そして書けば書くほど悪役になっていく姫さま。
マチルダは悩んでいた。本当にこのまま彼女達を連れて行っていいものか、と。
そうは言ってもこの場は既にアルビオン。そんな状況はとうに過ぎ去っている。にも拘らず彼女が悩み続けていたのは、馬車の中で景色を眺めながら笑みを絶やさない一人の女性の存在にあった。本来ならばこのような大きめの馬車に五人も六人もまとめて座っている中の一人になどなろうはずもないその女性は、今回の騒動の黒幕とも言える存在で。
「本当に、良かったんだろうか」
思わずそう呟き、そして良くなかったのだろうと結論付けてしまった自分の思考を頭を振って追い払った。言い聞かせるように、言い訳をするように、そんなことはないはずだ、と口にする。
「ミス・ロングビル?」
「……ああ、悪いね。少し考え事をしていたの」
ルイズの言葉に彼女はそう返す。そしてそれを聞いたルイズも大体予想がついたのか困ったような顔でごめんなさいと頬を掻いた。そんな空気を払拭するように、マチルダはそれで一体どうしたのかと彼女に問う。
「いや、その。ウェストウッドにいるその娘の話、まだちゃんと聞いていなかったから」
「ああ、そういえば」
道中の人目がある場所で話すわけにはいかないと言っていたのを思い出したマチルダは、周囲を確認するとここならいいかと息を吐く。どうせもうじきサウスゴータに入る、話すならば今くらいしか無い。そう判断し、彼女はゆっくりと口を開いた。
とはいえ、どこから話したものか、と少しだけ迷う。一番重要なことは、話すならば一番後でなければならないからだ。
「名前は、ティファニア。年は学院の生徒と大体同じくらいよ」
「あ、そうなのか」
へぇ、と才人は声を漏らす。どうやら彼の中ではもっと年上の女性を想像していたらしい。挨拶変えた方がいいか、と能天気な悩みを呟いている。
そんな彼を見て、マチルダは思わず笑ってしまった。
「ウェストウッドは村というよりも半ば孤児院でね、テファはそこで皆の面倒を見ているのさ」
「あら。ならばその子供達のことも考えなくてはいけませんね」
さらりとそう述べるアンリエッタの言葉に偽りは感じられない。恐らく本当に全員をどうにかするように考えるのだろう。それが分かっているから、マチルダもルイズも何も言わない。ウェールズはそんな彼女を見て嬉しそうに微笑むのみだ。
「可愛くてスタイルもいい、私の自慢の『妹』よ」
マチルダの話は続く。まるで自分のことのように嬉しそうに話す彼女は、普段の秘書としての姿や素の顔とも違う、優しげな笑みを浮かべていて。その人物のことを、ティファニアのことを本当に愛しているのだということが伝わってきた。
だが、その表情が急に曇る。今までとはうってかわり、途端に重くなったその口からは、言葉にならない呟きが幾度と無く繰り返されている。そんな彼女を見た一行は、一体どうしたのかと首を傾げ。
「……あんた達ならば、大丈夫だ。私はそう信じる」
絞り出すようにそう言うと、彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。最も重要にして、最も他人に知られたくない、ティファニアの秘密を。
「あの娘は……テファは、エルフなの」
重い沈黙が降りる。そんな状況になったのはその場にいた人物の中ではただ一人、ハルケギニアに住む普通の人間の感覚を持ったウェールズだけであった。エルフという存在は恐怖の対象であり、また忌諱されるべきものであるからだ。それでも彼の反応がこの程度で済んでいるのは、ほんの少しだけ、揉み消された顛末を風の噂で知っていたからに他ならない。
さて、では普通ではない残りの面々はといえば。
「へー、エルフかぁ。あ、じゃあやっぱ耳尖ってんのかな?」
地球出身でファンタジーにエルフは付き物だという感覚を持ち合わせているため別の意味で思うところのある才人。
「まあそうね。それで、わたし達の使う魔法とは別の先住魔法――向こうは精霊の力とか呼ぶんだったかしら、を使うの」
「色々準備がいる代わりに強力なのよねぇ。ほらあれ、エルザの使った木の枝が伸びて相手を捕まえたやつ、あれが先住魔法」
「他には、攻撃を跳ね返す『反射(カウンター)』というのもある。……あれのおかげでビダーシャルが殴れなくてウザい」
平然と、というよりむしろ既にエルフに知り合いがいると言わんばかりの会話を行うルイズとキュルケとタバサ。
そして。
「ええ、勿論知っていましたが何か? 母親の名前はシャジャル、ハーフエルフで虚無の担い手。使用出来る呪文は『忘却』。以上のことはとうに記憶しておりますわ」
にこやかにとんでもない爆弾発言を行うアンリエッタに対し、一同は一斉に彼女に目を向けた。マチルダにいたっては自分の知らない妹の秘密を第三者に暴露されたことで絶句し完全に固まっている。
「そこまで調べてて何でウェストウッドの村の様子は知らなかったんですか……」
言外に、別に案内いらないじゃないかという意味を込めてルイズが述べる。が、返ってきた言葉は本人以外に別段興味はなかったという彼女らしいものであった。
そんなやり取りをしたルイズは、そこでん? と首を傾げた。さっきの発言に何か重要なものが含まれていなかったか、と。
「アンリエッタ……今、虚無と言わなかったかい?」
ウェールズが恐る恐る声を掛ける。ああそうだと手を叩いたルイズをちらりと見ながら、アンリエッタはにこやかに言いましたと彼に返す。
「虚無? 何だそれ?」
「前説明したでしょうが。始祖の持っていたと言われる伝説の属性よ」
「……ああ、成程、そういうことなのねぇ」
「伝説に伝説を重ねて無駄に事態を大きくする腹積もり」
大体アンリエッタのやりたいことが分かったキュルケとタバサが溜息を吐く。成程ね、とげんなりした表情でルイズもそれに続き、才人はよく分からないが結局毎度のことだろうと肩を竦めた。
残るある程度常識を持った二人はというと。
「テファ……私、私、あんたを守れなかった……ごめんよ……」
「待て、落ち着いてくれマチルダ! 大丈夫だ、アンリエッタはそこまで人の道を踏み外しては……いない、はずだ、うん……多分、きっと」
何だか自分の評価がとんでもなく低い気がする、とアンリエッタは少し不満そうに頬を膨らませた。
完全に燃え尽きたマチルダが傀儡のような動きでここだと案内した場所は、まさしく森であった。少しだけ森の中を切り開いて作った空間に少しだけ建っている家が数軒。成程これは村というよりも適切な名称があるように思えた。
「これならば、子供達を皆連れて行っても問題はなさそうですわね」
ぐるりと辺りを見渡しながらアンリエッタがそう述べる。どうやら彼女の頭の中では既に孤児院を建設する場所の検討に入っているようであった。それを察したのか、ウェールズが苦笑しながらマチルダに声を掛ける。例の少女の場所に案内をお願いする、と。
「……ああ。だが、その前に」
目に光を戻したマチルダが、振り向きざま呪文を唱える。地面から生まれた石の拳が一行の背後から悲鳴を生み出した。
うえ? と才人はそこで振り向く。賊か、とウェールズも臨戦態勢を取った。
がさりと茂みが揺れ、そこから十数人の男達が姿を現す。その中には杖を構えている者もおり、ゴロツキや野盗の類とは少し違う雰囲気を纏っていた。
「こんなところにまで、レコン・キスタは来てるのか」
舌打ちしながらマチルダは杖を構える。対する男達は伸びた仲間を脇に蹴り飛ばしながら各々の得物を抜き放った。見る限り年端もいかない子供の集団、まともなメイジはメガネの女とどこかで見たような金髪の男のみ。どうやら子供達は貴族の子女のようで、捕まえれば身代金で一儲けが出来そうだ。ある意味賊軍らしいそんな判断をすると、戦力になりそうな二人を効率よく始末するために動きを始めた。
彼等はミスを犯した。その二人は今いる面々の中では下から数えた方が早いということに、気付けなかったのだ。
「成程。確かにこのままここで暮らすのは少し危ないかもしれないわね」
あっという間に男共を片付けたルイズが顎に手を当てながらぼやく。そうねぇ、と倒れた男共を平積みしながらキュルケも頷いた。
最後にタバサがまとめて固めると、では行こうかと村に向き直る。そんな一行の視線の先に、何事だと家の中から様子を窺っている子供達の姿が見えた。どうやら先程の騒ぎが向こうにも届いたらしい。ああ盛大に吹き飛んでいたものな、と才人はルイズを見ながら苦笑した。
そんな様子の建物へと近付くと、窓にいた子供は一斉に顔を引っ込める。その代わりに、ゆっくりと扉が開くと一人の少女が顔を出した。その表情はどこか怯えているようで、オドオドと自信なさげに一行の顔を見やる。そして、その中に見知った『姉』を見付けてその表情を綻ばせた。
「マチルダ姉さん!」
「ああ、ただいまテファ。元気だったかい?」
少女は、ティファニアはそのままマチルダに駆け寄ると抱き付いた。それを抱き締め返し、マチルダは微笑みながら彼女の頭を撫でる。姉と妹、あるいは母と娘。そんな表現がピッタリ来るようなその光景を見て、思わず残りの面々も笑みを浮かべた。
「……ルイズとカトレアさんの時もそうだったんだけどさ」
「ん?」
「こういうのって、いいよな」
「そうねぇ」
「……ホームシック?」
「かも、しんないなぁ」
少しだけ寂しそうにそう述べた才人の頭を少し背伸びしたルイズが無言で撫でる。何だよ、と苦笑していた才人であったが、やがてなんとも言えない表情でされるがままにされていた。
「ウェールズ様、ウェールズ様! わたくしも! わたくしもあれを!」
「……少し、空気を読もうかアンリエッタ」
そう言いつつも彼女の頭を撫でる辺り、ウェールズも相当アンリエッタには甘いのだろう。
さて、そんな謎の空気が霧散する頃、落ち着いたティファニアがマチルダにおずおずと尋ねた。この人達は一体誰なのか、と。ようやくと言ってもいい本題であり、そして同時に彼女がどうにも答えにくい話題でもあった。
さてどうするか。そんなことを考えていたマチルダであったが、しかしここで迷っていると最悪アンリエッタがあることないこと吹き込みながら悪事の片棒を担がせる尖兵に仕立て上げかねない。よし、と気合を入れると、一気に核心の人物を指差した。
「そこの二人は、トリステインの王女アンリエッタ。そしてその隣がアルビオンの皇太子ウェールズ。……あんたの、従兄姉だ」
「……え」
何を言っているのか。そんなことを言おうと思ったのだろう。しかし、ティファニアの言葉はすぐさま前に出たアンリエッタによって遮られた。はじめましてと笑顔で述べた彼女は、そのまま困惑顔のティファニアを抱き締める。その体勢のまま首を動かすと、困ったように頬を掻いているウェールズにニヤリと笑いかけた。
「駄目ですわウェールズ様。いくら従妹とはいえ、他の女を抱き締めようなどと」
「……思っていないよ。正直、それどころではないからね」
「あら? それどころではない、とは?」
「……僕は彼女の父親を処刑したアルビオン王の息子だ。こういうことを言うのだろうね、合わせる顔がない、というのは」
思わず顔を逸らす。何か言おうと思い口を開きかけても、ふさわしい言葉が出てこない。今の軽口のようなやり取りも、アンリエッタが誘導してくれなければ口をつくことはなかっただろう。それを理解しているウェールズは、すまない、と短く述べ背を向けた。
「あ、あの……」
そんな彼の背中に声が掛かる。振り向くことなく何かなと返したウェールズに、声の主は、ティファニアはゆっくりと言葉を紡いだ。
「私、その、気にしてない……なんてことはないけど、その、でも、血の繋がった従兄に会えたのは、嬉しくて、だから、えっと」
これから、よろしくお願いします。そう言って彼女は頭を下げた。ウィールズには見えないにも拘らず、ペコリと頭を下げた。
「…………ああ、よろしく。ティファニア」
そう述べたウェールズの表情はルイズ達には窺えなかった。ただ、肩が小さく震えているのが分かり、彼女達はそっと見守るだけに留めた。
その後ルイズ達の紹介も終えたマチルダは、この後の話は長くなるだろうからここで待っていてくれと皆を家の中に案内した。その口ぶりからして、彼女はまだどこかでやることがあるらしい。そのことを尋ねると、別に大したことじゃないと彼女は肩を竦めた。
「墓参りさ。自分の両親と、テファの両親の」
ちゃんと中身のあるのは一人しかいないけれどね、と自嘲気味に笑うマチルダを見て、ルイズはごめんなさいと頭を下げた。別に気にするなと手をヒラヒラさせ、じゃあ行こうかと彼女はティファニアに述べる。
そんなマチルダを、ちょっと待ったと彼女は止めた。
「今丁度、母さまのお墓参りに来ている人がいるの。あまり他に人は来て欲しくなさそうだったから、もう少し後で」
「……シャジャル様の?」
おかしい、とマチルダは首を捻った。ここアルビオンで彼女の母親を知っているものはもういないと言っても過言ではないだろう。ならば別の国か、といえばそれもありえない。モード大公の妾という立ち位置は国外に繋がりを作るようなことはほぼ不可能であったからだ。
となると、彼女の故郷に関係するものとなるわけだが、それはつまり。
「……いや、よそう。余計なことに首を突っ込んで火傷するのはごめんだ」
ただでさえ色々と大変なのだ。ここで更に厄介事を抱え込むことなどしたくもない。そう判断したマチルダは、分かったと椅子に腰を下ろした。アンリエッタが何かをやらかさないか、という一点だけが心配であったが、幸いにしてそこまで下世話ではなかったようだ。大人しく紅茶を飲んでいるアンリエッタを見ながら、マチルダはふうと溜息を吐いた。
緊張の糸が切れたのだろう、だから彼女は見逃した。紅茶のカップに隠れて、アンリエッタが口角を上げていたことを。
次回、大暴れ! だと、いいなぁ……。