それでは、第二章スタートです。
EPISODE22 ~青の挽歌~
――その世界は、静寂してした。
時は凍てつき、まるでその流れを忘れてしまったかのように。風が頬をなでる音も、近くを流れる川音さえも、この静寂に飲まれては、耳に届くことはない。
そして、見渡す限りの銀世界。
地面に降り積もる純白の雪。それは夜空から降り注ぐ月明かりに照らし出され、星のように輝いている。
飲み込まれてしまいそうな程に美しき世界。だが、そこに油断を見せれば、文字通り人間はその自然に飲まれてしまう。
人の住むことなど決してない極寒の地。だが、こんな過酷な地にもモンスターは存在する。この過酷な環境で生き抜くために順応し、進化したモンスターは驚異の一言に尽きる。
太陽が昇っていないこの時刻では、その寒さも更に厳しさを増す。
美しく、そして過酷な環境。その狩場の名は凍土。
その凍土の拠点には現在、ヴァイスとクレアの二人の姿があった。
「クレア、準備はいいか?」
ヴァイスの問いかけに、クレアは寒さに負けない溌剌とした笑みを浮かべ「はいっ!」と返事をする。
こんな極寒の地でさえも、クレアが普段通りに振る舞えるわけには、彼女が身に纏う防具に理由があった。
言うなれば、それは凍土に降り積もる雪と同じ、純白色のコートだ。しかし、腹部や肩にはアイシスメタルを初めとする素材を用いて強度を確保してある。
そして何より、この防具の一番の特徴は頭部だ。兎のような可愛らしいたれ耳――いわゆるウサミミに目を惹かれる。その見た目から、女性ハンターの間では人気のある防具の一つである。
この防具はウルクシリーズ。この凍土に住まうモンスター、ウルクススの素材を用いて作られた防具であり、『寒さ無効』という実用的なスキルを兼ね備えている。凍土での狩猟において、これほど有能な性能を持つ防具には数が限られる。
「私はいつでも大丈夫ですよ!」
「この強烈な寒さを感じない、というのが何とも羨ましいな」
口から白い息を吐き出し、明らかに寒そうな様子でヴァイスが言う。
そう。拠点での寒さは、狩場に指定されているエリアに比べればまだ生温いが、それでも寒いことに変わりはない。こうして身体の動きを止めていると、ほんの数十秒で身体の芯まで凍り付いてしまいそうになる。
「師匠もこういう装備にすれば、それは解決しますよ」
「それができたら苦労はしないんだがな……」
いつまでも希望的観測を述べ続けても仕方無い、とヴァイスは自分に言い聞かせ、軽く身体を動かす。
「武器の切れ味の方も大丈夫か? 砥石を使っている余裕は無いと思うぞ」
「はい。ばっちりですよ!」
クレアは自らの武器を掲げてヴァイスに見せてみる。
その片手剣はコマンドダガー。以前までクレアが用いていたソルジャーダガーを、ドスジャギィの素材を用いて更に強化した武器だ。見た目こそソルジャーダガーと大差無いが、コマンドダガーの攻撃力、そして切れ味はソルジャーダガーよりも大いに強化されている。これによりクレアの動きにも、以前にも増して切れが出てきていた。
一方、ヴァイスの太刀は
「さて、そろそろ行こう。これで終わらせるぞ」
「はい!」
ヴァイスがホットドリンクを飲み干し、入念な準備を終えた二人が拠点を後にする。
拠点の隣を流れる川に沿って道を辿ると、急に開けた場所に出る。
エリア1。強烈な寒気はこの先の方から流れ込んでくるため、エリア1では既にホットドリンクが必需品となる。もちろん、クレアのような『寒さ無効』というスキルを持つハンターを除いての話だ。
身を縮こませる寒気に乗り、エリア1から続く道の奥からペイントの臭気が漂ってくる。注意深く臭いの方向を把握し、そして今回の標的の位置を割り出す。
「エリア2ですね」
「ああ。行こう」
続いて二人が足を踏み入れたのはエリア2。そこで圧巻されるのは、真正面に見える、まるで天を摩するかのように聳え立つ巨大な氷柱だ。
一体どれだけの年月をかければ、あのような自然の建造物が造り上げられるのだろうか。そんなことを考えたいという気も過るが、そうはさせじと二人の視界を一匹のモンスターが横切った。
あの氷柱と同じ、全身が青白い鱗や皮などで覆われており、鳥竜種ながらも巨大かつシャープな体型をしている。
群れの長に君臨する者としてその存在を誇張するのは、頭部の巨大な鶏冠。奴が指示を出せば、群れを成すモンスターたちはそれに的確に応答し、そして獲物を食らう。
「ウオオォォ、ウオオォォ、ウオォォォォォォォン!!」
その独特な鳴き声を辺りに響かせると、何処からもなく群れのバギィたちが出現する。もちろん、それらは二人目掛けて一直線だ。
ドスバギィはしばらく動こうとはせず、下っ端のバギィたちに二人の相手をさせるようだ。そして、二人が油断を見せた瞬間に仕掛ける。このような狡猾な手段を用いて相手を追い詰めるのがドスバギィの戦い方であるのだ。
「バギィたちを先に片付けるぞ」
ヴァイスの指示により、クレアも動き出す。
コマンドダガーを腰から振り抜くと、接近してきたバギィ目掛けて一閃する。それを討伐すると、続けざまにやって来たもう一体も片付ける。
その時、ドスバギィもようやく動きを見せる。
バギィの処理に手間取っていたクレアに照準を合わせると、必殺のサイドタックルを繰り出す。クレアもこれにはすぐさま反応し、右手に装着した盾でガードする。
一方、隙の生まれたドスバギィにヴァイスが斬り込む。上段からの斬りつけ、突き、斬り上げと斬撃を繰り出す。
炎を嫌うドスバギィにとって、ヴァイスの斬撃は厄介だった。分が悪いと察したドスバギィは、持ち前の跳躍力を生かして一時後退する。そして、またしても咆哮する。
「ウオオオオオォォォォォォォォォォッ!」
この咆哮に応じ、バギィたちが再び現れる。更に、ドスバギィはバギィたちに攻撃命令を下すかのように再度喉を鳴らす。
「気を付けろ。バギィたちも仕掛けてくるぞ」
動きが活発になりつつあるバギィたちを見据えながらヴァイスが警告を促す。
先に動いたのは向こうだった。ドスバギィの命令により、召集されたバギィたちがヴァイスたちに突っ込んで来る。
ヴァイスとクレアは散開し、それぞれバギィの討伐を試みる。
だが、今回はドスバギィはバギィたちが一掃されるのを黙って見ているわけではない。ドスバギィはまたしてもクレアに接近していくと、ブレス状の物体をクレア目掛けて放った。バギィたちに気を取られていたクレアは、その物体を諸に浴びてしまう。
「しまっ、た……!」
眠狗竜の二つ名の通り、ドスバギィは体内で睡眠を促すような物質を生成し、それをブレスとして吐き出し獲物を魔の眠りに陥らせる。
睡眠液を浴びたクレアも、徐々に意識が遠のいていく。
このまま眠りに落ちれば、クレアが目覚めることは二度とないだろう。しかし、ドスバギィが睡眠液を用いることはクレアも事前に理解していた。そのため、しっかりと対策も用意していた。
何とかドスバギィから距離を取りつつ、クレアはポーチから元気ドリンコと呼ばれる液体を取り出し、それを一気飲みする。眠気覚ましの効果を持つ元気ドリンコにより、クレアの意識も一瞬で覚醒する。
「ウオオオオオォォォォォォォォォォォォォッ!?」
一方、ドスバギィはクレアを捕らえることができなかった。すぐさまヴァイスが駆けつけ、彼の繰り出す斬撃により追撃を阻まれたためである。
ここでクレアも合流する。ドスバギィに肉薄すると、コマンドダガーを振りかぶり斬撃を浴びせる。
しかし、ドスバギィもやられ倒しではない。ヴァイスを何とか振り切ると、後方に立つクレアを狙い、振り向きざまに噛み付こうと牙を唸らせた。クレアがその牙の餌食になることはなかったが、その巨躯に軽く体当たりされる形となり、クレアは吹き飛ばされ尻餅を着いてしまう。
「いたっ!」
突然の出来事に思わずクレアも叫ぶ。だが、そのクレアの目の前にドスバギィが接近する。
「狙われているぞ、退け!」
ヴァイスの警告を受け、クレアも痛がる身体に鞭を入れ危機を逃れる。
だがドスバギィも、その程度では諦めない。執拗にクレアを追い詰めることで、彼女に回復の隙を与えないつもりだ。
しかしながら、ドスバギィはヴァイスの妨害により、またしてもクレアを仕留め損ねてしまう。そこでドスバギィは、転じてヴァイスを屠ろうと試みるも、苦手とする紅焔の刃には正面から太刀打ちできない。逆にカウンターを喰らう形になってしまう。
「ウオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォン!」
怒りに染まる咆哮が、凍土の空気を揺るがす。
単独で獲物を仕留めるのは不可能だと察したドスバギィが、バギィたちを召集する。彼らに攻撃指示を下し、そして自らも二人に襲い掛かる。
「ウオオォォォォォッ!」
「ウォォォ、ウオオォォォォン!」
周囲から巻き起こるバギィたちの鳴き声、そしてドスバギィの咆哮。まるで挽歌とも思える聞き苦しい嘶きの数々に、二人も思わず悪感する。
「まるで、何かの生贄に捧げられているようだ……」
こちらを睥睨するドスバギィやバギィたちを見ると、思わずそう口にしてしまう。人間が抱くモンスターに対する恐怖ではない、もっと別の恐怖を胸に抱くのだ。
その胸の内を見透かしたかのように、ドスバギィは合図を下しバギィたちをこちらに放つ。
目障りなバギィたちを相手にしていると、ドスバギィも隙を見計らっては二人に奇襲を仕掛けてくる。ようやく邪魔者を片付けたと思っても、ドスバギィは更なる援軍を呼び寄せる。
「しつこい!」
さすがにクレアも苛立ちを覚えてくる。
こうなっては、ドスバギィはいずれ凍土中の全てのバギィを呼び集めるだろう。だが、そんなに多くのバギィの相手をしていれば、こちらの体力も限界を迎えてしまう。
それならば、やられる前にやるだけである。そう思い至ったヴァイスがクレアを呼ぶ。
「ドスバギィを優先して動こう。邪魔になるバギィだけ相手にして、他の奴には注意だけ向けろ。できるか?」
「分かりました、やってみます!」
手短に方針を伝えると、ヴァイスとクレアは散開していく。
案の定、二人の後を追うようにバギィたちが付いてくる。だが、それは今回無視し、ドスバギィに接近した。間合いに踏み込んだ二人は抜刀し、斬撃を繰り出す。
「ウオオォォォォン!」
次第に後方から無数の足跡と鳴き声が聞こえてくると、二人は一旦ドスバギィからは後退し、そしてバギィたちを振り切る。
このような展開をドスバギィも予想していなかったようだ。標的の二人を捉えられない下っ端たちを見ては、怒りを露わにする。
ここでドスバギィは、自ら二人を仕留める判断を下す。群がるバギィたちさえをも蹴散らし、標的目掛けて全力で駆ける。
一方、目を付けられていたヴァイスは踵を返し、ドスバギィの頭部を狙って飛竜刀【椿】を振り下ろした。一瞬怯んだ隙を見計らい、クレアも同様にドスバギィの懐に飛び込む。
肉薄する二人を振り払おうと尻尾を薙ぎ払うが、それでも二人はドスバギィに食い付く。
ここで、バギィの群れが二人に追いついた。
「来たか」
周囲を一瞥したヴァイスが斬り下がって間合いを取り、意識をバギィたちに向けた。
向かってくるバギィを蹴散らしては、タイミングを計ってドスバギィにもまた斬撃を浴びせる。クレアも同じように、ヴァイスに言われた通りに立ち回っている。
そして、最後のバギィを討伐すると、ここで二人が一気に畳みかける。
ヴァイスはドスバギィの正面に陣取り、そこで気刃斬りと気刃大回転斬りを繰り出す。クレアは側面に回り込み、渾身の連撃をドスバギィに浴びせる。
気刃大回転斬りが命中し、その衝撃で頭部の鶏冠が弾き飛ばされると、ドスバギィが苦痛の叫びを上げる。
「ウオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォッ!?」
狩猟も終盤に差し掛かったところで、ドスバギィの体力も限界を迎えつつあった。
この凍てつく大地を、あれ程縦横無尽に駆け回っていたドスバギィの姿も、ここに来て影を顰める。痛めつけられた身体を庇うように、ドスバギィがエリアの端に存在する巣穴に向かおうとする。
巣穴に逃げ込まれてしまっては、そこからドスバギィを追うことはヴァイスたちにはできない。何としても、ここで決着を付けなければならない。
「クレア。手筈通りに頼むぞ」
「任せてください!」
ヴァイスの言葉に首肯したクレアが駆け出す。ヴァイスも彼女の背中を追うが、ドスバギィにある程度追いついたところで閃光玉を投擲する。
眼前に閃光玉を投げ込まれたドスバギィは、その閃光を防ぐことができない。視界を失ったドスバギィが、闇雲な動きで周囲を薙ぎ払い続ける。
そして、閃光玉の効力が切れる寸前、クレアの声が前方から上がる。
「シビレ罠の設置、完了しました!」
ヴァイスは頷き、そして飛竜刀【椿】を鞘から引き抜く。ドスバギィに斬撃を浴びせ、こちらに注意を向けさせる。
一方のドスバギィも、最後の力を振り絞ってヴァイスに食って掛かる。しかし、それが罠であるということをドスバギィはもちろん知らない。
設置されたシビレ罠を踏みつけると、周囲に特殊な電流が走り、それがドスバギィの身体の自由を奪う。
「クレア、今だ!」
ヴァイスの合図で、クレアは手に持っていた捕獲用麻酔玉を二つ投擲する。二つ目の捕獲用麻酔玉が弾けると、ドスバギィの身体から力が抜け落ちた。
「捕獲成功だな」
深い眠りに落ちたドスバギィを見下ろし、ヴァイスが呟いた。
凍てつく静寂が、凍土に再び訪れた。