ドス、ドスと地響きを立てつつ、それは近づいてきていた。既にヴァイスは飛竜刀【椿】の柄を握り身構えている。そして、二人の前にそれは姿を現した。
四足歩行をするモンスターだ。その身体は鮮やかな青色の体毛で覆われている。しかし、前脚は物を掴めるように発達しており、その腕は体毛ではなく甲殻に守られていた。一目見ただけでその部位が他に比べて強固だということが理解出来る。ヴァイスの飛竜刀【椿】ならともかく、クレアのユクモノ鉈の刃は弾かれるかもしれない。
「奴が、アオアシラ……」
警戒を緩めずヴァイスが呟く。
アオアシラはこちらの姿が視界に入ったのだろう。散り落ちる紅葉を踏み行き、それは後脚で身体を持ち上げ二人の前に立ち塞がる。
「大きい……っ」
呆気に取られたようにクレアが声を漏らした。
しかし、アオアシラはそんなことを気に留めようともしない。目の前に現れた人間を鋭い相貌で睨み付けてみせた。
「グオォォォォォォォォォォッ!」
自らの存在を誇示するかのように、己の両腕を広げ咆哮して見せる。
強い。アオアシラというモンスターの強さがひしひしと伝わってくる。クレアの身体の震えは、単なるアオアシラへの恐怖だけではなかった。
「来るぞ。事前の取り決め通りに動いてくれ」
ヴァイスの声色も緊張の色を帯びていた。それは、先ほどよりも更に張りつめた声に聞こえた。
場の重圧感に押しつぶされぬようクレアも頷く。そして、それを合図にするかのようにヴァイスが一気に動いた。飛竜刀【椿】は鞘に納めたままヴァイスは走る。その動きに一歩遅れてクレアも散開した。
アオアシラは先に動いたヴァイスを追おうとする。しかし、その動きにアオアシラは付いていけなかった。ヴァイスは一瞬のうちにアオアシラの背後に回り込むことに成功したのだ。
ヴァイスは飛竜刀【椿】を握る力を更に強めた。そして、何の躊躇いもなく、鞘から飛竜刀【椿】を抜き放った。
曇りの無い銀色の刃が空中に弧を描く。陽光を反射し一瞬その刃が輝いたかと思うと、鋭い一撃がアオアシラの臀部に走った。
「ガアアアアアァァァァァァァァッ!?」
斬撃と共に弾けた炎がアオアシラの体毛を焼く。予想だにしない一撃を喰らったアオアシラが驚いたように悲鳴を上げる。
だが、アオアシラの見せた油断もほんの一瞬だった。再び四足歩行の体勢に戻ると、アオアシラはその四肢を駆使しヴァイスに襲い掛かった。
しかし、ヴァイスもその動きは予想の範疇だった。例えアオアシラの狩猟経験が無くとも、ヴァイスには多くのモンスターの狩猟から培った経験がある。それを生かしヴァイスはアオアシラの攻撃をある程度予想していたのだ。余裕を持って立ち回っているヴァイスはアオアシラの突進を楽々と回避することに成功する。
アオアシラがヴァイスを狙っている隙を突き、クレアが一気に接近した。腰からユクモノ鉈を引き抜き一閃させる。だが、狙いが甘かった。臀部を狙ったはずの攻撃はアオアシラが身を翻したために前脚に命中してしまう。ジャンプしての一撃はアオアシラの甲殻の前に鈍い音を立てて弾かれてしまった。
「やっぱり硬い!」
ユクモノ鉈を握る手は痺れ、身体ごと易々と弾き飛ばされた。一瞬の出来事にクレアの判断が遅れる。
「立ち止るな。常に動き続けろ!」
そんな時、一時後退していたヴァイスが声を上げた。
クレアは弾かれたようにアオアシラから距離を取る。頭でヴァイスの言葉を理解したというよりは、身体が反射的に反応したような感じだった。だが、その行動は功を奏しアオアシラの攻撃を回避することに成功した。
アオアシラとの位置関係を確認し、クレアは自身の左手の感触を確かめる。
あの一撃が弾かれたその瞬間、電撃のような痺れが走った。だが、それはむしろ痛いという感覚ではなく悔しいという感情を抱かせた。狩猟を始める最初の一手、その一撃がこうもあっさりと通じなかったのだ。出端を折られたクレアに焦りが募り始めていた。
「……ううん。まだ、狩猟は始まったばかり。最初の一撃が決まらなかったからって落ち込んでいられない!」
そう。まだ、狩猟は始まったばかりだ。例え自分のペースを乱されたとしてもここから徐々に巻き返していけば問題はない。
クレアは自らを鼓舞しアオアシラに向かって走り始めた。
アオアシラは厄介な存在だとでも感じたのだろうか、先ほどからヴァイスを追い回し続けている。そのためクレアに背を向けているアオアシラには隙が生じている。その好機を生かし、クレアが再びユクモノ鉈を振り抜き臀部にその軌跡を描かせた。
以前とは違う、確かな感触。クレアは立て続けにユクモノ鉈を振るった。その全ての斬撃がクレアの想像した通りの軌跡を描き、アオアシラの体毛を引き裂いた。
ヴァイスばかりに気を取られていたアオアシラが一瞬驚いたように動きを止める。そして、一旦ヴァイスからは目を逸らし睥睨しながらクレアの方へ身体を向けた。
「っ……!?」
アオアシラから感じる威圧感がこの時には更に強烈なものに思われた。そのあまりの強大さを打ち付けられたクレアは身体を動かすことをも忘れてしまった。ヴァイスの声で我に返った時、アオアシラは後脚で立ち上がり両腕を大きく広げているのが視界に入った。
この時、ヴァイスは何かを言っていた。だが、それはクレアの耳にまで届かなかった。否、聞き取ることができなかったのだ。そして次の瞬間、アオアシラが両腕を振り下ろした。
「きゃっ!?」
今までに感じたことがないような鈍い痛みが身体に走る。自分の身体が宙を舞っていることに気が付いた直後、背中から地面に叩きつけられ、身体が更なる悲鳴を上げる。
「チッ……!」
荒い舌打ちをしつつ、ヴァイスは飛竜刀【椿】の柄に手を掛けた。一瞬ポーチに手を入れかけたヴァイスであったが、クレアが立ち上がったのを見てアオアシラの注意を逸らすための行動に切り替えたのだ。
飛竜刀【椿】を真横に薙ぐように振り抜き、そのまま基本の型へと繋げ斬撃を繰り出す。それはユクモノ鉈の刃を弾き返した前脚に命中し、飛竜刀【椿】の刃はその甲殻を易々と貫いた。
「ゴアアアアァァァァァァァァッ!?」
さしものアオアシラも、その斬撃の威力の前に大きく怯んでしまう。ヴァイスはその隙にアオアシラから離れ、クレアの元へと駆けつけた。
「大丈夫か?」
ヴァイスが飛竜刀【椿】を鞘に納めながら訪ねてくる。
クレアは支給された応急薬を一本飲み干し、ヴァイスに返答する。
「何とか大丈夫です。すいません、注意不足で……」
「あまり気に病むな。今まで大型モンスターと対峙したことがないんだろう? だったら、そんなことを悔やむより、このことを教訓として生かすんだ」
申し訳なさそうな表情を浮かべているクレアにヴァイスが言った。そうして、ヴァイスは再びアオアシラの方へ目をやった。
「本当に辛いのはここからだ。行くぞ」
そう言い残し、ヴァイスはアオアシラに向かって走りだした。
クレアはその後ろ姿を見つめ、大きく深呼吸する。
ヴァイスの言うとおり、失敗を悔やんでいても仕方がない。身を以て体験したことを次に生かしていくことが重要なこともクレアは十分に理解している。それをもう一度確認する面目でリラックスしてみたのだ。
「よし!」
恐怖に背を向け、立ち止っているわけにはいかない。ヴァイスの後を追いクレアも走りだした。
既にヴァイスがアオアシラを惹き付けてくれている。その隙を突き、クレアはアオアシラの背後から接近した。
ユクモノ鉈を腰から引き抜き、アオアシラの臀部目掛け斬りつける。狩猟前にヴァイスに言われたとおり、一撃離脱を心掛けつつもユクモノ鉈を振るった。やはり、手数で稼ぐ片手剣では、この立ち回りでは働きが落ちてしまう。だが、それと引き換えに余裕を持って動くことができる。すると立ち回りにも余裕が生まれ、アオアシラの動きにより注目することができた。
そのおかげで初見の動きにも対応できたのだ。
アオアシラは前方にいるヴァイスばかりに気を取られていると思っていたがそうではなかったようだ。後方にクレアがいることを認識すると、立ち上がった体勢から後方に体重をかけそのまま倒れ込んだ。ヴァイスも忠告を飛ばしたが、それ以前にクレアは盾を構えアオアシラの攻撃から身を守ることに成功したのだ。
「何とか、ガードした、けどっ……」
だが、やはりその威力は想像を遥かに超えるものであった。片手剣の盾は大型モンスターの攻撃を完全に殺し切るには小さすぎるのだ。クレアは踏ん張ろうとするものの、その小さな身体はいとも簡単に押し流されてしまう。
アオアシラは続けてクレアを狙う。両腕をクロスさせるように前方を引っ掻く。クレアはその攻撃も右手に装着した盾で受け止める。だが、ガードに一転したクレアのスタミナは底を付きかけていた。次の一撃を受け止める程の余裕が無くなっていたのだ。
「くっ……」
ガードの体勢を解いても瞬時に後退することができない。しかし、アオアシラの攻撃に備え再び盾を構えようとしたクレアの目の前で、アオアシラの背後に回り込んでいたヴァイスが斬撃を放った。そのおかげでアオアシラの注意がクレアから逸れ、その隙にクレアは後退した。
クレアと入れ替わったヴァイスは落ち着き払って斬撃を繰り出す。決して深入りはせず、だが斬撃を外すことなく器用に立ち回りをしてみせる。
その動きに焦れたアオアシラはいきなりヴァイス目掛けて飛び掛かった。だが、ヴァイスも冷静である。咄嗟に回避行動を取り、アオアシラの攻撃を難なく避ける。
「まだ余裕があるか……?」
アオアシラの攻撃を回避したヴァイスがそう思案する。
ヴァイスとて、別に慢心しているわけではない。ただ、現段階でアオアシラと自分の立ち回りの間にどれだけの余裕があるかを見極め、それに応じて自身の立ち回りも変えていこうとしているのだ。守るばかりでなく、時には攻めに一転するのもまた狩猟には必要なことなのだ。
体勢を立て直し、ヴァイスは改めて周囲の位置関係を確認する。アオアシラは前方、ちょうどヴァイスに背を向けている。そこに左斜め後ろからクレアが接近している。ヴァイスはそれを目にするとアオアシラの側面に回り込むために走りだした。
クレアがユクモノ鉈から斬撃を放つ。ヴァイスの予想通り、アオアシラはクレアに向き直った。アオアシラの注意を少しでも逸らすためにヴァイスは位置関係を確認した後に動き出したのだ。
クレアもアオアシラが自分を正面に捉えたことは理解していた。すぐさま立ち位置を変え、アオアシラの死角に潜り込む。そして、再びユクモノ鉈を振るい始めた。だが、手に伝わってくるその感触が先ほどまでとは違う。ユクモノ鉈の切れ味が低下し始めたのだ。
「こんな時に……」
クレアは斬撃が弾かれることを恐れ一旦後退する。そして、十分距離を取り安全圏に到達するとポーチに手をつっこみ、携帯砥石を取り出そうとした。
アオアシラから注意を逸らしたのはほんの一瞬のことだった。だが、その一瞬でアオアシラはクレアの予想以上の動きをしていたのだ。
「そっちに行ったぞ!」
クレアが砥石を使用しようとしていることにすぐさま気づいたヴァイスが警戒を促す。クレアもハッとなって意識をアオアシラに戻したのも束の間、鋭い痛みが身体を走った。
攻撃を受けたのだということは分かった。また、すぐに後退し体勢を立て直さなければということも。だが、クレアの意志に反し身体が言うことを利かない。身体が石化したように、全く動くことができなかった。
「ガアアアアアアァァァァァァァァッ!」
「っ!?」
咆哮したアオアシラがクレアに飛び掛かり、その身体を両腕で拘束し宙へと持ち上げた。アオアシラの腕力にはクレアも抵抗する術がなく、成すがままに身体を締め付けられる。
「くぅぅっ……、うぁ……っ!」
痛みというよりも苦しさという感覚に身体が支配される。身体を強く圧迫され、徐々に頭の中も真っ白に染まっていく。
「クレア!」
ヴァイスは走りだす。
アオアシラは相変わらずヴァイスに背を向けている。そのため、閃光玉を投擲しアオアシラの視界を潰すにはかなりの距離を走らなければならない。飛竜刀【椿】で斬撃を放とうにも、それでアオアシラが怯まなければクレアを解放することはしないだろう。
考え得る最悪の状況。だが、ヴァイスの思考の中では、この状況を打破する秘策が既に浮かんでいたのだ。
アオアシラに接近し、その背中目掛けてヴァイスはある物を投擲する。閃光玉大のそれは、空中で破裂すると甲高い音を撒き散らした。金属音のようなその異音は、人間であるヴァイスも耳を塞ぎたくなるほどのものだった。だが、アオアシラはヴァイス以上にその音を嫌い、拘束していたクレアを投げ飛ばした。
これは音爆弾という物だ。その名の通り、破裂すると今のような音を発生させる。特に耳が発達しているモンスターには相当な衝撃になり、アオアシラのように一時的に行動不能になってしまうモンスターもいる。
アオアシラが怯んでいる隙に駄目押しでこやし玉をぶつけ、アオアシラをこのエリアから遠ざけることに成功した。
「クレア、大丈夫か!?」
「うぅっ……」
肩を叩いてクレアに声を掛けてみる。はっきりとした返答はなかったものの、幸い意識を失っているだけの様子である。
おそらくクレアは大きなダメージを負っただろう。ヴァイスはクレアを拠点で休ませるべく、背中にクレアを担いだ。防具を着込んでいるとはいえ、クレア一人くらいを運ぶことなどヴァイスには容易いことだった。
そうして拠点に戻ろうと身を翻した時、ヴァイスは川の中にある光る物体を発見した。
「これは……」
水中からそれを拾いまじまじと見つめてみる。
それは幻獣のナミダという結晶化した宝石だった。モンスターを怯ませた際、このように結晶化した涙を落とすモンスターがいるのだ。
それをポーチにしまい込み、ヴァイスは背中越しにクレアの様子を確認する。相当な衝撃を身体が受けたのだろう、そのクレア表情は如何にも苦しげに見えた。
想定外の事態ではあるものの、ヴァイスは別に大したことではないと考えていた。
「……初めてにしては上出来だな」
クレアにしてみれば、最初の実践でアオアシラを討伐するというのは酷なものだろう。それを視野に入れれば、彼女はヴァイスの想像以上の動きをしていたのだ。
ヴァイスは未だに意識が無いクレアに語り掛けるように言うと、拠点へ続く道を歩き始めた。