二人はエリア10にやって来た。だが、そこにロアルドロスの姿は無い。代わりに、ルドロスたちが二人を待ち構えていた。
「全く、手厚い歓迎なことだ」
半ば嫌気が差すような口調で言いつつも、ヴァイスは行動に移す。後々妨害をされぬよう、事前にルドロスたちを狩猟しておくのだ。
もちろんクレアも協力し、地上に屯していた三体のルドロスの討伐を完了する。
しかし、この間もロアルドロスは地上に姿を現さなかった。
「出てきませんね……」
そう口にしたクレアの表情は浮かないものだった。やはり、まだ水中戦に対しては抵抗があるのだろう。
「そこまで気に病むな。落ち着いて、いつも通りやればいい」
そんなクレアの肩をヴァイスは軽く叩く。そして、注意深く水面を確認すると、躊躇うことなく海中へと飛び込んだ。
クレアも一旦深呼吸を行い、気を入れ直す。
落ちついてやればいい。そう自分に言い聞かると、ヴァイスの後に続いて自身も海中に飛び込む。
するとそこには、こちらを待ち構えるかの如くロアルドロスが佇んでいた。尚も怒りに染まった様子で、こちらを睥睨してくる。
「キュアアアアァァァァァァァァァァッ!」
その咆哮を皮切りに、ロアルドロスはこちらに突っ込んでくる。二人はすぐさま散開し、そして攻撃に転じようと肉薄する。
ヴァイスはロアルドロスの背後から接近し、鬣目掛けて飛竜刀【椿】を振り下ろす。同じように背後から接近したクレアは尻尾を狙う。
ピンポイントで斬撃を命中させることは叶わなかったが、それでも繰り出した斬撃は全てロアルドロスを捉えた。狩猟開始時から比べ、クレアもようやくロアルドロスの動き、水中での立ち回りにも慣れてきたのだ。
しかし、ロアルドロスも甘くは無い。後方のクレアに振り向くことなく、尻尾を薙ぎ払った。水中にも関わらず勢いよく振り払われたそれはクレアの横腹を殴りつける。
「(くぅっ!?)」
想像以上の衝撃にクレアの身体は悲鳴を上げる。薙ぎ払われたというより叩きつけられた衝撃により、クレアは肺に溜め込んでいた酸素を吐き出してしまう。
水中に入ってままならないにも関わらず息苦しさを覚えたクレアは海面を目指す。エリア11に比べ水深が浅いことが幸いし、すぐに地上に到達することができた。
しかし、一息ついたのも束の間。クレアの真下、揺曳と映っていたロアルドロスの姿がこちらに突っ込んでくるのが見えた。
ここからでは回避することは不可能だ。クレアはそう判断し、すぐさまソルジャーダガーと盾を構えガード体勢に入る。
それから間を置かず、ロアルドロスが突っ込んできた。地面なら踏ん張りが効くが、ここではそれもいかない。ガードしたのにも関わらず、それで勢いを完全に殺すことはできず、クレアの身体は宙に軽く持ち上げられる形となる。
「なぁっ!?」
想定外の事態にクレアも冷静さを一瞬失う。
だが、身体が宙に持ち上げられたと言ってロアルドロスが追撃を仕掛けてくるわけでもなかった。再び着水するまでの時間もほんの僅かなものであり、背中から着水すること以外は大きな傷を負うことはなかった。
応急薬を飲み干した後、クレアは改めて水中に身を沈めロアルドロスの様子を窺ってみる。
一旦酸素を補給したヴァイスが、ロアルドロスと対峙している。ここに来てロアルドロスの頭も冷静になったのか、先ほどのような切れた動きではなくなっていた。
それを理解したクレアも接近を試みる。
ロアルドロスはこちらの接近に気付いた素振りを見せるが、ヴァイスが尚も斬撃を繰り出し、その意識を無理やり遠退けようとしていた。それもあり、クレアは容易にソルジャーダガーの間合いに入り込むことに成功する。
上段から振り下ろし、斬り上げ、横一文字に振り抜く。手数は少ないが、着実に一撃浴びせることを心掛け立ち回る。
正面からヴァイスも一撃を繰り出すと、ロアルドロスは二人の間を掻い潜って海中を泳いでいく。一瞬はエリアを移動するのかと思ったが、ロアルドロスはそこから身を翻し突っ込んでくる。
「(速いっ!)」
やはり水中でロアルドロスの動きに着いていくのは難しい。武器を納めた二人はギリギリのところで回避に成功する。
しかし、そこから反撃に転じることができない。ロアルドロスは瞬時に体勢を立て直すと、二人を威嚇するかのように水ブレスを放ってくる。間合いが開いた遠距離からの攻撃では、水中では回避することだけでも精一杯なのだ。
ようやくロアルドロスに接近したクレアもソルジャーダガーを引き抜く。だが、ロアルドロスもクレアの接近を理解していた。華麗な動きで身を翻し、ソルジャーダガーの刃を軽々と回避して見せる。
そうなると、今度はクレアに隙が生まれる。ソルジャーダガーを空振りし、守りが薄くなった瞬間を見計らって水ブレスを立て続けに放つ。
クレアにもその動きは見えた。何とか体勢を立て直したクレアは右手の盾を突き出して水ブレスを防ぐ。しかし、ロアルドロスは今度は突進を繰り出し、尚もクレアを追い回す。埒を明けない連続攻撃に、クレアのスタミナも底を付きる。
そこにヴァイスが接近した。ロアルドロスに追いついたヴァイスは正面に回り込み、飛竜刀【椿】を振り下ろす。それが功を奏したか、ロアルドロスはヴァイスの一撃に怯み、ようやくその動きが止まる。
ヴァイスは更に仕掛ける。怯んだ隙を突いてロアルドロスの真下に回り込む。ロアルドロスの死角に潜り込んだヴァイスは飛竜刀【椿】を構え直し、気刃斬り、気刃大回転斬りを繰り出す。
その一撃の手応えは、今までとは全く異なるものだった。真横に振り抜かれた飛竜刀【椿】はロアルドロスの尻尾の付け根を捉え、その一撃で限界を迎えた尻尾はいとも簡単に断ち切られた。
「ウオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォッ!?」
死角からの攻撃に、そして尻尾を切断されたことへの驚きと悲痛が入り混じった咆哮が水中に轟く。
「(やったか)」
表情には露わにしないが、内心ではヴァイスも微かな喜びを抱いていた。
しかし、それも束の間だ。ヴァイスはすぐさま気を改め、再び飛竜刀【椿】を振り抜いた。
狙うのは鬣。ロアルドロスの存在を誇示するその鬣を最後に破壊しようという試みだ。ロアルドロスが怯んでいたうちに立ち位置を改め、狙った箇所に斬撃を集中させる。
スタミナを回復させていたクレアも、ヴァイスの意図は把握したようだ。後方から接近し、ヴァイスと同じく鬣目掛けてソルジャーダガーを一閃させる。
「キュアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
怒りの咆哮が水中に轟く。
後方に身を翻したかと思ったロアルドロスは、そこから一気に速度を上げ突進を繰り出す。それは何とか対処できたものの、続けざまに繰り出した水ブレスにクレアはその餌食となってしまった。
「(くうっ!?)」
その苦痛の悲鳴の代わりに、クレアは口から気泡を吐き出す。更に、身体が途端に気怠くなったかのような感覚に襲われる。またもや、水属性やられ状態に陥ってしまったのだ。
つい先ほど肺に溜め込んだ酸素も、今しがたの一撃でほとんどを吐き出してしまった。こうなれば、再び地上を目指すほかない。
しかし、ロアルドロスもそのクレアの考えを先読みしたかのような動きを見せる。体勢を低くし、再びこちらに突進を繰り出してくる。盾でガードしこれを凌ぐが、それに時間を取られたことはクレアにとって致命傷となった。
真上を――月の光が差す水面を、徐々に薄れゆく意識の中で見上げる。が、そこはまるで、遥か彼方にあるかのように遠い。
――間に合わない。
本能的にそれを悟った。だが、朦朧としたクレアの意識に一筋の光が走った。武器を構えたまま、それこそロアルドロスに無防備な姿を晒しポーチの中を探る。そして、目的の物を手に掴むと、それを問答無用で口に押し込み飲み込んだ。
するとどうだろうか。今までの息苦しさが嘘のようかのように、途端に意識が覚醒した。
酸素玉。その名の通り、内部に大量の酸素が詰め込まれたアイテムである。これを口に含むことで、水面から顔を出さなくても酸素を補給できるという優れものだ。
この酸素玉は、今回のクエストで支給されたアイテムのうちの一つだった。まさに僥倖と言って過言ではない。
後方で光が弾けた。どうやら、ヴァイスが閃光玉を投擲したらしい。そのヴァイスはロアルドロスに追撃を浴びせるわけでもなく、クレアの様子をしばらく窺っていた。クレアが「大丈夫です」と軽く手を上げると、ヴァイスも軽く首肯しロアルドロスに向かって行った。
念のためにクレアは応急薬も一本飲み干す。これでまたしばらくは水中で立ち回ることが可能だ。ヴァイスに続く形でクレアもロアルドロスに肉薄する。
ソルジャーダガーの刃が通りそうな箇所を選びながら慎重に斬撃を繰り出す。一方のヴァイスは、クレアとは対照的に大胆に動く。尚も鬣を狙い続け、そして閃光玉の効力が切れる寸前で気刃斬りを叩き込んだ。
大上段からの一撃は、今までに聞いたことの無い鈍い音を立てて鬣を穿った。その一撃でロアルドロスの鬣はズタズタに破壊される。今までスポンジ状に形作られていたそれが破壊されると、ロアルドロスの姿は何とも無残なものへと変貌してしまう。弱々しく、そして痛ましい。ルドロスの群れの長として君臨するものとして、これ以上の辱めはあるまい。
「キュアアアァァァァァァァァァァァァッ……」
しかし、今の追い詰められたロアルドロスには、そんなプライドはもう存在しなかった。ロアルドロスはゆらゆらと海中を漂うようにこのエリアを立ち去ろうとする。
しかし、ヴァイスたちにしても、この好機を逃がすわけにはいかない。
あの威勢も、今では影を潜めたロアルドロスの動きにヴァイスが先回りし、足止めに入る。蓄積した気を再び放出させ、気刃斬り、気刃大回転斬りを繰り出す。裂帛の斬撃に、ロアルドロスも堪らず動きを止めてしまう。
その瞬間にクレアが滑り込んだ。正面に肉薄し、そこから己の持つ全ての力を籠め、ソルジャーダガーを一閃する。狩猟開始当初はあれだけ苦労した水中での片手剣の扱いも、コツを掴み始めたクレアにはその心配は消え去っていた。
只今は、目の前の存在を狩る。それだけをクレアは見据えていた。
「(行け、クレア!)」
直接耳に届いたわけではない、だがそのヴァイスの想いはクレアは確かに感じ取った。
「(はあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!)」
クレアと、そしてヴァイスの想いを乗せた一撃がロアルドロスに一閃された。その一撃でロアルドロスが一瞬痙攣したかと思うと、それから二度とこちらに向かってくることはなかった。
長かったようで短かった狩猟が、今終わったのだ。
「はぁ……、疲れました……」
剥ぎ取りを終え、拠点へと戻る道を進んでいた最中クレアが呟いた。隣を行くヴァイスも思わずといった感じで苦笑する。
「悪かったな。経験が浅い中、水中戦を強いられるロアルドロスの狩猟はかなり厳しかったはずだ」
「いえ、良い勉強になりました!」
拳を夜空に突きあげながらクレアは言う。
その様子に「疲れた」などという様子は見受けられず、ヴァイスはまたもや苦笑いする。
「だが、そう言ってもらえるなら俺としても何よりだ。この狩猟で何かが掴めたのなら、俺はそれで満足さ」
淡々としたヴァイスの口調に対して、クレアは尚も嬉しそうな声色で続ける。
「いやぁ、これも師匠のおかげです! ありがとうございます!」
そんな様子を見て、ヴァイスも内心相変わらずだなと無意識に思う。別に大したことはしていない、といった決まり文句も、ヴァイスはここでは控えるようにした。
そうこうしているうちに、二人はエリア5へと戻ってきた。すると、クレアが突然歩を止めた。何事かと振り向いたヴァイスは、彼女が上空を仰いでいる様子を見て素直に納得した。釣られるようにヴァイスも満天の夜空を仰いだ。
「ここは、星がきれいですね……」
クレアの感嘆とした感想にヴァイスも同意を示す。
現在も自然が残ったこの地では、星々の光を遮るものは無い。澄んだ空気の夜空は、ただ見上げているだけでも吸い込まれるかのような感覚を覚えてしまう。
「……さあ、早いところ拠点へ戻ろう」
ここが狩場でなければ、とは誰もが抱く感想だった。水を差したヴァイスに、クレアも大人しく従う。
そして、改めて拠点へ向かおうとヴァイスは一歩を踏み出した。だが、そこでヴァイスの足は止まる。
「師匠?」
不審に思ったクレアも尋ねてみる。だが、ヴァイスからの返答は無い。代わりにヴァイスは、拠点へ続くエリア2の方向ではなく、エリア6の方へ視線をやった。
そして、その瞬間だった。
「ゴアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
地獄の底から湧き上がってきたかのような咆哮。今までの物静かな雰囲気からは一変し、異様な不気味さと、そして絶大な恐怖が辺り一面を支配した。
「な、何!? 何ですか、これっ!?」
突然訪れた状況に、クレアも不安と恐怖、そして戸惑いの様子が見受けられた。しかし、今はそんなクレアの気持ちを宥める余裕など、ヴァイスには微塵も無い。
「……クレア、お前は先に行け」
予期していなかったヴァイスの言葉に、クレアが呆気に取られた表情を浮かべる。
「えっ!? で、でも――」
「いいから行け! これは命令だ!」
今まで聞いたことの無い、怒号のようなヴァイスの言葉にクレアも成す術はなかった。
そう。クレアの実量では到底叶わない、凶悪なモンスターが今まさに姿を現さんとしているのだ。クレアが何と言おうが、ヴァイスはそれに耳を貸さないことは明らかだった。
「……さぁ、早く行け」
クレア最後に小さく頷き、そして地面を蹴った。全速力でこのエリアから立ち去ろうと、必死で足を動かした。
そして、クレアがエリア5から姿を消してから程なくして、ついにそれは姿を現した。
「こいつは……」
ヴァイスも、最初はその姿に呆気に取られてしまった。
その巨大な大柄は暗緑色の鱗に覆われている。肢体の筋肉は異常とも言えるほどにまで発達しており、一歩を踏み出すごとに大きく躍動するそれは、人間の存在など遥か貧弱な程にまで霞んでしまう。
背中に走るのは無数の傷跡。それはこの厳しい自然環境を生き延びた証であり、この自然界の頂点に達する存在を誇示するには十分な勲章だ。
そして、何より不気味なのはその頭。首元にまで裂けた口と、鈍器のような顎。見る者全てを戦慄させ、そして絶望させる。その存在は、まさに地獄の獣そのものだった。
血に飢えた獄獣が、その視界に獲物を捉えた。
「グオオォォォォォォォォアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「くっ!?」
他を大きく圧倒するその咆哮に、さしものヴァイスも背筋が凍り付いた。こいつがどれだけ危険な存在なのか、ヴァイスは身を以て痛感することとなった。
それは躊躇うことなくヴァイスに突っ込んでくる。ギラギラと不気味な光を帯びる牙を剥き出しにし、そのままヴァイスを喰らわんと頭を突き出してくる。
「っ!」
ヴァイスも瞬時に反応する。咄嗟に回避行動を執り、そして上手い事死角に潜り込むことに成功すると、発達したその脚に向かって飛竜刀【椿】を振り下ろした。
確実にその一撃は捉えた。だが、手応えが浅い。否、正確には飛竜刀【椿】の刃が通ったというものではなく、一撃としての重みがほとんど感じ取られなかったのだ。
その現象に、ヴァイスもすぐさま一つの考えが導かれる。
「炎が利いていないのか……!」
目の前の存在は、ロアルドロスとは何もかもが違う。だが、今までのヴァイスの経験は、こいつに対して飛竜刀【椿】が不利なのだという結論を出させることは容易だった。
ヴァイスは前転して下腹部から抜け出すと、改めてそいつの様子を窺ってみる。
炎が利かないと判断した相手に対し、無理に斬撃を繰り出す必要など無い。比較的容易に斬撃を命中させられそうな箇所を短い時間で見極める。
一方、それは地面に顔を突っ込んだかと思うと、そのまま地面を抉り取り、巨大な岩石をこちらに放り投げてきた。飛竜刀【椿】を鞘に納める暇も無い。ヴァイスはそれを回避すると、足元目掛けて今度は斬撃を放つ。
やはり、先程と感覚は変わらない。炎が効いていないのだ。
それは、尚も荒々しい攻撃を繰り出してくる。鋭い牙を剥き出しにし、周囲の空間を右、左と引き裂く。
「くそっ……!」
距離を取って回避しようにも、それでは間に合わない。ヴァイスは飛竜刀【椿】を鞘に納め、緊急回避で何とかこれをやり過ごす。
その後、ヴァイスはすぐさま体勢を立て直し、背後からの接近を試みようとした。だが、それはヴァイスの接近を見透かしていた。ヴァイスが接近してきた右脚を高く持ち上げ、そのまま地面に振り下ろした。地鳴りのような轟音が聞こえたのと同時、地面が持ち上げられ隆起するかのような衝撃がヴァイスにも伝わってきた。
「くっ!?」
直撃は回避したものの、衝撃でヴァイスの身体の自由が一瞬奪われる。その一瞬の隙を逃しはしないと、それはその巨躯で以て体当たりを敢行する。
だが、何とか体当たりを回避し、ヴァイスは今度こそ反撃に転じる。右脚に接近し、鞘から振り抜いた飛竜刀【椿】を上段から一閃する。続けざまに突き、斬り上げ、斬りつけと基本の型で着実に斬撃を命中させる。
すると、それもヴァイスが自身にとって厄介な存在になり得るとようやく判断したのだろう。自らの力を誇示するかのように、強大な咆哮を撒き散らす。
「ゴワアアアアアアオオオオオオオオォォォォォォォォォッ!!」
「うっ!?」
あまりの大きさに、ヴァイスも身動きが取れなくなる。そして、咆哮の余韻が徐々に薄れヴァイスの身体も自由を取り戻した時、彼も思わず絶句した。
全身の筋肉であろう部分は血のように真っ赤に染まり、それは大きく隆起する。今までに受けた痛々しい古傷の数々が全身を駆け巡り、そしてその傷からも生々しく、不気味な赤の滴が零れ落ちた。
口元は、こちらも不気味な程に赤黒く燻ぶり、耳障りな異音がヴァイスの鼓膜を貫く。
それが、それこそが。こいつの、真の姿なのだ。
ヴァイスは動く。こいつの真の力がどれほどのものなのか。それを少しでも目に焼き付けておこうと飛竜刀【椿】で斬りつけた。紅蓮の炎が斬撃と共に爆ぜるが、それをものともしない。
数歩後ずさった後、前進しながら身体を回転させ、その牙と尻尾で周囲を薙ぎ払った。正面に捉われたヴァイスは、尻尾に身体を掠める格好となり体勢を一瞬崩す。
その一瞬の隙でさえ命取りとなる。頭を大きく持ち上げたそれの、口内の赤黒い物質の運動が盛んになる。刹那、稲妻のような閃光が走ったかと思うと、ブレス上の赤黒い物質が周囲を焼き尽くした。
「うぐっ!?」
ヴァイスの身体も赤黒い閃光に飲まれ、そして吹き飛ばされる。身体に電撃が走ったような、それこそ雷撃に直撃したかのような鋭い痛みに身体が蝕まれる。
だが、ヴァイスはそれで屈することはなかった。追撃を掻い潜り、そいつの隙を突いて再度飛竜刀【椿】で斬りつけた。しかし、ヴァイスは直後目を疑う光景を目の当たりにした。
炎が、爆ぜない。
飛竜刀【椿】の刃は確かにそいつを捉えた。ならば、その斬撃からは炎が爆ぜるはず。だが、今しがたの一撃では、それが起こることはなかったのだ。
ヴァイスは続けて斬撃を繰り出す。やはり、炎が爆ぜることはない。
一瞬、飛竜刀【椿】が壊れてしまったのではないかと疑問を抱いた。だが、ヴァイスはそれをすぐさま否定した。身体に、今までに感じたことの無い妙な違和感を覚え始めたのだ。
「あのブレスの影響か……」
考え得る可能性はそれしかない。あのブレスに含まれる何らかの物質が、飛竜刀【椿】の性能を封じ込める何らかの影響を与えたのだろう。
「はぁ……」
ヴァイスは溜め息を吐き、そして飛竜刀【椿】を鞘に納めた。
時間は短かったが、得られた収穫は大きい。それを思ったヴァイスが閃光玉を投擲する。孤島を揺るがす苦痛の咆哮が聞こえてくると、ヴァイスは全速力で駆け出した。
背後から聞こえる凶暴な咆哮を、その姿を改めて脳内に焼き付け、ヴァイスは拠点へ続く道を急いだ。