翌日、眠い目をこすりながらも一行が辿り着いたラ・ヴァリエールの屋敷は、城と言っても過言ではないほどの大きさを誇っていた。シエスタは流石ですと笑顔を浮かべながらルイズと会話をしていたが、才人は予想以上のそれに一瞬言葉を失ってしまう。
思わずルイズを見やる。何よ、という彼女の言葉に何でもない、と返しつつ、もう一度目の前の建物を見た。
「俺、ルイズがお嬢様なんだって今ようやく実感した気がする」
「どういう意味よ」
「言葉通りに受け取れば良いのでは?」
「その場合わたしはサイトをぶん殴らなきゃいけないんだけど」
「それでよろしいかと」
「よろしくねぇよ!」
笑顔で死刑宣告に同意するシエスタにツッコミを入れつつ、いやだってと才人は言葉を続けた。それらを聞いたルイズは不満そうに唇を尖らせ、しかしエレオノールがその通りじゃないと述べたことで悔しそうにそっぽを向く。カトレアはそんなやり取りを見ながら一人微笑んでいた。
そういえば、と才人が呟く。朝の時点で既にいなかった人物、彼女は一体どうしたのか聞きそびれていたのを思い出したのだ。
「どうしたのよ?」
「いや、ノワールさんはどうしたんだろうかって」
「さあ? どっかその辺にいるんじゃない?」
「どっかその辺って……そんな認識でいいのかよ」
「いいのよ。だってあの人は『魔女』なのよ」
むしろここで自分達と行動を共にしていたほうが異常事態で警戒すべきだ。そんなことを言いながらルイズは馬車の椅子の背もたれに体を預けた。もうすぐ中に入るから、準備をしておきなさい。そう続けると、彼女は傍らに置いてあったデルフリンガーを手に取る。
はいはい、と才人も同じように横に立てかけていた日本刀を掴み、盛大な音を立てて降りた跳ね橋を見た。奥に建っている城と比べると幾分か色あせて見えるそれは、ある程度の年月を感じさせるもので。
そういえば建物は破壊されて修理したとか言ってたっけ。昨日のノワールの会話を思い出しながら、ぼんやりとそんなことを考えた。
さて、建物に入ると才人とシエスタはルイズの後ろで待機である。通常の従者は別の部屋へと移動しなければならないが、特例としてルイズが許可を出したのだ。
「ただいま帰りました」
大広間へと案内され、入り口の扉を開け三人がほぼ同じ言葉を述べる。それを聞いた部屋の中のメイド達はおかえりなさいませと頭を下げ、中心にいた二人の男女はそちらの方向へと目を向けた。初老の男はルイズ達を見るとその表情を柔らかいものに変え、おお戻ったかと嬉しそうに三人を迎える。隣の女性、公爵夫人は伊達眼鏡をして尚隠せない鋭い目付きで一行を見ると、少しだけ口角を上げた。
「しかし、随分と今年は遅かったではないか」
そんな公爵の言葉に、ルイズは少しだけバツの悪そうな顔で頬を掻く。少し事情がありまして、そう言いながらしかしなんとか誤魔化そうと必死で思考を巡らせた。
が、そうは問屋が卸さんとばかりに、エレオノールが聞いてくださいと彼に伝えた。伝えてしまった。学院の宝物庫を破壊したせいで資金不足となって帰郷が遅れたことを。
公爵は目を見開き、そして盛大に溜息を吐いて椅子に体を預ける。まったく、と呟いているが、どうやら次に掛ける言葉が見付からない様子であった。クスクスと笑っている二人のメイドに、笑い事ではないぞと疲れたように返すので精一杯の様子である。
対する公爵夫人は、まあやってしまったものは仕方ないと言わんばかりの反応であった。自分の所持金でどうにかなるものではないはずだけれど、とルイズに尋ね、アンリエッタに立て替えてもらったことを聞くと、早めに返すようにと少しだけ諫めるように言うのみである。
「カリーヌ。それだけではだな」
「別にもう過ぎたことです。ルイズだって反省しているのでしょう? ならもういいではないですか」
「いや、しかし。……どうもまた同じことをやらかす気がしてならないのだ」
「その時は、その時。自分でどうにかするのならば、ですが」
ジロリとルイズを見る。勿論です、と姿勢を正したルイズは彼女の言葉に答え、ならば結構とカリーヌは微笑を浮かべる。そして公爵は諦めたように溜息を吐いた。
コホン、と咳払いが聞こえる。どうやら話題を変えるらしく、公爵が視線をルイズから後ろに立っている才人へと移動させていた。
「そこの男が、お前の言っていた使い魔、か?」
「はい。見た目は冴えないですが、これでも意外と頼りになるのです。信頼出来る使い魔にして弟子、そして友人ですわ」
「……ルイズが手放しで男を褒める、だと……?」
先程までの説教時の表情とは一変、にこやかにそう述べたルイズを見て、公爵の表情はますます曇る。それどころか、敵意を持って才人を睨み付けるほどに機嫌が悪くなっていった。
あちゃぁとエレオノールは頭を押さえ、あらあらとカトレアは頬に手を当てる。どうやらこれから起こることの予想が出来たらしい。どうしたものかと少しだけ考え、しかしどうしようもないかと早々に諦めた。強く生きるのよ、と少しだけ悲しそうな目でエレオノールは才人を見、そして彼はその縁起でもない表情に顔を曇らせる。
「貴様、名前は?」
「は、はい! 才人、といいます」
「そうか。すぐに忘れるだろうな」
「あなた」
子供じゃないのですから、と呆れたように述べるカリーヌであったが、公爵はそれでも態度を改めなかった。ふん、と鼻を鳴らすと当然だろうと言わんばかりに彼女に向き直る。
「ルイズが、あのルイズがだぞ、こんなどこの馬の骨とも分からん男にうつつを抜かすなどとはあってはならん!」
「だから落ち着いてくださいピエール。別にルイズはあの少年を評価しているだけでそのような感情を持っているようには見えませんよ」
「いや、しかしだな。あの手の評価は後々恋心に変わっていくだろう? 違うかカリーヌ」
「……ま、まあ。最初はまあそこそこ評価してやるだったのが、いつのまにか惚れて妻になってしまったわたしは反論出来ませんね」
少しだけ顔を赤くして視線を逸らすカリーヌを見て、公爵もコホンと咳払いをしながら頬を掻く。そんな二人を見て従者達はいいものを見たとばかりに微笑み、エレオノールとカトレアはまた始まったと苦笑した。
そしてルイズは少しだけげんなりした表情でいちゃつく両親をジロリと睨んだ。
「……とりあえず、サイトを認めてくださるということでいいのですか?」
「それとこれとは話が別だ」
「父さまのケチ」
「なんとでも言え。父親はな、こういうものだ」
だろうな、と才人は思う。多分自分が向こうの立場でも同じ態度を取ると確信を持っていた彼は、まあ認められないなら認められないでもいいじゃないかと楽観的に考えていた。どのみち立場上は自分は使い魔、そういう扱いだと開き直ればそれはそれで。
そんな彼をエレオノールが少しだけ不思議そうに見やった。いいのかしら使い魔の貴方、と才人に問い掛ける。このままだと使い魔も解雇されるわよ、と。
「え?」
「父さまが認めない以上、使い魔として共にいるのも難しくなるわ」
「……それは、困る――ますね」
ここ数ヶ月の生活のおかげで生きていく分にはある程度困らないツテも出来たが、しかし。彼としては今現在の生活が気に入っている。出来ることならば、手放したくない。
とはいえ、ならどうすればいいのかというと何のアイデアもないのが現状である。そもそも今の才人に発言権はないに等しい。精々ルイズが頑張ってくれるのを祈るばかりだ。大っぴらに何かは言えない以上、頑張れ、と彼は心の中で盛大にエールを送った。
「でも父さま! サイトは姫さまやウェールズ殿下にもある程度認められてますし、タバサ――シャルロットとも友人です。そこいらの馬の骨と同じではありません」
「そうか。そんな国の要人とも懇意にしている男となれば、ますますお前の傍に置いておきたくなくなるな」
ああ言えばこう言う。どうあっても意見を変えんとばかりの態度を取る公爵に、ルイズもそろそろ我慢の限界が来ていた。一体何がいけないというのか、その理由がさっぱり分からない彼女にとって、公爵のそれはただの我侭としか思えなかったのだ。
もうこうなったら家出でもしてやろうか。そろそろそんなことが頭をもたげ始めた頃、隣で話を聞いていたカリーヌが公爵を諫めるように言葉を紡いだ。いい加減にしておきなさい、と。そんな問答をしていても埒が明かない、と。
「母さま!」
ルイズはその言葉に顔を輝かせた。助け舟を出してくれた、それが嬉しかった。そして、それが母親であったことが彼女の喜びを増大させていた。
だから、カリーヌの次の言葉を聞いても、ルイズは別段疑問を持つこと無く首を縦に振った。才人が後ろでとんでもない表情を浮かべていることなど露知らず、頷いてしまった。
「それなら、一度試してみればいいでしょう。あなたが、自分の手であの少年を」
「……ほう。それはいい考えだ」
ニヤリ、とルイズの両親が揃って悪魔のような笑みを浮かべた。とはその時の才人の弁である。
どうしてこうなった。と才人は嘆きたくなったが、しかし悩む必要もないほど明白だったので諦めて項垂れた。仕方ない、と気合を入れ直しながら真っ直ぐに前に立つ人物を見る。この練兵場で剣杖を構え立っている初老の男に、彼が見る限り隙は一つもなかった。
「……あの、公爵様」
「何だ小僧」
「……ひょっとして、生きる『伝説』とか噂されていたりしませんか?」
「何だそれは? 噂話に興味はない」
そうですか、と溜息を吐くと才人は剣を正眼に構える。答えは出なかったが、しかし何となく予想は付いていたのでこれ以上こだわることもあるまい。そう結論付け、後は当たって砕けてやると足に力を込めた。
「あなた。忘れてはいけませんよ、あくまで模擬戦です」
「分かっているさカリーヌ。心配するな、すぐに終わる」
公爵はあくまで余裕を崩さない。カリーヌもその態度に何か物申すこともない。負けるはずがない、と思っているのだろう。
当然それは観戦している他の面々も同じで。だが、それでも若干の差異が生まれていた。メイド長二人は大丈夫かと少しだけ不安そうに、エレオノールは昨日の立ち回りを見ているので微妙な表情、二回見ているカトレアはどうだろうかと興味津々。
「サイト! どうせなら一発叩き込んでやりなさい!」
「ルイズ様、どっちの味方なんですか。ああ、いや、愚問でした」
そして彼の主とそのメイドは、戦っている本人以上にテンションが上がっていた。あまりにもなそれを見て、才人も思わず苦笑してしまう。やれやれ、と肩を竦めると、先程よりもリラックスした表情で目の前の強大な存在を見やった。
「では、いきます!」
「ふん。来い小僧!」
一足飛びで間合いを詰める。向こうが呪文を紡ぐ前に一撃を、そう考えた才人のそれは、しかし振り切った刀を容易く杖で防がれたことで瓦解した。こなくそ、と少し下がりつつ追撃を行うが、まるで最初から読んでいたかのように軌道上には杖がある。ほとんどその場から動くこと無く、公爵は才人の攻撃を全て捌き切ってみせたのだ。
「終わりか?」
「……まだまだ!」
バックステップ。そして跳躍、二次元移動から三次元移動へと移行した才人の攻撃は、相手の死角へと移動するように縦横無尽に迫り来る。それをあろうことか殆ど見ること無く迎撃した公爵は、それによって生まれた隙を突いて一撃を繰り出した。才人の虚を突く形になったそれは、ぶれることなく彼の手首を打ち据え刀を弾き飛ばす。驚愕の表情を浮かべながら体勢を崩した才人に向かい、五十を超えたとは思えぬほどの荒々しい拳を腹に叩き込んだ。
「サイト!?」
目を見開くルイズの声を聞きつつ、サイトは地面に叩き付けられる。一瞬息が詰まり、しかしもう幾度なく体感しているそれで戦意を失うことなどはない。すぐさま体勢を立て直し、手放してしまった刀を引っ掴む。
「ある程度の意地はあるようだな」
「そりゃ、この程度でやられたら、ルイズに申し訳立たないもんで」
「……忠誠心か? それとも」
「今んところは、どっちでもないです」
そうか、と公爵は短く述べる。ふ、と薄く笑うと、杖に込めていた呪文を別のものへと変えた。周囲に大量の水が集まり、それが鞭のように束ねられていく。太く、頑丈なそれはむしろ縄と呼んだほうがいいかもしれないほどで、目の前の相手を叩き潰すことなど容易であろうことを窺わせた。
「いいだろう。ルイズの使い魔として存在することを許してやる」
「そりゃ、どうも」
「ああ、無論。――これをどうにか出来たらだがな!」
大蛇のようにうねる水の鞭。才人の逃げ道を奪うように四方に展開されたそれを目にした才人は、思わず笑った。笑うしかなかったのだ、どうしようもない状況に陥った時に浮かべる表情、彼がしていたのはまさにそれだった。
が、それでも。才人は真っ直ぐ真正面からそれと対峙することを選んだ。刀を構え、足に力を込め、迫り来る脅威から目を逸らさずに。
目を逸らさず、しかし一瞬だけ彼は別の場所を見た。ルイズを、己の主人を視界に入れた。心配半分、応援半分の彼女の表情を視界に収めた。
任せろ、と彼は笑う。先程の笑みとは違う、自分の意志で作り出した笑みを浮かべる。左手のルーンはその笑みに反応するように、ゆっくりと光を増していた。
「絶対に、倒れてやるもんか!」
「ふふっ。中々どうして、やるではないですか」
真正面から公爵の呪文を受け止める才人を見て、カリーヌは思わず微笑んだ。ああいうバカは嫌いじゃない。成程ルイズが気に入るのも頷ける。そんなことを思いながら、必死で足を踏ん張っている彼を眺め、そして自身の夫を眺めた。
「二人共、いい表情をしているわね」
背後から女性の声。それにあからさまに表情を歪めたカリーヌは、振り向くこと無く何の用だとぶっきらぼうに言葉を返した。
背後の人物はそれに別段気分を害した様子もなく、別に大したことではないと彼女に返す。
「そうか。なら消えろ、わたしはお前と話している暇はない」
「つれないわね。いいじゃない、ピエールは今向こうでサイト君と遊んでいるでしょう?」
「……彼を知っているのか?」
「ええ。昨日、お話をしたの」
素晴らしい人材よ。そう続けながら、背後の女性はクスクスと笑った。何せ、あの伝説に語られた使い魔なのだから。そう言いながら、視線を烈帛の咆哮を上げて水の鞭と相打ちになっている才人に向ける。
伝説、そのキーワードを聞いたカリーヌは、眉を顰めつつどういうことだと問い質した。が、女性は言葉通りだと述べると、そこで会話を止めてしまう。
「ふざけるな。真面目に」
「真面目よ。伝説の使い魔、『ガンダールヴ』。彼がそれ」
「……正気か?」
「勿論。わたしの可愛い弟子にもその旨は伝えてあるわ」
弟子に伝えた。彼女がそう述べるということは、すなわちトリステインの王宮はこの件を真実だとして話を進めるということだ。それを理解したカリーヌは短く溜息を吐き、しかしそうなると、視線を練兵場の中心から横の観客達へと向けた。
「ルイズは、まさか」
「さあ、それはまだ分からないわ。他の虚無の術者との共通項がまだ調べ終わってないもの」
「出来れば、杞憂であって欲しいが」
ふう、と彼女は先程よりも大きな溜息を吐く。それを見ていた女性はクスクスと笑い、まあ大丈夫よ、と彼女に告げた。
「あの娘なら、きっとどうにかしちゃうわ。貴女の若い頃そっくりだもの」
「お前に褒められても、嬉しくも何とも無い」
憮然とした表情でそう返すカリーヌに微笑みかけた女性は、そのまま彼女と目を合わせること無く踵を返した。ここにピエールが来るとまた面倒でしょう、そんなことを言いながら。
「どこまで本気なんだか」
「あら、わたしはいつでも本気よ。ピエールのことも、それ以外も」
「抜かせ」
「ふふっ。――ああ、そうそう」
足を少しだけ止めた。また手助けを必要とするかもしれない。そんなことを言いつつ、彼女の方を振り向いたカリーヌへと向き直り、薄く微笑む。
「もうこれ以上厄介事はこりごりなんだが」
「昔みたいに表立って暴れるわけではないわ」
「安心出来ん」
「まあいいじゃない。信用しているわよ、『カリーヌ』」
「――アンタに言われても嬉しくないけど、まあその信用には応えてやるわよ、『カリーヌ』」
そう言って、二人のカリーヌは互いに笑った。
太陽が落ちるまで拳を握り殴り合うエンド。