気のせいだな、うん。
「兄さま」
「どうしたジャネット」
呆れたような妹の声を聞いて、ドゥドゥーはそちらへと振り向く。ジト目で彼を見詰めるジャネットの姿を視界に入れると、一体どうしたんだと彼は首を傾げた。
どうしたもこうしたもない。不満気にそう返したジャネットは、あれを見ろと宝物庫の壁を眺めている一行を指差す。何やら補修工事についてのやり取りを行っているようで、わずかに聞こえてくる単語だけでも修理が完了してしまうことを窺わせた。
「おお、これは急がないとマズいな」
「ほらやっぱり兄さまの情報は当てにならない」
やれやれ、と肩を竦めるジャネットにドゥドゥーは失敬なと眉を顰める。補修が完璧でないのは情報通りであるし、修理が終わるといっても今すぐというわけでもない。そう言いながら、つまり早い話がこうだと立ち上がり歩みを進めた。
「今からやる。ほら、何の問題もない」
「思い切り目立つわよ。……やるなら、兄さまだけでどうぞ」
「もとより、そのつもりさ」
ふ、と薄く笑ったドゥドゥーは被っていた帽子の鍔を指で軽く弾く。自身の杖を引き抜くと、それを軽く振り肩に担ぐような構えを取った。
少しだけ、一瞬だけその表情に真剣さが宿る。足に力を込めると同時、相当の距離があったはずの自身と宝物庫の間隔をゼロにした。目前に広がる壁を見て、彼はニヤリと笑みを浮かべる。固定化が完璧でないこんな壁など、ただ分厚いだけだ。自分ならば、あっという間に。
「ん?」
妙な感覚を覚えたドゥドゥーはその直前で杖を止めた。視線を左右に向けると、先程何かを相談していた連中が自分を珍しいものを見るかのように眺めているのが見える。ああそういえば、急ぐあまり見付からないようにするのを忘れていた。そんな呑気なことを考えながら、しかし彼はまあいいかと再度杖を振りかぶる。そうして今度こそ宝物庫の壁を切り裂かんとその一撃を。
「借金これ以上増やされてたまるもんですか!」
「お、っとっと」
瞬間、彼の目前に炎の壁が出来上がった。バックステップでそれを躱すと、ドゥドゥーは何だ何だと声のした方向を見やる。赤い髪を靡かせながら、しかし随分と余裕のない表情でこちらに駆けてくるメイジの少女の姿がそこにあった。
そのまま少女は彼と宝物庫の間に立つと、ここは通さんとばかりに仁王立ちをする。自身に挑戦するとも言えるその姿をみたドゥドゥーは、一瞬目を見開き、そして面白そうに口角を上げた。
「お嬢さん、ぼくの邪魔をする気かな?」
「ええ。この未完成の宝物庫に何か危害を加えるのならば、全力で邪魔させてもらうわぁ」
「そうかい。それは困ったな」
口調とは裏腹に全く困っていないような表情をしたまま、ドゥドゥーは杖を少女に、キュルケに突き付ける。それなら排除しなくちゃいけないんだけど。そう言いながら、その杖をゆっくり肩に担いだ。
「一応言っておくけど、負けたら死ぬよ?」
「ここを壊されてもあたしは死ぬのよ。主に社会的に」
「そうか。それなら仕方ない」
ドゥドゥーの杖が光る。瞬時に巨大な剣と化したそれを、彼は真っ直ぐに振り下ろした。その巨大さとは裏腹に斬撃の速度も相当なもので、並の相手ならば叩き潰され原型が残らないであろう、そんな一撃。
キュルケは自身の杖に『ブレイド』を掛ける。炎の蛇腹剣を作りだすと、鞭のようにしなるそれで斬撃の軌道を横へとずらした。それは自分が食らわないようにというよりも、宝物庫を攻撃されないようにという方が多分に大きい。
「いやお見事。君、凄いな」
「ありがと。あなたもその太くて大きいそれ、素敵よ。でもちょっと、乱暴過ぎるかしら」
「それはすまないね。でも、仕方ないのさ。ぼくは魅力的な相手を見付けると、どうにも我慢出来なくなる」
ぶん、と巨大な剣と化した杖をドゥドゥーは再度振り上げる。その刀身に火球をぶち込みバランスを崩させると、キュルケは一気にその懐に肉薄した。胸板にそっと手を添えると、杖に込めていた呪文を唱えそこへと打ち込む。
体が『く』の字に曲がったドゥドゥーは、そのままもんどり打って後方へと吹き飛んでいった。ゴロゴロと転がり、そしてバタリと倒れ伏す。
「……やった?」
「と、思うだろう?」
ムクリと起き上がったドゥドゥーは、いたたと攻撃を受けた胸を押さえながら手放した自身の杖まで歩いていった。それを拾い上げると、再度それを肩に担ぐような構えを取る。
そんな彼の姿を見たキュルケは、まあ予想していたけどと肩を竦めた。目の前のこいつは、その辺の十人一山の有象無象とは桁が違う。油断していて勝てるような、片手間で勝てるような、そんな相手とはわけが違う。
それでも、と彼女は思う。あの人ほどの絶望感はない。自身の緊張をほぐすように笑みを作ると、では再開しましょうかと杖を向けた。
「あははは。いいね、君は実に素敵だ。こんな場でなければ口説いていた」
「あら、ありがとう。でもね」
蛇腹剣をしならせ、ドゥドゥーへと打ち込む。
おっと、とそれを杖で弾いた彼は、一瞬だけちらりと宝物庫を見てから、意識を完全にキュルケへと集中させた。任務はまあ、もう少し後でも大丈夫だ。そんなことをついでに思った。
「あたしが強いからって理由だけなら、御免こうむるわぁ」
連続で火球を放つ。一発一発が人を簡単に消し炭に出来るほどの威力が込められ、それが縦横無尽に目標に向かう。
しかしそれが小手調べに近いことを見抜いたドゥドゥーは、楽しそうに笑いながら杖に呪文を唱えた。『ブレイド』により再度巨大な剣となったそれを振るい、尽くを切り裂くとお返しとばかりに追撃を振るう。
は、とそれを鼻で笑ったキュルケは、蛇腹剣を振り上げると真正面から受け止めた。
「おいおい。避けるどころか、受け止める? 正気か?」
「何言ってるのよ。この程度の一撃で吹き飛んでたら――」
ドゥドゥーの斬撃を上へと弾くと、ひねるように体を回転させ今度は側面へ一撃を叩き込んだ。二度の斬撃でバランスを崩したドゥドゥーがたたらを踏むのを見ながら、キュルケはしっかりと二本の足で大地を踏みしめながら真っ直ぐに彼を睨む。呪文を消し、杖へと戻ったそれを突き付けながら、胸を張る。
「あのバカの悪友なんか、やってられないのよぉ!」
そんな二人の戦いを見て、わぁ、と顔を輝かせているのはルクシャナである。それで、結局どっちが勝つのか、そんなことを楽しそうにタバサに問い掛けた。
「キュルケ」
「本当に? 身内贔屓じゃないの?」
「違う。向こうも相当の使い手だけど、キュルケの方が強い」
「身内贔屓ですわね」
「違う」
アンリエッタのその言葉にも同じように反論し、タバサは向こうの戦いへと視線を移した。巨大な剣と蛇腹剣とかぶつかり合うその様はメイジの戦いというよりも剣士の演舞に近いものであったが、そのことについて言及するものは誰も居ない。『そういうこと』をする筆頭が、かつてトリステインで伝説となり、今現在娘が似たようなことをやっているからだ。
「でも、大丈夫なの? キュルケって、ルイズみたいな戦い方をする人じゃなかったでしょ?」
ティファニアが心配そうにそう尋ねる。どちらかというと魔法をぶっ放して殲滅するタイプである彼女があの戦い方をしているのが気になったらしい。
が、タバサはそんな彼女に心配ないと短く一言だけ返した。
「大体、キュルケはルイズと真正面から喧嘩が出来る人。あれくらい容易い」
「そ、そうなんだ」
へー、と感心したように頷くと、彼女は再度視線を向こう側の戦いへと移した。
ドゥドゥーは楽しそうに巨大剣を振るい、キュルケはまるで歌劇でも行っているかのようにそれを弾く。そんなことを幾度と無く繰り返していた二人は、お互い示し合わせたように剣と剣とをぶつけ合うと後ろに下がり距離を取った。
双方共に『ブレイド』の呪文を消し去り、対面の相手の顔を見て笑顔を浮かべる。ドゥドゥーは何がそんなに楽しいのか、弾けんばかりの笑顔でキュルケを称賛していた。そんな彼のその言葉に礼を言いつつ、キュルケはところで、と笑みを消さぬまま問い掛ける。
「まだ、続けるの?」
「楽しい時間というのは、いくらあっても足りないものさ。そうは思わないかい?」
「そうねぇ。それには頷くけれど……良かったの?」
「何がだい?」
首を傾げるドゥドゥーに、キュルケはクスクスと笑いながらあれよあれ、と建物を指差した。先程とは壁面の輝きが明らかに違う、彼が破壊しようとしていた宝物庫を指差した。
「完成したわよ、宝物庫?」
「え?」
「固定化に加えて、特殊なコーティングも施してあるあの壁は、ちょっとやそっとじゃ壊れないわぁ。ついでに、あたしの責任も免除されたし」
そう言いながらキュルケは杖を仕舞う。戦う理由はなくなった、そう言わんばかりの彼女の態度に、ドゥドゥーは一瞬呆気に取られ、しかしすぐに我に返るとちょっと待てと手を伸ばす。何? と首を傾げたキュルケに、彼は少し考えるような仕草を取った後、お手上げだというように天を仰いだ。
「ぼくはそういう考え事は苦手なんだ。よければ教えてくれないかい?」
「説明? えっと、あたしがあなたと戦っていたのは、宝物庫の壁面の仕上げを邪魔されないように時間を稼いでいた。で、いいのかしら?」
「ああ、うん。成程、そういうことか」
しまったなぁ、と手で顔を覆いながらドゥドゥーは項垂れる。よく調べないと詳細は分からないものの、とりあえず目の前の壁面は一筋縄ではいかないものになったのは間違いない。加えて、ここで破壊を再開して対面の彼女が妨害しないという保証もない。
これは仕事失敗かな。げんなりした顔で溜息を吐いた彼は、帽子を取るとガリガリと少々乱暴に頭を掻いた。再度被り直し、仕方ない、出直そうと踵を返す。
「あら、お帰りかしら?」
「ああ。ちょっと依頼人にお伺いを立ててこようと思ってね」
どうする? とドゥドゥーは尋ねる。その質問にキュルケはどうもしないと肩を竦め、出来れば今度は自分に厄介事が降りかからない仕事を選んで欲しいとぼやく。
彼女のその言葉にドゥドゥーは大笑いをし、肩を震わせながら考えておくよと彼女に返した。
「それじゃあお嬢さん。出来ればまた、ダンスのお相手をお願いしたいね」
「そうねぇ。次はもう少しムードを大事にしてちょうだい。そうすれば、考えてあげる」
「ははは、手厳しい」
ヒラヒラと手を振ると、ドゥドゥーはそのままのんびりとその場を去っていく。それに何か異議を唱えるものは誰もおらず、キュルケも、タバサも、アンリエッタやルクシャナやティファニアも。
どこか憎めないその男の後ろ姿を、見送るように眺めていた。
「失敗した」
「見てたから分かるわよアホ兄」
あはは、と笑いながらジャネットの下へと戻ったドゥドゥーを待っていたのは妹の罵倒であった。はぁ、と盛大に溜息を吐かれ、これだからドゥドゥー兄さまと組むのは嫌なのよとぼやかれる。
そんな彼女の態度に顔を顰めつつ、それで一体全体どうなったんだと彼は問う。さっき向こうで聞いていたでしょうと呆れるように言われ、ドゥドゥーはその表情を更に不満気なものに変えた。
「ぼくが聞いているのはそうじゃなくて、この仕事のこれからのことだ」
「兄さまが失敗したんだから、兄さまが叱られてくださいな」
「……ああ、それは甘んじて受けよう。それで、その先は?」
「さっき兄さまは自分で言っていたじゃない。依頼人にお伺いを立てるって」
「ああ、言ったさ。そしてそれを聞いていたということは、だ」
持っているだろう? とドゥドゥーは彼女の胸元を指差す。勢い余って胸をつついてしまった彼はジャネットの盛大なビンタで頬を腫らしたが、すぐさま治療しみっともない姿を晒し続けるのは回避した。
ジロリとそんな兄を睨み付けたジャネットは、彼が指差した通り胸元に仕舞ってあった新たな指令書を取り出すと投げ付けた。空中でそれを掴んだドゥドゥーがそこに目を通し目を見開くのを見て、彼女の溜飲が少しだけ下がる。
「ジャネット。これは本当に?」
「ええ。正真正銘、ジョゼットお嬢様からの手紙ですわ」
「……それはそれは」
上を目指すのはいいが、少し考えた方がいい。そんなことを思いつつ肩を竦めたドゥドゥーは、ジャネットの方へと向き直るとどうするんだと目で問うた。
仕事は仕事だ。そう短く返した彼女は、別に嫌なら自分一人で行くと踵を返す。その手を慌てて掴んだドゥドゥーは、普段の彼からは考えられないような真剣な表情で彼女を諌めた。
「い、いきなりどうしたのドゥドゥー兄さま」
「ジャネット。君はこの指令書を読んだのだろう? それで、何故そんな行動を取ろうとした」
「に、兄さまが不甲斐ないから」
「ぼくが不甲斐ないから、女子供を嬉々として焼き殺すような狂人への交渉に一人で行こうとしたのか?」
う、とジャネットはたじろぐ。ドゥドゥーの顔にも口調にも、巫山戯ている様子は一切ない。本気で彼女のことを叱り、本気で彼女の事を心配している。それが分かるから、ジャネットもそれ以上は反論せず、バツの悪そうな顔をして視線を逸らした。
「ごめんなさい、兄さま」
「分かればいいんだ。ぼくも少し強く言ってしまった」
真剣な空気を霧散させたドゥドゥーがそう言うと、ジャネットは少しだけ胸を撫で下ろす。何だかんだで大切な兄だ、嫌われるのはよろしくない。
では、改めて行きましょうか。そう彼女は述べ、出来れば自分一人がいいんだけれどと頬を掻くドゥドゥーの腕に自身の腕を絡ませる。それはそれ、これはこれ。そう言いながら、彼女は悪戯っ子のようにペロリと舌を出した。
「はぁ……分かったよ。でも、油断はするなよ」
「当然ですわ。わたしだって『元素の兄妹』の一員だもの」
「そうだね。ジャネットもれっきとした『元素の兄弟』の一員だ」
「兄妹よ」
「兄弟だろ?」
ふん、とジャネットはそっぽを向く。ドゥドゥーはそんな彼女の態度の理由がどうにも分からず、そんなに気にすることなのかと頬を掻いた。
まあ、深く考えていても仕方ない。そう思い直した彼は、歩みを進めながら指令書に再度目を通す。『始祖の秘宝』は別のものを探すか新たな作戦を考案するので一旦休止。その代わり、新たな傭兵を手に入れるための交渉に赴いて欲しい。要約するとそういう意味合いであったそれを読み直した彼は、そこに記されていた名前を口にする。
「『魔法研究所実験小隊』、そこの副隊長と隊長が欲しい、か。いくらなんでもお嬢様も無茶が過ぎる」
「……そんなに危険なの? その副隊長と隊長って」
「白炎の名は知っているだろう? あれが副隊長で、それを上回るメイジが隊長だ」
まあ、どちらも『元』が付くけれど。そう言いながらドゥドゥーは頭を振った。せめて話が通じる相手ならいいのだけれど、と続けながら、ジャネットを心配するようにちらりと見た。
「副隊長だっていう白炎は知っているわ。だから兄さまが怒ったのも分かる。でも、隊長? どんな人だったかしら?」
「まあ、ぼくも噂しか知らない。何処にいるのかも分からない。……交渉の前に行方を探す必要があるのも厄介だな」
「それで? どんな人なの?」
噂によれば、冷酷で、残忍で、顔色一つ変えずに村を一つ焼き尽くしたのだとかなんとか。そんなことを述べながら、全くスマートじゃないねとドゥドゥーは肩を竦める。きっと自分達と合わないだろうと同意を求めるようにジャネットを見た。
「仕事に忠実。案外相性は悪くないのではなくて?」
「馬鹿を言わないでくれ。ぼくはそうは思わないよ」
「はいはい。ちなみに、名前は?」
ジャネットの問い掛けに、ドゥドゥーは少しだけ考える素振りを見せる。自分もうろ覚えだけれど。そう前置きしながら、額に指を置きつつ答えを絞り出した。
「――ジャン。ジャン・コルベール」
主人公不在のままフェードアウトエンド。