エリア6から拠点へ続く道が通る場所、エリア1と2には幸いなことに害を成すモンスターの姿が見当たらなかった。そのため、ヴァイスはクレアを背中に担ぎながらも早々に拠点へ戻ることができたのだ。
渓流に設置されている拠点にもベッドは存在する。ヴァイスは背中からクレアを下ろし、ベッドに寝かした。
「出血などは……、見当たらないな」
多少の傷が目立つものの、クレアの容体は命に別状はない。これなら、しばらくクレアを寝かせておけば回復するだろう。
「はぁ……」
安堵の溜め息を漏らしつつ、ヴァイスは飛竜刀【椿】を鞘から引き抜いた。曇りの無いその刀身をヴァイスが指先でなぞる。刃毀れしていないことを確認すると、ヴァイスは再び飛竜刀【椿】を鞘に納めた。
手持ち無沙汰となり、加えて若干の空腹を覚えたヴァイスは、支給された携帯食料を取り出し口に運んだ。食感や味はこんがり肉などとは違い何とも質素な物だ。だが、多少の空腹ならこの程度の質素さの方がちょうどよく思えるかもしれない。
携帯食料を食べ終えたヴァイスはクレアの様子を窺う。
まだ意識は無い。時機に目を覚ますだろうが、それまでヴァイスは時間を弄ぶ必要があった。
そんな中、ふと頭を過った光景を思い返す。それは、自分が初めてユクモ村を訪れ、そこでクレアに弟子にしてくれ、と言われた時のことだった。
今思えば、彼女と師弟関係になったことはかなり衝撃的なことだった。それは、ヴァイスの人生を変化させる大きな要因に違いない。にも関わらず、ごく自然に、そして当たり前のようにその出来事を受け入れている自分がいることに気が付いた。そんな自分に思わず苦笑いしてしまいそうになる。
――師匠と弟子。その師弟関係が意味するものについてヴァイスは考えさせられた。
「師匠、か……」
ヴァイスは過去の出来事を思い返す。
かつて、自分も同じような目で見ていた人がいた。その人は、自分にとって憧れであった。少しでも憧れの存在に追いつくことを目標に、日々鍛錬を続けた。そんな子供らしい日々が、自分にもあったのだ。
その頃に比べて、随分と遠くに来てしまった。それほど昔のことではないはずなのに、不思議とその頃が遠くに感じられる。
そう。その時の自分は、将来的に自分がこのように成長しているとは思いもしなかったのだ。
「し、しょう……」
突然聞こえた声にヴァイスがはっとなって振り向いた。そこには、未だに意識の無いクレアの姿があった。
夢でも見ているのだろうか。ヴァイスがそう思っていると、クレアの身体がゆっくりとベッドから持ち上がった。
「う……ん……?」
まだ意識がはっきりしていないのか、ぼんやりとした表情で辺りを見回す。
「ここは拠点……? あれ……? 私は確かアオアシラと……」
「気が付いたか?」
「し、師匠!?」
ヴァイスが声をかけるとクレアが弾かれたように声を上げた。そして再び辺りをキョロキョロと見回し、自分の身に何が起こっているのか理解した様子だ。クレアの表情が、今度は悄然としたものに変わっていく。
クレアが言いづらそうに言葉を絞り出した。
「私はあの時、一体どうなったんですか……?」
「奴に拘束されたことを覚えているか? あの後、クレアは意識を失ったんだ。俺はそのクレアを担いでここまで来た。あれから大した時間は経っていないぞ」
淡々とした口調で話したヴァイスは「理解できたか?」と付け加える。
別にヴァイスは、クレアに対し怒りや落胆などといった感情は全く抱いていない。ただクレアが現状を理解できるよう普通に話したつもりだった。だが、クレアはそう受け止めていなかったのか――、
「も、申し訳ございませんでした!」
と、深々と頭を下げて謝罪した。
この様子を目の当たりにしたヴァイスが思わず「はぁ……」と溜め息を吐いた。
「“一応”聞くが、どうして頭を下げてまで謝罪しているんだ?」
一応という単語を不自然に強調しながらヴァイスは尋ねてみる。するとクレアは――、
「師匠に迷惑をかけたからですっ!」
と、即答した。
このやり取りを行ったヴァイスは再び溜め息を吐く。これではまるで、自分がクレアを苛めているみたいではないかと忌むしたのもその理由の一つである。
ヴァイスは肩を竦め、未だに頭を上げようとしないクレアの肩を優しく叩いた。
「別に、俺はそんなこと気にしていない。だから謝るなんて真似は止してくれ」
「……師匠?」
思ってもいないヴァイスの発言に、クレアも驚きを隠せないような表情をこちらに向けた。
「私は師匠に迷惑をかけたんですよ? それなのに、どうして……」
表情とは裏腹に萎れた声がクレアの口から発せられた。それほどクレアは、ヴァイスに迷惑をかけたということを自覚し、そして悔やんでいるのだろう。
だが、当のヴァイスはクレアの謝罪などを望んでいるわけではないのだ。勘違いをしている彼女の頭を、ヴァイスは笠の上から優しく叩く。
「クレア、俺たちは仲間だ。それに、師弟という関係だ。人間なら失敗くらい誰だって起こす。勿論、俺もな。だからこそ、失敗した時はそいつをフォローするのが仲間の役目だ」
笠に隠れたクレアの表情は、今は窺うことはできない。だが、ヴァイスは続ける。
「失敗を悔やむならそれを次に生かせ。そして、俺を頼れ。お前一人くらい、俺はフォローして見せるさ。……それとも、お前にとって俺はそこまで頼りない師匠か?」
すっと、ヴァイスの手が離れる。
ヴァイスは表情を変えないままクレアの返答を待った。そして間髪を容れずクレアが僅かに微笑んだ。
「師匠は、意外といじわるな性格なんですね……。私が師匠を頼りないなんて思っているわけないじゃないですか。むしろ思いっきり頼りにしてます!」
「自分では俺が意地悪だという自覚が無くてな。次回からはなるべく気に留めておくことにするよ」
ヴァイスがあからさまに白を切って見せる。
その様子を見たクレアが再び笑みを浮かべる。
普段は冷静沈着で感情表現をあまりしない人だと思っていたヴァイスが、実際はこのような一面も持っているのだということを知れたことがクレアは嬉しく思えたのだ。
「さて、休憩もここまでだ。狩猟を再開するぞ」
「はいっ!」
クレアは力強く首肯する。
この様子なら大丈夫だろう。そう確信したヴァイスは何も口にすることなく拠点を後にした。すぐ後ろにクレアが続き、再びエリア1へ続く獣道を進んでいった。
「ここで最後だな」
エリア4に足を踏み入れたヴァイスが地図に目を落としながら言った。
エリア4。今まで訪れたエリアの中で最も広く、最も見通しの良い場所だと言える。他のエリアと異なった点を挙げるならば、それはエリアの中央部辺りに古い木造の建築物が存在していることだろう。
支柱の状況を一目見れば、この建物がだいぶ前に建てられた物だと推測できる。それほどこの建築物の支柱はボロボロに朽ち果てており、強い衝撃を与えればいとも簡単に崩れ落ちてしまうだろう。
ヴァイスは朽ち果てた建物に歩み寄り、自らの手でその建物に触れてみる。
「これはユクモの木だよな……」
クレアが身に着けているユクモノシリーズにも使われているユクモの木は上質で頑丈な作りをしているのだという。そのユクモの木がここまで朽ち果ててしまっているのだ。余程長い年月を隔てなければこのように朽ち果てたりはしないだろう。
「……ん?」
そんな中、ヴァイスは建物の上部へと目をやった。
屋根があったと思しき場所も、今に至ってはその面影も無い。しかし、その柱は、まるで何か強い衝撃を受けたかのようにへし折れていたのだ。他の場所も、所々であるがそのような跡が見られた。
「大型モンスターの攻撃で破壊されたか? ……いや、ならばこの建物ごと崩れるはずだ。だが、これは老朽化したというよりはむしろ……」
様々な推測がヴァイスの頭の中を駆け巡る。だが、クレアの声でヴァイスは現実で引き戻されることになる。
「師匠!」
クレアがエリア2の方向を指さしながら声を上げる。その行動を理解したヴァイスの表情が更に引き締まる。
「ああ、来たな」
ヴァイスも願ってもないと飛竜刀【椿】の柄を握りしめる。
この狩猟の真の目的、討伐対象であるアオアシラがこのエリアにやって来たのだ。
表情は引き締まっているものの、ヴァイスは依然として自然体でいる様子だ。過度に緊張しているわけでもなく、かと言って油断しているわけでもない。そんなヴァイスの気を感じ取ったクレアの身体に緊張が走る。
ヴァイスは失敗を恐れるな、と言った。だが、アオアシラに対し今の自分がどこまでやれるのか。それが不安であり、怖くもあった。
「っ……」
左手に握っているはずのユクモノ鉈の感触が、いつもより薄れているように思える。そして、その手が僅かに震えていることもようやく理解した。その途端、今まで感じていた不安や怖さが溢れるように押し寄せてきたのだ。
耐えられない。この緊張感に、この重圧に。そして、逃げ出したい。さまざまな負の思考がクレアの頭の中を支配する。
だが、クレアが苦しんでいることはヴァイスも見通していたのだろう。顔の向きは変えずヴァイスが口を開いた。
「……怖いか?」
「えっ……?」
あまりに唐突なヴァイスの言葉にクレアが素っ頓狂な声を上げてしまう。思わず彼の表情を窺ってしまったが、ヴァイスはそれを気にしなかった。
「今までの経験と自分を信じろ。俺がフォローする」
たったそれだけ。それだけを言い残してヴァイスはアオアシラに向かっていった。
だが、その言葉でクレアの緊張は嘘のように治まっていった。
そうだ。彼なら、師匠なら、必ずフォローしてくれる。絶大な信頼を寄せることができる。
自分らしくやればいい。今自分ができることを師匠に見て欲しい。そんな強い気持ちがクレアを突き動かした。
「……よしっ!」
頬を叩き、らしくなかった自分に喝を入れる。そして、アオアシラを見据える。
単身アオアシラに向かったヴァイスが飛竜刀【椿】を鞘から引き抜いた。迷いの無いその動きを目の当たりにしたクレアの士気が更に高まっていく。
ヴァイスが気を惹きつけているうちにクレアがアオアシラの背後に回り込んだ。そして、自らの迷いを振り払うように勢いよくユクモノ鉈を振り抜いた。
「てりゃあっ!」
臀部に向かって初回の一撃を放ち、そのまま立て続けにユクモノ鉈で斬りつける。
アオアシラがクレアの存在に気が付き、振り払おうとする。だが、今度は正面に回り込んだヴァイスがそれを許さなかった。大胆にもアオアシラの懐に飛び込み、飛竜刀【椿】から斬撃を放った。
「ガアアアアァァァァァァァッ!?」
ヴァイスの動きはアオアシラも予想していなかったのだろう。驚いたようにその身を震わせた。
クレアはこの好機を生かす。臀部の一点に狙いを付けユクモノ鉈で斬りつける。その度にアオアシラの鮮やかな体毛が空しく宙に舞い上がる。
「ゴワアアアァァァァァァァッ!」
アオアシラも黙っている訳でもなく、その蹄でヴァイスたちを捉えようとする。しかし、その一撃が彼らに命中することはなく、一方的に攻撃を仕掛けれれている状況を打破するまでに至らなかった。
そのアオアシラにクレアが追い打ちを掛ける。
「はあぁっ!」
既に相当なダメージが蓄積していたためであろう。アオアシラはクレアの一撃でバランスを崩し、そのまま前のめりに倒れ込んだのだ。
突然目の当たりにした状況にクレアの動きが一瞬止まる。だが、自分がアオアシラに打ち勝ったのだということ、そして狩猟がまだ続いていることをすぐさま理解し、クレアは気持ちを瞬時に整理し直しアオアシラに最接近した。
倒れ込んだアオアシラの元には既にヴァイスが斬り込んでいた。クレアも反対側から接近し、一気に畳みかける。
「うぐっ!?」
アオアシラが立ち上がる際に動かした脚にクレアが蹴り飛ばされる。と言っても、それは狙いすました攻撃ではなかったため大きな痛手にはならなかった。
「痛ぁ……」
派手に尻餅をついてしまい、軽い痛みが身体を走る。
斬撃を中断したヴァイスもクレアの元へと駆け寄った。
「大丈夫か?」
「はい、身体は全然大丈夫です」
ヴァイスの手を借りながらクレアは立ち上がる。
「奴の動きにもそろそろ慣れてきたか?」
ヴァイスは再びアオアシラの様子を確認し、クレアに尋ねた。クレアはその問いに若干迷いつつも返答する。
「えっと……、大体慣れてきたと思います」
「そうか。それならいいんだ」
ヴァイスはほんの少しだけ表情を緩めそう言った。
だが、それは一瞬のことでヴァイスの表情は再び真剣なものへと移り変わる。その視線の先には無論、アオアシラを見据えている。
「行くぞ」
ヴァイスの言葉にクレアが無言で頷き、再びアオアシラに接近を試みる。しかし、二人の目の前でアオアシラは突進を開始し、先ほどよりも距離が開いてしまう結果となった。
クレアがいち早く反応しアオアシラを追う。背後から接近し間合いに入ると、躊躇うことなくユクモノ鉈を振りかぶる。一撃一撃を着実に命中させることを意識しつつも、アオアシラの様子を窺うことも怠ってはいない。
「狙われているぞ、気を付けろ」
「分かっています!」
クレアとは逆方向に回り込んでいたヴァイスから忠告が飛ぶ。無論、クレアもアオアシラの異変には気付いていた。クレアはユクモノ鉈を振るう手を休め、代わりにガード体勢に入る。そしてすぐさま、アオアシラがクレアを引き裂こうと両爪を振り下ろした。だが、その一撃は辛うじてガードに成功する。
クレアはガードを解こうかと一瞬考えた。だが、身体がその思考を否定する。アオアシラは振り下ろした爪をもう一度振りかぶり、今度はクレアを薙ぐように引っ掻いたのだ。突発的な動きでガードはし続けたものの、クレアのスタミナが徐々に消耗していく。
「くっ、しつこい……っ!」
このままではクレアの体力が尽きるのは時間の問題になる。だが、ヴァイスはその様子を黙って見ているわけではなかった。瞬時にアオアシラの背後に回り込み上段から飛竜刀【椿】を振り下ろす。
「ガアアアァァァァァァァァァァァッ!?」
斬撃が走ったと共にアオアシラが悲痛の叫びを上げる。クレアはこの隙に後退しスタミナの回復を待った。
しかし、アオアシラはこれ以上二人に追撃してくることなく、逃げるようにエリア4から姿を消していった。
「大丈夫か?」
再度訪れた静寂の中、ヴァイスがクレアに問いかける。
クレアは息切れしつつもヴァイスの問いに答えて見せる。
「大丈夫です。私はまだまだ行けます!」
「そうか」
ヴァイスはそれ以上のことは口にしなかった。本人が大丈夫だと言っているため、それ以上の口出しは無用だと判断したのだろう。
ヴァイスは飛竜刀【椿】を鞘に納める前に砥石を使用し切れ味を回復させる。それに倣ってクレアもユクモノ鉈に砥石を当てた。そして応急薬を一本飲み干し一息入れる。
「あと少しだ。気を緩めるなよ」
「はい!」
ヴァイスの言葉にクレアは力強く首肯する。
二人は体勢を整えた後アオアシラの去っていった道を進んで行った。
この時、クレアは確かに確信していた。このまま、この流れを維持できればアオアシラに勝てる、と。