ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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その3

「ろくでもない人生でした」

 

 少女は語る。語り、そして何故だろうと疑問に思う。出会って間もない相手に、娼婦を買いに来た相手に何故、自分は身の上を語ろうとしているのだろうと。

 少し長い話が出来る場所を、とベンチに腰を下ろした二人。少女はそこで才人に自身がこうなった経緯をぽつぽつと話し始めていた。元々はトリステインの貧乏貴族の子女であったこと。兄がいて、家督を継ぐのは彼なので自分は漠然と誰かに嫁ぐのだろうと思っていたこと。痩せこけた土地と質の悪い領民を抱えた領地は常に財政難で、身売りでもしなければどうにもならないところまできていたこと。

 

「……ただ、その時は偶然回避されました」

 

 まだ幼かったアンリエッタの暗躍が運良く重なったらしく、その恩恵でほんの少しだけ潤ったのだとか。生活に困る、ということはギリギリで免れるようになった。

 もっとも、その時点での彼女はお世辞にも恵まれた容姿とはいえず、痩せぎすでとても身売りに耐えられるものではなかったらしく、どのみち突き返されたのだろうと自嘲した。

 

「そうか? 今はそんな可愛いのに」

「お世辞はいりません」

 

 くすんだこの髪と悪い目付きを褒める奴などいない。そんなことを心の中で思いつつ、彼女はそこから数年は安定していたと続けた。ひょんなことから秘薬作りの手伝いをすることになり、安物だが財源に出来たこと。魔法に頼らない技術である程度体を鍛え、野山に食料を確保に向かったこと。そうしている内に痩せぎすだった体も段々と女らしく育ってきたこと。それらを隣の才人に話した。

 

「思えば、それらは全部悪手でした」

 

 そしてその時は来た。彼女の両親が招き入れた人買いによって、数年暮らせる程度のエキュー金貨と彼女は交換させられたのだ。売り物になるまで育ってくれてありがとう。その時の両親の目が、そう言っているような気がした。

 

「家畜、だったんです。頃合いになるまで育てられ、出荷された家畜。……もっとも、他の『売り物』と比べれば数段劣る私は買い取り手もいませんでしたけど」

 

 色々と門前払いを繰り返した結果、『天使の方舟』亭のエスメラルダに買い叩かれた。ひょっとしたら、これだけは唯一良かったことだったかもしれない。

 

「結局、ここでも自分の居場所を作れてはいないんですけれど」

 

 そう言って、彼女は笑った。空虚な笑みを浮かべた。

 才人が望んでいたような、彼が見たかったような、そんな笑顔とは似ても似つかない笑みを浮かべた。

 そろそろ時間ですね、と彼女は立ち上がる。それにつられ立ち上がった才人の手を取り、こんな女の相手をしていてはいけませんよと彼女は述べた。

 

「明日」

「え?」

「明日もまた来る」

「……お金、大丈夫ですか?」

「大丈夫だ、問題ない!」

 

 やけに気合を入れそう叫ぶ才人を見て少しだけ目を見開いた彼女は、しかし、そうですかと静かに彼に返した。

 行為もしないのに、変な人。少女は少し前から思っていたその感情を更に大きくした。

 

 

 

 

「いや、俺何言っちゃってんの……」

 

 帰り道。自分の行動を振り返り悶絶している才人は、しかしどうにもならないことを理解すると大きく息を吐いた。最近の自分は変だ。改めてそう思い、まあでも、と頭を掻く。

 

「たまには、いいか」

 

 ハルケギニアにやってきてから半年以上経っている。新しいことの連続で、巻き込まれて。その度に大騒ぎして。その原因は自分じゃない誰かで。

 だから、たまには自分がその発端になったっていいじゃないか。そんなことを考えたのだ。

 そんな彼の視界に見慣れた姿が映る。先程まで一緒に話していた彼女と同じ容姿のメイド服を着た少女。間接的に今回の出来事の原因となった相手。それが、一人の神官の女性のお供としてどこかに向かおうとしていた。

 一瞬だけ声を掛けようかと思い、やめる。多分あの神官の女性――年齢からするとむしろ少女、が彼女が常日頃言っていた『お嬢様』なのだろう。ということは現在『地下水』は本来の仕事中ということになる。以前のアンリエッタ誘拐事件のことも踏まえれば、あの状況で近付くと最悪戦闘に発展しかねない。触らぬ神に祟りなし、君子危うきに近寄らず。そんなことを頭に浮かべ、彼はどこかへと歩いて行くその二人を目で追うだけに留めた。

 

「……少しだけ、話を聞いてみたかったけど。ま、しゃーねぇ」

 

 『地下水』の容姿のモデルについて、少しだけ。そう呟くと、彼は見えなくなったその方向を一瞥すると踵を返した。向こうは友好街の酒場の並ぶ場所、以前潰した賭博場の方面だ。確実に厄介事だろうと当たりをつけ、今度会ったら聞いてみようと呑気にそんなことを考えた。先程の意見をあっさりと翻して。

 ふと、思う。帰路に着いている途中に、何となくだが、思い出す。

 あの神官の少女、どこかで見たことがなかったか?

 

 

 

 

 

 

 ふん、と目の前の男は鼻を鳴らした。その出で立ちと顔にある大きな火傷の痕は一種異様でどう見ても普通の暮らしをしているようには見えない。少なくとも、こんな酒場で呑気に談笑をしているような輩ではないのは確かだろう。

 もっとも、彼は談笑をしていない。目の前の相手は男と交渉を行おうとしてきた所謂『商売相手』だ。喧騒で彼等の会話を掻き消すことが出来るという理由で選ばれたこの場所で、お互いの要望を突き付けているのだ。

 その結果、男は話にならないと会話を打ち切った。もう少し話の分かる相手だと思ったんだが。そうぼやきながら、目の前のエールを呷る。

 

「あら、駄目でしたか」

 

 男の交渉相手である少女は涼しい顔でそう述べる。そんな彼女に顔を向けることなく当たり前だと返した男は、つまらなさそうに腕組みをすると再度鼻を鳴らした。

 自分の仕事は傭兵だ。小娘のお守りをすることではない。そう言い放ち、話は終わりと席を立つ。

 

「あらら、随分な言われよう」

「……だだの小娘ではないのだろうが、俺を使うには相応しくない」

「お前では役に立たない、の間違いでは?」

「こら『地下水』」

 

 もう、と少女は横に控えていたメイドを窘めるが、『地下水』は本当のことを言ったまでですと悪びれない。目の前の相手を睨み付けると、とっとと帰れと言わんばかりに手を振った。

 

「言われんでもそうするさ。精々そこの人形や甘ちゃんの自称傭兵共と仲良くやってくれ」

 

 そう言って踵を返した男に、少女はではさようならと手を振る。機会があったらまた、と添えるのも忘れない。

 酒場を出て行く男をそのまま目で追っていた少女は、ふう、と溜息を吐くと再度隣の『地下水』を見た。

 

「余計なことを言わないの」

「申し訳ありません。ですが」

「はいはい。でも、そうね……わたしの大事なあなた達を馬鹿にするような男は、うん、やっぱり要らないかな」

 

 戦力的には魅力的だったけど。そんなことを言いながら、少女はううんと伸びをする。視線を後ろの席に動かし、ちなみに貴方達はどうだったかしらと問い掛けた。

 

「生理的に無理」

「ま、強さ的には一度お手合わせ願いたいかも。あー、いや、どうせなら見目麗しいお嬢さんの方がいいよなぁ」

「ありゃ傭兵というよりも戦争屋だな。戦うことが仕事なんだろう」

「――だ、そうです」

 

 成程、と少女は微笑む。おおよそ自分の意見と同じようで何よりだ。そう続けると、そのまま『地下水』の名を呼んだ。

 どうしましたか、と言う彼女の問いかけに、ちょっと気になることがあるのと返す。

 

「さっきジャックはああ言ったけど、わたしの彼の印象は少し違うわ」

 

 ん、と訝しげな表情を浮かべるジャックを見ながら、少女は笑う。笑い、少しだけ表情を真剣なものに変えた。あれは戦争屋なんて真面目なものじゃない。戦うことが仕事なんじゃない。そう言って、彼の出て行った扉に視線を動かした。

 

「あれはただの殺人鬼よ。前評判通りのね」

 

 というわけで、少し監視をお願い。そう言って少女は、ジョゼットは表情を再度微笑に変えた。

 

 

 

 

 友好街。ここは彼が以前トリステインに所属していた時にはなかった場所だ。だからこんな馴染みのない場所よりも、昔からある所の方が落ち着く。そんなことを思いながら、男はぶらぶらと街を歩いていた。

 一種異様なその風貌も、現在のトリスタニアでは浮くことがない。間が悪い、とも言えるし、政治の賜物であるとも言える。現在は結婚祭、浮ついた者が大半であり、そして国のトップの片割れは色々な意味で頭がおかしかった。

 

「まあ、それが居心地いいかと言われれば」

 

 男にとって答えは否。こんなちゃらんぽらんを体現したような国では自身はきっと腐ってしまう。ふんと鼻を鳴らすと、男は再度歩みを進める。大通りを外れ、ゴロツキの集まるような場所へと歩いて行く。

 その道中、男はどうにも気に入らないといった表情を浮かべていた。自身がまだ若かった頃の、あの臭いがないのだ。悪臭にまみれ、ゴミと汚物が転がり、そして死んでも気にされない人間どもが闊歩している。そんな空気がなくなっているのだ。荒くれ者やゴロツキがいても、道が汚れていても、あの時代とは違う。ここはもう既に、人が生活する場所なのだ。

 これがあの王妃様とやらの成果というやつか。舌打ちしながら男は裏通りを歩き、適当な酒場へと足を踏み入れる。酒を頼み、椅子にどかりと座り込むと、つまらなさそうに首を鳴らした。

 

「駄目だなここは。こんな平和な国、反吐が出る」

 

 エールを呷った。追加を頼むと、周囲をゆっくりと見渡す。昼間から酒を飲んでいる連中の顔を一人一人確認すると、男はクククと小さく笑った。

 男は盲目である。そんな行動をしたところで実際何の意味もない。光のない生活を続けていた所為で身に付いた能力により人の見分けこそ出来るが、それがどんな容姿なのかは分からない。

 だから男がその行動を取った意味は、人生の半分ほどであった目が見えていた頃の名残であり、ほんの少しの感傷だ。あるいは。

 

「ち、つまらない連中しかいないな」

 

 焼き甲斐がない。そんなことを呟くと、男は金を払い酒場を出た。先程の交渉で苛ついた気分を沈めようとしていたのだが、手頃な獲物がいない。それが彼の気分を更に害していた。

 こういう時は、女だ。そんなことを思いながら、男は歩く。女を買い、そして、焼く。それが一番手っ取り早い。

 

「……いや、まあ、あれだ」

 

 ピタリと足を止めた。近くの壁にもたれかかり、腕組みをすると空を仰いだ。ニヤリと獰猛な笑みを浮かべ、別にお前が相手をしてくれてもいいんだぞと虚空に述べる。

 瞬間、彼の周囲に氷で出来たナイフが生み出され、撃ち出された。警告などではない相手を殺傷する目的のそれを、男は笑いながら杖に手を添え呪文を唱え溶かし尽くす。

 

「何だお前、水のメイジか」

 

 音もなく目の前に降り立ったメイド服の少女を見て、男は笑う。相性は悪いぞ、と相手を見下すように口角を上げた。

 

「……このまま我々がここを発つまで大人しくしているのならば、こちらからは危害を加えません」

「聞こえなかったか? その辺の娼婦の代わりにお前が相手をしてくれてもいいぞ、と言ったんだ」

「冗談を。お前のような輩に、この体を貪られてたまるか」

「ああそうかい」

 

 なら、話は終わりだ。そう言って男は踵を返す。幸いにして金はある。どうとでもなる娼婦でも身請けして、適当に楽しんで灰にしよう。そんなことを思いつつ、背後の『地下水』を無視したままこの場を去ろうとした。

 その後頭部を貫かんとした氷柱は、またも彼の炎で溶かされた。

 

「相手をする気になったのか?」

「言ったはずですが。大人しくしないのならば、容赦をしないと」

「生憎と、聞いていないな」

 

 振り向く。それと同時に放たれた火球は、姿勢を低くした『地下水』の頭上を掠めて飛んでいった。地面に着弾したそれは盛大な音を立て燃え上がる。はははと高笑いをあげる男は、その着弾点を差しながらいいのか、と彼女に問い掛けた。

 

「騒ぎを起こすと、お前の主人は困るだろう?」

「……ふん」

 

 振り向かずに手に持っていたナイフを振るう。生み出された水流は燃え上がる地面をあっという間に鎮火させた。

 それを見た男は笑う。中々やるじゃないか、と楽しそうに笑う。

 

「……見えもしないくせに」

「見えんでも分かるのさ、温度でな。お前もその、人にしては不自然な温度がやけに目立ったんでね。隠密になっていなかったのさ」

 

 そう言うと、男は大きく鼻で息を吸った。周囲に残っていた焦げた臭いを嗅ぎ、まだ足りないなと頭を振る。『地下水』へと向き直り、人形を焼くのもまた一興と足を踏み出した。

 

「仕方ありませんね。始末しましょう」

「はははっ。面白いことを言うな人形。お前にオレが倒せるとでも?」

 

 杖を抜き放った。無骨な鉄棒、それを地面に突き刺すと、彼は短く呪文を唱えた。

 瞬間、『地下水』の足元から炎が噴き出る。水の呪文で防御をしつつ慌てて離脱したが、その被害は軽くなかった。服のあちこちは焼け焦げ、見えている肌も火傷が見える。応急処置と治癒の呪文を素早く唱え、彼女はお返しだと氷柱を撃ち出した。その威力は先程の男のそれと遜色ないように見えたが、しかし。

 笑いながら男はそれを炎で溶かし尽くす。さっきも言っただろうと右手の杖を揺らすと、小さな火球を数発『地下水』へと叩き込んだ。

 

「がっ……!」

「お前の水は、オレの炎と相性は悪いぞ」

 

 吹き飛ばされた『地下水』は地面を転がり、先程男の火球で出来た焼け跡で止まった。炭化した土が体中にこびりつき、普段の見目麗しい姿は既にどこにもない。泥と灰に塗れた、哀れな敗北者。それが今の彼女であった。

 ゆっくりと立ち上がる。その目は未だ死んでいなかったが、しかし現状彼女に打つ手はなかった。今の自分ではこの男に勝てない。それが、覆しようのない事実であった。

 成長出来ていない。ことここに至って、彼女はそのことを切に実感した。所詮自分の本体はナイフでしかない。人のように鍛えることが出来ないのだ。

 いや、違う、と『地下水』は頭を振る。そうじゃない、今までの自分が、宿主を取り替えながら生きてきたから、強い肉体に移動することで強くなってきから。だから、知らないのだ。

 

「……あの、馬鹿を羨ましく思えるなんて」

 

 脳天気な黒髪の少年を思い出す。このトリステインで事あるごとにぶつかっていた彼を、何かある度に成長していくあいつを。彼女は、初めて羨ましいと思った。

 

「立ったのはいいが、もう終わりのようだな」

「……まだ、まだ」

「強がるな。今からお前の焼ける臭いをじっくり堪能してやる」

 

 騒ぎを聞きつけた野次馬が来る前にな。そう言って男は杖を掲げた。出来ればゆっくりと焼きたいが、今日のところは我慢か。そんなことを思いながら、彼は詠唱を始め。

 

「……ひっ!」

「ん?」

 

 振り向くと、一人の少女が手に持っていた紙袋を落としているところであった。それだけならばただの野次馬かと後回しにするのだが、しかし。

 奇妙なことに、その少女は今目の前で焼こうとしている相手と瓜二つであった。温度で人物を見分ける男がその判断を下してしまったことに男自身も驚愕し、そしてニヤリと笑みを浮かべた。

 

「は、はははっ! これはいい、こいつはいい! 全く同じ女を同時に焼ける、そんな日が来るとはな」

「……え? え」

 

 少女は足が竦んで動けない。目の前の男が言っていることが理解出来ない。

 焼く? 誰を? 女? 全く同じ? そんな疑問がぐるぐると頭を回り、そして視線が男の背後にいる少女に向き。

 

「私?」

 

 驚愕で目を見開いている『自分』を見た。

 

「馬鹿! 早く逃げなさ――」

 

 『自分』が何かを叫んでいる。ボロボロで、必死で、誰かを助けようと叫んでいる。自分ではない『自分』が、決して自分ならしないことをしている。

 そんなことをぼんやりと考えた少女が次に見たものは、迫ってくる炎。自分を焼き尽くす、醜悪な火。ほんのちょっとだけ光が見えたような気がした矢先にそれを消し去る、悪魔の所業。

 

「――あは、やっぱり」

 

 ろくでもない人生だった。少女は、そう思った。




例のネタバレ次回予告の改変をしようかと思ったけど自重しました。

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