触手、とはいっても、その構成物質は水である。彼女達の容赦ない一撃を叩き込まれればはじけ飛び、霧散する。ばしゃり、と地面に落ちたそれは土に染み込んでそれきり。触手を持った人型の異形の末路は、それであった。
ふん、とルイズは鼻を鳴らす。大剣を一振りし、刃に残っていた雫を振り落とすと背中の鞘へと収めた。何か言いたげに鍔がカチャリと鳴ったが、まあいいかと言葉を発することなくデルフリンガーは黙る。どうせ何言っても面倒になるだけだ。そんなことをついでに思った。
「で」
辺りを見渡す。水溜りが所々に出来ているが、それ以外に何か変わったところは見当たらない。どうやら第二陣も問題なく殲滅出来たようであった。
「次が来るのかしら?」
「さあ」
杖をくるくると回しながらキュルケが呟く。タバサはそれにぞんざいな返事をし、くいとメガネを指で押し上げた。その視線はキュルケの方を向いておらず、ルイズで固定されたままだ。
つい、と視線を切り替えた。才人はどうにもこちらに近付くのを躊躇っている素振りを見せている。暫し外出禁止で軟禁していたのだから、当たり前と言ってしまえばそれまでかもしれないが、しかし。今更その程度で彼が迷うことがあるのだろうか。
よし、とタバサは足を動かした。キュルケやルイズから離れ、才人のいる方へと近付く。そんな彼女にあからさまな反応をしたのを見て、何だお前と目を細めた。
「何?」
「いや、何って。そっちが近付いてきたんじゃ」
「嫌そうな顔をしたから、それを聞いているの」
「……別に、そんなことはねぇよ」
「嘘」
「嘘じゃないって」
視線をフラフラさせながら言っても説得力はない。はぁ、と溜息を吐いたタバサは、やってられんとばかりに杖を突き立てるとそこにもたれかかった。もう勝手にイチャイチャしてろよ。そんなことを心中で呟く。
「サイト」
「な、何だよ」
「今は楽しい?」
「は? び、微妙、かな……。やっぱりさ、いつも通りがいいじゃん」
「ヘタレ」
「何でだよ!」
決定。彼女はよし、体を伸ばす。もうここから動かんとばかりに全力で戦線を離脱することを心に誓った。
そういうわけだから、お前らもう少し湖に近付け。視線で才人にそう述べると、彼女は持っていた文庫本を取り出しページを捲り始めた。口にはせずとも、それだけで彼はもうタバサが戦わないということを理解した。つまりは、そういうことなのだ、と。
それを不満に思わないかといえば否ではある。が、この少女はある意味ルイズやキュルケ、あるいはアンリエッタ以上に始末の悪い部分があるのもまた事実。父親と伯父がアレだしな、と当の本人が聞けば確実に魔法が飛んでくるであろう感想を抱きつつ、才人は刀を構え直すとルイズ達へと合流した。
勿論二人はついてくる。
「あ、サイト。今こっち来ちゃうのぉ? ふぅん、へぇ」
「……何だよその含み笑い」
「キュルケ。アホ言ってないで、さっさと元凶潰しに行くわよ」
「はいはぁい。ま、五人いれば楽勝よね」
「何言ってるのよ。行くのは、わたしとアンタの二人だけよ」
え、と才人はルイズを見た。ルイズはそんな彼を見ることなく、キュルケと湖だけに視線を向けたままさっさと行くわよと足を踏み出す。やれやれ、と肩を竦めたキュルケがそれに続き、しかしちらりと振り返って苦笑を浮かべた。
「嫌われてますね」
「……マジかよ」
「何か、悪いことしたかなぁ……」
心当たりは無いことはない。が、それを心当たりだと判定してしまうと何とも言えない気分になってしまうのはまず間違いない。そんなわけで『地下水』もエルザも言葉を濁すだけで口にすることはしなかった。
仕方ない、と気を取り直す。元凶の始末は任せるとしても、ならば後は傍観しているなどというわけには勿論いかない。二人が向かっている湖の水面は再度泡立ち、ボコボコと不快な音を立てながら触手で出来た異形を生み出している。近付けさせないという意思の現れか、あるいは単に暴走しているだけか。
どちらにせよ、やることは一つ。才人は自身の頬を叩いて気合を入れると、一気に駆けた。ドロリと伸びる触手の一本を切り飛ばし、邪魔をするなと声高に叫ぶ。自分の、ではない。
「ルイズの邪魔すんじゃねぇよ!」
「応援されてるわよぉ」
「知らないわ」
背後の叫びを聞いてキュルケはニンマリと笑う。ルイズはふんと鼻を鳴らす。どこか不貞腐れたような表情のまま、いいから集中と前を睨んだ。
「ミス・モンモランシ」
「は、はい!」
タバサも加え五人となった傍観組は、そんな湖の中心部を見ながら取り留めもない話をしていた。触手の異形は才人、『地下水』、エルザの三人で露払い。中心部にあるであろう元凶はルイズとキュルケで叩きのめす。役割分担された面々の前に、古代竜の鱗が引き起こした怪現象は蹂躙の望みを絶たれていた。要はこれなら問題ない、ということである。
だがしかし。肝心の叩きのめすべきその元凶の正確な位置が掴めていない。アンリエッタは少し考え込むように口元に手を当て、モンモランシーへと声を掛けた。貴女なら分かるかしら、という問い掛けに、背筋を伸ばしたモンモランシーは申し訳ありませんと頭を下げる。
「分からないのですか」
「申し訳ありません。これも全てわたしの不徳の致すところで――」
「気にしないで。……さて、ミスタ・グラモン」
「はい?」
彼女の言い分は、本当? グルリと視線をギーシュに向けたアンリエッタは、口元を隠したままそう問い掛けた。その動きと眼光にビクリと体を震わせたギーシュは、ちらりとモンモランシーを見る。そして目の前の主君に視線を合わせ、彼女の言いたいことをなんとなく察した。モンモランシーと比べれば、ルイズ達への耐性は幾分か高いのだ。
「不確実なことを王妃に告げるわけにはいかない、と考えたのでしょう」
「成程。わたくしは別に気にしないのですけれど」
「僕達が気にするのです」
「そう。……もう少しくだけてもいいのですよ? ミス・モンモランシ」
「めめめめめ滅相もございません!」
「……」
「タバサ、無言で僕を睨むのはやめたまえ」
そもそも君はそういう扱いして欲しくないのだろうに。はぁ、と溜息を吐いたギーシュは、モンモランシーの頭をポンと撫でる。はにゃぁ、と普段の彼女らしからぬ声を上げたモンモランシーは、真っ赤になった顔を隠すこともせず彼を睨み付けた。勿論ギーシュは笑顔である。
それで、その不確実なことというのは何なのでしょうか。若干ジト目になったアンリエッタが空気を変えるようにそう述べた。ウェールズ分が少し切れたらしい。
「は、はい。……やはり中心部が一番怪しいと思います。水の精霊の気配と、おどろおどろしい何かが混ざりあうのが大体その辺り、の、ような……」
「大体の予想と変わらず、ですわね」
ならば問題はない。ふむ、と頷いたアンリエッタは、このまま傍観に徹して構わないだろうと結論付けた。現にルイズ達が向かっているのがそこなのだから。
そんなルイズは、岸辺の水に足を踏み入れるとそこで一旦足を止めた。バシャリと水音がし、しかし先程のように纏わり付かないことを確認すると眼前に向かって剣を構える。キュルケはそれで何をするかを何となしに感じ取り、巻き添えにならないように一歩下がった。
「どっ……せいっ!」
全力で剣を振り下ろした。技もへったくれもない力任せのその一撃は、強烈な剣閃で彼女の目の前を真っ二つにする。その対象は勿論、湖。
「どんだけ力技のモーゼだよ……」
「何、それ?」
「俺の故郷の、えーっと、神話っつーか昔話っつーか、その辺に出て来る人。海を割ったんだよ」
「あ、あんな風に……?」
「もっと神秘的なやつかな」
それもそうか、と存外酷い納得をしたエルザを横目に、才人は無理矢理割った水面を睨むルイズからそこに群がろうとする触手眷属に目を向けた。現在の湖はただの水ではない。そんな場所を真っ二つにしたのだ、何かしらリアクションを起こさないはずもなく、一気に警戒レベルを高めたらしい雑魚はこれ以上やらせんと躍り出たのだろう。
勿論、それはむしろこちらのセリフである。そう言わんばかりに才人達はルイズの背を守るように武器を構えて駆け抜ける。先程の言葉は、勢いで言っただけではないのだ。
「ミス・フランソワーズ」
「何よ」
「斬ったその部分、固定する必要は?」
「……なさそうね」
『地下水』の問い掛けに一瞬迷ったが、しかしルイズはすぐに首を横に振った。切断面から生えてきた触手が、傷を繋ぎ合わせるようにお互い絡み合い始めたからだ。どう考えても水ではないその光景は、見ている者の精神を少しずつ削っていく。
キュルケ、と声を掛けた。分かっている、と彼女は笑みを返した。
ウネウネと蠢く水の壁の間を、二人は一気に突き進む。道中に伸びてくる触手は、斬って捨て、燃やし吹き飛ばした。
「大体真ん中、この辺かしら」
「そうね。……来るわ!」
足を止めた。異様な気配が特に濃い場所に留まり、左右の壁を睨み付ける。ズブリ、と一際大きな太い触手が伸び、その強靭な腕を叩き付けるがごとく振り上げられた。
視線はそれに向けない。ルイズ達が見ているのは、その先。水の壁の向こう側に浮かぶ、水で出来た、異形の人型。水の精霊を評するに美しさを語るのならば、こちらはまるで。
振り下ろされた触手を飛んで躱した。が、斬り裂いた壁は段々と修復され狭まっている。ベチャリと左手がそこに触れ、粘つく何かが纏わり付いた。
「うげ」
「ちょっと我慢しなさいな」
火球を飛ばす。キュルケのその呪文で左手を燃やされたルイズは自由になると同時に振り払う。袖が焦げたが、一応腕自体は無事であった。よし、とその手を引き戻した彼女は、太い触手に向かって剣を振り上げた。
「相棒! ちょっと待て! こいつは」
「何よ。って、んなっ!」
その先端がバクリと割れた。触手だと思っていたそれは、その実巨大な蛇のような異形であったのだ。大口を開けてルイズを飲み込まんとしたその大蛇は、彼女の一瞬の隙をついてかぶりつく。半透明のその体は、ルイズが喰われたのが傍からでもよく見えた。
それはつまり、その状態からでも無理矢理剣を振り切ろうとしているのもよく見えるということである。
「ぷっはぁ!」
顔面が吹き飛び霧散する蛇を見ることなく着地したルイズは、もう一本の巨大な触手を睨み付けた。案の定、それも同じように先端が大口を開け、大蛇であることを確信させる。
「ちょっとルイズ、大丈夫なの? ねばついてない?」
「ベッタベタ。もう、嫌になるわ」
水と粘ついた液体の相乗効果で、ルイズの姿はそれはもう酷いものであった。見る人が見れば一体何事だと思うことであろう。
とりあえずその姿にはなりたくないなぁと思いつつ、キュルケはもう一方の大蛇に火球を放った。一撃で盛大な爆発を起こしたそれは、しかし相手をのけぞらせる程度にしか効いておらず。
「……成程。そういうことなのねぇ」
はぁ、と溜息を一つ。呪文を唱えながら、キュルケは一歩前に出る。大蛇が大口を開け、こちらに齧り付かんと迫りくるのを、面倒くさそうに一睨みする。
「内側は、脆い、ってわけ!」
その口内に、再度火球をぶち込んだ。水で出来た大蛇が火を丸呑みし、そして口から煙を吐く。まるでゲップでもするかのようにびくりと跳ねると、そのまま大蛇の動きはピタリと止まった。その後爆発四散する姿は、水風船が割れる、と言う才人の感想が適切かもしれない。
でかくて厄介なものは片付けたが、しかし。現状四方は水である。向こうのテリトリーである以上、再度同じものが生み出されないとは限らない。
が、どうやらそれは杞憂であったようだ。水の壁に潜んでいた巨大な人型が、ゆっくりとこちらに向かってきたからだ。立体的に姿を現したその人型、その下半身部分には半ば千切れ飛んだ太い触手のようなものが二つ見える。
「足、だったのね」
「趣味悪いわねぇ」
上半身の方は、改めて見ても成程、水の精霊を取り込んだだけはあると評してもいい。女性らしい肉感的な曲線と、多少簡素ではあるが美貌と言っても構わない顔の造形。
それを台無しにする下半身の異形ぶりである。蛇のようなもの、ミミズのような何か、タコやイカを思わせる吸盤の付いた触手、魚の頭部を思わせるパーツ、カニのハサミ。水生生物を切り刻んで、適当にくっつけると大体こんな感じになるのではないか。そんな感想を二人は抱いた。
異形は二人を見下ろすと目を細める。人の言葉のような、何かの鳴き声のような。そんな声を上げながら、残っていた下半身のパーツを伸ばし、襲い掛かった。
「嘗めんな!」
魚の頭部は一刀で切り捨てた。ビチビチと地面で跳ね、バシャリと水に戻って霧散する。そこを狙ってきたミミズのような何かは、キュルケの炎の鞭に絡み取られた。
「さっきの屈辱、忘れてないわよぉ!」
火力を高める。火炎の締め付けは拘束相手を蒸発させ、尚且つ引き千切る。再生などさせんとばかりのそれで、跡形もなく消し飛んだ。
あっという間に二つのパーツが破壊された異形は悲鳴を上げる。水の精霊を取り込んでいるはずの異形は、本来ならば蹂躙する側であるはずのそれは、たった二人の、自身以上の化け物を前にして怒りを露わにする。あってはならない、と咆哮する。
古代竜は人を蹂躙する側でなければならない。虚無などというちっぽけな人の希望を食料とする絶望でなければならない。その力を持った己は、一部分である自分は、たかが人などに負けてはならない。
カニのハサミが二人を切り裂かんと薙ぎ払われた。迎撃させてなるものか、とイカとタコの触腕を同時に伸ばした。反撃さえされなければ、こちらの攻撃は通じるのだ。蛇の丸呑みが、それを証明している。
異形は笑みを浮かべる。多少強くとも、一撃で消し飛ぶ程度の命。単なるものに負ける道理などない。
「――だから、さっきから言ってんだろ」
触腕の一つが斬り飛ばされて宙を舞った。いつの間にか彼女達に追い付いた少年の刀で切り裂かれた。
「別に私は言っていませんが……まあ、サイトが言うなら、それでもいいでしょう」
触腕がもう一つ、氷漬けにされ砕け散った。メイド服を来た少女、その人形を操るナイフによって、消し飛ばされた。
「ルイズさんも、キュルケさんも、勿論大事だからね」
もう一つも、握り潰された。こちらと切り離された水の精霊の欠片を纏った吸血鬼の少女、その右手によって、露と消えた。
瞬く間に破壊された下半身の惨状を見て、異形は叫ぶ。こんなことはありえない、と。古代竜と水の精霊、それらが混じり合った己が負けることなど、決して無いと。
だが現状はどうだ。攻撃手段を尽く潰された。先程の二人だけでなく、あんなちっぽけな、人に作られた程度の魔道具と、高位の精霊の力も扱えない妖魔と、何も持ち合わせていない人間に。
「邪魔は」
「させないって」
「言ってんだろうが!」
ぐらりと揺れる。残った上半身から生み出した水流もまた、件の三人によって防がれた。そして下半身のカニのハサミは、当たり前のように二人の少女によって壊された。
行くわよキュルケ、とルイズは言う。任せなさい、とキュルケは返す。
「これで――」
下半身は根本から燃やされ、蒸発した。そして美しさを保っていたはずの上半身は、ピンクブロンドの少女が振り被る刃の煌めきを呆然と眺め。
「おしまい!」
ずるり、と一直線に線が入る。左半分がゆっくりと地面に堕ち、ベチャ、と醜い音を立てた。残った右半分も、その場でドロドロと溶解していく。その体内にあった核の部分を残して。
鈍く青い光を放っていた拳大の鱗は、そこで一旦輝きを消し、地面にコロコロと転がった。まるで、役目を果たしたかのように。
水の封印が解除されました