ルイズは隣に立つ仮面王妃を睨む。が、当の本人は涼しい顔で首を鳴らす才人を見ながら楽しそうに鼻歌を奏でていた。
「姫さ――じゃなかった、王妃様」
「わざわざ変えなくても結構よ。だって貴女はわたくしのおともだちなのだから」
「では、姫さま。――ふざけてんですか?」
「わたくしは基本大真面目よ。この仮面だって、変装するためにわざわざ新しく拵えたの」
つまりは真面目に巫山戯ているわけである。分かり切ったことではあるが、改めて認識したルイズは溜息を吐いた。
まあとりあえずそれはいい。と彼女は頭を振る。ふざけているのか、と問うた部分の本題はそこではないのだ。
「師匠(せんせい)から教えていただいたので、これは絶対に見なければならない、と」
ルイズが口を開く前にアンリエッタはそう述べた。お前の聞きたいのはそれだろうと言わんばかりに、自信満々に言い放った。最初から見学するために舞台を整えたのだとでも言うように語った。
瞬間、アンリエッタの顔面があった場所に拳が飛ぶ。その拳を首を少し後ろに下げることで躱した彼女は、しかし避けきれずに弾き飛ばされた仮面を見ることなくそれを行った犯人を見やった。盛大に舌打ちするルイズを見やった。
「危ないじゃない」
「当たらなかったんだからいいじゃないですか」
「それはわたくしが貴女の行動パターンを読んでいたから出来た芸当ですわ。普通なら頭が吹き飛んでいてもおかしくなくてよ」
「んなわけないでしょう!」
メチャクチャ言いやがる、とルイズは吠える。そんな彼女に本当かしらと笑みを浮かべたアンリエッタは、まあそんなことはどうでもいいと話を打ち切った。
それよりも、と彼女はルイズにずずいと顔を近付ける。目を輝かせ、何か楽しいものを見付けたかのようにご機嫌で。今の内に聞かせてもらいますとルイズに述べる。
「な、何をですか?」
「決まっているでしょう? デートよ」
「見てたんでしょう?」
「そうじゃない、そうじゃないのよルイズ。わたくしの聞きたいのはそういうことではないの」
知りたいのは貴女の心情。そう続けながら、アンリエッタは視線をルイズから向こう側に移した。王宮の練兵場で十数人のメイジを同時に相手にしている使い魔の少年を見た。
恋は見付かったのか。結局アンリエッタが聞きたいのはそれ一つである。他のことはおまけでしかない。
自身の幼馴染である、現在性格のバランスが脳筋に振り切っているルイズが今回の一件で少しは変わったのかどうかが現在彼女の興味の全てなのだ。
「……そう、言われても」
が、問われたルイズは困惑気味に首を傾げるばかり。一体全体何をどうもってして恋なのか。まず考えなければならない部分はそこだったりしたのだ。
当然ながら彼女は恋というものを知識としては知っているしこれこれこういうものであるという認識はある。興味だってもちろんある。が、如何せんそれが恋かどうかを自身が判断出来ないのだ。自分の気持に鈍感と言ってしまえばそれまでかもしれない。悪友であるタバサとは別ベクトルではあるが、ルイズも同様分かっていないのだ。
それでも彼女なりに『そういうもの』についての基準は持っていた。以前シエスタに語ったように、彼女と共に歩んでいける殿方というものだ。物理的な意味で。
「微妙、かな」
「……」
「何ですか姫さまその表情」
「いえ、別に」
何だコイツつまんねぇ。そう言いたげな表情をしたアンリエッタをジト目でルイズは見やる。勿論そんなことで動揺するような人間であるはずもないので、彼女は平然と言葉を返し視線をルイズと才人へ交互に向けた。案外お似合いだと思うのですけど、と聞こえないように一人呟く。
まあ別に子爵でもいいのだけれど。そう続けているので、面白がっているだけで正直相手にこだわりはないのかもしれない。
「でもルイズ。貴女は今日のデート随分と楽しそうでしたけれど」
「え? そうですね、うん、楽しかったです」
はっきりとそれは断言出来る。ルイズのその言葉を聞いたアンリエッタはニンマリと笑った。一国の王妃がする表情ではないが、ともあれこれはひょっとしていけるのではないかと彼女は喜々として次の言葉を探した。ここで次の一手が勝負を決める気がする。そんなことを思いつつ、どうにかして恋心を芽生えさせようと思考を巡らせる。
「ではルイズ。例えば、社交界で誘われた他の貴族とならば、貴女は今日のように楽しめましたか?」
「そういう人は多分もっと雰囲気のあるデートにすると思いますよ」
「そうね、そうかもしれないわ。――でも、わたくしの質問の答えではなくてよ」
「う」
そんなことは分かっている、と視線を逸らす。そして、ややあって再度アンリエッタの方を向いたルイズは、はぁと溜息を一つ漏らした。
多分、楽しんでなかったと思います。そういうと、これで満足かと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「サイト殿だったからこそ、楽しんだというわけですわね」
「……そう、なんですかね」
「少なくとも、今日一日が楽しかった要因ではあるでしょう」
ニコニコと笑みを浮かべながらそう述べるアンリエッタを見て、ルイズは暫し考える。確かにそうだ、それは疑うべくもない。が、果たしてそれは恋心の芽生え足るものであろうか。ただ単に、気心の知れている相手と遊んだから楽しかったというだけではないのか。
余計な情報のない状態で才人がそれを聞けばマンガやゲームの幼馴染ヒロインかよとツッコミを入れかねないそんな思考で答えを出したルイズは、結局ゆっくりと首を横に振った。これはきっと恋ではない。そう判断を下したのだ。
「成程。ルイズはそう思ったのですね」
「違うんですか?」
「……一概にそうだ、とは言えないのが恋なのよ」
今までとは違う、どこか大人びた表情でそう返したアンリエッタは、まあいいでしょうと視線を外した。向こう側では既に勝負が始まっており、先手必勝とばかりに突っ込んだ才人により前線があっさりと瓦解させられていた。
随分と強くなったのですね。そうアンリエッタが呟き、ルイズは当然ですよと笑みを浮かべる。わたしの自慢の使い魔ですもの。そう言って、へへんと胸を反らした。
そこでアンリエッタは気が付いた。こいつ、ひょっとしてそういうことではないのかと。弟子で、男友達。そういう認識を持っていても、それはあくまで『修飾語』でしかないのではないかと。彼女にとって、彼の一番の種別は『使い魔』なのではないかと。
そして、だからこそ。使い魔は一生を主と共にいるという認識から抜け出せないのではないか。人である彼が、彼女から去っていくという可能性を端から捨てているのではないか。
「ねえルイズ」
「はい?」
「一つ、聞かせて頂戴」
笑みを消し、至極真面目な表情になったアンリエッタを見たルイズが思わず姿勢を正す。なんでしょうか、と彼女に述べつつ、一体何を言い出すのかと身構える。
そして、
「貴女は、彼が故郷に帰りたがったら、どうするつもり?」
その言葉を聞いて、頭が一瞬真っ白になった。
「うわぁ……」
対峙している貴族の中でおそらく一番やる気の無かった人物、件の男と共にいた少年はこっそりと距離を取りながら一人ドン引いた。自分の予想以上の光景を目にして、戦意は欠片も無くなった。
一人。たった一人の少年に、十を超える貴族の、それも士官位を持っている者に従えられたメイジが沈められていくのだ。これが悪夢と言わずして何と言おう。もし、悪夢でなかったのならば。
「伝説……」
思わずそんな単語が口を付く。かつてトリステインにいた生きた伝説、『烈風』と『灰かぶり』。ひょっとして、その再来を目の当たりにしているのではないか。少年はそんなことを考えた。
何せ、『魔女』はトリステインの王妃の師であるという噂がまことしやかに囁かれているほどだ。他の伝説を継ぐものがいても不思議ではない。
そんなことを思っていた少年の真横を男が飛んでいった。ぶべ、と情けない声を上げて地面を転がった男は彼の上官でもあった件の貴族。見事に顔面に靴跡がついており、その姿は中々に滑稽であった。
「お、あん時そいつと一緒にいた人じゃないか。お前も、やるのか?」
戦闘の跡であろう、大分汚れた服を手で払いながら才人は少年にそう問い掛ける。問われた彼はいやいやと手を振り、そして周囲を見渡した。随分と余裕だが、大丈夫なのだろうか、と。
その視界に映ったのは、一人残らず叩きのめされた上官達と威勢のよかった部下。そして途中から戦意喪失していた自身と同じような同僚の姿であった。どうやら戦闘は終わったらしい。結果は一目瞭然、惚れ惚れするくらい、こちらの圧倒的敗北だ。
「凄いな……」
思わずそんな声が出る。が、それを聞いた才人はそうか、と首を傾げた。謙遜だとか、そういう感情の含まれていない純粋な問い掛けであった。
だってほれ、と彼は少年にあれを見ろと指を差す。ピンクブロンドの可愛らしい少女、今日彼がデートをしていた彼女。それを指して、自分は全然及ばないと言い切った。
「笑えない冗談だ」
「嘘じゃねぇよ。今の俺はルイズに敵わない」
「……伝説の再来の君でもかい?」
「伝説? あー、まあな。あいつの強さは伝説なんざ軽くぶっちぎるさ」
ちらりと自身の左手を見る。『伝説』の使い魔ガンダールヴの証は薄っすらと輝いていたが、これが彼女に敵う鍵となった覚えは今のところ一度たりともない。
対して、それを聞いた少年は驚きに目を見開いた。伝説を超える伝説、それが彼女だというのだ。生きる伝説を超えるとなれば、それは正に御伽噺の英雄に他ならない。
「ははは。そんな話を聞くと、ぼくは騎士になるのをやめて吟遊詩人にでもなろうかと思えてくるよ」
「いや、それはどうかと」
そう言ってお互いに笑う。そして残っていた連中と合流し倒れた貴族を脇にどけると、じゃあ俺はこの辺でと才人は少年に述べた。ああ、と彼もそれに頷き、達者でと握手を交わす。
その最中、そういえば、と少年は才人に問うた。
「君の名前、聞いていなかった」
「ん? 才人だ。そっちは?」
「ルネ・フォンク。吟遊詩人を諦めて、竜騎士を改めて目指す男さ」
「ぷっ。おう、頑張れよルネ」
「そっちもね」
もう一度強く手を握ると、お互い踵を返す。ルネは仲間達の方へ、そして才人はルイズの方へ。自分達の居場所へと戻っていく。
そう、居場所だ。彼にとって、ルイズの隣は既に居場所であった。使い魔だから、という意味合いなのかもしれないし、師弟関係だからということかもしれない。あるいは、気心の知れている友人で仲間だからかもしれない。
そのどれにしろ、才人はこの感情を捨ててどこかに行けるほど未練は薄くない。たとえ故郷に帰るとしても、全てを終えるかあるいはこちらと行き来する手段を整えるかしない限りは口にしないであろうとも思っていた。
だから、いきなりルイズが自身に抱き付いてこんなことを言い出すのは彼にとってあまりにも予想外であったのだ。
「やだ。帰っちゃやだ」
「は? へ?」
「勝手に故郷に帰るだなんて許さないんだから!」
「何の話!?」
寝耳に水とはこういうことか、と才人は思う。とりあえず状況が分からない。言っている意味は何となく分かる。分かるが、それだけでは何とも反応のしようがない。
とりあえず傍らにいるアンリエッタを見た。
物凄く楽しそうな顔で目をキラキラさせながら二人を見詰めていた。
「姫さま」
「わたくしは何の関係もありませんわ。さ、続きを」
「意味分かんねぇよ!」
思わず全力でツッコミを入れてしまう平賀才人十七歳。はぁ、と盛大に溜息を吐くと、なあルイズ、と自身の目の前で唇を尖らせている少女を見た。
あ、やばい。これ可愛い。そう思ったが、とりあえず頭の片隅に追いやった。
「いきなりどうしたんだ」
「……姫さまが、サイトはきっとその内故郷に帰るって」
「……で?」
「その時貴女は笑って見送れるのか、って言われて……考えたら、何て言うか、こう、寂しくなっちゃって……」
ぽつりぽつりと言いながら、どうやら段々と冷静になってきたらしい。ゆっくりと才人から離れると、ああもう何やってんのよわたし、と頭を抱えて悶え始めた。あまりにも自分らしくない行動に恥ずかしさが天元突破したらしかった。
一方それを聞いた才人は少しだけ視線を逸らした。ポリポリと頬を掻き、そしてやれやれと肩を竦めた。
ジロリ、とアンリエッタを睨む。その視線を受けた彼女は、何故か満足そうに微笑んだ。
「ルイズに余計な心配させないでください」
「あら、余計な心配? サイト殿は、故郷に戻らないのですか?」
「そりゃぁ、いつかは戻りますよ。きっと母さんとか心配してるだろうし」
母さん、という単語にルイズの方がビクリと震える。そうだ、何で失念していたのか。当然彼の故郷には家族がいる。自分のわがままで、家族と引き離すなどと許されざる所業ではないのか。
いつになくマイナス思考でそんなことを考えた彼女の耳に、でも、という彼の言葉が飛び込んできた。
「今の俺の居場所はここです。ルイズの隣、ルイズの使い魔。とりあえず日本とこっちを行き来出来る手段でも見付からないかぎりは、それは変わりませんよ」
後はまあ、使い魔首にならなければ。そう言って頭を掻いた才人を見て、アンリエッタは心底楽しそうに笑った。愛されてますねルイズ、と顔の真っ赤になった彼女の背後に近づいて抱きしめた。
「ルイズ、これが恋よ!」
「……キュルケみたいな頭沸いた事言わないでください」
「いや、それはキュルケに失礼だって」
「サイト殿はわたくしに失礼ですわ」
まあいいでしょう、と咳払いを一つしたアンリエッタは、とりあえず堪能したのでそろそろ帰りますとルイズから離れた。不満気に自身を見やる二つの顔は意図的に無視した。
サイト殿、と彼女は彼を見る。何ですか、と返した才人に、アンリエッタはクスリと笑みを浮かべた。
「デートの帰りもきちんとエスコートをするのが、紳士たる務めですわ」
「……分かってますよ」
どこか不貞腐れたように返した才人の肩を叩き、アンリエッタはその場を去る。一歩、二歩、そして三歩目辺りでウェールズの名を叫びながら全力ですっ飛んでいった。どうやら恋だの愛だの連呼していたので自分自身も燃え上がったらしい。
そうして残されたのは二人。才人と、ルイズ。
「……帰ろうか」
「何処に?」
「そりゃ、決まってんだろ」
言いながら、才人はルイズの手を取る。彼女の手を握り、彼女の温もりを感じながら、彼は笑顔で言葉を続ける。
俺はお前の隣が居場所なんだから、そう言って、彼は言葉を続ける。
「お前の、帰る場所さ」
才人エンド(ノーマル)。