ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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ついに二桁に
でも終わらない


その10

 負ける戦いはしない。それが普通であろう。負けると分かっていてもしなければいけない時もある。それも真理であろう。それでも、自ら進んで負けに向かう必要はない。少なくとも、個人ではなく、軍単位ならば。

 

「……わたくしは、酷い人です」

「アンリエッタ?」

 

 フネの上、火竜山脈を包囲するように浮かんでいるその上で、アンリエッタはいつになく神妙な顔で、切なげに溜息を吐いた。ウェールズはそんな彼女に声を掛けるが、しかしその心境を察するとそれ以上何も言わずに抱き締める。

 ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ。こんなことをしてもらえるのならば、間違っていないのかもしれない、とアンリエッタは思った。

 

「僕も同罪さ。君だけが気に病むことはない」

 

 そう言ってくれるのは嬉しい。その言葉に甘えたくなる。彼が慰めでもなく、実際にそう思っているのも分かっている。それでも、ウェールズの言葉に首を縦に振ることは出来ない。

 アンリエッタはゆっくり首を横に振ると、用意された通信用の魔道具を手に取った。ガリアで使用していた遠距離通信用の人形を、才人監修コルベール改造でコンパクトな板状にしたものである。彼曰く、すまほ、というらしい。

 アンリエッタはそれで別のフネにいるジョゼフに連絡を取る。これからどうするのか、それを彼に問い掛ける。返事はすぐにきた。死なない程度に、負けるぞ、と。

 

「……やはり、そうなりますよね」

『逃げるわけにはいかんからな。戦って、負ける。まずはそこからだ』

 

 そこまで言って、らしくないなとジョゼフは笑った。編成前の威勢はどうした、と彼女を煽った。

 そうですわね、とアンリエッタは苦笑する。自身をこれだけコケにした相手に仕返しをする。そう豪語していたにも拘らず、いざこの場では憂いでいるなどと。本当に笑えない醜態だ。

 

「仕返しは、当然行います」

『ならば、何故憂う?』

 

 何故か。それを口にするのは躊躇われた。言ってしまったら、きっと彼女は戻れなくなる。笑いながら、ふざけるなと悪態をつけなくなる。

 魔王を、否定出来なくなる。

 

「――わたくしは、犠牲を良しとしません」

『知っているとも』

「ですから、今回のこの戦い。死なないことを第一に、と固く言い聞かせました」

 

 ゲルマニアの面々にどこまで通じているかは疑問だが。そんなことをウェールズは思ったが、口にはしない。アンリエッタもジョゼフも、当然シャルルも承知であろうからだ。

 そして同時に、忠告を無視した連中は捨て石になるであろうということもまた、承知の上であった。とはいえ、これは彼女の言う『犠牲』の範疇からははみ出している。問題はそこではない。

 

「……ですが、ルイズには、それを伝えていません」

 

 返ってくるのは沈黙。ルイズには、というのは彼女だけという意味ではない。当然ながらそこに付随する彼女の悪友達も含まれる。ジョゼフにとっては姪、シャルルにとっては娘が、そこに含まれている。

 

「囮である彼女達には、最大限古代竜を引きつけてもらわねばなりません。死なないことを第一にしてもらっては――」

 

 言葉が途中で出なくなった。これまでにもルイズを囮にしたことはあった。笑顔で死んでこいと命令したこともあった。だがそれは、彼女が犠牲にならないことを確信していたからこそ言えたのだ。本当の本気で、そんな結果になりかねない時に、同じ言葉が吐けるのか。そう問い掛けられた答えが。

 

『成程。本当にらしくないなアンリエッタ王妃』

 

 そう思うだろう、と通信の向こうにいるジョゼフは彼女の隣にいるウェールズに同意を求める。そうですね、と苦笑した彼は、沈んだ表情のアンリエッタの頭をポンと叩いた。

 

「ここのところ失敗続きだったから、落ち込んでいるのかい?」

「ウェールズ様……」

「ジョゼフ陛下の言う通りさ。らしくないな、アンリエッタ。君はもっと自信満々で、笑いながら逆境を好機に変える女性だろう?」

「……」

「それに、だ。――君の自慢の『おともだち』は、君の気持ちを察することが出来ないようなか弱い絆じゃないだろう?」

「……っ!」

 

 ぐ、とアンリエッタは唇を噛む。言われずとも、そんなことは。世界で一番愛しい相手に向かい、思わずそんな子供のような癇癪染みた返答をしかけてしまう。ウェールズの顔を、笑みを見て、アンリエッタはくしゃりと表情を歪めた。

 顔を伏せる。ウェールズから、ここにはいないジョゼフから表情を隠すために。そうしながら、彼女はゆっくりと息を吐いた。ああ、本当に二人の言う通りだ。らしくない。思い通りにいかないからと子供のように拗ねて、落ち込んで。

 本当にらしくない。アンリエッタらしくない。魔王、らしくない。

 

「……落ち着いたかい?」

「――そう、ですわね。ウェールズ様が抱き締めて下されば、もっと」

 

 しょうがない人だ。そんなことを言いながらウェールズは彼女を強く抱き締める。

 そんなやり取りを聞いていたジョゼフは、通信の向こう側で呵々と笑った。問題は無さそうだな、と呟いた。

 

 

 

 

 

 

「んで」

 

 才人が問う。結局自分たちのやるべきことは何なのか、と。それを聞いたルイズは呆れたように肩を竦め、話を聞いていたかと彼を小突いた。

 

「いやだって。どう考えてもこれ俺達捨て駒じゃん?」

「そうね。当初の予定よりも、ずっと扱いは悪いわ」

 

 何せ、とルイズは周りを見る。そこにいるのは彼女と才人以外はキュルケとタバサ、おまけで人型になったシルフィードがいるのみだ。露払い、あるいは古代竜を追い立てる役目となる精鋭は誰ひとりとして見当たらなかった。

 そんなことに戦力を回している余裕が無いのである。唯一出来そうなゲルマニアが三国同盟の提案など飲むはずもなく。キュルケが独断で来ているのを黙認するのがせめてもの情け、といったところだろう。

 

「で、ルイズ。お前それを受け入れてるのかよ」

「そうね。受け入れているかいないかと言えば、まあ前者かしら」

「……何でだよ。それってつまり、死ねって言われて分かりましたって答えたってことだろ!? いくら姫さまの頼みだからって――」

 

 溜息と共に再度才人の頭を小突く。うげ、とバランスを崩した彼は、隣りにいたキュルケとタバサに笑われた。

 そう、笑ったのだ。彼女達も、この状況を悲観するわけでもなく、いつも通りに笑っているのだ。何もかも諦めたから、だから最後は。そんな思いからくる行動などではない、本当の普段通り。

 

「あのねサイト。……姫さまはきっと、このぶつかり合いは負ける前提で動いてるわ」

「そりゃ……そうだろ。この状況でどうやって勝てるんだよ」

「そうじゃないわ。次勝つために、今回は負けるの」

「……は?」

「今の状況は撤退出来ないから。だから、死なない程度にやれることをやるって感じかしらねぇ」

「多分。うちの馬鹿達も同じ考えのはず。だからフネの乗組員には、『そういう』命令が伝わっていてもおかしくない」

 

 ルイズの言葉にキュルケとタバサが付け加える。よく分からん、と首を傾げつつもある程度理解しようとした才人は、しかしこちらの事を考えて再度顔を曇らせた。なら、何でこちらにはそれが伝わってないのか、と。

 

「だってわたし達が撤退前提で動いていたら空にいる討伐隊に大きな被害が出るでしょう?」

「……結局捨て駒じゃねぇかよ!」

「そうね。姫まさはそのつもりで命令を出した――」

「やっぱり」

「――と、いうことにしておくのが今のところは正しいかしら」

 

 は、と才人は間抜けな声を上げる。それがおかしかったのか、ルイズ達三人はケラケラと笑い出した。性格悪いのね、とシルフィードはそんな三人をジト目で見詰めている。

 

「何だよ、どういうことだよ!?」

「どういうことも何も、決まってるでしょ?」

 

 絶対にそんな思惑通りになってやらない。そう言ってルイズは口角を上げた。他の誰もがそう思っていても、それを覆してやる。そんな決意とともに彼女は笑みを浮かべた。

 そして当然、アンリエッタもそれは承知。少なくともルイズはそう思っている。断言している。彼女はそういう考えだと、信じている。

 

「だからわたしは、全力であの竜をぶっ飛ばすのよ。で、その後は姫さまをぶん殴る」

「……そうかい」

 

 何だかどっと疲れた。肩を落としながらそんな返事をした才人は、以前も見たことのある場所に足を踏み入れたことで表情を引き締めた。自分の記憶が確かならば、もう少し行った先にある洞窟に、いる。

 

「流石に留まっているってわけじゃないのかしら」

「分からない。でも、警戒は必要」

 

 キュルケとタバサも杖を取り出した。シルフィードは少し離れた場所に移動し、被害を受けないように待機している。場合によっては援護と撤退、あるいは移動を担当するのだ。

 ごくりと才人は息を呑んだ。刀の鯉口を切り、いつでも抜刀出来るように構えながら周囲の気配を窺っている。

 パラパラと斜面から石が落ちた。それを合図にするように、どこから現れたのか、武器を持った亜人の集団がルイズ達に襲い掛かる。同時に、複数の竜の咆哮が響いた。空を舞うそれらが、火竜山脈を包囲していたフネを数の暴力で押し潰さんとその翼を、爪を、牙を向けている。

 

「読まれていた!?」

「違う。タイミング的に丁度重なっただけ」

「に、してはこっちを襲う連中準備万端じゃなぁい!?」

 

 斧を振り上げる亜人の一撃を杖で受け止め、その力に逆らわないように後方へと飛び退りながらキュルケはぼやく。同じく攻撃を受け止めたタバサは、反撃とばかりにその状態から呪文を放った。

 

「こいつら……!?」

「な、何か変よぉ!?」

 

 コボルトのような犬頭。兜をしているので形状からそう判断したのだが、その惰力と耐久を見て怪訝な表情を浮かべた。何より棍棒を好むコボルトがあんな斧を持つはずがない。

 ガパ、と亜人が口を開いた。咆哮のような叫びと共に口から発せられたのは、火炎。大地を焼くそれを喰らえばそれ相応のダメージがあるであろう。勿論彼女達は跳んで躱した。

 

「ぶ、ぶぶぶぶブレス吐いたわよこいつ!?」

「何だこれ? コボルトエリートとかそういうやつか?」

 

 ゲーム終盤で出て来る強化個体。そんなことを頭に思い浮かべた才人は、いやいやそんなわけあるかと首を振った。目の前に現実の存在として確かにいるのだが、しかしゲームのようにポンポン現れられても困る。

 

「おい相棒、あれ、あの斧」

「斧? 斧がどうしたのよデルフ」

「あれ、竜の鱗と爪で出来てやがる。……多分、古代竜のな」

 

 素材になってもそれ相応の力を発揮しているのだろう。カタカタと鍔を鳴らすデルフリンガーの声色も心なしか緊張しているように思えた。油断は出来ない。もとよりするつもりもなかったが、その考えを一層強くした。

 

「お姉さま!」

「何?」

「そいつらおかしいのね!?」

「見れば分かる」

 

 そして遠巻きに見ていたシルフィードもそんなことを叫んだ。タバサの返しにそういう意味じゃないちびすけ、と割と本気の罵倒を返す始末である。

 

「『混ざってる』わ! どう考えても竜じゃないのに、竜の気配がする。前に感じたこともあるのね。あれは……そう! あの片目の筋肉!」

 

 片目の筋肉、というワードに反応したのは才人だ。彼がこちらに来てからその特徴に一致する相手は一人しかいない。ルイズ達がそれ以前に出会っていたならば話は別だが、恐らくそうではない。そう結論付け、彼は思い浮かんだその名前を口にした。

 

「メンヌヴィル」

「呼んだか、小僧」

 

 思わず視線をそこに向けた。亜人の集団の向こう側。兜を被ったその連中を指揮するように、その男は立っていた。

 隻眼の巨躯。光のあるその片目は、火竜の炎が燃えるようにギラギラとこちらを眺めている。手にした杖は今までの鉄の棒などではなく、何かの鱗と牙を研いで作られたようなものに変わっていた。

 笑っている。来ると思っていた、などと気安く声を掛けるように笑みを浮かべている。これまでに幾度となく立ち塞がり、そして未だに完全に撃破に至っていない男が、笑っているのだ。

 

「さて、少しばかり楽しもうじゃないか」

 

 白炎のメンヌヴィルは、人であるはずの男は、古代竜の側に立って楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

「アンタ、ついに人も辞めたってこと!?」

「まあ、概ねそう取ってもらって構わんぞ。今のオレはエンシェントドラゴンが雇い主だ。主のために色々とやらせてもらう」

 

 ふざけるな、とルイズが突っ走る。メンヌヴィルへの進路を塞ぐように立ち塞がった亜人達は邪魔だと纏めて吹き飛ばした。

 

「おうおう、流石は虚無のメイジ。竜頭じゃ敵わんか」

 

 振り下ろされる大剣の一撃を自身の杖で受け止めながら、彼は再度楽しそうに笑った。そのままルイズを押し返すと、ほんの一瞬で炎を生み出し彼女を閉じ込める。

 ざけんな、とそれを真一文字に切り裂くと、しかしふと気になることがあって眉を顰めた。今あいつはなんと言った? あの足止めにしていた亜人を、なんと呼んだ?

 

「竜頭?」

「ああ、そうさ。見たままの名前だが、まあこちらにそういう相談が出来る奴がいないからしょうがないと思ってくれ」

「そんなことを聞いてるんじゃないわよぉ」

「だろうな」

 

 呵々、とメンヌヴィルは笑う。その間でも竜頭の亜人は攻撃を休めておらず、ルイズに吹き飛ばされた連中も再度立ち上がると戦線に復帰していた。

 仕方ないな、と彼は顎を一撫ですると、自身の片目を指差した。これと同じようなものだ、と口にした。

 

「あ? どういうことだよ」

「簡単だ。竜の体を混ぜたのさ。碌に戦力にならんコボルト共にな」

 

 お陰でこんなに立派になったぞ、と隣にいる亜人の兜を取る。そこには犬と竜が混じり合ったようなおぞましい頭部があった。ただ混ぜた、というわけではあるまい。しっかりと適合させるにはそれこそラルカスのような知識と腕が必要なのだ。竜と亜人の信奉者しかいない奴らがそんなことをしようとすれば、どうしたって無理が出る。

 

「まあ、そんなわけでこいつらはその合成に耐えた精鋭というわけだ。エンシェントドラゴンも大層満足でな。近い内に再生産が始まるんじゃないか?」

 

 そんな軽い物言いに、才人とルイズはふざけるなと叫んだ。自分の味方を何だと思っているのだと憤った。

 が、メンヌヴィルはそれがどうしたと堪えない。馬鹿にするように肩を竦め、兜を被り直させると戦闘を再開させる。

 

「まさか、オレにそんなものがあるとでも? こんな連中に、自分よりも下等な亜人共に感情を抱くとでも?」

「まあ、そりゃそうだ」

「その反応もどうかと思うけれど、まあタバサの言う通りねぇ……」

 

 あんな火炎好きの殺人鬼に、狂人にそんなものあるはずがない。そうだけど、と不満げなルイズをまあまあと押し留め、キュルケとタバサは前に出た。今はそんなことを話している場合じゃない。

 ついでにいえば、こいつらにかまっている場合でもない。

 

「ルイズ、サイト。とりあえず古代竜を引きずり出してちょうだぁい。じゃないと始まらないでしょう?」

「そう。……シルフィード!」

「ああもう、分かってるのね!」

 

 竜に戻ったシルフィードが素早くルイズ達二人を掴み背中に乗せる。すぐそこだから、一気に行く。そんなことを言いながら羽ばたくと、残り二人を置いて全力で飛んでいった。

 そんな二人と一匹を目で追いつつ、しかし亜人共を警戒していたキュルケとタバサは、静かに息を吐くと杖を構え直した。

 

「ま、そういうわけだから」

「少しだけ、こっちに付き合ってもらう」

 

 真っ直ぐに睨み付けられたメンヌヴィルは、それは願ったりだと笑いながら杖を構えた。

 空も地上も、戦闘はまだ始まったばかり。




もちろん竜頭は捏造モンスター

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