その1
ガリアの王都リュティス。そこに聳え立つヴェルサルテイル宮殿、グラントロワの一室にて、現ガリア王ジョゼフ一世とその弟にして宰相オルレアン公シャルルが一人の少女を見詰めていた。彼等と同じガリアの青と呼ばれる髪色を持つその少女は、王と宰相に対しかしこまった態度を取ってはいるものの、その表情は明らかに不満の色が浮かんでいる。
それが分かっているのか、ジョゼフもシャルルもまあ落ち着けとその少女――シャルロットを宥めていた。
「何か大事件という程でもないでもないのだ、そう怖い顔をするな」
「……」
「駄目だよ兄さん、こうなったシャルロットは梃子でも動かない。――ああ、そうだね。ぼく達が悪い、それは認めよう」
「なら――」
「おおそういうことか。いや済まない、お前にもイザベラにも謝罪をしようではないか」
そう言って笑うジョゼフには反省の色が見られない。しょうがないな、と肩を竦めるシャルルも、一応反省しているものの懲りることはないと顔に書いてあった。
そんな二人を見たシャルロットはゆっくりと立ち上がり杖を構える。とりあえず一発ぶん殴ろう。そう覚悟を決めて振り被った。
「おれ達を殴って、それでイザベラの体調が良くなるのか?」
ピタリ、と動きが止まる。不敵な笑みを浮かべているジョゼフが、聡明なお前ならば分かってくれると思っていたなどと言いながら彼女に近付き少しだけ乱暴に頭を撫でた。そんな彼の顎に向かい、容赦なくシャルロットは杖を突き上げた。彼女の持っている太く頑丈なそれが綺麗に顎へと叩き込まれ、思わずジョゼフの体が浮く。
「おおおぉぉ……」
「……シャルロット、心なしか乱暴になったね」
「良い友人を持ったので」
言いながらシャルルに向かって杖を振り下ろした。別にこれでイザベラが快調に向かうなどと思っていない。単純に自分が気に入らないから殴ったのだ。ピンクブロンドの悪友が自国の姫をアッパーカットで吹き飛ばした時に述べていたような口上を述べ、少しだけ満足したように二人から離れた。そして再び何事もなかったかのように臣下の礼を取る。
顎を打ち抜かれのたうち回っているジョゼフと比べ、シャルルの方がまだダメージは少なかったらしく、いたたと頭をさすりながらも姿勢を正す。平然としているシャルロットに向かい、そろそろ本題に入ってもいいかなと尋ねた。
「本題、ですか?」
「……まさかぼく達がわざわざシャルロットをからかう為にここに呼んだとでも?」
「違うのですか?」
「そんなわけないだろう」
その疑問に答えたのはジョゼフ。思い切り殴ってくれおって、と文句を言いつつ立ち上がった彼は、そんな言葉とは裏腹の笑顔を見せながら椅子に座った。
お前を呼んだのは他でもない。そう前置きをすると、視線でシャルルに続きを促す。自分で言いなよ、と苦笑しながらも、彼は頬を掻きながらシャルロットへと向き直った。
「実は、イザベラ王女にやってもらわなくてはいけない仕事があってね」
思わず立ち上がる。その目は本気で言っているのかという問い掛けの目であり、怒りの視線でもあった。
何せ、今現在シャルロットの従姉でもあるイザベラは過労がたたり寝込んでいるのだ。半月は安静にしていなければ命の保証は出来ないとまで言われた始末である。実際は彼女を少しでも休ませようと考えた治療を担当した水メイジの方便なのだが、シャルロットとしてもそこは同意していたのでその通りにさせようと考えていた。
そのタイミングでこの話である。いくら自身の父親とはいえ、王であり伯父であるとはいえ、そんなことをさせるのならば。先程鈍器として使用した杖を握る手に力を込めた。こっそりと呪文を唱え始めるのも忘れない。
「早まるな。おれも流石に愛娘を死に至らしめるまでからかおうなどとは思ってはおらん」
「じゃあ、今の父さまの言葉は」
「だから早まるなと言っているだろう。シャルルの言葉には続きがある」
ジョゼフの言葉に構える寸前であった杖を下ろしたシャルロットは、臣下の礼を取るのも止め自然体のまま自身の父親に視線を向けた。やれやれ、とそんな彼女を見て肩を竦めたシャルルが口を開く。そのやってもらいたい仕事の内容を口にする。
「アルトーワ伯は知っているかな? 王家の分家筋であるガリアの地方領主なんだが、そこの園遊会に招待されたんだ」
「……別に、体調が芳しくないと断ればいいのでは?」
何か重大な催し物ならばともかく、言ってしまえば地方の領主の誕生日を祝う会だ。王女であるイザベラが何としてでも出席しなければならないほどではない。
そう思っていた彼女とは裏腹に、シャルルは少し困ったように頬を掻いた。
「いや、実はね。アルトーワ伯には現在謀反の疑いが囁かれているんだ。税の支払いが滞り、今年の降臨祭にも現れず。そんな状態でこちらが向こうの招待を断るとなると、噂を聞いていた貴族達はどう考えると思う?」
「やはり噂は本当だった、そんな戯言を言い出し余計な火種が燻ぶるのが目に見えている」
シャルルとジョゼフ、二人の言葉を聞いてシャルロットは理解した。つまり、彼等はその領主が謀反を企てているなどあくまで根も葉もない噂だと思っており、それを確信にするために園遊会の招待を受けたのだ、と。
だが、だからといって納得するかどうかはまた別だ。病床のイザベラを引っ張り出す理由にはならない。
「そう、その通り。イザベラに動いてもらう理由としては弱いのだ」
「そういうことさ。ねえ、シャルロット」
ニヤリ、と目の前の兄弟二人は獲物が網にかかったとばかりに笑う。ちゃんとそこまで辿り着いてくれたかと満足そうに笑う。
そしてシャルロットは、そんな二人を見て呆れたように溜息を吐いた。何て回りくどい話なのだ、と。最初から本題を、その核心部分を話せばそれで済むことではないか、と。
「わたしが、イザベラ姉さまの代わりを務めればいいのですね?」
「おお! やってくれるかシャルロット」
「うん、シャルロットならばそう言ってくれると思っていたよ」
白々しい。そんなことを心で思いながら、シャルロットは自身の伯父と父親に向かって首を縦に振った。
所変わってプチ・トロワ。イザベラの寝室である。先程言われたことを彼女に伝えに来たシャルロットであったが、それを聞いたイザベラが力尽きたようにベッドへ倒れ込むのを見て顔色を変えた。
「イザベラ姉さま!?」
「……ああ、もう。あの二人は……」
駆け寄ってきたシャルロットを心配するなと手で制し、しかし頭痛を堪えるように額に手を当てるその姿はとても大丈夫には見えない。絶対安静の身でありながら、その状態でも苦労するイザベラを見て、シャルロットは決意したように表情を引き締めた。
「心配しないで。わたしがきちんとイザベラ姉さまの公務を全うしてみせるから」
「ええ、ありがとう……。でもね、シャルロット。今回の話はそう簡単なものじゃないの」
え、とシャルロットは首を傾げる。アルトーワ伯の園遊会に出席し、彼の謀反の噂をかき消すのが目的なのではないか。そう尋ねると、確かにそうなんだけど、とイザベラは言葉を濁した。
言いにくそうに視線を落とす彼女を見て、シャルロットの脳裏に浮かんだことがあった。父親と伯父が考えそうなことを思い付いたのだ。目の前のイザベラに向かい、ひょっとして荒事が絡むのか、と問う。
やっぱり分かってしまったか、とイザベラは盛大に溜息を吐いた。
「『地下水』という名に聞き覚えは?」
「確か、ガリアの裏社会で有名な傭兵メイジ。正体も何も分からないけれど、凄腕だって噂が……」
彼女が何の関係もない人物の名前を急に出すはずがない。つまり、今回の園遊会への出席にその『地下水』が関連しているということだ。そこまでを思考したシャルロットは、その理由が不明であることに気付いた。アルトーワ伯が本当に謀反を起こそうとしているのであれば、傭兵メイジを雇ってガリアの王族をこのチャンスに害そうとするだろう。だがジョゼフもシャルルもその可能性は限りなく低いと見ているのは先程の会話で明らかで、そうなると一体誰がそんな輩を用意したのかということになる。
「父さまと伯父さまが……?」
「気持ちは分からないでもないけど、流石にもう少し身内を信じておやり」
苦笑しながらイザベラはシャルロットの考えを否定し、生憎と雇い主は分からないと続けた。どうやら噂を火種にしたい輩がどこかにいるらしい。そう述べると、やれやれと肩を竦めた。
「今回、本来父上はお前に護衛を頼むつもりだったのよ。体を壊してしまって、代理まで任せることになってしまったけど」
「ううん、大丈夫。気にしないで。イザベラ姉さまはゆっくり休んで」
「……ありがとう」
そう言って微笑んだイザベラは、じゃあ詳しい内容を教えると口頭と書簡の二つで園遊会出席のスケジュールをシャルロットへと伝える。一応ある程度は貴族の集まりに慣れている彼女にとってはそう大したものではなく、それはつまり注意しなくてはいけない事柄は一つだけだということでもあった。
「『地下水』がどのタイミングで仕掛けてくるかは分からない。そもそも、奴の目的が私の――ガリア王族子女の暗殺なのか誘拐なのかも不明なの」
「……姉さま、一つ聞きたいことがある」
「何?」
「その『地下水』が狙っているというのは、確かな情報なの?」
「ええ、確かよ。――父上と叔父上が嘘を吐いているのでなければ」
一瞬迷ったが、それならば信用しようとシャルロットは頷いた。もし本当に嘘ならばこの状況になった時点でネタばらしをしているはずだと彼女は考えたのだ。訂正せずにシャルロットを代理として送ろうとしている以上、疑う必要はないと考えて間違いない。
正体の全く分からない傭兵メイジ。噂では強力な『水』系統の使い手だとか、人の心を操る呪文に長けているだとか、そんな情報くらいしかない。果たして自分に勝てるだろうか。そんなことを一瞬だけ考え、即座に頭を振って散らした。勝てるかどうかではなく、勝つのだ。自分の為にも、目の前の従姉の為にも。
不意に扉がノックされた。誰だい、というイザベラの声に扉の向こうにいる人物が名乗る。東薔薇騎士団所属の騎士、カステルモールと名乗ったのを聞いたイザベラは、入れと短く述べた。
年の頃二十ほどの青年は室内に入ると、例の護衛が到着しましたとイザベラに伝える。
「……ああ、来たのか」
「どうしたの?」
その声に顔を向けたカステルモールは、お久しぶりですシャルロット様と頭を垂れた。彼女の中では直接会った記憶はあまりないが、父親の下で任務をこなしている姿は何度も見ている。軽く頷き返すと、カステルモールはその表情を笑顔に変えた。
が、すぐにその表情を曇らすと、シャルロットに事の次第を述べ始める。
曰く、ジョゼフ王とシャルル宰相の命により、今回の園遊会に傭兵メイジの護衛を追加するらしく、わざわざ名指しで指定したというその連中がついさっきここに到着したとのこと。
「まったく、どこの馬の骨ともしれぬ輩を用意するとは、ジョゼフ様もシャルル様も何をお考えなのだ……」
カステルモールがそう呟いていたが、シャルロットの耳には届いていない。わざわざあの二人が用意した傭兵メイジ、ということは。どう考えても心当たりは一つなのだが、嫌な予感が当たって欲しくないとばかりに彼女はイザベラに視線を向けた。
が、その返答は盛大な溜息であった。何かを諦めたような表情を浮かべたイザベラが、ゆっくりとカステルモールに視線を移す。
「カステルモール。その傭兵メイジをこちらに」
「……かしこまりました」
納得いかない表情ではあったが、こんなことで命令に背くわけにもいかない。カステルモールは一礼するとその傭兵メイジを呼びに部屋を出る。暫しの後、再び扉をノックするとともに彼がその連中を連れてきたと告げた。
入れ、とイザベラの声により扉が開く。まず入ってきたのはカステルモール。そして、次に入ってきたのは三人の歳若い男女。
一人は燃えるような赤い髪を持ったスタイルのいい少女のメイジ。一人はハルケギニアでは珍しい黒髪黒目の少年剣士。そして最後の一人は背中に大剣を背負ったピンクブロンドの少女。
シャルロットの予想通りの、見慣れ過ぎていると言っても過言ではない顔ぶれであった。
「ジョゼフ一世様の命により参りました、傭兵メイジのフレデリカと申します」
「あ、え、っと。同じく、見習い剣士才人と申します」
「同じく。傭兵メイジ、フランソワーズと申します」
そう述べてイザベラに傅いた三人は、彼女の楽にしていいという言葉に立ち上がる。今回の護衛は自分ではなく代理の従妹となった、という説明をしたイザベラの指す方向にそれぞれ視線を向けた彼女達は、そこで思わず眉を顰めた。
「え? あたし達の護衛対象タバサ?」
「……護衛、いらなくね?」
「てか、何やってんのよタバサ」
「……それは、こっちのセリフ」
普段の彼女らしからぬ盛大に嫌そうな顔をしながら、シャルロットは従姉と同じように盛大な溜息を吐いた。ジョゼフとシャルルが大成功とばかりに高笑いを上げている姿が想起され、後で殴ろうと心に誓った。
尚、無礼者、とカステルモールが騒いでいたが、そんな彼を気にする者は誰もいなかったことを追記しておく。
トリステインの変人からガリアの変人へバトンタッチ。