ハルケギニアの小さな勇者   作:負け狐

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ストーリーとは関係ない部分ですが22巻のネタバレを含みます
多分そこまで影響はないでしょうがご注意ください


その8

 勧められたワインを、「連れが取りに行っているから」という理由で断った才人は、まさに不幸中の幸いであろう。あるいは、正気のまま狂気の宴に招待された不幸を嘆く方かもしれない。

 どちらがマシかを考えても詮無きこと。既に状況は選ばれてしまっているのだ。狂った方がよかったと思っても、では毒を飲むかと言われれば首は縦に振らず。何よりそう思う事自体がありえない。

 まあつまりは無駄な問答だということだ。もとより才人はそんな小難しいことなど考えず、何かが起こったのだから何とかしないとという至極単純な理由で今動いている。

 

「ど、ちくしょう!」

 

 蹴り飛ばす。意識を飛ばした兵士は動かなくなったが、幸いにして動かない相手は狂った連中にとっての獲物たり得ないらしい。ほんの少しの安堵をしながら、才人は四方八方を見渡し正気の人間が簡単に数えることが出来ることに絶望した。目につくほぼ全員が狂っているのだ。この場合、まともなのはどちらだ。

 

「俺の方が狂ってて、暴れてる俺を止めようとしているのが襲い掛かってくるように見えている」

「なんてことはないから、安心してよ」

「へ?」

 

 自問自答。まさか答えが別の場所から返ってくるとは思わなかった才人は素っ頓狂な声を上げ、視線をその声の主に向けた。猫耳フードのコートに身を包んだ少女は、大丈夫? と心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。

 大丈夫だ、と彼女に返す。少なくとも、自身は正気であるという自信を持った。もし二人共に狂っているのならば? そんな疑問は沸かない。自分と彼女が狂気に侵されるような状況ならばその時点で既に詰んでいる。

 

「うし。……で、この状況どうなってんだ?」

 

 エルザ、と彼女の名を呼ぶ。それに反応したエルザは、しかし少し考え込むような仕草をすると首を横に振った。

 

「原因不明か」

「魔法の残滓を辿ろうとしたけど、無理だった。……これは、魔法じゃない。精霊の力を借りているわけでもない」

「魔法でも精霊でもないって……何か特殊な能力ってことか?」

「かもしれない。たとえば、吸血鬼のグールを作るみたいな、その種族特有の何か、とか。多分そんな感じじゃないかな……」

 

 自信なさげに、段々と声が小さくなっていくエルザの頭をポンポンと叩き、まあそれが分かれば十分だと才人は笑う。とりあえず周りの連中をぶっ飛ばしてから考えればいいと拳を握る。

 そんな彼を見て、エルザはクスリと笑った。似てきたね、と彼に述べた。

 

「いやだって現状それしか出来ねぇじゃん」

「あはは。うん、そうだね」

 

 言いながら、エルザはその目を鋭くさせた。傍らにある水桶を蹴り飛ばすと、契約を結んでそれを己の腕に纏わせる。石では殺傷能力が高い、水でなるべく意識を飛ばすに留めるのだ。

 

「そういや」

「ん?」

「何でエルザ腕に精霊の力装備するんだ?」

「何でって……わたしの魔境でのお師匠、カトレアさんだよ?」

 

 拳一つで軍隊を吹き飛ばすおしとやかな女性を思い浮かべ、ああ成程、と才人は納得したように大きく頷いた。

 

 

 

 

 

 

「お」

「あ」

「ん?」

「あら」

 

 才人とエルザが狂気の兵士をぶちのめしていると、別の場所から同じようなことを行っている二人組が目に入った。どうやらその二人もこちらに気付いたようで、至極軽い感じで近付いてくる。

 そちらさんは正気? そう尋ねてきたゴスロリの少女におうよと返した才人は、この状況についての説明を求めた。この二人ならば、元素の兄妹ドゥドゥーとジャネットならば何か知っているのではないかと考えたのだ。

 が、二人は揃って首を横に振る。多分そっちと同じようなことしか分かっていない。そう返すと、まいったねとドゥドゥーは肩を竦めた。

 

「正気なのは極一部。トリステインとガリアがそうなのだから、他の場所も同じだろうね」

「ガリア側もこんなんかよ……」

「わたし達はお嬢さまと一緒にガリア側で飲んでいたから、ロマリアがどうなのかは知らないけれどね」

 

 そう言いながら、狂人となった兵士を一人蹴り飛ばす。出来るだけ殺すな、というジョゼットの命令があるので、ジャネットのブーツの仕込み刃は今回は起動していない。ドゥドゥーも同じで、ブレイドの呪文で大剣に姿を変えた剣杖は刃が潰されているようであった。

 

「とりあえずガリア側の厄介そうな連中は黙らせた。けれど、原因は未だ不明さ」

「狂った連中からは辿れないのよ。一応、何か糸のような細いものは見えるのだけれど」

 

 ううむ、と悩む素振りを見せる。そんな二人を見て、エルザは少しだけ首を傾げた。糸のようなもの、という言葉が引っ掛かったのだ。自分では魔法の流れが探知出来なかったが、どうやら彼女は何か見えているらしい。

 ジャネットさん、とエルザは声を掛けた。どうしたのとこちらを見たジャネットに向かい、彼女はそれを口にする。何が見えているのか、何か自分の探知のヒントになるようなものはないだろうか。

 

「そうね……。見えたのは、わたし達が混ざり者だからって部分が大きいと思うけれど」

「混ざり者?」

 

 そうそう、とジャネットは口をぐいと手で押し上げる。普通の人間にしてはやけに鋭い歯が、牙がそこにあるのを見てエルザは目を見開いた。そんな彼女の表情は気にせず、そういうわけだから両方の利点を使って見たのだとジャネットは続ける。

 

「でも、探知の深さと正確さはやっぱり純粋なそっちの方が強力だと思うわ。ちょっと道を示すから、見てもらえませんこと?」

「え? あ、はい」

 

 我に返ったエルザを見て笑みを浮かべたジャネットは、じゃあ早速と狂人と化している兵士一人に向き直る。片目をつぶり、何かを計測するような仕草を取ると、視線をそこからゆっくりとずらしていった。エルザはそんな彼女の視線を置いながら、先程言われたように魔法の残滓を探索していく。何か残り香の欠片でも見付かれば。

 

「……えっと、ドゥドゥーさんや」

「どうしたんだい、サイト」

「さっきのジャネットのアレ、何?」

「何って、これだよこれ」

 

 ドゥドゥーも同じように口を広げる。そして見える牙が一対。明らかに人のものとは違うそれは、しかし才人は見覚えのあるもので。

 

「その牙、吸血鬼? で、混ざり者ってことは……」

「そういうことさ。あまり大っぴらにしたくないから、内緒だぜ」

「あいよ。しかし、ダンピールかぁ」

「……君の国には吸血鬼と人のハーフをわざわざ呼称する名詞があるのかい?」

「まあな。有名だったり強力だったり主人公だったりする割といいポジションだぜ」

「ほう、興味深いね。元素の兄妹が一人、ダンピール・ドゥドゥー……悪くないな」

「お、何かかっこいい」

「バカ二人は黙っていてくださらない?」

 

 こっちは真面目にやっているのに。そんなことを言いながらジロリと男連中を睨んだジャネットは、兄が馬鹿でごめんなさいとエルザに謝罪した。大丈夫だからと苦笑しつつ、彼女はそのまま探知を続ける。個人的には才人のああいう自然体なところは好ましいと思っているのだ。口には出さないが、とりあえずそうフォローはした。

 

「っ!?」

「何か見付けたの?」

 

 動きを止める。明らかに狂人の使った魔法とは違う残滓が見えた。これだ、と思わず口にし、才人とドゥドゥーもエルザに注目したのを気にすることなく、彼女はそのままその残滓を追っていく。場所は、ここではない。もう少し喧騒から外れた場所。

 足を動かした。それを追い掛け三人も動き、襲い掛かる狂人を薙ぎ倒していく。動いている人も少なくなったその場所で、エルザは一度足を止めた。露天か何かの残骸、それを一瞥すると、ここからはっきりと辿ることが出来ると目を細めた。

 

「複数、ある……。多分ここでワインに血を混ぜる人を作ったんだ」

「成程。エルザさん、その中で一番強力そうなのは?」

「多分、こっち」

 

 束ねているそれを見る。細くなったり太くなったりを繰り返しているそれは、他の残滓とは明らかに違う。それを辿れば。

 瞬間、エルザの眉間に向かい何かが飛来した。え、と彼女が反応するよりも速く、それは頭蓋を貫き頭を破裂させる。脳症をぶちまけ、至極あっさりと吸血鬼の少女の命は散らされた。

 

「あ、ぶねぇな!」

「お、にいちゃん」

 

 そんな未来予想図を覆したのは左手のルーンが光り輝いている才人である。己の限界を超えた動きをしたからなのか、日本刀を振り切った体勢のままプルプルと震えていた。エルザはそんなことを気にしている余裕はない。死ぬ直前であった恐怖と、助けられた安堵と感動で頭が一杯なのである。

 

「……で、下手人は、っと――ん?」

「あれが恐らく、操り人形の司令塔でしょうけど……あら」

 

 己の得物を構えながらそれが飛んできた方向を睨んでいたドゥドゥーとジャネットは、しかしその姿を見て動きを止めた。よく知っているその顔を見て、少しだけ怪訝な表情を浮かべた。

 給仕服を着ている、髪が結ばれていない。そんな差異を確認し、ああ成程と納得した二人は、しかしそれはそれで厄介だと苦い顔を浮かべる。

 

「『地下水』が飛び出していったのは」

「もう一人の自分だから、察してしまったんでしょうね」

 

 そう言いながら、二人は才人とエルザを呼んだ。あれを見ろ、と指差した。

 竜のイヤリングを付けたことで受信機にされてしまった、弓を構えている少女を。

 

 

 

 

 

 

「なに、やってんだよ……」

「落ち着けサイト。彼女は今操られている」

「落ち着いてるさ。落ち着いてるっての」

「落ち着いていないわね」

 

 はぁ、と溜息を吐いたジャネットは高台の上にいる少女を見る。彼女と、その近くにいる給仕達が恐らく直接操られている連中だろう。そしてその中でも彼女が中心部。そこまで分かれば、やることは一つである。

 

「殺す、とか言うなよ」

「お嬢さまから殺すなと依頼されてるって言ったでしょう? 物騒ですわよ」

 

 再度溜息。まあ、とはいえ、と彼女は少女の足元を見やる。暗がりで見えにくかったが、そこには何かが横たわっていた。正確には、誰かが倒れていた。

 目を細める。魔法で強化した視力と吸血鬼特有の身体能力で確認した限り、その誰かはメイド服を着ており、髪型はツーサイドアップであるようだ。顔は見えないが、恐らくすぐ近くにいる少女と同じであろう。

 

「ねえ、エルザさん」

「……うん、あれ、『地下水』さんだ」

 

 エルザの呟きにサイトも反応する。少女の足元を見やり、そして目を見開いた。おい何で寝てるんだ、と叫んだが、横たわっている彼女はピクリともしない。聞こえていないのか、それとも、もう聞こえないのか。

 

「死んだのかい?」

「んなわけねぇだろ! あいつがそう簡単に死ぬかよ」

「それはぼくも同意だが。まあ、この目で確認するのが手っ取り早い」

 

 言いながらドゥドゥーは剣杖を構える。とりあえず気絶なり何なりさせて洗脳を解くのが現状の最適解だと思っている才人も、同じように刀を構えた。

 それに合わせるかのように少女は弓を放つ。ただの街の住人、というには凡そ鋭すぎるその射撃に、思わずドゥドゥーも声を上げた。才人は別段無反応で飛んでくる矢を切り払う。目的が決まっている彼にとって、技術が高かろうがどうでもいいのだ。

 

「兄さん」

「何だいジャネット。あの矢は結構厄介だと」

「後ろ」

「後ろ?」

 

 振り返ったドゥドゥーは再度声を上げた。よくよく考えれば、あそこにいるのは受信機にして司令塔。単純な命令だけだとしても、狂人共を動かしているのは紛れもないあの少女達だ。敵が迫ってきているのに駒を遊ばせておくわけがない。

 仕方ないな、とドゥドゥーは少女に向けていた杖を背後の狂人達に向けた。それに頷くように、ジャネットも杖を取り出しブーツで地面を軽く蹴る。

 

「サイト!」

「何だよ」

「そっちは任せる。有象無象は近付けさせないから、きちんとかたを付けてくれよ」

「ああ!」

 

 才人の頷きと同時にドゥドゥーは狂人の群れに飛び込んだ。大剣と化した杖を振るい、まとめて多人数を吹き飛ばす。剣のお嬢さんや炎のお嬢さんにも負けてないだろう、と笑みを浮かべる彼の横で、ジャネットははいはいと適当な返事をした。

 

「お兄ちゃん」

 

 エルザが己を呼ぶ声を聞き、ああ、と返す。別段冷静さを欠いているわけでもない。焦っているかと言われれば確かにそうかもしれない。だが、それとは別に才人の中にはある疑問がぐるぐると回っていた。

 気絶なり何なりさせて洗脳を解く。それが今の自分の方針ではあるが、ならばそれはどうすれば出来るのか。そこの答えに辿り着けなかったのだ。恐らく『地下水』も洗脳を解こうとして倒れたのだろう、と彼は思っていたからだ。

 

「エルザ」

「何? というかさっきから呼んでるのにまともに反応してくれないし」

「あ、悪い。どうすればいいのか考えててさ」

「……魔法の残滓は、あの人達のアクセサリーに続いてる。だから多分、壊せばいいんじゃないかな」

「……それでいいのか?」

「た、多分」

 

 狂人どもが竜の血で洗脳されているのならば、向こうは竜の一部を身に付けることで洗脳されていると言える。大体そんなようなことを感覚で理解したエルザは、才人にもそのことを伝え、絶対とは言い切れないけれどと頬を掻いた。それで十分だ、と才人は笑った。

 とりあえず、やることが決まればそれでいい。

 

「うし。――行くぜ、エルザ」

「うん」

 

 二人で一気に地面を駆ける。向こうの高台まで距離はそこそこ。少女の弓も走る才人達をそこそこの精度で狙いを定めていた。無視は出来ない。避けるのも難しい。

 ならばやることは一つしか無い。

 

「切り払う!」

「お兄ちゃんも大分人外染みてきたよね」

 

 彼の主は少し前に距離を詰めながら雷光を躱すということをやってのけている。避けるだけならば彼も雷光を回避したことがある。飛来する矢程度ならば、彼にだってこの程度は可能というわけだ。

 高台に到着した。後は跳ぶなりはしごを使うなりして上に向かえば問題ない。迷うことなく一気に駆け上がった才人は、これで終わりだと刀を振りかぶり。

 

「ならば、これでは?」

 

 少女の言葉とその行動で動きを止めた。どうしたの、と少し遅れてやってきたエルザも、少女達のその行動を見て顔を青ざめる。

 そこにいた全員が、短刀を首に突き付けていた。少しでもこちらに何かしようものならば、それを突き立てる。そう言わんばかりに、むしろ口にしながら赤い目をした全員はニヤリと笑った。

 

「こちらをどうにかしなければ被害は広がる。かといって、この全員を殺すわけにはいかない。ああ、大変だ」

 

 少女は赤い瞳のままそう言って笑った。その物騒なものを捨てろ、と才人に言い放った。

 お兄ちゃん、とエルザは心配そうに才人を見る。動きを止めていた才人は、少女の短剣を一瞥し、分かったと素直に従った。鍛えたばかりの日本刀は、そのまま高台から下にガシャリと落ちる。

 

「次はどうすればいい?」

「お兄ちゃん……!?」

 

 赤い目の少女は笑う。ならばそのままここの連中がズタボロになるのを黙って見ていろ。そう述べて、少女は持っていた短剣を握る手に力を込めた。

 

「なあ、俺からも一つ聞いていいか?」

「ん?」

「その洗脳ってのは、結局アクセサリーを壊せば解けたのか?」

「お兄ちゃん? ……あ」

「まあ、死に体の相手に教えたところで何も変わらんだろうからそうだと言っておくが……それを聞いてどうする気だ? 悔しさが増すだけだろうに」

「あっそ。あ、やっぱもう一つ聞くわ。なあ――」

 

 笑みを携えたまま、少女はその短剣を振り被る。そこから生まれた冷気が、周りの給仕達のアクセサリーを正確に打ち抜いた。凍りつき、パリンと音を立ててそれが壊れると同時、赤い目をしていた彼女達は糸が切れた人形のように倒れていく。

 何だ、と少女は目を見開く。己の意思とは無関係に動いている右手を見て、それがイヤリングを破壊しようとしているのを見て。彼女は、植え付けられた疑似人格は悲鳴を上げた。何が起こっているのか理解出来ないまま、その生涯に幕を閉じた。

 

「『地下水』、テメェ、わざとやられただろ」

「だと、したら?」

「ムカつく!」

「知ったことではないですね」

 

 ふん、と笑みを浮かべる少女の表情は、先程までの赤い目ではなく、やる気のなさげな少女本人のものでもなく。

 手に持っていた短剣。『地下水』のものであった。




多分一旦チェックポイント

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