「さあ、悪辣非道な空賊共は全てこのわたしが打ち倒しました! お嬢様、もう安心です」
そういうとメイド服の少女は恭しく頭を垂れる。目の前に立つ女性は、そんな彼女に報いるようにそっと手を差し出した。その手に少女は口付けをし、それに合わせて歓声が上がる。
彼女達の後ろでは、同じようにメイド服の少女達がくるりと動きを合わせながら英雄を称える歌を奏でている。いつのまにか倒されていた空賊達も立ち上がり同じように歌に参加していた。
そして最後は少女と女性が中心に立ち、歌声のハーモニーがクライマックスを迎え――
「……何これ?」
ポカンと口を開けたまま、才人は隣に座っている少女に問うた。が、どうやらほとんどこういう歌劇を見たことのないルイズはおぉと食い入るようにそれを鑑賞している。ああこれは駄目だと別の方に顔を向けると、ルイズとは別ベクトルで楽しんでいる二人の少女が目に入った。彼はそんな二人、アンリエッタとキュルケに声を掛けるのも止め、しょうがないと後ろに座っている彼女に尋ねた。
「なあシエスタ。これ、どうなの?」
「いいんじゃないですか? 冒険活劇って、これまでここではやらなかった演目ですし」
何よりモデルである本人が楽しんでいるのならば問題ない。そう言われてしまうと、まあ確かにそうかと才人としても納得せざるを得ないわけで。
そんなううむと後頭部をポリポリと掻いている彼の隣に、ドサリと誰かが座る音が聞こえた。視線を向けると心底疲れた表情でタバサが椅子に体重を預けている。大丈夫か、と才人が聞くと、大丈夫じゃないという簡潔な答えが返ってきた。
「やられた……まさか、こんなに手早く動かれるとは」
そう呟きながらタバサは天を仰ぐ。薄暗い劇場の天井を眺めながら、吐血せんばかりの表情ですまないと述べる従姉の顔を思い浮かべた。そんな彼女に、イザベラ姉さまは何も悪くないと言い聞かせながら休ませたのが少し前。
いやだってジョゼフ様のご命令でしたしとブンブン手を振りながら必死で悪くないアピールをしていた、大立ち回りをヨルムンガントを通じてジョゼフに送っていたシェフィールドをぶん殴ったのがその少し後。
どうだ素晴らしい出来栄えだろうと今現在演じられているこの歌劇を劇場で一緒に見ながら笑っていた伯父と父親の頭を杖でフルスイングしたのがついさっきである。
トリステインとガリアの同盟の証として用意された今回の催しは、アンリエッタとジョゼフが監修し詩人や劇作家を総動員し作り上げた芝居を披露するという何とも豪快なものであった。招待された両国の貴族は普段とは違うその活劇に目を見張り、しかしこれまでとは違う完成度の高さにご満悦のようだ。そういう意味では大成功と言えるであろう。
芝居の脚本のためのダシにされた者達の気持ちを除けば、であるが。
「あー、やっぱタバサは駄目派?」
「……ん。駄目か、と言われると」
才人の問い掛けに少し彼女は言葉を濁す。正直、ああやって自分の活躍を物語にされ、英雄だと讃えられるのはそう悪い気分ではない。本の虫であるタバサは、学術書や魔導書、歴史書も読むが極々普通の小説も好きなのだ。幼い頃に読んだ『イーヴァルディの勇者』は未だ彼女の愛読書である。
少しだけ考えた素振りを見せたタバサは、まあ仕方ないと肩を竦めた。どのみちここまできた以上、今更何を言っても無駄である。そういう判断もある程度含まれている。
それを聞いた才人は、まあそれならしょうがないかと苦笑した。彼自身は別段そこまでこだわりはない。ただ、自分達の大暴れが劇にされたという事態に頭がついていかなかっただけだったのだから。
尚、彼の出番はほぼカットされていた。主役は華やかな少女達、ということなのだろう。
そんなこんなで芝居も終わり、招待客は口々に称賛を述べながら劇場を後にしていく。それらの対応に追われる大臣や役人達を尻目に、席に座ったまま動かない一行があった。招待客とは別の場所に座っているその二組は、先程まで芝居を見て歳相応にはしゃいでいた少女とは思えない鋭い目で、あるいは年に似つかわしくないはしゃぎようで杖で殴られていた男とは思えない鋭い目で、劇場を去っていく者達を眺めていた。
やがてその二組以外が残らずいなくなると、彼女は彼はふうと溜息を吐く。そして、再び不敵な笑みを浮かべた表情に戻ると、大体こんなところかと呟いた。
「よし、ではおれ達も帰るとしようか」
そう言うとジョゼフは立ち上がる。御意、とにこやかな笑みを浮かべながらシャルルも同じように席を立った。
「あらジョゼフ陛下、シャルル宰相。もうお帰りですか?」
そんな二人にアンリエッタは声を掛ける。同じような笑みを浮かべている三人はそれぞれ目を合わせると、ジョゼフが申し訳ないがこちらも用事があってなと彼女に述べた。
「成程。ならばお引き止めするのも失礼ですわね。では見送りを」
「不要だ。それに、そちらも色々とあるだろう?」
「お心遣い、感謝いたしますわ」
笑みを絶やさずそんなやり取りを行うと、二人はそのまま劇場を後にした。そして残ったトリステイン側の面々は、やれやれと言った感じで体を伸ばす。流石に他国のお偉いさんがいる前では色々と緊張するらしい。
約一名そのお偉いさんが身内の少女がいたが、一緒にいると疲れるというのは共通らしい。
「さて、と」
そんなことを言いながらアンリエッタは視線を巡らせる。今ここにいるのは、彼女とルイズ達の六人だけだ。念の為に『ディテクト・マジック』を唱え、盗み聞きや盗み見をしている輩がいないかどうかを確認した。
では、とアンリエッタは口を開く。少し相談があると彼女は述べる。
「新しい衛士隊を作りたいの」
「は?」
ルイズは思わずそんな声を上げる。いきなり何を言い出すんだこいつは、という声であり、ああこれはまた厄介事だという声であった。どうせ拒否権はないんだろうな、という諦めの声でもある。
しかし、それでも疑問を持つくらいは問題ないだろうし、文句を述べるくらいは許されるだろう。そう考えたルイズは目を細めるとアンリエッタをジロリと睨む。
「何でまたいきなり?」
「いきなり、というわけではないわ。構想自体は少し前から、ウェールズ様を誘拐した時から持っていたの」
「誘拐って言い切りやがりましたね姫さま」
「結果として良い方向に向かっているのだから、そのうち呼び名も変わるでしょう。まあそれよりも新しい衛士隊ですわ」
曰く、昔からのメイジ達ではいざという時動く際色々としがらみがある。その為に、自身が素早く動かせる部下を用意したい、とのこと。
成程確かにそれはそうかもしれない、とルイズは思う。隣を見ると、キュルケも成程と頷いており、タバサは自分の所属と同じようなものかと納得していた。シエスタと才人はへー、と別段話に加わる気がないらしい。そんな思い思いの反応を見た彼女は、ふと嫌な予感がしてアンリエッタに尋ねた。それは一体どういう隊なのか、と。
「表向きはわたくし直属の女官、という体で色々動いてもらうつもりですわ」
「おお、何か秘密の部隊っぽい」
「いえ、別段正体を隠すというわけではないの。衛士隊の新設は色々と面倒だからというだけですから」
ああそうなんだ、と頷く才人とは対照的に、ルイズの表情はますます曇っていく。色々と面倒だから、というのは、通常の方法ではすんなりといかないということであり。
「それでルイズ。貴女、その隊に入る気は」
「ないです」
「即答したわねぇ」
「あったりまえでしょ! これ以上厄介事押し付けられるのはゴメンよ」
大体予想が出来ていた彼女は即座に答えを出した。一応曲がりなりにも公爵令嬢を衛士隊所属の騎士に、などと普通は反発が起きるに決まっている。年若い、学生の、女子。認可される方がおかしい。
だからこそのアンリエッタの方法であった。直属の女官という名目ならば女学生であってもある程度言い訳がつくからだ。要はルイズを自身の直属に組み込みたい、ということであった。
「騎士になるのが夢だったのでしょう?」
「母さまと修業していた子供の頃の話です」
今は違う、と述べなかったものの、とりあえずその気は無いようだ。それを感じ取ったアンリエッタはしょうがないと肩を竦め、ではまた違う案を出しましょうと席を立つ。
どうやら話は終わりらしく、ウェールズ様分が足りなくなってきたとかどうとか呟いているのを見ると案外最初から断られる気で話を出したのかもしれない。そんなことを思いながら彼女達も同じように席を立った。
「あ、ちなみにミス・ツェルプストーやサイト殿は如何?」
「いやあのあたしゲルマニア人なんで」
「そもそも俺男なんで女官は不可能ですから」
残念、と笑うアンリエッタの目は、意外と本気であった。
ルイズ達と別れこつこつと廊下を歩くアンリエッタは現在一人。護衛も何もつけておらず、ただ一人で歩みを進めている。立場を考えれば明らかにおかしく、そして愚かな行為と言えた。
もっとも、それは普通の、という枕詞が付いている場合である。
「あら、意外と短気なのですね」
ドサリと彼女の前に男が転がってくる。金属製の何かで打ち据えられたような傷を負ったその男は、手足を縛られ身動きを取れなくされていた。ついでに猿轡も噛まされており、うーうーとうめき声を上げるのみである。
そんな男に別段驚く素振りを見せないアンリエッタは、視線をそこから壁際に向けた。一人の女剣士がそこに立っており、彼女が視線を向けるとそれに合わせるように傅き頭を垂れる。
「ご苦労様、アニエス。流石わたくしの『銃士隊』ですわ」
「勿体なきお言葉」
「……さて、と。まあ堅苦しいのはこのくらいにして」
楽にして、とアニエスに述べたアンリエッタは先程の男に再び視線を向ける。他にはいなかったのか、と彼女に問うと、とりあえず行動に移ろうとした者はこいつ一人であったと述べた。
「恐らく、他の連中――レコン・キスタに裏で協力している輩の中でも大物は慎重なのでしょう」
「そして、功を焦った小物の手の者がこれ、というわけですか」
す、とアンリエッタの目が細められる。そこに言いようのない恐怖を感じた男は思わず息を呑んだ。世間知らずの箱入り娘を始末するだけの簡単な仕事だと言われたそれは、その実獰猛な魔獣もかくやという魔窟であった。それを知るのが、少しだけ遅かった。
「大体こんな場所でいきなり暗殺などと、どう考えても不自然でしょうに」
「馬鹿なのでしょう」
「そうね。わたくしならばもっとこう――おっと、いけないいけない」
クスクスと笑いながら、彼女は男に視線を合わせた。普通であれば可憐とでも言うべきその仕草は、彼にとっては相手を嫐って楽しむ死神の笑みにしか見えない。顔面を蒼白にしながら、喋ることの出来ない口で必死に命乞いの言葉を発した。
無論、それで口から出るのはただのうめき声であり、そんなものに聞く耳を持つような輩であれば最初からかような行動などしない。
彼女はアンリエッタ・ド・トリステイン。あのルイズをしても最悪と言わしめる華麗なる姫君である。
「アニエス。後で彼とは静かな場所でお話をすることにいたしましょう」
「御意」
言葉と同時に男の意識を刈り取ったアニエスは、それを担ぐと歩みを進めるアンリエッタの後ろについた。
その道中、彼女は何を思ったのか肩を震わせ笑い出す。そんなアンリエッタの奇行に慣れ切っているアニエスは、別段表情を変えることなくどうされましたかと問い掛けた。
「いえ、まさかこんな簡単に引っ掛かってくれるとは思っても見なかったから」
先程のルイズ達との会話を行う前に使用した『ディテクト・マジック』。あれは盗み聞きをしている者がいないことを確認したのではなく、いることを確認していたのだ。反応をあえて無視し、そこにいる連中にわざわざ話を聞かせたのだ。
彼女を快く思わない連中が行動を起こす切っ掛けを作らせるために。
「大分この国は腐敗をしているようですわね」
「いえ、恐らくそれは一部分です。国そのものは、未だ清浄なる輝きを保っているでしょう」
「……あら、貴女がそんなことを言うなんて、どういう風の吹き回し?」
「そうですね。……私も何だかんだで彼女達に毒されているのかもしれません」
そう言うとアニエスは口角を上げた。それを聞いたアンリエッタも先程とは別のおかしさで笑い始めた。はしたないですよ、というアニエスの言葉も聞いていないほどに。
「ところで、既に『銃士隊』は発足していることを伏せて彼女等に述べたのは、敵を欺く為――」
「勿論ルイズをからかう為ですわ」
「――ではないとは思っていましたが、やはりですか」
「あそこで渋々彼女が首を縦に振ってくれたらアニエスにこき使わせる予定だったのだけれど」
「後が怖いので、それは少し勘弁していただきたいですね」
そんな会話をしながら二人が笑い合った丁度同時刻、盛大にくしゃみをした公爵令嬢の姿があったとかなかったとか。
「うー。これは誰かが噂してるわね。ったく」
「……の前にご主人様、俺に盛大にツバぶっかけたことについて何か言うことは?」
「あ、ごめんなさい」
色々きな臭いよエンド。