ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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ルイズ不在のまま続くお話。


その2

 ロマリアの数ある修道院の中の一つ、その礼拝堂にて一人の少女が祈りを捧げていた。暫し黙祷を捧げ、それが終わるとゆっくりと彼女は立ち上がる。ふう、と息を吐くと、軽い足取りで礼拝堂を後にし自室へと戻る。普段の日課というものであったのか、その動きには迷いがない。

 部屋に戻った少女は、本棚から一冊の本を取り出しそれを開く。何度も読み返した物語を今日も眺め、どこか熱っぽい表情で読み終わった本を閉じる。その物語の登場人物に誰を重ねたのか、想像には難くない。

 竜から救い出された少女。勇者に助けられたヒロイン。絶海の孤島であったあの場所から外の世界に連れ出された自分は、まさにそれではないか。そんなことを考え、頬に手を当てると嬉しそうに体をくねらせた。

 

「……何をやっているんだい?」

 

 背後から声。ビクリと体を震わせた彼女は、恐る恐る後ろを振り返る。願わくば、あの人ではありませんように。聞き間違えるはずもない愛しい声を聞いた以上それは叶わないのだが、それでも彼女は祈らずにはいられない。

 無論そんな祈りは届かず、彼女の視界には呆れたように肩を竦める一人の少年の姿が映る。白銀の髪、左右で違う瞳の色。紛うことなき、自身を助け出してくれた。

 

「勇者様!?」

「……ジョゼット。咄嗟にぼくを呼ぶ名前をそれにするのはいい加減やめないかい? 名前か、あるいは前のように竜のお兄さまでもいいから」

 

 困ったように頬を掻く少年を見て少しだけ溜飲が下がったジョゼットは、冗談ですと微笑み彼に一歩近付いた。そっと彼の首の後に手を回し、そして自身の顔を彼の顔に近付けていく。

 

「……人が見ていたらどうするんだ」

「いいわ。わたし、ジュリオとならどこまでも逃げられる」

 

 口付けを交わした二人はそんなことを言い合うと、どちらともなく苦笑する。さてでは気を取り直して、とジョゼットから離れようとしたジュリオは、しかし彼女に手を掴まれ密着したままベッドに座り込むこととなった。

 そんな彼女に抵抗するのは諦めたのか、彼はやれやれと肩を竦めると、その状態のままゆっくりと彼女の頭を撫でる。くすぐったそうにしていたジョゼットは、やがて満足したのかありがとうと微笑んだ。

 

「それで、貴方達の小細工はどうだったの?」

「中々厳しい物言いだね」

 

 敵わないな、と苦笑したジュリオは、暫し考えるように視線を巡らせると、まあ成功とも失敗とも言えないなと言葉を濁した。何よそれ、とジョゼットが頬を膨らませるが、彼は彼でそう言うしかないんだと肩を竦める。

 

「恐らく、あの三国は聖下の思惑とは違う方向に動き出しただろうからね」

「何よそれ。なら失敗じゃない」

「そうでもないさ。少なくともぼくと――」

 

 君にとっては。そう言ってジュリオはジョゼットの頬を優しく突く。む、と膨れた空気が口から無理矢理押し出されたことで間抜けな声を出してしまった彼女は顔を赤らめ、彼はそんな彼女を見てケラケラと笑う。

 

「からかわないで!」

「ごめんごめん。でも、話は十分真面目さ。向こうは向こうで、聖地を目指してくれる。聖下の望んだ過程とはかけ離れていても、結果が同じなら何の問題もないだろう?」

「ふうん」

「興味なさげだね」

「ええ。わたしにとってはジュリオが全てだもの」

「はははっ。愛されてるなぼくは」

 

 楽しそうにジュリオは笑うと、そろそろ行くよと立ち上がった。名残惜しそうに手を伸ばすジョゼットにもう一度口付け、一段落着けばもっと一緒にいられるからと優しく囁く。

 約束よ、とジョゼットは彼に返すと、手を振る彼の背中を見送った。ゆっくりと扉が閉められ、再び部屋は彼女一人となる。急に降って湧いた寂しさに、ジョゼットは切なげな吐息を漏らした。

 

「まったくもう……ジュリオったら、教皇聖下に掛かりっぱなしで、わたしを見てくれる時間がどんどん少なくなっていくんだから……」

 

 呟き、仕方ないと溜息を吐く。今の自分は一介の修道女、対する相手はロマリア最高神官だ。比べるのもおこがましい。

 そう、だから。彼と共にいるためには、自身がそこに上り詰めるか、あるいは。

 

「……『地下水』」

「はっ」

 

 彼女以外誰もいなかったその部屋の扉を開け、一人のメイドがやってくる。腰に短刀を帯びたその女性は、ジョゼットの下へと近付くと頭を垂れた。

 首尾はどう? そう尋ねたジョゼットに、『地下水』はにこりと笑みを返す。懐から小箱を取り出すと、それを彼女へそっと差し出した。

 

「これが、ロマリアから失われた『火のルビー』?」

「と、聞いております」

 

 ふうん、とそれを手に取り、ジョゼットは指にはめる。ぶかぶかであったそれはすぐに彼女に馴染むように変化し、まるで元々の持ち主であったかのように彼女の指で光り輝いた。

 

「これで、後は『始祖の秘宝』があれば」

 

 自分が『虚無』だと証明出来る。そうすれば、一足飛びで教皇の地位に近付けるはずだ。

 ジュリオが自分だけを見てくれる未来を想像しクスクスと笑ったジョゼットは、次なる作戦を考えるべく本棚に向かう。物語と、指南書と、そしてどこぞとも知れぬ異国の書物。それらを読み解き知識として身に付けんとしている彼女は熱心な探求者のようにも見えた。

 

「ジュリオも、きっと同じ気持ち。だって、さっき言ったもの。聖下の策が失敗したのは、わたしと、彼にとってはいいことだ、って」

 

 待っててねジュリオ。そう言うと、彼女は羊皮紙にサラサラと何かを書いて『地下水』に手渡した。

 

 

 

 

 

 

 その日、トリステインの王宮では蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。アルビオンの聖女が訪問し、ガリアからの親善大使がやってきて、更に王女のかつての師が訪ねてくるのだという。一体全体どうすればここまで重なるのかと臣下の貴族は頭を抱え、極一部の者はまあアンリエッタ姫のやることだからと諦めの境地に達していた。

 そのどちらの要素も併せ持っていたのが宰相であるマザリーニ枢機卿である。彼は必要最低限の情報である程度を察し、それぞれに最適な準備を整えるべく東奔西走していた。ウェールズが手伝いを申し出たが、未だ立場上は他国の皇太子である彼を使うことは憚られ、丁重に断った。

 結果、彼が医務室で倒れる頃には準備は滞り無く終了し、それぞれを受け入れる準備はすでに万端となっている。流石ですわと彼を称えるアンリエッタの横で、ウェールズは静かにここにいない彼に向かい頭を垂れた。

 そんな二人のもとにまず現れたのは、一人の少女。突然の訪問ごめんなさいと頭を下げる彼女に向かい、アンリエッタはお気になさらずと微笑む。

 

「わたくしと貴女は従姉妹同士。何を気にすることがありましょうか」

「……はい! ありがとうございますアンリエッタ」

 

 ふふ、とお互いに微笑み、それで一体どうしたのですかとアンリエッタはティファニアに問い掛ける。その問い掛けで瞬時に表情を暗くさせた彼女は、一体どうすればいいのか分からないと涙目で従姉に抱き付いた。

 事情を聞き、まあ仕方ないと頷いたアンリエッタは、どうしましょうかとウェールズに向き直る。本来ならば自分の役目であろうその立場での答えを求めていると理解した彼は、そうだね、と少し考える素振りを見せた。

 

「まずは、ガリアの親善大使と会ってから、かな」

「流石ですわウェールズ様。わたくしの愛する殿方だけはあります」

「……そ、そうなの?」

 

 二人の会話の意味が分からなかったティファニアは首を傾げながら周囲に視線を向けたが、控えている衛士隊の面々が黙って首を横に振っていたことで大体察した。気にしてはいけないのだ、と。

 

「というわけでテファ。貴女も親善大使との会談に出席して頂戴」

「何がというわけでなのかよく分からないけれど……はい」

 

 こくりと彼女が頷くのを満足そうに眺めたアンリエッタは、ではこのまま向かいましょうと席を立つ。え? と目を見開くティファニアを余所に、ウェールズも控えていた衛士隊も何事もなかったかのようにそれに続いた。

 慌ててそれについていった彼女は、先程とは別の部屋で、今度は待つ側として席に座る。そうしていると、親善大使が来た旨を兵士が伝えに来、アンリエッタがここに来るように促した。

 ごくりとティファニアが唾を飲む中、扉が開き三人の人物がそこにやってくる。一人は彼女も知っている小柄な青みがかった髪を持つ少女。そして残り二人は。

 

「ようこそ親善大使のお二方。わたくしはトリステインの王女、アンリエッタ・ド・トリステインと申しますわ」

「うむ。ネフテスのビダーシャルという。時間を作ってもらい、感謝する」

「ルクシャナよ。初めまして」

 

 本来ならばその二人の態度は王族に対して無礼とも取られかねない。が、当のアンリエッタが別段気にすること無く対応している上に自国の臣下であるはずのヴァリエール公爵家三女が毎度殴り合いをしているので、慣れ切った兵士達は口を挟むことをしなかった。これはある意味計画通りとも言えるし、巡り巡った結果オーライとも言える。

 ともあれ、会談は躓くこと無く至極あっさりと進むことと相成った。

 

「それで、今回の親善大使の意図は、どういうもので?」

 

 既に同盟を組んでいる以上、形式上ではない何かがあるのか。そう問うたアンリエッタに対し、ビダーシャルは苦い顔を浮かべる。タバサに視線を向けると、少し疲れたように溜息を吐いた。

 

「ガリア以外の文化を学んでこいって言われたわ。蛮人にも国ごとで色々違うんだって」

 

 そんな彼の葛藤などなんのその。ルクシャナはにこやかにそう言い切った。よりによって『蛮人』というキーワードを言い放った。

 まずそれに気付いたのはウェールズ。眉を顰め、そしてビダーシャルとルクシャナを眺め、そして最後にティファニアを見た。少し考え込むような仕草を取った後、諦めたように溜息を吐く。

 次に気付いたのはティファニア。え、と二人を見て、そして従兄姉を見て、何も動じていないのを確認すると何だ何の問題もないのかと安堵した。

 そして最後の一人。正確には、既に知っていたアンリエッタは。

 

「それはそれは。ここトリステインは水の国、学ぶものがあればどんどんと身に着けていってください」

 

 あまりにも普通に対応したため、ビダーシャルですら一瞬首を傾げた。隣に目を向けると、まあそうだろうと思っていたという顔をしているタバサが映り、成程そういう輩なのかと少し納得したように頷く。

 そして、二人の会話が一段落したところを見計らい、少しいいだろうかと彼は述べた。

 

「はい、どうされましたミスタ・ビダーシャル」

「ああ、何。そちらは、我々のことを知っているのか、と思ってな」

「……失礼ながら、既に調べさせて頂きました」

 

 頭を下げ、謝罪の言葉を述べる。それに首を振りながらそんなことをせずともとビダーシャルは返し、まあ仕方がないだろうと肩を竦めた。何せ、自分達は。

 

「しかし解せぬ。ガリアのあの変人共ならばともかく、そちらのような身分の者が何故こうも平然としていられる?」

「そう見えているだけで、内心は恐怖に震えているやもしれませんよ」

「冗談が上手いな」

「ありがとうございます」

 

 笑みを浮かべるアンリエッタを見て、ああなるほどと彼は思う。蛮人の王族は変人しかいない、と。

 

「ちっ」

「何をするエレーヌ」

「不快なことを考えていたから」

「……お前も大概だぞ」

 

 二発目の杖も『カウンター』で弾き返しつつ、ビダーシャルは分かった分かったと彼女を宥める。ふんと頬を膨らませるタバサを見て、ルクシャナはよく飽きないわねと笑った。

 

 

 

 

 さて、ある程度の目的を聞いた以上、いつまでも部屋で話していてもしょうがない。アンリエッタの提案で庭園を散歩しつつ、ではこれからどうしようかと一行は口々に案を出し合った。そのほとんどは既に考えていたものを口にするだけであったが、それでも他人がいることで意見は洗練されていく。

 

「じゃあ暫くはここで生活出来るのね」

「ええ。勿論ですわ」

 

 やったー、と諸手を上げて喜ぶルクシャナ。それを見てやれやれと頭を振るビダーシャルを見ながら、ウェールズは貴方も苦労していますねと労った。

 

「いや、本当に苦労しているのは私ではない。あいつの婚約者だろう」

「……恋人が、いるのですか」

「不思議ではあるまい。あれは性格こそ問題があるが、基本的に頭は回るし器量もいい」

 

 どこかで聞いたぞその評価、とウェールズはちらりとアンリエッタを見た。ルクシャナとティファニア、エルフの少女達と何の気兼ねなく談笑している最愛の女性を眺めつつ、出会ったこともないルクシャナの婚約者とどこかシンパシーを感じてしまう。

 そんな彼の心情は露知らず。タバサは少し聞きたいことがあると彼に問い掛けた。

 

「どうしたんだいミス・オルレアン」

「アルビオンのこれからについて、貴方に聞きたい」

「……ここのところトリステインの一員になっている僕で良ければ、答えよう」

 

 そう言うとティファニアに視線を移した。彼女ならば、きっとロマリアの要請があっても首を縦に振ることはあるまい。そうはっきりと断言した彼は、これでよかったかなと頬を掻く。

 

「ありがとう。充分」

 

 少しだけ安堵したようにそう答えたタバサは、さてと、と少し伸びをした。いい加減お守りも限界だ。そろそろ自由な時間が欲しい。そんなことを考えつつ、視線をウェールズからビダーシャルに移した。

 

「好きにしろ。ルクシャナは彼女等がいる限り問題あるまい」

「ん。ありがとう」

 

 ペコリと頭を下げる。口笛を吹きシルフィードを呼び寄せると、自分は魔法学院に帰ると皆に告げた。結局帰郷してもそこまで休めなかったから、もう学院の自分の部屋でダラダラしたい。そうタバサは考えたのだ。

 が、現実はどうやら彼女に厳しかったようで。

 

「あら、それは丁度良かった」

「ええ、そうね」

「は?」

「わたくし達もこれから、魔法学院に向かおうと思っていたのです」

 

 ねぇ、といつの間に仲良くなったのか見事な連携でハモった三人を見ながら、タバサはゆっくりと振り返る。

 無言で首を振る男性陣二人が視界に入り、彼女の目から急激に光が失われていった。

 

「ルイズ……早く帰ってきて」

 

 悲痛な呟きは、風に消えた。




ジョゼットは黒幕的でティファニアは常識にとらわれなくなってきて。

さらばまともな王族。

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