ルイズは所在なさげに立っていた。その横では、あははと苦笑しながらそんな彼女を見るキュルケの姿がある。
そして二人の眼前では、机の上に書類と地図を広げて討論じみた話し合いをしているアンリエッタ達の姿があった。ウェールズも、マザリーニも、普段のように振り回されている表情ではない。アンリエッタも同じく、そこに巫山戯は見当たらなかった。
「キュルケ」
「なぁに?」
「戻ろっか……」
ゲンナリした顔でキュルケを見やる。そんなルイズを見て、キュルケは苦笑を笑みに変えた。かまってもらえないからって拗ねないの。そんなことを言いながら彼女の頭を撫で、そして近くにある椅子に座る。同時に、ルイズもそこに座るよう促した。
「いや、わたしいても邪魔でしょ」
「邪魔にはなってないでしょ。ねぇ」
ちらりとそこにいるもう一人に視線を向ける。ウェールズ、マザリーニ、そしてアンリエッタに混じり、トリステイン襲撃の亜人を調査していたアカデミー主席研究者、現評議会長代理の女性を、である。
問われた女性はん? と横目で二人を見ると、少しだけ呆れたように溜息を吐いた。とりあえず邪魔ではないらしい。
「……王妃」
「何ですかエレオノールさん」
「ちょっと休憩を兼ねて、おちび達をかまってやってくださいますか?」
「ええ。それはやぶさかではありませんが……。ルイズ、寂しかったの?」
からかいの表情ではなく、純粋な疑問の表情でこちらを見て首を傾げたアンリエッタを見て、ルイズは叫んだ。そんなわけあるか、と。隣ではキュルケが爆笑していた。
「それにしても」
「どうしました?」
尚もギャーギャー言うルイズを尻目に、キュルケはちらりと視線を動かす。地図と書類、それらを見ながら、自分はここにいて大丈夫なのかとアンリエッタに問うた。ゲルマニアの子女である己は、こういう場に居合わせるとマズいのではないか、と。正直今更であるが、今回はアンリエッタが真剣だったのでキュルケもキュルケなりに気を使ったらしい。
対するアンリエッタは何だそんなことかと軽く流した。
「元々討伐隊は合同軍。各々で方針や状況の纏めをしていても、後々全軍に通達して意思の統一を行いますわ。だから、安心してくださいな」
「それならよかった」
ふう、と安堵の息を吐くキュルケを見ながら、だから自分達はこの騒ぎの中で酒も飲めていないと続けた。仕方ないでしょうと苦笑するマザリーニに、ええ勿論と笑顔で返す。別段それを不満に思っているわけではないらしい。
「わたくし達は所詮指示を出す側でしかないもの。実際に動いてもらう方々には、ここで英気を養ってもらわなくては」
「二日酔いで動けない、とかは困りますがね」
「その為に二日前に行っているのですわ」
騒ぎ、そして一日の間を空け、覚悟を決めろ。要はそういうことらしい。誰の発案かは知らないが、参加している者達でそれを理解している輩はまずいない。だからこそ、今日一日は全力で騒いでいるのだ。
「それでルイズ。貴女は何を拗ねているの?」
「拗ねてないってば!」
「大方『虚無』についてでしょう? おちびのことだから」
「うぐ……だから、拗ねてないもん……」
ぶすぅと頬を膨らませながらアンリエッタとエレオノールを交互に見る。そんなルイズが微笑ましくて、キュルケはクスクスと笑った。ウェールズも、失礼だとは思ったが抑えきれなかった。
「何よキュルケ! 陛下まで!」
「改めて、ルイズ。貴女の秘密を隠していたことは申し訳ありませんでした」
「それ、あの時も聞きました」
「円卓会議の時は、王妃としての謝罪。今回は、貴女の『おともだち』としての、アンリエッタからの謝罪ですわ」
「……じゃあ、一発殴らせてください」
「それは、また後で」
そう言いながらアンリエッタは水のルビーを指から外し、傍らに置いてあった『始祖の祈祷書』を手に取る。それらをルイズに渡すと、やってみなさいと目で促した。
以前、ティファニアが同じことをしていたのをルイズは見ている。だから、彼女も同じように水のルビーを指にはめ、そしてゆっくりと始祖の祈祷書のページを開いた。
「――これを読みしものは、我の行いと理想と目標を受け継ぐものなり」
「……ほんとに読めるのねぇ」
キュルケには真っ白なページしか見えない。アンリエッタやエレオノール、ウェールズも同様である。ただ、アンリエッタはその序文を彼女が呟くのを聞き、まさか以前のものを覚えていたわけではないだろうなと問い掛けた。
「いやまあ覚えているか覚えていないかと言われれば覚えてますけど。でも、ちゃんと文字は見えましたよ。……それに、これ、テファが読んだのとは少し文章が違う」
確かティファニアの時は、虚無を扱う時には注意しろだの、聖地がどうだの、資格無きものがどうだのと言っていたはずだ。だが、ルイズの目に映るそれは、どうも毛色が違うように思えたのだ。
「虚無を扱うには注意しろ、みたいなことは書いてある。聖地についてもそう。でも、なんだろう……これってまるで」
いつか、帰ることが出来たら。そんな望郷の心情が綴ってあるような、そんなイメージをルイズは抱いた。そして、それは自分一人ではなく、大切な仲間と一緒がいい。そう語っているかのようで。
「……始祖ブリミルは、寂しかったのかしら」
「え?」
「いや、違う。……後悔、しているの?」
「ルイズ?」
大切な仲間を、守れたら。守れるだけの力があったら。皆と分かり合えたら。沢山の、人種も種族も違うものたちと、仲間になれたら。そんな、後悔が、あるいは願望が。彼の書いたらしいその文章に滲み出ているような、そんなことをルイズは思った。
「ルイズ」
「あ、姉さま」
「著者の気持ちを考えるのは確かに大事、そして人の心に共感する気高さは無くてはならないものよ。でも、今は後回しにしなさい。ここにいない始祖ではなく、この場にいる皆を見なさい」
「……はい、ごめんなさい姉さま」
「謝る必要はないわ。それで、何か分かったの?」
あ、そうだった、とルイズは慌ててページを捲る。それを見たエレオノールは今度は普通に怒った。そりゃそうだ、とアンリエッタは笑い、やれやれとキュルケは苦笑する。
が、ルイズの表情が徐々に曇ってくるのを見てその顔を怪訝なものに変えた。一体どうしたの、と尋ねると、どうにも歯切れの悪い返事が来る。そうしながらも、ルイズはページを捲り続ける。既に祈祷書は半分ほど開かれていた。
「ちょ、ちょっとルイズ?」
「何よキュルケ」
「……まさか、ないの?」
その行動で何となく想像は出来たが、しかし口にするのは憚られた。それでも誰かが言わねばならない。そんなわけで代表してキュルケが口を開いたわけだが。
返事はなかった。代わりに、ページを捲るスピードが上がった。
「まあ、現状ルイズの役目は古代竜を穴蔵から引っ張り出すのが主。ですから、呪文自体は使えなくとも構いませんわ」
「わたしが構うわよ!」
こんちくしょう、と猛烈な勢いでページを捲る。王家の秘宝が、と顔を引き攣らせているマザリーニなど知ったことかとそれを続けたルイズは、ようやく光るページを見付けて手を止めた。やった、ついに見付けた。そんなことを呟きながら、そこに書かれている呪文を読み上げる。
「……『世界扉(ワールド・ドア)』? 何これ?」
かつて始祖が故郷へと向かうために編み出した呪文。大体そんな説明とともにルーンが記されていた。少なくとも、これからの古代竜討伐には役に立ちそうもない。そのことを確認し、何だ、とルイズは力無く椅子にもたれかかった。だらりと体を投げ出し、背後が見えるくらい体を反らせてしまう。
「だらしないわよおちび」
「そう言われても。せっかく何か役に立てるかもって思ったのに……」
「気にすることはないさ。君は現状十分以上に僕らの希望なのだからね」
「……もったいないお言葉です」
姿勢を正し、ウェールズに頭を下げる。が、そうですわ、というアンリエッタを見たルイズは再度だらりと体を椅子に預けきってギコギコと鳴らした。
「貴女はもう少しわたくしを敬うべきですわ」
「だって姫さまですし」
遠慮することはなにもない、という意味である。ああもう、と呆れながらもエレオノールが咎めないのは、それを感じ取って微笑ましく思っているからかもしれない。勿論今の状況だからである。平時であれば国王の前でこんな態度を取っている妹は即正座させて説教二時間コースである。国王の目の前で。
「それにしても、あたしはてっきりルイズも『エクスプロージョン』を使えるようになるのかと思ったのだけれど」
「ああ、確かにそうだね」
キュルケの疑問にウェールズもそう返す。が、アンリエッタとエレオノールはそうでもないだろうと首を横に振った。
彼女達曰く、虚無にもある程度の特性があるらしく、担い手によって覚える呪文の順番も異なるのだとのこと。後々覚えるかもしれないが、ルイズはまだそこには至っていない、ということらしい。
ちなみにティファニアは『吹き飛ばす』という特性の下、『忘却』で記憶を吹き飛ばし、『爆発』で周囲を吹き飛ばし、『分解』で何もかも吹き飛ばすに至ったらしい。物騒極まりない。
「恐らくルイズの特性は――『突き進む』といったところでしょうか」
「道のりを、『一直線に繋げる』呪文を最初に覚えたのがその証拠、といったところかしら?」
「決めたら曲がらないルイズにピッタリねぇ」
「うっさい!」
ああもう、と体を起こしキュルケを睨む。それじゃあまるでイノシシか何かじゃないか。そんなことを言いながら立ち上がり、一歩前へと踏み出した。
そうしたことで、キュルケの背後、アンリエッタ達の向う側にある窓が彼女の視界に映り込む。その向こう側、外にいる存在が目に飛び込む。思わず目を見開き、叫んでしまうような光景が、そこに見える。
「みんな! 伏せてぇ!」
兵士達が銃を構え、一斉掃射をしようとしている姿が、ルイズの目にはっきりと映った。
「……ルイズ! 無事ですか!」
「姫さまこそ!」
窓ガラスをぶち破り、壁もところどころ穴が開いているほどの銃弾の嵐。それを無傷で躱したのは、ひとえにルイズとキュルケのおかげであろう。アンリエッタもウェールズも、当然エレオノールもメイジとしては優秀であったが、こういう場合の咄嗟の行動はやはり普段から慣れている二人に軍配が上がる。
「で、これ何よぉ!」
「わたしが聞きたいわよ!」
ひょい、と割れた窓を覗き込むと、今度は銃と呪文の混合でこちらを建物ごと破壊しようとしている姿が確認出来る。短く舌打ちしながら、ルイズは立ち上がり割れた窓を更に己でぶち破った。
「キュルケ! みんなをよろしく!」
「はいはぁい」
ひらひらと手を振る悪友を尻目に、ルイズはこちらに武器を向けている集団目掛けて突っ走った。いきなりなんのつもりだ。そんなことを叫び、しかし何の反応もないのを確認すると眉を顰める。
その顔は皆無表情。目だけがどこか虚ろで、しかし何らかの意思を持つように赤く輝いていた。どう考えても普通ではない。
「とりあえず……ぶっ飛ばす」
細かいことはその後考えよう。そう結論付けたルイズは、銃を構えている兵士達に向かってデルフリンガーを振るった。紙くずのように吹き飛ばされた兵士達はドサドサと山になって地面に落ちる。元々意識のないような状態ではあったが、その攻撃により完璧に気絶したようであった。
ピクリとも動かなくなったことを確認したルイズはよし次、とメイジ達に向かう。呪文詠唱が終わっているメイジは迎撃せんと次々に呪文を放つが、彼女はそれをステップで躱しながら距離を詰めた。
一人の鳩尾に柄をねじ込む。そうして出来上がった動かないメイジを蹴り飛ばし、即席の投擲武器とした。弾丸のように撃ち出された成人男性は、追加の呪文詠唱を行っていた他のメイジに激突し数人巻き込んで動かなくなる。補充の出来た追加の弾を持ち上げると、彼女は別の方向へと投げ飛ばした。
「なあ、相棒」
「何?」
「いくら何でも、扱い酷くね?」
「原因が分からないのだから、念入りに、かつ死なない程度に倒さなきゃいけないでしょ」
「……お、おう、そうだな」
さっきまでのフラストレーション解消の体のいい言い訳にしか聞こえなかったが、デルフリンガーは流すことにした。こんなことで長い剣生を終わらせたくない。
そうこうしているうちに、ルイズの周囲には動く人間はいなくなっていた。こんなもんか、とデルフリンガーを背中に仕舞うと、振り返りアンリエッタ達の下へと戻る。何か分かりましたか、という彼女の言葉に、ルイズは表情と赤い目のことを伝えた。
「……エレオノールさん」
「そうですね。恐らくその可能性が高いと思います」
二人揃って頷く。その主語のない会話がルイズには理解出来ず、なんのこっちゃと首を傾げた。
よし、説明を求めよう。そう思った矢先、二人はお互いを見ていた顔をこちらに向けると、説明するわと揃って口を開いた。どうやらもったいぶる暇はないらしい。
「トリステイン襲撃の実行犯である亜人達。そいつらの中にも同様に、『赤い目』をしていた個体がいたわ。恐らく木っ端以外にその処理を施していたのでしょうけれど」
エレオノールは述べる。つまりあの兵士やメイジもそうなのだと告げる。
古代竜に洗脳されたのだ、と。
「ど、どういうことかしらぁエレオノールさん!?」
「文献によると、エンシェントドラゴンは本来上級の竜、所謂韻竜ね、以外を操る能力をもっていたらしいわ」
「オーク鬼や人は竜じゃないです!」
「今から説明するからちゃんと聞いてなさいおちび。……どうやら、能力が変異したようなのよ」
竜の要素を含めば、対象に加えることが出来る。調査の結果、そういう結論を彼女は出した。それをアンリエッタに伝えると、資料を読み、成程と同様の結論を出すに至ったのだ。
「先程話していたことだね。亜人達の竜の要素は確か、装飾品」
「ええ。エレオノールさんの調査によれば、亜人達は竜のアクセサリーを身に付けていたことで対象となったようです。古代竜の復活に合わせた信仰が、そのまま洗脳に直結したのでしょう」
同様に、あの兵士達も何らかの竜の要素を加えられた可能性が高い。そう述べると、アンリエッタは普段見せないような苦々しい顔を浮かべた。
「なんてこと……! まさか、古代竜がこんな搦め手を使ってくるだなんて……。急いで全軍に通達を」
マザリーニが立ち上がり、同じように避難していた護衛の兵士達とともに駆けていく。誰が味方で誰が敵か分からない以上、最大限の注意を払うように彼女達は念を押した。
「まさか、向こうに人の世界を知るものがいる……? いえ、そう考えると、つまり」
うかつだった。小悪党や荒くれ者が混乱に乗じて暴れるのは予測済みではあった。だが、向こうについてこちらを滅ぼそうとする輩が出るのは予想外であった。よしんば現れたとしても、人が人の世界を滅ぼそうとする、それも自分が助かるとは限らない、そんな思想を持つような人間が、正気であるはずがない。そう考えていた。
だが、これは違う。これが人間の考えた作戦だったのならば、明らかに狂気と冷静さが同居している。
「……成程。こういう時、師匠(せんせい)がこの場におらず答え合わせをしてくださらないのが悔やまれます」
『いや、それはちょっと……』
ヴァリエール姉妹の声がハモった。
ともあれ、アンリエッタは答えを出したらしい。大きく息を吸い、そして吐く。表情を元に戻すと、彼女はエレオノールに目を向けた。
「ミスタ・ラルカスはどこに?」
「流石に混ざるわけにはいかないとかで、会場の外れで飲んでいるはずですけれど。……何か分かったの?」
「ええ。あくまで予測ですが、急にあれ程の大人数を洗脳するのに、アクセサリーでは無理があります。つまり、それ以外で体に付着、あるいは体内に残留させる必要がある」
「……水ね」
「あるいは、酒。ですから、彼の力を借りてそれらを浄化すれば」
方針は決まった。よし、とその場所へ向かおうとした二人は、ウェールズの待ったという声で動きを止めた。どうしたのだ、と彼に視線を向けると、話している間にお客さんが来たんだよと強張った表情で言葉を返す。
え、と彼の視線を追う。ルイズとキュルケが苦い顔を浮かべながら、こちらにやってくるその人影を見詰めていた。
一人は、金髪を短く切りそろえた女性剣士。アンリエッタがせっかくだから飲んで来いと送り出した、彼女自慢の側近であった。
そしてもう一人は、羽根帽子を被った、髭の美丈夫。ルイズの使い魔曰く、『髭面』。その表情は普段とは違い、どこか蜥蜴を思わせた。
「ルイズ……! 世界だ! 僕は世界を手に入れる! その為に、君が必要だ!」
「……ワルド。何言ってるの?」
「僕には君の才能が必要なんだ。……一緒に、来てくれるよね?」
「嫌」
即答し、ルイズは大剣を抜き放った。赤い目をしているワルドを見詰めながら、はぁ、と溜息を吐いた。
「普段のワルドの方が、アレだけど、ちゃんとわたしを見ていたわ。わたしを愛してくれていたわ。アレだけど」
「二回言ったわねぇ」
「言ったな」
キュルケとデルフリンガーのツッコミを流しつつ、彼女は剣を肩に担ぐ構えを取る。それならば仕方ない、と表情を変えることなく剣杖を構えるワルドを睨む。
「とりあえず一回ぶっ飛ばして、正気に戻してあげるわよ。わたしの婚約者さん」
ふふん、と。ルイズはどこか楽しそうに笑い、剣を握る手に力を込めた。
これは確実に話数二桁いくな……