これは、貴族の暇つぶしである。学院の生徒たる彼女の、メイジにして貴族である少女の、自由な時間を使った暇つぶしなのである。
「なあ、相棒」
「あによ」
「暇つぶしに鍛錬する貴族の娘っ子なんか俺っち聞いたこともねぇよ」
「そんなこと言ったって仕方ないじゃない。貴族の礼節も知らない『ゼロ』のメイジがやることなんかこんなもんよ」
「拗ねてんのか? そんな気持ちじゃ鍛錬も効果は見込めねぇな」
「うっさい」
背中からデルフリンガーを取り外すと、ルイズは勢い良く投擲した。三分の一ほどが木に突き刺さり、そのまま大剣は宙ぶらりんの状態となる。おいちょっと待て、という言葉だけが虚しく響いていた。
ふん、と鼻を鳴らしたルイズは鍛錬を再開する。無手での動き、全身のフィジカルアップ。それらのためのトレーニングを一通りこなすと、少し前にタバサに加工してもらった切り株ベンチに腰を下ろした。
「デルフ」
「何だよ相棒。俺っちは今動けないこの身を呪ってる最中だ」
「確かにちょっとは意地になってる部分はあったわ。それは認める」
息を吐き、力を抜くと足をブラブラとさせる。そんなことをしながら、先程デルフリンガーが言ったように、どこか拗ねたような表情で突き刺さっている大剣を眺めた。
「でも、それで鍛錬を疎かにするほどわたしは馬鹿じゃないわ」
「……ま、そうだろうな」
「知ってるなら煽るなボロ剣」
へいへい、と体があれば肩を竦めていたであろう声色で返したデルフリンガーは、それじゃあそろそろ引き抜いてくれとルイズに述べた。勿論彼女の答えは嫌だ、である。もうちょっと体動かすからそのままでいろと言い放ち、ルイズは足に力を込めると一気に森を駆け抜けていってしまった。
そうして残される一本の剣。ちゃんと戻ってきてくれよ、というその声はそれはそれは哀愁漂うものであったそうな。
何故それが分かるかといえば、当然聞いていた人物がいるというわけで。
「……何、やってるんだろう」
数日前と同じように一人暴れているルイズを目撃してしまったシエスタは、どこか呆れたような表情でそんなことを呟いた。それは貴族が行うことから大凡かけ離れた行動をしてばかりいるあの少女に向けたものか。あるいは、そんな少女をつい気にかけてしまう自分に向けたものか。ひょっとしたらその両方か。
ともあれ、彼女はそのままそこを後にする。デルフリンガーを引き抜くことも出来たであろうが、そこまで関わる気はシエスタの中にはなかった。
今日も彼女は鍛錬を行っている。暇つぶしを超え、それは既に日課に昇華されたのだろう。やっぱり動かないと体鈍っちゃうわね、と笑いながら常人とは一線を画す動きを行うルイズには、あの時の陰は何処にもなかった。
変わらず馬鹿にされ続けているようではあったが、その頻度は段々と減っていた。キュルケもタバサも気にせず、ルイズも気にせず。そして三人で集まり行動する。ギーシュのような物好きがそんな彼女達の集まりに少しずつ関わり、それが緩衝材の役割を果たしていたのかもしれない。
ともあれ、孤立はしていても孤独ではない彼女は、普段通りに振る舞うだけの余裕は有り余っていたのである。
そうして今日も鍛錬を行うルイズを、シエスタは目で追っていた。どうして気になるのか、それは自分でも分からない。ただなんとなく。言ってしまえばそれで済んでしまうのかもしれない。
ルイズはルイズで、最近何かメイドがこっち見てる、という程度には彼女を認識していた。自分が物好きで珍しい存在なのはある程度自覚しているため、まあなんとなく目で追っているのだろう程度に思っていた。
そうして少しだけ時が経った。入学前に魔境で暴れ、未来の魔王の無茶振りに応えていた頃と遜色ないほどに力が戻った。そう彼女は自覚を持っていた。尚デルフリンガーから言わせると、元々そう鈍っていなかったから底上げされてるんじゃねぇか、である。
「よ、っと」
小柄な体格を補うがごとく付けられたしなやかで強靭な筋肉が、今日も今日とて美少女らしからぬ動きを可能とさせる。縦横無尽に舞い、ターゲットは例外なく粉砕された。よし、と地面に撒かれた木片を見て息を吐いたルイズは、お手製切り株ベンチへ腰を下ろした。
毎度毎度であるが、そろそろ春の陽気が夏へと変わり暖かさが暑さへと変化してくる時期である。汗ばむ体を眺め、こんなことならタオル持ってくるんだったとルイズは少しだけ後悔をした。
「……あの」
「ん?」
そんな時である、彼女に声が掛けられたのは。まさかこんな変人に声を掛ける奇特な人物がいるとは、とルイズは顔をその方向へと動かすと、そこにはトリステインでは珍しい黒髪のメイドの少女が一人。
確かここのとこ珍しそうにこっち見てた娘だ、とルイズが記憶を手繰り寄せている最中、その少女――シエスタは手に持っていたタオルと水筒を差し出した。
「へ?」
「よ、よかったら、どうぞ」
「あ、うん。ありがと」
いきなりのそれに若干頭がついていかないルイズであったが、せっかくの厚意なのでありがたく受け取ることにした。タオルで汗を拭き、水で喉を潤す。ぷはぁ、と貴族の少女らしからぬ息を吐くと、立ち上がってシエスタの方へと向き直った。彼女の目を見て、真っ直ぐ、もう一度ありがとうとお礼を述べる。
「い、いえ。わたしが勝手にやったことですからお礼など言わずとも」
「だからどうしたってのよ。こういうことにお礼を言うのは当たり前でしょ」
「でも、貴族の方が、平民にそんな」
「平民とか貴族とか、そんな細かいとこに一々拘ってたらヴァリエールなんかやってらんないのよ。わたしはアンタの厚意がありがたかったんだから、素直にお礼言われときなさい」
「は、はい」
「よし。じゃあ――ええっと、貴女、名前は?」
「し、シエスタと申します」
「わたしはルイズ、って知ってるか。ま、いいわ。ありがとうシエスタ、助かったわ」
そう言ってルイズは笑顔を見せる。貴族の社交界で見せるような微笑みとは違う、自然の大輪のようなその笑みを見たシエスタは思わず目を見開き、そして慌てて我に返った。そうしてコホンと咳払いをし、みっともないところを見せてしまったと己を恥じつつ、先程の彼女の言葉を反芻しながら。
シエスタは、ルイズの言葉にこう返した。
「はい。どういたしまして」
この時から二人の交流が始まったか、と言われれば、そうではない。以前よりルイズを見る目に遠慮が無くなったことはそうであるが、彼女自身もメイドとしての仕事がある。ルイズに差し入れを持っていく余裕がそうそう出来るわけではなかった。あってもその時ルイズは鍛錬をしていない、ということもあった。まあつまりはタイミングが悪かったのだが、だからといってそこに何か思うことは特になかった。ルイズはメイドは忙しいだろうから仕方ないと思っていたし、シエスタは身分の違いからそこまで己を気にしないだろうと思っていた。二人の認識に、微妙なズレがあることを知ることもなく、そのまま日々は過ぎていった。
そのことをシエスタが知るのは、とある昼下がり。度々学院に訪れていたとある貴族がシエスタを目に止めたことがきっかけである。彼は彼女を見て気に入ったらしく、こちらで雇いたいと言い始めたのだ。学院側としても貴重な労働者をほいほいとあげるわけにはいかんと渋ったが、向こうは相応の資金を提供するということで要求を飲まざるを得なくなった。やり取りだけを見れば、ただ単にメイドの引き抜きでしか無いからだ。
だが、学院で働く者達はそれが何を意味するのかを知っていた。その貴族は好色であるという話を聞く。年若いメイドをわざわざ引き抜くということは、つまりそういうことなのだ。
だとしても、平民である自分達には何も出来ない。直談判としたとしても、一蹴されるのが落ちである。最悪こちらに被害がくるかもしれない。そう思うと、一緒に働いていた者だとしても、それを黙って見ていることしか出来ないのだ。
何か出来るとしたら、それこそ相応の身分や力を持つものでなければならない。貴族、メイジ。そう呼ばれるものでなければ。
「ちょっと、聞きたいことがあるのだけれど」
そう言って厨房に入ってきたのは小柄なピンクブロンドの少女であった。マントを付けていることから貴族であることが分かり、その下に大剣を担いでいることから噂になっている人物であることも分かる。正直このタイミングで関わりたくないと思っていた厨房の者達は、しかし無視するわけにもいかずにどうしましたかと彼女に問うた。
予想していたのとは裏腹に、彼女はその厨房の者達の態度に別段機嫌を悪くするでもなく、人を捜しているのと述べた。どうやら学院で働いているメイドの誰かを探しているらしい。とはいえ、それだけでは流石にこちらも答えられない。名前でも分かれば話は別ですが、と厨房の者は彼女に返した。そう言いつつも、まあ無理だろうと思っていた。貴族様が一々平民の名前なぞ覚えているはずもない。そう高を括っていた。
「名前? シエスタよ。珍しい黒髪の、何かこう抜けてるようで中身はしたたかそうな娘なんだけど」
スラスラと名前と特徴を述べ始める彼女に面食らったのは厨房の面々である。そして同時に、探しているその人物が今悪い意味で話題になっている少女であることでその顔を曇らせた。ここでシエスタが貴族に買われていったことを話せばどうなるか。それならしょうがないとあっさり諦めるだろう、それが普通だ。助けて欲しいと懇願したところで、何で平民にそんな労力を費やさなくてはいけないのかと言われて終わるであろう。
それでも答えないわけにはいかない。溜息を吐き、シエスタの末路がどうなったのかを目の前の彼女に語って聞かせた。どうせ貴族にとって、平民なんぞその程度の扱いだろう、という気持ちを隠さず言ってのけた。
「……いつ?」
今朝早く、荷物を纏めて出て行った。そんな説明を聞くのと同時に、彼女は踵を返した。どうかしましたか、と厨房の者が尋ねると、どうもこうもない、と振り向かずに言い放った。
「シエスタに会いに行ってくるのよ」
厨房を飛び出す。建物を駆け抜け、学院の入り口まで一気に走る。聞いた話によれば、件の貴族は現在トリスタニアの屋敷にいるらしい。自身の領地でないならば、急げばまだ間に合う。一人そんなことを考えながら、彼女はそのまま門を抜け。
何やってんだか、という言葉で急ブレーキを掛けた。
「あなた、まさか一人で、それも徒歩で行くつもり?」
「全力疾走すれば、馬より早くいけないこともないわ」
「あのねぇ、それは控えめに言って馬鹿よぉ」
「んなっ……!」
そりゃそうだ、と彼女に声を掛けたその人物の隣の青髪の少女も肩を竦めた。普段から考えなしだとは思っていたが、まさかここまでとは。そう続け、救いようがないと言わんばかりに頭を振り溜息を吐く。
当たり前だが彼女はキレた。
「時間無いから手短に始末するわ。キュルケ、タバサ、掛かってきなさい」
「何でよぉ。時間無いなら急ぎましょう?」
「ん」
「アンタ等が喧嘩売ったの!」
「あたしはルイズのお馬鹿さを指摘しただけ」
「同じく」
「それを喧嘩売ってるって言うのよ!」
キシャー、と背中のデルフリンガーに手を掛ける。一足飛びで間合いを詰めると、とりあえずお前だとキュルケに向かってそれを振り下ろした。あぶな、とそれをバックステップで躱したキュルケは、少しだけ目を細めると杖を取り出し呪文を唱える。四方八方に飛来する火球を一瞥すると、嘗めんなとそれらをルイズはまとめて斬り裂いた。ついでに、タバサの方にも睨みを利かせる。が、彼女は別段やる気は無さそうであった。
それならこいつだけに集中して、と剣を構え直したルイズであったが、いい加減にしろと大剣の鍔がカタカタと鳴る。今はそんな場合じゃないとデルフリンガーに諌められ我に返った彼女は剣を収め、自分が走るより早い方法があるなら言え、遅かったら思い切りぶん殴る、と乱入してきた二人を睨んだ。一体どうするんだ、と詰め寄った。
対する二人は呆れ顔。どうするもこうするも、と視線を自身の後ろへと向けた。そこにいる巨大な竜を指差した。
「きゅきゅきゅーい」
「こうするに決まってるじゃなぁい」
「あ」
相変わらずの脳筋なのね、と呆れたように小声で呟くシルフィードをぐぬぬと睨み、しかし確かにこれならばすぐに向こうに行けると彼女へ近付いた。頼めるかしら、と問い掛け、任せろと言わんばかりにシルフィードはきゅいと鳴く。
じゃあ行きましょうか、とそんなルイズに続くようにキュルケとタバサが乗り込んだ。
「何でついてくるのよ」
「別にいいじゃない。あたしも気になるのよ、あなたの言ってたシエスタって娘が」
「慰み者になっているようなら、助ける」
いえい、と二人揃ってサムズアップするのを見て、ルイズは思わず笑ってしまった。そんなこと言いつつ、実は暴れたいだけだろう。そう言いながら、三人揃ってシルフィードで空を飛ぶ。文句はもう言わなかった。
「一応言っておくけど、まずは交渉よ」
「それはあなたが一番注意するべきだと思うわぁ」
「ん」
「やかましい! っていうか人のこと言えないでしょうがアンタ等」
ギャーギャーと騒ぎながらトリスタニアへと三人は向かう。そんな煩い連中を背中に乗せているシルフィードはこう思った。口にすると殴られるから言葉にはしないが、心の底からこう思った。
お前ら全員同じなのね、と。
ゼロ魔二次のネタとしては物凄く今更感のある話