辺りは高い山々に囲まれ、人の気配は全く無い。上空へと目をやれば、普段より済んだ青空が顔を覗かせている。そこに漂う雲も、まるで手の届く距離にあるように思えてしまう。
しかし、その下――地上の方へと目をやれば山間を縫うように深い谷が長くに渡って続いている。
渓流。ユクモ村から最も近距離に位置している狩場である。比較的温暖かつ湿潤な気候のためキノコの群生地をよく見かける。狩場に指定されている場所も広く、狩場内に流れている川を下っていけば海へと繋がる。温暖な気候故、生息している小型モンスターの多くも他の狩場で目撃されているものが多い。
なお、特殊な大型モンスターの目撃情報は無い。
渓流についての簡単な資料を改めて一目したヴァイスは、それを備え付けの道具箱の中へとしまう。
渓流の
「さて、準備はいいか?」
ヴァイスがクレアに確認を取る。
既に支給品はそれぞれに分けてある。ヴァイスは応急薬が三つ、携帯食料が二つ、地図といった支給品をポーチに詰めた。
一方、クレアには残る全ての支給品を渡した。応急薬は九つ、携帯食料は六つ、携帯砥石が四つ、地図といった物である。
それは、狩猟経験が浅いクレアが充分に動き回れるようにというヴァイスなりの配慮である。それこそ最初はクレアは躊躇いを見せた。しかし、ヴァイスが説得し結局クレアが折れる形となった。
確認を一通り終えたクレアが頷く。
「はい、大丈夫です!」
その反応にヴァイスは顔に苦笑いを浮かべつつ「そうか」と返した。
村を発つ以前から、クレアという人物ははつらつとした明るい性格の持ち主だとヴァイスは思っていた。それはあの時と変わっていないだろう。だが、狩場に入れば少しは緊張するだろうとも思っていた。だが、こうも明るく振る舞われるとヴァイスも無駄な心配を抱いてしまうのだ。
「元気なことは結構だが、あまり力みすぎるなよ」
少しおどけたような感じでヴァイスが言った。クレアもヴァイスに対し「大丈夫ですよ!」と変わらぬ調子で返してきた。
今回のアオアシラの狩猟に対しヴァイスが持ち込んだ太刀は飛竜刀【椿】である。事前の調べによりアオアシラの弱点が火属性だということは分かっていた。気に掛けるべき点があるならば、アオアシラに対し火属性がどこまで有効なのかということだ。
「クレアは渓流に対する知識をどれだけ持っているんだ?」
ヴァイスの問いにクレアが難しげな顔をして答える。
「うーん、どれくらいと言われましても、渓流の隅々まで知っているわけではないです。でも、訓練では渓流にはよく訪れているので、どこに何があるかということは理解しています」
「そうか」
そうして、ヴァイスは渓流の地図に視線を落とす。
渓流に指定されているエリア数は九つ。ヴァイスも事前に情報を得ているとはいえ、やはり自分の目で見なくては意味が無い。時間は掛かるが、渓流のエリア一つずつを回るのが理想だろう。
「俺としては、この渓流のことをよく知りたい。だから、まずはエリアを一つずつ簡単に見て回る。仮にその最中にアオアシラに遭遇した場合はアオアシラとの狩猟に持ち込む。それでいいか?」
「はい、大丈夫です」
「肝心のアオアシラだが、俺も資料上の知識しか持ち合わせていない。クレアは最初のうちは一撃離脱を心掛けてくれ。余裕を持って立ち回ってほしい」
「分かりました。それを心掛けます」
ヴァイスの具体的な方針にクレアも同意を示した。
「詳しいことは今後の状況を見てから話すことにする」
ヴァイスは飛竜刀【椿】の刀身に刃こぼれが無いことを確認すると、それを鞘に納め肩に担いだ。
地図をポーチに収め、最終確認を行う。
現在は身軽な格好だ。また狩猟が進めば罠などを使用することになるだろう。必要な道具類はポーチに詰められている。
クレアの方も確認を終えたようだ。いつでも準備万端という表情をしている。
「よし、行くぞ」
ヴァイスは、ギルドガードロポス蒼を目深まで被り拠点から続く道を歩き出した。一歩後にクレアが続き、二人は山道を下りて行った。
目の前には急な獣道が続いている。足元を掬われないよう気を付けて獣道を辿っていくと、やがて川の流れる音が聞こえてきた。
ヴァイスは地図で確認し、ここがエリア1であることを認識する。
エリア1は大して広いエリアではない。大型モンスターがこのエリアに侵入してくることはなさそうだ。今もガーグァが地面を流れる川で魚を漁っているだけだ。
ヴァイスはここで採取できる物を確認した。キノコ類や薬草などといった見慣れた物を入手した。それらをポーチに納め、ヴァイスは再び地図を広げた。
「この後はどうしますか?」
「エリア2だな」
クレアの問いに答えつつヴァイスは地図をしまい込む。そして、向かって左側から続いている道を進み、エリア2へと向かう。
エリア2は岩肌が剥き出した場所だ。エリア1に比べ標高もだいぶ高くなっており、右手からは渓流を望むことができる。人間がここから下っていくことは到底不可能だ。だが、強靭な脚力を備えたモンスターならばそれは可能な話だろう。
エリア2には採掘ポイントも存在していた。周囲に害をなすモンスターがいないことを確認したヴァイスは、マカライト鉱石で作られたピッケルグレートを振るった。鉄鉱石、大地の結晶などといったお馴染みの鉱物が採取できた中、一つだけ見慣れない鉱物が転がり出てきた。
慎重にその鉱物を確認したヴァイスがクレアに尋ねた。
「これが花香石だな」
クレアにもその鉱物を手渡してみる。クレアは迷いなく首肯した。
「はい、そうです」
花香石。その名の通り、表面を擦ると花のような香りを発することからその名前がつけられている。
ヴァイスが入手したのはその中でも一回り小さい物、花香石のかけらという鉱物だ。これを納品ボックスに納めればゼニーに精算される。比較的容易に入手できるため、金銭面で苦労させられる初心者ハンターなどにとっては狙うべきアイテムの一つだろう。
「よし、先に進もう」
エリア内を探索し終わったヴァイスが促し、再び歩を進めた。
次にやってきたのはエリア6。渓流の中でも標高の低い場所に位置しているためか、上流から流れてきた川が滝のように流れ込み、それこそ川のように流れを成していた。
左手には、その滝のようなものが水しぶきを上げて流れ落ちてきている。地図によれば、その滝を潜った先にエリア8があるようだ。
「クオォ、クオォ、クオォォォン!」
その中、ジャギィとジャギィノスと呼ばれる小型モンスターがヴァイスたちを威嚇してきた。その数五匹。紫の皮と鱗に覆われ赤い線が一文字に走った色をしており、集団で獲物を狩る習性がある。ジャギィはオスだがメスのジャギィノスに比べ一回り小さい体つきをしている。
「どうしますか?」
クレアがヴァイスに判断を委ねてくる。
ジャギィたちは非常に縄張り意識の高いモンスターだ。放っておけば、仲間たちをその独特な鳴き声で呼び集めヴァイスたちを包囲してくるだろう。このままエリアに留まるならば、奴らはかなり厄介な存在となる。
討伐経験の無いヴァイスでもそれは十二分に理解している。この場合どうすればいいのか、クレアにどういった指示を出すか、その答えは既に導き出されていた。
「あいつらは厄介だな。討伐するぞ」
飛竜刀【椿】を鞘から抜き放ちながらヴァイスは言った。戦闘態勢に入ったヴァイスの様子を見てジャギィたちの牙が唸りを上げた。
「俺は左の群れを狙う」
「では、私は右ですね!」
短く言葉を交わした二人が同時に動き出した。
ヴァイスの狙う群れにはジャギィノスが二匹、ジャギィが一匹だ。
そのうちの一匹、ジャギィが持ち前の跳躍力を生かしヴァイスの首筋目掛けて飛び掛ってくる。だが、ジャギィの牙がヴァイスを捕らえる前に飛竜刀【椿】が一閃した。その身は飛竜刀【椿】の斬撃と共に放たれる炎に焼かれ呆気なく絶命した。続いてやって来たジャギィノスもヴァイスの太刀捌きに簡単に蹴散らされた。
仲間の敵を討とうと思ったのか、残されたジャギィノスがヴァイスの左側から体当たりの体勢に入った。だが、ヴァイスもその動きは見透かしていた。ジャギィノスが動き出すと同時にヴァイスは飛竜刀【椿】を振り上げた。その場で立ち止まって斬るのではなく右側に移動しつつ、がら空きの左側の空間をなぎ払った。空振りに終わるかと思われたその斬撃は、体当たりが不発に終わり、一時的に行動不能となったジャギィノスを斬り裂いた。
「私も!」
凄い。やはり凄い。
小型モンスターと相手取るとはいえ、あの立ち回りを至近距離で見せつけられると鳥肌が立ってくる。ただ上手いだけではない。その太刀捌きから優美さをも覚えさせるかのような動き。それは、ヴァイスが今までの経験で積み重ねられてきたこその賜物なのだろう。
ならば、自分も負けられない。クレアも負けじと気を引き締めジャギィたちを見据えた。
ユクモノ鉈を腰から抜き放ち、ジャンプしつつ斬りつける。斬り上げ、斬り下ろし、真横に斬る。更にそこから剣と盾とを駆使し群がるジャギィたちを吹き飛ばした。クレアが一息ついている頃には、既にヴァイスは剥ぎ取りを終えている様子だった。
「こっちの方からも剥ぎ取っておけよ」
平然とした面持ちでヴァイスが言った。
モンスターとはいえ、彼らもこの世に生を受けた生物だ。ヴァイスはこのモンスターを斬るとき、何の躊躇いも見せなかった。それはヴァイスが冷徹な人間だからではなく、長い狩猟生活に身を置いた結果なのだと思う。
クレアはまだモンスターという一つの命と対峙することに若干の躊躇いを抱いていた。いや“恐怖を抱いている”と言った方が正しいだろうか。
あれからクレアは自分の過去の恐怖からなかなか立ち直れずにいた。だが、折れそうな自分を支えてくれる存在があった。目標があった。完璧とまでは言えないが、こうしてモンスターと対峙することにも過大な恐怖を抱くことはなくなった。だが、恐怖を抱いていることに変わりはないのだ。こうしてモンスターを討伐する度、改めて思う。
ヴァイスは“恐怖”という感情を感じていないのだろうか。彼が感情を表に出すような性格ではないことは分かっている。だからこそ、クレアは知ってみたかった。彼はモンスターと対峙し、命のやり取りをする時、何を思っているのかということを。
「このエリアも魚が釣れる以外は特に変わった場所はないな」
エリアを探索し終えたヴァイスがクレアの元へとやって来る。
「さあ、行くぞ」
ヴァイスは北に向かって歩みを始めた。その背中をクレアが追う。
狩場だとはいえ、今は害を及ぼすモンスターは近辺にいない。クレアは、意を決して自らの疑問を口にしようとした。
「師匠」
クレアがヴァイスを呼ぶ。すると、ヴァイスはぴたりと立ち止った。疑問を口にしようと思った時、クレアはヴァイスの様子がおかしいことに気が付いた。
「……師匠?」
小首をかしげるクレアの前でヴァイスは振り返って「しっ」と口の前に人差し指を一本立てた。
ヴァイスの行動を不思議に思っていると、クレアもその異変を感じ取った。
ドス、ドスと何か重量のあるものが近くで動いている。次第にその音は大きさを増していく。音はヴァイスたちの正面、エリア7の方向から聞こえてきていた。
既にヴァイスは飛竜刀【椿】の柄を握り、すぐさま行動ができるよう身構えていた。
ゆっくり、ゆっくりと。それは、二人の前に立ち塞がるのだった。