ガリアの変人共のターン。
その1
血を、吐いた。赤いそれは、彼女の口から溢れ、床を染める。そのままガクリと膝を付き、立っていられなくなった彼女は朦朧とした意識の中、目の前の男達を真っ直ぐに睨んだ。
男の片方はその光景を見て少しだけ目を見開いている。普段余裕を崩さないあの男が、自身の父があんな表情を浮かべるとは。そんなことを思い、彼女は少しだけその口角を上げた。
もう片方は、流石にやり過ぎたかと苦い顔を浮かべている。父親と同等の人間であるが、彼の方が幾分か優しいということを彼女は知っていた。シャルロットはその辺をしっかり受け継いでいる。成長してこんなのになるんじゃないよ、と思わず呟いた。
そろそろ意識も限界だ。彼女はゆっくりと倒れ伏す。自身が吐いた血の上に横たわってしまうのは不満だが、まあしょうがない。
「イザベラ様!?」
二人に毎度毎度おもちゃにされている秘書のシェフィールドが悲痛な声を上げる。本気で心配してくれるなんて、やっぱり貴女はあの二人の秘書は合わないわ。そう言いたかったが、生憎とほぼ閉じかけている意識では口にすることもままならない。
ああ、床の冷たさが気持ちいい。見当違いの感想を抱いた彼女は、イザベラは、そのままゆっくりと意識を飛ばした。
「む、これはいかんな」
「水メイジを至急呼んでくれ」
倒れ動かなくなったイザベラを見ていた二人は即座にそんな指示を出す。既に向かっていますという言葉に手際がいいなと笑ったジョゼフは、しかし一体何が悪かったのだろうなと隣のシャルルに問うた。
さあ、色々心労が溜まっていたのだろうか。そう言ってシャルルは肩を竦めた。
「どう考えてもお二人のさっきの発言が原因でしょう!」
そんな二人にシェフィールドは叫ぶ。今ここで、彼女がこんな状態になっているのは明らかにお前らのせいだ。直接そうは言っていないが、そう言ったも同然の発言をしながらイザベラをそっと抱きかかえた。
胃痛が限界に達し、血を吐いた哀れな王女を抱きかかえた。
「そうなのか」
「そうらしいね」
それは困った、と笑い合う二人を見て、こいつら頭大丈夫かとシェフィールドは割と本気で思う。が、しかし。まあ確かに内容はともかく意図は彼女にとっても理解出来るものであったのだ。タイミングと、日頃の行いが悪かったのだろう。勿論こいつらの。
「仕方ない。シャルロットに頼むとしようか」
「そうだね。それがいい」
呑気にそんな会話を続ける二人。多分呼んだらどうなるかなど火を見るより明らかなのだが、しかし彼等はそんなことを全く気にせず会話を続ける。シェフィールドですら分かるのだ、あの双王が分からないはずがない。
まあつまり。そういうことか、と彼女は溜息を吐く。彼等なりにイザベラを気絶させてしまったことに罪悪感を覚えているのだろう。だから、シャルロットに出会い頭にボコされることを罰としようと思っているのだ。
「……なんだかなぁ……」
とある一件から恩義を感じて忠誠を誓っているものの、未だにこの二人を理解出来る気がしない。シェフィールドはそう思った。
「シャルロット様! 落ち着いて! 落ち着いてください!」
「離して」
「離しませんよ!? これ以上やったら流石に馬、じゃないジョゼフ様とシャルル様死んでしまいます!」
「この二人がこの程度で死ぬとでも?」
「いやなんかコブが三段重ねのアイスクリンみたいになってますし……」
椅子の横に倒れている野郎二人を見ながらシェフィールドはそんなことを述べる。それに対し、同じ場所を見ているはずのシャルロットは非常に冷めた目で動かない身内を眺めていた。
もうこいつら死んだほうがいいんじゃないか。そんなことを言いかねないような、そんな目であった。
「駄目です! 駄目ですってば! これでも国に並ぶもののいない名君なんです!」
「……イザベラ姉さまを即位させればいい」
「シャルロット様!? 目が据わってますよ!?」
シャルロットにしがみつき必死で懇願をし続けた結果が実ったのか、彼女は大きく溜息を吐きようやく杖を下ろした。追撃は駄目ですからね、と念を押しながら、シェフィールドはそんなシャルロットからゆっくりと離れる。
「それで?」
「はい?」
「この馬鹿親がわたしに命じようと思っていたのは、何?」
「ついに隠さなくなりましたね……」
いやまあ当然か、とシェフィールドは思う。従姉が血を吐くほどの精神的ダメージを受けたのだ。敬えという方に無理がある。
分かりました、と彼女は姿勢を正す。本来ならばジョゼフ様達から告げられることなのですが、と机の上においてった書類を手に取り、シャルロットへと手渡した。
シャルロットはそれを受け取り、眺め、そしてプルプルと震え始めた。そこに書かれている事柄。それが従姉が血を吐いた大本の原因なのだから。
「……これをやったのは、いつ?」
「……イザベラ様が、結婚祭でトリステインに赴き羽根を伸ばしている最中です」
「……」
「駄目ですってば!」
安堵の日々を送って戻ってきたらこれだ。一気に崖下に突き落とされたイザベラの精神は耐え切れなかったのだろう。不憫な姉代わりの彼女を思い、シャルロットは悲しげに目を伏せた。
もう少し殴っても罰は当たるまい。そんなことをついでに考えた。
「シェフィールド」
「は、はい!?」
「わたしはこの件の解決に向かう。そこの馬鹿共にそう言っておいて」
「……か、かしこまりました」
踵を返す。無言で謁見の間から去っていくシャルロットは、その途中で小さく呪文を唱えた。拳大の氷塊を二つ生み出し、後ろを見ずに放り投げる。
起き上がろうと体勢を変えたジョゼフとシャルルの鳩尾へと、それは綺麗に吸い込まれた。
「おごっ!」
「がっ!」
伯父と父親が発した蛙の引き潰れたような悲鳴を耳にし、彼女は少しだけ満足そうに扉を開けた。
そして残されるシェフィールド。と、動かない男二人。
「……お二人共、生きておられますか?」
「これで死んだら末代までの恥だ」
「まあつまりイザベラとシャルロットの恥になるからね。死ねないよ」
ふう、と二人は起き上がる。遠慮なく殴りやがって、と頭を擦るジョゼフに、シャルルはまあ仕方ないねと苦笑した。
「流石に倒れるとは、ぼくも予想外だった」
「まあ、確かに。良かれと思ったのだがな」
ままならないな、と二人は笑う。普通の感性ではついていけないその光景を見たシェフィールドは、自分も今度胃薬貰おうかななどと、そんなことぼんやり考えるのであった。
ルイズとキュルケは困っていた。ルイズにとって悪友、キュルケにとって親友である件の少女が、何だか物凄く不機嫌だったからだ。口数が少ない割に分かりやすい彼女がこんな状態になっている理由は一つなのだろうが、しかしそれを聞いてもいいのか憚られた。
ちなみに現在シルフィードの背中の上である。依頼を受けたのでついてきて欲しいと言われ、一も二もなく返事をした結果だ。
「た、タバサ?」
「何?」
「とりあえず、どんな仕事かくらいは、教えてほしいなーって」
ルイズのその言葉にジロリと視線を動かした彼女は、ふうと溜息を吐くと中々の厄介事だと述べた。タバサがそう述べるからには、まず間違いなく厄介なのだと判断したキュルケはやれやれと肩を竦める。が、まあ、最近暇だったしいいかと空を仰いだ。
「場所はガリアとゲルマニアの国境付近にあるエギンハイム村」
「聞いたことあるわねぇ。確かあそこって翼人がいるって噂じゃなかったかしら」
そう呟き、そして何だか猛烈に嫌な予感がした。ルイズに視線を向けると、まあそんなこったろうと思った、と視線を逸らしている。
話についていけていない才人は完全なる聞き役であった。
「翼人と村の住民は激突が絶えない。どうにか翼人を退治してくれという要望が来るくらいに」
「退治って、何か言い方悪いな」
「ここに住む大半の人間は、人以外を無意識的に忌諱するのよ。あなたみたいに吸血鬼やナイフといい関係になるのが異常なの」
「何の話デスカネ!?」
「十号も混ぜる?」
「だから何の話だよ!」
「そうよキュルケ、タバサ。そういう言い方はダメじゃない」
まったく、と窘めるようにルイズが二人にそう述べる。そして、才人に向き直るとニコリと笑った。
「あの娼館の娘もいるものね。人外だけじゃないわよね?」
「それは俺の望んでいた答えじゃねぇよ!」
そもそもとして自分は今言った誰ともそういう関係ではない。力一杯説明した才人を見て、三人ははいはいと引き下がった。
勿論顔はその説明を聞き入れてはいなかった。
「話を戻す。それで、その要望をガリアは受理した」
「ん? じゃあまさか」
「んー。ちょっとそれは気乗りしないわねぇ」
「状況によってはわたし帰るわよ」
詳しいことを聞かないと分からないが、二つの種族が衝突しているだけならば、一方的に片方を打ち倒すのは気に入らない。それが二人の意見であり、才人もそれに同意するように頷く。
そんなことは分かっているとタバサは述べ、そして思い切り盛大に溜息を吐いた。
「受理した結果、ガリアの馬鹿王はその場所を人と翼人の混合集落にするという声明を出した」
「……」
「……」
「……え? どゆこと?」
絶句している二人と理解出来ない才人。そんな三人を見て、まあそうなるだろうと思ったとタバサは再度溜息を吐いた。
彼女は語る。衝突の主な原因は、言ってしまえば縄張り争いだ。どちらもが、ここは自分達の土地だから自分達が好きにすると主張し、そして相手がふざけるなと憤る。そういう類のものだ。
「だからどちらの土地でもあるということにして、双方を丸く収めようとした」
「成程な。ん? 別にそれいいことじゃん」
「ガリアの民同士で、ジョゼフ陛下に忠誠を誓っていたのなら、ね」
「あ、そういうことか」
人はともかく、片方は翼人。そう言われてはいそうですか仲良くしましょうとなるはずがない。勿論人側もだ。
大っぴらな衝突こそ無くなったらしいものの、その裏では爆発寸前の火山のような不満が今まで以上に溜まっているのは想像に難くない。事実、村の住人が翼人襲撃作戦を練っているのを別の村人が発見したのだとか。
「で、つまりわたし達がやるのはその仲裁ってこと?」
「そう」
「……この面々で、仲裁?」
「そう」
「なあタバサ、人選間違えてないか?」
「あによ」
思わずルイズを見る。何か文句あんのかと才人とキュルケを睨んだ彼女は、ふんと鼻を鳴らすと任せなさいと胸を張った。
公爵家の三女たるもの、こういう仲裁はお手の物だ。そう自信満々に言ってのけた。
「えーっと、キュルケ」
「何?」
「ルイズと付き合い長いんだよな」
「まあ多分あの面々の中では一番ね。で、それが?」
「……仲裁、出来るの?」
「無理よ」
即答したキュルケに、からかいの成分は微塵もなかった。
一行が辿り着いた時には既に遅かった。爆発寸前の火山は、噴火を始めていたのだ。
屈強な男共は斧や農具を担ぎ、それより少し若い男達が弓を構えている。その対面には、背中に翼を携えた男が、女子供を守るように対峙していた。
「……ぱっと見明らかに村人が悪人なんだけど」
「いやまあ、ほら、村人の方にも固まって避難している女性や子供がいるし」
あ、ホントだ、と才人は視線を向ける。つまり、双方の男達は女子供に危害を加えられないように立ち上がったのだ。
うぉぉ、と村の男が斧を振り上げる。それを翼を使い躱した翼人の男は、周囲の木々を伸ばし得物を弾き飛ばすためにけしかけた。それにより多数の村人は戦意を失い、しかしそれでも引かない男共はまだまだと駆けていく。
駄目だよ兄さん、と若い男の声が聞こえた。やめて皆、と若い女性の声が聞こえた。
何を言うヨシアと、男は青年を叱咤した。何故ですかアイーシャさま、と翼人の若者は女性を困惑の表情で見返した。反応こそ違ったが、お互いの戦いの手が止まるという部分だけは、奇しくもそこで一致した。
今だ、とルイズはシルフィードから飛び降りる。待った、と言う暇もなく地面に着地した彼女を見ながら、残りの三人も諦めたように下へと向かった。勿論シルフィードに乗って、である。
さて、突如争いの中心に降ってきた少女を見た村人と翼人は、何だ何だとざわついた。思わず空を見上げるが、ゆっくりと降りてくる竜らしき影が見えるのみ。まさかあそこから飛び降りたのかともう一度少女に目を向けた。
「喧嘩はやめなさい!」
争いの中心でズレたことを叫んだ。何を言っているんだこいつはと怪訝な目でルイズを見やるが、しかし貴族の証であるマントをつけている以上何かしらの地位を持っている可能性がある。そう思い、村人は声を掛けるのを躊躇った。
一方、翼人の方はお構いなしである。何の用だ娘、と明らかな敵意を向けて睨み付けた。
「何って、今言ったでしょ? アンタ達の喧嘩を止めに来たのよ」
ルイズは翼人達に向き直るとそう述べる。それに文句をつけようとした翼人に向かい、彼女は指を突き付けこう続けた。
「同じ森の仲間でしょ? なら喧嘩じゃない」
は、と翼人達は呆気に取られた。目の前の小娘は何を言い出すのだ。そもそも、何が森の仲間だというのだ。目の前の連中など地べたを這いずりまわるしか能のない虫けらではないか。
黙っていた村人もその発言に言葉を失った。目の前の貴族様はおかしいのだろうか。森の仲間のはずがないではないか。あれは自分達を害する鳥だというのに。
「……ん?」
そこで空気が違うのを感じ取ったルイズは眉を顰めた。何か文句あんのかと口を開きかけた。
その前に、シルフィードが横に降り立つ。危ない危ない、とルイズの口を塞いだキュルケは、注目されているのを確認するとタバサに目配せをした。
「ガリアの騎士、タバサ。この村の――仲裁に来た」
静かにそう述べるのを聞き、村全体が再度ざわめきに包まれる。発言こそ固いが、結局さっきのルイズの言葉と同じでしかなかったからだ。だが、それでも、『ガリアの騎士』という一言は少なくとも村人を牽制するには充分であった。渋々ながら、男達は引き下がっていく。そしてそれを見て、翼人も興味なさげに踵を返した。
その最中、一行を希望の目で見ていた一人の村人の青年と、一人の翼人の女性がいたことに、シルフィードを除く四人は気が付いた。
タバサのジョゼフの対する殺意が増し増し(シャルル込み)。