ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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まさかこのエピソードが最長の話数になるとは……


その5

 白炎、メンヌヴィル。昨夜少しだけ自身の趣味を満たした男に接触したのは、本来ここにいるはずもない男であった。

 おや、とメンヌヴィルは声を上げる。これはこれはお久しぶりです、そんなことを言いながら、彼はわざとらしく頭を下げた。そこに浮かぶのは笑み。何かうまい話でも持って来てくれたのかという、期待。

 

「お前を再度雇いたい」

 

 男はそう彼に言った。ぴくりとメンヌヴィルの眉が動き、条件と内容を問い質す。それを聞いた男は食い付いたのだと判断し、簡単なことだと口角を上げた。

 こちらの指定した場所か、指定した相手を焼いてくれればいい。そう、彼に言い放った。

 

「……例えば、そのターゲットを焼く際に邪魔者がいたら?」

「好きなだけ焼け。こちらの味方以外ならばな」

「成程。……何とも破格で魅力的だ」

 

 ニヤリとメンヌヴィルは笑う。味方が焼けないというのは少しだけ残念ではあるが、自身の欲求を満たすような相手がいない限りはそこまでだろう。そう判断し、彼は少しだけ迷う素振りを見せる。

 風の噂で、彼が既にトリステインの所属ではないことを耳にしている。ロマリアで神官の真似事をしているらしいということも。そんな彼が、何故自分のような輩を雇いたがるのか。金と権力を振るうには、いささか過剰ではないのか。

 

「……戦力は、どれだけあっても足りんのだよ」

 

 男は憎々しげに舌打ちをする。数度、あの王妃とその仲間達の所為で苦渋を味わった。自身が安穏に生きるためには、あの邪魔者を始末するだけの力が必要なのだ。

 メンヌヴィルはそんな男の声を聞き呵々と笑う。随分と酷い目に遭ったようですな。そう言って、ひらひらと手を振った。

 

「それで。このオレを雇う対価は?」

「先程の条件では不服かね?」

「十分さ。だがな、一応オレも生きている。その為の報酬も頂かないとな」

 

 成程、と男は笑った。懐からエキュー金貨の入った革袋を取り出し、とりあえずこれが手付金だと投げ渡す。中身を手で確認したメンヌヴィルは、満足そうにそれを自身の外套に仕舞い込んだ。

 

「承知した。このメンヌヴィル、再度貴方様の部下になろう」

「うむ。もし詳しい話が聞きたければこの場所へ来るといい」

 

 折り畳まれた地図を手渡す。足代も含まれているのか、とメンヌヴィルは軽く笑い、そして楽しそうに笑った。

 

「元高等法院殿。オレは盲目だ。地図を渡されても分からんぞ」

「見えるものを雇えばいいだろう」

 

 やはりこれは支度金か。推論を確信に変えた彼は、分かった分かったと肩を竦める。まあ急いでそこに向かう必要もなし、もう少しだけここで楽しんでからでもいいだろう。そんなことを思いながらメンヌヴィルは踵を返す。

 そんな彼に、男は待てと声を掛けた。

 

「まだ何か?」

「すぐにここを経たないのならば、ついでに少し邪魔者を焼いていけ」

「焼き甲斐のある相手ですかい?」

「それはお前次第だ」

 

 そう言いながら男は短く呪文を唱えた。これもくれてやるから、活用すればいい。そう言い残し、男の体は段々と小さい人形へと変わっていった。

 変身前のスキルニルに戻ったそれを、メンヌヴィルは摘み上げる。これを活用する機会があるとすれば。そんなことを思いながら、彼は機嫌が良さそうに歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 息が荒い。自分の体が自分のものではなくなった感覚が、じっとりと全身に纏わり付く。否、全身などという生易しいものではない。何せその『全身』は自分以外に預けているも同然なのだから。

 だからこれは、纏わり付いているこれは、きっと自分の。

 

「無理をしないでとっとと手放しなさい」

「……嫌、だ……」

 

 『自分』が、苛ついたような声を出す。それに対し息も絶え絶えに返した少女は、ゆっくりとそれを眼前に掲げた。奇妙な装飾のされた短剣を目の前に突き出し、ゆっくりと首を横に振った。

 

「私は……『地下水』……。貴女は、私……」

「何を錯乱している!? 貴女は貴女で、『地下水』は私だ!」

 

 違う、と彼女は首を振る。あの時確かに自分は死んだのだ。炎に燃やされ、消し炭になったのだ。あの、顔の焼けた男に、殺されたのだ。

 自分の目で見たのだから、間違いない。

 

「燃えたのは私の体だ。咄嗟に庇ったから体を盾にするしかなくてあの体たらくだったが……」

「ううん。燃えたの。私は、焼け死んだの」

 

 だから自分は、今こうして立っているこの体は、おまけだ。ろくでもない人生だった自分に与えられた、ほんの少しだけの猶予。

 せめて、最後くらいは、好きに動けばいい。誰かにそう言われたような、そんな素敵なプレゼント。

 少女は歩く。何処に向かっているのか、それすらおぼろげで、しかし明確に『何か』があるように。あっちだ、と誰かが案内してくれているように、迷うことなく足を動かす。

 

「……本調子なら、無理矢理制御を奪ってお嬢様の下へと向かうのに……!」

「ごめんね『私』。でも、少しだけだから」

 

 ゆっくりと彼女は歩く。見えるはずのない、あの背中を目指して、一歩一歩歩みを進める。

 そう、ほんの少しだけだ。どうせそう経たない内に自分の意識は消え去る。きっとあの消し炭の体に戻る。だから、せめてその前に。自分と『自分』が混在しているこの一瞬の間に。

 

「今の私なら……出来るから、だから、やらなきゃ……」

「……何を言って」

「わたしがおわってしまう、その前に」

「だから何を……!?」

「――いた」

 

 大きく息を吸い、吐く。誰かと話していたような素振りを見せていたその背中は、何かを拾い上げると何処かに向かって歩き始めた。まだこちらに気付いてはいない。あるいは、気付いていても脅威と感じていないのかもしれない。

 歩く。その背中は、男は何も警戒していない。無防備な背後を晒して、攻撃をしてくれと言わんばかりで。

 ナイフを握り締めた。自分の体は自分のものではない。とある傭兵メイジが動かす、人形の体だ。そう、思い込んで、彼女はゆっくりと呟いた。

 

「……チェックメイト」

 

 

 

 

「はっ! 御大層にそんな宣言をして襲いかかるとは、素人だな」

 

 氷の刃はその心臓を貫く寸前に溶かし尽くされた。ゆっくりと振り向き、そしてその相手を前にニヤリと笑う。驚愕で目を見開いている少女を眺めて、楽しそうに笑う。

 

「どんな表情をしているかは、まあ、見えていないが。大体予想出来る。そういう温度が感じられるからな」

 

 慌てて距離を取った少女に、メンヌヴィルは別段追い打ちを掛けなかった。どうせすぐに終わらせられる、という自信の顕れだろうと『地下水』は思う。やはり無理だ、彼女では、この男に勝てない。自分でもあれだけ劣勢を強いられたのに、つい先程まで何も出来なかった小娘がどうこうなどと。

 ふと、気付く。自身を持っている手が震えていた。足が、震えていた。顔は青褪め、今にも倒れそうになっていた。もし状況が状況なら、妙な奇声でも発しかねないような、そんな状態であった。

 

「逃げなさい!」

「逃、げ……?」

 

 駄目だ。思考が付いて行っていない。あの一撃で倒せると思い込んでいた彼女では、現状を把握して行動に移すなどということが出来るはずもない。やれることは、ただ呆然と焼かれるのを待つだけだ。

 ちくしょう、と『地下水』は毒づく。今この場で死ぬわけにはいかない。最悪、力を振り絞ってナイフを投擲させてこの場から離脱を。

 

「む?」

 

 刃が振るわれた。伸ばしかけた手を引っ込め、メンヌヴィルは氷の斬撃を迎撃するために呪文を唱える。容易く溶かされたそれを見ることなく、彼は盲目の視線を彼女の顔から持っている短剣に動かした。

 

「……これも、全部、あの、馬鹿のせいだ……!」

 

 お嬢様の気紛れで臨時警備兵になって、あの脳天気でお人好しな冴えない男と行動を共にするようになったから。だから、感情に絆されてしまった。傭兵のくせに、武器のくせに。

 彼女のことを死なせたくないと、思ってしまった。

 

「ほう、何だナイフ。まだ動けたのか」

「……はっ、……はぁっ……」

 

 メンヌヴィルの問い掛けに答えない。答える余裕が無い。気を抜くと、刀身に罅が入ってしまいそうになる。先程の呪文も、残っている精神力を無理やり絞り出して放ったものだ。人間ならば倒れてもおかしくない。

 え、と少女は勝手に動かされている自分の体で我に返った。手に持っているナイフが今にも壊れそうにカタカタと震えているのが感触で分かる。多分、次に呪文を唱えたら、きっと。

 

「駄目、駄目……!」

「おや……我に、返ったんですか……。なら、早く逃げる準備を」

「やだっ!」

「あ……この……馬鹿っ……!」

 

 自身の残っている精神力をナイフに注ぎ込んだ。大丈夫、呪文の使い方は幼少に習っている。杖に精神力を込めることは今でも出来る。所詮ドットだけれど、その辺の平民よりはマシなはずだ。大丈夫、まだ自分の意識は残っている。まだ猶予はある。

 ここを超えて、私は。

 

「麗しい愛情というやつか?」

 

 メンヌヴィルはそう言って笑う。どうやらもう少しだけ楽しめそうだ。そんなことを思いつつ、腰の鉄棒を引き抜いた。それを一振りすると、先端を目の前の少女の足に向ける。

 火球が飛んだ。足を焼き、逃げないようにするための一撃。それを、少女はナイフを振るうことで掻き消した。息も絶え絶え、顔は青褪め、相変わらず足は子鹿のように震えている。それでも、彼女は『地下水』の思うがままに体を動かした。

 

「よしよし、まだ遊べるな。では次だ」

 

 杖を地面に突き刺す。彼女の足元が膨れ上がり、爆発した。『地下水』の体でもあれだけのダメージを負ってしまうそれを、今の彼女が喰らえばどうなるかなどと想像するまでもない。足元に水の呪文を張り、後ろに下がる。

 その瞬間、目の前で炎が爆発した。爆風が彼女の全身に衝撃を与え、回避の隙を狙われたことであっという間に全身の自由を奪われる。尻餅をついたまま、立ち上がれなくなった彼女はゆっくりと近付いてくるメンヌヴィルを見ることしか出来なかった。

 

「少し数を増やすともう駄目か。まあ、そんなところだろう」

 

 まるで実験結果を確認するかのように顎に手を当ててそんなことを呟いた彼は、そのまま自身の杖を彼女の眼前に突き刺した。鉄棒が赤熱し、ジリジリと肌を焦がす熱を発していく。

 ぐい、と彼女の首根っこを掴んだメンヌヴィルは、ではそろそろ仕上げと行こうと笑った。楽しそうに笑いながら、その赤熱した鉄塊に彼女を近付けていった。

 

「精々、鳴いてくれ」

 

 肌が焼ける。じっくりと時間を掛けて、少女は、焼けた肉になる。

 

 

 

 

 

 

 彼は自身が宙を舞っていることに気付くのが数瞬遅れた。素早く受け身を取ると、何だと気配を探るように視線を動かす。

 見覚えのない温度が二つ、増えていた。片方は男、片方は女。どちらも、感覚からすると子供。

 

「誰だ?」

「テメェに名乗る名前なんかねぇよ」

「ふふっ、言うじゃないサイト」

「ちょ!?」

 

 何だ、ただの馬鹿か。ふんと鼻を鳴らしたメンヌヴィルは、しかし先程のことを思い出し少しだけ身構えた。自分に迎撃の暇を与えることなく吹き飛ばしたのは、こいつらなのかと。

 地面に突き刺さっていた杖を引き抜く。まだ熱気を保っているそれを一振りすると、そこから生み出された火球で二人を襲った。

 嘗めるな、と才人は叫ぶ。飛んでくる火球を、少女を抱えながら全て避け切った。ルイズはデルフリンガーでそれらを叩き落とした。

 

「サイト」

「ああもう、何だよルイズ」

「彼女達は、無事?」

 

 振り向かずに彼女はそう問う。才人はその質問を受けゆっくりと抱きかかえている少女を見た。先程の戦闘で火傷の痕はあるものの、少なくとも息はしている。気絶してもなお手放していないナイフも、どうやら壊れてはいないようだ。

 ああ、と彼は短く述べた。そう、とルイズも短く返した。

 

「よし、じゃあ後は」

「ああ、もう後は」

 

 言いながら、ルイズは剣を構える。少し離れた場所に彼女を寝かせた才人も頷きながら、鯉口を切り刀を構える。その剣先を真っ直ぐに突き付けながら、二人は口角を上げた。

 どうしようもないくらい獰猛な笑みを浮かべた。

 

「目の前のコイツを」

「ぶっ倒すだけだ!」

 

 駆ける。一瞬で間合いを詰めたそんな才人にメンヌヴィルは少しだけ驚きながら、しかし慌てることなく対処を行った。鉄棒で斬撃を受け止め、そしてその杖に力を込める。

 その背後から、圧倒的な温度が迫ってくるのを彼は見逃さなかった。素早く杖を引くと、足に力を込め後ろに飛ぶ。ルイズの一撃は空を切り、彼には届かなかった。

 その代わり、街の地面は見事に切り裂かれた。

 

「ちっ」

「あっぶねぇな! 俺もいたんですけど!」

「あら、サイトなら平気でしょ」

「どっちの意味なのか後で聞くからな」

 

 そんな軽口を叩きつつ、二人はもう一度武器を構える。才人は正眼に、ルイズは肩に担ぐように。視線は真っ直ぐに、目の前の相手を打ち倒さんとした意志がはっきり分かるように。

 ことここに至って、メンヌヴィルは気付いた。ルイズ、サイト。確かそれは、先程クライアントが言っていた邪魔者の名前の一部ではなかったか。こいつらを始末しろというのが、向こうの長期的な依頼ではなかったか。

 

「は、ははは! はははははっ!」

 

 これはいい、と彼は笑う。ここまで気分が高揚したのはあの時以来だ。自身が光を失った、失わされた相手に襲い掛かった時以来だ。そんなことを思いながら、彼は狂ったように笑い続けた。

 杖を振る。生み出された火球は、相手を追い掛け焼き尽くす。先程のように避けることなど不可能だと言わんばかりのそれが、多数二人へと襲い掛かった。

 

「キュルケの方が全然強い!」

 

 デルフリンガーを構えたルイズは、突っ込んでくる火球を一刀両断にした。斬撃で掻き消された炎は虚空に消え、パラパラと火の粉が舞い上がる。そのまま流れるような動きで剣を掬い上げ、追加の火球を斬り裂き払う。

 流石にあれは真似出来んと苦笑した才人は、しかし同じように飛んでくる火球の前で刀を鞘に収めた。多分これが一番妥当だ。そんなことを思いながら、目の前の炎目掛けて腰のそれを抜刀する。

 横一文字に斬られた火球は、誰も焼かずに消え去った。

 

「ははははっ! いいぞ、素晴らしい! それでこそだ、有象無象を百人焼くより、お前達二人の方が焼き甲斐がある!」

「嬉しくねぇよ」

「そうね。褒め言葉だったとしたら頭を疑うわ」

 

 なんとでも言え、とメンヌヴィルは笑う。この楽しさの中では、少々罵倒された程度で気分を害することなどない。むしろ、それがいつ悲鳴に変わるかと想像するだけでゾクゾクする。

 ん、とその最中に彼は気付いた。どうやら暴れ過ぎたようだ。こちらに向かってくる多数の温度がある。とんだ邪魔が入ったことをメンヌヴィルは憎々しく思ったが、しかし気を取り直すとまあいいと笑った。

 少なくとも、この楽しみはまだまだ続くのだから。

 

「頃合いだ。今日のところは退散させてもらうぞ」

「はぁ!? 逃げるのかよ!」

「野次馬を消し炭にしながらでもいいと言うなら、続けるぞ」

「テメェ……」

 

 斬りかかろうとした才人を、ルイズが待てと手で制した。あの目は本気だ。このまま騒ぎになったら、こいつは目撃者を燃やしながらでも戦闘を続ける。

 二人の視線を受け、メンヌヴィルは再度笑った。心配するな、と二人に述べた。

 

「こんな楽しいものがあると分かったんだ。もうそこの小娘を焼こうとは思わん」

 

 それだけ言うと、メンヌヴィルは踵を返す。ひらひらと手を振りながら、まるで友人にでも告げるかのような気安さで。

 ではまたな、と二人に言い放った。




多分次でエピソード終了、のはず。

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