽っていればそう思えても仕方がない。
「大丈夫、気にしていない」
ヴァイスも誤解を招いてしまわないように努めた。
取り敢えず、気持ちを切り替えたヴァイスがギルドマネージャーに頭を下げた。
「初めまして。ヴァイス・ライオネルです。今回、ドンドルマのギルドから、こちらの大陸の生態調査という目的でやってきました」
「おう、話は聞いてるぜ。まあ、まずは頭を上げておくれ。アタシは堅苦しいのはあまり好きじゃないんだ。だから、アタシのことは爺さんとでも呼んでくれ」
「ええ。では、そのお言葉に甘えさせてもらうことにします。爺さん」
頭を上げ、ヴァイスは素直にギルドマネージャーの施しに甘えることにした。受付嬢の言うとおり、根は優しい性格の持ち主だと感じる。
「しかし、チミもまだだいぶ若いじゃないか。その年でギルドナイトの《クラス. 1st》になるのも酷なものじゃないのかい?」
「まあ、多少はそうかもしれません。ですが、俺は周りに比べれば苦労はしていないはずです。本当に酷なのは、これから先です」
「ほう、そう思っているのかい。なら一つ、頼みのごとをしてもいいかね?」
「頼みごと? 何です、改まって」
突然のことだった。だが、自分に困難でなければ、どんな頼みでも聞きたかった。これから世話になる分、今から力になってもいいだろう。
だが、そう考えるヴァイスの目の前でギルドマネージャーは首を横に振る。
「その頼みごとはアタシからじゃなく、本人から聞いてくれると助かるんだ」
「本人?」
唐突なギルドマネージャーの発言に、ヴァイスもすぐさま理解が及ばず、話についていけなくなりそうだった。
本人。つまりは、ギルドマネージャーがその人物に、ヴァイスに頼みごとを聞いてくれるようにでも言ったのだろう。
「ああ、そうだ。……と、ちょうどその本人がやってきたみたいだ」
ギルドマネージャーが集会浴場の入り口の方向を指差す。反射的にヴァイスもギルドマネージャーが指差す方向に身体の向きを変えた。
“誰か”が集会浴場の入り口に立っている。ちょうど朝日と重なってしまい、その姿はよく見えない。だが、相手側は自分の存在に気づいているらしく、こちらに向かい走り寄ってくるのが窺えた。
その人物がヴァイスの目の前に来た時、ようやくその姿がはっきりした。
小柄な、十六歳くらいの年の少女だった。黒い髪はショートカット。茶色の瞳がしっかりとヴァイスを見据えている。肩を上下させているのは、ここに来るまでの石段を駆け上がってきたためだろう。
「爺さん、この
ヴァイスの問いにギルドマネージャーは頷く。
それを皮切りにするかのように、少女が口を開いた。
「あ、あの! あなたが、ヴァイスさん、ですか!?」
「ああ、そうだが……」
半ば気圧される形でヴァイスが少女に答える。
この人物がヴァイスだと理解出来た途端、少女の顔には微かな喜びと大きな緊張の色を浮かべた。
「爺さんから話を聞いた。俺に頼みごとっていうのはなんだ?」
「そ、それは……」
少女が口ごもる。別にヴァイスは何もおかしなことは言っていない。おそらく、この様子から察するに、少女の頼みごとというのは、口では言いにくいものなのかもしれない。
だが、ついに少女は意を決したのか、顔を上げるとヴァイスにこう言い放った──。
「お願いします! 私を、あなたの弟子にしてください!」