そこに立っている二人は現在、絶望の最中にいた。どうやれば逃げられるだろうか。そんなことを考え、そしてそれが叶わないということを理解する。その行為を幾度となく繰り返していた。
別段拘束をされているわけではない。周囲に立っている衛士隊が敵意を向けているわけでもない。それでも、二人にとってこの空間はどうしようもない絶望であった。
「さて、どうしようかしら」
「そうですね。どうするといいのでしょう」
二人と対面する二人。ルイズと才人の目の前に立っている修道服の女性とドレスを着た少女。彼女等が、どうしようもない絶望の原因であった。
「まずは、貴女の意見を聞かせて頂戴」
「はい師匠(せんせい)。……とりあえずそこの絶望の表情を浮かべている二人に現状を淡々と語るのはいかがでしょう?」
「あら、優しいのね、アンリエッタ」
「ええ。わたくしはこの国を愛する優しき王ウェールズ様の妻ですので」
そう言って二人は笑う。ノワールと、アンリエッタは笑う。くるりと二人に向き直り、笑みを絶やさずに。では、始めましょうかと鈴を転がすような声で言葉を紡ぐ。
当然のごとく、ルイズと才人にとっては処刑を開始する宣言以外の何物でもない。
「る、ルイズ……」
「無理よ。諦めなさい」
「ついさっき最後まで足掻くって言ってたじゃねぇか」
「それはそれ、これはこれ」
「俺の感動返せよ!」
「あによ。アンタだって以前は諦めが肝心とか言ってたくせに」
「俺は別に最後まで諦めないとか元々言ってねぇし」
「何その子供の言い訳」
「お前が言うなよ」
その時を少しでも伸ばすためか、あるいは逃げようとした結果なのか。二人がアンリエッタの言葉を遮りギャーギャーと言い争いを始めたのを見て、ノワールは可笑しそうに笑った。どちらも子供よね。そんなことを言いながら、隣のアンリエッタに視線を移す。
台詞を中断されたことで少し不満気になっていた弟子が見え、あらこの娘も子供だったわと口角を上げた。
「さて、そろそろこちらの話を再開しましょうか」
「……はい」
「……はーい」
パンパン、とノワールが手を叩く。それで我に返った二人は姿勢を正し、ノワールとアンリエッタを見た。では改めて、と咳払いをしたアンリエッタが、今回の騒動のあらましを簡潔に語る。
リッシュモンの新しい手駒にメンヌヴィルが増えた、と。
「姫さま」
「何ですかルイズ」
「ざっくり過ぎて分かりません」
「それ以外の部分は貴女達の方がよく知っているでしょう?」
「え? そ、そうなの? サイト」
「俺に聞くな――って、いや、違うか」
ルイズと自分とで比べれば、確かに事情を知っているのはこちらであろう。そのことに思い至った才人は、えーっと、と記憶を辿りながら口を開く。
が、それでも出てきたのは数個。あの少女と『地下水』がメンヌヴィルに襲われたこと。『地下水』の本体は無事だが、人の部分は燃やされたこと。当の犯人には逃げられたこと。
「後は、何だ? あいつは殺人鬼だか何だかってダミアンさんが言ってたな」
「何だかわたしの知ってることとそう変わらないわね」
肩透かしを食わされたような表情を浮かべるルイズが、今のでいいのかと視線を才人から目の前に向けたが、しかし。相も変わらずノワールは笑みを湛えていて表情が読めない。アンリエッタはまあそんなもんだろうとギリギリ合格を示すかのごとく頷いていた。
「まあ、貴女達がメンヌヴィルと交戦したのは偶然によるものが大きいですからね。『地下水』殿はともかく、そこの少女が――」
既に身売りされ名乗れなくなっている家名を、アンリエッタは呟く。少女の、かつて名乗っていたであろうフルネームを、二人に聞こえるように小さく述べる。
「巻き込まれたのも偶然。今回は、不幸な偶然が重なってしまったのね」
「そうやって言われるとどっと疲れてくるな」
「ふふっ。大丈夫よサイトくん。今回は偶然だったけれど」
次からは必然よ。そう言ってノワールは微笑みかけた。何が大丈夫なのか分からないことを彼に言い放った。
今度は明確に才人をターゲットとしてメンヌヴィルは襲いかかってくるのだ、とそう宣言した。
「嬉しくねぇよ!」
「安心なさい。ルイズも一緒だから」
「分かってた、嬉しくない!」
がぁ、とルイズも吠える。あらあらとそんな二人を見て頬に手を当てたノワールは、そういうところはカリンに似ていないのねと呟く。
知っていたけれど、と付け足すのは忘れない。
「てか姫さま、あれ野放しにしてていいのかよ!?」
人を燃やすのを趣味にしているような狂人が街を闊歩しているなどとなれば一大事だ。普通に考えればすぐさま捕らえなければいけない。そう考えた才人の言葉に、アンリエッタは大丈夫ですよと返す。
もうこの街を出て行きましたから。そう言って彼女はクスリと笑った。
「逃がしてんじゃないですか!?」
「それが何か?」
平然とそう述べるアンリエッタにルイズは思わず詰め寄る。危険人物をただ黙って放置しているなどと、それでも国を治める者なのか、と。いつになく真面目にそう述べたルイズを見て、アンリエッタも笑みを潜め真っ直ぐに彼女を見た。
よくお聞きなさい。そう前置きをすると、アンリエッタは数歩移動し自分達の周囲に展開している衛士隊を見渡す。
「王都は現在様々な人がいます。逃げる輩を追い掛け、捕縛するとなれば、彼等彼女等に被害が出るのを避けられないでしょう」
「それは……」
「それだけではありません。向こうは凄腕です。もし捕縛命令を出していたら、ここにいる誰かが、あるいは皆が、消し炭となっていたことでしょう」
それでも、貴女は今この場で奴を捕らえろと? そう問い掛けたアンリエッタの言葉を聞いてルイズは口を噤んだ。そんな意味では言っていない、ここで逃せば別の場所で被害が出る。そう反論することも出来たが、口には出せなかった。
出るかどうか分からない被害よりも、確実に出るであろう被害を抑えた。その判断を、彼女は反対出来なかった。
「心配せずとも、彼はリッシュモンの子飼いになったのです。向こうの企みを潰すことさえ出来れば、被害は極力減らせるでしょう」
「……むぅ」
「それに、恐らくターゲットはわたくし達。狙いが分かっているのだからいくらでも対策が立てられますわ」
本当かよ、と才人は思ったが、ノワールも別段口を挟まず微笑んでいる以上大丈夫なのかもしれないと結論付ける。隣のルイズも同じように半分納得行ってない体ではあったがしょうがないと肩を竦めていた。
「アンリエッタ」
「はい」
「一番の理由は、リッシュモンとの繋がりを確たる証拠にするためよね?」
「はい、流石は師匠。よく分かっていらっしゃいますわ」
ふふふ、と笑い合うアンリエッタとノワール。それを見て、才人はこんなことを思った。
どっちが悪役か分かんねぇなこれ。
とりあえず報告はこんなところか、と話を切り上げたアンリエッタは傍らに寝かされている少女を見やる。後は彼女の処遇ね、と呟くと、少女の持っていたナイフを拾い上げた。
「ふむ。どうやら命に別状はないようですわね」
「……おかげさまで」
ぶうたれたような声がナイフから発せられる。よろしい、とそんな『地下水』の返事を聞いたアンリエッタは、ちらりとノワールに視線を向けた。
こくりと頷いたノワールは懐から小さな人形を取り出す。貴女の『お嬢様』から預かってきたわ。そう言うと、それを気絶している少女の隣に横たえた。
「さて、どうするのかしら?」
ノワールは『地下水』に問い掛ける。幸いにしてそこの少女は自分の体を使われることに抵抗が無さそうだし。そう続けながら、アンリエッタからナイフを受け取り少女の手に再度握らせた。
ゆっくりと少女は体を起こす。その目はトロンとしており、未だ持ち主の意識が目覚めていないことを窺わせた。
ゆっくりと体を見渡す。こんな、戦いなど全く知らないような状態で、よくあれだけ動いたものだ。そんなことを思いながら、『地下水』は自身の刃をゆっくりと少女の手の平に当てた。
ボタリ、と切り裂かれた場所から赤い液体が流れ出る。それを隣にあった人形に振り掛けると、人形はあっという間に少女と同じ姿へ変わっていった。
「それが、貴女の答えかしら?」
「私は『地下水』、彼女は彼女です」
ナイフを隣の人形に握らせる。糸の切れたように倒れる少女を、『地下水』はそっと抱き寄せた。傷を呪文で癒やし、もう一度横たえさせる。
そこでふと、彼女は気付く。以前よりも体の調子がいい。人形を操っているという感覚から、まるで自分の体の一部に変わったような。そんな不思議な感触を『地下水』は味わった。
「モデルとなった少女と一度繋がったことで、より強く馴染むようになったのかしらね」
「……そんなことが?」
「ふふっ。あるいは、そうね」
成長したのでしょう。そう言ってノワールは口元に手を当てる。ちらりと才人を見て、何かを同意するように『地下水』を見た。その行動の意図に気付いた彼女は、一瞬嫌そうな顔を浮かべそっぽを向く。
「あら、顔が赤いわ」
「うるさい!」
罪な男ね、とノワールは才人を見たが、彼は首を傾げるばかり。どういうことだ、と隣のルイズに尋ね、知らないわよと返される。
だろうな、とアンリエッタは一人頷いた。まあ、これはこれで面白いのでよしとしよう。そんなことを結論付けた。
「さて、ではそろそろ撤収いたしましょうか」
「そうね。わたしも詰め所に戻らないと」
「あら師匠、こちらにいらしてはくれないのですか?」
「ええ。夫婦の時間を奪うほどわたしは野暮ではないのよ」
その言葉で照れるアンリエッタを見つつ、そういうわけだから後はお願いねとノワールは才人とルイズの肩を叩いた。何を、は言わない。言わずとも分かるだろうから。
自分も帰ろう、と『地下水』が踵を返す。主も心配しているだろうし、と続けながら、しかしその途中で足を止めた。
振り返る。寝かされている少女をおぶると、彼女を届けるまではついていくとそう述べた。
「それは分かったけど、俺がおぶるよ。お前まだ本調子じゃないだろ」
「……分かった」
やけに素直だな、と才人は『地下水』から少女を受け取る。よ、と背中におぶり、そして女性は柔らかいということを再認識して少しだけよろめき。
「でも、良かった」
「……そうね」
立っている『地下水』と、おぶられている少女を見て。才人とルイズは安堵の笑みをうかべた。
無事でよかった。そう、心の底から口にした。
「お人好しですね、まったく」
「そうか?」
「ええ。……サイト」
「ん?」
「……今日は、ありがとう」
「は?」
俺何かお礼言われることしたっけ? そう言って首を傾げる才人に、ルイズはまあ感謝されるならされときなさいと頭をポンポン叩く。そんな二人が微笑ましくて、『地下水』は思わず笑ってしまった。
成長した、とあの魔女は言った。ナイフである自分がそうなったのならば、彼におぶられている少女もきっと。そんなことを思った『地下水』は、少女の頭をそっと撫でた。
「……多分、ろくでもない人生は終わりだ。貴女は生まれ変わったんだ、今日、あの夜から」
多分聞こえていないだろう。そんなことは分かり切っていたが、それでも。『地下水』は少女にそう言いたくなった。きっと、大丈夫だと、そんなことを言いたくなった。
何故なら。
「ん?」
「何よ」
「……いや、何でもありませんよ」
こいつらに、出会ってしまったから。無理矢理にでも引っ張っていく、はた迷惑な連中と、知り合いになってしまったから。
まあ、場合によってはもっとろくでもない人生になるかもしれないけれど。
「――結婚祭も、もう終わりですね」
「あ、そうか。ってことは俺も使い魔と警備兵の二足の草鞋は終わりか」
「わたしはもう学院生活に戻ってるけどね」
「……お嬢様がここを発てば、再度、私はお前達の敵に」
言いかけて、途中でやめた。そんなことを言って何になる。味方になれと誘うのか、それとも、自分がこちら側に付くのか。そのどちらの選択肢も、馬鹿馬鹿しいと切って捨てた。
そんなもの、きっとどうとでもなる。お嬢様も、こいつらも、その根底は同じだから。
「ん? 何だって?」
「お嬢様の邪魔をするなら容赦はしないと言ったんですよ唐変木」
「はっ、上等! 今度は完全に参ったと言わせてやるからな」
「ノリノリねぇ」
「お前が言うなよ好戦筆頭」
「どういう意味よ!」
ギャーギャーと言い合う二人を見て、『地下水』は笑う。望むところだと一人ほくそ笑む。
サイト、今度出会う時は、お前を――
チョロインエンド。