これは、かーなーり、強い。
現場となった町に着いたのは、日が落ちかけた頃であった。思ったより遅くなってしまいましたわ、と依頼主である彼女は呟き、まあいいでしょうと連れて来た面々を見渡す。
その顔には、胡散臭いアルカイックスマイルが彫られた仮面が。
「姫さま」
「どうしたのルイズ?」
「怪しいんで、取ってください」
「あら、でもそうするとわたくしの顔が見られてしまって目立つことに」
「仮面被った人の方がよっぽど目立つんですけど」
ジロリ、とルイズはアンリエッタを見る。が、その仮面の裏でクスクスと笑った彼女は、そうかしらと言葉を返した。
身分と顔を隠す貴族と自国の王妃、町の調査を行う際目立つのは果たしてどちらか。
「……ぐ」
「と、いうわけで。今からわたくしのことは『アン』とお呼びなさいな」
「……分かりました、アン」
「他の方も、それでよろしいですわね?」
「はぁい、アン」
「了解、アン」
「軽いな二人共」
だってこういう偽名は慣れっこだし。そう言ってキュルケとタバサは笑う。成程確かに、ルイズとキュルケには『フランソワーズ』と『フレデリカ』という割とバレバレな冒険者用の偽名を持っているし、タバサは基本がお忍び用の仮の名だ。
ううむ、と一人だけ常に本名の才人は少し悩む。この際だから、自分も何か考えておこうかな。そんなことを思いながら、顎に手を当て天を仰いだ。
「ぼさっとしてないで行くわよサイト」
「置いてくわよぉ、サイト」
「行きましょう、サイト殿」
「早く、サイト」
「だー! もう! 連呼すんな!」
もういい、と盛大に溜息を吐きながら、才人は女性陣の後につく。とりあえず、と適当な宿屋に部屋を取り、調査自体は翌日の朝からということになった。
それでも出来るだけ早い方がいい、というアンリエッタの言葉に従い、一行は早朝に目を覚まし宿を出る。被害者の屋敷に向かうのは流石に時間的に非常識なので、まず現場へと足を向けた。
既に骨と遺留品は片付けられている。とはいえ、まだ骨自体は埋葬されておらず、アンリエッタの派遣した騎士達が保管をしていた。再度持ってきてもらったそれらと、ある程度保存されている現場とを見ながら、アンリエッタは暫し思考の海をたゆたう。
「……思い出したら腹立ってきた」
「サイトも?」
「……どうしたのよ二人共」
現場の焦げ跡。話を聞き、それを見て。確信を持った二人はあの大男の顔を思い浮かべ顔を顰めた。あの時はまんまと逃げられたが、今度こそ。そんなことを考え、二人揃って拳を握る。
ルイズ達のその決意を尻目に。同じように骨を眺めていたタバサは、ふとあることに気付き眉を顰めた。横を見ると、どうやら同じ結論に達したらしいアンリエッタが何かを考えるような表情で顎に手を当てている。
「……アン」
「はい、どうされましたミス・タバサ」
「この骨は、焼かれたから骨になったわけじゃない」
「……ええ、そうですわね。いえ、一応焼かれた形跡はありますが」
骨になった直接的な原因は別だ。そして、その原因も大体分かった。分かったからこそ、タバサは顔を顰めたのだ。
食われている。この骨は、肉を食い荒らされた結果こうなったのだ。
「人喰い……」
「ご丁寧に焼いて、調理してから食したのね。……亜人や獣とは、少し違う存在、でしょうか」
まるで豚や鳥のような。そんな扱いを、人に対して行った。その事実は人である彼女達にとっては不快で、そして不気味に映る。慣れているというほどではないが、そういう場面に出会ったこともあるルイズやキュルケ、タバサですらそうなのだ。才人は言わずもがなである。
「成程。つまりこれは、口封じ、撒き餌、そして食料調達という三つの理由があったのですね」
合点がいったとアンリエッタは頷く。その顔に浮かんでいるのは微笑。他の面々の表情とはまるで違うそれを見て、やはりというべきかルイズ達は呆れたように肩を竦めた。
もう少し動揺したらどうですか。そんなルイズの言葉に、あら失礼ね、とアンリエッタは笑顔で返した。
「わたくしもこれに不快感を示していないわけではなくてよ。でも、手段として妥当なのだと判断したのならば受け入れる。ただそれだけの話ですわ」
「それだけ、って」
「わたくしの師匠(せんせい)は、若かりし頃の母上を始末するために街を丸々一つと騎士一人を屍兵に変えたわ。それに比べれば、まだ可愛いものでしょう?」
スケールが違い過ぎる。そう言いたかったが、言ったところで何か変わるわけでもなし。生返事をしたルイズは、どうしたものか、と残りの面々に視線を向けた。皆一様に顔を逸らし、こいつら裏切りやがったと彼女は一人奥歯を噛む。
さて、とアンリエッタは手を叩く。はしゃぐのはこの辺にして、本題に入りましょう。そんなことを言いながら骨と遺品を布で包み現場から踵を返した。大体のことは分かった、後は向こうで話を聞く時間だ。
「その前に、朝食でも食べましょうか」
人喰いの話題を出し、そしてその食われた証拠である骨を持って。アンリエッタはにこやかにそう宣言した。
「サイト殿は小食ですのね」
「……食欲なかっただけです」
こちらにきてから一年とちょっと。ある程度は慣れてもまだ目の前の面々ほど豪胆にはなれない。そんなことを思いつつ、才人はアンリエッタにそう返した。ちなみに言うまでもないが、それでもきちんと食事をした彼も相当である。
ともあれ、ある程度時間も経ち、町の人々も動き始めた頃。五人は件の貴族の屋敷へと足を進めていた。そこまで位の高い者ではないとはいえ、腐っても貴族。町のどの建物よりも大きなそれは酷く目立った。
その大きさを支えていたのは、死した貴族の手腕か、それとも。
「失礼。わたくし、ウェールズ一世陛下の命により此度の事件の調査に参りました、アンと申します。二つ名は、『仮面』」
成程その名の通り表情を伺えないそれが顔に張り付いているのを見て、対応に現れた使用人は分かりましたと頷く。後ろの方は、と尋ねると、同僚だという返事が来た。トリステインの魔王の話はよく聞いている。一癖も二癖もありそうな一行を一通り眺めると、ではこちらへ、と屋敷の扉を開いた。
応接室へと通されたルイズ達は、やって来た一人の貴族らしき女性が頭を下げるのを見て首を傾げる。アンリエッタへと視線を移すと、特に驚く様子もなく対応を行っていた。まあつまり被害者の知り合いか、あるいは身内だろう。そう当たりをつけ、まあいいやと向き直った。
「まず、事件の前に確認したいことがあります」
アンリエッタは目の前の女性にそう述べる。こちらの主人は元高等法院の子飼いであったという話だが、それは本当か、と。勿論違えるわけもないのだが、そんなことを露知らぬ女性は沈んだ声ではい、と頷く。頷き、しかし彼がいなくなった以上、もうそんなことをする輩はいません、とアンリエッタを真っ直ぐに見ながらそう続けた。彼を手伝っていた使用人も解雇しましたし。そう言いながら、彼女は目の前のカップに口を付けた。
「……解雇した?」
それに反応したのはタバサ。ええ、と女性は頷き、何か問題があったでしょうかと眉を顰めた。
「……サイト」
座っている面々を眺め、彼の名を呼ぶ。立て、と彼を引っ張ると、用事を思い出したと部屋を飛び出した。いきなりのそれに頭が追い付かない才人はタバサを呼び止めるが、彼女は時間がないと短く返し手近な使用人に声を掛けた。解雇した者はこの街にいるのか、いるとしたらどこにいるのか。それを尋ね、情報を貰うとその足で屋敷を出る。
「ちょ、ちょっと待てって。何が何だか」
「向こうはルイズとキュルケがいれば大丈夫」
「質問の答えになってねぇよ!」
ジロリとタバサは才人を見る。やれやれ、と肩を竦めると、元々あの貴族が殺されたのは何のためだったのかと彼に問うた。
彼女のその問いに、才人はアンリエッタが言っていたことを思い出しながら指折り答える。口封じ、撒き餌、そして食事。そう言っている内に、その表情が段々と曇っていく。
「……で、どこにいるって?」
「……町外れ」
尻尾を切りやすいように選んだのだろう。その結果、先に自分が尻尾切りにされてしまうとは皮肉なものだが、ともあれそこへ向かわんと二人は全力で足を動かした。貴族が殺されてからすでに三日は経っている。その使用人がいつ解雇されたか知らないが、場合によっては。
「……っ!?」
焦げ臭い。鼻につくこの嫌な臭いは、前に嗅いだことがある。才人は目を見開き、タバサ、と隣にいる少女の名を呼んだ。こくりと頷いた彼女は、杖を構えると呪文を唱える。風の力で一気に速度を上げた二人は、飛び込むようにして町外れの建物に突っ込んだ。
酷いものであった。人の形をした炭が、家中を逃げ惑うように跡を付けていた。恐らく死なない程度に加減した後、灰にしたのだろう。何かを書き終えた終わりには、焦げ臭い何かが盛られていた。
「おお、意外と早く来たな」
弾かれたように振り返る。才人には見覚えのある巨漢が、品定めでもするように二人を眺めてニヤニヤと笑っていた。長く香りが残るように仕向けたが、これならばそこまで手間を掛ける必要はなかったか。そう続けながら、まあ立ち話でもなんだからと気安く声を掛けてきた。
「メンヌヴィル……!」
「何だ小僧。いや、サイト、だったな。思ったより間抜け面だ」
「うるせぇよ。そんなことより」
これをやったのはお前で間違いないな。そう言いながら、彼は日本刀を抜き放った。切っ先を真っ直ぐに突き付けながら、射殺さんばかりの視線でメンヌヴィルを睨み付ける。
愚問だな、とメンヌヴィルは笑った。家中をのたうち回らせて臭いを残すのには少々苦労した、と楽しそうに惨状の過程を才人に語った。
そうか。彼の言葉に短くそう返した才人は、足に力を込め一気に彼との間合いを詰める。
「テメェは、死ななきゃならない人間だろ」
「サイト!?」
刃を振るった。狙いは首、不殺などまるで考えていないその一撃を、メンヌヴィルは危ないな、と苦笑しながら杖で受け止めた。足を突き出し、才人の腹に蹴りを叩き込む。体重差もあり吹き飛ばされた才人は、しかし受け身を取ると素早く体勢を立て直した。
「落ち着いて」
「この状況でルイズだったら落ち着くのかよ!」
「ルイズはああ見えて戦う際は色々考える。貴方みたいに、考え無しで突っ込まない」
「うぐ……」
言われてみればそうかもしれない。タバサの返しに苦い顔を浮かべた才人は、大きく息を吸い、そして吐いた。怒りは当然収まらないが、しかし少しだけ思考は冷えた。そうだ、よくよく考えればあいつはルイズと二人で戦って取り逃がした相手。一人で、何も考えずに向かっていってどうにかなるわけがない。
「どうした? 終わりか?」
「んなわけねぇだろ。……話があるんじゃねぇのか?」
カカカ、とメンヌヴィルは笑った。眼帯らしきものを付けている右目をひと無ですると、別に大した用事じゃないと言葉を紡ぐ。本当はここにお前達が全員いるのが理想だったのだが、そう続けながら、彼は左目でジロリと二人を見た。
「オレの炎だと目立つんでな。今回は足止めを命じられたのさ」
「……は?」
「雇い主様によるとだ。使用人が屋敷にいないとなるとこちらに急いで調査に来る輩がいるはず、そいつらを足止めしろ、とのことだ」
「足止め?」
「屋敷に女がいるだろ? あれはオレが燃やした貴族の妹でな。ああ見えて小心者の雇い主様は、念の為そいつも殺せと仰るのさ」
どうせ調べたところで何も出て来はしないだろうに。腹を抱えて笑ったメンヌヴィルは、まあそういうわけだからと杖を構えた。
足止め。彼はそう言った。つまり、向こうに本命となる何者かが向かっているということに他ならず。
「……ルイズとキュルケなら、どうとでもなるよな?」
「多分」
「そこは断言してくれよ」
そう言われても、とタバサは杖を構えながら頬を掻く。目の前のこいつを足止めにするということは、少なくとも同等かそれ以上の相手だということだ。負けるとは考えられないが、しかし果たして勝てるかと言えば。
頭を振った。そんなことはない。あの二人なら大丈夫だ。自分の悪友と親友は、この程度どうとでもなる。そう思い直した彼女は、才人に向き直り薄く笑った。大丈夫、問題ない。そう言って頷いた。
「それよりも」
「……あー、俺達の方が問題か」
足止め、と言ってはいたが。どう考えても消し炭にする気満々のメンヌヴィルを見て、才人は顔を顰めた。そして、いつぞやの時のアンリエッタ達の言葉を思い出す。
タバサ、と彼は声を掛けた。何、と彼女はそれに答えた。
「町の中には、絶対に入れさせるなよ」
「ん」
言うが早いか、タバサは呪文を唱える。氷柱を何本も生み出し、それを連続で射出した。
メンヌヴィルはそれを見て笑う。杖を振り、飛来してきた氷柱を溶かしながら、楽しそうに笑う。足に力を込め、先程の才人のように一気に距離を詰めると、相手の小柄な体をすり潰さんと鉄棒を振り上げ。
「む」
「甘い」
その一撃を杖で受け止められたことで目を見開いた。見た目通りではないか、と呟くと、彼は一歩下がり呪文を唱える。
瞬間、タバサの立っていた地面から火柱が上がった。
「タバサ!?」
「……わたしより、前!」
咄嗟に飛び退いた才人の叫びにそう返した彼女は、呪文で炎を相殺するとお返しとばかりに竜巻を生み出した。至近距離で生み出されたそれは、流石のメンヌヴィルも後退せざるを得ない。
「貰ったぁ!」
そこへ、追い打ちを掛けんと才人が日本刀を振りかぶりながら突っ込んだ。向こうの体勢は崩れている、出来ることは精々防御程度。そう確信を持った才人はそのまま刀を振り下ろし。
突如生まれた爆発で宙を舞うことになった。
「おっと、危ねえ危ねえ」
ふう、と息を吐いたメンヌヴィルは、さすが旦那だと口角を上げながら左目をさする。ギョロリ、と人とは思えない瞳孔が、何とか着地した才人を捉えていた。
「サイト、大丈夫?」
「微妙」
所々焼け焦げている箇所に応急処置の治癒魔法を施しつつ、タバサは再度メンヌヴィルを睨んだ。睨み、そしてその瞳に気が付いた。
おかしい。明らかに人間のものとは思えない左目。それを見付けた彼女が怪訝な表情を浮かべるのを見て、メンヌヴィルはペロリと唇を舐める。
「おお、この目に気付いたのか」
「……それは、何?」
「これか? これは旦那に治療してもらった左目だ。オレは以前両目を焼かれてな、それ以来盲目だったんだが」
ほれこの通り、と彼はその左目を指差す。が、タバサの聞きたいのはそんなことではない。確かに燃やされた瞳を治療するなどということも驚愕には値するが、問題はそこではないのだ。
「タバサ」
「何?」
「……あいつの目、トカゲか何かなのか?」
「サイトも気付いた?」
そう、治療した、と言う割には、あの目は異常なのだ。彼の言ったように、人というよりももっと違う何かの目を新しくはめ込んだような。
「まさか」
「そうよ。そのまさかよ」
この目は、火竜の瞳だ。そう言ってメンヌヴィルは楽しそうに笑った。人にも合う大きさを工面するために何頭かの火竜の雛や子供を犠牲にしたらしいが、それだけの価値のある瞳だった。そう続け、身を持って体験したであろう才人に目を向けた。
「これのおかげでオレの炎は色々と応用が効くようになってな。――さ、お喋りはここまでだ。足止めとは言われたが、焼いてはいけないとは言われていない。素晴らしい香りになってくれることを、期待しているぞ」
「抜かせ!」
「返り討ち」
そうこなくては。刀と杖を構え直した二人を眺め、彼も己の杖を構え直した。
いつになく人が死ぬ。