失礼します、とメイドはイザベラに料理を運ぶ。ドドンと置かれたそれはステーキ。ついこないだまで胃痛が限界突破していた女にこれはどうなんだと思わないでもなかったが、しかし彼女は気にしない。
何せ、可愛い従妹が元気になるように、と用意してくれたものなのだから。
「……まあ、どのみちそろそろ粥やその辺にも飽きてきていたし」
まずは、と横のスープをひとすくい。濃厚な旨味が口の中に溢れだし、しかししつこくなく。透明なその液体に、一体どれだけの力が隠されていたのか。そもそもこれは肉なのか、魚なのか。得体の知れない、分からないものであるのに、匙は止まらない。それを口にする度に、減退していた食欲がどんどんと増していき、否が応でも腹がなる。目を見開いたイザベラは、そのまま夢中でスープを飲んだ。
「ふぅ……」
ご満悦の表情ではあるが、しかし顔とは裏腹に空腹は絶頂を迎えている。ナイフとフォークを手にすると、鎮座してある分厚いステーキにそれを向けた。縦なのか横なのか分からない、と笑い話にでも出来そうなそれは、しかし驚くほど簡単に切り裂け、だというのにフォークから伝わってくるのは力強い弾力。
少しだけ持ち上げる。断面からポタリと溢れる肉汁は、鉄板に落ちるとジュワリと音を立てた。同時に香ばしく食欲を煽る匂いが広がっていく。
視覚で食べるのはここまでだ。更に半分に切り、食べやすい大きさにしたそれを、イザベラはゆっくりと口に運んだ。ナプキンが汚れてしまうほどの肉汁を逃さんとばかりに、王女らしからぬ大口を開けて。
「ん、んんんん~!」
震えた。何だこれは。本当にこれは肉か、今まで食べていた肉と同じ名前を持つものなのか。噛むと簡単に細かくなるほどの柔らかさ、なのに歯を押し返すほどの弾力。矛盾した食感を併せ持つこれから響いてくるのは、旨味の奔流だ。
一噛みするたびに口内に広がる肉汁。あれだけの油を持っていたはずなのに、それはサラリと軽さを感じさせ、しかし肉特有のガツンとくるボリュームをぶつけてくる。飲み込むまで、否、飲み込んでも尚終わらないとそれらは彼女の全身を駆け巡った。
二口目。先程と同じ感動を再度味わいつつ、しかし新たな発見をしてしまう。このステーキに味付けはほとんどされていない。ソースらしきものは掛かっているが、普段食べているような工夫に工夫を重ねた芸術品のようなそれとは全く違うのだ。言うなれば、剣。実用性をひたすら追求したような、無骨で、しかし最適な手間をかけた一滴。
少しフォークに残っていたそれを舐める。ビリリと痺れたような感覚が舌に走り、ああ成程と熱い溜息を吐いた。間違いない。これは、剣だ。抜身のそれをそのまま触れては確かに傷付いてしまう。
肉に絡ませ、再度口に入れた。それは鞘に収まり、しかしいざというときに主君を守る騎士のごとく。最適な場所で、最良の力を発揮してくれる。御伽噺に出てくるような、劇場で語られるような。令嬢を守る美丈夫。
そうだ。これは歌劇なのだ。口の中で開演される、一瞬の、美味という歌劇。観客は自分一人の、贅沢極まりない上演だ。
気付くとあの分厚かったステーキはすでに半分になっていた。ああ、もう半分しかないのか。そう嘆くべきなのか。
あるいは、まだ半分もこの歌劇を楽しめる、と喜ぶべきなのか。
ゆっくりとナイフで切る。この矛盾したような気持ちは、まさにここだけの特権だ。ならば何を迷うことがあろうか。その両方を、味わえばいい。嘆きと、喜びを同時に味わう。
ああ、なんて贅沢なのだ。この記憶を持っていれば、きっと。
「……ごちそうさま」
イザベラがあのステーキをペロリとたいらげてしまったのを見て、メイドは目を丸くした。シャルロット様ならともかく、と思いながら、しかしそれだけ食べられたということは体調も回復に向かっているのだろうと笑みを浮かべる。空になった食器を下げながら、食後の紅茶を彼女の前に差し出した。
「ところで」
はい、とメイドは顔を向ける。紅茶を飲みつつ、イザベラが少し気になったのだけど、と問い掛けていた。
何でしょう、と頭を下げたメイドに対し、まあ大したことではないけれどとイザベラは言葉を続ける。
「シャルロットの用意してくれたあれは、何の肉だったんだい?」
「ドラゴンです」
紅茶吹いた。
さて、どうしようかとルイズ達は頭を捻る。仕事も終わり、魔法学院に戻ってきた彼女達は、戦利品を前にして少しだけ困っていた。
「……実際に報酬としてもらうとこうなるんだな」
猫と一緒に竜を狩るゲームを思い出しながら、才人はそんなことを呟く。それを聞いていたかいないのか、一行を出迎えたシエスタはやれやれと肩を竦めていた。
それで、これはどうするおつもりですか。ちらりとシエスタはルイズを見やる。あはは、と顔を逸らしつつ、まあ色々使えるでしょうと乾いた笑いを上げた。
「火竜の爪と、火竜の牙。あとこれは、火竜の翼膜ですか……?」
「頭骨もあるわよ」
「見れば分かります」
はぁ、と視線を横に向けると、箱に詰められた鱗が見えた。凡そ腐らないであろう部分の殆どを追加の報酬と称して押し付けられたらしい。
とりあえずどこかにまとめて仕舞っておきましょう。そう述べたシエスタに対し異論は何もなく。学院の外れに適当な物置を建てるとそこへひょいひょいと投げ入れた。
「しかし、ルイズ様」
「ん?」
「火竜の討伐が依頼だったのですか?」
「違うわよ。村の諍いの仲裁」
「……さっきの部品は、その村の住人だったのですね」
「何でよ!」
あーあついにこの主やっちまった。そんな顔をしながらゆっくりと首を横に振るシエスタを見て、ルイズはがぁと吠える。いやだって、と全くそれに堪えた様子もなく、そうなりますよねと他の面々に視線を向けた。
「……」
「……」
「……」
「アンタ等何か言いなさいよ」
いやだって、と才人は頬を掻く。しょうがないじゃないとキュルケは苦笑する。間違ってないしとタバサは述べる。
大間違いだ、と叫びの矛先をシエスタから三人に変えた。
「文句のある奴を片っ端からぶちのめそうって言ったのはどこの誰?」
「……わたし」
「対象が少なくなったから殴ろうって言ったのは誰よぉ」
「わ、わたし、かな……」
「説得難しいって物理に切り替えようとしたのはお前だろ」
「あーもう! うっさいうっさい!」
ブンブンと手を振り、この話はやめ、とルイズは皆を睨んだ。はいはい、と三人は肩を竦め、じゃあ話を戻そうとシエスタに視線を向ける。
仲裁の時に村に攻めてきた火竜を討伐した結果、肉やら何やらを使いきって残った部分を押し付けられたのだ、と。
「まあ、村であんなもの加工出来ないでしょうしね」
「肉は食ったけどな。美味かった」
「あ、サイトさんずるい」
ぷくぅ、と頬を膨らませて才人を睨むシエスタだが、その顔や仕草はとても愛らしい。だからなのか、才人も謝ったりせず、いいだろうと逆に煽る始末である。
「ドラゴンのテールスープは美味いし、ドラゴンステーキは火竜の骨髄から作ったソースがまた合うんだよ」
「むー。今度はわたしも食べますからね! 約束ですよ!」
「俺に言うなよ。ルイズに言えって」
「ルイズ様には事後承諾でいいです」
いいのかよ。そんなことを思いつつ、まあ次があったらな、と才人は笑った。やっぱりドラゴンの肉は幻の珍味とかそういう扱いなんだな、と彼女の反応を見て確信した。
ちなみに、ハルケギニアに済む普通の人間は好き好んでドラゴンを食いたいとは思わない。
「あの娘もあの娘で逞しいわねぇ」
「そう?」
「さあ?」
「あたしがアウェー!?」
パラリ、と書類を捲る音が響く。無言で最後まで目を通すと、その書類を目の前の机に投げ捨てた。普段の彼らしからぬ、何かを考え込むような表情を浮かべていたジョゼフは、なあシャルルと対面の弟を呼ぶ。
「どうしたんだい、兄さん」
「少し、きな臭いな」
ああ、これか。そんなことを言いながらシャルルも書類に目を通す。村に現れた火竜、その出自についてだ。
火竜山脈に住んでいたらしいそれが、まるで反対方向のエギンハイム村までわざわざやってくる。偶然で片付けるには、いささか衝撃的過ぎる。
「ロマリア辺りならば、始祖のお導き、とか言うのかな」
「エルフでも言いそうだな。大いなる意思がどうたらとな」
くくく、と笑ったジョゼフは、なあ、とその隣にいる男に目を向ける。視線を向けられた男は呆れたように肩を竦めると、まあ確かに言いかねんと述べた。
だが、と彼は続ける。今回のそれは、言わずとも済むのではないか。そんなことを言いながらジョゼフとシャルルをそれぞれ見やった。
「ほう。何故そう思うビダーシャル」
「答えの分かり切っている問い掛けをするな」
「ははは。確かにそうだ」
笑いながらテーブルに視線を移す。広げられた地図、わざわざ駒が置かれたその部分に目を向けると、ジョゼフはどこからか取り出した別の駒をそこに置いた。そして、最初から置いてあった駒をススッと動かす。
火竜山脈から、エギンハイム村へと。
「きっと、そうなんだろうね」
「恐らくな」
シャルルとビダーシャルは、そんなジョゼフの行動に何か言うわけでもなく頷いた。頷き、問題はこれだと新しく置かれた駒を指差す。
ただの縄張り争いか、あるいは、強大な何かが現れたのか。
「シャルロット達がイザベラの為の食材にする程度の火竜だ。縄張り争いが妥当だろう」
「まあ、確かにね」
そう言いながらもシャルルの顔は晴れない。どうした、とジョゼフが尋ねても、何でもないと返すのみである。
対してビダーシャルは、何を企んでいるとはっきり言い放った。ジロリと鋭く視線を向け、ジョゼフを睨み付けるようにそう述べた。
「人聞きの悪い。おれが一体何を企むというのだ」
「そうだな。……今回のエレーヌ達の行ったことを、お前もやろうとしているだろう?」
「ははは! 残念ながら、おれはやらんよ。おれは、な」
「ロマリアか」
シャルルが呟く。だろうな、とジョゼフは返した。
強大な脅威がそこにあるのならば、それをまたとないチャンスとして全ての国を一丸にしようとする。現教皇ならば躊躇わずそれをするだろう。そう、二人は考えていた。
それは同時に、もしロマリアがその声明を出した場合、ガリアは賛同しないと言っているも同義である。アルビオンとトリステインがロマリアに賛同したのならば、敵に回る。そう宣言したに等しいのだ。
「シャルロットも可哀想にな。悪友と袂を分かち敵対することになるとは」
「残念でならないね」
顔を伏せ、頭を振る二人の表情は伺えない。が、ビダーシャルは見えずともどんな顔をしているかをとうに理解していた。
こいつら、笑ってやがる。
「ははははっ! 勇者と勇者のぶつかり合いは胸が踊るな!」
「劇場ならば大いに盛り上がるだろうね」
はぁ、とビダーシャルは溜息を吐く。シェフィールドの姿を探し、ここにいないことを確認するともう一度溜息を吐いた。どうせ無茶な仕事を振られているのだろう。そんなことを思い、まあ仕方ないと彼女のことを頭から追い出した。
「ジョゼフ」
「何だ?」
「まさか、本当に袂を分かつと、三国同盟が決裂すると思っているのか?」
「まさか! それこそまさかだ!」
先程よりも盛大に笑う。そんなことあるはずないだろうと腹を抱えて笑う。どちらも先王の時代ならばともかく、あのアンリエッタが生きている限り、ジョゼフが今のままでいる限り。
この二人が、世界の危機程度で向こうに頼ることなど、ありえない。
「まあ少なくとも、あの教皇聖下がいる限りは、ないだろうな」
「……何か含んだ言い方だな」
「いや何。始祖の導きが起きるかもしれんだろう? お前達流で言うならば、大いなる意思だ」
言いながら、地図上のロマリアの上に駒を乗せた。その数は三つ。キングとビショップ、そしてクイーン。キングとクイーンの間に置かれたビショップの駒を、ジョゼフは軽く指で弾いた。
転がったビショップは、ゆっくりと回転しながらその頭をどちらに垂れようかとキングとクイーンの間を彷徨う。キングか、クイーンか。
「おれとしては、クイーンが最適解だが」
「ぼくとしてもクイーンかな」
くるくるとビショップは回り続ける。どちらに味方するのか、迷い続ける。
キングとクイーンの間を。教皇と、少女の間を。
ヴィットーリオと――
あからさまに伏線っぽいエンド。