「はぇ?」
目が覚めた時、ルイズの目にまず飛び込んだのは夜空であった。思わず飛び起き、そして周囲を見渡す。どこぞとも知れない場所に、彼女は寝かされていた。どう考えても火竜山脈のどこかではない。木陰ではあるものの、それ以外に見える場所は砂ばかりだったからだ。
「……オアシス?」
ほんの少しの池と、周囲の草、そして木。砂漠の中に存在するそれは、まさしくそう呼称するものであろう。しかし、だから何だという感想しかルイズには出てこない。一体全体何があればこんな状況に陥るのか。それがさっぱり分からない。
そんな彼女の視界に一組の男女が映った。どうやら何か呪文で移動してきたらしく、突然現れた二人にルイズの目が少しだけ見開く。よかった、目が覚めたのね。女性の方はそんなことを言いながらルイズへと足を進めた。
「え? あ、はい、おかげさまで?」
「ふふっ。……ったく、無理に動かすと危ないからってこんな場所に置いてくとかホント何考えてるのかしらね」
「はぁ……?」
同意を求めるようにルイズに話し掛けながら後ろの男性を睨む。男性の方は困ったような顔で肩を竦めるのみであった。
そうしつつも、男性はルイズへと近付き女性と同じようにこちらを心配する言葉をかける。問題ない、と答えながら腕や首をぐるぐると回したルイズは、しかしそこで重要な問題に気が付いた。
「デルフ!?」
彼女と共にあったはずの相棒が、デルフリンガーが無い。慌てて二人に尋ねたが、この辺りにそんな剣は落ちていなかったと答えられ、ルイズはガクリと膝を落とした。
「ま、まあ探せばあるかもしれないから」
「……そうですね」
あのバカ剣煩いし、案外簡単に見付かるかもしれない。そう思い直し、ルイズは改めてと二人に頭を下げた。助けてくださってありがとうございます。そう述べ、自分の名を名乗った。
それを聞いた二人もどういたしましてと微笑み、そして己の名を名乗る。女性の方はサーシャ、そして男性の方は。
「ぶ、ブリミル!?」
「ああ、そうだよ。……何かおかしなことでも?」
「え、いえ。その、ちょっとわたしの故郷の有名な方と同じ名前でしたので」
成程、とブリミルは頷く。ふうんとサーシャは軽い反応をし、それで何でこんな場所にいたのか、と話を進めた。それを聞きたいのはむしろルイズの方である。
とはいえ、そう言っても仕方なし。火竜山脈で古代竜と戦い、味方の軍を逃がすために単身で殿を務めた結果、大ダメージを受け。そして気付くとここにいた、そんな話を二人に述べた。
何言ってんだこいつ、という顔をされた。
「古代竜、というのは、あの厄災のことかい? あれと人が戦ったという話は聞いていないが……もしかして君はヴァリヤーグなのかな?」
「……多分、違うんじゃないかな、と。友人の夢魔はわたし達のことをマギ族って呼んでましたけど」
「マギ族はぼくらの種族だ……。どこか遠くに同じような暮らしをしている人がいたのか」
「ねえブリミル。それよりこの娘、今夢魔が友人って言ったわよ」
そういえばそうだ、とブリミルはルイズを見る。何かおかしかったのかな、と首を傾げる彼女を見て、彼はどこか羨ましそうな目を向けた。
「……君達の故郷では、異種族と親交を結んでいるのかい?」
「まあ、一応? エルフと、吸血鬼と、夢魔と魔道具、あと翼人もそうかな? 一応韻竜も含めていいのかしら」
「あなたの故郷は魔境か何か?」
「……よく言われます」
初対面の人に言われると心に来るものがある。そんなことを思いながらルイズは溜息を吐いた。そうしつつも、二人の会話や状況の齟齬などを考慮し少しずつ自分の意見をまとめていく。
サーシャ、彼女はエルフだ。蛮人以外にもそんなのと付き合う同族は変わり者ね、と笑うのを聞いたし、耳も尖っている。今のエルフで敵意のない者でありながらルイズ達の現状を知らないことはまずありえない。つまりここは彼女の住んでいたハルケギニアとは違う場所の可能性が出て来る。
何より彼女の左手だ。うっすらと見えるあのルーンは間違いなく『ガンダールヴ』。そして彼女の知る限り今代のガンダールヴは自身の友人で弟子でもある才人だ。アンリエッタ達の話を聞いても、同じ使い魔が同時に現れることはありえない。
そしてブリミル。虚無の使い魔と共にいるその名前のメイジとなれば、最早答えは一つしかない。普通は思い付かないが、これまでの彼女の経験と、そして何より使い魔からの影響で導き出したのだ。
ここは、過去だ。そう断ずるとほんの少しだけ焦りが消えた。全く状況は改善していないが、とりあえず現状認識さえ出来れば後はなるようになる。そういう考えを持っているのが、ルイズという少女だ。
「デルフがいないのも、そのせいかしら?」
「どうしたんだい?」
「いえ、ごめんなさい。こっちの話です」
ブリミルの言葉にそう返し、ルイズは改めて辺りを見渡し、そして二人に話を聞いた。
ここがサハラだということ、エルフの都市が近くにあるということ、二人はそこから物資を調達してきたこと。ブリミルの集落は厄災によって壊滅してしまったこと。
「だからぼくは、どんなことをしても厄災を倒す」
そう告げる彼の目を、ルイズは知っている。故郷を焼かれた仇を取る、と言っていた彼女と同じ目だ。つまりは、止まらない。止められない覚悟を持っている目だ。
「……ブリミル。お前は」
「サーシャ。ぼくだってしたくない、でも、時間がないんだ!」
「だからって! あの場所を破壊するということがどういう意味を持っているか、お前なら」
「知っている! だから何度も何度も何度も何度も! 今日だって交渉にいったじゃないか! それでも評議会の答えは否! 大いなる意思の導きならば厄災に滅ぼされても仕方ない!? ふざけるなぁ!」
どん、と近くの木に拳を打ち付けた。それは自ら死を選ぼうとしているエルフ達へのものなのか、それとも、自身の故郷を滅ぼされたことを仕方ないと切り捨てられたことによるものか。あるいはそのどちらなのかもしれない。
「あ、あの……どういうことなんですか?」
「あ、ごめんなさいね。……厄災と戦ったのならば知っているでしょう? あいつが好むものを」
「精霊石と、虚無、ですね」
虚無、という言葉に聞き覚えないのかサーシャは首を傾げ、ああと何かを理解するようにブリミルを見た。彼の使う変わった呪文の系統、恐らく向こうではそれを虚無と呼ぶのだろうとあたりをつけたのだ。そうね、と頷いた彼女は、だから今厄災が目的地にしている場所は明確なのだと言葉を続けた。
「大いなる意思のある場所、あの都市よ」
「へ? 大いなる意思って、存在するものなの?」
「エルフが大いなる意思と呼んでいるのは、あの都市にある巨大な精霊石なんだ。正確には依代、ということなのだろうけどね」
どちらにせよ、エルフがそれを大いなる意思と呼称しているのは確かであるし、厄災がそれを狙っているのも確実。だからこそ、厄災を滅ぼすためにブリミルが出した結論がこれなのだ。
大いなる意思を撒き餌とし、それを爆発させる。
「精霊石を吹き飛ばすことで途方もない威力になる。それで、厄災を倒す」
「……でも、エルフはそれを認めないのよ」
自身の住んでいる場所を生け贄にする、と聞いて首を縦に振る者はそういない。それが巨大なる厄災だとしても割り切れるかどうかは別問題だ。そして何より、エルフは大いなる意思を尊重する。厄災が来るのならば、世界が滅びるのならば、それも大いなる意思の思し召しだ。そういう判断を下していたのだ。
「バッカじゃないの!?」
「そうだろう? ぼくもそう思ったさ。でも、エルフ達は本気だ。本気でそう思っている」
「勿論、エルフ全てではないわ。少しだけれど、わたし達の話を聞いて都市を離れ新天地に向かう者もいる。でも……半分以上は、あそこで黙って厄災に殺されるのを待っているの」
「……何よそれ」
思い切り顔を顰めた。価値観が違うのは分かる、そんなことは分かりきっている。それでも、彼女はその感情を押し込めることが出来なかった。思わず背中に手を動かし、そして空を切る。デルフリンガーがない、というのがここまで心細かったのは初めてだ。
「……なら、他の方法は?」
「厄災を個人の力で倒すのは不可能だ。何かしらの助力が必要になる。……けれど、ぼくにはその絆がない。出来ることは、一方的に自分の都合を押し付けることだけだ」
「じゃあ、わたしがやるわ。わたしが、エンシェントドラゴンを、今度こそぶっ倒す」
「無理よ。そもそも武器もないのに、どうやって」
ぐ、とルイズは唸る。思わず左右を見て、そして背後を見て。デルフリンガーどころか、誰もいないのを改めて認識させられた。キュルケも、タバサも。才人もいない。アンリエッタも、シエスタも、ティファニア達も。大切な仲間が、誰もいない。
「君は、きっと仲間に恵まれていたんだね」
「え?」
「今の首の動きさ。仲間達と何かを相談しようと無意識に考えただろう? ……まだぼくの集落があったころ、よくやっていた」
「ブリミル……」
「結局ぼくは、あの場所でしか分かり合えなかった。君のような、種族を超えた絆を作れなかった」
でも、だからこそ。口には出さずに、ブリミルは視線をルイズ達から遠くに向ける。エルフの都市がある場所へと目を向ける。サーシャがそんな彼の腕を掴んだ。もう少し待て、と目で訴えかけた。
そんな彼女を、ブリミルは泣きそうな顔で見つめ返していた。
視界が暗転する。何が起きたのか、とルイズが理解する間もなく、急激な浮遊感が彼女を襲った。何だ何だ、と混乱しているうちに、再度彼女の足が地につく。視界はまだ暗いまま、何も見えない。
ふと、小さな光が見えた。少しここから遠い場所だろうか。そんなことを思いながらそこに足を進めると、ふと何かが足に当たる。それが何かは分からない、分からないが、思わず彼女は手に取った。拳大の、宝石のようなそれは、いつぞやに数個見たもので。
「封印の鱗? 何でこんな場所に」
思わず呟く。それと同時、小さな光が急激に強くなった。思わず目を瞑ると、それに合わせるように全身に光が当たる感覚がする。目を慣らす意味も込めてゆっくりとまぶたを上げると、そこは先程までいた場所とほぼ同じ砂漠であった。
違いは二つ。オアシスでも何でもない場所であること。そしてもう一つは、エルフの都市があった場所が吹き飛び、見るも無残な姿になっていることだ。ぽっかりと大きな穴が空き、入江のようになっているそこには、生物の営みがあったことなど全く感じられない。
「……これ、は」
目の前の光景に言葉を失っていたルイズは、その付近で動いている人影に気付くのが少し遅れた。生存者、と思わずそちらに駆け寄った彼女は、しかし立っている二人を見て足を止める。
ブリミルとサーシャ。その二人が、何も言わずにそこに佇んでいた。
ルイズはゆっくりと足を動かす。それに気付いたのはブリミル。振り返り、やあ君か、とぎこちない笑顔を見せた。
「仲間とは合流出来たのかい?」
「いえ、まだ……。それより、これは」
「……厄災を、封印した跡よ」
絞り出すようにサーシャは述べた。ブリミルはその言葉に少しだけ反応し、しかし何も言うことなく地面に視線を落とす。
ルイズは理解した。つまり、二人はやったのだ。やってしまったのだ。エルフの都市を犠牲にし、大いなる意思の依代を餌と威力の増幅との二つの目的に使い。
「エンシェントドラゴンを、倒したの……?」
「一応、よ。完全に滅ぼしてはいないし、それに伴う犠牲は多過ぎたわ」
拳を握るサーシャの表情は、とてもやるせないものだ。頭で分かっていても、感情が制御出来ていないのだ。当然だろう、故郷を犠牲にしたのだ。割り切る方が珍しい。
「これで、わたしもあんたも、故郷も仲間も無くなったわね」
「サーシャ、ぼくは……」
絞り出すようなブリミルの口を手で塞ぐ。何も言うな、と彼女は首を振り、そしてぎこちない笑みを浮かべた。
「いいの。わたしが選んだのだから。滅びを受け入れる同胞よりも、その先を見ようとしたあなたを」
「違うっ! ぼくはそんな高潔な人間じゃない! ただ、自分の故郷が、仲間がなくなったから……どんなことをしても、報いを受けさせたかった、それだけなんだ……」
ルイズは掛ける言葉が見付からない。二人の間にある絆と比べれば、自身はほんのちっぽけな繋がりだ。彼の嘆きを理解は出来ても、受け止めることは出来はしない。だから、彼女に出来るのは見ていることだけ。恐らく、かつて起こったその光景を、決して忘れぬようにするだけだ。
「それでも、世界を救ったのよ、あんたは。ここから逃げたエルフ達は、大いなる意思よりも自身の明日を選んだ皆は、きっと感謝している。勇者だ、って」
双方ともにほぼ壊滅状態だ。今までの生活とは打って変わって不便になったことを憤る者もいるだろう、理不尽に八つ当たりする者もいるだろう。だから、当分はマギ族とエルフが交わることはないだろうけれど、それでも心の何処かには残る。いつか、友好のきっかけになる。少なくとも、サーシャはそう信じている。
「ねえ、ブリミル」
「……何だい?」
「旅を、しましょうか」
「旅?」
ええ、と彼女は笑う。厄災に怯えなくなったこの世界を、二人で見て回るのだ。これまで見たことない場所を、二人で確かめに行くのだ。
「そう、だね……それも、いいかもしれない」
「でしょう? だから――ブリミル?」
がくりとブリミルは膝をついた。どうしたの、とサーシャが駆け寄るが、彼は何でもないと青い顔をしたまま笑う。どう見ても何でもない様子ではない。
ポゥ、とサーシャの胸のルーンが光った。少しだけ顔を顰めた彼女は、これで少しはマシでしょうと彼に述べる。申し訳ない顔をしたまま、ブリミルは彼女にお礼を述べた。
「どのみち、わたしとあんたは一心同体。……この力を厄災に使わなかったおかげで、ボロボロなんでしょう? それをどうにかするためにも、探すためにも」
「……ありがとう、サーシャ」
サーシャの肩を借りて立ち上がったブリミルは、もう一度都市のあった場所を見た。そこに何もないことを確認すると、彼は彼女とともに歩き出す。二人きりになった勇者は、世界を見るために、共に生きるために、歩き出す。
視界が暗転した。え、とルイズが声を上げる間もなく、彼女は先程の爆心地へと立っていた。海の上に立っていた。
「……何も無い、わよね?」
一人呟く。何でこんな場所に、と疑問を述べた彼女は、そこで気が付いた。ここで倒されているのに、どうして古代竜は火竜山脈に封印されていたのだ、と。
「それは、二つに別れたからさ」
「え?」
振り向くと、先程旅立ったはずのブリミルとサーシャが浮いていた。その傍らには、彼女の相棒である大剣もある。
「あの時、ぼくの呪文で吹き飛ばした厄災は多数に別れた。四つの封印石と、二つの本体だ」
「あなた達が今戦っているのが一番大きな本体なのは間違いないわ。でも、あの場所に、『聖地』に沈んでいるもう一つをどうにかしなければ、厄災は決して倒せない」
「ど、どうにかするって言われても……」
現状で精一杯なのに。そんなことを思った彼女は、しかし二人が微笑むのを見て目を瞬かせた。大丈夫だ、そんなことを揃っていうのを聞いて、首を傾げた。
「デルフから聞いたよ。君の活躍で、厄災は大分消耗している。恐らく、これからは一直線に力を取り戻しに向かうだろう」
「やつが完全に力を取り込む前に、もう一つを滅ぼす。そうすれば、きっと」
す、と二人が指を差す。気付くとそこはルイズ達のいるハルケギニア。かつて大いなる意思の依代があったそこ、エルフの『聖地』とされる場所であった。
ここにある厄災の力を消し去る。勝利への道のりはそれなのだ。
「で、でも待って! わたし今どうなってるの!? ちゃんと帰れるの!?」
「……どうなのかなサーシャ」
「さあ? ねえデルフ、どうなの?」
「ちょっと待てぇ!」
しょうがないじゃないか、と二人は笑う。厄災のブレスを真正面から受けて無事で済むはずがない。デルフリンガーと、もう一人がいなければ、こうして記憶の世界に立ち寄ることすらせずに消滅していたのだ。
「まあ、安心しなさい。デルフの『生命』の加護があるみたいだから」
「それと、あの修道女の人の治療だね」
そろそろ時間だ、と二人は述べる。ゆっくりとルイズの体が浮き上がり、まどろみから覚めていく感覚が広がっていく。同時に、ブリミルもサーシャもうっすらと透けていった。
待って、とルイズは叫ぶ。まだ話したいことがあるのに、と述べる。そんな彼女に、大丈夫だよと二人は返した。それは、デルフに語ってやってくれ。そう言って揃って手を振った。
「そして、出来れば――厄災のなくなった、様々な種族が共にある世界を、ぼくが出来なかった世界を、見せて欲しい」
「期待してるわよ。
小さな勇者さん。そんな声が聞えるのと同時に、ルイズの視界は光に包まれた。
根底から変わってる感がバリバリと