その1
「これで、三件目か……」
そう呟き、ビダーシャルは苦い顔を浮かべる。彼の目の前にはおそらく人だったのであろう物体が転がっていた。否、転がっているという表現は適切ではない。
何せ、それはほぼ炭と灰なのだから。
「身元は?」
「……これまで同様、ここまで原型なく燃やされているにも拘らず、それを判明させるための証拠は無事に転がっていますよ」
ビダーシャルの言葉に、隣にいたアリィーは溜息混じりでそう返した。そうか、と短く頷いたビダーシャルは、他の部下に指示を出していく。それは言ってしまえばいつも通り。既に慣れ始めている自分達の行動を思い返し、少しだけ自嘲気味に口角を上げた。
「ビダーシャル卿」
「何だ?」
「……このまま、放っておくつもりですか?」
「そうしないために調査をしているのだろう?」
そう答えつつ、彼の言葉の真意はそういうことではないのだろうなとビダーシャルは思う。現にアリィーはそうですね、と頷きつつも納得していない表情を変えない。
だが、しかし。とビダーシャルは思考をする。彼の質問へ返答するには、証拠が足りないのだ。これだ、と突き付けるものが揃っていないのだ。
「あいつらならば、どうにかするのだろうが」
「冗談はやめてください」
眉を顰めながらアリィーがそう咎める。具体的に名前を出していない呟きだというのに、彼は即座に誰かを察しビダーシャルに向かってそう述べた。それはつまり、彼自身もまた同じような考えを持っていたということでもあるわけで。
やはりそれが現状を動かすには最良か。ビダーシャルはそう結論付けた。幸いにしてこの調査に参加している部下のエルフは蛮人に特別嫌悪感はない。むしろ友好的ともいえるほどだ。
そうでなければ、自由都市の無差別殺人の調査になどやってこない。
「アリィー」
「何でしょうか」
「私は一度詰め所に戻る。……書類を、作成せねばならんのでな」
「正気ですか?」
「さて、どうだろうな。あいつらと出会ってから、少し自信を無くしている」
そう言って薄く笑ったビダーシャルは、ひらひらと手を振ると踵を返した。これまでの彼らしからぬその行動を見て、アリィーの表情が益々曇る。テュリューク統領はああいった面があったが、彼はむしろそれを咎める方であったはずなのに。
小さく舌打ちをした。これも全部、あいつらのせいだ。ルクシャナが最近帰ってこないのも、全部あいつらが悪い。そうだ、そうに決まっている。魅力的になれる薬とか言いながら怪しい薬を飲まされた挙句、何故か部下の女子にもみくちゃにされてルクシャナの機嫌が悪くなったのも全部あいつらが悪いのだ。
「魔王め……」
ギリリ、と歯軋りをした。何が一番気に入らないか、それは勿論、そんなことを言いつつも嫌悪感がないことだ。今回の件も、向こうに協力を求めようとするビダーシャルの意見に心の中では賛成をしていたのだから。
だからアリィーは、これ以上無いほどの苦い顔を浮かべながら、憎々しげにその名前を呟いた。魔王、と彼女の名前を呟いた。
気付くと二つ名として定着しきってしまった、アンリエッタの称号を。
「――以上が、ミスタ・ビダーシャルから伝えられた経緯ですが」
何か質問は、とアンリエッタは目の前の面々に問い掛ける。そこに別段何も浮かばなかった四人は首を横に振り、それは結構と微笑む彼女の顔を見ていた。
では話を続けましょう。そんなことを言いながら手にしていた書類を机に置く。呼んでおいてなんだが、とその内の二人の顔を見渡した。
「ミス・ツェルプストー。そしてミス・オルレアン。貴女達二人は、今回の調査には無理に参加して頂く必要はありません」
「あら?」
「どうして?」
「危険、なのはまあいつものことですから置いておくとしても、場所が問題です」
自由都市、そしてネフテス。エルフの管理する地の事件を、三国同盟と無関係の国の貴族と三国同盟トップの娘に行かせるわけにはいかない。そういうことらしい。
建前である。アンリエッタとしてはそんなこだわりを優先して事件解決に適した戦力を減らすのはもってのほかだというスタンスだ。それでも一応口にしたのは、蚊帳の外に置かれた所為で重箱の隅を突くような抗議を送ってくるゲルマニア皇帝の顔を立てるためである。素直に混ざりたいと言えばいいのに、ととても優しげな顔で抗議文を読まれていることなど微塵も知らない中年男のためである。
後ついでに、再度鶏の骨に戻ってしまった宰相のためである。流石に最近遊び過ぎたとアンリエッタは少しだけ反省していた。
「そういうわけですので、お二方は、ここで断ってもらって一向に構いませんわ」
「冗談がお上手ですわね」
「行くに決まってる」
だろうな、とアンリエッタは笑みを浮かべる。ルイズも才人もこのやり取りが茶番だということを理解しているのか、何も口を出さない。持つべきものはやはり友人だ。ふと頭によぎったそんな一文を流しつつ、彼女は話がまとまったとばかりに手を叩いた。
「では、今回は貴女達四名に調査を頼みます」
「それはいいですけど、姫さま」
「あらルイズ。基本考えなしの貴女が質問だなんて珍しいわね」
「何で一々喧嘩ふっかけてくるんですか」
ジロリとアンリエッタを睨みながら、まあいいやとルイズは息を吐く。そうしながら、情報が不足しているのでもう少し知っていることを教えて欲しいと述べた。言わなくてもくれたかもしれないが、言わなければ何も与えない可能性も残っている以上、口に出さざるを得ない。
「やはりあの時と違って、多少冷静ですわね。ああ、恋する乙女なルイズはいずこへ」
「ぶん殴りますよ」
「おお怖い。……とはいえ、現状渡せる情報は殆ど無いの」
「どういうこと?」
今度の問い掛けはタバサ。怪訝な表情で口にしたその言葉に向かい、アンリエッタは言葉通りだと言い放った。
曰く、犯人に繋がる証拠は残っていない。
「それはつまり、目星もつかないということ?」
「いえ。犯人自体は分かりきっています」
は? と四人が全員呆気にとられた表情を浮かべた。犯人に繋がる証拠は残っていないのに、犯人が分かりきっている。そんな奇妙な状況が一体全体どうすれば起きるのか。
その答えを語る、ことはなく。アンリエッタはそんな四人に向かって脈絡のない話を始めた。凡そ二週間ほど前。ネフテスで起きた奇妙な襲撃。
「水軍の駐屯地に賊が侵入したらしいのです。被害者は五名。そのどれもが」
焼死体であった。そう締めくくると、アンリエッタはもう分かっただろうと言わんばかりの表情で四人を見渡した。勿論四人は分からんと返す。分かっていても、そう返す。
「エルフの水軍は実質『鉄血団結党』の本拠地。となれば、当然焼死体となったのも、その党員」
アンリエッタは動じることなく、続きを語る。そこで再度言葉を止め、これで分かっただろうと視線を向けた。いいから続きを言え、とルイズは視線で彼女に返した。
当然向こうが理解しているのを承知の上で、しかしアンリエッタは表情を崩さず言葉を続けた。察しの悪い『おともだち』を持つと苦労しますわね。そんな余計な一言を付け加えながら。
「調査を行っている方々は、まず間違いなく『鉄血団結党』の仕業だと断定しています。わざわざ自由都市にいる人々を狙ったのが、その証左」
「へ? 何で自由都市の人が殺されると証拠に?」
「サイト、アンタここにきて水を差すんじゃないわよ」
「いや、だって。というか、俺その侵入した賊とかいうのが犯人だと思ったんだけど」
「まあ、確かに。それはあたしも少しだけ過ぎったわぁ」
「でも、違う」
少なくとも目の前の魔王はそうである確信を持っている。そうだろうとタバサはアンリエッタを見やると、ええ勿論と頷かれた。
まず犯行の手口が、その賊とは違う。わざわざ証拠を残し、燃やされたのはこいつであると示している。まるで誰かに見せ付けるがごとく。
「ミスタ・アリィーの報告によると、被害者は『内側から燃やし尽くされた』ように感じられたそうですわ」
「うへぇ」
「その為、遺体の外部――衣服や装飾品、持ち物はそのまま残っていたそうです。だから、特定も容易であったと」
ふう、とアンリエッタは息を吐く。それに対し、賊の特徴はとにかく燃やすことを楽しむように、何もかもを灰にするように、焼ける臭いを堪能するように殺人を行っていたのだと語った。
成程確かに二つの手口は一致しない。そういうことならば確かに賊ではないと判断してもよさそうだ。そこまでを考えた才人は、その報復のために『鉄血団結党』がこの事件を起こしているものだと結論付けた。
「とりあえずはその方向でも問題ないでしょう。何せ、その賊は蛮人であったそうですから」
「エルフ至上主義が、蛮人にいいように蹂躙された。……成程、動機としては十分」
だが、とタバサは思う。とりあえず、と目の前の彼女は言った。つまり、調査次第ではいくらでも覆る程度の予想であると判断しているのだ。
犯行の手口、被害者の証拠はあれど犯人の証拠は残っていない現場、動機。どれも今ここで話しているだけでは埒が明かないことばかり。どうやらアンリエッタもこれ以上は自分の目で確かめるのがいいだろうと言っていることから、必要最低限の情報は与えたということなのだろう。そう判断した一行は、分かりましたと席を立った。この続きは、向こうでビダーシャルにでも聞けばいい。
そんな折、ああそうでした、とアンリエッタは手を叩いた。明らかにもったいぶってこのタイミングであるのが一目瞭然の状態で、伝えるのをすっかり忘れていましたと言い放った。まあ、大した情報ではないので忘れてくれても構わないと笑顔で言ってのけた。
「その賊ですが、隻眼の巨漢で、片目がまるで火竜のようであった、とのことですわ」
逃げた先が自由都市でなければいいのですが。そう言って目を伏せるアンリエッタの表情は、ルイズ達には窺うことが出来なかった。
ふむ、とその男は頷いた。部下の報告を聞き、少しだけ思案するような素振りを見せると下がっていいとその者を退出させる。ちらりと視線を下げると、何か粉薬のようなものが入った瓶がそこにはあった。
どうなされました、と傍らのエルフの男が彼に問う。顎髭を軽く触りながら、彼と同じようにその瓶へと視線を向けた。
「例の薬の効果は、上々ですな」
「ああ、そうだな」
男の言葉に彼は頷く。本来ならばこのような使い方をすることなどなかったであろうそれは、今や彼にとって重要な武器へと変貌していた。
蛮人を殺し尽くす。それに連なるものも殺す。加担するのであればエルフも殺す。それが『鉄血団結党』だ。エルフの敵であれば、皆殺し。いたって単純な思考である。
「同志エスマーイル」
「何かな?」
「この『実験』は、いつまで続けるおつもりで?」
そうだな、とエスマーイルは考え込む仕草を取る。薬の効果は十分に分かった。『火石』を砕き精霊の力を込め精製したこれは、生物に飲ませれば内側から燃やし尽くすことが出来る代物だ。爆発的で暴力的な力を発生させる『火石』の小規模な実験用に作ったものであったが、副産物としての効果は中々であった。
だが、本来の目的はこんなものではない。『火石』の爆発力を使い、灰燼に帰するのは人の命の一つや二つではないのだ。
「同志サルカン、君はどう思うかね?」
「実験場を、ですか?」
「ああ、そうだ。まだ使い道はあるかどうか。もし無いのならば」
「そうですな……最期に大規模な実験に使ってしまえばよいのではないかと」
そう言ってサルカンは口角を上げる。粉末で人を燃やすのではなく、『火石』そのものを使って燃やせばいいのではないかと、そうエスマーイルに提案をする。
それは彼自身も思っていたようで、やはりそれがいいだろうと笑みを浮かべた。これまでの実験で扱い方は心得た。ただ単に広範囲を焼き払うのは簡単だが、それでは芸がない。周囲に被害を出さずに、そこだけを燃やし尽くすことも可能なはずだ。そう考え、その光景を思い浮かべて楽しげに喉を鳴らした。
「同志サルカン」
「はい」
「実験場に向かおう」
「自ら赴くのですか?」
「当然だ。『花火』の具合を、この目で見たいのだ」
そう言ってエスマーイルは笑う。左様ですか、とサルカンも肩を竦めながらも口角を上げた。
そういえば、とサルカンはエスマーイルに問い掛けた。普段の彼らしからぬアクセサリーを身に着けているのを疑問に思ったのだ。拳大の、まるで何かの鱗のように見えるその宝石は、エスマーイルの胸で赤く輝いていた。
「ああ、これかね?」
自身の血族に伝わる宝石で、その力を最大限に引き出す時には赤く光るという伝承を持っていた。そう述べ、言いたいことは分かるだろうとサルカンを見た。
成程、と彼は頷く。今まさにエスマーイルは、『鉄血団結党』は上り調子。宝石が輝いているということは、己の進むべき道が絶好調であるという証。それを掲げ奮起させるために、エスマーイルは身に付けているのだろう。そう結論付けた。
「その輝きがある限り、『鉄血団結党』に負けはない、ということですな」
「その通りだ」
お互いにそう言い笑うと、では支度をしようとエスマーイルは立ち上がった。サルカンはそれに続き、部下を連れて部屋を出る。彼の親衛隊と、実験を行っていた兵士達。先程の薬の入った積み荷。
そして、それとは比べ物にならない大きさの『火石』。
それらを用意し、実験場へと向かう。彼等がそう呼んでいる町へと、自由都市エウメネスへと。
「同志サルカン」
「どうされました?」
「先程、この宝石について尋ねたな」
「はい。それが何か?」
「いや、何」
君ならば信頼出来るからな、と苦笑すると、エスマーイルはそっと胸のそれを撫でた。
これには、不思議な力が宿っているのだ。そう言って、彼は目を閉じ、そして開けた。
「私に『大いなる意思』の導きをくれる、というのだろうかね。この『火石』の使用方法も、そうして身に付けた」
「……ほう」
「疑っているのかな?」
「いえ。何故そんなことを私に伝えたのか、と」
それは純粋な疑問。己で思い付いた、ということにしておけばいいものを、わざわざ伝えるのにはどんな意味が。そう思って出てしまった言葉であった。
それを聞き、エスマーイルは笑う。先程も言ったではないかとサルカンに述べる。信頼出来る相手だから、と彼に答える。
そして、もう一度だけ宝石を一撫ですると、少しだけ表情を真剣なものに変えた。
「これは、選ばれた者でなければ気付かないのだ。現に君も、今回ようやく気付いたのだろう?」
「と、言うと?」
「私はもう、随分と前からこれを身に着けている」
え、とサルカンは目を見開いた。目の前の彼が嘘を言っているようには思えない。
「『大いなる意思』が、選んでいるのだろう。そして君もまた選ばれた」
「……」
「期待しているぞ、同志サルカン。私と、この宝石を満足させてくれ」
はい、とサルカンは頷く。だが、同時に、目の前の男に何か末恐ろしいものを感じ取っていた。
だが、袂を分かつつもりはない。現在のエルフの蛮人への歩み寄りは、彼には到底許容出来ないものであったからだ。そう、たとえ得体の知れない力に忠誠を誓っても。
鉄血団結党より賊の場面が増えそうな予感
賊は一体何ヌヴェルなんだ……