月日が経つのは早いものだ。あの古代竜の討伐から既に半年が経っていた。ティファニア達は色々あったが無事に進級し、現在は二年生として上級生と下級生に挟まれる日々を送っている。
変わったのは勿論立場だけではない。古代竜討伐隊の経験からか、彼女達の心境もほんの少しだけ変化していった。
「さて、授業も終わったな。昼飯だ」
「はいはい」
「よし、行こうか」
「うん」
そう言ってティファニア達を先導するのはファーティマ。蛮人共と学院生活などやってられんと騒いでいた彼女は、今は授業にまで溶け込むようになっていた。エルフだとかマギ族だとか、そういうしがらみを取っ払いティファニア達の仲間として自分の立ち位置を明確にした結果なのだろう。勿論本人は語らない。
「……ん?」
ぴい、とベアトリスの肩に止まっていた金糸雀が鳴く。それに反応した彼女はすぐさま視線を巡らせると壁際に移動した。どうやら使い魔の制御に失敗したらしい同級生が引っ張られながら数瞬前まで彼女が立っていた場所を駆け抜けていく。ふう、と息を吐くとベアトリスは立ち位置を元に戻した。
「使い魔との組み合わせで回避能力に磨きがかかったようだな」
「嬉しくない」
「便利に使ってやろうって開き直るのも大事よ」
クリスティナとリシュにそう言われたベアトリスであったが、そう簡単に割り切れたらとっくにやってると返すと溜息を吐いた。まあそのおかげであの鉄火場で生き残れたのだからそういう意味では確かにそうなのだが。そうは思うが、そこで割り切れないのが彼女なのだ。
「平穏な生活が恋しいわ……」
「無理だ、諦めろ」
「そうね」
「今更何を言っているんだお前は?」
「やかましいわ馬鹿共!」
ちなみに新世代問題児として既に学院中に彼女達四人と一人は知れ渡っている。どれだけベアトリスが文句を言おうと、これは覆せない事実なのである。
まあまあ、とティファニアが宥めにかかった。が、それは彼女に更なる火を点ける原因にしかならなかった。何故かといえばそれは勿論。
「問題児筆頭能天気無駄乳虚無メイジは黙ってなさい!」
「酷い!?」
「酷くない! そもそも下級生にすらアレのせいで悪名広がってるのよ!? これくらい言われて当然でしょう!」
「あれは、その、不可抗力というかなんというか」
「ベアトリス、その辺にしておけ」
「クリス! あんたは他人事だから言えるのよ! 使い魔召喚で目の前にこのバカ無駄乳の呪文で生まれた鏡が出てきてごらんなさい。絶対同じ意見になるから」
「いっそ使い魔になってしまえばよかっただろうに」
「ファーティマ、言って良いことと悪いことがあるわ。なんで! わたしが! この無駄乳虚無の使い魔やらなきゃいけないのよ!」
ざっけんな、とベアトリスは吠える。うう、とティファニアは項垂れ、そんな態度とっても意見など変わらんと彼女にバッサリと切られた。
ティファニアは虚無のメイジである。使い魔は虚無の使い魔となり、基本的に人が喚び出される。その結果として選ばれたのがベアトリスであった。勿論彼女は全力で拒否した。
そんなこんなで現在彼女は使い魔無しの特例進級となっており、下級生に問題児筆頭の名が知れ渡る原因となっているわけで。
「そういえばファーティマはどうするのだ?」
「ん?」
「使い魔召喚の話さ。エルフとこちらでは使う呪文系統が違うから進級は問題なかったが、そのままでいくわけでもないのだろう?」
「……そうだな。蛮じ――マギ族の呪文を学んでというのもありかもしれんが、ここはエルフの精霊の力を応用して代用出来んか調べてみるか」
「ほう」
とりあえず心当たりでもないか聞いてみよう、とファーティマはポケットから通信用魔道具、すまほを取り出す。学院での使用は禁止だぞ、というクリスティナの言葉に、鼻で笑いながら気にするなと彼女は返した。
「あ、ルクシャナに連絡するの? ならわたしもちょっとお話したいな」
「もし何かあっても来るなっつっときなさい」
ティファニアとベアトリスの言葉を聞き、ファーティマは微笑みながら分かった分かったと言葉を返した。
「平和じゃのぅ」
「急ぎの用事もありませんからな」
そう言ってテュリュークとビダーシャルはコーヒーに口を付ける。が、口ではそう言いながらも、この流れはきっと何か来るだろうなという予感があった。今までであれば『大いなる意思』の導きだと迷いなく言ったであろうそれは、今は少し考えが違っている。
「ん? やはりきたか」
机に置いてあったすまほから声が聞こえてきた。聞き覚えのあるその声を耳にして苦笑しつつ、何の用だと彼はそれに言葉を返す。少々の沈黙の後、時間と余裕はあるかという言葉が発せられた。
「どうした?」
『うちの馬鹿共が今不在で、イザベラ姉さまに国の業務がすべて任されてる。シェフィールドが今ぶっ倒れた。ちょっとピンチだから助けて』
「……何をやっているのだあの二人は」
割と本気で救援を求めているタバサのその言葉を聞き、ビダーシャルは溜息を吐いた。ちらりと視線で確認をすると、カカカと笑いながらひらひらと手を振るテュリュークの顔が見える。
分かった、すぐに向かう。そう返し、ビダーシャルは席を立つ。そういうわけですからと改めて許可をもらい、彼は仕方ないと部屋を出ようと足を踏み出した。
そのタイミングで、盛大にドアが開け放たれた。叔父さま、テュリューク様、と騒ぎながらやってきたエルフの少女は、待てという連れの言葉など聞く耳持たず用件を言い放つ。
「ちょっとトリステイン言ってくるから、小型艇を使わせて欲しいの」
「ルクシャナ!? もうちょっと順序立てて話してくれよ……」
アリィーの呆れ声に気にするなとルクシャナは返す。二人に向き直るとそういうわけだからと再度要望を口にして詰め寄った。
ふむ、とテュリュークは顎に手を当て考える素振りを見せる。ちらりとビダーシャルを見やると、まあしょうがないと言わんばかりに肩を竦める姿が見えた。ではそうするか。そんなことを心の中で思いつつ、分かった分かったとルクシャナに返す。
「よし。ありがとうございます」
「うむ。ただし、じゃ」
こちらの条件も呑んでもらうぞ。そう言ってテュリュークは笑う。分かりましたと即答するルクシャナを見て、笑みを強くさせる。待て、というアリィーの行動は一歩遅かったな、と笑う。
「まず、騎士アリィーとビダーシャル卿も同行させてもらう」
「アリィーは元々一緒に行く予定だし、叔父さまが来るのは何の問題もないわ」
「そうか。ではもう一つ」
トリステインに行けるのは、ビダーシャルと一緒に、ガリアの仕事を手伝ってからだ。それを聞いて、へ? と間の抜けた顔になったルクシャナを眺め、テュリュークはもう堪えきれないといった様子で腹を抱えて笑いだした。
「ご迷惑おかけしました」
ふらふらとしながら特製の栄養秘薬を一気飲みしつつシェフィールドが席に着く。大丈夫? というイザベラの言葉に、あははと苦笑することで彼女は返答とした。
つまりは大丈夫ではないらしい。
「まあ、でも。これが終わればとりあえず一息は付けるんじゃないですか?」
「そうね。……シャルロット、ごめんなさい、こんな手伝いさせちゃって」
「気にしないで」
どうせ向こうに戻っても似たようなことやるだけだし。そう続けながらタバサはサクサクと書類に許可不許可を出していく。それを見ながらイザベラも同じように書類を確認し、タバサとシェフィールドの担当に分類していった。
「というか、お二人は何だかんだでこなせるんですね」
二人と比べると一段落ちるスピードで処理しながらシェフィールドがぼやく。これでもあの二人の手伝いで色々やってるのに。そんなことを考えつつ、しかし大半が雑用で飛び回る羽目になっていたりいじられ役だったりしたのを思い出しその意見をなかったことにした。
「でも、父上はこれを一人でやるのでしょう?」
「あー、まあ、そうですね。今回の量はジョゼフ様一人分の業務です」
「父さまの分は?」
「シャルル様の業務はこちらにはありません。というか、保留しても問題ない部分を纏めてそこに押し込んだ、というか……」
帰ってきたら済ませるから、というわけである。それを聞いたタバサとイザベラは何だか無性に負けた気がした。こちらは二人で一人分やるのが精一杯なのに、向こうは遊んでからやっても十分というわけなのだから。
だったら最初から済ませてから行けよ、と思わないでもなかったが、それを口にしたら更に負けてしまう気がしたのでタバサは飲み込んだ。イザベラも同じように飲み込んだらしく、彼女と同じ顔をしていた。
「……これは、あくまで私の予想なんですが」
「何?」
「お二人に跡を継いでもらう為の練習として今回の業務を残されたのではないか、と思うんです」
「まあ、そうね。……半分くらいは、そうでしょうね」
お前達ならば出来るだろう、そういう信頼のもとに託された業務である。聞こえの良い言葉で言えばそういうことなのだ。勿論あの二人のことなので面白がって押し付けているということもなくはないのであろうが。
はぁ、とイザベラは溜息を吐いた。ここでへこたれていては、いつまで経っても父親に追い付けない。そんなことを考え、自ら頬を張り気合を入れた。
「イザベラ姉さま?」
「やるわよ。明日にはビダーシャルが手伝いに来てくれるんでしょう? なら、少なくともそれまでに済ませなければいけないことは終わらせるわ」
「……はい」
「うん」
緩んだ気を引き締め、三人は再度書類との格闘を再開する。様々な案件に目を通し、それぞれどういう対処をするかを選び、書き添え、そして。
「……それにしても」
「どうしたの?」
「あんな騒動の後なのに、犯罪は減らないのね」
「そう、ですね……」
まったく、とイザベラは頭を振る。犯罪者の対処の書類を眺め、それを指で弾きながら、ほんの少しだけ目を細めた。
「ねえシェフィールド。いっそこういう連中をヨルムンガントの動力源とかにしない?」
「何物騒なこと言ってるんですか!?」
「いやはやまったく。救いようがないね」
やれやれ、と羽根帽子のズレを直しながらドゥドゥーは笑う。逃げ惑う神官をゆっくりと歩くような動きで追い掛けながら、手にしていた剣杖をゆらゆらと揺らした。
「エンシェントドラゴンの討伐は、種族の垣根を超えて手を取り合ったのにさ。半年経ったらもうこれだ。人ってのはこれだから」
「あらドゥドゥー兄さん。わたし達も一応、人よ」
「……ジャネット、違うよ。ぼくはね、『元素の兄妹』の一人、ドゥドゥー。――ダンピールだ」
「それ、気に入ったのね……」
はぁ、とジャネットは溜息を吐く。まあいいわ、と逃げる神官に向き直り、手にしていた杖を振るった。水の鞭が神官の一人を絡め取り、あっという間にこちらに引き寄せる。
自分の獲物はこっちだから、とドゥドゥーに一言述べたジャネットは、そのままその神官のこめかみを蹴り抜いた。小さく悲鳴を上げた神官は白目を向き、そのまま糸の切れた人形のように倒れ伏す。ポッカリと空いたこめかみの穴からは、血と脳症が溢れていた。
「はい、一丁上がり、と。そっちはどう、兄さん」
「ん? 終わったよ」
そう言いながらひゅん、と剣杖を振るう。瞬間、何倍もの長さになった『ブレイド』の刃が、遠くに逃げる神官を真っ二つにした。左右に分かれた体が別々に倒れるのを見ながら、あっけないなとドゥドゥーは笑う。
「ま、この間の戦いに比べれば当然か」
「その時に逃げ惑い私腹を肥やしていた連中だもの」
言いながら死体を一箇所に纏める。後の処理は任せればいいとして。そんなことを言いながら二人は杖を仕舞いその場を後にした。人を殺したとは思えないほど飄々としたその態度は、見る者が見ればどこか不気味に映ったかもしれない。
尚、今更その光景を見てそんな感想を抱く知り合いは彼や彼女にはいなかったりする。
「ん? あれ、お嬢様、どうしたんだい?」
ポケットのすまほが通信を知らせた。取り出し返答すると、仕事が終わったらこちらに来て欲しいというジョゼットの声が耳に届く。また何か厄介事かな、と苦笑したドゥドゥーは、しかし別段そのことを口にすることなく分かりましたよと言葉を返した。
「報酬次第で何でもやる『元素の兄妹』。――っていう肩書も、もう取っ払う頃かな」
「かもしれないわね。まあ、でも、多少意味合いが変わるだけで、やってることは変わらないし、いいんじゃないかしら」
「まあね。何よりぼくは、お嬢様を気に入っているからね」
「そうね。昔は呆れてたけれど、最近はその意見に賛同するようになってきたわ」
そんな軽口を叩きながら、ドゥドゥーとジャネットはロマリアの裏路地を歩く。
すっかり自分達の帰る場所になった、お嬢様――ジョゼットのもとへと向かうために。
「これはこれは、『元』教皇聖下」
「開口一番にそれですか」
「はっはっは! 権威をなくした生臭坊主の扱いなどそんなものではないかな?」
「……そうですね、言葉もありませんよ」
あはは、と頭を掻いたヴィットーリオは、それで今回の用件は何かと彼に尋ねた。が、対するジョゼフは分かっていることを一々聞くなと笑みを浮かべるのみである。
ジョゼフの少し後ろに佇んでいるシャルルを見やり、分かりましたと息を吐くと、ヴィットーリオは目的地に案内するように歩みを進めた。本来ならばきちんと謁見の手続きを取るべきなのであろうが、ことこの二人ならば別段問題はあるまい。そう考えたのだ。
執務室の扉をノックする。どうしましたか、という少女の声に、ヴィットーリオはお客さまですと短く返した。
「また何か企んでいるんですか? もう貴方がわたしを蹴落とすのは無理ですから」
「分かっていますよ。そもそも、私はもうそこに戻る気もありませんし」
「ジュリオは渡しません」
「分かっています。そちらは絶対に無理だということはね」
いいから開けてください教皇聖下。そう続けたヴィットーリオに対し、はいはいと少女は返す。扉を開け、ヴィットーリオを見た少女は、新教皇は、ジョゼットは。
「それで、お客様というのは」
ちらりとそこを見て一瞬だけ動きを止めた。すぐに我に返ると、気さくに手を上げているジョゼフを見て、そしてその背後を眺める。やれやれ、と小さく溜息を吐くと、それで何の御用でしょうかと二人に問い掛けた。
「いや何、新教皇就任の祝いに来たのだ」
「それはそれは、わざわざご足労ありがとうございます」
立ち話もなんですので、とジョゼットは執務室に二人を招き入れた。ヴィットーリオはこれ以上立ち入ると面倒だと判断しそのまま去っていく。教皇を辞してから怠け振りに拍車が掛かったとはジュリオの弁である。
「しかし。仕事はいいのですか父さま、伯父さま」
「シャルロットとイザベラが今頃頑張っているさ」
パタン、と扉を締めた途端の会話がこれである。部屋にいたジュリオはいきなりのそれに思い切り目を丸くしていた。いやまあ別に隠してもいなければ既に確執もないみたいだからいいけどさ。そんなことをぼやきつつ、とりあえず傍観しようと彼は心に決めた。
「それはそれは。かわいそうな姉さま達」
「ジョゼットは一人で教皇の業務をこなしているんだろう?」
「ふふっ。心配ご無用です父さま。だってわたしには」
ぐい、と傍観に徹しようと決めたばかりのジュリオを抱き寄せた。そしてそのまま口付けを交わす。濃厚なそれを父親と伯父の目の前で見せ付けたジョゼットは、そういうわけですものと笑みを浮かべた。
「成程、愛する者がいれば、何の問題もない、というわけか」
「ええ」
「そうかい。幸せなんだね、ジョゼット」
「勿論」
笑みを浮かべた。普段の彼女らしからぬ、どこかタバサを思わせるような、どこかシャルルの妻であるオルレアン夫人を思わせるような。そんな見覚えのある微笑みを、彼女は浮かべた。
「しかし、愛、か」
「どうかしたのですか?」
「いや、何……シャルロットは、縁遠いな、と」
やれやれ、とシャルルは頭を振る。確かにそうだなとジョゼフは笑い、ジョゼットもそうですねとフォローすることなく普段の彼女の笑みへと性質を変えた。
「ん? でもジョゼット、ミス・オルレアンの近くには彼がいるじゃないか」
「駄目よジュリオ。シャルロット姉さまの近くにいる彼は、ね」
「……あー、成程ね」
今ここにいない灰髪ツーサイドアップで目付きの悪いメイドを思い浮かべ、そういうことかと同意しつつ。
それはそれで違うんじゃないかな、とジュリオは『彼女』の態度を思い出し何となくそう思った。口には出さない。愛しい彼女の反応が怖いからだ。
「いや、ていうか何でついてくるんだよ」
「私は元々メンテナンスの依頼に行く予定だったんです。お前が勝手についてきているんでしょう?」
「ちげーよ。俺も日本刀のメンテだっつの。お前がついてきてんだっつの」
「お前が」
「お前が」
「はいはい。ごちそうさまぁ」
ん、と振り返った二人は、キュルケが満面の笑みでこちらを見ているのに気が付いた。何でお前が来てんだよ、と大体そんな意味合いの言葉を同じタイミングで述べたことで、彼女の笑みが更に強くなる。
当然のように、タイミングが揃ったことについて互いに向き合い文句を言い始めた。
「おい『地下水』、何でこう毎回毎回被るんだよ」
「それはこっちのセリフですサイト。毎度毎度人の言葉を真似して……気持ち悪い」
「吐き捨てるように言うな、ちょっと心に来るだろ。っていうかお前人じゃなくてナイフじゃねぇか!」
「そんな細かいことを一々グチグチと……本当に小さい男」
「ケンカ売ってんなら買うぞテメェ」
「ふん、ちょっとエンシェントドラゴンと戦ったからって調子に乗って。大体あそこまで辿り着けたのは誰のおかげだと」
「いやそりゃお前とエルザのおかげだけど。そこは今関係ないだろ」
「……分かっているならいいんです」
ふん、と鼻を鳴らしそっぽを向く『地下水』を見て、キュルケは大層ご満悦であった。ああやっぱり屋敷の仕事ほっぽりだしてついてきて良かった。そんなことを思いつつ、彼女は鼻歌を奏でながら二人についてシュペーのアトリエの道を歩く。
尚、帰ったら確実にルイズがキレること間違い無しである。
そうして辿り着いたアトリエの扉を開くと、どうやら先客がいたようでドアベルの音に反応しこちらを向いた。お、とその人物はやってきた才人と『地下水』を見て笑みを浮かべ、次いで入ってきたキュルケを見付けて目を見開いた。
「お、キュルケじゃないか」
「げ、父さま」
「げ、とは何だ、げ、とは」
そう言いつつも、先客――ツェルプストー辺境伯は笑みを浮かべて愛娘へと歩みを進める。最近戻ってこないから母さん寂しがってたぞ、という彼の言葉に、キュルケは少しだけバツの悪そうに頬を掻いた。
「それで、何で父さまはここに?」
「ん? ああ、閣下の依頼でミス・シュペーに作ってもらったものを取りに来たのさ」
あれだ、と机の上に飾ってある一振りの剣を指差す。デルフリンガーによく似たそれは、しかし様々な武器の装飾が施され全く別物といっていいほどに改造されていた。
アルブレヒト三世はあの戦い以来すっかり勇者のファンになったらしい。勇者一行の武器を是非とも自分の城にも置きたいということで、シュペーのアトリエに依頼を出していたのだ。
「閣下曰く、『勇者の剣』だそうだ」
「……こう言っちゃ何だけど、趣味悪いな」
「そうですね。そこは同意します」
言ってやるな、と辺境伯は苦笑する。製作者であるシュペー嬢もその辺りに反論する気はないのかそっと目を逸らしていた。
「さて、ここで会ったのも何かの縁だ。昼飯でも奢ってやろう。勿論ミス・シュペーもな」
「おお、流石は生きた伝説の一人、太っ腹」
「では、お言葉に甘えましょうか」
「あ、ありがとうございます」
「あー……あたしは――」
「来るよな? キュルケ」
ニヤリ、と辺境伯は笑った。来なかったらお前の恥ずかしい話を談笑のネタにしよう。そう言わんばかりの笑みであった。
行けばいいんでしょう、とキュルケはやけくそ気味に彼に返す。おうと笑みを強くさせた辺境伯は、そのままポンポンとキュルケの頭を軽く撫でた。
「よし、じゃあ代わりにこないだナルシスと話題にしたちょいと昔の話でもするか。これはオレがトリステインの騎士だった頃の話だ。サンドリオンの野郎が――」
ケラケラと笑いながら、辺境伯は話し始める。バッカスは、昔話を娘達に聞かせ始める。
「はっくしょん!」
「どうしました、あなた」
「いや、何か悪寒が」
バッカス辺りが悪口でも言っているのだろう。そんなことを言いながらヴァリエール公爵は紅茶を一口。そんな彼を見ながら、皆に好かれているわねと対面のノワールはクスクス笑った。
「冗談はよせ。私は別に皆に好かれるような人間じゃない」
「あらそう? 少なくとも公爵領で貴方を嫌っている者はいないと思うけれど」
「買いかぶりすぎだ」
「いえ、ノワールおばさまの言う通りだと思いますわ」
「非常に癪ですが、わたしもそれには同意します」
「カトレア。カリーヌまで……」
皆にそう言われて気恥ずかしくなったのか、公爵は視線を逸らすとわざとらしく咳払いをした。何とか話題を変えようと視線を巡らせ、生暖かい視線でこちらを見ているダルシニとアミアスを見付けその表情が更に苦いものになる。
「どうしたのピエール。顔が赤いわよ」
「誰のせいだと……。……しかし、よく承諾したな」
はぁ、と溜息を吐きながら公爵はノワールを見やる。家族でのお茶会、ということでカトレアに招かれたノワールは、適当な理由を付けて断ることもせずに参加をしたのだ。それが彼にとっては随分と意外であった。
妻であるカリーヌがそれに文句を言わないのも、彼にとって物凄く意外であった。
「家族として招かれたのだから、断るわけにはいかないでしょう?」
ねえ、と同意を求めるようにノワールはカトレアと、そしてカリーヌに視線を向けた。前者は笑顔で頷き、後者はふんと鼻を鳴らしながらしかし否定はしない。
魔女ノワールは、もう一人のカリーヌは。ヴァリエールにとって家族である。それが揺るぎない事実であると証明するようなそれは、公爵にとってはにわかには信じられず。
「そうか……。ああ、そうだな」
そうであればこんなに嬉しいことはない、と。そう思えてしまうような事実で。
ノワールを見た。クスリと微笑み、紅茶を一口。
カリーヌを見た。やれやれと苦笑しながら、紅茶を一口。
今日はいい日だ。そんなことを思いながら、公爵は、ピエールは、サンドリオンは紅茶を一口、口にした。
「後は姉さまとルイズがいれば完璧だったのだけれども」
「あの二人は、今はまだ忙しいでしょうからね」
「エレオノールはまだこうして連絡が付くけれど、ルイズは本当に……」
すまほを起動させたカリーヌが、音信不通のもう片方を見ながらやれやれと溜息を吐いた。
『そちらに連絡はないの?』
「無いです。けれど、エルザが定期的に向こうに行っているので現状は分かりますわ」
今頃書類の山に埋もれてストレスで暴れまわっている頃だろう。そんなことを続けながらエレオノールは研究レポートのまとめに目を通した。今回のこれはまあ有りだな。そんなことを思いつつ、傍らにあった『可』の印をそこに捺す。
落ち着いたらこちらに来なさいというカリーヌの言葉に勿論ですと返し通話を終えた彼女は、部屋にいる助手達を一通り見渡した。牛頭の大男はその巨体に見合わぬ繊細な作業を継続中。フードを被った少女は資料をまとめながらあちらこちらと忙しそうに走り回っていた。
そして、縦ロールにそばかすの少女は。
「ミス・モンモランシ」
「は、はい!」
「そちらの調子はどうかしら?」
エレオノールに問われたモンモランシーは慌てて振り向き、そしてその拍子にこつんと肘が机に当たった。あ、という声と同時、瓶が一個床に落ちる。
中の液体がぶちまけられ、一瞬にして煙になった。そしてそれを吸い込んだエルザの頭にフードと同じような猫耳が生える。わきゃー、と自分の変化に驚いた彼女は、落ち着けとラルカスに抱え上げられた。
「……順調のようね」
「どう見ても失敗だと思うんですけれど!」
「自分で言うの?」
「あ、いえ、それはその」
「失敗だと認めるのは大事よ。そこは自信を持って失敗ですと言いなさい。別に研究なのだからそこを咎めたりはしないわ。まあ、早急にエルザを元に戻す秘薬を作ってもらうことにはなるけれど」
「い、今すぐ取り掛かります!」
「よろしく。あ、それと」
今の秘薬のレシピ自体はきちんと保存しておいて頂戴。そう言ってエレオノールは再度自分の業務に戻る。今日中にアカデミーのレポート全てに可か不可かを付けなければならないのだ。
これは可、これも可。これは不可。流し読みなどせず、一つ一つきちんと見ながら評価を下すエレオノールは、名実ともにアカデミートップとしてその頭角を現している。それに比例するように、彼女の自由時間と出会いは減っていった。
「エルザ」
「はい?」
「どうやら獣の因子を増やしたことで吸血鬼の特性が薄まっているようよ。少し外に出てみたらどうかしら?」
「え? こ、これを付けたまま?」
「使い魔サイトは案外気に入るかもしれないわよ」
「お兄ちゃんは関係ないでしょ!?」
顔を真っ赤にしながらブンブンと手を振るエルザを見て、可愛いな、とエレオノールは思った。モンモランシーとラルカスもうんうんと頷いていた。
「で、何で人の恋路の後押ししてるのよわたしは!」
「知るか」
どん、とカップを叩きつけるように置いたエレオノールに向かい、ワルドはそれだけを返した。自分のエールを飲みながら、愚痴るなら誰か別の奴にやれと彼は溜息を吐く。
何でよ、とそんな彼の言葉に彼女はどこか拗ねたような眼差しを向けた。
「こういう時に取り繕わずに文句言えるのはアンタくらいじゃないの!」
「いや取り繕え。俺をそういう役割にするな」
「何よ今更」
「今更だからだ。大体だな、夜に二人で酒場にいるところを見られたら誤解されるだろう?」
まったく、と追加の溜息を零しながらワルドはエールの追加を頼んだ。隣でエレオノールも追加を頼んでいる。
そうしながら、で、誰に何を誤解されるのだと彼女は詰め寄った。
「勿論ルイズにだ。姉さまを貰ってくれる人が現れたのねとか言われた日には、俺はもう自害するしかない」
「おい」
どういう意味だこら、と更に詰め寄ったエレオノールに向かい、ワルドはそのままの意味だと返す。ついでに近い、酒臭いと、彼女を押し退けた。
この野郎、と彼女はワルドを睨む。相当酔っているなとそんなエレオノールを見た彼は、これは今日の運び役は自分だなと三回目の溜息を吐いた。
「ちょっとジャン! 何辛気臭い顔をしてるのよ!」
「君が隣にいるからに決まっているだろう。まったく、何故ルイズじゃないんだ」
「あによ。そんなにルイズがいいの?」
「当たり前だろう」
「わらしらってヴァリエールよ! 何が違うっれいうのよ!」
「おい大分酔ってるぞエレオノール」
「そりゃ酔いらくもなるわよ。知ってるの!? 最近わたし『暴れドラゴンの姉』から『暴食ドラゴンの長』に変わったのよ! どういう意味だ!」
勿論ルイズ達に加えてラルカス、エルザ、モンモランシーが加わったからである。ワルドはその辺に察しが付いたが口にはしなかった。懸命である。
「分かった分かった。今日は付き合ってやるから、落ち着け」
「当然れしょ! あんらはわらしの!」
「君の、何だ?」
「わらし、の――」
ふにゃ、と声を上げたエレオノールは、そのまままぶたがゆっくりと落ちていった。酔いが回っているところに全力で叫んだので限界が早まったらしい。あぶない、と倒れそうになる彼女を抱きとめたワルドは、言ったそばからこれかと肩を竦めた。
「仕方ない。今日はここでお開きだな」
支払いを済ませたワルドはそのままエレオノールを抱きかかえて酒場を出る。こういうところはルイズに似ているな、とほんの少しだけ微笑ましくなった。
どこか幸せそうに、エレオノールは寝息を立てていた。
ギーシュは突然の収集に面食らった。何かやらかしただろうか、と思い返しても心当たりがない。仕方ないと素直に尋ねることにしたのだが、返ってきたのはアニエスの呆れたような溜息であった。
「実はな……ワルド子爵が現在引きこもっている」
「はぁ……は?」
なんじゃそら、とギーシュは首を傾げた。何がどうなってそうなるんだと理解が追いつかない彼に向かい、アニエスは少しだけ考える仕草を取る。そして、ここ二・三日の噂を知っているか、と彼に尋ねた。
「噂、ですか……そういえばアカデミー評議会長の熱愛が発覚とかそんな話が」
「ああ、それだ」
アカデミー評議会長とは勿論エレオノールのことである。そしてその噂の発端はワルドが彼女を抱きかかえて彼女の家に送り届けたことであった。
二人にとっては別段いつものことであったのだが、今回それを誤解されるように見られたのが運の尽き。そもそもいわゆるお姫様抱っこで運んでいる時点で噂されてもしょうがない。
「というわけで、ワルド子爵が引きこもっている」
「駄目過ぎる……」
あのルイズ馬鹿はどうすればいいのだろう、と誰もが悩んだ。そして結論が出ないので放置されることとなった。
つまり、その補填としてギーシュは呼ばれたのである。
「いやグリフォン隊隊長の代わりは無理ですよ!」
「心配するな。そこを担ってもらおうとは思っていない」
その部分は他のグリフォン隊がどうにかするので、それらによって空いた隙間を手伝って欲しいというわけだ。それならまあ、と了承したギーシュは、では早速とアニエスが取り出した書類の山を見て逃げ出したくなった。
「安心しろ。厄介なものは殆ど含まれていない」
「一応含まれてはいるんだ……」
用意したのは恐らくアンリエッタであろうから、まあそれも当然か、とギーシュは諦めた。
とりあえず今日は後でモンモランシーに癒やしてもらおう。そう決意した彼が、アカデミーでも同じような状況でモンモランシーが東奔西走していると知るのはもう少し後の話である。
勿論二人が会う時間は当分作られなかった。
ふむ、とアンリエッタは思案する。ここのところ忙しさにかまけてそういう部分を疎かにしてしまっていた、と。ちらりと隣を見ると、ウェールズも同じような表情をしているのが見えた。ああやはり愛しい夫は流石だ、と彼女の顔に笑顔が浮かぶ。
「優秀な人材が豊富なのは確かに素晴らしい。が、それに頼りきりではいけない」
「ええ、その通りですわ。……古代竜の騒ぎの影響で、そこの整備が疎かになってしまっていました」
本来ならばこういう状況でもどうにかするだけの歯車があってしかるべき。だというのに、今回はそれが出来ていないのだ。これは間違いなく失態である。おのれ古代竜、滅んで尚自身に嫌がらせをするとは。
そんなことを考えたアンリエッタは、ギロリと壁に飾ってある鱗を睨んだ。その眼光に周囲の家臣は思わず小さく悲鳴を上げる。マザリーニとウェールズは慣れきっていたので苦笑するだけに留まった。
「こらこらアンリエッタ。物にあたるのはその辺にしておこうか」
「むぅ……。でもウェールズ様、わたくしだって年頃の少女ですわ。そういう気分になる時もあります」
「勿論知っているとも。そして、そういう時のアンリエッタは特別可愛らしいということもね」
「ウェールズ様……」
ぽ、と言う擬音でも聞こえそうなほど表情と動きでアンリエッタはウェールズにしだれかかる。それを優しく抱きとめたウェールズは、愛しい妻にそっと口付けをした。
どこか他所でやってくれないかな、と家臣一同は思った。マザリーニは慣れているので苦笑するだけに留まった。
「さて、アンリエッタ」
「はい」
「この状況、どうする?」
「単純な書類仕事は問題ありません。多少負担が増えるでしょうが、そこはわたくしの処理を増やします」
問題は、と机の上に置いてあった別の書類の束を手に取る。普段の書類仕事とは別処理であるそれは、いわゆる厄介事というやつであった。
それらを一瞥すると、まあここは仕方ないとアンリエッタは肩を竦める。ここのところちょっかいを出していないし、丁度いい。そんなことをついでに思った。
「元々こうなったのは、ヴァリエール公爵三女が遠因」
「……まあ、そう言ってしまえば、確かにそうだけれど」
まあそうなるだろうなと思っていたウェールズは、しかしそれに勝る解決策が出てこない以上仕方ないかと溜息を吐く。申し訳ない、とこれから被害に遭う彼女に心の中で謝罪をした。
「そういうわけですので」
「そういう、わけだね……」
アンリエッタは伝手を呼ぶ。とある人物を呼び出して欲しいと述べる。今の書類仕事は保留ないしは処理済みにするという餌をぶら下げて、こちらに来るようにと付け加える。
「彼女を、呼んで頂戴」
魔法学院を卒業し、友好街に屋敷を構える人物を。恐らく今現在世界で一番有名な少女を。
ハルケギニアの、小さな勇者を。
「ルイズ様」
「ん?」
キュルケのばっきゃろー、と叫びながら書類の処理を行っていたルイズは、シエスタの言葉に顔を上げた。その手に一枚の手紙を持っていることから、彼女はルイズを呼んだ用件はそれであることが伺える。
が、今現在ルイズはそれどころではない状況であった。山のようにある書類と絶賛格闘中であった。
「誰から?」
「王妃です」
「よし、無視」
どうせろくな用事ではあるまい。そう判断したルイズは再度書類の処理に取り掛かる。大体この辺の仕事を何で自分がやってんだ。そんなぼやきが時々聞こえた。
「まあ、それはルイズ様がシュヴァリエになったからではないかと」
「いらないって言ったのに! 姫さまのバカ!」
ついでに領地も貰っている。それの処理とシュヴァリエの仕事が重なった結果が目の前の書類の山であった。学院の生徒をやっていた半年で溜まりに溜まったそれらを三人とおまけ一人で処理して、ようやっと終りが見え始めてきた矢先。
タバサはガリアの応援要請で帰国。そしてキュルケは外出した才人を追いかけて逃げた。そのため一人で三倍の量をやる羽目になったのである。
「姫さまのせいでこうなってんだから、無視したって問題ないわ」
「ルイズ様がそれでいいのなら、わたしは何も言いません」
ではこれは片付けておきますね。そう言ってシエスタは踵を返した。そうしながら、ちなみに、と言葉を続けた。
「それらの処理はこの仕事を受けた場合向こうでどうにかするらしいですが、まあ無視するので関係ないですね」
「おい待てメイド」
そういうことは早く言え。がぁ、と立ち上がったルイズは慌ててシエスタから手紙をひったくる。封蝋を剥がし中身を取り出すと、一体全体どんな用件だと読み上げた。
なんじゃそら、と思わず膝から崩れ落ちた。
「ワルドも姉さまも何やってんのよ……」
「まあ、それだけ平和だということです」
「そりゃそうかもしれないけど」
皮肉で言っているわけではないのは分かっているが、しかしはいそうですかと納得も出来ない。文句の一つや二つ言っても問題ないだろうくらいには呆れている。
とはいえ、ならばそれを受けないかといえば答えは否。現在の書類の山をゼロに出来るという条件は非常に魅力的であった。
ふう、と息を吐く。手紙を仕舞うと、壁にかけてあったマントを手に取った。それを纏い、やる気になったか、と笑うデルフリンガーを背負う。
「よし。じゃあ――」
「ただいまぁ」
「ただいま」
「ただいまー」
行こうか、というタイミングで三つの声。ドタドタと足音が聞こえ、ルイズの部屋に三人が入ってきた。キュルケ、タバサ、そして才人。偶然か必然か、どうやらちょうどいいタイミングで全員が揃ったらしい。
外に出る格好をしているルイズを見て、才人はどうしたんだと声を掛けた。これから王宮に行くわよとそれに返し、勿論ついてくるだろうなと目で述べる。才人は使い魔、当たり前だろと笑みを見せた。
「勿論、行くわよぉ」
「当然」
そしてキュルケもタバサも。久しぶりに暴れられそうだと鈍った体を解すように伸ばしながら微笑んだ。どうやら皆意見は同じらしい。そのことを確認したルイズは、じゃあ行くわよと四人揃って外へと向かう。
屋敷の門を開け、太陽光を浴びながら。ルイズはぐるりと辺りを見渡す。今から共に行く仲間、キュルケ、タバサ、才人を見る。
そして、自身を見送っているシエスタを見る。無事に帰ってきてくださいね、という彼女の言葉に、当たり前だ、と笑顔を見せた。
では、行ってらっしゃいませ。そう言って頭を下げたシエスタに、キュルケもタバサも才人も、そしてルイズも。
手を振りながら、笑みを浮かべながら。揃って、こう述べた。
「行ってきます!」
俺達の冒険はこれからだエンド(その2)