エリア10にやって来た二人が目にしたのは、地上に出ていたロアルドロスがそのまま背を向け、更に奥へ――エリア9へと向かって行く姿だった。
地上へ上がった二人も、その後を追う。
「でも意外ですね。ロアルドロスが自分から地上へ上がるなんて」
水中はロアルドロスの庭だ。それは先ほどロアルドロスに翻弄された二人を見ても明らかだ。だが、地上ともなればロアルドロスの脅威は、多少ではあるものの薄れるだろう。
願っても無いチャンスだとでも言いたげな表情のクレアにヴァイスが口を開いた。
「ロアルドロスは雌のルドロスを従えてハーレムを形成する習性があるそうだ。今まで見てきた限りなら、今日は陸上にルドロスが多くいる。奴はそのルドロスたちを従えて、俺たちを翻弄しようとしているのかもしれないな」
ヴァイスの推測にクレアも「なるほど……」と相槌を打つ。
言い換えればそれは、例えロアルドロスが地上に上がりこちらに有利な状況に傾こうとも油断するな、というヴァイスの忠告だった。
そうするうちに、エリア9にやって来た。ロアルドロスはこちらに背を向けており、奇襲を仕掛けるという手も有効だ。
だが、ヴァイスはすぐさま奇襲を仕掛けようとはせず、周囲――特に水で溢れかえった地面を注意深く見渡した。
「どうかしました?」
「背後から仕掛けるというのも手だが、それは難しそうだと思ってな」
足元を見ながらヴァイスは答えた。
海水の流れ込むこのエリアでは、歩を進めるごとにパシャパシャと音を立てる。それはつい先ほども確認したが、こうしていざ奇襲を仕掛けようと思い至ってみると、この状態でそれを成し遂げるのはなかなか容易ではなさそうだと感じた。
ヴァイスの言葉の意図をクレアも察したらしい。ロアルドロスとヴァイスとで視線をやり繰りした後「どうしますか?」と尋ねた。
するとヴァイスは、腰に取り付けてあった投げナイフを一本引き抜いた。
「それは、支給品の投げナイフ、ですよね?」
クレアの言う通り、ヴァイスが手にしたそれは支給品の投げナイフだった。その名の通り投擲目的で作られた小型のナイフであり、軽い素材を用いつつも、モンスターに対しダメージを与えられるよう鋭利に研がれた刃が特徴だ。
しかし、投げナイフで与えられるダメージはごく僅かなものだ。確かに剣士が遠距離から攻撃を仕掛ける際には有効なアイテムではあるものの、奇襲を仕掛けるのに対して有効なアイテムかと言えば、それは疑問に思われるのだ。
だが、ヴァイスはクレアの言葉に頷くだけだった。そして、何の躊躇いも無く、その投げナイフをロアルドロスに向かって三本投擲した。月光を反射し輝く銀の軌跡は、寸分狂わずロアルドロスの背中に命中した。
むろん、ロアルドロスはそれに反応する。こちらを振り向いたロアルドロスの様子は、既に臨戦態勢だった。
だが、こちらに接近を試みようとしたロアルドロスの動きが突然止まる。ただその場で苦しげに鳴き声を上げているだけで、無防備な姿を晒す。
その様子を見たクレアもようやく理解した。
「師匠、あれって!」
「ああ、どうやら毒が回ったらしいな」
そう。ヴァイスが投擲したのはただの投げナイフではない。毒テングダケの毒素をナイフに付着させた毒投げナイフだった。
その毒素は非常に強力であり、大型モンスターでさえも傷口から入った毒素が身体を循環すれば、しばらくの間は毒状態に陥ってしまう。
おそらく、孤島のエリアを回っている間に採取した毒テングダケを投げナイフと調合したのだろう。そのヴァイスの行動力にはクレアも驚かされた。
「さあ、行くぞ」
ヴァイスの言葉に頷き、クレアも気を改め地面を蹴った。
ロアルドロスは未だに苦しみ悶えている。この好機を逃すまいと背後に回り込んだヴァイスが斬撃を放つ。クレアもまたロアルドロスの側面に向かい、ソルジャーダガーを振り下ろす。
「キュアアアアァァァァァァァァァァッ!」
しかし、毒状態のロアルドロスも応戦する。クレアを正面に捉えると、右前脚を振り下ろす。しかし、これはクレアも盾で防ぐことに成功する。やはり、水中に比べれば圧倒的に動きやすく、無理な立ち回りをする必要が無くなる。すると、余裕を持った立ち回りが可能になり、狩猟のペースも握りやすくなる。
だが、ロアルドロスもそう易々とこちらに主導権を握りさせてはくれない。
体内に入り込んだ毒素の解毒が済んだのだろう。軽やかな動きで一旦後退したロアルドロスが咆哮した。
「キュアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
その咆哮に応じるように、何処からもなくルドロスたちが姿を現した。その数は計六体にもなる。
「ルドロス!?」
「やはりか……。先にルドロスを片付けるぞ!」
瞬時に判断を下したヴァイスが閃光玉を投擲する。
ロアルドロスと一部のルドロスは、閃光玉の影響で視界を失ったようだ。だが、残ったルドロス――その三体は二人目掛けて突進してくる。
そのうちの二体にヴァイスは狙いを定める。鞘に納めていた飛竜刀【椿】を振り抜き、上段から一閃する。紅焔が爆ぜ、その一撃でルドロスは絶命する。続くもう一体の討伐もすぐさま完了させる。
一方のクレアもルドロスの討伐に成功させる。続いて閃光玉の影響を受けたルドロスに狙いを付けようと視線を動かした。だが、視線を向けた方向――今しがたロアルドロスがいた位置にその姿は無かった。
まずい。頭の中でクレアも瞬時に理解する。
「どこ!?」
「真後ろだ!」
いつの間に閃光玉の効力が切れていたのだろう。クレアがルドロスに気を取られているうちにロアルドロスが背後に回っていた。
そこからロアルドロスは突進する。それも、周囲に水ブレスを放ちながらの突進だ。クレアは緊急回避を行いこれを回避する。だが、ロアルドロスは尚もクレアに狙いを定め、再び突進してくる。
「間に合わなないっ!」
ようやくクレアが体勢を立て直した頃には、ロアルドロスはもう目の前に迫っていた。緊急回避を行う余裕も、盾でガードする余裕も無く、クレアは前転回避をすることで、突進の進路上から逸れる。
辛うじて直撃を免れたクレアであったが、頭から妙な液体を被ってしまう。
「か、身体が……」
ロアルドロスから距離を取ったクレアが違和感に気付く。
どうやら、ロアルドロスの水ブレスに何らかの物質が含まれていたようだ。海水に比べて粘性のあるそれは、まるで身体に纏わりつき、動きを制限されるかのような感覚に陥る。
加えて、妙な疲労も覚えてきた。このまま狩猟を続行するのは危険かもしれない。
「そうだ! 確か、あれがあったはず!」
何かに思い至ったクレアが弾かれたようにポーチの中を探る。そして、ポーチから取り出した一口大の木の実を手に取ると、躊躇することなくそれを口に運んだ。すると、今まで感じていた奇妙な感覚が嘘のように消えていった。
クレアが口にしたのはウチケシの実と呼ばれる物だ。果実には特殊な成分が含まれており、それがロアルドロスの水ブレスによる異常――水属性やられを、その名の通り打ち消したのだ。
ロアルドロスとの位置確認をすると、クレアは念のために応急薬も飲み干す。これならば狩猟続行に害は無い。
「よし!」
気を取り直し、クレアはロアルドロスに接近する。
クレアの様子がおかしかったことをヴァイスも把握していたのだろう。残ったルドロスを掃討した後、ロアルドロスの注意を自分に集中させ、クレアが体勢を立て直すのに十分な余裕を確保してくれていた。
その背後から接近したクレアが、先程のお返しだと言わんばかりにソルジャーダガーを振り抜いた。浅く斬り込むのではなく、今回はやや肉薄して斬撃を放ってみる。
それを理解したヴァイスもクレアとの息を合わせるように斬撃を繰り出す。特徴的な鬣に狙いを付け、その一点に飛竜刀【椿】を振り下ろす。
「ウオオオオォォォォォォォォォォッ!」
さしものロアルドロスも、挟み撃ちにされることに苛立ちを覚えたようだ。強引に二人を振り切ろうと再び突進を繰り出した。
それを回避すると、ロアルドロスとの間合いはあっという間に開いてしまった。
「地上での動きも、なかなか厄介だな……」
疲労知らずのロアルドロスを見てヴァイスが思わず呟く。水中での動きも俊敏で厄介であったが、やはり地上でも一筋縄ではいかない。
ヴァイスは間合いを詰め、飛竜刀【椿】を鞘から引き抜く。
その狙いは頭部。ロアルドロスの放った水ブレスを回避したヴァイスが正面から斬りつける。当のロアルドロスも、ヴァイスを蹴散らそうと攻撃を繰り出す。
だが、今回はヴァイスの方が優勢だ。繰り出されたボディプレスを回避し、頭部を再び正面に捉えたヴァイスが気刃斬りを繰り出す。
「キュアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!?」
この連撃には、ロアルドロスも耐えることはできなかった。その巨体は大きく揺らぎ、苦痛混じりの悲鳴を上げる。
事前に肉薄していたクレアも、この隙を逃さない。ロアルドロスの後方に回り込み、緩慢に揺れ動く尻尾目掛けてソルジャーダガーを振るう。
ようやく体勢を立て直したロアルドロスは、二人の間を掻い潜り、こちらに向き直った。そこには、怒りに目を染めたロアルドロスの姿があった。
「キュアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
怒りに任せ、大きく咆哮する。それに応じ、またしてもルドロスたちが姿を見せる。
「ちっ、またか……」
ルドロスたちを一瞥したヴァイスが舌打ちする。
先ほどと同じように閃光玉を使おうとポーチに手を入れかけた。だが、そうはさせまいとロアルドロスは突進を繰り出す。
「師匠!」
ヴァイスも間一髪のところで直撃は逃れる。だが、そこにルドロスたちが群がって来る。結託してヴァイスを仕留めるつもりらしい。
「くっ!?」
個々では大したことのないルドロスたちも、こういう状況では大きな脅威となった。ヴァイスはルドロスたちに包囲され、身動きが取れなくなってしまった。
むろん、ロアルドロスもそれを狙っていたのだろう。飢えた狼が、まるで眼前の獲物に飛びつくかのような勢いでヴァイスに迫って来る。
「そういうことなら、やってやる……!」
ヴァイスも包囲網の突破を諦め、すぐさま別の行動に移す。
飛竜刀【椿】を振り抜き、そのまま気刃斬りを繰り出す。それで全てのルドロスを、またロアルドロスをどうすることはできない。だが、続けざまに繰り出した気刃大回転斬りは、周囲のルドロスたちを薙ぎ払い、加えて接近してきたロアルドロスを捉え、頭部に生える角さえをもへし折ったのだ。
「ウオオォォォォォォアアアアアアァァァァァァァァァァァッ!?」
それはさすがにロアルドロスも予想外だったのだろう。苦痛と共に面食らったかのような咆哮を上げる。
「師匠! 大丈夫ですか!」
一旦後退したヴァイスの元にクレアが駆け寄る。
「ああ。多少の傷は負ったが、それ以外は大丈夫だ」
力尽くであったものの、それが功を奏したようだ。包囲網を形成していたルドロスたちも、ヴァイスの繰り出した気刃大回転斬りで全て吹き飛ばされた。
一方のロアルドロスもヴァイスを捉えることを諦め、再びエリア10へと姿を消していった。その様子を見る限りでは、着実に追い込んではいるだろう。
二人は砥石を当て武器の切れ味を回復し、ヴァイスは加えて応急薬も一本飲み干す。手短に体勢を整えた二人は、足早にロアルドロスの後を追い始めた。
だが、ヴァイスの足が急に止まる。何を思ったのか、ロアルドロスが姿を消した方向とは真逆の方向、エリア5へ続く道へ顔を向けていた。
「どうしたんですか?」
不審に思ったクレアも尋ねる。
その言葉に振り向いたヴァイスは再び歩を進めだした。
「いや、何でもない。行こう」
ヴァイスに促されクレアも再び歩き出す。
しかし、エリア10に向かうヴァイスは一種の危惧を密かに覚えていた。
そして、まるでそれに呼応するかのように、そこから離れた孤島の一角に、不気味な地響きが轟き始めた。